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●六本木ヒルズの散策-その1●
の続きですので「その1」から読んでください。
朝礼。
本日のおおよその作業の進行状況がここで発表される。
すでに張り詰めた空気が漂っている中をさらに バチバチの視線が飛び交う。
単独で作業を行う業者はまだいい。
自分のペースで仕事を進めることが出来るからだ。
問題は他の業者が終わってからでないと自分の仕事をすることが出来ない業者だ。
建設業界では相判(あいばん)という言葉がある。
要は一つの工事を進めるに当たり他の業者と共同歩調を取りながら進めていく工事のことをそう呼ぶのだが、この相判作業の時には自分の仕事の領域を超えてまで相手の仕事を手伝うことはまず無い。
責任分担の原則からも決して相手の仕事を手伝ってはいけないのだ。
例えば一つの製品を壁に取り付けしたとしよう。
後日その製品が落下して破損した場合、誰がその取付工事を担当したかが問題となる。
その際に取り付けしたのがA社だけだったらA社の責任ということになるのだが、B社の人も少しだけ手伝いましたということになるとそのB社の人も責任を負わなくてはならなくなる。
その責任分担を明確にする意味からも決して自分の担当外の仕事をすることはまず無いといっていいだろう。
となると、今回のように看板を設置してその上に敷石を詰めるという作業は、看板設置業者と石屋との二業者の共同作業ということになるのが、看板屋が工事をしている間は石屋は何もすることが出来ず、ただじっと見ているしかない。
そして看板が設置されたら敷石を詰める作業となるわけで両社の仕事は完全に分離されて行われる。
看板屋が先行業者、石屋が後追い業者となるわけだ。
従って石屋の立場からすると看板を手際よく順番に設置してくれればいいのだが、実際時間割通りに設置されないことも結構ある。
となると自分たちは看板設置が終わるまで待っているしかなくなるわけで、待ちぼうけを防ぐ意味でもおおよその設置完了時間を前もって決めておくわけだ。
「それではもう一度本日の役割分担を確認します。D坂道ではAサインが看板を設置し、その後にB石材が敷石をかぶせて行く作業となります。
設置予定台数は全部で5台。
初めて訪れた人に対しての誘導案内をする非常に大事なサインです。
看板本体の設置完了時間はおおよそ午後9時頃。
その後でB石材が石を貼って行きますので大体午後11時過ぎには完了する予定です。
Aサインさん、B石材さん、いいですか?」
B石材の職長はこの現場では名物親方で有名だ。
体重100kgはあろうかという巨漢の持ち主で地声がでかい。
朝礼では毎朝気合いを入れるために全員で
「今日も一日ガンバロー、エイ、エイ、オー」と掛け声をかけるが、
そのときの声のでかいこと、響くこと、朝っぱらから迷惑この上ないと感じる人間も少なからず居る。
気の弱い人間ならその体格と地声の太さに思わず腰を引いてしまうといっていいだろう。
そんな人物が親方として居るわけだからB石材はその現場の中では一目を置かれているのだが、そんな業者が後に控えていると何かとやりにくいのだ。
もちろん本人もそのことはよく分かっているらしく、何かにつけて自分たちの作業を邪魔する者に対してはギュッと厳しい視線でにらみつけて口出しする。
「えーと、今日は全部で5台の看板を付けなければならないんだよな、手早く片づけて予定時間より早く終わらせようぜ。
でないと後ろはB石材だろ?あの親方、うるさくて仕方がないからな」
「別な業者が言っていたけど相判で作業をやるときには、ちょこちょこ若いやつに見に来させるらしいですよ、予定通り進んでいるかどうかをマメにチェックして、ちょっとでも遅れ気味だとプレッシャーを掛けに来るって評判ですよ」
気の弱い看板業者は早くも劣勢気味だ。
作業内容としては2メートル弱ある看板を搬入してその場所に据え置き、ボルトで締め付けてカバーをかぶせる。
作業としてはそれほど難易度の高い作業ではない。
もちろんきちんと地面に平行に看板を設置しなければならないのだが、水平機器という位置出しを確かにするための文明の利器があるおかげでピサの斜塔のように斜めに設置することはほとんど無いと言っていいだろう。
「予定より早く進んでいるよな、ちょっと時計を見てみろよ」
「そうですねえ、この調子で行けば午後9時じゃなくて8時ぐらいには終わるんじゃないですか?
