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大掃除したり、買い物したり、あれこれ忙しそうにしている人ヨソ目に流暢に過ごしている~。年賀状も書かん。けど喪中ハガキも出してない。(来るもの拒まず)
2004年01月31日
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3月3日から議会がはじまる。で、その時に何らかの形で決着がつくであろう「松山市子ども育成条例」。 正直言って、できても、できなくても、私の生活にも育児にも全く支障はない(強引ぐマイウエイやから)。 許せん条文はいっぱいあるし、聞けん条文もある、従えんものもある、あつかましいものもある。やけど、聞けるものもあるし、従えるものもあるし、他の人に声を大にして言いたい条例もある。 反対している人たちは、あくまで人権などの問題や常識的な部分で反対している。賛成している人たちは、文面がどうのこうのではなく、このご時勢に「条例」というものの必要性を切々と訴えている。 どっちの会も参加したが平行線。賛成・反対している人たちが悪い問題ではない。 もともとをつつけば、市民検討委員会にたたき台を出した役所サイド(教育委員会)の勉強の足りなさを感じる。検討委員会での議論の余地(時間)がなかったのも大きい。その場に一般公募もなければ、公開や議事録もなかったのにも唖然。 ま、そこいらつついても仕方ないのでこのへんにするが、賛成反対活動している人達や団体もさることながら、PTAというものに一番不振と疑問をもってしまった私でした・・・(^_^.)
2004年01月29日
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コムズや児童館、福祉センターに置いております。今回は「松山市子ども育成条例」についてをメインにしてます。今後もどひゃどひゃ、ご意見・ご感想をお願いします。
2004年01月24日
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先日(もう何年も前です・・・)児童館で、鉢植えを倒した自分の子どもを叱っていたら、「子どもが悪いんじゃないですよ。子どもは叱って育ててはだめですよ」と、保育指導員の方から善意の注意を受けた。「ケガはなかった?」「あぶないから気をつけようね」って言うのが常識だそうだ。食事中にコップを倒し、お茶をこぼした子どもには、「大丈夫?濡れなかった?」「こんな所にコップを置いたお母さんが悪かったわね。コップはこっちに置こうね。でも○○ちゃんも気をつけてね」と言うのだそうだ。もちろん、大人だって気をつけていても、ついコップを倒したり、人にぶつかったり、悪気はないのに人に迷惑かけたり、いろいろあるものだ。そういう事にひとつひとつ注意をされたり、叱られたりするのはたまったものではないが、大人は善悪の判断はできるし、学習をもする。いちいち注意や促しは必要ない。でも、小さな子どもは、善悪の区別も学習もできない(もちろん、言い切ることができない部分はあるが)。言って、言って、言って、言って、理解できるのならまだいいが、乳幼児ともなると、ほとんど理解不能であろう。「コップを倒すとお母さんに叱られる」。だから「コップは倒さないようにする」方式が一番早いと思うのである。大人の方も、「コップを倒す」と何故悪い? どういう不都合が発生して、どう自分の損益になるか等々、いちいち子ども相手に理屈や正論をふりかざしていくのも、大変な努力がいると思われる。自分の子どもがまだ成長して結果が出てないので、大きな声では言えないが、こんなぬるま湯のような育て方をしていては、何か悪いことをしても、それが悪意はなかったにせよ、「自分が悪い」のではなく、そこにそれがあるから、そういう状況だから、自分が悪いのではない……、と済まされていては、反省というものをしなくなるのではないかと不安になる。いつまでお母さんが悪者で、お母さんが不注意で……が通用するだろうか。気が付けば、何でもかんでもお母さんの責任になってしまうのではないか。「お母さん」はそれでいいのか。お母さんが存在しない場では、いったい誰が悪いことになるのだろうか。公共的な場で「いい母親」して叱らないのはかまわないのかもしれないが、公共的な場だからこそ、公共の場のルールを守らない子どもは叱るべきだと思う。それが家庭の中でも、やっぱり子どもが悪い事をした時には「悪いこと」だと認識させ、しっかり叱るべきではないだろうか。