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『特別定額給付金』10万円?マイナンバーを取得したのは・・・2016年4月の事です。いやいや〜4年も前のこと。写真を美人モードで撮影して市役所に予約までして行ってめっちゃ〜面倒な手続きだった市役所のこんな場所で個別で、順番に何なの〜イライラそれでも混んでいないので怒ることも無いのですがその後の4年間。使うことが・・・無い!いつ使うの?こんな面倒な手続きまでして〜それが、今まさに使える時がやって来たそれがです〜それが〜『暗証番号』とな?4年前ですよ〜一度も使って無い!忘れてますよ〜4年も前も暗証番号ってカードに書くこともできないし・・・まぁ〜いいか市からは、何の指示も無い!だけど、10万円は・・・ちょっと欲しいかも?大体が、我が市PCR検査だって やってないでしょうが〜何と、のんびりしているんだろうか?発熱したら、どこへ行くのか?大体が、かかりつけ医おらんし・・・「大病」した時の大病院は、遠すぎてコロナになってからでは、遠くて行けないし車持ってないし、全く訳がわかりませんけどイライラ、これは、コロナ鬱でしょうか?困るわね〜おや・・・・うっすら暗証番号思い出したかも?まぁ〜書類が来ないし、ネットでの申し込みも開設されていないしそういえば・・・「あべのマスク」来てないし!どうでも良いですが〜日本の将来が心配になっております。感染しないように家に居るしか方法がありません!お家に居ましょうにぽち
2020.05.08
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バロック時代のローマ教皇「ウルバヌス8世」Urbanus VIII について調べてみました♪ウルバヌス8世・・・とは? ウルバヌス8世 ラテン語: Urbanus VIII 英語: Urban VIII 1568年4月5日 - 1644年7月29日 バロック時代のローマ教皇(在位:1623年8月6日 - 1644年7月29日) 本名=マッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニ Maffeo Vincenzo Barberini 三十年戦争を通じてみせた聖職者というよりは 政治家・統治者としての姿、 学問と芸術の庇護、 目にあまるネポティズム(親族登用主義)など、 さまざまな意味で最後の中世的教皇であった。 彼は文化・芸術の庇護者であり、教会改革を進め、 教皇国家の領域を史上最大のものに拡大させたが、 彼の治世で発生した巨額の負債はローマ教皇庁を弱体化させ、 長期にわたってヨーロッパに対し 政治的・軍事的影響力を維持していくことを困難なものにした。 なお、彼の時代にガリレオ・ガリレイの裁判(第2次裁判)が おこなわれたことでも知られている。 「マッフェオ・バルベリーニ(30歳、のちのウルバヌス8世)の肖像」1598年、カラヴァッジォ画 マッフェオは フィレンツェ(イタリア・トスカーナ州)の実力者で、 カトリック教会に最も寄付を多くおこなっていた 富裕な商人のひとつであったバルベリーニ家の出身である。 父はアントニオ・バルベリーニ、母はカミラ・バルバドーリであった。 彼は、ローマの学院で学んだが、 そこはイエズス会によって質の高い教育がほどこされていた。 1589年にはピサ大学より法学博士号を受けている。 やがてローマ教皇庁の首席書記官だった 伯父の引き立てで教皇庁で働くようになり、 若くしてシクストゥス5世から グレゴリウス15世にいたる歴代教皇の側近として活躍した。 クレメンス8世の時代に首席書記官になると、 フランス国王アンリ4世の宮廷にむけた 教皇大使としてフランス王国の首都パリへ赴いた。 教皇大使は、ローマ教皇の代理として教会改革を推進し、 一方では教皇権とヨーロッパ諸国とを仲介する要職である。 1604年、クレメンス8世は彼をナザレの司教に叙任した。 パレスティナに所在するナザレの町は 当時オスマン帝国の支配下にあったため、 形ばかりの役職にすぎなかったが イエス・キリストの育った地であり、名誉職にはちがいなかった。 このころ、彼は、叔父の死によってその遺産を相続し、 それにより彼は豪華なルネサンス様式の宮殿をローマ市内に購入している。 パウルス5世の下でもフランス宮廷付教皇大使に任じられ、 1606年には38歳で枢機卿に昇進し、 1608年にはスポレート(イタリア・ウンブリア州)の司教、 1617年には教皇庁のボローニャ(イタリア・エミリア=ロマーニャ州)使節にも任命された。 前任のグレゴリウス15世が熱病によって死去したのは1623年7月8日のことであった。 グレゴリウス15世死後の、マッフェオ・バルベリーニが 教皇ウルバヌス8世として選出された教皇選挙会議は混乱をきわめた。 枢機卿10人が熱病に倒れ、 有力な候補者のひとりボルケーゼ卿は 重病の床にあって立候補を断念せざるをえなくなった。 さらに、24人いる枢機卿に対し、 20枚の用紙しか配られないなど、投票手続きにも不備があった。 しかし、最終的には、それまで順調に出世してきた マッフェオしかないという妥協的な雰囲気のなかで、 55歳のマッフェオ・バルベリーニが必要な得票数を得て教皇の座についた。 1623年8月6日のことである。 【教皇ウルバヌス8世の治世】 教皇就任 彼はグレゴリウス15世の後継者としてウルバヌス8世を名乗った。 教皇選挙の際に、ヴェネツィア共和国の特使ゼノは以下のような記述を書き残している。 新しい教皇は56歳。教皇聖下は背が高く、 肌は褐色で顔立ちは整い、グレー混じりの黒い髪をしていた。 彼は際だってエレガントであり、その法服も細部にわたって洗練されており、 優雅で貴族的なその身のこなしと相まって絶妙な味わいを醸し出していた。 彼は優れた話者かつ論者であり、詩歌を書き、また詩人や文芸家のよき保護者である。 自分が教皇に選ばれた選挙会議において、 さまざまな策略や駆け引きが教皇庁内で 繰り広げられていることを目にしたウルバヌス8世は、 枢機卿会からは一定の距離を置くよう努め、 自分自身の判断と自分の一族を頼みとして、 生家バルベリーニ家の人びとをはじめとする親族を次々に昇進させていった。 サン・ピエトロ大聖堂内の彼の墓の彫像の左肩、彫像の土台、 石棺の上にはそれぞれバルベリーニ家の紋章であるミツバチが彫られている。 ウルバヌスは親族登用によって自己の勢力拡大を図ったのである。 彼は縁故主義を壮大なスケールで展開し、 彼の親族には彼によって莫大な富がもたらされたので、 それはあたかも「バルベリーニ王朝」の様相を呈した。 弟のアントニオ・マルチェッロ・バルベリーニ(老アントニオ)がおり、 甥のフランチェスコ・バルベリーニ、 タッデオ・バルベリーニおよび アントニオ・バルベリーニ(若アントニオ)は、いずれも枢機卿に就任した。 甥のタッデオはまた、 バルベリーニ家が所有していたコムーネであった パレストリーナの地名を冠して「パレストリーナ(公国)の公子」と称され、 カストロ戦争の際には教皇軍の司令官に任じられた。 【教会改革と宣教】 ウルバヌス8世の教皇勅書 ウルバヌス8世は、 イサベル・デ・アラゴン・イ・シシリアや アンドレア・コルシーニなど多くの聖人を列聖し、 聖別法を制定した。 また、聖マリア訪問童貞会やヴァンサン・ド・ポールが 創立したラザリスト会といった新しく設立された修道会を認可し、 聖務日課書を改訂するなど教会改革に熱心であった。 教皇権の強化にも取り組み、 ヨーロッパ外の伝道にも熱心で、 布教活動にあたる聖職者を要請する教育機関 「コレギウム・ウルバヌム」(ウルバヌス学院)を創設した。 コレギウム・ウルバウムは主として 新大陸布教の教育機関の役割を担わされた。 ウルバヌスはまた、 「普遍教会の導き手」として、 1545年のトリエント公会議に倣い、 同様の議題を策定しようと図ったが、これには失敗している。 1638年の教皇勅書は、 伝道組織に加わった南アメリカ大陸先住民の奴隷化の禁止により、 南米でのイエズス会の宣教とそのあり方を保護した。 また、同時に中国と日本の宣教師の業務のイエズス会による独占を撤廃し、 すべての修道会の宣教師に対し、これらの国々の伝道の道をひらいた。 また、ウルバヌス8世は、 1624年、神聖な場所で煙草(たばこ)を吸う行為に対して 破門など厳罰に処することを可能とする教皇勅書を発したが、 これはのちにベネディクトゥス8世によって撤回された。 【軍事と外交】 ウルバヌス8世の治世は 神聖ローマ帝国を舞台として長く続いた三十年戦争(1618年-1648年)が ヨーロッパ全体に暗い影を落としており、 プロテスタント勢力の台頭もあって、 ローマ教会にとっても多事多難の時期であった。 教皇自身もヨーロッパ列強の思惑に対し、 ときに対等に渡り合い、ときには左右されながら、 世俗君主同様、ヨーロッパ内の一勢力としての政治的駆け引きを余儀なくされた。 1626年にはウルビーノ公国を教皇領に編入し、 1627年にはマントヴァ公国でゴンザーガ家の直系男子が途絶えると、 ハプスブルク家の影響力に圧倒されながらも、 その意に反してヌヴェール公カルロ1世を後継者に推している。 1631年にはイタリア半島北東部のサンマリノの独立を承認した。 戦乱のなかでウルバヌス8世は 自領の軍事力の充実を図っている。 彼はローマ教皇領を拡大した最後の教皇となり、教皇領は史上最大となった。 マントヴァとの境に近いカステルフランコ・エミーリア およびチヴィタヴェッキア港を要塞化し、 ローマのサンタンジェロ城を強化し、 すでにティヴォリにあった兵器工場をバチカンにも増設している。 また、軍事力増強政策の一環として、 ウルバヌスがローマのパンテオンの青銅の桁をはずして 大砲を製造したことは大きな物議をかもし、 「蛮族(バルバリ)すら成し得なかったことをバルベリーニが成し遂げた」 ("quod non fecerunt barbari, fecerunt Barberini")と皮肉られた。 ウルバヌス8世は、 前代のグレゴリウス15世とは異なり、 中立を保ちながらもフランス王国への接近を図った。 それは、1527年に起きたローマ略奪のような事態を回避し、 イタリアにおける神聖ローマ帝国=ハプスブルク家の野望に対抗するためであったが、 そのことは逆に、ブルボン王朝に仕え、 フランスをヨーロッパ一の強国に成長させるべく尽力した ルイ13世の名宰相リシュリュー枢機卿の政治手腕に翻弄される結果をもたらした。 ウルバヌスは、 1635年に神聖ローマ皇帝のフェルディナント2世が ドイツのプロテスタント勢力と和議を結んだ際にも、 ただ、それを追認するほかなかった。 また、1636年、ウルバヌスはケルンに平和会議を招集し、 フランス・ドイツ間の和解を図ろうとして失敗している。 ウルバヌス8世がスウェーデンやオランダなど プロテスタントと同盟したフランスを支持したために、教皇権の権威はかえって失墜し、 ヨーロッパにおける教皇の影響力が低下したことで、 ローマ教会はドイツでの巻き返しを実現することがかえって困難になってしまった。 そのため、ウルバヌスはイタリア半島における 利権の確保に注力せざるをえなくなったのである。 【学問と芸術】 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによるサン・ピエトロ大聖堂の天蓋 ウルバヌス8世は、1633年に ガリレオに自説を撤回させたことで歴史に名前を残すことになった。 しかし、その一方で学問と芸術の守護者でもあった。 高い教養で知られたウルバヌス8世は、 画家、彫刻家、建築家をもっとも助成した教皇のひとりだったのである。 「聖テレジアの法悦」(1648年)で知られる 大芸術家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、 ウルバヌス8世によってローマのあらゆる芸術活動を任された人物であり、 その一環としてサン・ピエトロ大聖堂の内装に取り組んだ。 ウルバヌスは ベルニーニに対し内陣の天蓋(バルダッキーノ)制作を委嘱しており、 1626年、内部は改造中のままサン・ピエトロ大聖堂の献堂式が行われた。 サン・ピエトロ大聖堂の天蓋は、 1624年から1635年まで完成に11年の歳月を要しており また、使徒ペトロの墓の天蓋は教皇領の年間歳入の10倍の費用がかかったといわれている。 サンピエトロ大聖堂の天蓋と、 ウルバヌス8世死後に大聖堂内陣につくられた「聖ペトロの司教座」(1656年-1666年)は、 ベルニーニによるバロック芸術の傑作といわれる。 それは、彫像的な性格を有した建築装置であり、 絵画・彫刻・建築それぞれの特質を融合して一つの目的のために駆使した、 いわば「総合舞台芸術」であった。 ベルニーニは、ウルバヌス8世と 甥の枢機卿タッデオによりローマのバルベリーニ宮殿の建築にもかかわった。 バルベリーニ家の栄光をたたえるフレスコ画はピエトロ・ダ・コルトーナによって描かれた。 そのほか、教皇による建設事業ではバルベリーニ広場の 「トリトーネの噴水」が特によく知られている。 ウルバヌス8世はまた、カステル・ガンドルフォ (ラツィオ州ローマ県)に別荘としてガンドルフォ城を築き、 以後、同地は歴代ローマ教皇の避暑地となった。 また、フランスの画家ニコラ・プッサンと クロード・ローランをローマに招いて創作活動に従事させ、 ドイツ出身のイエズス会の碩学アタナシウス・キルヒャーもローマに招いている。 甥の枢機卿フランチェスコ・バルベリーニは、 プッサンおよび シモン・ヴーエを庇護した。 祝福を授けるポーズの教皇ウルバヌス8世(ジャン・ロレンツォ・ベルニーニとその生徒による 1635年-1640年の作品、サン・ピエトロ大聖堂内の墓の彫像) 1640年、ネーデルラント出身の神学者コルネリウス・ヤンセンは 古代の教父として著名なアウグスティヌスの思想から大きな影響を受け、 その恩寵説をもとに、 その人間の自由意志の無力さや腐敗した人間本性の罪深さを強調した 『アウグスティヌス-人間の本性の健全さについて-』を発表した。 ウルバヌス8世がこれに対し、 1643年の回勅「イン・エミネンティ」においてヤンセンの著作を断罪したことは、 そののち長く続いた「ジャンセニスム論争」の幕開けとなった。 【ネポティズムと教皇の最期】 ウルバヌス8世の治世において特徴的なことは 大規模なネポティズム(親族登用主義)による人事である。 バルベリーニの一族によって教皇庁とローマは牛耳られ、 多くの富がバルベリーニ家にもたらされた。 それに不満をもつローマ市民も少なくなかった。 ウルバヌス8世は中世を通じて教皇庁の諸悪の根源として批判されていた ネポティズムを大々的におこなった最後の教皇となった。 これには当然弊害もあり、 晩年のウルバヌス8世は、強欲な甥たちを信用した結果、 1641年から1644年にかけてのイタリア内部の抗争に介入し、 教皇庁の財源はそれにより大きな痛手を受けた。 1644年、ウルバヌス8世は76歳で死去した。 死因はパルマ公のオドアルド1世との争いによる心労ともいわれている。 枢機卿会との対立からはじまった教皇ウルバヌスの治世の最後は ローマでの民衆暴動が締めくくった。 ウルバヌス8世は教会の財源を浪費したのみならず、 イタリアで無謀な戦争を重ねてきたため、 門閥主義に対する反感もあって、その人気は地に堕ちていたのである。 ウルバヌス8世の死以降、 教皇庁では改革意識の高まりとともにネポティズムの反省がなされ、 その根絶が目指されるようになった。 【ウルバヌス8世とガリレオ裁判】 ウルバヌス8世は、ガリレオ裁判と縁が深い。 ガリレオは、パウルス8世(在位:1605年-1621年)によって批判され、 ウルバヌス8世の時代になって再び異端者として糾弾された。 1623年のガリレオの著作『贋金鑑識官』はウルバヌス8世の支援で出版され、 同書は教皇に献呈されたものであったにもかかわらず、 ガリレオは自説を放棄させられた。 1616年…ガリレオに対するローマ教皇庁異端審問所の第1回宗教裁判。 ガリレオは地動説を唱えないよう、注意を受ける。 この際、枢機卿時代のウルバヌス8世も裁判に参加している。 1623年…ガリレオの『贋金鑑識官』がウルバヌス8世への献辞をつけて刊行。 1632年…『天文対話』刊行。地動説論者、天動説論者、 中立派の3人による対話という形式で書かれている。 教皇庁の許可を受けての出版であるが、 物分りの悪い人物として描かれている天動説論者は ウルバヌス8世をあてこすったものだという讒言があり、教皇を怒らせたという。 1633年…ガリレオに対する第2回宗教裁判で異端の判決が下される(終身刑とされるが、 直後にトスカーナ大公国(フィレンツェ)ローマ大使館での軟禁に減刑)。 なお、P.G.マックスウェル・スチュアートは、 ウルバヌス8世が天動説への共感や確信によりガリレオを断罪したというよりは、 当時としては異端の臭いのする地動説に 何か怪しさを感じただけにすぎなかっただろうと述べている。 【サンマリノ独立承認】 1631年、ウルバヌス8世はサンマリノの独立を承認した。 サンマリノは、このとき以来独立を保持し、 現存する独立国家では最古の共和制国家である。 なお、サンマリノの国名は、4世紀初め、 マリーノという名の石工がローマ皇帝によるキリスト教迫害を逃れ、 この地に潜伏してキリスト教徒の共同体をつくったという伝説にちなんでおり、 石工マリーノを「聖(サン)マリーノ」と呼称したことに由来している。 【人物】 アンドレア・ニコレッティの『教皇ウルバヌス8世の生涯』によれば、 ウルバヌス8世は身長が高く、均整のとれた筋骨たくましい堂々たる体格で、 肌はオリーブ色、声は朗々としていたという。 また、同書には、ウルバヌス8世が「すばらしい知力と博覧強記」の持ち主で、 大きな頭、広い額、形のよい鼻、四角いあごひげをもち、 頬は本来ふくよかであったが、晩年にはげっそりとこけてしまったことを記載している。 【教養人ウルバヌス8世】 カトリックの伝統と人文主義の新しい潮流が混淆した ローマの学院で学んだウルバヌス8世は、 トスカーナ語、ラテン語、ギリシア語で著作を執筆した教養人であり、 ラテン語の詩作に優れ、多くの作品をのこした。 その外交・軍事政策には失敗も少なくないウルバヌス8世であったが、 今日でいうメセナ(学問芸術への助成)活動については しばしば高い評価もあたえられる。 シクストゥス5世によるローマ再整備ののち、 その装飾を完成させ、ローマをヨーロッパ随一の芸術の都としたのは彼の功績といえる。 折しもこのころ、ローマではオラトリオ修道会が中心となって、 今までにない信仰心発露のスタイルとして新しい音楽ジャンル(オラトリオ)を編み出していた。 ローマの祝祭は、華々しい行列やオラトリオなどの演出が ウルバヌス8世の注力したバロック芸術と相まってにぎわい、 巡礼や観光でローマにおとずれる人は年間数十万人にもおよんだ。 また、彼の理念はフランスではリシュリュー枢機卿や 「太陽王」ルイ14世の養育係・宰相となった イタリア生まれのジュール・マザラン枢機卿に受け継がれることとなった。 【魔術への傾倒】 トマーゾ・カンパネッラ 猜疑心の強いウルバヌス8世は、 占星術師にローマ在住の枢機卿の死期を占わせるようなことをしている。 しかし、巷間では自分の詳細な運勢図が流れていることを知り、 天界から悪意を受けないようにするため、 ドミニコ会の修道士であったトマーゾ・カンパネッラの力を借りて、 間近にせまった月食の悪影響を除去する儀式をおこなった。 カンパネッラは、1589年から異端として長いあいだ投獄されていたが、 1628年に釈放され、ウルバヌスの前に引き渡されたのである。 カンパネッラの儀式はラテラーノ宮殿の教皇の間でおこなわれた。 それは、密室の壁に白い絹がかけられ、薬草が焚かれ、 太陽と月を意味する2つのランプと十二宮が用意されて 占星音楽が奏でられるというものであり、 キリスト教の教義からは著しく逸脱した魔術的な儀式であった。 【年譜】 1568年…のちのウルバヌス8世、マッフェオ・バルベリーニがフィレンツェで生まれる(4月5日)。 1604年…マッフェオ・バルベリーニがパリ教皇大使となる。 1606年…枢機卿となる。 1608年…スポレト司教となる。 1617年…ボローニャの教皇特使となる。 1623年…ウルバヌス8世としてローマ教皇に即位。ガリレオ・ガリレイ『贋金鑑識官』を発行。 1624年…ベルリーニ、サン・ピエトロ大聖堂天蓋の内装に着工。 1626年…ウルビーノ公国の教皇領編入。サン・ピエトロ大聖堂の献堂式を挙行。 1627年…ウルバヌス8世、布教活動のために「コレギウム・ウルバヌム」を設立。 1628年…トマーゾ・カンパネッラが釈放されてウルバヌス8世のために魔術的な儀式をおこなう。 1631年…サンマリノ共和国の独立承認。 1632年…ローマでバルベリーニ宮を着工。 1633年…第2次ガリレオ裁判。 1635年…ベルリーニによるサン・ピエトロ大聖堂天蓋が完成する。 1640年…コルネリウス・ヤンセンがジャンセニズムの思想を叙述した『アウグスティヌス』が出版される。 1643年…ウルバヌス8世、回勅でヤンセン『アウグスティヌス』を断罪。 1644年…ウルバヌス8世、ローマで死去(7月29日)。 【親族・友人】 兄にカルロ・バルベリーニ、アレクサンドロおよびニッコロ・バルベリーニ、 弟にアントニオ・マルチェッロ・バルベリーニ(老アントニオ)がおり、 6歳年上の兄カルロの子(ウルバヌス8世にとっては甥)に フランチェスコ、タッデオおよび若アントニオがいる。 弟の老アントニオおよび3人の甥たちはいずれも、 その親族登用策で枢機卿に就任した。 モデナ公爵夫人となったルクレツィア・バルベリーニは 「パレストリーナ公」と呼ばれたタッデオの長女である。 タッデオの子には他にマッフェオ・バルベリーニ(若マッフェオ)、 カルロ・バルベリーニがいる。 1667年に教皇となったクレメンス9世は、 トスカーナのピストイア出身で、 教皇となる以前の名をジュリオ・ロスピリオネージといい、 ウルバヌス8世が教皇だったとき、 学識豊かな教皇の周辺に集まった文人のひとりであった。 彼は歌劇の台本作者という顔を持ち合わせており、 宗教オペラの様式を創出し、 最初期の喜歌劇(コミック・オペラ)の台本を何本か手がけた異色の教皇である。 ジュリオ・ロスピリオネージは若くしてバルベリーニ家に気に入られ、 そのことが彼の昇進につながった。 教皇就任後のクレメンスはまた、 ウルバヌス8世のサン・ピエトロ大聖堂の改修事業に尽力した 旧友のジャン・ロレンツォ・ベルニーニにサンタンジェロ橋の装飾を依頼しており、 橋はベルニーニ自作の2体ふくむ10体の天使像の彫刻で飾られている。バルベリーニ宮「国立古典絵画館」ローマ3階 Secondo Piano 第26室 Sala26 バロックのローマ ベルニーニからマラッタバルベリーニ『ウルバヌス8世の肖像』Ritratto di Urbanoローマにぽち
2017.09.17
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パク大統領の決意・・・とは? 大統領を辞任 韓国にぽち
2016.11.29
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増田 寛也(ますだ ひろや)・・・とは? 増田 寛也 ますだ ひろや 1951年12月20日 - (64歳) 日本の元建設官僚、政治家。 岩手県知事、総務大臣(第8代・第9代) 新しい日本をつくる国民会議副代表 都留文科大学特任教授などを歴任している。 【経歴】 1964年 - 東京都世田谷区立九品仏小学校卒業 1967年 - 東京都世田谷区立尾山台中学校卒業 1970年 - 東京都立戸山高等学校卒業 1972年 - 東京大学入学 1976年 - 国家公務員上級甲種試験合格 1977年 - 東京大学法学部卒業。建設省入省 1982年 - 千葉県警察本部交通部交通指導課長 1986年 - 茨城県企画部鉄道交通課長 1993年7月5日 - 建設省河川局河川総務課企画官 1994年7月1日 - 建設省建設経済局建設業課紛争調整官 12月5日 - 退官 【政歴】 1995年 - 岩手県知事初当選(当時全国最年少43歳) 1999年 - 同再選 2003年 - 同三選 2007年 - 任期満了により退任(四選不出馬) 8月27日 - 第1次安倍改造内閣で総務大臣に就任。 9月26日 - 福田内閣で総務大臣に再任。 2008年9月24日 - 総務大臣退任。 【その他公職】 2006年 4月 - 郵政民営化委員会委員 7月 - 官民競争入札等監理委員会委員 2007年4月 - 地方分権改革推進委員会委員長代理 2009年 4月 - 東京大学公共政策大学院客員教授、野村総合研究所顧問 4月7日 - 内閣官房参与兼内閣官房安心社会実現会議事務局長 2010年11月30日 - 内閣府原子力委員会新大綱策定会議構成員 2011年5月 - 日本創成会議座長 2012年11月27日 - 社会保障制度改革国民会議委員 2013年7月17日 - 郵政民営化委員会委員長 2013年10月18日 - 内閣日本経済再生本部産業競争力会議委員(第2次安倍内閣) 2014年6月 - 東京電力社外取締役 2014年7月 - 神戸市顧問 東京都出身。 父は農林官僚で参議院議員を務めた増田盛(ますだ さかり) 九品仏の農林省官舎で育つ。 父が退官したのちは小山台に転居。 東京都立戸山高等学校に進学する。 高校卒業後は、 予備校に通い、2年間の大学受験浪人生活を送り、 1972年東京大学入学。 東京大学法学部4年時には、 2年間浪人しているため民間企業への就職は厳しく、 旧司法試験も難関であったため、 大学の定期試験を受けずに1年留年し、 国家公務員試験を受験し、建設省に入省。 1982年から千葉県警察本部交通部交通指導課長に出向し、 ひき逃げ事故の捜査などにあたった。 また射撃訓練に熱中し、 柔道段位も取得。 結婚もした。 1986年から、 建設省の先輩にあたる知事・竹内藤男の下、 茨城県企画部鉄道交通課長を務め、 4年半首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス建設の準備を進め、 鈴木俊一東京都知事の説得などにあたった。 1993年から建設省河川局河川総務課企画官を務め、 大蔵省総括主査の香川俊介と共に、 ダム削減のため技官との交渉にあたった。 国政選挙への出馬打診は断っていたが、 1994年岩手県知事選出馬を決意。 建設省上層部や妻の反対を受けたが、 夫婦に子供がなかったことから落選しても 何とかなると妻を説得し、退官した。 小沢一郎らの支援を受け1995年に当選。 岩手県知事在任中は、 2期目から小沢一郎と決別し、 宮城県知事の浅野史郎や三重県知事の北川正恭、 高知県知事の橋本大二郎などと親しみ、 改革派知事の代表格として知られた。 第1次安倍改造内閣、福田康夫内閣、福田康夫改造内閣では 知事出身の民間閣僚として地方再生に取り組んだ。 【発言】 財政 財政悪化の原因について、 増田は2005年3月2日の岩手県議会本会議で、 「財政悪化の原因は3つある」と指摘したうえで、 「このような結果を招いたことを深く反省している」と陳謝した。 1.岩手県立大学の設立・東北新幹線の延伸工事 2.公共事業の連発 3.臨時財政対策債の発行 “…県債残高増加の主な原因は 3点あると思っております。 一つは、東北新幹線や県立大学の整備など、 県単事業の財源として多くの県債を発行してまいりました。 二つ目は、たび重なる国の経済対策に呼応いたしまして、 立ちおくれておりました本県の社会資本整備を前倒しで実施するということで、 補正予算債をこれも多額に発行してまいりました。 3点目は、国におきまして、地方の財源不足に対応するため、 地方交付税の振りかわりとして 臨時財政対策債などの財源対策債による地方財政措置がとられた。 したがいまして、 そうした臨時財政対策債などの発行を余儀なくされた。 この3点であろうと思っております。…(中略) … 経済対策のための地方債に対しましては、 後年度に交付税を措置するという、 このような地方財政対策が講じられましたので、 これを立ちおくれておりました社会資本整備を進める好機ととらえて 取り組んできたわけでございます。 これによりまして、 確かに県民生活の向上や基盤整備が進んだと考えておりますけれども、 一方で、多額の県債残高を抱えて 償還額が今お話しございましたとおりに累増してございますし、 結果として、景気の目立った回復が見られない。 そこで本県財政の悪化を招く要因となったものと認識しておりまして、 このような結果を招いたことを深く反省をしているところでございます。” — 議事録の記載をそのまま転写。 【地方自治体】 2006年4月に施行された新合併特例法は、 都道府県知事が小規模市町村に直接合併勧告を行う制度が設けられたが、 これについては「合併に関して勧告するかどうかは地域事情によると思う。 自主合併をベースに自分なりの判断をしていきたい」 (2003年11月19日定例記者会見)と述べた。 【従軍慰安婦の問題】 2014年2月1日、TBSの番組「時事放談」の収録で、 従軍慰安婦の問題などについて持論を語った 。 NHKの籾井会長の就任会見について、 「目を背けたくなった」と批判。 「若い世代が政治が右傾化することに肯定的になっている」と指摘し、 「短絡的に飛びつくような傾向があり、危うさを感じる」と警鐘を鳴らした。 【政策】 2011年10月、日韓グリッド接続構想を提唱。 海底ケーブルを介し、韓国に電気を直流送電する。 電力を融通できる体制を整えておくという構想。 「2015年から20年までの間にめどを付けたい。そのためにも、 できるだけ早く韓国との協議を始めたい。」と述べた。 2014年5月28日、 「最終的には国全体の単位で、 外国人の受け入れを促進するのがいいのではないだろうか。」 「若い外国人にとって魅力的な環境を作って、 外国人の受け入れで地域の活性化を図る方法が唯一の合理的な生き残り策」 「差別するような制度を「伝統」だとして残すことは、倫理的にも勘違い」 「結婚せずに子育てできるような制度的な整備と社会的支援を大規模に行うべき」 と人口政策を提案した。 官僚出身の知事としては珍しく、 地方分権に極めて積極的なスタンスを取った。 