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栃木市内を歩いた。 市街地にも古い建物があるが、大通りと並行して走る道には味わいのある建物があった。 「日光例幣使街道」と書いてあるとおり、昔からの街道なのだろう。左の建物は、「TOBU」という看板があり、デパートなのだろうと思ったら、なんと、市役所とデパートが一体化しているのだった。 メインの通りの西側の道にあった。 バルコニーが時代を感じさせる。 これはメインの通りの東側にあった。 これは病室だろうか。 こういう建物が、子供の頃に住んでいたところの近くにあった。 医療機関は、古い町では珍しい洋館だったのだ。
2024.12.03
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朝、網戸にとまっていた。 枯れ葉かと思ったら違う。蛾だ。 こんな蛾はそんなにはいないだろうと思って検索したのだがわからない。 わかる人にはわかるんだろうけど、素人の悲しさで同定できない。 何という虫なんだろう。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2008.09.28
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20日から一泊で小田原に行ってきた。 6年前にも行ったことがあるが、市街地の周囲を歩いたことがなかったので、市のサイトでコースを確認し、地図を印刷して持って行った。 なお、ウォーキングコースの地図は、宿泊した東横INN小田原駅東口のフロントにも置いてあった。 20日は、荻窪用水散策コース。 記録は、ヤマレコのここ。 21日は、小田原まち散策。 記録は、ここ。
2023.12.22
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浅草の近く。 「満古当屋」で「まことや」なのだろう。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2014.12.07
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Eテレビの「バリバラ」を毎週見ている。 障害者が出演する障害者情報バラエティ。基本的に明るい。 しかし、3日の放送は、「ネガティブのつぶやき」という、障害者による、自分のネガティブな面の告白。 ゲストはなぜかローリー。 最初は統合失調症の人の「サトラレネガティブ」。自分の思考が他人に伝わってしまっているのではないかという恐怖で他人と一緒にいられない。 子どもの頃から一人でいるのが好きで虫取りをしていた、という。 その人に対して、ローリーは「自分の思考が伝わっているっていうけれど、虫に伝わっていると思ったことはないの? むこうはいやがっていると思うけど」と質問した。 答えは「ない」ということだった。 ここにこの障害の根本があるのではないか。思考が伝わってしまうのであれば、相手が虫でも犬でも猫でも伝わってしまうはず。こちらに、相手を捕まえようという意思があれば、伝わってしまうはず。しかし、人間以外には伝わらないと思い込むところは、自分の思考の内容に自分が否定的だということではないのだろうか。 もう一つは、強迫性障害の人への質問。 その人は、鏡に映った自分の眼鏡が左右高さが違うのではないかということが気になって仕方がないのだという。そのため、外出には時間がかかる。 それに対して、「鏡に映った自分は気になるのに、鏡が汚れていることは気にならないの?」と聞いている。 何もかも気になるのではなく、自分自身にしか意識が向いていないのだということがこれで明かされている。 鋭いなあ。 公式サイト 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2013.05.03
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先日、はいていたズボンが破けてしまった。 みると、生地が、透けて見えるほど弱っていた。 それで、かつて「古典落語」のシリーズを読んだときのことを思い出した。「さわるなよ、正宗なんだから」という台詞があった。 自分の着物にさわるな、といっているのだ。「正宗」は「さわると切れる」のしゃれで、着物の生地が弱っているから、さわられると着物が切れてしまう、ということなのだ。(念のために書いておくと、ここで言う「正宗」とは、名刀のこと) わたしのズボンも、まさに「正宗」になっていたのであった。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.10.01
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よくある、漫画やアニメの世界を現実にするとこうなる、という本ではあるのだが、ひと味違う。 著者の本業は建築コンサルタントで、マンガでもアニメでも、無意識のうちにどんな間取りになっているのか考えてしまうらしい。 その考察の結果を、1作品につき、見開き2ページで解説している。 右側になる偶数ページは考察の文章。左側になる奇数ページには間取りの見取り図。さらに、その図の下に、「ある住人のつぶやき」というのがあって、誰とは書いていないが、その作品に登場する人物の独り言(もちろん、著者が考えたもの)が書いてある。 よく知っているものもあれば、全く知らないマンガもある。 「サザエさん」はアニメ版と、福岡時代のマンガ版とで別々に考察している。 タイトルには「名作マンガ」とあるが、マンガとは限らない。よくある、マンガとアニメの混同かと思ったのだが、そういうわけではない。 「太陽に吠えろ!」の捜査1係の室内や、映画「家族ゲーム」の一家が住むマンションの間取りの考察などもある。 