叱られ慣れてない子どもが、急に叱られると「反省」する前に、相手への「憎悪」しか生まれないのではないだろうか。もちろん、「叱る」ことと「怒る」ことは、大いに違うことを母親は認識して使い分ければならない。「怒る」のはあくまで感情。怒りの感情は子どもに向ける必要はないが、どういう状況で「怒る」ものかを認識させていくためにも、母親も自分の感情のまま「怒って」みせるのも大切だと思う。「叱る」のは「諭す」こと。子どものよくないことを正すために、とても大切なものだと思うのだ。叱ることは、子どもにとって社会生活への「情報提供」という大きな役割を担っていると思う。学校で習えない「道徳」もあるのだ。私はよく怒りも叱りもする、今のモラルで言うとダメな母親である。子どもも賢いもので、私の怒りそうな、叱られそうな事はちゃんと把握していて抜け目なく行動する。もちろん、母親の監視下だけそのような子どもであってはいけない。母親がいようが、見ていまいが、「いけないこと」「悪いこと」に対する認識教育は重大だと思う。今の世の中、これが欠けすぎているんじゃないだろうか。「子どもの虐待」が社会問題にもなっているが、その線引きは実に十人十色百人百様で、難しい問題を孕んでいる。感情にまかせて「虐待」になってしまう母親たち、そして「虐待」という言葉の恐怖から「怒らない」でいる母親たち……。それでも子どもに対してきちんと責任を持って「叱る」ことを忘れてはいけないと思う。
2004年01月05日
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公園でダベって子どもは眼中にないお母さん。ブランドの服を着せて、砂ひとつぶたりとも触らせないお母さん。「危ない!危ない!」と何にでも手を貸すお母さん。ベンチですこし距離をおいて子供を見守るお母さん。集団には入らないお母さん。集団に属さないといけないお母さん。保育園や幼稚園に注文の多いお母さん。注文の言えないお母さん。育児に関心の無いお母さん。自分の見えてる世界だけが常識だと思ってるお母さん。他の子と比較してばかりいるお母さん。子供だけが中心のお母さん。働いてて子供に寂しい思いをさせてるお母さん。専業主婦のお母さん。教育熱心なお母さん。子どもの為に全てを犠牲にできるお母さん。すぐに手をあげるお母さん。本に忠実なお母さん。自分の無いお母さん。若いお母さん。熟年のお母さん。元気なお母さん。疲れてるお母さん。・・・・・・・特別じゃなく、どこにでもいるんです。どの人も普通のお母さんです。どの誰がどう悪いじゃないんです。公園1つとっても、子どもを見ないお母さんはイケナイんだったら、見すぎるお母さんはどうなるの?って事になると思うし、じゃ、公園じゃどう振舞うのが常識で一般的で最良なんざんしょ・・・。そ~んなの答えはな~ぁし。列挙できるような要素はあるかもしれないけど、あえてマニュアルなんか必要じゃあるまいし、しないよ~。マニュアルも常識も良識もとっぱらって、私らしく、自分らしくやってけばいいじゃ~ん。(・・・と、書きつつ、やっぱり最低限の常識ってのは必要よねってヒヤっとしてみたり・・・)子どもにとっていいお母さんだったらそれでいいじゃない。良い母、常識たる母、見本たる母・・・ってのは必要ないし、いるワケないと思ってる。誰も、神様や聖人じゃないんだから、人に言えない子育ての失敗やらヤマシイ部分や過去なんかの1つや2つ、あって当然。私なんか失敗やヤマシイ事だらけ日々更新しまくっている。でも、失敗やヤマシイ事があるから、ちょっと人の気持ちがわかったり、成長できたり、勉強できたりもしている。誰をも疎外する必要も、指摘する必要も、非難する必要なんて無いと思ってます。そんな人がいっぱいいたって、みんなそれぞれ状況が違うし、価値観も違うし、そうしたくてワザとなってる訳でもないでしょうに。当人が何たるかを気づけばいいんでしょ。お互いに理解しあえるようになればいいんでしょう。いろ~んなお母さんといっぱい出合って、い~っぱいお話したり、意見を交わしたり、その中で自分の感性や価値観をもっともっと磨いて、もっともっと自分のプラスにしていきたいです。いろ~ォんなお母さん大好き。
2004年01月04日