昼食もそこそこに切り上げてやったおかげですよね」
「ほら、見てくださいよ、あの若いやつ、一時間おきに見に来るじゃないですか?
あれ、きっとB石材の親方に言われて我々の進行状況のチェックにきているんですよ、多分」
「別に気にすることはねえよ、予定より遅れているんならともかく、ちょっと早く進んでいるんだ、あせることはないさ」
「さあて後はこの坂道に付ける2台だけか・・・取りあえずあっちの方から片づけるとするか、ここまで来れば峠は越えたようなもんだから大丈夫だぜ・・・・」
工事ならぬ好事魔多し。
まさかこの後に大きな落とし穴が待っていようとはこのときは想像すら出来なかったに違いない。
「ちょっと暗くなってきたけれど、いま何時?」
「午後6時ですね」
「ということは残り1台だけだから8時前には終わるな・・・」
「さあ、さっさと付けちゃおうぜ」
「じゃあ、今残り1台をトラックから降ろしてきますから・・・」
ボルトを締め付けた後はカバーをかぶせるだけ。
そのときになってようやく最後の最後で落とし穴があるのに気が付いたのだ。
「おう、もうきっちり立ったから後はカバーをかぶせるだけだぜ、ちょっとカバーを持ってきてみな・・・」
「はい、これが最後のカバーですけど・・・・」
「おい、合わねえぞ・・・・」
「ちょっと良く見てみろよ、ここよ、寸足らずじゃねえか?」
「このカバーだと看板の足元がきちんと隠れえねんだよ・・・」
「誰だ、このカバーの実測をやったのは?」
「僕ですけど?」
「おまえ、ちゃんとこの坂道で実測作業をやったのか?」
「・・・・はい・・・・やりました・・」
「じゃあ、なんで合わねえんだよ・・・・」
「坂道はよ、斜めになっているんだから左足と右足の両方をきちんと実測しなければならないのは教えたよな・・・」
「どうしてなんだ?」
しばし沈黙。
「ははーん、そうかそういうことか?おまえ、この道路の反対側の看板の実測作業はやったかもしれないけれど、こちら側は同じ傾斜だろうと決めつけて実測作業をやらなかったな?そうだろう?」
「・・・うーん、そうかもしれません・・・」
「いや、そうなんだ、測るのが面倒くさかったのか、それとも単に忘れたのか分からないけれど、坂道のこちら側とあちら側だから傾斜角度は同じだと思ったに違いないんだ」
「あれほど教えただろう?実測作業はきめつけてかかるなよって。それに場所ごとに必ず測れよって。どうしてそれを守らねえんだ」
「・・・すみません・・・」
「足元の隠れないカバーを付けるなんて看板屋として一番みっともない事だって分からないわけじゃあるまい・・・・」
「おまえ、どうするつもりだよ、本来ならばカバー作り直しだぜ」
「でも時間を見てみろよ、俺たちだけだったら何時までかかっても終わらせればいいんだけよ、俺たちの後ろにはB石材が居るんだぜ」
「いま、午後7時だろ?っていうことはここから工場まで1時間半だから往復で3時間。作り直しに1時間とすると後4時間かかるわけだ」
「奴ら、午後9時には仕事が出来ると思っているのにこちらに不手際で午後11時過ぎにならないと出来ません、なんていまから言えるかよ・・・・」
ここでお分かりだろう。
足元を隠すためのカバーを作り直すとすると予定より2時間から3時間以上遅れることは間違いなく、そうなるとB石材は完全に徹夜作業だろう。
あの名物親方から皮肉たっぷりと文句を言われることは間違いなく、足元カバーを設置するまでガンガンにプレッシャーをかけられることになる。
一方でとぼけて足元のカバーを作り替えしないで、下地の鉄骨がむき出しの状態で本日の作業を終了したとしても結局は後日現場監督に見つけられてやり直し工事を命ぜられるのは目に見えている。
前門の虎、後門の狼とはまさにこのこと。
どちらを選択しても針のむしろに座らされているのと同じだ。
Aサインの監督は決断を迫られていた。
先延ばしにすることは出来ない。
即断即決が求められているのだ。
彼は賭けた。
目先のガンガンにかけられるプレッシャーよりは見逃すかもしれないという一縷の望みを選択したのだ。
そして彼はその賭けに勝った。
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