「国→都道府県→市町村」への権限委譲を主張し、 全国知事会会長選挙に立候補して「闘う知事会」を主張。 また、全国紙に論説を寄稿したり、 県の権限を「パッケージ」単位にして、 市町村へ積極的に委譲した。 道州制導入に積極的な態度を示し、実際に働きかけてもいた。 【政治活動】 県知事時代 岩手県知事工藤巌の病気再選不出馬を受けた選挙で、 当時新進党幹事長の小沢一郎に見出され、 官僚を辞して立候補。 自民党推薦で前副知事の佐々木浩や 日本社会党県本部長の小野信一を破って初当選した。 のちに、反小沢のスタンスに転じた。 県庁株式会社 増田は県政を企業経営に見立て、 県庁を「県庁株式会社」呼ぶなど、 政策に効率を持ち込んだ。 相互依存=相互友愛としての公共空間「地方」というこれまでの理念を排し、 サービス会社=県庁と、 顧客=県民という二項対立図式に基づく地方自治理念の改革論者として知られる。 しかし、構想のほとんどは実行されず、単なる掛け声に過ぎなかった (岩手日報特集「検証増田県政」)。 【がんばらない宣言】 ベストセラーになった鎌田實の「がんばらない」をいち早く取り入れて宣言を出した。 「がんばる」という言葉は、日本の経済成長一辺倒の象徴であるとし、 「岩手はがんばりません」という言葉を 「自然体に生きて行こうという意識の象徴」として、 「岩手県は、経済成長一辺倒を反省し、 より自然に、素顔のまま生きていけるような取り組みを推進します」 (県の出した広告より)としている。ただし、 内向けには「がんばります」がスローガンとなっている。 宣言は、例えば 地産地消を基本とするスローフード的な食の安全の推進などの政策となって現れた。 在日外国人参政権是認 2005年岩手県議会の決算特別委員会にて 在日韓国人団体が強く求めていた地方参政権について質問された際 「永住外国人の地方参政権ですが、 これは私は地方参政権を認めてしかるべしと考えております。 地域にいろいろ貢献して、 きちっと納税をしていただいているみなさんだ」と答弁している。 【公共投資】 任期前半、積極的な公共投資を行い、任期後半に、財政再建に舵を切った。 任期前半は、国が景気対策の公共投資を推進した。 一方の任期後半は、公共事業費の大幅な縮減を断行。 全国的な公共事業拡大の流れに乗って公共投資を拡大させ、 1997年度予算でピークを迎えたが、 2001年に発足した小泉内閣は公共事業の大幅な縮減をはかり、 岩手県予算でも2002年度以降、 公共投資予算は年10%以上のスピードで縮減された。 増田は知事退任後の取材に対し 「国の財政的限界で…(中略)… いずれ公共事業に予算が回らなくなるのはわかっていた。 だから、東北新幹線や花巻空港、釜石自動車道など (骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている。 【財政】 赤字拡大 就任前の7000億円から12年間で1兆4000億円にまで拡大させた 【人物】 父は、奥州市出身の元・参議院議員増田盛(自民党)。 尊敬する人物は新渡戸稲造。 身長182cm、体重77kg。 血液型はA型。 趣味はサッカーなどのスポーツ観戦や 乗馬、スキー、カヌー、サイクリングなど。 また、2001年の東京都のホテル課税問題については、 知事自身がほぼ日刊イトイ新聞に鳥越俊太郎宛のメールを送っている。 【交流】 盛岡市長の谷藤裕明は、岩手県議会議長だった人物で、増田とも親しい。 なお、盛岡地域の人口について増田は 「(全県的に人口減少が続いているが) せめて盛岡地域の人口は現状を維持してもらいたい」と述べている。 県が示した合併プランによれば、 盛岡市は滝沢市、岩手郡雫石町、紫波郡紫波町、矢巾町と合併し、 人口50万人程度を目指すのが適当としている。 もし実現すれば、広大な面積の人口密度の希薄な自然豊かな県都の出現となる。 盛岡市は、 2006年1月に岩手郡玉山村を編入合併し、 政令指定都市に準ずる権限委譲を受ける中核市の要件 (人口30万人)を満たした。 増田は、岩手県知事として中核市移行に同意し、 総務大臣へ指定を申請した。 奇しくも、政府内手続きを終え、 盛岡市の中核市指定が決まった時、 増田は総務大臣を自らつとめており、 知事として中核市指定の申請を行い、 大臣として自らの申請を決裁したことになる。 【政治資金問題】 岩手県知事時代の政治団体が、 同氏の資金管理団体に寄付した100万円について、 資金管理団体が領収書を発行しながら 政治資金収支報告書に記載していなかったことが分かった。 増田氏は同日、記者会見を開き 「100万円は(2003年4月の県知事選の選挙運動費用として) 私個人に対するものだったが、領収書の書き方が誤っていた。 選挙運動費用収支報告書には記載、報告がなされている」と、 事務処理上の単純ミスであると説明した。 ・・・ウィキペディアさま参照・・・そうなんだ~にぽち
2016.07.14
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小池 百合子(こいけ ゆりこ)・・・とは? 1952年〈昭和27年〉7月15日 (63歳) 2016年7月14日現在日本の政治家、ニュースキャスター自由民主党所属の衆議院議員(8期)日本ウエイトリフティング協会会長。 参議院議員(1期) 総務政務次官(細川内閣) 経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣・第2次森内閣) 環境大臣(第5・6・7代) 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当) 防衛大臣(第2代) 自由民主党広報本部長 自由民主党総務会長(第49代)などを歴任した。 兵庫県芦屋市生まれ。 甲南女子中学校、甲南女子高等学校卒業。 在学中は、テニス部・ソフトボール部、E.S.Sに所属。 高校在学中の1969年、 神戸市で衣料関連の貿易商を営んでいた実父が 石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた 「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて 旧兵庫2区から同年12月の 第32回衆議院議員総選挙に立候補したが落選している。 高校卒業後、 関西学院大学社会学部に入学するも、 「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」 旨を伝える新聞記事をきっかけに、 アラビア語通訳を目指すことにし、 1971年9月に大学を中退してエジプトへ留学。 カイロ市のアメリカン大学カイロ校でアラビア語を修めた後、 カイロ大学に進学した。 1976年10月、カイロ大学文学部社会学科を首席で卒業(学位は社会学士)。 エジプト滞在中にピラミッドを登り、 その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたこともある。 【通訳・ニュースキャスター時代】 カイロ大学卒業後はアラビア語の通訳として活動。 PLO議長ヤーセル・アラファートやリビアのカダフィの会見では、 コーディネーター兼インタビュアーを務めた。 1984年、東京大学に在籍していたトルコ人留学生 ヌスレット・サンジャクリの抗議を受け、 「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた。 小池はこの青年を当時から支援しており、 本人も後日新聞報道でそれを認めている。 小池によれば、 トルコ留学生の熱心な訴えを聞き、 国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、 がぜん彼への「共感」 (=なんとかしてあげたい)が芽生えた結果だったという。 1979年から1985年まで、 日本テレビ『竹村健一の世相講談』で アシスタントキャスターを務めた後、 1988年よりテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』 初代メインキャスターを務めた。 1990年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞した。 【政界入り】 参議院議員 1992年の第16回参議院議員通常選挙を前に、 複数の政党から立候補の誘いを受けていたが、 「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」 との理由で、 前熊本県知事の細川護熙が結党した日本新党に入党し、 比例区から出馬して参議院議員に初当選した。 【衆議院議員】 1993年、参院議員を任期途中で辞職。 第40回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から日本新党公認で出馬し、当選した。 同年、細川内閣で総務政務次官に就任。 1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では、 小選挙区比例代表並立制の導入に伴い 兵庫6区(伊丹市・宝塚市・川西市)から出馬し、再選。 新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近であり、 1997年の新進党解党後は小沢が党首を務める自由党の結党に参加。 1999年、小渕第2次改造内閣で経済企画政務次官に任命され、第1次森内閣まで務める。 2000年の自由党分裂に際して小沢と決別し、保守党結党に参加した。 2002年、民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に保守党を離党し、 保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て 自由民主党に入党。清和政策研究会に入会した。 【小泉政権】 環境大臣 2003年、第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣に任命され、初入閣した。 同年の第43回衆議院議員総選挙では、 比例近畿ブロック単独で立候補し、4選。 第2次小泉改造内閣より 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。 環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務め、 2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役を務める。 【2005年衆議院議員総選挙】 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、 郵政国会で郵政民営化法案に反対票を投じた 小林興起の当選を阻止するため、 東京10区に刺客として国替えする意向を表明。 この総選挙では、 小泉純一郎の意向で女性候補が比例区の名簿で 上位に優遇される措置が取られ、小池もその対象であった。 しかし、小池は対立候補から事実上当選が確実な状態であることを指摘され、 選挙区での戦いが不利になることを懸念。 優遇の措置を辞退して選挙に臨んでいる。 選挙の結果、民主党の鮫島宗明や小林を大差で破り、5選。 【第1次安倍政権】 防衛大臣 2006年に発足した第1次安倍内閣では、 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命される。 その後、2007年7月3日、防衛大臣久間章生の辞任後の後任の防衛大臣に起用された。 防衛大臣就任後、 テロ対策特別措置法の延長問題に関して、 民主党が求めている自衛隊派遣に関する国会の事前承認について 「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。 今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した。 2007年8月には、 米下院慰安婦決議問題で内閣総理大臣安倍晋三、外務大臣麻生太郎、 駐米大使加藤良三が日米関係に与えていたマイナス・イメージを払拭すべく、 第167回国会を欠席してアメリカを電撃訪問し、 国防長官ロバート・ゲーツや副大統領ディック・チェイニーと会談する。 野党がテロ対策特別措置法の延長に反対している状況を説明した上で、 「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、 インド洋での自衛隊の給油活動を継続する方針を伝えた。 国務長官コンドリーザ・ライスとの会談では 「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、 日本でライスは米(こめ)になります。 よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」 などと英語でジョークを飛ばした。 なお、訪米のための国会欠席について 8月9日に行われた自民党国防部会などの合同会議で、 山崎拓から「いささか当を得ない行動ではないか。 今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判されている。 8月24日、訪問先のインド・ニューデリーにて、 同行した記者団に対しイージス艦機密情報漏洩事件に言及。 「防衛省内で誰も責任を取っていない。 私は責任を取りたい」と述べた上で、 3日後に行われる内閣改造で自身の再任を固辞し、 防衛大臣を離任する意向を表明した。 【2008年自由民主党総裁選挙】 2008年9月、福田康夫の辞任に伴って実施された 自由民主党総裁選挙に20人の推薦人を確保し、立候補した。 自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初である。 「霞が関をぶっ壊す」をスローガンに 構造改革路線の継承を掲げたが、 麻生太郎、与謝野馨に次ぐ3位の得票数で、地方票は0票であった。 ただし、党員票では 麻生に次ぐ2位に付けており与謝野を大きく引き離している。 これは多くの都道府県が地方票の1位総取り方式を採用したためである。 【2009年衆議院議員総選挙】 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、 公明党の推薦を受け、再び東京10区から出馬。 また、同じ東京10区に候補者を擁立していた幸福実現党に選挙協力を打診し、 幸福実現党は候補擁立を取り止めて小池を支援した。 「風車のお百合」をキャッチフレーズに、 自身が所有する電気自動車を使用して 環境を前面に押し出した選挙運動を展開し、 選挙協力を得た幸福実現党と共に演説を行ったが、 民主党新人の江端貴子(105,512票取得)に敗れ、 重複立候補していた比例東京ブロックで復活した。 小池が獲得した96,739票は、 比例東京ブロックで復活した自民党候補の得票数では下から2番目に低く、 惜敗率の低さから比例東京ブロックで復活できなかった石原宏高や佐藤ゆかり、 伊藤公介の得票数を下回っている (ただし、東京10区は東京都で2番目に有権者数が少ない選挙区である)。 9月3日、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」 として町村派を退会し、無派閥となった。 麻生総裁退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙には立候補せず、 谷垣禎一の推薦人に名を連ね、 谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。 2010年6月9日の自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)設立総会で、 相談役に就任した。 【自由民主党総務会長】 2010年9月の党役員人事で、谷垣総裁の下、 第49代自由民主党総務会長に就任した。 党三役に女性が就任するのは結党以来初めてだった。 2011年9月、自民党総務会長を退任した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙では、 東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。 選挙後、自由民主党広報本部長に就任する。 2014年の第47回衆議院議員総選挙では、東京10区で8選。 【2016年東京都知事選挙】 2016年6月29日に記者会見を開き、 舛添要一の辞任に伴う同年7月の東京都知事選挙に立候補する意向を表明する。 自民党東京都連会長石原伸晃に推薦を依頼するも、 「7月10日の参院選の投開票後に結論を出したい」と返答された。 7月6日、「このままでは(自民党東京都連の)推薦が得られない中での立候補になるが、 東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として正式に立候補を表明した。 【政策・主張】 外交・安全保障 核武装2003年11月、毎日新聞の衆議院議員アンケートで、 日本の核武装について「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答した。 リビアリビア情勢に詳しく、 日本の国会議員きっての親リビア派の議員として知られている。 日本リビア友好協会では会長に就任しており、 日本とリビアとの関係の強化、発展を狙っている。 なお、この日本リビア友好協会は、 リビアからの要求に基づき、政府に代わり 「日本リビア間の経済、産業、科学技術、文化等の協力促進に関する合意書」 を締結した団体である。 国際連合によるリビア制裁の間も、 日本とリビアとの関係強化を図るためさかんに活動しており、 同国の革命指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィーの 二男のサイフルイスラーム・ムハンマド・アル・カッザーフィーや、 三男のアル=サアディー・カッザーフィーに対し、 日本訪問を要請したのもこの団体である。 小池はリビアを訪問した経験もあり、 複数回にわたって 同国の革命指導者ムアンマル・アル=カッザーフィーと直接会談している。 さらに、カッザーフィーに招かれ執務室の中に入ったこともあるという。 リビアでのカッザーフィーの施政については、 カッザーフィーは民主主義国家の樹立を目指していると指摘したうえで 、カッザーフィーが明治維新を参考にしている、などと主張している。 また、かつてカッザーフィーに対して 任天堂のゲーム機「Wii」をプレゼントしたこともあるという。 2009年(平成21年)11月、小池はTwitterの公式アカウントで 「リビアのカダフィ指導者へのお土産はWiiにしました!」とつぶやいている。 2011年8月には、日本の政治家として初めてリビア国民評議会のトップである ムスタファ・モハメド・アブドルジャリル議長らと会談した。 【内政】 選択的夫婦別姓制度党議拘束を外す場合、 選択的夫婦別姓については選択制であることから賛成するとしている。 一方、2014年の調査では、「どちらとも言えない」としている。 【人物】 政党遍歴 日本新党、新進党、自由党、保守党、自由民主党と5つの政党を渡り歩いているため、 世間では「政界渡り鳥」と揶揄されることもある。 しかし、日本新党、新進党、保守党は党そのものが解党しており、 自発的に離党したのは自由党を離党した時のみである。 また、自由党を離党したのも 自自公連立政権からの離脱に反対したためであり、 海部俊樹、扇千景、野田毅、二階俊博など小池を含めて 26名の議員が共に離党している。 小池本人も、2016年7月に東京都知事選挙への立候補を表明した際 「このところいろいろと私のこれまでの経歴などをご紹介いただく放送などを見ていて 『政党がコロコロ替わる』というようなご指摘もいただいている。 しかし、改めて申し上げると、 それは政党の離合集散の結果であって、 政党名が変わっただけであって、 私の主張、思想、そして信念は一度も変えたことがない。 改めて思うと、政党というのはあくまで機能体であって、 仲間内の運命共同体ではないと思うと自ら説明している。 2008年に発表した論文では、 「政界再編の荒波の中で生きてきた結果、 自慢にはならないが、新党の立ち上げはお手のものだ。 党名、綱領、政策、キャッチフレーズに、党名ロゴ作りまで、 三日もあればまとめる芸当さえ身に付けたが、もうたくさんである」と述懐している。 【病歴】 1997年末には盲腸の手術を、 翌1998年5月には子宮筋腫の手術を受けた。 2006年3月29日には、40度近い高熱を出し、脱水症状で入院したが、 翌4月14日に退院して公務に復帰した。 【防衛事務次官更迭問題】 2007年に防衛大臣に就任した小池は、 内閣総理大臣補佐官時代からの懸案であった防衛省の 「情報保全」システムの確立を理由に、 防衛事務次官守屋武昌を退任させ、 警察庁出身の官房長西川徹矢を防衛事務次官に起用する人事案を作成した。 しかしこの人事情報が防衛省中枢からマスコミに漏洩され、 更に守屋が小池の頭越しに内閣総理大臣安倍晋三や内閣官房長官塩崎恭久に対して直接、 人事案の撤回を直訴。塩崎が小池に対し、 人事案の再考を求める事態に発展した。 小池は人事案の撤回を迫られ、 安倍・塩崎らは守屋留任でも西川でもない 「第三の(人事)案」を小池に要求して事態の収拾を図り、 守屋同様防衛省プロパー (他省庁からの出向ではない、生え抜きの防衛官僚) である人事教育局長増田好平を後任の事務次官に起用する「第三の案」で決着させ、 マスコミは「痛み分け」「けんか両成敗」などと評した。 なお守屋は事務次官を退任後、国会での証人喚問の後に逮捕、起訴された。 小池は「オンナの直感で『これはよろしくない』と思った」と述べた。 「臥薪嘗胆ヘア」と断髪式 小池は高校時代以来髪を伸ばしたことがなく、一貫してショートカットだった。 自民党が民主党に政権を奪われてから2年以上が経った2011年10月12日、 同僚議員のパーティーで挨拶した小池は 「覚悟を決めて政権を取りに行く気合いを入れないといけない。 男性ならヒゲを生やすところだが、 残念ながら生えないので、髪の毛を切らないことにした」と発言。 その後も民主党政権は続いたため小池は宣言通り髪を切らず、 ショートカットだった髪はどんどん伸びていった。 2012年半ばごろからは、長くなった髪を後ろで束ねることが多くなった。 評判は「ヒラリーの真似か」「似合わないな」「後ろから見れば女子大生だが…」など 散々なものが多かったが、 小池は「似合わないのは自分がいちばんよく分かっていた。 でも、目的を達成するため、つらいことを自分に課そうと思った」と語っており、 不評だった長髪を自ら「臥薪嘗胆ヘア」と名付けた。 2012年12月16日に行われた衆議院議員総選挙において、 自民党は大勝し政権を奪還。 小池自身も2期ぶりに小選挙区からの当選を果たした。 この結果を受け、小池は断髪式を行うことを発表。 場所は両国国技館を希望したが都合が付かず、 都内のホテルにて行われることになった。 2012年12月19日、後援会関係者ら約200人が集まり断髪式が行われた。 1年2ヶ月もの間切らなかった髪は肩下まで伸びていたが、 自民党の河村建夫選対局長や三原じゅん子参院議員ら50人以上が 大相撲の断髪式にならって髪にハサミを入れていき、 小池はキャスター時代からのトレードマークであるショートカットに戻った。 【その他】 日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は 小池が消費者金融業界の政治団体 「全国貸金業政治連盟」(全政連)から パーティー券購入などにより資金提供を受けていると伝えた。 しんぶん赤旗は小池が環境大臣時代の2005年の総選挙公示直前に、 関連企業から100万円の企業献金を受け取っていたと伝えた。 小池が代表を務める政党支部の政治資金収支報告書において、 2003年から4年連続で繰越金が0円であった。 小池の事務所は、 「実際にかかった費用を積み上げ、法にのっとって適切に処理した結果だ」としている。 【発言】 小沢一郎 新進党、自由党に在籍していた約6年間に 小沢一郎を支持していた理由について、 「小沢さんが九三年に刊行された 『日本改造計画』に大変な感銘を受けたからだ」と説明しながらも、 「ところが、小沢さんが掲げた改革を断行し、 護送船団の社会構造を廃して自己責任の社会を実現しようとしたのは小沢さんならぬ、 小泉純一郎元総理、その人であった」と評している。 小沢の政治手法については、 「極論すれば、小沢氏の政治行動の基準は、わずか二枚のカードに集約される、と。 それは『政局カード』と『理念カード』である。 具体的にいえば、 『政局カード』とは持論である政権交代という錦の御旗を立てることであり、 『理念カード』とは安全保障を中心にした政策構想である。 小沢氏というと政治的駆け引きに長けているように見えるが、 決してそんなことはない。むしろやり方はシンプルだ。 自民党を離党し、細川政権の樹立から今日まで、 手の内のカードはこの二枚を駆使することに尽きる。 ある時は『政局カード』を振りかざし、 それが手詰まりになると見るや、 今度は『理念カード』を切る。 この繰り返しである」と評している。 また、小池が自由党を離党して保守党に参加し、 小沢と決別した理由については、 「ここで連立政権を離れて野党になれば、 小沢氏の『理念カード』によって、 政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。 一方で、経済企画庁の政務次官の仕事を 中途半端に投げ出すことには躊躇した」 「少々心細くもあったが、 実は『政局』と『理念』の二枚のカードに振り回されることにも、 ほとほと疲れていた。」 「かつて小沢さんは、 自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、 自民党との連立政権から離脱するなり、 180度転換し、『反対』に回った。 国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。 政治の駆け引きで譲っていい話ではない。 同じく外国人地方参政権の法案についても 自由党は反対だったはずだが、 公明党の取り込みという目的のために 、『賛成』へと転じたことがある。 国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで 政局運営の“手段”にしてしまうことに私は賛成できない。 これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」 と説明している。 2007年8月9日には、 民主党がテロ対策特別措置法の延長に反対していることについて、 「(小沢一郎は)湾岸戦争のころから、 カレンダーがめくられていないのではないか」と批判した。 2012年には、 作家の大下英治によるインタビューで、 「自由党の時に広報戦略を担当していた時の面白い資料が出てきたんです。 『小沢一郎が永田町で嫌われるわけ』というテレビCMの、私が作った絵コンテ。 『先見性がある、リーダーシップがある、決断力がある、 正論を言う、実行する、先送りしない、本音を言う、役人に使われない。 政策を重視する……』と続くんですが、 当時は小沢さんの半面しか知らなかったから、 今から考えるといくつか全く違うところもある」 「政策はあるけれども、 それ以上に政局が第一なんじゃないかと。 今回の新党(引用者注:国民の生活が第一)でつくづく感じましたね」 「小沢さんは政局を目的化しすぎ。 政権をとったとき、いっていた政策と行動があまりにも違う」 「小沢さんは細川内閣で 2大政党制による政権交代可能な政治制度をつくるといって小選挙区制を導入した。 小選挙区制度では新党をつくるのは不利だと一番分かっているのが 小沢さんなのに、民主党を離党して4回目の新党をつくった」と述べた。 【沖縄問題】 2013年3月に「沖縄の先生(=自民党議員)方が何と戦っているかというと、 沖縄のメディアなんですよ。 今日はこちらに地元メディアもいると思うが、 しかしながら、あれと戦って今回のご当選をされてきたということは、 むしろ沖縄のメディアの言っていることが本当に県民をすべて代表しているとは、 私ははっきり言って思いません。 これからも堂々と地元と国会議員としての役割を果たして頂けるように 後押しをさせていただきたい」と党国防部会で述べた。 【水俣病問題】 水俣病に関して「水俣病問題に係る懇談会」を設置。 学識者による適切でない認定の基準値を批判した。 「女性は子供を産む機械」発言への批判 女性を 「子供を産む機械」に例えた厚生労働大臣柳澤伯夫の発言に対し、 2007年2月4日に出演したテレビ番組で 「柳澤さんだけじゃなくて、イスラムの国よりも、 日本における男性の、女性に対する見方は遅れてるんじゃないか」と批判した。 【外国人参政権】 2010年1月22日の衆議院予算委員会において 外国人参政権について質問し、 赤松広隆農林水産大臣の 「外国人参政権は民団への公約」という発言について質し、 さらに亀井静香金融担当大臣から「私の所属しております国民新党は 付与することについては反対でありますし、 私としても反対であります」との答弁を引き出した。 なお、小池本人は保守党在籍当時の2000年11月に、 同じ衆議院の特別委員会で 法案提案者の一人として 「税金を払っている在日の方々がそれに対して意見を、 また参政権という形で、選挙という形で意見を述べるのは、 これは当然ではないかというような意見もある」 「在日の皆さま方のことを考えると同時に、 日本そのものを考えるという大変大きなモメンタムである」と発言している (一方で提案説明の中で「やはり国民の声の中では 幾つかの問題提起もされている」 「地方の政治と国政とは実は非常に密接に関係してくる」 「(南北朝鮮の民団と総連という関係が敵対して) 一本化されていないということに一抹の不安を覚える」 「国籍を取りやすくするということも、 この法案とはまた別にその選択肢も十分ある」 と導入に慎重とも受け止められる意見もしている。 