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●先日、夫の保険を解約しに、某窓口に行った。そして書類を書いて、窓口に出すと、「これはアナタなじゃい」と言われた。そ、オットのだ。それでもって、委任状がいるだの、私の身分を証明するものがいるとかとか・・・保険を成約する際には、オットなど不在で、逐一私が取り仕切って契約したのは全然OKなのに、解約だって私がやってもいいでしょ? ●先日、某消費者金融系カードを発行するため申請書類を出した(カードを作るともらえる粗品にそそられて)。もちろん、私の名義のカード。自分に収入もあるし、「専業主婦は世帯主の会社・収入・・」云々書いてあったのは無視した。ところが、電話がかかってきて、オットの会社や収入、私の職業上を根堀歯堀聞かれた。該当欄がなかったので、どれも最後にあった「その他」にチェックしてたからだ。但し書きの空欄に「上記(いろいろ職業の種別が書かれてあった)を複数」と書いてあったので、細かいことが知りたいのかと思いきや、「パートでいいんですよね?」「どこのパートなのか、会社名書いて下さい」と一方的。いえいえ、「パートじゃないです。特定の会社にも行っていません」から始まって、延々私の仕事内容を説明した。パートっていうのは「パーツ」だと思っている。スーパーのレジ打ちのように、「仕事」の数と量が明確なものに人があわしているような状況の仕事、それに従事する人がパートタイマー。パートを卑下している訳ではないが、パートと言われるのには抵抗を持っている。私は自称クリエイティブ?!な仕事をしていて、パートでもアルバイトでもフリーランスでもなければ、1つに絞れるような肩書きの仕事をしていない。収入のあるなしにかかわらず、あらゆる職種・職業を貪欲にこなしている。生協の理事だったり、審議委員だったり、NGO/NPOで活動しているし、ベビーシッターもしてるし、家庭教師もしている。合い間に実家の家業の事務を手伝ったり、知り合いの会社へ行ってデータ入力したり、OA関係のインストラクターもする。ドタキャンの穴埋めにゴルフコンペに出たり(商談がからんでたりして、仕事の粋)、ツアーコンダクターもどきや、会計士もどきもするが、農業も漁業もやる。ゴミにまみれて働いたり、役所の会議室で高飛車に意見してみたり・・・結局、審査は通らず、カードは発行できなかった。型にはめようとする、マニュアル崇拝の担当者を見下したモノを言ったからに違いない。それに、夫の職業を言うのを断固拒否したためか。私は某銀行系カードのゴールドカードを持っている(家族会員じゃないぞ、私本人のだぞ)。不振や問題アリの財産状況や人間ではないハズなんだ!。 ●先日(春です)、子どもの学校や幼稚園関係で、山のような書類をこなした。そつなく書いて提出したのに、指摘があった。「お父さんはいらっしゃらないんですか?」は?いや、居ます!と言うと、「保護者欄にはお父さんのお名前を書いて下さい」と言われた。これは毎度毎度のことだが、私は保護者欄に「父親」「世帯主」と指定されない限り、私(母親)の名前を書く。指定してないのに指摘された場合は連名にする。家庭状況報告書だの、PTA関係書類だの、実にいろいろな書類を書くが、凝りもせずに断固、自論をつらぬいてる。書いてるのはワタシ!! 主に子どもを養育しているのもワタシ!!子どものことわかっているのもワタシ。男女共同参画社会、本当はそういうのはダメで、もっと父親も育児しなくちゃいけないんだろうけど、とにかく、子どもの事に関してはオットより、ワタシの方に権限なり、決定権なりあるのだ。それをオットの名で提出するのはヤだ!!父親・世帯主に記述させたいのなら、「父親・世帯主が書いて下さい」と書いてくれ。PTAにも父親・世帯主だけが参加してくれ。 とかく、妻というもの、母というものになってから、「ご主人は何をされているんですか?」「子どもさんはいくつ?」の類の話が出ないことはない。きっとオットは、夫・父になったからといって、「奥さんは何をされてるんですか?」「子どもさんはいくつ?」なんて聞かれて仕事はしてないはずだ。でも、既婚女性を夫の職業(職種・地位・収入)や子どもの年齢で判断していくのは統計上とっても楽なのも確か。そんなことで判断されやすいような日本の女性よ、怒れ!!女性は妻・母っていう基準で見られがちだが、夫・父の影の存在や2番手や付属ではないはずだ。日本の社会はまだまだ「妻」「母」に対して、古い慣習が根強よく生きていて、何も感じない女性も多かったりする。「妻」「母」が自覚・認知・反抗(行動)をしなければ、男女協同参画社会ってのもは簡単に手に入らない。(Hug育掲載分)続き編・・・と、偉そうに書きはしたが、懸賞に応募する際にはちゃっかり「専業主婦」と書いている(これは効果あり)。