感心したのが、「番外編」の「磯野家 立て替え計画」で、タラちゃんが小学生になったあと、という設定で、マスオとサザエが中古マンションにでも引っ越そうかと、花沢不動産を訪れて、という架空の物語。 いかにもアニメ版「サザエさん」にありそうな話で、セリフもまた、いかにもいかにもなのだ。 全編を通して感じられるのは、取り上げたマンガやアニメへの愛情である。ただ突っ込んでいるのではなく、専門家から見ると変ではあるのだが大好き、というのが伝わってくる。 いつだったか、夏目漱石の「こころ」の先生が下宿していた家の間取りを考察した文章を読んだ記憶があるが、この本には、「吾輩は猫である」の家の間取りが載っている。また、あっと驚いたのは宮沢賢治「注文の多い料理店」の間取り。今まで考えたこともなかったが、合理的に考えるという功間取りになるのだ。 専門家というのは恐ろしいものだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.08.23
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日本文壇史(16)(著者:伊藤整|出版社:講談社文芸文庫) 副題の通り、大逆事件にまつわることがほとんどを占めている。 これまでほとんど知らなかったが、幸徳秋水はむしろ巻き込まれたのであって首謀者ではなかったのだ。実質的な首謀者の管野須賀子の写真が載っているが、きりりとした表情が印象的だ。 直接関わっているわけではないが、佐藤春夫の身辺にも関係者がいたとは。大逆事件を挟むように、永井荷風のことが最初と最後に載っている。 しかし、どうしてこう、女と関わらないではいられないのだろう。あきれるほどだ。古本で探す
1998.11.10
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日本文壇史(14)(著者:伊藤整|出版社:講談社文芸文庫) 岩野泡鳴がすごい。ここまで自己中心で、自我だけを押し出して生きていける人間がいるということは驚くに値する。 考えてみれば誰でも多少は自己中心ではあるのだが、時には客観的に自分を見たりもするはずだ。岩野泡鳴にはそれがない。 啄木といい、岩野といい、北海道が舞台になるとよりいっそう精彩を放つように思えるが、著者が北海道出身のためだろうか。 この本全体を見ると、雑誌に発表されたときのままの形を保っているので、全体としてのまとまりにはやや欠ける。伊藤整が一冊にまとめるときにどれだけ苦心したか、かえって、このことによって明らかになる。古本で探す
1998.11.05
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大正7年に「時事新報」に連載されたもの。 希望を胸にアメリカから帰国した若い医師が、親友に婚約者を奪われ、研究も失敗し、新たに婚約した相手も病死し……と次々に不幸に見舞われながら、周りに支えられ研究に意欲を燃やす。 解説によると、これは、久米正雄自身が、夏目漱石の長女・筆子に失恋した体験を元にしているのだそうだ。筆子は、久米正雄の紹介で夏目家に出入りするようになった松岡譲(『漱石の思い出』をまとめた)と結婚したのである。 菊池寛の小説と共通するのは、資産階級の話であること、登場人物が皆饒舌であること。 純文学作家が大衆小説に手を染めた、と見ることもできるが、もともとこういうものを書く素地があったのだろう。 それでも照れくさいのか、斜に構えた森戸子爵という登場人物が、偶然の出会いがあったりすると、「下手な小説家が使いそうな邂逅だね」(p664) と言い、主人公が酒におぼれると、「今の通俗小説家だってそんな古臭い趣向は立てないくらい陳腐ですね」(p712)などと言う。さらに、「こう云うところがなくては、読者に受けまいと思って拵えたヤマ場のようだね。併しこの作者は普通の通俗作家と違って、殆ど嘘は書かないはずだからね」(p721)とまで言う。 もっとも、このせりふの「作者」は、久米正雄のことではなく、運命のことなのだろう。(講談社「大衆文学大系」第7巻で読んだが、絶版)
2004.10.28
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お正月には初詣でで渋滞になるので、年末に参拝。 写真のように、石段の上の鳥居が倒れたのが修理できないでいた。 ちょっと面白かったおみくじの写真。 「恋みくじ」って占いだけなのか、何か御利益があるのか。 「こどもおみくじ」の「知恵の輪守付」って、「おみくじ」なのか「御守り」なのか。 おみくじ業界もまた、新商品開発に苦心しているのである。 公式サイト 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2011.12.27
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つぅさん、またね。(著者:鶴田保子|出版社:ベースボール・マガジン社) 今年5月、肝移植の手術中になくなったジャンボ鶴田の夫人が、出会いから死別までを綴ったもの。 マニラでの手術中の死、ということでさまざまな憶測が飛び、手術に成功しても半年の寿命だったという報道もあったが、ほとんどが誤報だったことがわかった。 肝炎に関しても、B型肝炎は、母子感染だったこと、キャリアと分かったのは、結婚から1年ほどしてからで、もしインターフェロンの注射をしていなかったら、何事もなく生涯を終えることができたかもしれないこと。 遺族の気持ちを考えない取材や報道に対しての憤りも抑えた筆致で書かれている。 「世話になったテレビ局」というのだから、日本テレビだろう。 また、入院中に、勝手に引退記事を書いたのは、たしか日刊スポーツだった。 プロレスラーでは、名前が出てくるのは、馬場さん、渕、三沢の三人だけ。この三人には心をゆるしていたらしい。 特に渕は、私生活でも相談役になっていたようだ。 故人の人柄を紹介するエピソードも、驚くようなことが多い。 保子さんへのプロポーズ、「生産性のないことはしない」という人生観、大学講師となったのは自らの売り込みによってであったこと。 やはり彼は怪物だった。肉体だけでなく、頭脳も精神力も常人を遙かに凌いでいたのだ。 故人の冥福と、遺族の安らかな生活を祈る。