ただし、「国籍取得をより簡便にするということをまず考えなければならない」として、 国政選挙権の行使も可能となる帰化に積極的である)。 なお、小池は外国人参政権に関する過去の発言をめぐる報道に関して 2010年7月、日刊ゲンダイを名誉毀損で東京地裁に提訴し、勝訴した。 【民主党政権及びその政策に対する批判】 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙と その結果を受けての鳩山由紀夫内閣成立は 「日本解放第二期工作要綱が決行された結果である」 と自分のメールマガジンで主張。 11月26日には、鳩山由紀夫内閣が進める事業仕分けについて、 「中共の「日本解放工作要綱」にならえば、 事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。 カタルシスを発散させながら、 日本沈没を加速させる」と述べている。 2010年3月11日、自身のTwitterにおいて、 朝鮮学校の高校無償化に反対を明言し、 それに加えて「反日教育を進めている北教組の傘下にある北海道の高校も同類」 と書き込み、北海道の高校の授業料無償化にも反対の姿勢を示した。 【その他】 2007年7月26日、青森県弘前市で行なわれた 第21回参議院議員通常選挙の比例区に立候補した候補者の応援演説において、 1995年の阪神・淡路大震災における救援活動について 「アメリカが支援に神戸港に入ろうとしても、 港湾組合が厳しくてなかなか着岸できなかった」と発言。 これに対して港湾労組協議会は 「拒否した事実はない」と否定している。 小池側は「非核証明がない限り入港できないという、 非核神戸方式を念頭に置いた発言」としている。 2008年の中国製ギョーザ中毒事件に関連して、 「自殺願望の人が農薬を口にしたが偽装農薬で死ねず、 良かったといってお祝いでギョーザを食べたら死んでしまった。 すごくブラックなジョーク」と述べた。 日本解放第二期工作要綱を 「昭和47年に明らかになった中国共産党による秘密文書」として紹介している。 2009年8月の政権交代による民社国連立政権成立によって 第2期解放工作の民主連合政府の形成という目標が達成されたとしており、 韓国が中国共産党の対日工作に呼応すれば、 韓国も独自の地位を確保することが可能になるであろうとしている。 2010年12月5日、 そよ風主催・在日特権を許さない市民の会女性部協賛の会合で講演を行った。 2016年東京都知事選挙に立候補する直前の7月8日、 日本外国特派員協会で実施された記者会見で ジャーナリストの江川紹子からこの件について質問されると、 「いろんな講演会に招かれることはしばしばございます。 しかし私は在特会という、最近よく出ておりますけど、 それについてはよく存じておりません。 また、私を招いてくれた会は、 こことどういう関係にあるか知り得なかったということでございます。 よって、その認識はないということです」と答えた。 【評価】 政治家からの評価 2016年東京都知事選挙に立候補する直前、 小池は自民党に推薦を要請し、 自民党東京都連会長の石原伸晃に面会した。 しかし小池は 都連の決定を待たずに出馬表明したため、 同年7月6日、石原は 「やっぱり小池さんは自由人なんですね、そう思った」と述べた。 7月11日に党本部で開催された都連会合でも、 石原は「わがままだなとは思ったが推薦依頼があったので、 このような席に出てきて都政にかける意気込みを ぜひ聞かせていただきたく思っていた。 (小池に)連絡しているが、 出席には至っていないのは残念だ」と述べている。 その後、自民党が増田寛也の推薦を正式に決定すると、 石原は東京都連幹事長内田茂との連名で、 自民党が推薦していない候補者を応援した場合は 「除名などの処分対象になる」との文書を 自民党所属の国会議員や地方議員に配布した。 野田聖子は、 2016年7月12日に行った早稲田大学での講演で 「小池百合子さんとは同期。 すばらしい女性だ。私にはない強さがある。 彼女はどんどん突っ走っていくタイプ。 そういった意味で、一国一城に向いている。 国会は法律をつくるのに20人くらい仲間がいないと出せないので根回しが必要。 いい人じゃないと『あいつは嫌なやつだから応援しない』、 そういうのが渦巻くところだが、都知事はトップ。 私はまったく向いていないが、彼女には資質はあると思う」と述べた。 【官僚からの評価】 小池が環境大臣を務めた2003年から2006年にかけて 環境事務次官として小池に仕えた炭谷茂は、 小池は外交政策や経済政策に強く、 明確なビジョンを示す力や、 戦略を進める人脈が広いため、 「総理大臣は、小池さんで大丈夫」だと述べた。 ・・・ウィキペディアさま参照・・・マドンナにぽち
2016.07.14
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鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう)・・・とは? 鳥越 俊太郎 とりごえ しゅんたろう 1940年3月13日 - 日本のテレビタレント・ジャーナリスト。 鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の曾孫で、 歌手の鳥越さやかは次女。 福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市)出身。 久留米大学附設高等学校を経て、 1958年京都大学文学部心理学科入学、 転科し史学科国史学専攻卒業。 1965年、毎日新聞社入社。 新潟支局が初任地。 1968年10月、見合いで知り合い結婚。 その後、同新聞社の週刊誌『サンデー毎日』編集部に異動。 在籍時に「イエスの方舟事件」が発生し、 当時編集長の鳥井守幸の方針で 主宰者の千石イエスを匿ったため、 鳥越を含む編集部全員が 犯人隠避で逮捕されそうになる。 外信部テヘラン特派員の時に 1984年~1985年イラン・イラク戦争の戦場報道を行う。 1988年4月、サンデー毎日編集長となる。 1989年8月に毎日新聞社を退職し、 同年10月、テレビ朝日『ザ・スクープ』の司会に就任。 レギュラー放送終了後も、 単発となった同番組の司会を務めている。 2003年、関西大学社会学部の教授に就任。 2005年4月5日、 呼びかけ人の一人として 『マスコミ九条の会』結成に参加。 10月3日、レギュラーアンカーを務めていた テレビ朝日『スーパーモーニング』に本人が電話出演し、 直腸癌であることを告白した。 3日後に手術を受け、その後復帰。 2006年5月、インターネット新聞 『オーマイニュース』日本語版の初代編集長に就任。 2007年2月、 民主党が東京都知事候補としての擁立を打診するも、 自身が依然として癌療養中であるため、 「(任期の)4年間に責任を持てない」として打診を断る。 6月1日『オーマイニュース』日本語版の編集長を辞任した。 9月17日、『スーパーモーニング』で、 癌が肺に転移していたことを明かす。 2007年1月に左肺を一部切除、 同年8月には右肺も手術していた。 2009年2月9日、 同番組で癌が肝臓に転移していることを明かした。 翌10日に切除手術を受け療養に入る。 2009年2月26日に同番組で復帰した。 2009年3月27日、 NPO法人『がん患者団体支援機構』の3代目理事長に就任。 2010年5月まで約1年2ヶ月務めた。 【受賞歴】 1999年に埼玉県のJR桶川駅前で発生した「桶川ストーカー殺人事件」におけるマスメディアの報道姿勢(「単なる男女の痴話げんか」など)に疑問を抱き、『ザ・スクープ』で独自取材。その結果、警察の虚偽発表と怠慢が次々と明るみになり、2001年には、日本記者クラブ賞を受賞する。 2004年、「ザ・スクープスペシャル」における警察の裏金疑惑報道が第41回ギャラクシー賞報道活動部門大賞を受賞。 2007年、男性向けエステティックサロンのダンディハウスが主催する「第二回『ダンディ大賞2007』」の文化人部門で1位を獲得し、翌2008年の第三回でも、同部門で1位になった。 【癌への姿勢】 がん患者団体支援機構の3代目理事長を務めた後、 現在は一般社団法人CSRプロジェクト会長を務める。 2010年8月に食道癌を手術した桑田佳祐を 「悲観することは一切ない。病気は生活の乱れを見直すいい機会だから、 桑田さんも前より健康になれるはず」と激励。 70才から週3回のジム通いを始め、 「ハンデを持っていても走れる!ということを自分に証明しなきゃならない」 と2012年のホノルルマラソン出場を目標にしている。 また4度の手術経験から 「『がんには痛みがない』という常識を知ってほしい」 「がん検診の受診率はいつまでたっても上がらないけど、 自分を動かす(受診する)のはあなたしかいないんです」 と訴えている。 12月9日に行われた40回大会では8時間19分55秒で完走した。 【主張・言動】 政治に関して 2008年7月、頻発する無差別殺傷事件について、 「日本の社会格差が広がり、ワーキングプアが増えている。 小泉構造改革の名の下に進められた変化が、 こういう犯罪を産み出していると思えてならない」という見解を示した。 2009年7月1日、 民主党・鳩山由紀夫代表(当時)の いわゆる「故人献金」問題の報道において、 「秘書の浅知恵でしょう」との見方を示した。 2010年1月18日、 民主党の支持率低下はマスコミのせいであるとし、 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体を巡って 元秘書3人が逮捕された陸山会事件の報道において、 小沢批判をするマスコミは 小沢に疑惑をかけている検察から情報をリークされており、 「私たち世論は操作されている」と主張。 また、1月21日の同番組内で、 小沢が疑惑を持たれていた土地購入資金の4億円を、 「小沢側が3億円は父親の遺産、 1億円は妻から借りたもので 4億円は自分で持っていたもの」 と主張していた件について、 鳥越は庶民には 4億は高額だが、 銀行がつぶれたら1000万円しか返ってこないため お金持ちはタンス預金をするものであると主張した。 4月28日、小沢一郎について 東京第5検察審査会が 「起訴相当」の議決を行ったことに対して、 「今回の議決を読むと、 『市民目線』とか『市民感覚』とか書いてあるけど、 証拠とはあまり関係なく、感情的、情緒的な判断」とコメント。 政治に関する世論調査について、 「毎日新聞の記者時代の経験ですが、 調査結果の発表前に選挙の担当者が 数字を調整するのをしばしば見てきた。 担当者が取材で掴んだ選挙区情勢と違うという理由です。 そういった裏事情を知っているので、 私自身は世論調査の数字を疑っています」 と述べている。 2012年12月に行われた 第46回衆議院議員総選挙の結果について 「自民勝利は、大手メディアの選挙予測がもたらした」と述べている。 大手メディアは連日報じる世論調査結果によって 「小沢一郎は悪人」と印象操作してきたと指摘。 また1000兆円の国の借金や原発、 尖閣諸島、在日米軍基地問題は すべて自民党単独政権時代のツケであり、 メディアがその負の遺産に触れないことを問題視。 勝ち馬に乗って安倍政権批判を控えている新聞やテレビも、 1年も経てば手のひらを返したように口汚く罵ると予想している。 2012年11月に 日本未来の党が結成された際は同党を支持し、 「びわこ宣言」の賛同人に 稲盛和夫、坂本龍一、茂木健一郎、菅原文太と共に名を連ねた。 日本未来の党が消滅した後は 民進党を支援しており、 2016年(平成28年)には、 4月の北海道補選で敗れた池田真紀候補の応援演説や、 7月の参議院選挙長野選挙区で当選した 杉尾秀哉の応援演説を行うとともに、 民進党のポスターに登場している。 2016年7月12日、東京都知事選挙への出馬を表明。 【その他】 本人は“ジャーナリスト”と呼ばれることを嫌い、 「ニュースの職人」を名乗っている。 森進一を日本人の心を歌う森は 日本のイヴ・モンタンだ」と評している。 2009年4月23日、 SMAPのメンバー・草なぎ剛が 公然わいせつ罪の容疑で逮捕されたことに 「午前3時の公園でだれもいないところでしょう。 公衆の面前じゃないんだから公然わいせつにはならないと思う。 逮捕までしなくてもいいのでは?」 と疑問を呈した。 その後、草なぎは不起訴処分となり、 1ヶ月の活動自粛期間を経て芸能界に復帰した。 この自粛期間について鳥越は 「妥当だ。人騒がせを反省するのに必要な期間かなと。 逮捕、家宅捜索はやりすぎで、犯罪を構成してないと思うので、 騒がせたということでね」とコメントした。 【問題視された言動】 2003年から2004年には 日本損害保険協会のCMに登場して、 2007年には保険会社アフラックのCMに登場していた。 ジャーナリストの神保哲生は 「その企業が問題を起こした場合、ジャーナリズムそのものにも傷をつける」、 浅野健一は「現役のジャーナリストがコマーシャルに出るなんてあり得ないこと」と指摘。 CM出演について鳥越は「保険には公共性があり、 世に広まることに意味があると思うので出演した」とコメントしている。 神戸震災のとき、ポケットに手をつっこんだまま、現地からレポートして非難された。 【家族・親族】 鳥越家 福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市) 俊太郎は、NHKの人気番組「ファミリーヒストリー」に出演し、 祖先は「戦国大名・大友宗麟の家臣、鳥越興膳」と紹介されたが、 鳥越家18代当主、鳥越光(78)は 「興膳はうちの先祖です」と放送内容を否定。 鳥越光を当主とする鳥越本家は、 興膳を先祖とする大地主で、 藍染、酒造事業でも成功した。 なお鳥越光の先々代は 貴族院議員を務めた鳥越貞敏(1867年-1925年)である。 二つの鳥越家の関係について光は 「もともと俊太郎の家は 江戸の末期くらいから米を脱穀する仕事をやっていた。 その後、俊太郎の曽祖父が うちの斜め向かいに引っ越してきた。 50坪の場所で米を量り売りする米穀商店を始めた。 偶然、姓が同じなだけで、 俊太郎の家とうちは血縁関係はない」と述べている。 また「NHK側と話をするうちに 段々と旗色が悪いと思ったのか、 帰り際には『穏便にしましょう。これで終わらせましょう。』と言われたという。 しかし、今年2月に掲載された「朝日新聞」のインタビュー記事でも、 俊太郎氏は自身の祖先が興膳である旨を発言していた。 抗議内容が俊太郎氏に伝わっていないと再度NHKに抗議したが、 連絡はまったくないという。 「ファミリーヒストリー」は、通常再放送があるが、再放送はしなかった。 鳥越俊太郎は、 「私は家系図については全く関与していません」と語った。 曽祖父・彦三郎(鳥越製粉創業者) 祖父・繁(鳥越製粉社長) 父・俊雄(鳥越製粉専務) 母・綾子 弟 妹 妻 娘 伯父・繁喜(鳥越製粉社長) 1914年 - 2007年 【出演】 テレビ 現在出演中ザ・スクープ(テレビ朝日) 報道ステーション(テレビ朝日)金曜コメンテーター(不定期) スーパーJチャンネル九州・沖縄(九州・沖縄ANN系列)月一回 KBCニュースピア(九州朝日放送)月一回 スーパーJチャンネル九州・沖縄及びKBCニュースピアは月一回のスペシャルコメンテーターとして出演。後者では「鳥説」と言うコーナーを担当する。 鳥越俊太郎 対×談の時間(2011年4月30日 - 、BS朝日) 過去の出演サンデージャングル(1995年10月 - 2001年3月、テレビ朝日)コメンテーター スーパーモーニング(2002年10月 - 2011年3月、テレビ朝日)月曜日~木曜日ニュースナビゲーター(コメンテーター) ビートたけしの!こんなはずでは!!(テレビ朝日) 僕らの音楽 -OUR MUSIC-(2004年4月 - 2005年3月、フジテレビ)ナビゲーター ミステリー民俗学者 八雲樹(テレビ朝日) - 鳥越教授 役 朝まで生テレビ!(テレビ朝日)1992年 - 1996年まで代理司会者、パネリストとして出演していた。 鳥越道場(テレビ朝日) 烏越俊太郎の遺書(2008年12月31日、BS朝日) テレビ朝日開局50周年ドラマ 刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史(2009年6月20日・21日、テレビ朝日) - 産政新聞デスク 役 こだわり人物伝「安藤百福 遅咲きのラーメン王」(2010年5月、NHK教育)語り手 NHKハイビジョン特集「日本のいちばん長い夏」(2010年7月31日、NHK-BShi) - 池田純久(鈴木貫太郎内閣綜合計画局長官)役 スーパーJチャンネルながさき(2011年4月14日、NCC)コメンテーター 旅のチカラ(2011年9月、NHK BSプレミアム)旅人 専業主婦探偵~私はシャドウ 最終話(2011年12月16日、TBS) - 社長 役 西日本8局特番 鳥越俊太郎のがん医療最前線~「生きる」を支える人々~(2012年5月4日、毎日放送) 鳥越俊太郎 医療の現場!(2008年4月 - 2015年9月、BS朝日) ラジオ 大沢悠里のゆうゆうワイド(TBSラジオ) - 月曜日「鳥越俊太郎ニュースの職人のこだわり」(~2016年4月4日) 大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版(TBSラジオ) - レギュラーコメンテーター Sunday News Presenter CUBE(TBSラジオ) 中西一清スタミナラジオ(RKBラジオ) ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB(文化放送)ゲスト出演。 CM 日本損害保険協会 毎日新聞 アメリカンファミリー生命保険会社 英会話学校Gaba サントリー『伊右衛門』 -「鳥越俊太郎の実感篇」 著書 『新あめりか漂流記』東京出版、1984年 『あめりか記者修業』中公文庫 『異見(あまのじゃく) 鳥越俊太郎のジャーナリズム日誌』現代人文社 1998 『鳥越俊太郎のあのくさ、こればい! 最近のニュースが3分間でわかる』プラネット出版 2000 『そのニュースちょっと待った!』PHP研究所 2001 『ニュースの職人「真実」をどう伝えるか』PHP新書 2001年 『みんなの政治ニュースがよくわかる本』幻冬舎 2001 『報道は欠陥商品と疑え (That's Japan)』ウェイツ 2002年 『親父の出番』集英社be文庫 2003 『歳には、勝てる』マガジンハウス 2005年 『僕らの音楽 対談集1~4』ソニー・マガジンズ、2005 『人間力の磨き方』講談社+α新書 2006年 『2時間でわかる問題なニッポン 現代ニュース用語から読み解く』主婦と生活社 2007 『鳥越俊太郎のエンディングノート 葬送曲はショパンでよろしく』アース・スターエンターテイメント,泰文堂 2011年3月 ISBN 4803002479 『がん患者』講談社 2011年6月 ISBN 4062169487 『祖父の流儀(ダンディズム)』徳間書店 2014 『君は人生を戦い抜く覚悟ができているか? 鳥越俊太郎仕事の美学』日本実業出版社 2015 ・・・ウィキペディアさまより・・・ 東京にぽち
2016.07.13
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もう〜許せません!東京都民として言いたい事は、山ほど(≧∇≦)舛添東京都知事すぐに辞めて欲しい!ここで辞めると、オリンピックに影響があるとか何とか!オリンピックは、そんなに大事か!!?大体が、オリンピックの為に東京都民が犠牲になる事がおかしい!更に18種目も増えたと喜んでいるが・・・その為に施設を作るのかと思うとゾッとする! オリンピックを裏金で招致しただけでも世界に恥をさらしているのに!そんなお金があるとしたら・・・保育園や、介護施設を何とかして欲しい保育士さんや、介護士さんたちの方に回して欲しい! しかし、舛添知事は、一度も保育園や介護施設の視察をした事が無いのだからどう~言い訳しても、都民が、困っている事は理解できないだろう!! 私も美術館は、好きだし海外旅行も好きだけど・・・同じにおもわれると侵害だ! こつこつ働いて・・・爪に火をともす想いで「エコノミー」で疲れながらも旅をしているのに 本当に「舛添」恥さらしです!絶対に許せません!! そんな中、届いてきたのは・・・都民税の支払い通知ちゃんと使ってくれるなら喜んで、お金を出しますがっ!舛添のスイートルームや食事代になるかと思うと納得できない!今すぐに辞めて欲しい!退職金も与えないで欲しい!辞任するまで、都民税は、支払わない!『ボイコットします。』辞任したその時に1年分・・・即座に一括で支払います 早く都民税が、支払いたいです~ 怒ってぽち
2016.06.08
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オバマ大統領が、広島を訪問しましたね~そこで、何を述べたのでしょうか?その1・その2・そして最後に・その3(どなたの作文でしょうか?英文も勉強してみましょう♪)『オバマ大統領』広島訪問 所感全文・・・(その3) われわれはこうした貯蔵核兵器の廃棄に導く針路を描くことができる。 われわれは核兵器が新たな国に拡散することを防ぎ、 狂信者に死の物質が渡らないよう守ることができる。 しかし、それだけでは十分ではない。 なぜなら、われわれは今日、世界中で、 粗雑な銃や「たる爆弾」でさえ恐るべき規模の暴力をもたらすことができることを、 目の当たりにしているからだ。 われわれは戦争そのものについての考えを改めなければならない。 外交によって紛争を防ぎ、始まってしまった紛争を終える努力をするために。 増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、 平和的な協力の理由として理解するために。 破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。 そして何よりも、われわれは一つの人類として、 お互いの関係をもう一度想像しなければならない。このことがまた、 われわれ人類をユニークなものにするのだ。 われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。 われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。 われわれは子どもたちに異なる話をすることができ、 それは共通の人間性を描き出すことであり、 戦争を今より少なくなるようにすること、 残酷さを簡単に受け入れることを今よりも少なくすることである。 われわれはこれらの話を被爆者の中に見ることができる。 ある女性は、飛行機を飛ばし原爆を投下した操縦士を許した。 本当に憎むべきなのは戦争そのものであると気付いたからだ。 ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。 その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じだと気付いたからだ。 私の国は単純な言葉で始まった。 すなわち、人類は全て、創造主によって平等につくられ、 生きること、自由、そして幸福を追求することを含む、 奪うことのできない権利を与えられている。 理想(を実現すること)は、 自分たちの国境の内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、 決して簡単ではない。しかし(理想に)忠実であることは、 努力する価値がある。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。 全ての人のかけがえのない価値、全ての命が貴重であるという主張、 われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根源的で必要な考え。 われわれはこれら全てを伝えなければならない。 だからこそ、われわれは広島に来たのだ。 われわれが愛する人々のことを考えられるように。 子どもたちの朝一番の笑顔のことを考えられるように。 台所のテーブル越しに、妻や夫と優しく触れ合うことを考えられるように。 父や母が心地よく抱き締めてくれることを考えられるように。 われわれがこうしたことを考えるとき 71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。 亡くなった人々はわれわれと同じだ。 普通の人々はこれを理解すると私は思う。 彼らは、戦争はこりごりだと考えている。 彼らは、科学は生活をより良くすることに集中するべきで、 生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。 各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの簡単な分別を反映すれば、 広島の教訓は生かされる。 世界はここで永遠に変わってしまったが、 今日、この都市の子どもたちは平和の中で日々を生きていくだろう。 なんと貴重なことだろうか。そのことは守る価値があり、 そして全ての子どもたちに広げる価値がある。 それは私たちが選ぶことのできる未来だ。 その未来では、広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、 道徳的な目覚めの始まりとして知られるだろう。 ◇英語全文 We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale. We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build; and perhaps above all reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too, is what makes our species unique. We're not bound by genetic codes to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted. We see these stories in the Hibakusha: the women who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own. My own nation's story began with simple words. All men are created equal and endowed with certain inalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness. Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans. The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell. That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it. When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done. The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening. オバマ大統領・・・とは? バラク・フセイン・オバマ2世 Barack Hussein Obama 2 1961年8月4日 - (54歳) アメリカ合衆国の政治家 民主党所属 上院議員(1期) イリノイ州上院議員(3期)を歴任し 2009年1月20日、第44代アメリカ合衆国大統領に就任した。 2009年10月に現職アメリカ合衆国大統領としてノーベル平和賞を受賞する。 アフリカ系として アメリカ合衆国史上3人目となる民選上院議員 (イリノイ州選出、2005年 - 2008年 また、アフリカ系、1960年代以降生まれ、 ハワイ州出身者としてアメリカ合衆国史上初となる大統領である。 身長6フィート1インチ(約185.4cm) 左利き。 OBAMAにぽち
2016.05.28