上記の例はちょっと異例で、いつもは説明するのが面倒なので簡単に「アルバイトで~す」「パ~トで~す」と受け答えする。自分でも何をやっているのか、どれがメインの仕事なのか(税務上は家事従事者で済ませてる)皆目不明だし、30有余年、いろんなことあって生きてきてるんやもの、妻だの嫁だの母だのとカテゴリ区分せずに、「人間」として見てくれ~ってんだ。あ、新聞や雑誌に投稿して「無職」「OL」ってしてるのに、既婚と書くと「主婦」と置き換えられてしまったこともある。知り合いのおばちゃん(65才)は「無職」って書いたらちゃんと「無職」って載るのに。ええ中年のおばはんは結婚してて「無職」やといかんのやろか?! ・・・と、言いながら、子どもが同級生やからと、ヤンママに混じれば、しっかりヤンママのフリして付き合っているアコギな自分もいる。精神年齢はじゃくい(若い・弱い)が、実働年齢は20半ばから50過ぎの広範囲をカバーしている。ちょっと書けなくなったが、年齢層によって、妻や母の位置関係も若干変身しながら変化を楽しんで20代にも30代にも40代にもなる。これが面白い。また機会があったら・・・。
2004年01月03日
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わざわざどうもです。犬も歩けば捧に当る・・・じゃないけれど、自動販売機に当らないことはない。昔はそれでも公衆電話の方が多かったが、今じゃ、公衆電話が影を潜め、自動販売機の大躍進。清涼飲料水だけでなく、タバコはもちろん、何でもかんでも売っている。パン・カップラーメン・たこ焼き・米・卵・本・氷・ガム・・・・私の知り合いにはコンドームの自動販売機の版権を持ってる人も・・・本当に日本は自動販売機天国だと思う。「当たり前」すぎるので、外国に行くと不便な思いをいっぱいする。とにかくどこまりで「飲料水」が手に入らない。自動販売機があるのは、サービスエリアなどの店内や、デパートや空港や建物の中。観光地にあることはまず「無い」といって過言じゃない。喉がかわけば「喫茶店」に入って飲む。でもって、間違っちゃいけないのは、絶対に「水」が出てこないこと。水が欲しけりゃ「ミネラル」って銭を払って買うしかない。国や地方によっちゃ、水くらい出してくれるトコもありはするが、観光客は飲まないのが無難(私はしっかり飲む)もし、銭で買う水なら、絶対にボトルごと持ってきてもらい、キャップが開封されていないのを確認すること。(ま、この話も長くなるので、また別便)さておき・・・毎日いちいち喫茶店に入ってたんじゃたまらない。コンビニなんかも無い外国。(最近じゃコンビニも進出している・・・)「バール」「バー」「タバッキー」などのお店でミネラルや清涼飲料水を買うしかない。で、日本のように種類はない。水はその国、その地方のメジャーなメーカーのもの。フランスならエビアン、都市によっちゃペリエ。イタリアならサンベネデットかパンナか・・・(せいぜいガス入りの2種類)昔っからの定番はコカコーラとセブンアップ(サイダー)ファンタオレンジなんかがあると思ったら大間違い。住宅地のショッピングセンターなどでは、ちょっとケが生えたくらい種類はあるものの、日本にはかなう国はどこにもないだろう・・・アメリカも種類は様々あれど、自販機がどこにでも・・・ってのは防犯上もありえない。外国からお客さんが来たり、向こうで知り合った人が遊びに来たりすると、何はさておき、コンビニと自動販売機に圧倒的に驚いてくれる。自販機は「便利だ!」とは言うものの、どなたも自国向きではないとは思っている。自販機でちょいと買ってそこらで飲む・・・ってのも慣れてない。飲むなら店で、飲むならそれなりの所で・・・それが休息にもなるし憩いでもあるし・・・便利に機会に頼り切らない(頼りきれないのもまたいい)そんなお国事情もまた国それぞれ。日本でも自販機荒らしが横行してきだした。10年後、20年後、日本の自動販売機はどうなってるだろうか?!
2004年01月02日
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幼稚園と保育園を一緒にしちゃおう!この政策をご存知な方も、ご存知でない方も、どう思われますか?何を期待しますか?あえて、説明や事前資料なしで、みなさんの御意見を御待ちしてます~。
2004年01月01日
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