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2009.10.04
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カテゴリ: 日本史
・上杉家は、存続となりました。

5大老による豊臣政権の安定を崩そうとした家康に異を唱え
家康から謀反の疑いで戦いとなった。
家康の会津討伐で全面対決になりかけた折に、
三成の挙兵。
小山で陣を敷いていた家康は一気に西へ引き返します。
奥羽諸将、伊達でもって睨みを利かせながら。
結局豊臣の家臣の一部も家康に賛同して、
会津討伐、関ヶ原を一緒に戦います。

豊臣政権システムの中での話。
これから幕府をひらいて行くまでの政権構想も気になります。
西は豊臣家臣団が多く存在し、
採取的なシステム支配者と決定付けるため、
大坂夏の陣、冬の陣が決されます。
豊臣というシステムがある以上、徳川の強固な幕藩体制はゆるぎなきものにはなりません。


上杉家は、
当初は取り潰し&打ち首の処遇だったようですが、
生き延びました。

会津、伊達、信夫を失い米沢30万石に減封。

家康の権力に支配されながらも、

豊臣家臣が出てきて助かりました。

兼続の本多正信へのネゴ取りも効果があったようです。
上杉120万石の大反乱の可能性をちらつかせ、
駆け引きにでます。

上杉家自体の存続のためなら、家老の家系を他人の子に継がせる覚悟。



執政直江の実権を握ることは、上杉をコントロールできるチャンスでもある。
強力な家を、コントロールできてこその幕藩体制。

慶長9年 兼続は正信の次男政重を婿養子に迎えます。
直江勝吉と名乗るようです。
しかしながら、慶長16年に加賀前田家に仕えるようになってしまうのは、どうしてでしょう。


これから米沢編ですね。
減封されてもなおついて来る家臣もいます。
武士でありながら土地を開墾し、食べていく術を見出す。
実直に事を成し、耐え、ふたたび向上していく。
正義と愛と勤勉さがあれば乗り越えて行けそうです。





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最終更新日  2009.10.04 22:45:11
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