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オバマ大統領広島訪問 所感全文・・・(その2) しかし、この空に上がったきのこ雲のイメージが、 われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。 われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、 自然と区別する能力、自然を意志に屈させる能力、 これらのものが比類ない破壊の能力をわれわれにもたらした。 物質的な進歩や、社会の革新が この真実からわれわれの目をくらませることがどれほど多いことか。 気高い名目のため暴力を正当化することはどれほど容易か。 偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。 一方で、どの宗教も その名の下に殺人が許されると主張するような信者を抱えることは避けられない。 国家は、犠牲と協力を結び付けるストーリーを語りながら発展してきた。 さまざまな偉業を生んだが、 このストーリーが抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。 科学はわれわれに海を越えて意思疎通することを可能にし、 雲の上を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。 しかし同じ発見は、より効率的な殺人機械へと変えうる。 現代の戦争はこの真実をわれわれに教える。 広島はこの真実を教える。 技術の進歩は、人間社会が同様に進歩しなければ、 われわれを破滅に追い込む可能性がある。 原子の分裂につながる科学の革命は、道徳的な革命も求めている。 だからこそ、われわれはこの場所に来た。 われわれはこの都市の中心に立ち、爆弾が落ちた瞬間を自ら想起し、 目の前の光景に困惑する子どもの恐怖を自ら感じる。 われわれは静かな叫びを聞く。 われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、 その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。 単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかしわれわれは歴史を直視し、 そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。 いつか証言する被爆者たちの声は聞けなくなる。 それでも1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない。 その記憶はわれわれを安心感に浸らせることを許さない。 われわれの道義的な想像力の糧となり、われわれに変化をもたらしてくれる。 あの運命の日からわれわれは希望をもたらす選択もしてきた。 米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、 戦争を通じて得られるものよりもずっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。 欧州の国々は戦場に代わり交易や民主主義による結び付きを築いた。 抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。 国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、縮小し、 完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。 それでも、世界中で見られる国家間の侵略行為、 テロや腐敗、残虐行為や抑圧は、 われわれのなすべきことには終わりがないことを示している。 人類の悪行を働く能力を撲滅することはできないかもしれないので、 国々やわれわれが築いた同盟が自らを守る手段を持たなければならない。 私の国のように核を保有している国々は、恐怖の論理から逃れ、 核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない。 私が生きているうちにこの目標は達成できないかもしれないが、 たゆまぬ努力が大惨事の可能性を小さくする。 ◇英語全文 Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction. How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause? Every great religion promises a path to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill. Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines. The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well. That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow. Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again. Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change. And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons. Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to protect ourselves. Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe. OBAMAにぽち
2016.05.28
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オバマ大統領広島訪問 所感全文(その1) 71年前、雲一つない明るい朝、 空から死が落ちてきて、世界は変わった。 閃光(せんこう)と炎の壁は都市を破壊し、 人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを実証した。 なぜわれわれはこの地、広島に来るのか。 それほど遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力について考えるためだ。 10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち、多くの朝鮮半島出身者、 そして捕虜となっていた十数人の米国人を含む犠牲者を追悼するためだ。 彼らの魂はわれわれに語りかける。彼らはわれわれに対し、 自分の今ある姿と、これからなるであろう姿を見極めるため、 心の内に目を向けるよう訴えかける。 広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。 (歴史的)遺物は、 暴力による争いは最初の人類とともに現れたということをわれわれに教えてくれる。 初期の人類は、石片から刃物を作り、木からやりを作る方法を取得し、 これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使うようになった。 穀物不足や黄金への渇望に駆り立てられようと、 民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられようと、 いずれの大陸も文明の歴史は戦争であふれている。 帝国は盛衰し、民族は支配下に置かれたり解放されたりしてきたが、 節目節目で苦しんできたのは罪のない人々だった。 犠牲者は数え切れないほどで、彼らの名前は時とともに忘れ去られてきた。 広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、 最も豊かで強い国家の間で起きた。 彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術をもたらしていた。 思想家は正義と調和、真実という理念を前進させていた。 しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同じ 支配・征服の基本的本能によって生まれてきた。 新たな抑制を伴わない新たな能力が、 昔からの(支配・征服の)パターンを増幅させた。 数年の間で約6千万人が死んでしまった。 われわれと変わることのない男性、女性、子どもが撃たれたり、打ちのめされたり、 連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えたり、毒ガスを使われたりし、死んだ。 世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、 言うに堪えない卑劣な行為を反映する墓や空っぽの収容所など、 この戦争を記録する場所が多く存在する。 ◇英語全文 71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself. Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner. Their souls speak to us. They ask us to look inward to take stock of who we are and what we might become. It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first men. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind. On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time. The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints. In the span of a few years some 60 million people would die; men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps, the echo of unspeakable depravity. OBAMAにぽち
2016.05.28
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野田 聖子(のだ せいこ)・・・とは? 1960年9月3日生まれ→55歳 日本の政治家 自由民主党所属の衆議院議員(8期) 旧姓は島(しま) 岐阜県議会議員(1期) 郵政大臣(第64代) 消費者担当大臣(第2・3代) 食品安全担当大臣(第10・11代) 科学技術政策担当大臣(第9・10代) 自由民主党総務会長(第52代)を歴任した。 祖父は大蔵事務次官、参議院議員、衆議院議員、経済企画庁長官 建設大臣などを歴任した野田卯一 【生い立ち】 父親の転勤先であった福岡県福岡市に生まれる。 オリンピックの年にちなみ、聖子(せいこ)と命名された 田園調布雙葉高等学校を中途退学 ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクール(英語版)を卒業後、 1983年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業 同年、帝国ホテルに入社 フロント業務等を経て、 帝国ホテルの女性従業員で初めて国際セールス部員に抜擢される。 1984年、祖母・野田光の死去に伴い、 祖父・野田卯一の養子となり、野田姓を継ぐ。 【政界入り】 1987年、岐阜県議会議員に 自由民主党公認で立候補し史上最年少で当選する。 1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧岐阜1区から立候補するも、 自民党からの公認も得られず落選。 1993年の第40回衆議院議員総選挙に再び立候補し、 「衆議院にも自民党の女性議員を」との公約を掲げて初当選した (当選同期に安倍晋三・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・ 塩崎恭久・浜田靖一・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗など) 新政策研究会(河本敏夫派)に所属した。 1996年11月発足の第2次橋本内閣で郵政政務次官、 1998年7月発足の小渕内閣では、 閣僚史上最年少(男性含め)の37歳10ヶ月で郵政大臣に抜擢された (奇しくもこの記録は、10年後に、小渕の娘である小渕優子に破られる) 1999年、自民党国会対策副委員長、 衆議院議院運営委員会の議事進行係 (女性としては初)に就任。 2000年、自民党政調副会長、筆頭副幹事長に就任。 2001年、保守党所属の参議院議員・鶴保庸介との事実婚を発表したが、 2007年に離別。 2003年12月、高村派を退会。 また法的に結婚していないとできないはずの不妊治療をしている 国会議員として、 マスメディア(主にテレビや女性誌)に何度も取り上げられている。 また人工授精による受精卵が凍結状態にあることが報じられた。 その後、きょうと青年政治大学校講師も務めた。 2010年5月にアメリカ合衆国にて 卵子提供を受けて体外受精を実施して妊娠したことを、 同年8月下旬に『週刊新潮』での自らの手記にて明らかにした。 2011年1月6日、50歳という超高齢出産にて 重い障害のある男児が誕生したことを発表した。 この際、野田自身は子宮の摘出を余儀なくされている。 また、当面の間は休養することも明らかにした。 2月、事実婚だった男性と1月18日に婚姻し、 男性が改姓したことをブログと手記で公表した。 同時に、鶴保と事実婚の関係を続けたのは 自身が跡取り娘で名字を維持するためだったことも明かしている。 子は1年で9回の手術を受けるが脳梗塞も併発し、 2年近く入院中で1回も退院経験がない。 現在人工呼吸器を装着し、 経口摂取は不可、右手右足に麻痺がある。 なお、時々子供のお見舞いに行き写真をブログで公開している。 1歳の誕生日には野田からお守り2つがプレゼントされ、 短時間のお誕生会が開かれた。 後援会400名で2班に分かれて 韓国旅行をした際、 夫と実母も連れて5日に合流するが、 韓国旅行中に子どもが肺炎になったことなどが批判された。 2012年11月21日、自民党岐阜県連にて解散に伴う 第46回衆議院議員総選挙に出馬の意志を表明。 同年12月16日、岐阜1区で前回敗れた柴橋を下し7選。 同年12月25日、第52代自由民主党総務会長に就任した。 2014年9月3日、自民党役員人事により、退任。 同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で8選。 【政策・主張】 少子化対策・男女共同参画 3年間で8回におよぶ体外受精を受けた不妊治療体験から国会議員として 生殖医療に取り組んできた。少子化問題にも目を向け、 2002年秋ごろ、特に力を入れたい政策課題だと表明。 小泉政権の少子化対策について、「百点満点で十点」と酷評。 自費出版を検討していた自らの体験や体外受精をめぐる夫との軋轢や 通院の苦労談、流産の辛さをつづった著書を、新潮社の申し出により、 2004年12月に『私は、産みたい』と題して出版。 翌2005年5月には、『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』を講談社から出版し、 自党内の「女性が職を持つようになって子を産まなくなった」との発言に対して、 欧米など女性労働者が多い国でも、出生率が高いデータ例を示しつつ反論。 政府が課題とする少子高齢化と人口減少を切り口に、 今後取り組むべき政策ビジョン「人財増産計画」を提言しつつ、 党内議員の旧態依然たる意識を厳しく批判。 少子化対策への取り組みこそ社会を安定させると主張している。 日経ビジネス誌のインタビューに対して、 2010年1月、野田は「本気で少子化対策をするには自民党は本当に邪魔な政党でした」と発言した (「自民党が少子化を加速させた 自民党・野田聖子衆院議員インタビュー」)。 また、選択的夫婦別姓制度導入に賛成する。 2002年には「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」を主導し、 自民党法務部会に議員提案として「民法の一部改正に関する法律案」を提出している。 この中で、野田は「現行民法は男女の婚姻の条件として、同氏を名乗ることを義務づけている。 現在、そのために不利益を被る人たちが民法の改正を強く願っている。 少子化が急速に進み一人っ子家庭が増えるなか、 一人っ子同士の結婚での家名継承が難しくなっている。 結婚の前後で氏が変わることにより、仕事の継続性が確保できなくなる事例も増えている。 結婚を控えた若い世代の過半数は、希望する夫婦には別氏を名乗れるようにしてもよい、 と民法の改正に賛成している。家族の崩壊が心配され、家族の再生が求められるなか、 婚姻前の氏をそれぞれ名乗りながらも法律上の家族でありたいと願う切実な声がある。 夫婦が特別の事情でそれぞれ旧姓を名乗りたいと希望する場合、 家庭裁判所の許可があれば例外的に夫婦別氏の結婚を法律婚とする道を開きたい」 とその理由を述べている。 【系譜】 野田家 野田聖子の実父、島稔は 元建設相の野田卯一と妻・光の長男として生まれ、 卯一の岳父である島徳蔵家に後継ぎがいないという事情から 第一子は島性を名乗らせるため、幼少期に徳蔵の養子となった。 徳蔵は「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師で、 晩年は大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身) 理事長や阪神電鉄社長などを務めた。 稔は東大卒業後、八幡製鐵(後に新日本製鐵)に勤めていた。 卯一の子は稔一人だけだったため、 今度は娘の聖子が祖父の野田姓を継ぐこととなり、卯一の養女となった。 明治維新後に兵部大輔、近代兵制を確立、 靖国神社の前身の東京招魂社建立に当たった大村益次郎は遠い縁戚になるという。 野田聖子は安倍晋三との対談の中で「実は大村益次郎さんは私の遠い縁戚なんです。 昔、祖父に、「これは君の遠い縁戚だから」と言われたのを覚えています。」と述べている。 実吉安純━━━実吉雅郎 ┃ ┏富 ┏島徳蔵━━━┫ ┃ ┗光 ┗島定治郎 ┃ ┣━━━━━島稔━━━━野田聖子 ┃ 野田卯一 政治家にもポチ。
2015.09.07
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【戦後70年談話】首相談話・・・全文です。 ・・・戦後70年の安倍首相談話 全文・・・ 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、 私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、 未来への知恵を学ばなければならないと考えます。 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。 圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。 その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。 アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。 日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、 それまでの植民地化にブレーキがかかりました。 この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。 人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。 戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、 欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、 日本経済は大きな打撃を受けました。 その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、 力の行使によって解決しようと試みました。 国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。 こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。 満州事変、そして国際連盟からの脱退。 日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への 「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。 そして七十年前。日本は、敗戦しました。 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、 深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。 祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。 終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、 飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。 広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、 沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。 中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、 食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。 戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。 一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。 この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、 もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、 すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。 自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、 ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。 七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、 この不動の方針を、これからも貫いてまいります。 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、 痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。 その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、 戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、 これからも、決して癒えることはないでしょう。 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、 日本再建の原動力となった事実を。 中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、 再び祖国の土を踏むことができた事実を。 米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、 互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、 日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、 どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。 戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々 すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。 あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、 謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、 過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。 謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、 命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、 未来をつないでいくことができる。 それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、 米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、 善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。 歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、 そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。 だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、 平和的・外交的に解決すべきである。 この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。 唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、 国際社会でその責任を果たしてまいります。 私たちは、二十世紀において、戦時下、 多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。 だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。 二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、 世界をリードしてまいります。 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。 だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、 自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、 世界の更なる繁栄を牽引してまいります。 繁栄こそ、平和の礎です。 暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、 自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。 だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして 堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、 「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、 国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。 平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣 安倍晋三 わからん?談話にぽち
2015.08.14
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日本は、戦わない約束をしたはず!今、私たちの幸せは・・・この約束があったからこそでは?今日は、こんな紙を職場でもらいました!真っ白な紙に、短い言葉で・・・支持政党は無いけれど!もう~遅いのでしょうか?諦めたくない・・・将来のある若い子の為に9条を「遺産」にぽち
2015.07.17
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2015年1月27日・・・後藤健二さん?と思われる人物からのメッセージ(日本語訳・英文) 以下がメッセージ全文です。日本語訳・・・原文は、英文 ・・・・・私は後藤健二。 私の妻と日本国民と日本政府に告ぐ。 これは私の最後のメッセージだと言われた。 また、私の自由を阻んでいるのは、 サジダ(・リシャウィ死刑囚)の引き渡しを遅らせているヨルダン政府だと言われた。 日本政府に対し、 ヨルダンへのあらゆる政治的圧力をかけるように言ってくれ。 残された時間は今、なくなってきている。 彼女のための私だ。 何が理解するのにそんなに難しいのか。 彼女は10年も囚人だった。 私はたったの数カ月のみ囚人だ。 私と彼女の交換だ。 ヨルダン政府のこれ以上の遅れは、 彼らのパイロットの死の責任となる。 そして、それに、私の死が続くことになる。 私には24時間しか生きる時間がない。 パイロットにはより短い時間しか残されていない。 どうか私たちを死に至らせないでほしい。 これ以上の遅延戦術は、 単に我々2人の殺害へつながる。 ボールはヨルダン側にある。 ・・・・・I'm Kenji Goto Jogo. To(his wife's name here), the people of Japan, and the Japanese government: I've been told this is my last message,and I've also been told that the barrier of obstructing my freedom is now just the Jordanian government delaying the handover of Sajida. Tell the Japanese government to put all their political pressure on Jordan. Time is now running very short. It is me for her. What seems to be so difficult to understand? She has been a prisoner for a decade, and I've only been a prisoner for a few months. Her for me. A straight exchange. Anymore delays by the Jordanian government will mean they're responsible for the death of their pilot, which will then be followed by mine. I only have 24 hours left to live, and the pilot has even less. Please don't leave us to die. Anymore delaying tactics will simply see both of us getting killed. The ball is now in the Jordanian's court. 解放を祈ってぽち