2000.11.29
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左端の字は「多」の草書体。 「たんぽ」ではない。 その上の「登録商標」や、下の「本家」でわかるように、「ぽんた」である。 これは横書きではなく、一行一字の縦書き。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へどうぞ。
2006.11.18
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銀の匙(著者:中勘助|出版社:岩波文庫) 高校生の時に一度読んだことがあったのだが、ほとんど忘れていた。 繊細で感受性の強い幼少年期を鮮明に描き出している。 恵まれた環境に生まれ育ったということがあるにしろ、ここまで感受性が強くてはかえって生きていくのは大変だ。波の音が悲しくて涙が出たりするのだから。 描写が精緻で、それが鮮明な記憶であることを印象づけている。 作者にはそんな意図はなかったろうが、これは明治初期の東京の風俗の記録でもある。
1999.01.22
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三四郎(著者:夏目漱石|出版社:角川文庫) 十五年ぶりぐらいで読んだ。 最初に謎の女と同宿するところと、「かあいそうだたほれたってことよ」しか覚えていなかった。 青春小説でもあり、風俗小説でもある。当時の学生の衣食住の一端を知ることができる。 面白いのが、冒頭の、空になった弁当を窓から捨ててしまうことだ。当時は、列車の中にはゴミ箱はなかったのだろう。 もちろん、小説であって現実ではないので、こういうことが現実に起こりうることだったわけではない。 特に、偶然の出会いが多すぎる。 美彌子のことは、それほどの謎も感じないのだが、わからないのは広田先生の、「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」というセリフである。 このセリフには、何か重大な意味があるように思われる。 そして、このセリフの意味を解明した文章を何かで読んだような気もするのだが、思い出せない。 何か大事件が起こるわけではなく、淡々と流れていく。 不思議な小説である。
2002.05.08
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いわゆる自己啓発本。こういうものはあまり読まないのだが、家にあったので手に取ってみた。 非常に薄く、短時間で読める。 「もうひとりの自分」というのは自分の潜在意識のことだ。 文章はわかりやすい。 前世や運命などというものは出てこない。 副題は、「人生を変える! 思い通りに自分を動かす4つの法則」で、他人を思い通りにするのではなく、自分を理解するための本。 姓名判断や血液型占いや風水などよりはよっぽどましな本だとは思う。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2011.05.12
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蛸屋の次は、昼食。十一時からということで、早めなのだが、出発が東京駅七時三十分で早いので、空腹になった。 場所は、「いちごの里」という観光農園のランチビュッフェ。 広い敷地にはいろいろな施設があり、農機具が展示してある。 ビュッフェはイタリアンが基本だが、朝鮮料理もあった。まずは空いている皿から少し取ってきた。 これはおかわり一回目で、最初は、パスタとピザを少しと、29日だけあるというローストビーフ寿司をもらってきた。 おかわり二回目。肉やご飯、グラタンなど。 満腹になったが、最後はデザートとコーヒー。苦しいが食べきった。 ご飯やカレーもあるが、そんなものを食べてはすぐに満腹してしまうので手を出さなかった。 シャーベットも食べ放題だったが、食べられるわけがない。 満腹。満足。
2024.12.01
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「水滸伝」を読む(著者:伊原弘|出版社:講談社現代新書) 文学的考察ではなく、都市を研究する歴史学の立場からの考察。 「宋代から家族の崩壊が進んだ」「都市は家族を崩壊させる」という点が印象に残った。しかし、梁山泊の好漢は誰もが家族が崩壊しているかのような書き方には疑問を感じる。家族を呼び寄せたり、勝手に連れてこられたりして一緒に生活している好漢も少なくないはず。(P113)「実は、ここに梁山泊の都市性が秘められている。都市はまた血の繋がりの薄いものの集まりだからである。血の繋がりの薄いもの、そしてかれらが肩を寄せあって生きる場所。それが都市である。好漢たちの家族の影が薄いことこそ、『水滸伝』が都市的物語であることを示唆するのだ。」 (P115)「そして、これは、当時の都市、否、当時の社会で生活していたもののかなりの家族組織が崩壊していたことを示すのではないか。おんなに興味を持たないのは、潔いのではない。彼らが家族を構成していないからである。」(P116)「高島氏は『水滸伝』の主人公たちがおんなに興味を持っていないことを特筆される。だが、それは好漢たちが淡泊だったといっているのではなく、そのような社会事情の反映なのだ。」古本で探す
1994.08.29
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