2015.01.29
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2015年1月25日・・・後藤健二さん?と思われる人物からのメッセージ「全文」とは? 私はケンジ・ゴトウ・ジョゴ(後藤健二)だ。 私の同房者・ハルナ(湯川遥菜)が、 イスラム国の地で殺された写真を見ているだろう。 あなたたちは警告を受け、 期限が与えられていた。 そして、私を捕らえていた者たちは、 言葉どおりに行った。 アベ(安倍首相)、 あなたがハルナを殺した。 脅迫を深刻に受け止めず、 72時間以内に行動しなかった。 (後藤さんの妻の名と思われる呼び名)、 私の愛する妻、愛している。 そして、2人の娘に会いたい。 私の身にも同じことを、 アベにさせないでくれ。 諦めないで。 家族と友人、 また私のインディペンデント・プレス(後藤さんの会社)の同僚がともにいるだろう。 われわれの政府に圧力をかけ続けるべきだ。 彼らの要求はより簡単だ。 彼らは公平になりつつある。 彼らはもはや金を求めていない。 だから、資金集めのテロリストについて心配する必要はない。 彼らは、ただ収監中の彼らの姉妹、 サジダ・アル・リシャウィの釈放を求めているだけだ。 これは簡単なことだ。サジダを引き渡せば、私は解放される。 ちょうど今、実際これは可能のようだ。 われわれの政府は確かに石を投げたほどの距離にある。 皮肉にも、われわれの政府の代表はヨルダンにおり、 彼らの姉妹サジダはヨルダン政府によって収監されている。 もう一度、私の命を救うことがどれだけ簡単か強調したい。 彼らの姉妹をヨルダン政府から彼らの元に連れてくれば、 私はすぐに解放される。私は彼女のためのものなのだ。 (妻の名)、これが、 この世界での私の最後の数時間となるかもしれない。 話すだけの死人になるかもしれない。 この言葉をあなたが聞く最後の言葉にしないでほしい。 アベに私を殺させないでほしい。 ご無事を祈ってぽち
2015.01.28
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街頭インタビューで「選挙に行っても変わらないから行きません!」って言っている人が多いけど・・・世の中が変わらない?変わるかもですよ・・・これで、憲法も変えられる!?って事だとすると・・・自由に変えられる知らない内に・・・危ない世の中になるとしたら「どうせ!きらりは、顔で選ぶんだろう?」とは言え・・・投票したくなる魅力的な政治家が居ないものね~「平和な日本」いつまでも優しい心を失わない日本人でありたいどうしたら良いのか?わからないまま・・・1票を投じましたが日本は、どう変わって・・・ゆくのでしょうか?物価が、どんどん上がりそう円安は、困るよね~戦争は、困るよね~海外旅行は、夢の世界?真面目に働いてきたのに・・・年金ももらえなくて・・・戦争なんて事にならないと良いのですが~静かに暮らしたいこれは、贅沢な願いでしょうか?お願いにぽち。
2014.12.14
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衆議院選挙の投票に行って来ました(^0^)V不在者投票です~♪今回の選挙は・・・必要を感じない税金の無駄使い選挙だと!思っておりますが・・・国民の義務だけは、果たさねばと!今回の選挙で初めてもらってみましたこれを持って行くと、どこかで『選挙割』・・・使える?いやいや~無理かしら?情報~よろしく(^-^)V割引券にぽち。
2014.12.12
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働き手「70歳まで」…人口減対策で提言案 ・・・読売新聞より 政府の経済財政諮問会議 (議長・安倍首相)の有識者会議「選択する未来」委員会が、 人口減と超高齢化への対策をまとめた提言案が明らかになった。 70歳までを働く人と位置づけるほか、 出産・子育て関連の給付など支援額を倍増させる。 高齢者と女性の活躍を後押しすると同時に 出生率の引き上げを図り、 50年後の2060年代に1億人程度の人口を維持することを目指す。 同委の三村明夫会長 (日本商工会議所会頭)が 「2020年及び半世紀後を展望した日本経済への提言」を 5月半ばに諮問会議に提出する。 政府は、6月にまとめる「経済財政改革の基本方針(骨太の方針)」に反映させる。 日本の人口は、 60年に現在の約3分の2の約8700万人に減り、 約4割が65歳以上になると推計されている。 これを踏まえ、 提言は 「年齢・性別にかかわらず働く意欲のある人が能力を発揮できる」 制度が必要とした。・・・・ニュースおわり。70歳まで・・・働くの? そうそう~年金制度も危ないしね! と言う事もあっての・・・しかし 今から・・・間に合うのでしょうか(心配) 雇用確保・・・難しい時代に! もうちょい時給をUPしてもらわないと・・・ 働く楽しみ♪ 保てません!! 国の力・・・まだまだ 海外支援も(エネルギー確保)必要だろうけど、 自国の国民の事も考えて欲しい 国民の我慢を当てにし過ぎ! 国民支援にぽち
2014.05.06
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重宗 雄三 しげむね ゆうぞう 1894年(明治27年)2月11日 ~ 1976年(昭和51年)3月13日 昭和期の政治家 実業家 参議院議長を3期9年間にわたり務めた 山口県岩国市出身 1912年(明治45年)3月 東京高等工業学校附属工業補習学校(現東工大附属高専攻科)を卒業し 兄重宗芳水が創業した明電舎に入社 後に社長・会長を務める 1946年(昭和21年)、貴族院議員に勅選される。 その後、 同郷の岸信介、佐藤栄作兄弟に懇請される形で1947年(昭和22年) 第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選する。 1953年(昭和28年)から三年間、参議院副議長。 1959年(昭和34年)、岸内閣に運輸大臣として入閣する。 自民党参議院議員会長などを経て、1962年に参議院議長に就任する。 【参議院議長】 3期9年間にわたり参議院のドンとして君臨し、 池田勇人・佐藤栄作両政権を支えた。 その影響力の強さから、佐藤・岸信介とともに長州御三家と呼ばれた。 佐藤も重宗の意向に逆らっては法案審議もままならぬとて、 しばしば議長室に自ら赴いて頭を下げるほどであった。 議長在籍時も自民党籍を持っていた重宗は、 参議院自民党の過半を占める議員グループ「清風クラブ」を牙城に、参議院をまとめた。 参議院自民党のトップとして閣僚人事にも影響を与えたため、閣僚推薦権を持っているはずの自民党参議院議員会長(林屋亀次郎ら)の存在感は薄らぐ一方であった。 ポスト欲しさに日参する参議院議員は多く、 「重宗詣で」と呼ばれた。その権勢から「重宗天皇」と称され、参議院は「重宗王国」とまで呼ばれた。 重宗は自民党全盛時代の参議院自民党の力をフルに活用し、 しばしば危惧されていた参議院の独自性を守ろうとした節がある(松野鶴平の例と同じ)。 議長時代には議事整理権などを駆使し、日韓基本条約、大学措置法、沖縄返還協定の強行採決をおこなった。 その独裁的な振る舞いや、総裁四選後の佐藤との関係悪化、さらには角福戦争も重なる中、「長いことはいいことだ」と四選を確信して議長選出馬宣言をする。 しかし、河野謙三らのグループ「桜会」の批判勢力が台頭し、河野の議長選出馬を断念させる条件として自らが出馬断念に追い込まれた。 さらに、重宗が後継議長候補として推した木内四郎に反発した自民党の一部議員と野党が推した河野が当選している。 参議院議長在任日数の3242日は参議院史上最長記録である。 1974年(昭和49年)に政界引退、参議院議員当選5回を重ねた。 1976年(昭和51年)3月13日死去。享年82。 【エピソード】 参議院議長としての超然・強引さが目立ったが、必ずしも重宗の本意でない場合もあった。 大学臨時措置法の強行採決は、当時自由民主党幹事長だった田中角栄の「じいさん。早く〔本会議の〕ベルを鳴らせ。 やらなきゃ、このオレが許さんゾ」(早坂茂三の回想)という直談判の末であった。 自民党有力者から一字ずつ取った「三角大福」という造語を作ったのは重宗である。 山陽新幹線新岩国駅の開設も岩国市を地盤とする佐藤や岸、重宗の力が大きかったとされる。 佐藤栄作は重宗の協力・支持を得ることで、長期安定政権を築いた。 しかし双方とも必ずしも好感情を持っていなかった。重宗は佐藤と顔を合わせても、「総理」という敬称は決して使わなかった。 石原慎太郎は著書『国家なる幻影』で、「ここは俺の城下だといわんばかりに、道を譲った〔佐藤〕総理に一顧だに与えず通りすぎていった」重宗の姿を記している。 河野謙三ら反重宗グループ「桜会」は当初、参院自民党でも十数名程度の勢力にすぎず、重宗支持派が圧倒していた。 このことから馬肉(サクラ肉)とかけ、「サクラはたいしたこたぁねえ」と発言している。 この侮りが河野の議長当選につながり、さらに河野と親しい田中角栄の角福戦争勝利を招来した。 一方、毎年冬になると郷里の鱈と河豚を振舞う「たらふく会」を主催し、多くの議員で賑わったと言う。 【親族】 弟にトーキー映画監督の重宗和伸(重宗務)、子息の重宗昌幸は父の没後に、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙に旧山口2区から自民党公認で立候補したが、落選している。 お芝居にぽち。よろしく~
2014.04.16
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ビットコインの取引が、禁止したってどういう意味でしょうか? Bitcoin・・・貧乏人には、関係ないお話みたいですが。。。ビットコイン(英語: Bitcoin)とは・・・・? 公共トランザクションログを利用している オープンソースプロトコルに基づく Peer to Peer型の 決済網及び暗号通貨である。 ・・・・・・暗号の通貨ですと?????・・・・・・・ビットコインは 極めて低いコストでの決済 (およびマイクロペイメント)を 権力機関や 発行者無しで 平均10分程度の 待機によって可能にする。 ノードから 別のノードへの貨幣の移動は 電子署名された取引で行われ、 P2Pネットワーク内の全てのノードにブロードキャストされる。 初期の通貨流通や、 二重支払いの検知のため プルーフ・オブ・ワーク(英語版)システムが用いられている。 ビットコインは 中本哲史 (Satoshi Nakamoto, サトシ・ナカモト) を名乗る人物によって投稿された論文に基づき、 2009年に 運用が開始された。 支払いの際に 売買間の電子的な記録や 履歴は存在しない代わりに、 買い手は 公式トランザクションログ blockchainの更新を要求する。 全トランザクションリストには 所有履歴が記載されており、 分散ネットワークにより検証されている。 ネットワーク運営者達は採掘者として知られ、 取引手数料や造幣収益を得ている。 実在する硬貨の購入も可能であり、 (電子通貨と異なり)硬貨を分解することで秘密鍵を明らかにできる。 同様の仕組みを利用した通貨は2014年現在多く発行されており、 特にen:Litecoinがビットコインに次ぐ第2の暗号通貨としてよく知られている。 違法活動との関連性から監視対象とされている。 2013年に連邦捜査局(FBI)はオンライン闇市のシルクロード (サイト)を閉鎖し、 2850万米ドル相当を押収した。 中国では取引の使用が禁じられ 欧州銀行監督局は 利用者保護に欠けると警告している。 ビットコインの盗難は 可能であり実例があるものの オフラインでの防止策でこうした危険性は減らせる。 現在の全般的な商業流通量は、 価格変動を煽る投機目的に比べて小規模であるものの、 実際に製品やサービスの支払いに使用されている。 一般的なクレジットカードの手数料2-3%に比べ費用が抑えられる点に魅力があり 著名な営利法人での採用例としてはOkCupid、Reddit、WordPress、 ヴァージン・ギャラクティックが、 特定非営利活動法人やアドボカシー団体では フリーソフトウェア財団 WordPress、Tor、電子フロンティア財団(EFF)などが挙げられる。 頭文字の大小による意味の違いがあり、 大文字表記はプロトコルと取引ネットワークを、小文字は通貨自体を指す。 ・・・・・なるほど・・・・・理解不能ですが・・・・・・私には、関係ないけど・・・・・・・・・・・お金儲けにぽち
2014.02.26
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東京都知事選挙も終わり・・・国民の承認を受けた事により、衆議院予算委員会の国会中継を見ると、色々と話が進んでおります。国民は、ソチ・オリンピック中継ばっかり見ていて良いのでしょうか?危ないです・・・怖いです! 奥多摩のおばあちゃん・・・まだ、孤立状態です! 青梅線の線路は雪の下、真っ白で見えないそうです! 青梅街道を除雪しても・・・おばあちゃん宅までは、まだまだ遠いし 雪崩も、危ないから・・・何もできないし 今週末の命日「お墓参り」無理ですね・・・ お墓も真っ白にぽち
2014.02.19
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今日は、祭日でしたね(^-^)Vまったりさせていただきましたが・・・『建国記念の日』って?誰が、この国を創ったのでしょうか?缶コーヒーCMで問われていますが・・・・。 気になりますね~建国記念日(けんこくきねんび)とは? 文字通り「建国を記念する日(祝日)」である。 何を“建国”と定義するかは国によって異なり、 その過程は時に激しくまた時には平和裏に行われる。 日本と大韓民国は 設定に建国神話が用いられている。 日本は 記紀中で 神武天皇が即位したとされる日 (紀元前660年2月11日)である。 また大日本帝国憲法は 1889年の同日に発布された。 イギリスは伝統的に 聖ジョージの日 (St. George's Day、4月23日)が 宗教的なナショナルデーだが、 法定祝日ではない。 国民の祝日に関する法律 (祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条は、 建国記念の日の趣旨について 「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。 1966年(昭和41年)の祝日法改正により国民の祝日に加えられ、 翌1967年(昭和42年)2月11日から適用された。 他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、 本日のみが 「政令で定める日」と定められている この規定に基づき、 佐藤内閣が建国記念の日となる日を定める政令 (昭和41年政令第376号)を定め、 「建国記念の日は、二月十一日」とした。 2月11日という日付は、 明治時代の初期に定められ 1948年(昭和23年)に廃止された紀元節と同じである。 紀元節の日付は、 『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日 (辛酉年春正月庚辰朔)に由来する。 当日は、各地の神社仏閣にて「建国祭」などの祭りが執り行われる。 「建国記念の日」と定められた2月11日は、 かつての祝祭日のひとつ、 紀元節であった。 紀元節は 『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇即位の日として、 1872年(明治5年)に制定された。 この祝祭日は、 1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日に関する法律附則2項で 「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)が廃止されたことに伴い、廃止された。 紀元節復活に向けた動きは、 1951年(昭和26年)頃から見られ、 1957年(昭和32年)2月13日には、 自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として 「建国記念日」制定に関する法案が提出された。 しかし、 当時野党第1党の日本社会党が 保守政党の反動的行為であるとして反対した為、 衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となった。 その後、 「建国記念日」の設置を定める法案は、 9回の提出と廃案を繰り返すも、 成立には至らなかった。 結局、 名称に「の」を挿入した 「建国記念の日」として “建国されたという事象そのものを記念する日” であるとも解釈できるようにし、 具体的な日付の決定に当たっては 各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、 社会党も妥協。 1966年(昭和41年)6月25日、 「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立した。 同改正法では、 「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定め、 同附則3項は 「内閣総理大臣は、 改正後の第2条に規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとするときは、 建国記念日審議会に諮問し、 その答申を尊重してしなければならない。」 と定めた。 当の 「建国記念日審議会」は、 学識経験者等からなり、 総理府に設置された。 約半年の審議を経て、 委員9人中7人の賛成により 「建国記念の日」の日付を 「2月11日」とする答申が 1966年(昭和41年)12月9日に提出された。 同日、 佐藤内閣は 「建国記念の日は、二月十一日とする。」 とした 「建国記念の日となる日を定める政令」 (昭和41年政令第376号)を定めて公布し、 即日施行した。 なるほど・・・すったもんだが、あったのですね(^-^)微妙ですね・・・。 この2月11日を利用して たびたび 海外旅行に行かせて頂いたので・・・ 私は、ちょっとだけ ありがたい存在でしたが・・・(^0^) 神話の世界。 古いですね~神武天皇ですって! この国を創った人にぽち
2014.02.11
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いつも選挙については・・・ブチブチと文句ばかり言っておりますが・・・ その割には、投票に必ず行っている・・・きらりでありますが 今回は、体調の事もあるし・・・大雪だし パスかな~ぁ、と。でも 夕方になり・・・行かねば(^0^)と 思い立ち行って来ました! 4時過ぎなのに・・・かなりの方が投票に どうせ私の1票なんて意味ないけど・・・ 投票率・・・23%で、すって? まだ8時まで、やってるし・・・出かけてみたらいかが? でも、夜だから道が凍ると危ないので・・・注意してね! 東京都知事にぽち
2014.02.09
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あらら~橋下さんも辞任ですか?いやいや~色々と理由は、あると思うけど・・・やっぱし相当の費用が掛かる訳だし・・・税金を少しでも節約して、市民の助けになったらと思うけど 東京都知事選挙も同じ・・・大した意味のある選挙だとも思えないし 税金を選挙に使われるのは、納得できない・・・何の為にぽち
2014.02.01
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年間20日間の有給休暇がある・・・きらり。ですが 4月の旅行の後に怪我でお休みして・・・ それでも旅行したりで・・・有給休暇が、 もう~無くなってしまって! 先月のお給料は・・・最悪だった! もしかして・・・今月も少ないかも? 給料明細をもらって・・・あらら、まずまずです。 ああ~6日間も早朝出勤している! 良かった~今月も、何とか 命が、つなげそうです(^0^)V 厳しい生活にぽち
2013.11.28
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「半沢直樹」TBSドラマの中で出てきた・・・経済・銀行の専門用語です。 ◎貸し倒れ(かしだおれ) new!! 商品を販売して受け取る予定の代金が、 販売した先の会社の倒産などの理由で回収できなくなること。 銀行の場合は、 貸出先の倒産により貸出金の回収ができなくなること。 ◎借入れ(かりいれ) 会社が銀行から、 経営に必要な資金(商品の仕入れ代金や工場建設のための資金など)を 借り入れること。 ◎金融庁(きんゆうちょう) 日本の金融機能の安定や、 円滑化を図ることなどを目的として設置された行政機関。 銀行など金融機関の監督官庁であり、 銀行行政で大きな権限を持つ。 ◎クレジットファイル(くれじっとふぁいる) 貸出しをしている会社の決算内容や経営者の情報など、 その会社に貸出しを行うにあたり 必要な情報を記載した書類、ファイルのこと。 ◎計画倒産(けいかくとうさん) new!! 経営に行き詰った会社を計画的に倒産させること。 会社設立時点から、あらかじめ倒産させることを計画して 詐欺を目的として行われる場合もある。 ◎決算期(けっさんき) 会社が1年間の営業活動を決算書としてまとめて報告する月のこと。 この後、法人税の支払いや株主への配当等を行う。 ◎決算書(けっさんしょ) 一般的には、会社の財産の状態を示す「貸借対照表」、 1年間の利益や損失を示す「損益計算書」、 収入と支出の状況を示す「キャッシュフロー計算書」をいう。 会社の経営状態を示す、経営者の「通信簿」とも言われる。 ◎国税局(こくぜいきょく) 国税庁が税金の徴収などを行うために地方に設けた機関。 ◎国税庁(こくぜいちょう) 税金の徴収のために、財務省外局として設置された行政機関のこと。 国税局、税務署の指揮監督をする。 ◎護送船団方式(ごそうせんだんほうしき) 旧大蔵省(現金融庁)が、 金融機関の経営安定、預金者保護、産業保護を目的として 金融機関に行ってきた行政指導の手法のこと。 具体的には、金融機関同士で過当競争が生じないよう、 力の弱い金融機関を基準に店舗出店規制、商品規制等を行うこと。 ◎固定レート(こていれーと) たとえば、銀行から借入れする場合の返済利率(レート)が変動せず、 固定しているレートのこと。 これに対し、返済利率(レート)が変動するものを変動レートという。 ◎裁量臨店(さいりょうりんてん) new!! 本部の監査セクションから検査役が来て、 支店での融資に対する与信判断が正しく行われているかどうか審査を受けること。 行われる際、支店には通常1週間程度の準備期間を設けられる。 ◎査察(ささつ) 税務署では取り扱えない、 複雑で悪質な脱税事案などについて行う強制調査のこと。 ◎出向(しゅっこう) 会社の命令を受けて、籍は元の会社に置いたまま、 他の会社などで勤務につくこと。 銀行が、親密な会社や経営支援の必要な会社に行員を派遣することがよく行われる。 ◎信用金庫(しんようきんこ) より地域に特化し、都市銀行や地方銀行よりも 小規模な中小企業や個人を営業基盤として活動する金融機関。 ◎総勘定元帳(そうかんじょうもとちょう) 「現金」「短期貸付金」「支払利息」などの勘定科目ごとに、 全ての取引額を記載する帳簿のこと。これを集計して決算書を作成する。 ◎損失(そんしつ) 銀行のみならず一般の会社が、会社の財産を失うこと。 会社が借入を返済できないことにより銀行が受ける損失、 取引先の倒産により商品の販売が回収できなくなることによる損失、 保有していた株価が暴落したことによる損失など、さまざまな損失がある。 ◎地方銀行(ちほうぎんこう) 全国の県庁所在地などに本店を構え、 本店所在の都道府県内を主な営業基盤とする銀行のこと。 代表的な地方銀行は、横浜銀行、静岡銀行など。 ◎頭取(とうどり) 銀行における肩書の一つで、一般の会社の社長に相当する役職のこと。 語源については、雅楽の演奏における「音頭取り」に由来するなど、諸説ある。 ◎都市銀行(としぎんこう) 東京・大阪などの大都市に本店を構え、全国展開している日本の銀行のこと。 代表的な都市銀行は、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、三井住友銀行など。 ◎根抵当権(ねていとうけん) 土地や建物の価値の範囲内であれば、 それを担保に何度でも借入れが受けられるように設定する担保権のこと。 ◎破綻(はたん) 企業が倒産すること。 民事再生法、会社更生法などの適用を受けた場合には、 日本航空のように、裁判所の管轄の下で存続することが出来る場合がある。 ◎不渡り(ふわたり) たとえば、仕入れなどのために振り出した約束手形や小切手の支払期限を過ぎても、 銀行の預金残高が不足しており、支払を行うべき取引先への支払ができないこと。 ◎粉飾決算(ふんしょくけっさん) 会社がうその決算書を作り、 たとえば、あたかも売上が伸びたり、利益が出ているように見せかけること。 それによって、その会社の株価が上がったり、 返済能力があるように見えることで、銀行がお金を貸してしまうことも。 ◎メインバンク(めいんばんく) 会社が取引している複数の銀行の中で、 その会社への貸出しが最も多いなど、最も親密に取引を行っている銀行のこと。 銀行としては、その会社の内部情報などを得て経営に深く関与することで、 取引を拡大できる一方、その会社の業況が悪化した場合には 追加貸出しをせざるを得なくなるなど、 その会社の経営に大きな責任をもってしまうことも。 ◎メガバンク(めがばんく) 100兆円規模の巨大な資産(貸出、有価証券など)や 数千億円の収益規模を持つ銀行のこと。 いわゆる3大メガバンクは、三菱東京UFJ銀行、みずほ銀行、三井住友銀行。 ◎融資(ゆうし) 銀行が会社に対して、 経営に必要な資金(商品の仕入れ代金や工場建設のための資金など)を貸し出すこと。 ◎連鎖倒産(れんさとうさん) new!! たとえば、取引先の倒産や親会社の倒産などによって 販売代金などが回収できなくなることで 経営が行き詰まり連鎖的に倒産すること。 特に倒産が大企業の場合は、 下請け企業など、中小企業への影響は大きい。池井戸さんに・・・・・・・・・・・・・ぽち。っとな
2013.07.29
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参議院選挙の投票に行って来ました(^0^)V 理由は、お出かけ・・・っう事にしておきました! 参議院選挙は・・・変わった候補者が多いので面白いですよね! 結果は、どうでも・・・・一応、国民の義務を果たして来ました♪ 一足先に義務を果たして・・・・・・・・・・ぽち。っとな
2013.07.18
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100円で定着したマクドナルドが、1000円のハンバーガーを1日限定で販売するらしい? 宝石ハンバーガーかぁ・・・・。 その・・・販売日は? 7月6日(土)・・・・GOLD RING 7月13日(土)・・・BLACK DIAMOND 7月20日(土)・・・RUBY SPARK http://www.mcdonalds.co.jp/campaign/qlb/jewelry/index.html 中国から怪しい鶏肉を輸入してしまって・・・ナゲットに入れた???マック売り上ゲ低下に対抗するのは・・・価格を上げるって事? う~ん!悔しいけれど・・・・食べてみたくなる! 100円マックを10個・・・食べるのが良いか?回転寿司を10皿・・・食べたいか? 1000円の宝石を食う?・・・しかし 1000円で美味しい物を食べれると思ったら・・・大間違い!? 1000円も出したのに・・・不味かった@@、なんて言うのは、辞めましょう! ハンバーガーは、宝石でも・・・ハンバーガーに違いないのであります(^-^)b 1000円の宝石で勝負に・・・・・ぽち。っとな
2013.07.03
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昨日の夕方の事・・・・お庭の物置に行って ふと見ると・・・大きな鳥の羽が いっぱい落ちている!!! 何か~変な臭いがする感じ? 死体の臭いを嗅いだ事は、無いけど・・・ 死骸らしき・・・嫌な臭いがっ えええ・・・・まさか? そろそろ行ってみると・・・・ギェ~~~ッ 皮をむかれ赤い肉が・・・・見える ありえないです・・・・新しい死骸らしく? それ以上・・・・見れないです!!! 大きな羽が、いっぱい、ちらばって・・・・大惨事です! ドキドキ・・・・どうすりゃ~良いの? 昨年の夏には、ねずみの死骸があって・・・ 倒れそうになりながら・・・処理したけど その後遺症は、思ったより深くて・・・・寝れない位だった! それに「鳥インフルエンザ」だとしたら・・・洒落にならんでしよ! 鳥の死骸を発見したら・・・・「市の生活環境課」にTELするよう書いてあるじゃん! 早速、「市の生活環境課」に電話したら・・・・ 下っ端の若い姉さんが出て・・・ 「自宅の敷地内は、自分で処理して、生ごみで出して下さい!」 って言うの・・・・鳥インフルエンザだったら困ると言うと 「付近で大量死していないと鳥インフルエンザ」では、無い!」と言う えええ・・・大量に同じ所に死んでいるかどうかなんて 解らないよね! 固まって一カ所に死んでいるかどうかなんて・・・・ あちこちに死んでたら・・・どうなの? 原発の関係で死んでいるって事だって・・・・無いとは、言えないじゃん!? 環境課の姉さんは・・・「自然死だと思われます!」 えええ・・・・絶対に無理 死骸のそばに行くなんて・・・・無理 見れないし・・・勇気が無い 昨年のネズミも3日間・・・考えて自分でやったけど もう~市役所の環境課は、許せない これ以上・・・市民の環境をそこねてどうするんだっ! 雨も降って来たし・・・・・・・・ぽち。よろしく
2013.03.25
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黒田 東彦 くろだ はるひこ、1944年(昭和19年)10月25日 ~福岡県大牟田市出身の大蔵(財務)官僚。 東京大学在学中司法試験に合格。 1967年に大蔵省入省。 同期入省者に、 伏屋和彦、山口公夫(銀行局長)、野村興児、水谷英明、若林勝三などがいる。 主として国際金融と主税畑でキャリアを積み、 「ミスター円」として知られた榊原英資の後任として財務官に就任、 3年半にわたって同ポストにあった。 財務省退官後、 一橋大学大学院教授を経てアジア開発銀行総裁に就任し、 現在に至る。 学歴 1963年3月 - 東京教育大附属駒場高等学校卒業 1967年3月 - 東京大学法学部卒業 1971年9月 - オックスフォード大学経済学研究科修士課程修了 職歴 1967年4月 - 大蔵省入省(大臣官房文書課配属) 1974年7月 - 国際金融局国際機構課課長補佐 1975年6月 - 派遣職員(国際通貨基金) 1978年7月 - 主税局調査課課長補佐 1980年7月 - 主税局税制第二課課長補佐 1981年7月 - 大臣官房企画官兼主税局総務課 1984年7月 - 三重県総務部長 1986年6月 - 官房参事官 1987年7月 - 国際金融局国際機構課長 1988年12月 - 村山達雄大蔵大臣秘書官事務取扱 1989年8月 - 主税局国際租税課長 1990年1月 - 主税局税制第一課長 1991年6月 - 主税局総務課長 1992年7月 - 大臣官房参事官(副財務官) 1993年7月 - 大阪国税局長 1994年7月 - 大臣官房審議官(国際金融局担当) 1995年6月 - 国際金融局次長 1996年7月 - 財政金融研究所長 1997年7月 - 国際金融局長 1999年7月 - 財務官 2003年1月 - 財務省退官 2003年3月 - 内閣官房参与 2003年7月 - 一橋大学大学院経済学研究科教授 2005年2月 - アジア開発銀行総裁 著書 『財政・金融・為替の変動分析-相互波及のメカニズム』東洋経済新報社、1981年。 『国際交渉-異文化の衝撃と対応』研究社出版、1996年。 『通貨外交』東洋経済新報社、2003年。 『元切り上げ』日経BP社、2004年。 『通貨の興亡』中央公論新社、2005年。 『財政金融政策の成功と失敗』日本評論社、2005年。 『世界は考える』(安倍晋三、ジョージ・ソロスほか)土曜社、2013年。 今度こそ使える人?・・・・・・・ぽち。よろしく
2013.02.24
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総理大臣は・・・安倍晋三(あべしんぞう)今度こそ覚える前に辞めないでください!! 第2次安倍内閣の閣僚名簿です。▼総理 安倍晋三 ▼副総理・財務・金融 麻生太郎 ▼総務 新藤義孝 ▼法務 谷垣禎一 ▼外務 岸田文雄 ▼文部科学・教育再生 下村博文 ▼厚生労働 田村憲久 ▼農林水産 林芳正(参) ▼経済産業 茂木敏充 ▼国土交通 太田昭宏(公明) ▼環境・原子力防災 石原伸晃 ▼防衛 小野寺五典 ▼官房 菅義偉 ▼復興・原発事故再生 根本匠 ▼国家公安・拉致問題・防災 古屋圭司 ▼沖縄・北方・科学技術 山本一太(参) ▼消費者・少子化 森雅子(参) ▼経済再生・経済財政 甘利明 ▼行政改革・公務員改革 稲田朋美 ?知らない人が半分も・・・・・それなりにぽちっとな
2012.12.26
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民主党も145人と、小さくなってしまいましたが・・・今、民主党の代表に決ったのは、 海江田 万里 かいえだ ばんりさんってどんなひと?海江田 万里 かいえだ ばんり 1949年2月26日~(63歳) 日本の経済評論家、政治家。 衆議院議員(6期)、衆議院財務金融委員長、市民リーグ代表(初代)、民主党政策調査会長(第5代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)、経済産業大臣(第14代)などを歴任した。 【生い立ち】 東京都杉並区出身。 新聞記者だった父は中華人民共和国や台湾にいたことがあり 万里の名前は万里の長城に因むことから 自身も「中国とのかかわりは、生まれた時から」と語る。 また父は鹿児島県出身で、 大学を卒業するまでの本籍は 鹿児島県日置郡金峰町(現南さつま市)だったことから、 「鹿児島は私の故郷」という。 東京都立鷺宮高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 経済評論家として 慶大卒業後、タレント政治家であった野末陳平秘書を経て、自身もタレント、経済評論家として独立。テレビ、ラジオ、雑誌などで税金や経済情勢の解説者として幅広く活躍した。ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!に「海江田総理(当時の海部総理のパロディ)」として数秒出演したことがある。バブル経済で財テクブームが到来すると、一般向けの財テク指南書を多く出版した。また、1989年4月~1991年3月まで「TXNニュース THIS EVENING」の土曜メインキャスターを務めた。 政治家として 1986年、第14回参議院議員通常選挙に税金党公認で東京都選挙区から出馬し、落選した。1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧東京都第1区から出馬し、初当選した。1994年9月に日本新党を離党。民主新党クラブを経て、1995年に山花貞夫ら日本社会党を離党したグループを糾合して市民リーグを結成し、代表委員(党首)に就任。翌1996年、村山富市の首相辞任に伴う首班指名選挙では、市民リーグ所属衆議院議員5名が海江田に投票。その後、新党さきがけを離党した菅直人や鳩山由紀夫らの主導による旧民主党結党に市民リーグとして合流する。1996年、第41回衆議院議員総選挙では東京都第1区から出馬し、小選挙区で落選(自由民主党の与謝野馨が当選)、比例東京ブロックで復活当選した。 1997年10月、金正日の北朝鮮国防委員会委員長推戴を記念する祝賀宴に参加した。 2000年第42回衆議院議員総選挙では東京1区で与謝野を破り当選した。同年、民主党東京都連会長に就任。同年12月には在日本朝鮮人総連合会の招請による民主党の訪朝団に参加し、北朝鮮を訪問した。 2002年には党政策調査会長に就任した。2003年、第43回衆議院議員総選挙では再度与謝野を破り当選した(与謝野も比例復活)。 2005年第44回衆議院議員総選挙に東京1区から民主党公認で出馬し、与謝野に敗れ落選。比例復活もできなかった。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙では東京1区から民主党公認で出馬し、与謝野を破り4年ぶりに当選した(与謝野も比例復活)。総選挙後、民主党選挙対策委員長代理に就任した。 2009年12月10日、小沢一郎を中心とした民主党議員143名、その他民主党支持者500名あまりが参加した小沢訪中団に参加。 2010年9月民主党代表選挙に一旦は出馬する意向を表明し、小沢一郎にも出馬の意向を伝えた。しかし、当の小沢が出馬の意向を示したため自身の出馬表明を撤回、代表選挙での小沢への投票を明言した。小沢は菅直人に敗れた。同年9月に発足した菅第1次改造内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)とともに内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)に就任し、初入閣した。また、国務大臣として宇宙開発担当の補職を受けた。 2011年1月、菅第2次改造内閣では経済産業大臣に横滑りした。この内閣改造では小選挙区のライバルである与謝野馨も入閣した。与謝野の入閣に関し、海江田は「人生というものは不条理だ」と感想を述べた。2011年4月11日、国務大臣として原子力経済被害担当の補職を受けた。 7月7日、原子力損害賠償支援機構法案の成立をめどに辞任する意向を表明し、8月12日には菅内閣が総辞職する前に辞任する意向を示した。8月19日、2011年民主党代表選挙に立候補する意向を固め、小沢一郎に支援を要請。会見では小沢の党員資格停止処分の見直しを示唆した。23日、内閣総辞職前の辞任を撤回。8月26日、菅直人内閣総理大臣に辞表を提出するが受理されず。同日、民主党代表選への出馬を正式表明。28日の討論会などでは、民主党のマニフェスト見直しに関する自民・公明両党との3党合意について「継続するかどうかは新執行部で決めるのがいい」と述べ、白紙で臨む考えを示した。 29日の代表選では1回目の投票で最多の143票を獲得。野田佳彦との決戦投票では177票を獲得したが、215票の野田に及ばなかった。この要因として、選挙戦で鹿野道彦陣営から山田正彦を引き抜き反発を招いたことや、TPPを推進する姿勢がぶれたことが挙げられている[14]。なお翌日の衆議院本会議における内閣総理大臣指名選挙では、小沢を慕う松木謙公より一票を投じられている[15]。 2011年9月野田内閣の発足に伴い経済産業大臣を退任し、衆議院財務金融委員長に就任。 2012年12月22日、野田代表(首相)の後任を決める代表選挙に立候補を表明した。 【人物】 趣味は漢詩、読書、絵画鑑賞 師事した野末陳平との関係から、「中国との縁が本格化した」という。漢詩に造詣が深く、2006年に私撰の詩集も出している。インタビューで「中学生の時から漢文が好き」だったと答えている。 生島ヒロシが会長である生島企画室にマネージメントを委託し、活動している。議員に落選した影響から、経済評論家として講演会などの活動も増やし、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」など積極的に出演している。 1996年に『僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由』という本を出版したが、2011年現在では小沢一郎との関係は良好であり、新しい衆議院議員会館では、海江田も籍を置く鳩山グループの所属議員の多くが使用する第一議員会館4階ではなく、小沢の側近議員が集められた同6階の一室を使用している。 北京紙、新京報は2011年8月27日付で、海江田について「中国文化を愛好し、対中関係に積極的」と評価。名前の由来や司馬遷の「史記」を愛読していること、北京の繁華街で買った中国メーカーのスーツを着用していることなどを好意的に紹介した。 悲しい政党に・・・・・・・・・・・・ぽちっとな
2012.12.25
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解っていたっとはいっても・・・・大阪市長と元・東京都知事が・・・・・あ~っそう・・・・嫌な感じに・・・・・ぽちっとな
2012.11.18
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党首討論で・・・・野田総理がいきなりの・・・・解散宣言(@o@;)小選挙区「一票の格差」ってそんなに大事なのかなぁ~私的には、解散の原因って違って欲しい・・・国民の事を考えての格差是正でなくて・・・政治家たちの・・ご都合って感じ?12月16日「衆議院選挙」「東京都知事選挙」と一緒かぁ~ややこしいなぁ~年末だから・・・じゃなくって誰が立候補するか知らないけど・・・何を比べて選んだら良いのでしょうね?足が重たくなりそうな選挙に・・・・・・・・ぽち。
2012.11.14
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アメリカ合衆国オバマ大統領・・・・再選。これからが大変ですね!田中はんも、色々と言われているけど・・・聞いたことも無い大学が、増えすぎだし・・・・ぽちっとな
2012.11.08
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2012年10月25日給料日だからかしら?いきなりの発表・・・・何だか色々と言いたい事があるみたいだけど!大阪のハシモトさんと・・・新党?総理大臣を目指すつもりなのか?・・・もう辞めて欲しいとりあえず・・・・ポチっと
2012.10.25
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自民党の総裁は・・・安倍さんかぁ~ ◎安倍 晋三 あべ しんぞう 1954年〈昭和29年〉9月21日~ 日本の政治家。衆議院議員(6期)。 自由民主党総裁(第25代)。 自由民主党幹事長(第37代)、内閣官房長官(第72代) 自由民主党総裁(第21代)、内閣総理大臣(第90代)などを歴任した。 ◎野田 佳彦 のだ よしひこ 1957年(昭和32年)5月20日~ 日本の政治家。 民主党所属の衆議院議員(5期)、 内閣総理大臣(第95代)、 民主党代表(第9代)。 千葉県議会議員(2期)、民主党国会対策委員長(第7・10代)、 花斉会会長(初代)、財務副大臣、財務大臣(第14代)などを歴任した。 ・・・・・とりあえずノーコメントでぽちよろしく
2012.09.26
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オスプレー反対署名したり・・・「原発」反対も頑張ったし・・・政府には、「耳」が無いのね!?つうか・・・米国には、逆らえない・・・経団連にも、反論できない・・・米軍が居なければ・・・中国が攻めてくる?あ~あ誰が、リーダーでも同じそんな国なんだ・・・JAPAN美しくないな・・・・JAPAN美しさの追求にぽちよろしく
2012.09.21
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最初に煽ったのは・・・日本なのかな?そっと、して置けば・・・こんな大事には!それは、今になって・・・言うのも関わり合いを持ちたくない人には・・・なるべく知らん顔をするけど・・・どうなのこの場合は、黙って見ているだけ・・・隣人に愛をと、思ったけどあっちが、死ぬほど嫌いだったとは!今更ながら・・・怖い・・・怖い怖い隣人にポチよろしく
2012.09.18
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エミchanと2人旅に行くと・・・その間に総理大臣が変わる!そんな事が・・・何度もあったけど・・・今回もちょっと危ない?野田総理の『問責』もんせき・・・・って、どうなの?危ない政府にポチよろしく
2012.08.29
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2009年6月17日(水)第2回「党首討論」麻生首相VS鳩山代表のお話47分間をそのまんま全部書いてみました。その5・・・最終回 第2回「党首討論」その1は、こちらをクリック・・・・・ポチッ!と 2009年5月27日 第1回「党首討論」その1は、こちらをクリック・・・・・ポチッ!と 麻生首相 「また、アニメの殿堂の話を具体例としてされましたけれども、これは何も、思いつきで私の段階から出たわけでもなんでもない。 これは前々に安倍内閣の時にスタートし、福田内閣でこれを企画をし、私の時に実行させていただいたという、それまでの経緯がございます。 少なくとも、われわれはこれからの日本のソフトパワーとしては、 コンテンツというものは、今、日本で約14兆円ぐらいのものがありますけれども、 14兆、世界では150兆のコンテンツ関係のものがあります。 これはこれからもさらに伸びるといわれる部門であります。 われわれとしては、映画、写真、いろいろとアニメ以外にもいっぱいありますが、 こうしたものをきちんとして、われわれとしては系統立てて、それを支援していく。 役人が、政治家がこの種のことに秀でていると思ったことはありません。 したがって、これは運営等々は、民間に基本的にやってもらうのが筋だということを申し上げてきておりますので、 思いつきで、何もやっているというわけでは全くないことだけは、私としては、誤解を招かれるような話になりすぎていると思っております(拍手)」 鳩山氏 「私は12兆円すべてが問題だと言ってるわけではありませんで、その中の8兆円のうちの半分が随意契約だと申しあげたんですよ。 ちゃんと、しっかりと聞いていただかないといけません。 その随契、私どもの計算では随意契約が4兆円となっています。 ですから今の、どちらが正しいのかをこれは私どもも、政府から計算をもらったデータでありますので、 どっちかが間違ってるんでしょう。それは、ひとつ、正しいものにしていかなきゃいけませんが、 われわれとすれば半分ほど随意契約があるな、という思いは、さまざまですね、今までの経験から感じているところであります」 「それから、アニメの殿堂の話がございました。 私は、アニメの殿堂のことは、申し上げたのは、(自民党の)河野太郎先生がそれは不要だということで申し上げた。 自民党の中から不要だという話が出たということで、そのことを政府としてどう考えているのかということを申しあげた話であります。 そこに117億円かける。 今、安倍(晋三元)首相の時からという話がありましたけれども、 補正予算ですよ。補正予算で組むのは、緊急的に本予算が終わった後、緊急的に必要になるところに組まれる予算でなければならないのに、 なんで安倍首相の時からの問題が起きて、考えられていたものが突然、補正予算に組まれるのかということが、 どう考えたっておかしいでしょ。それは私でなくたってこのおかしさは分かるはずであります。 私はただ、論点を変えて申しあげればですね、こういった箱物ですよ。 30兆円が土地だと承っておりますし、そのうち70兆円が箱物。そこで100兆円でしょ。あ、失礼、100億円。ごめんなさい。 30億円と100億円、合計100億円ということでありますが、 そのことで私が申し上げたいのは、コンクリートより人の方が大事じゃないかということを申し上げたい」 「すなわちですね、この3月、4月、自殺、どのくらいされたと思いますか。 自殺の数がですね、毎日100人です。日本で。そんな国、先進国でどこにもありません。 特に20代、30代の若い方々が自殺をされてしまっている。死因のトップですよ。 亡くなった原因の、20代の49%が自殺ですよ。49%。ほぼ半数が自ら命を絶たれてしまっている。 30代も36%。3人に1人以上が自ら命を絶たれてしまっている。 こんな国ないんです。先進国の中で、こんな若者の自殺が第1位なんて国ないんです。 そういう人たちを救うことが政府の役割じゃないですか。 私は1人の命も粗末にしないというのは、まさにそういう意味で申し上げているんであります」 「そのことをもしお分かりになっているならば、 なぜですね、生活保護を、あの母子家庭の母子加算、4月にカットしちゃったんですか。 200億円くらいでしょ。そのくらいのお金でできる話で。私はいろんなところから聞きましたよ。 小学校に入り立てのお嬢ちゃん。お母さんが生活保護、母子家庭。2万円切られてしまった。 そこでもう私は高校に行けないのね。その話、聞いたら涙が出ましたよ。高校に行けないのね。勉強したいのに。 高校に行ってる男の子。3人の兄弟のトップが高校1年生。彼も母子家庭。その方も修学旅行きたい。でも僕、修学旅行、行かなくてもいいよとお母さんに言ったそうです。 修学旅行、行きたくても行けない。高校、行きたくても行けない。こういう人たちがたくさん今、いるんです。 これが今、日本の現実なんです。 自ら命を絶たれる方も毎日100人おられるんです。 こういう方を救おうじゃないですか。 居場所を見いだせるような国にしようじゃないですか。 そのために、なんで一方で、私は、アニメの殿堂を全部、悪者にしたいと思ってない。 でも、アニメの殿堂のお金があれば、まず何で生活保護の家庭の母子加算に戻してあげないんですか。 そういう政治をやりたいんです。やろうじゃありませんか」 麻生氏 「まず最初に、2つ問題を分けておられますが、これ、時間も限られてますんで。あの、母子家庭の加算の話をされましたけども、これは母子家庭が置かれてます状況は実にさまざまであります。 従って、先ほどの1日100人とおっしゃいましたが、これは正確に言いますと、 過去10年間で毎年約3万人を超えております。それが実数でありまして、 ずっと毎年3万人を超えているのは異常だと、私も、確かこれは最初、去年のうちに所信(表明演説)かどこか本会議でこの数字を告げたと記憶を致しますが、 これは明らかに、鳩山代表、これは誰が考えても、おかしいです。 しかも1997、8年の、あの、たぶん、金融、アジアの経済金融危機、あの時ぐらいが数字的には日数としてあってるんだと思いますが、 その後ぐらいから急激に増えてきたというのが実数としてわれわれとして把握をしているところであります。 したがって、この問題は非常に大きな問題なんであって、これは裕福か裕福じゃないかにかかわらず出てきておるというところも加えて問題なところです」 「したがいまして、われわれは、母子家庭というものを1つ例に引かれましたけれども、 われわれはこれを一律というような今までのようなやり方ではなくて、 少なくともこれまで月額2万3000円というのを、一律母子加算というものを廃止をしましたが、 しかし、高校に行っておられる方々とかいうのに関しましては2万円。 また、ご存じのように働いておられる、いわゆるなんていうの、就労している場合には、に関しましては、これは1万円というのをきちんと出させていただいておりますし、 また、さらに今回の補正予算において職業訓練期間中などにおきましては生活費の支援というものは、職業訓練の間は働けませんから、そういった意味では生活費の支援として、われわれとしては最大3年間では限らせていただきましたが、 14万円というものを給付するという制度も創設をしたわけでありまして、はっきり母子家庭を支援していくという視点は、はっきりしておると思います」 「時間なんですか? はい。あと1分だということなんで、これで終わらせていただきますが、話が途中になってるというとこもありますし、 われわれとしては間違いなく、安全保障の問題。 なんとなく、となりの朝鮮半島の話など、いろいろなお話を伺っておりますと、どう考えても(米海軍)第7艦隊さえいれば大丈夫だと。ね。 第7艦隊だけいれば十分だという話が出てきてみたり。 われわれとしては日米安全保障条約を確固たるものにするのが今、われわれとしてもっとも大事なところなんじゃないかと。私は基本的にそう思っております。 第7艦隊だけで日本の安全が守れるであろうか、ということに関しましては、われわれとしては明らかに偏っていると思っておりますので、ぜひそういう意味では、われわれとしては、こういったことをきちんと対応するために、ぜひ委員長に、時間だと思いますが、 次回、早急にこの問題に関しまして、財源の問題、財源を話さない政策などというものは無責任だと思っておりますから、 財源の問題、そして安全保障の問題、この2つに関して改めて党首討論を開催していただくようぜひよろしくお願い申しあげます」 鳩山氏 「今、ご提案ありましたから、まったく異論はありません。 なにか突然に安全保障の話を最後にふられて、聞いておられる国民の皆さんもあぜんとされたんではないかと思いますが。 私どもは、民主党と自民党の政策の違いというものを分かりやすく説明をしようとして、今日は参りました。 その意味で、コンクリートではなくて、 人を大事にする政治だと。 官僚任せではないと。国民の皆さんの視点にあった、そういう政治を作りたいと。 縦の利権型社会ではなくて、横のきずなの社会を作りたいんだと。 中央集権ではなくて、地域主権の世の中に変えたいんだと。 こういう議論をですね、大いにこれからやりながら、国民の皆さんがなぜ麻生政権に対して残念ながら愛想を尽かしておられるのか、 そう言ったことも明らかにしてまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いします」 何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→討論ありがとう クリック無料 ぼちぼち・・・「ロシア旅日記」に続くのでヨロピク!
2009.06.18
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麻生首相 「鳩山代表は前回の党首討論の中においても、4500の団体に、2万5000人の天下りOBがいて、 そこに12・1兆円のいわゆる国の予算が流れていると主張をされておられました。 12兆1000億円のほとんどというものは、これ、よーく調べていただかないといかんところだと思いますが、 国立大学、私立大学などなど、教育に1兆2000億円出しております。 また、独立行政法人に3兆7000億円入れておりますが、 この中には、住宅金融支援機構に3000億円など、いろいろ例を挙げて出てまいりますが、 われわれは、この間の話を聞いておりますと、これ全部足して申し上げてもいいですよ、これ。時間がもったいないんだと思って申し上げないだけなんですが、 民主党は12兆1000億円が全部、天下りOBの人件費かのごとく話をされておられますが、 これは12兆1000億円のうち、人件費は0・8%です。0・8%しか使われていない」 「残りの部分につきましては、今申し上げたような例をかければ金額が出てきますけれども、 学校の問題に関しましても、少なくとも、こういった支援というものを、 きちんと私立大学なり国立大学にしなければ、国立大学の授業料、今、50万円だと思いますが、 ただちに5倍。250万円ぐらいにならないと計算が合わん。そういったようなことができるんでしょうか。 私は基本的に、そういった点を一つ一つ、私どもは詰めた上で申し上げておりますんで、 いかにも、2000、何って言ったっけ? 12兆1000億円がすべて人件費かのごとき話をされると、いかがなものか、という形を致しております」 「また、210兆円の話が出ましたけれども、ご存じのように、これは国債費80兆円。ご存じの通りです。 また、社会保障関係費70兆円。これで150兆円であります。 また、地方交付税関係で20兆円出ております。 したがって、これで170兆円。 そして財投(財政投融資)に約10兆円出ておりますんで、 残り約30兆円ということになりますが、その30兆円の中には、もちろん文教関係の中に、これが6・5兆いくらか出ておりますんで、 そういったのを足していきますと、この中からいきなり210兆円から、こうやって振ってたら、20兆円出てくるかのごとき話には、私どもとしては、とてもではないけど、そういった話は現実論を欠いておるのではないか(拍手)。 私どもはそう思っております。少なくとも、こういったようなことを、精査していただかないといかん話なのであって、 現実論を言っていただかないと、どこがどういう具合なのかという点をきちんと言っていただかないと、今申し上げたような極めて不安感をわれわれは持たざるを得ないと。そういう風に思っております」 鳩山氏 「だから、最初から私の話を聞いてくださいと申し上げているんでありますけれども、 これは210兆円を官僚のやり方の仕分けをするのではなくて、 私どもがきちんと別の費目で検討し直したんですよ。 それで、さっき言ったじゃないですか。施設費とか、人件費とか、そういうものに分けるんで、 社会保障費というものの中でも、全部がまったく切れないものではないんですよ。 その中にも切れるものがあるんです。 それを、われわれが点検をした中で、 210兆円の中で、70兆円はそれで積み上げることができる。 この70兆円の中の10兆円程度ならば、十分に無駄だと考えてなくしたり、 あるいは、今、急がなくてもいいから、後回しにしたっていいだろうというものを見いだすことができると。 さきほどから、そう話をしたのに、いわゆる官僚任せに、ペーパーをそのまま棒読みされるから、 結果として、間違った認識をそのまま持ってしまわれるのではないか。そう指摘せざるを得ないんであります(拍手)」 「それからですね、前回の党首討論の時に、確かに私が申し上げました。トータルで12兆1000億円。 4500の天下り団体に2万5000人が天下っている。 そのことを指摘を申し上げたら、こともあろうに、細田博之幹事長から、質問、公開質問状なんてものが来ました。 ちょっとこれはいくらなんでも失礼な話でねぇ、今、まさに麻生総理と私との間のこういった議論を通じて解明すればいいのに、 何ですか、この、顔もみないでペーパーだけ出して、これはいつまでに答えてくれなければいけませんと。 これは大変、失礼な話だなと。ご無礼なことだなと思っておりますので、2度とこういうことはなさらないでいただきたい。私の方からきちんとお答えしますから」 「あの中に書いてあること。私は、政府に調べていただいて、それをペーパーにして、その中で読んだわけでありますので、その数字は正しい数字でありまして、決して間違っているわけではありません。 一つ一つ、それを政府答弁として、私が国民の皆様方に、この党首討論でお話しした数字は決して間違っているわけではありません。 その12兆1000億円のなかで、よく聞いていただきたい。 8兆4000億円だと思いますが、その中の半分以上、随契なんです。 随意契約であります。すなわち、随契、防衛装備なども入っていますよ。 当然のことながら、それだって減らせない話じゃないでしょう。かなり相当高く見積もったものが、 いろいろ出てきたことが指摘されているじゃありませんか。こういう1つ1つをチェックをしていけば、 私どもとすれば、すべて12兆1000億円全部が無駄なんてことは言ってませんよ。 一言も言っていませんよ。その中に、かなりの部分、削減できるものがあるんではないですか、と言ったんです」 「人件費なんて言葉も、一言も使った覚えはありません。人件費がごく、ごくごくわずかであることは十分に理解をしています。 だからこそ、随契とかそういう話を申し上げているわけじゃありませんか。 ぜひ、そこのところはですね、政府なんですから。われわれは、予算を組める状況ではない。 皆さん方が予算を組んでおられるわけだから、 もっと一つ一つの中身を点検して、本当に無駄がないのかどうかをチェックをしてくださいよ(『そうだ』の掛け声。拍手)。 政権をとれば、当然、われわれがチェックをいたしますが、政権をとる前は、あなた方がチェックするしかないんです」 「じゃあ、あなた方は、たとえば、河野太郎先生などが中心となって事業仕分けで、 たとえば、アニメの殿堂(国立メディア芸術総合センター)は無駄なんて話が出てまいりましたけれども、 そういう議論は政府の中ではまじめにされてないんですか。 無駄遣いはないと本当に麻生総理は思っておられるのかどうか、お聞きしたい(拍手)」 麻生首相 「まず最初に、随意契約から入られましたが、随意契約というものは、約12兆円の約半分が随意契約という表現を使っておられましたが、 これは計算をしてみますと、競争入札以外はすべて随意契約という計算でこれはできあがったんだと、理解を致しております。 しかし、財政投融資資金なんかの貸し付けなんていうものは、これはそもそも、随意契約であろうはずはありませんから、 それはいくら何たって、それを全部入札といわれるのはいかがなものかと。 随意契約としてカウントしておられるのは、ちょっと正直申し上げて、おかしいんじゃないかと思っております。 随意契約に、また、いろいろな、いろんな意味で、たとえば、(旧)防衛施設庁なんかのライセンス契約というようなものも、 これは随意契約というものになりますんで、われわれの計算では正直申し上げて、ええ、なんて言ったっけ、 随意契約といわれるものが、約2兆円ございます。 2兆円ありますが、われわれがいう随意契約と、世間一般で言われる随意契約というもんだと思います。 これが約2兆円ありますが、そのうちの約半分が防衛施設庁関係の、防衛庁関係のものだという点でありますんで、 まず、いかにも、随意契約の半分以上が勝手に役人がやっているがごとき印象を与えるのは間違っていると思います。それがまず第一点であります」 「また、無駄ということに関しましては、われわれは当然のこととして、無駄が全くないと、一つもないというほど、私はすべての人間が完璧だと思ったことはありません。 しかし、われわれとしては極力、無駄をなくすように努力をし続ける。 不断の努力をし続けるのは当然なんであって、これは選良として、政府側の人間としては、当然のこととして、この種のものに対しては、目を光らせる義務、責任というものは、みな一様に負っている。 なかんずく、そこに担当致します閣僚ともなれば、当然のことに、それはやらざるを得ない。 またやらねばならん大事な大事な仕事だと、私どももそう思っております。 いかにも、何となく、民主党になったら、すべての無駄がなくなるがごとき話は、とてもではないけど、 われわれとしては、そんな簡単にいくもんでもありませんし、双方、この点は無駄だと言われるご指摘を入れれば、それはわれわれとしても、それを受け入れて、そういったものを調べて、対応をしていくもんだと思っております」 =(5)に続く
2009.06.18
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麻生首相 「われわれとして、今医者の数が足りない。看護婦の数が足りないという事態。特に地域においては、地域ごとに格差がある。 看護師、医者、いろいろ地域ごとに差がございます。そういった点は、これは大きな問題だと思っております。 地域格差が出ておるという点では。昔は医者は余っているといわれた時代がありました。 その時にあわせて、いろいろ、医学部の定員を削減したりもいたしましたが、今は逆に足りないという事態になっております。 それにあわせて、われわれも当然それに対応することにいたしておりますが、 その問題に関しまして、われわれも同様に医者の数を増やさねばならん。看護師もということを考えておるわけですが、 同時に考えなければならんのは、医者を新たに養成するのには10年くらいの年数がかかります。その10年間どうするのか。 ただ医者を今から学部の数を増やして医者だけ、医者の卵を今からインターンを始めてやるのは、かなりの時間差ができるというのはわれわれが考えなければならんのが大きな問題であって、 そのためにはどのような対応ができるのかということも含めて、今検討をいたしている最中でございます。 これは正直申し上げて、これは現実問題かなり厳しい問題でありまして、辞めた方もぜひもう1回というお話をしてみたり、 結婚されて退職された看護師、看護婦に対し、ぜひ再就職をやる気はないかという話もいたしております」 「ただ、いずれにいたしましても、これは毎年1兆円ぐらいずつ増えてまいります社会保障費の中で、われわれはそれに対する財源の手当てもしなければならん。 私は基本的に、これは大きな問題と思っております。 少子高齢化というのが、間違いない現実となってきております。 今の中においては。この財源問題なくしてわれわれはこの問題に対応できないと思っております。 したがいましてわれわれとしては、こういう状況下にあっては、 財源の手当てとしては、少なくとも広く薄く、国民に負担をお願いせざるを得ないと思っております。 そう思って3年後、景気が少なくとも回復してきたという状況の中において、 経済が好転したという段階においては、消費税を含めた税の抜本改正というものをやらせていただき、 新たに増えます分に対する対応、新たに増えますというのは社会保障関係の対応につきまして、 それに個別、まあ、何、勘定科目を分けるというのですが、そういうようなことをきちんとさせていただきまして、 いわゆる社会保障関係がきちんと手当てできるようにする」 「財源というものに対し、消費税というのは避けて通れないと思っておりますが。 鳩山代表の話を聞いておりましたら、 この間の党首討論で岡田代表、岡田代表じゃない、 代表候補者のお話との話の中においては、少なくとも消費税の話はしないという話になっているというように聞こえましたけれど、 消費税の論議を避けて通るというのは財源を避けて通るということになると思いますが、 それに関しましてはどのように財源を考えておられるのか。なぜならば、財源というものはがなければ少なくともこういう話は極めて無責任なことになりますので、 財源というものをきちんと提示してこそ初めて政策が実現しうると、われわれはそう思っておりますので、ぜひ、この財源についてのご見解をいただければと存じます」 鳩山氏 「私は今お話をうかがって、人の命より財源の方が大事かなと。やはり私は人の命をまず大事にする政治というものを作る。 そのためには、必要な財源をまず投入すべきではないですか。 それを最初から財源の制約というものを、財務省に言われて作った『社会保障費といえども聖域ではない』という、間違った論理の中で2200億円の財源、増えるべきものがカットされてきた。 それがこんなありさまになってしまったんじゃないですか。 財源の議論を私はするなというつもりはないんです。 しかし人の命というものを、もっともっと大切にする。 それが政治のあり方で、官僚任せにする政治が、どうしてもコンクリートの方が大事で、 人の命というものを粗末にしてしまう政治に成り下がってしまっている。 ここを変えなければならないと申し上げています」 「財源のお話をされました。そのご質問をいただいたわけですから、私からお答えいたしたいと思います。 財源の手当てというのはご案内のように3種類あります。 1つは増税をすること、1つは借金をすること、 1つは無駄遣いをなくすことです。 私どもは優先順位をまず、無駄遣いをなくすということに、徹底的に無駄遣いをなくしたいという方向からスタートしたいのです」 「今の政府は官僚任せにされているものですから、財源論のすぐ話になって、 本来ならば消費税を上げないで済む話なのに、 すなわち無駄遣いを徹底的に見直すという部分を、官僚主導でやられているもんだから、 どこにも無駄がありませんという話になって、ならば減らせませんねと、減らせませんからしょうがありませんねと。 借金をしましょう、借金でも足りなければ後は消費税の増税ですね。そういう話にすぐ変わってしまうのです。 私どもはその前にやることがあるでしょうと。 私どもは政権を取ったときに、 まず4年間、消費税の議論にすぐ答えを出すんではなくて、 これは官僚の抵抗がものすごく予想されますから、それに対して各省庁、事業仕分けなどをお互いにやっておりますけれど、 事業仕分けなどを徹底的に行ってどのぐらい無駄があるか、いうことを点検しなければいけない。 われわれが政権を取れば、 あの川辺川ダムとか、八ツ場ダムとか、もう古くなった、今のご時世にあわないような大型の公共事業は基本的にやめようと思っています。 そういうことをしながらですね、財源を生み出していく。 私どもは無駄遣いを減らしていく。不要不急のものは後にしたっていいじゃないですか。 私どもはですね、20兆円ぐらい新しい、新しい政策というものに予算を計上したいと思っているのです」 「皆さん方からいうと『そんな財源どこにありますか』と、必ずそういう話になるんです。 だからお話を申し上げたいと思っているのです。一般会計と特別会計を合わせると210兆円あります。 この210兆円の中で、社会保障費、国債費、こういったものはどうしても削れないのは分かっております。 費目をいろいろ検討した中で、 公共事業、施設費、人件費、補助金、こういったものを合わせると70兆円くらいになるんです。 この70兆円の中の10兆円程度、私どもは、例えば随意契約を見直すとか、 不要不急なものを後に回すとかして、当然の話でわれわれは10兆円くらい削減できると考えているんです。 それをやるかやらないかは、官僚任せにしている政権はできない。 でも官僚任せでない、国民の皆さんと一緒に歩む民主党ならできる。 その発想で私どもはやらせていただく。だからこのようなことを行っていけば、 決して今すぐに消費税の増税の議論に陥る必要はないんです。 すなわち4年間の間、 われわれが政権をとっても 消費税の増税はしないとここに明言をしておきます。 これでよろしいでしょうか」 =(4)に続く
2009.06.18
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鳩山氏 「もし最初からそう思っておられるならば、なんでこんなに時間がかかったのかという話になります。 もっと、あっと言う間に結論を出してもよかったはずではないかと思います」 「一時は少なくとも2月の段階では『私はもともと郵政民営化には賛成ではなかった』みたいな発言があったりしたと、 その中で、リストがどうのこうのと。あまりこの中に入り込むつもりは、毛頭ありませんが、 国民の皆様方との期待のずれというものがあまりにも大きかったということは指摘しておかなければなりません」 「特に『かんぽの宿』の問題をはじめとする大変な不祥事、あるいは不祥事に極めて近いような状況に対して、 私どもは、もうすでに他の野党、国民新党さん、そして社民党さんとともに、告発を、西川社長さんにしているところでございま」 「したがいまして、私どもが政権を獲得したときには、西川社長さんにはお辞めになっていただくしかないなと、 そんなふうに感じているところでございまして、これは当然、国民の皆様方の世論というものを、 しっかり受け止めた中で、政権、連立政権を樹立した暁には、そのような行動というものもとりたい。 であるとするならば、今のうちにお辞にさせておかれた方がよろしいのではないかな、そのようにあえて申しあげておきます」 「私が、続いてやはり、申しあげておきたい。あるいは、これは大変大きな問題でありますだけに、 総理の方からお尋ねがあるのではないかと思いますので、私の方から先に申しあげておきたいことがございます。 それは北朝鮮の核実験、ミサイル発射の問題をとらえた国連安保理1874に対する採択の問題でございます」 「私は、採択がされたことは大いに歓迎をすべきことだ。 国際社会の中で何としても北朝鮮に少なくとも、慎重に行動をしてもらわなければならないわけでございまして、 その意味においては、一方では厳しく行いながら、他方では熟慮をうまく行うという外交が求められている。 日米韓のしっかりとした連係プレーというものが必要であることを、私は先般、韓国に参りまして、李明博大統領にもそのことを強く申しあげてきたところでありまして、 これは総理も、ご異存がないところだと思います」 「したがいまして、いわゆる貨物検査に関する新法が必要だということであれば、大いに議論をしたいと、そのように思っておりますので、早く法案を出していただきたい。 白紙委任をいくらなんでも、するわけにはいきませんので、ぜひ早く、法案をご準備をいただければ、われわれとしても、できるだけ早く結論を出すことをお約束を申しあげたい」 麻生首相 「まず、まず最初に政権を獲られたときには、郵政会社の社長の首を、解任させると、まあ、解任させるというご意見でしたが、 世論だからということをおっしゃっておられましたが、私は民間会社の人事というものを世論で決めるべきかと。 ましてや、それを政府が世論をバックに解任すべきかということに関してましては、 極めて慎重であらねばならぬと最初に申しあげております。 うかつにやるべきものではない。私は基本的にそう思っております。まずこれが第一点です」 「加えて、この西川さんという方の行状、または、いろいろな問題点につきましては、いろいろあるんだと思います。 行状という言葉が正しいと思いますが。私につきましては、いろいろあると思いますから、 あえて行状という言葉を使わせていただきました、はい。 私がこの方がしておられましたことに関して、いろいろご意見は多々ありますのでは十分、あの、私どもとしても知っております」 「ただ、基本的には、仮にも、民間会社になったというんであれば、その会社の行動というものにつきましては、 会社の中においてきちんと対応すべきが筋なんであって、われわれとしてはそれは少なくとも取締役という会の決まる前までにいろいろ株主として発言をする、 またそれに対していろんな話をするというのは、決して間違っていないとは思います」 「しかし、決まった、取締役会ですでに決定された後に、ということになるのは、問題だというので、早めの対応をということを申しあげておりましたが、 やっておるということでしたけど、なかなかそのように結論が至らなかったがゆえに長引いた、という形になっているという点もご理解いただきたいと思います」 「北朝鮮の話がありましたが、北朝鮮のことに関しましては、これは極東というか、北朝鮮半島に限らず、 このアジア、もちろんのこと、世界の平和と安定にとっても極めて危惧(きぐ)すべき重大な案件。 ましてや隣国の日本にとりましては重大な案件であります」 「従いましてこれに対応するためには、 核実験が2回目に行われた後には、私としてはブッシュ(オバマ)大統領に、 また、国連安保理のP5(常任理事国)のメンバーであります方々に電話をし、もちろん韓国にも。 いろんな電話連絡などなど、いろいろさせていただいて、今回のP5の1874に関しましても、 少なくとも時間はかかりましたけれども、前回の決議文に関しては、はるかに厳しいものが出されたというのは、 それなりの成果だと思います。少なくとも圧力というものをもってして、はじめて世界のメッセージ、 世界の世論というものが先方に伝わるんだと思っております」 「したがって今回の対応というものは、全会一致で1874が執行された、 決議されたということはこれを受けて、われわれとしては、その中で、各国に要請をされているものを含めまして、 われわれはそれに真摯(しんし)に答えてという必要があろうと思いますんで、今、ご提案のありました、いわゆる船舶検査とかいろんな表現がありますが、 船舶法だけ直せばいいという話ではなくて、いろいろな問題が関連いたしますけれども、ぜひ早急にこれを提出させていただきたいとわれわれもそう思っておりますので、 ぜひ、この点に関してましては、両党一致して、与野党一致して早急な結論が得たいものだと私どももそう思っております」 鳩山氏 「北朝鮮に関しては前置きがかなり長かったわけでありますが、私どもも、これは中身をしっかりと精査をしながら、協力をすべきところは協力を申しあげたい。 しかも、事実がそれほど長く国会があるわけではありませんし、解散・総選挙の時期も迫っていると理解をしている中で、できるだけ早くお出しを願いたい、そこを改めて申しあげておきたいと存じます。 今日、これから申しあげたいことは、私どもの政策と政府、あるいは与党の政策との違うというものをできるだけ、 際立たせていくために、いくつかの論点で議論申しあげたいと思います」 「その一つは医療問題でございます。私は1人の命も粗末にしないそんな日本の社会をつくらなきゃならないと思っています。 ところがどうでしょうか。 もう医療関係にまつわる、さまざまな事件事故が相次いでおります。 つい先般も出産中に重体となられた妊婦さん、19カ所の病院に断られてついに亡くなられてしまわれた。ご案内かと思います。同じような事件事故はたくさんございます」 「自宅でお生まれになった未熟児の赤ちゃんが7カ所、病院に断られてしまって、最終的に新生児の集中治療室がない、その病院に連れていかれて、結局亡くなってしまった。 こういう事故が、事件がたたないわけでございます。 これをいろいろと当然、政府の皆さんもご苦労されておられることだとは思いますが、 私はこういったことがなくなるような社会を何としてもつくり上げていくことが最優先の課題ではないか、そのように思っておるのでございます」 「そして、そのことをさまざま勉強してまいりますと、やっぱり決定的なのは、医師の数が不足をしているということ。それから看護師の数も不足をしているということ。私どもはやはり医学部の定員を例えば5割増しにするというようなことなど早急に手当てをしなければならないことだと思います」 「さらには、あの2006年からでしょうか、社会保障費、これも聖域ではないという発言の中で、 2200億円がどんどん削られてしまったということ、 大変な国民にとっての災難であったとそのように思います。 診療報酬もずっとしばらくの間、下がり続けていたわけであります。 私どもも、診療報酬に対してすべてとはいいませんが、平均して2割上がるぐらいの診療報酬に戻さないと厳しいのではないかと、 そのようにも感じているところでありまして、都合8000億円程度がどうしても今、緊急に手当てをする必要があるのではないか。 そのように私どもは計算をいたしております。このような医療の問題、最優先しなければならない人の命の問題に関して、 麻生総理はどのようにお考えになっておられるのか、お聞かせを願いたい」 =(3)に続く
2009.06.18
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2009年6月17日(第2回)麻生太郎首相(自民党総裁)と、民主党の鳩山由紀夫代表との党首討論を行った。 第1回=党首討論に続き・・・第2回=党首討論の全文をそのまんま書きました。 鳩山氏 「私は国民の代表の思いで、政府の代表の首相に対して議論を致したいと思います。 その中で、民主党と民主党の政策の違いというものを明らかにして参りたいと存じます」 「まず最初に、実はこの話をすることを、必ずしも民主党の同僚議員から止められているのでありますが、 あえて国民の皆様の最大の関心事に触れないわけにいきませんので申しあげたいと存じます。 それは日本郵政の西川(善文)社長さんの続投問題でございます」 「この件に関しまして、私は国民の皆様方の総理に対する支持率が大変、落下した大きな原因を作ったと思っています。 なぜならば、判断ができない、判断がぶれる、判断が間違える。この3つ。 国民に取ってみれば一国の総理大臣が重要な判断に対して、なかなか結論が出せなかった。 そして、途中で判断が変わった。そして、私からみれば、あるいは国民の多くから見れば間違った方の首を切ったのではないか。そう思っておるのでございます」 「このような判断、国民の皆様方にとって、これでは首相の器としていかがなものかと思われるのは当然ではないかと思いますが、もし反論があればお聞かせを願いたい」 麻生首相 「われわれも国会議員であれば、皆、国民の代表、選良だということをまず最初にお断りをしておきたいと思います。 郵政民営化のお話に関しての話が最初から、あの、郵政民営化って、郵政会社に関するお話がありましたけども、 私は郵政株式会社っていうか郵政会社は、これは民営化された会社です。 100%政府が株を持っているとはいえ、間違いなくこれは株式会社でありますんで、 そういうような株式会社、民営化された株式会社に対して、政府の介入というものは最小限にとどめることは当然のことだと私はそう思っております。 民間会社というのは民営化というその趣旨からしても、人事に介入するというのは特に慎重であるべきだと思っております」 「従いまして、日本郵政の人事にいろいろな点で問題がある、というんであれば、これは明らかに業務改善命令というもの等々、出されおるわけでありますから、 それに基づいて郵政会社が結論を出されるのは、これは取締役会で出されることになりますので、 取締役会までに結論をおろされておくべき、ということで、早い時点からこの点を申しあげておきましたけれども、 残念ながら、この対応はできなかったと、私はそう理解を致しております。 従いまして、このような状況の中において、混乱を招いているという感じはいかがなものか、ということでありましたので、 私としては、首相、総裁としての人事権が及んでおりますのは、これは郵政会社ではなくて、間違いなく内閣側にありますので、 この問題に関しましては、担当大臣というものの辞表を受理したということであります」 「また、西川社長につきましては今後、新任されました(佐藤勉)総務相の下で業務改善命令に従って対応していかれるということになりますので、 この改善状況を見た上でよく判断をしたいと思っております。 少なくとも総務相というものは事実を踏まえて、法律に基づいてきちんと対応されてしかるべきなんだと、 私は基本的にそう思っておりますので、ぶれておるとか、ぶれていないとか、 結論が出るまでの間、いろいろなご意見を聞くのは当然のことだと思いますが、結論が出た後は速やかに実行するというものだと思っております」 =(その2)に続く
2009.06.18
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「党首討論」タロウちゃんが、やを買ったお話のつづきです政治とカネ 麻生首相「いろいろご意見があるようですけども、まず最初に、先ほどのお話をうかがって、一つだけどうしても気になったことがありますんで、ここだけ再確認させていただきたいのですが、正しいことをやったのに秘書が逮捕されたといわれたんですか」 鳩山氏「本人としては、政治資金規正法にのっとってすべて行ったにもかかわらずと。これは本人が昨日、保釈をされました。そのときの弁であります」 麻生首相「基本的にご本人の話であって、正しいと思ってやったけれども、法を違反していたという話はよくある話ですから。少なくとも、それをもって国策捜査のごとき話にすり替えられるのは、本人が正しいと思ったというお話ですけれども、本人が正しいと思ったことであっても、少なくとも間違った場合は逮捕されるということは、十分にある。それは国策捜査ということには当たらないのではないかと私どもは基本的にそう思っております」 補正予算案 麻生首相「また、いろいろな今、国の予算の話がありましたけれども、まず基本的にはわれわれは今回の複数年度の予算、単年度ではなくて、複数年度の予算編成を、ということを考えないと、今回の危機には対応できないと私どもはそう思っております。したがいまして、われわれとしては複数年度の予算をするための考え方の一つとして基金というものを使わせていただいたというのが基本であります。したがって、今回の経済危機に対応するにあたって、きちんとした対応をしていたというようにご理解いただければと思っております」 「また、東京の外環の道路の話にしても、その他、長期間かかるものに関しましては、われわれとしては今年度のものを考えた場合、時間としては、われわれとしては当然ある程度の時間がかかるというのは当然のことだと思う」 麻生首相「また自動車、テレビのお話がありましたけれども、少なくとも御党では確か、次の中期目標に関しましては、確か(温室効果ガスの削減を)最大限22%か、1990年比で。確かそういう目標を、極めて高い目標を掲げておられました。それを達成するためには、その目標を達成するためには、われわれとしてはかなり個人の経費がかかるということも覚悟していただかなければならない。私どもはそういうご意見が出されておりましたけれども、少なくとも可処分所得で、22万円、新たにかかることになります。加えて光熱費も14万円かかる。合計36万円もの支出がかかるということを世論が認めているかといえば、多くの世論はそれに対して反対のパブコメ(パブリック・コメント)を寄せておられるというのもご存じの通りです」 「したがって、きちんとした対応というものを考えないと、理想だけ掲げても現実論として、それだけの経費負担を国民が払うということに関しては理解が得られない。われわれはそれに対して、きちんとした対応をわれわれなりに考えさせていただいた結果であります」 今後の党首討論 鳩山氏「何かね、意味のない答弁を長くされて時間だけつぶされて、これで党首討論だといわれたら、もったいないですよ、国民の皆さんに。本当に残念でなりません。結局、皆さん方の考え方は官僚に依存をして予算を組む。しかし、ほとんどが借金だと。借金で、これはやっていられないから、2年後には消費税の増税だと。そんなメチャクチャなですね、予算を組むような政府には早くご退出を願うように私ども全力を尽くしてまいりたいと思います。まず国民の皆さま方が新しい政治を起こすために協力をしていただいて、そのことで誇りに思えるような国をぜひ作っていきたいと思いますから、これからもどうぞ党首討論、存分にやろうじゃありませんか。終わります」 麻生首相「あの、一言だけ。今後のこともありますので、一言だけお答えします。答弁が長すぎるというお話でしたけれども、これは討論であって、答弁ではありませんので。今後とも討論をさせていただく上には、答弁を求めるというようなかたちではなく、討論を申し込んでいただくようにお願い申し上げます」 ・・・・・・・・・こんな感じで「党首討論」がありました!内容に関しては、何とも言えませんが・・・・お互いに意見を言い合うのは、良い事だと思ったので全文を書いてみました。おわり何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→討論ありがとう そろそろ旅日記に戻りたい きらりの旅日記【世界遺産】ロシア・サンクトペテルブルク 「エルミタージュ美術館」大使の階段にて
2009.05.28
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怪しいお金についてのお話・・・・・その4政治とカネ 麻生首相「あの、まず最初に企業・団体献金の話ですけれども、私どもの聞いている範囲では、明らかに後援会というものには、企業団体から献金はできなくなっているんじゃないですか。基本的にそうなっていると思いますでしょ。そこに明らかに出されたと思われているから、こういった話になったんだということじゃないですか。私どもは、その点が、一番肝心なとこで、それが一番多くの疑念を抱かれているのに対して、説明責任をきちんと果たしておられますかと聞いておるんであります。責任を果たしておられないという世論というものにあわせて、代表を引かれたんだというのはそれなりだと思いますが、その後すぐ代表代行になられました」 「またその後、そのときには一心同体だとか、殉ずるときには殉ずると言っておられた方(鳩山由紀夫氏)が、そのまま代表になっておられますんで、そういった意味ではわれわれとしては、なかなか、あれ、この間の話とは違うではないかと、正直にそう思っております。従いまして、言葉というものは極めて大事にしなくちゃいかんと思いますんで、私どもとしてはそういったようなことを、私どもとしては大事に、というのはすごく、われわれとしては今後とも政治というものの信頼を回復していく上でもものすごく大事なことだと思っております」 「企業献金につきましては、先ほど、ご答弁を申し上げたと思いますが、企業献金というものについては、企業にも社会の一構成員としての立派な存在意義があると思っております。きちんとした法律で認められておりますので、その企業・団体献金は、きちんとした政党に出さなければならないというルールに決まっておりますので、そういった形で政党に企業が、企業としての献金をするということに関しては、われわれが論議して認めたルールなんではないですか」 麻生首相「そういったことを考えた上で、もちろん、団体、労働組合含めまして、団体からのいろいろな献金というものが、いろんな形でなされているのはご存じの通りでしょ。そういった意味でわれわれとしては、今申し上げたような形をきちんとした形で対応していくという、これまでの経緯がありますので、いろいろ論議をされるというのは全然問題はない。われわれは、私どもは、前から、それは大いに賛成ですとずっと申しあげてきていると思っておりますんで、これは政党間でいろいろ話をしていかなきゃならんのであって、私の申し上げているのは、今回の、端を発した、もともとの話をきちんとこの企業・団体献金の禁止にすり替えるのはいかがなものかということを申し上げているのであります。ぜひ、その点が、私どもと一番論旨が違っているところだと思っています」 天下り 麻生首相「また今の話に関しましては、天下りの話に関しては、法律によって向こう3年間、天下り、渡りということに関しては認められておりましたけれども、私のときに、渡りに関しては、天下りに関しましては、いずれも本年から禁止ということにいたしたと記憶いたします。したがいまして、そういった3年以内の話を、きちんとした対応をしたというのも、われわれははっきりした対応をしてきていると思っておりますんで、今、その種の問題というものを、今後とも、いろいろな随意契約の話、また、入札の話、われわれは今後ともこういったものが、きちんとした開かれた形でやれるように、今後とも努力をしていかなきゃならないと基本的にそう思っております」 政治とカネ 鳩山氏「何か積極的にやっていただけるのか、やっていただけないのかさっぱり分からないご答弁でありました。ただ、ぜひ企業・団体献金、われわれ、すり替えの議論をしているつもりは全くありません。李下に冠を正さずという言葉をお送りしておきたいと思いますし、ぜひですね、正しいことをやっていた、全部オープンにしていた。でもそのことによっても逮捕されてしまった。ならばその元を絶たなければいけないでしょうということで、われわれは、(やじに対し)うるさいですね、ちょっと静かにしてください。だからこそ、私たちは元を正そうじゃないか、元を断とうではないか。私も企業・団体献金を最初からすべて悪だと決めつけるつもりはありません。しかし、現実の問題として、このようないろんな事件が起きてしまう。このことによって、政治に対する信頼が失われる。この繰り返しだけは、もう避けなきゃいけない。小沢(一郎)代表代行だけの話じゃないですよ。そちら側にもむしろ数としてはあまりにも多く同じことを起こしている方がたくさんいるのに、何もおとがめないということの方が、私にはよっぽどおかしな話だなと、そう思っています。ただ、この話を繰り返していても、まさにせんのない話で、ぜひ、われわれ法案を出しますから、皆さん方のご協力で成立をしていただきたい。重ねてそのことをお願いしておきます」補正予算案 鳩山氏「それから、あまりにもね、メチャクチャな補正予算であることは、あなた方が一番お分かりになっていると思います。これは官僚任せの弊害、極まれりという話でありますが、もう総理がアニメの殿堂、アニメがお好きなことはおわかりですけれども、117億円をなんで、ソフトパワーが重要なのは分かりますけれども、ハコモノにそんなお金を使う必要があるのか。このことが逆に、いわゆるマンガ喫茶の民業圧迫になるじゃありませんか。そういうことを平然と行ってしまう」 「それから役所にだけはですよ、71億円もかけて地デジ対応のテレビを入れるっていうんでしょ。7万1000台をなんで国民の皆さま方ではなくて、役所が先に地デジ対応のテレビを入れなきゃならないんですか。エコカーにしても、なんで役所は最後でいいはずなのに、最初に1万5000台。588億円ですよ。バカにならないお金ですよ。それを、あっという間に目をつぶってハンコを押してしまう。こんなことに補正予算を使っていいんですか。補正というのは、そもそも緊急性のあるものに対して使われる予算でなければならないのに、まるで緊急性がないものに平然として使われてしまっている。この国の仕組み、やっぱり官僚任せだなあ」 鳩山氏「その極めつけは、役所や、あるいは独立行政法人に対する施設整備費、どのぐらいだかお分かりですか。(平成21年度)本予算で6490億円だったと思いますが、本予算でも6490億円だったのに、補正(予算案)だけで2兆8000億円ついているんですよ。なんで役所の整備のために、こんなお金があっという間につけられてしまうんですか。これはまさに官僚の官僚による官僚のための予算だといわれて、お答えできますか、皆さん。官僚の悪のり、お手盛り、焼け太り、そんな予算じゃありませんか。私たちは、だからこそこういう無駄遣いを徹底的になくすために、今日まで戦ってきたんです。あなた方が本来ならばやらなければいけないことを、野党のわれわれが協力をしてやってきたんです。そのことに対して、もっとあなた方は評価をされるべきです。ぜひ、こんな無駄遣い、一掃させようじゃありませんか。そのためにも、こんな補正予算、やめようじゃありませんか」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・知らんかったわつづく何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→カネありがとう
2009.05.27
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両党首の話は・・・・政治とお金、世襲制、政権交代についてのお話につづきます(^-^)政権交代 麻生首相「また、『官僚目線』というお話がありましたけれども、公務員には、私は公務員としての仕事があると思っております。公務員というものは、誇りを持って、公のために、国家のために尽くすような誇りをもってやれるようにしてやるというのが基本であって、官僚バッシング(たたき)だけやってても、なかなかうまくいかないのではないか。加えて、官僚を使われる立場になろうと目指しておられるんでしょうから、その時には、官僚を(使う)、ということを言われるというのであれば、官僚に対して、ぜひ、公に尽くすと。公務員というものを、きちんと、その人たちがやる気にさせるような方法を、社長になられるおつもりなら、そういったものを考えておかれないと、とても役人、公務員というのは動かないと思います。それが基本だと思います」 鳩山氏「極めて上から目線の麻生首相で、お答え頂いたなあ、と思います。私はもっとわかりやすく言えば、政府による解決は、これはお金がかかりすぎる政府、ある意味での悪平等という弊害に陥る。それに対して、市場原理というものにすべてを委ねると、今度は弱肉強食という世界に入ってしまう。悪平等と弱肉強食。これは、どちらとも、国民の皆さま方に幸せを与えるものではなかった。だから、私たちは今、第3の道を模索をしなければならない大事な時なんだ」 鳩山氏「むしろ、今までボランティアとか、NPO(民間非営利団体)とか、コミュニティースクールとか、なかなか大きな光というものが政治に与えられてこなかった分野に対して、もっともっと、政治に、そうした光というものを当てることによって、全体として、全体として、コストもかからないんです。ボランティアが中心で頑張れる社会なんですから、コストがかからないし、満足もより得られる。そういうさまざまな仕組みが、もういろいろなところで、できてきているんです。もっともっと真面目に、首相、そして麻生政権を構築しておられる方は、そのことを真面目にごらんになっていただかないと大変であると。だからこそ、私たちはやはり、分からない方々がそちらにおられると、政権交代をしてスタートしなきゃならないな。この発想にならざるを得ない」 「私はここで、あえて申し上げたい。友愛社会の国家を築いていくときに、二つのことが必要なんです。それは、一つはやはり、国民の皆さんに、そうは言ったって、政治に対して信頼ないね、といわれたら終わりですから、政治に対する信頼というものを回復させなければならないこと。それからやっぱり、『上から目線』の官僚主導の政治というものを打破していかなきゃならないんです。この2つがわれわれの起点です」 政治とカネ、世襲制限 鳩山氏「そして、今日、(民主党の)政治改革推進本部というものが開かれて、岡田(克也)本部長のもとで、私どもは政治とカネの問題、確かに西松(建設の違法献金)の問題はありました。反省の中から、われわれとしては結論を出しました。(やじに対して)ちょっとうるさいですね」 鳩山氏「企業・団体献金をパーティー券も含めて、3年後には完全に禁止をするというのが一つです。それから、いわゆる、ダミーの政治献金、政治団体からの献金。これは3年後ではなくて、今からすぐにすべて禁止をする。それから、世襲に関しても、当然、制限をする。3親等以内、同じ選挙区からは出られないことを党規で決める。このことを私たちは、三つのことをまず決めましたが、ぜひこれからですね、法案をすぐに準備をいたしますので、政治とおカネの問題に関して、自民党さん、公明党さん、与党の皆さんも、協力をして、法案の成立をはかろうじゃありませんか。国民のために」 麻生首相「まず基本的に、『官僚目線』『上から目線』というのがよく使われる、お好きな言葉だというのは、よく理解しておりますが、『国民目線』と。『国民目線』といわれる言葉を使われるのだったら、やっぱり、国民からして今、最大の関心事は西松(建設の違法献金)の問題だと思います。この国民からの目線というものは、一番の関心事であって、これに対して、鳩山代表として、十分に国民に対して、説明を果たされたと思っておられるのでしょうか。また、責任を取られたというような話をされますが、説明を取られた方(小沢一郎前代表)が、鳩山代表に次ぐ代表代行になっておられるのが、責任の取り方なんでしょうか。私から言わすと、なかなか、国民目線からみると、なかなか理解しがたいんだというのが正直の実感だと、私は、ほとんどの方がそう思っておられる(と思う)。これは世論調査にもよく出てきている数字だそうですから、ぜひその意味で、きちんとした説明責任というものを十分果たされないと、これらの質問に対しては、なかなか問題があるのではないかと」 麻生首相「少なくとも、今回の企業とか団体献金禁止を打ち出されておられますけれども、違法な献金の疑い例。小沢(前)代表の秘書が逮捕されたことがきっかけではなかったんですか。そう思っております。従って、これは現在の法律ですら守られていないという疑いがあるということだと思っておりますんで、少なくとも、改正法の前に、現行法ですら守られてないところが問題なんだと。従って、秘書の、秘書の違反を、秘書の違反を契機に、秘書の違反を契機に、制度が悪いというのは論理のすり替えだと思います。私どもはそういった意味で、ぜひ、この点に関しては十分な説明をされるというのが大事なのであって、そうしないと、少なくとも、違反の話を棚上げにして、制度の変更をというのは、これは単なる論旨のすり替えだといわれても、やむを得ないところだと思います」 「また、企業献金、また世襲制、世襲の話。いろいろご論議があるのは私はいいことだと思います。いろんな論議を積み重ねて、少なくとも、後援会には企業団体からの寄付は禁止になったわけですから、そういった意味では、それを犯された方が、そこにいらっしゃるわけです。そういった意味では、ぜひきちんとした決着をつけねばならないのではないかと。私どもは、きちんとそういう疑いがあるから、(秘書が)逮捕されたと思っております。ぜひ、そういった意味では、われわれとしては、きちんとした対応がなされるようにならないと、この話は何となく、空理空論ということになりかねないという感じがいたしております」 麻生首相「また、世襲の話が出ましたけれども、各党でいろいろルールを作られるのはいいことだと思います。私どもも少なくとも、えっと、安倍(晋三前首相が自民党の)幹事長代理のころだったと記憶しますが、あのころから、公募という制度を積極的に採用させていただいて、多くの地域で公募というものを正式にスタートさせていただいて、その(選挙区)支部でいろいろされる。私はそのなかで選ばれた方が、有為な方であれば、私はそれはそれなりの、立派な、その支部、その党の選択なのであって、私どもとしては、その党の中においての論議というものはきちんと踏まえて行われるべきなんだと、私はそう思っております。また、法律に関して言わせていただければ、企業献金のお話も法律というお話だったと思いますが、それに対しては、先ほどお答えした通りであります」 西松建設違法献金事件 鳩山氏「首相、今ですね、大変、聞き捨てならない発言をされました。私どもの側に、何? 政治資金規正法に犯した人がいる? 決まったわけじゃないですよ、これは。これから裁判で決着がつく話ですよ。で、その話で申しあげれば、そちらにもたくさんおられたじゃないですか。おかしな話ですよ。これを。漆間(巌)官房副長官がおっしゃいましたよね。『自民党には捜査は及ばない』。及んでないんですよね。同じことをして、一方では、秘書が逮捕・起訴され、他方では何にもおとがめなし。そんなバカなことが行われている、これが検察官僚がやることなのかと。われわれはそこで、官僚国家に対して、しっかりとした歯止めをかけなきゃいけない、そう真剣に思っているわけであります」 「それから、国民の皆さんが一番関心のあるのはこの話だということに関して申しあげれば、新しい体制ができて、この新しい体制のおかげで、さいたまの市長選も勝利できましたよ、おかげさまで。国民の皆さんが大変、期待感を持っていただいているということは、われわれにとっても大変、ありがたいことだと思っているんです」 「小沢(一郎代表)代行の説明責任に関して申しあげれば、これは私が幹事長時代に、この第三者の方々に集まっていただいて、第三者委員会というのを作りました。そこに、もうすでに小沢代行を呼んで2時間ほどヒアリングしました。そこで、説明責任の部分が、ほとんど理解されたようでありますから、いずれ近いうちに報告書が出ますから、それをどうぞごらんになってください」 鳩山氏「もっと大事なことは、小沢(前)代表の説明責任の話ばかりで、検察も第三者委員会に来るのを逃げましたし、メディアの方も逃げましたよ。誰も来ないですよ。おかしいんですよ。こういう一方的なこの国のあり方というものに対して、だから、私たちは上から目線の政府に対して国民の目線に立った政治というものを今こそ作り上げていかなきゃならない、そう重ねて申しあげたい」 「さらに、申しあげれば、全然、今の企業・団体献金に関して、答えになってないじゃないですか。これは別にわれわれだけがやらなきゃいけないっていう話じゃないんですよ、皆さん方も一緒にやって、そのことによって、国民の皆さんや、日本の政治家も少しはましになってね、言われたじゃありませんか。そのためにももっともっと努力しようじゃありませんか。まだこの通常国会、時間が残っていますから、われわれは法案を必ず出します。どうぞ通すためにご協力を心から願いたいと存じます」 天下り 鳩山氏「時間がだいぶなくなってまいりましたが、私から、申し上げたいことが、まさにその官僚目線の話でございます。民主党の若いメンバーが中心となって調査をいたしました。つい先日、結果が出てまいりました。天下りです。どのぐらいいると思います。4500の天下り団体に、2万5000人の天下った方々がおられて、そこにですよ、国の予算がどのぐらい出ていると思います? 12兆1000億円のお金がそこに流されているわけで、で、そこのうちの半分が随意契約ですよ。どうなっているんですか、これは、この国は。まさに官僚の利権をそのまま擁護する政治家たちが、このような信じられない天下り天国をつくってしまっているじゃありませんか。どうお考えなんですか」 ・・・・・・・・・・・・・・・天下りか今日もだし・・・・つづく何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→ありがとう
2009.05.27
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「党首討論」のつづきです。ご挨拶の次は、政治理念に少し触れました!?政権運営の理念 鳩山氏「私は一番大事なことは、時の首相がこの国をどのようにしたいか。すなわちビジョン、理念というものがまずあって、理念に基づいてどういう具体的な政策を作り上げていくか。これが極めて大事であるのに、どうも今までの自民党総裁・総理になられるときに、総裁・総理になることが目的であって、なって何をやるかなかなか決まっておられない。だからこそ結果として官僚任せの政治になってしまっているのでないか。私はそのことが一番心配でございます」 友愛社会 鳩山氏「私は、つい先日ありました代表選挙の時に、(やじに対して)静かにしてください、私が申し上げたのは、友愛社会というものを建設したいと申し上げました。このことに関していろいろな批判の声も聞こえてきます。でも、私どもは非常に、これはある意味で古いけれど新しいテーマだ、そのように思っているわけでございます。今この国に欠けているのは社会における絆(きずな)がズタズタに切れてしまっている。一人一人の皆さん方に居場所がない。これは大変深刻な事態だと思います。私は『愛』という言葉を用いましたが、絆のある居場所を一人ひとりが見いだして、みんなが役に立っているなあ、みんなが幸せを感じられる社会を作りたい。一言でいえば、人の幸せを自分の幸せと思えるような、そんな世の中にしたい。そのように思っておりますが、少なくとも今の日本の政治はまるでそうなっていない。相手の幸せをねたんでみたり、人の不幸を喜んでみたり、こういう世の中が結果として政治も悪くするし、社会も悪くしているんじゃないか。なぜそのような現実が起きてしまったか。首相におうかがい申し上げたい」 麻生首相「あの、友愛という精神は昭和30年、確か鳩山一郎内閣総理大臣の時、使われた言葉だと思います。(自分は)中学3年生ぐらいでしたけど、記憶が残っている言葉でしたので、その言葉を大事に使われる、私は人に対する情愛というものを抱えておられるということに関しましては、私どもとしてはまったく異論はありません」 政権交代 麻生首相「ただ問題は、今この種の理念、抽象論というのでなく、現実問題、われわれは100年に1度といわれるような経済危機というのに直面しているのは事実。それに伴いまして、多くの雇用の問題が発生していたり、また住宅の問題が起きてみたり、また新たに朝鮮半島の脅威などなど、数え上げれば切りがないような現実論を抱えておりますので、それにどのように対応していくかというのは、われわれ、時の政権におきましては最も重要な案件だと思っております」 「その上で私どもは『小さくても温かな政府』というのを確か最初のころに、7カ月ぐらい前に申し上げたと思いますが、そういったことを申し上げてきてますんで、われわれはきちんとした対応をしながらと申し上げて、政府は小さくすればいいというだけでないのではないとも申し上げてまいりました。またわれわれは、どのような形で国をというお話がありましたので、われわれは、この置かれている状況を、今後とも日本としてはほころんできているような、いろいろな福祉の面に関しても、われわれはきちんとやっていかねばならんということを申し上げているのであって、われわれとしての理念というものがないとすれば、私の方こそそうした理念はそれなりに申し上げておりますし、現実問題として政権交代といわれますけど、政権交代は手段であって目的ではありません。従いまして、どのようなことを現実問題として民主党がなさろうとしているのか、そこがわれわれから見ますと、社会保障の問題もまた、安全保障の問題も、その点に関しましては極めて不安を抱かざるを得ないというのは多くの国民の気持ちだと考えております」 鳩山氏「いろいろお話をうかがいましたが、理念的な部分は一切聞かれませんでした。私ども、当然のことながら、政権交代は目的ではまったくありません。スタートラインだと思っております。そこから新しい日本が生まれる。そのスタートラインに立たなければいけない。そこから何をやるかということを、これから申し上げたい」 「私が具体的な話がなかなか見えないとおっしゃるもんですから、時間の制約がありますが、一つこういう具体例を申し上げたい。それは三鷹第四小学校の例であります。そこは当然、教師はおりますが、教師のほかに200人のボランティアの教師がエントリーされております。クラスが20人のクラスに1人の先生と3、4人のボランティア教師がついている。例えば分数の教育を行うときに、なかなか、落ちこぼれが多くて困っている。一人一人個人指導をして、今はまさに落ちこぼれがなくなっている。子供たちも満足をして、ボランティアの人たちも子供たちに幸せを与えることによって幸せを感じられる」 「私がさっき申し上げたように、皆が幸せを、人の幸せを自分の幸せに感じることができる、それはまさに社会の絆。あなた方はこういうのを小さな、取るに足らないつまらない話だ、みたいに思っておられるかもしれないけども、それがまさにこれからの日本を築き上げていく、私は原動力だと思ってます。すなわち、一人一人が何が幸せかを感じ取れるような社会、居場所というものを一人一人が持てる社会というものを作り上げていかなければならない。しかし、そのためには今の、ご案内のように、こういう話を冷笑するような人たちの考え方を、やっぱり去っていただくような政権交代をしなきゃならないのです」 鳩山氏「すなわち、今の、具体的に申しあげますが、今の麻生政権、自公連立政権ですが、これは官僚任せの官僚主導の政権じゃありませんか。それに対して私たちは国民、市民、生活者に起点をあてたそういう政権をつくりたいんです、皆さん。もっと言えば、いわゆるタックスイーター、税金というものを食ってばかり居る人たちに発想を求めるような世の中ではなくて、タックスペイヤー、税金を支払っている側に立って、その発想の下で一つ一つの政策を作り上げていく。中央集権的な発想がまだまだあなた方にはあるんです。その中央集権の発想をすべてやめて、地域のことはすべて地域に任せる、地域主権の国造りに変えていく。それが私たちの考え方です」 「もっとわかりやすく言えば、皆さん方、業界中心の縦国家なんですよ。そういうものに対して、われわれは市民の連帯を大事にする横社会という物を作り上げていきたい。こういうことを私たちは革命的な志でやらなきゃいけないと思ってるんです。一言で言えば、古い政治よ、さようならです。新しい政治をつくるという発想に、どうしてもっと麻生政権、前向きになれないんですか」 麻生首相「あのー、今、三鷹小学校という一例をひかれたんですが、全体像が見えてこないんで、いまひとつ、それを全国でやる場合に、どのような、具体的にどのような政策にして、どのようなルールを作って、どのような予算をつけてということを、具体的にやっていかないとなかなか、われわれとしては目に見えてこないんだと思っております。 三鷹小学校以外にも、そういう例がないわけではありませんから。そういった意味では、今の例を申し上げられましたけれども、それだけではなくて、お互いにそれぞれの居場所を考えているというような話も極めて抽象的ですんで、ぜひ、現実問題として、いろいろな例をひかれるというのに伴って、それに合わせて政策を実現する。政策として具現化していくということが、最も大切なんだと思っております。これが一番大切なんじゃないですか、政治家しているんですから。われわれは学者しているわけではありません。評論家しているわけでもありません。現実問題をやらなければならないという立場におりますので、そういったものをきちんとして、われわれはやっていかなければならない」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・きらり。地元近くの小学校のお話が、出たところで、つづく何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→理念ありがとう
2009.05.27
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2009年5月27日(水)午後3時~「党首討論」麻生太郎首相と民主党の鳩山由紀夫代表の党首討論がありました。最初は、ご挨拶から・・・北朝鮮の核実験のお話からでした。冒頭あいさつ 鳩山氏「麻生首相と、このようなかたちで党首討論ができることを大変に幸せに感じております。私にとりましては4人目の総理大臣でございますが、国民の皆様方が最も不満に思っていることとか、あるいは一番気にかかっていることとか、そういうことを国民の皆様方を代表して、私のほうからお尋ねをし、また意見交換ができれば(と)、このように思っておりますので、有意義にぜひ意見交換をしたいと思います」 北朝鮮核実験の事前通告 鳩山氏「その意味では、基本的には内政問題を中心にお尋ねをしたいとは思っておりますが、やはり最初は北朝鮮の核実験のことに関して申し上げなければなりません。このことに関しては、私ども野党も与党もありません。北朝鮮のあのような行為に対しては断固抗議をしなければならない。その思いは同じでございます。従いまして、協力を申し上げるべきところは大いに政府にも協力申し上げたい。その思いをまず申し伝えておきます」 「ただ、ちょっと気になっておるのは、このような大きな出来事が発生をしたときに、いかに情報というものを入手をして、そしてそれをコントロールするかということが大変重要なことだと思っております。いうまでもありません。北朝鮮は日本には事前に通告はなかったわけでありますが、アメリカや中国には通告があったとうかがっております」 鳩山氏「その事前通告、アメリカから日本に対してすぐに通告があったのかどうかということに関して、やや混乱をしているように思われてなりません。中曽根(弘文)外相は、それはなかったと。外務省の幹部の方もなかったと。しかし、一部の官僚の方からはあったと、そんな話が伝わってまいります。事実というものをぜひ国民の皆さんにお知らせを願いたい。こういった大変大きな出来事に対する情報の入手およびコントロールというものは大変この国の危機管理において大事なことだと、そう思っておりますので、ぜひ国民のみなさんに事実をお伝えを願いたい」 党首討論のあり方 麻生首相「まず新しく代表に、っていうか、再び代表に就任されましたことをお祝いを申し上げたいと存じ上げます。党首討論は私どもの方から、もうこれまで民主党に何度も開催を申し入れてきていたところでもありますので、今回それがようやく実現したことだと思って、われわれも喜んでおります。ぜひ、われわれ、そしてどちらが内閣総理大臣としてふさわしいか、もしくはどちらの政党が、政党が政権担当を担う力があるかということを、こういった党首討論という機会にいろいろ意見を戦わせるのは正しいことだと思っております」 麻生首相「また、討論でありますんで、これは予算委員会などの質問にお答えするというだけではありません。討論というんですから、私どもの方から主張いたしますし、私どもの方の質問にも、また意見にも、鳩山党首のご意見なり、民主党のご意見なりを聞かせていただいて、それで初めて討論というものになるんだと思ってますんで、私どもとしてはぜひその点もあらかじめお話をさせていただかなければならないと存じ上げます。ぜひ、われわれとしては、今置かれております状況というものは、よく100年に1度といわれますように、極めて経済危機というものに端を発し、いろいろな危機がわれわれの目の前に存在をいたしております。したがって、われわれとしては、国民に対するいわゆる社会保障と、そして国家としての安全保障と、2つの保障というものが極めて大きな意義をもっている問題だと思っております。ぜひその上でわれわれとしては、この基本的な2つの保障という問題に関しては、どのような考え方をお持ちなのかということがわれわれとして最大の関心事であろうと存じます」 北朝鮮の核実験 麻生首相「ぜひとも、その点を考えましたときに、まず最初の問題の安全保障の件に関しては、北朝鮮の核実験、これは2回目の核実験であります。国連の安全保障理事会の決議にも、1718(号)にも明らかに反した事件でもあります。そういったことに関しましては、断固、国際社会で一致して国際社会のメッセージとして、北朝鮮にきちんとした国際社会の世論というものを正しく伝えるというのが一番大きな意義であろうと存じます。この点に関しては双方に違いはあろうとは思いませんが、その意味で、今回の実験に関して、情報がかなり早めに伝わっていたということは事実であります」 麻生首相「しかし、その事実をいつの時点でどうだったかというのは、これは双方、この種の話はしない約束になって、これまで来ておりますので、これまでこの種の情報をあらかじめ何時何分にいつ来たということを政府として申しあげたことは1回もないと存じますし、他国もそれは同様にそういったことは約束して、お互いの情報に関してはきちんとしたものを言わないことになっているというのがルールでありますんで、私どもとしては、その点はぜひご理解をいただいておいていただかなければならないと思っております」 「したがいまして、われわれとしては一番の問題は、この種の話が起きた後の対応として、国際社会とどのような対応をするか。私は少なくともアメリカの(オバマ)大統領と話をし、そして韓国の(李明博)大統領とも話をし、そしていろいろな他国との話等した上で、国連におけます安保理の決議を速やかに実行すべく、ロシアの議長の時期ではありましたけれども、ロシア議長のきちんとした対応として、今回の安保理決議は、極めて厳しいものになるというものを、目下われわれが作った文章で、これを今、作成しつつあるというところまで来ておりますので、一番肝心なのは、この種の問題が起きた後の対応が一番大事なんだと、私どもはそう思っております」 北朝鮮核実験の事前通告 鳩山氏「質問にお答えいただけないのは残念でありますが、私ども当然のことながら、国民の皆様に政府がいかにサービスをするかということであり、北朝鮮の核実験という大きな問題がかかっているときには、いち早く国民の皆様方に対し、それを知らせる義務があるのでないか。そのようにも思うわけです。それを隠して、結果として知らなかった(と)言ったり、あるいは事前に知っていたと。そのこと自体を麻生首相がお話しされるんだったら、それ(は)言わないことになっているんだとすれば、皆さんおっしゃっているじゃないですか。知らなかったと言ったり、あるいは知っていたと言ったり。そのようなことに関して、もっと情報管理をしっかりしないとこの国は持たないんじゃないか。本当に心配でございます」 「安全保障の問題もいろいろと、これから将来、麻生首相とはしばらくの間、党首討論の機会があろうかと思いますので、その時に大いにやりとりを申し上げたいと思っております」両党首ごあいさつと北朝鮮の核実験に対する意見と安全保障についてのお話でした!・・・つづく 何げにランキングに参加してるらしい?良かったらポチよろしく→党首ありがとう
2009.05.27
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