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「主人の居ない家には」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百三十五段の一主人が居る家には、無関係な人が気ままに入って来るという事はない。主人の居ない家には、道行く人も勝手に立ち入るし、狐やフクロウのような動物も人気がない家には、棲家を得たという顔をして入り棲むことになる。更には、木霊(こだま/樹木に宿る精霊)など怪しい霊魂まで現われる。また、鏡には色も形態もないからこそ、すべての影が映るのだろう。鏡に色や形があれば、何も映らないだろう。空っぽの虚空はよく物を包む。私たちの心には様々な思念・感情が浮かんでは消えるが、これは心が虚空だからであろうか。家に主人がいるように、心にも主人がいたら、胸の内に、若干の小さな感情や思念は、妄想が入り込む余地もないだろう。
2023.11.03
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「人が物を質問してきた時」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百三十四段の二人が物を質問してきた時に、まさか知らない事は無いだろうと、本当の事を言うのはばからしいと思うのだろうか、心を迷わすように返事をするのは良くない事である。知っている事でも、もっとはっきり知りたいと思って質問するのかも知れない。また、本当に知らない人がいないとは断言できない。他人はまだ聞き及ばない噂話などを、自分が知っているのに任せて、それにしても、あの人の、あの事は、大変ですねなどとだけ言って手紙を、送れば、なにかあったのですか?と折り返し質問の手紙を、送らなければならないのが、不愉快に感じる。これは、尋ねる人にとっては不快な事であり、世間ではもう古くなった事でも、稀に聞き漏ら人もいるのだから、はっきりしない所のないように告げるのが、どうして悪い事があろうか。このような事は、物事の経験の足りない人がよくやる事で、何も考えなしにする人である。
2023.11.02
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「外見の美しい人の言葉」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百三十三段の一あらゆる事で他人から非難を受けないようにしようと思うならば、何事も、実直にして、人を区別せずに礼儀正しく振る舞い、多くを語り過ぎない事。老若男女に関係なくみんな平等にというのが理想ではあるが、特に若くて、外見の美しい人の言葉の麗しさは、忘れ難いもので、心が惹きつけられる。物事の失敗の要因は、本当は大した事がないのに、物事に慣れて十分に、会得(えとく)する事にしている振りをして自慢したり、高い地位を得て、得意そうな行動をし、人を軽く見て侮るところにある。二百三十四段の一人から何か尋ねられた時に、こんな事は、知らないはずはあるまい。それを事実通りに答えるのは馬鹿げているとでも思うのであろうか。相手の心を迷わすように返事をしているのは、よくないことである。知っていることでも、なお正確に知りたいと思って問うのかも知れない。
2023.11.01
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「父親の前で父の客人と議論」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百三十二段の一すべての人間は、学問がなく、芸能がなく、馬鹿なふりをした方が良い。ある人の子供が、外見は悪くないが、父親の前で父の客人と議論していた。『史書』の文を引用したりして賢くは見えたけれど、目上の人の前で、知識をひけらかし自慢をするのは如何なものかと思った。また、ある人の家で、琵琶法師の弾き語りでも聞こうと思って、まず琵琶を、取り寄せたが、その琵琶の弦の支柱が一つ落ちていて弾くことができず、作って取りつけよと主人が言った。ある男たちの中で人格者に見える男が、古い柄杓の柄はあるかと言うから見てみると爪を長く伸ばしていた。いかにも琵琶を弾きそうな感じだが、盲目の法師の弾く琵琶には、そんなに、気を遣う必要はない。琵琶の道を心得た振りをしているだけかと片腹痛い。柄杓の柄は、檜の木で良くないものとある人も話していたが、老人にとり、若い人のやる事は、少しの事も、よく見えたり悪く見えたりするものだ。
2023.10.31
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「煩わしく回りくどい」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百三十一段の二その場にいた人たちは自然で素晴らしい振舞いだと面白味を感じた。ある人が、この話を北山の太政入道殿(西園寺実兼)に語ったところ、そのような話は、自分には煩わしく回りくどい。鯉を切る人がいないならば、私が鯉を、切りましょうとでも言っていれば、更に良かったのに。どうして、百日の鯉を切ろうと言ったのだろうかと、それを聞いた人が面白い話だと語ったが、確かに面白い言い分である。日常生活では特別な感じに振る舞って趣きがあるようにするよりも、趣きがなくても安らかな方が勝っているのだ。客人をもてなす饗応でも、大袈裟な接待も結構な事だが、ただ特別な事をせずに客人の前に料理を、並べるだけの方が、気疲れしなくて良い。人に物を上げる場合でも、何かのついででなく、これをあげると言った方が真心が伝わる。惜しむふりをして、それが欲しいと言いたくなり、勝負の負けを理由にして上げるなどの事もあるが、人に、嫌味なく自然に物を上げるというのは難しい。
2023.10.30
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「器具を巧みに製作する職人」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十九段の一小さな器具を巧みに製作する職人は、少し切れ味の鈍い刃物を使う。彫刻の名人の妙観の小刀はまったく切れないという。二百三十段の一五条の内裏には妖怪が住みついて、藤の大納言様(二条為世)が語るには、夜に黒戸で殿上人たちが碁を打っていると、簾を上げ覗く者がいる。誰だと覗く方を見ると、狐が突っ立って覗いていた。狐だと大声で騒がれ逃げていった。化ける技術が、未熟な狐が、化け損じたらしい。二百三十一段の一園の別当入道(24歳で出家した藤原基氏)は、比類のない料理人である。ある人の屋敷で立派な鯉がでてきた時に、みんなが別当入道の包丁捌きを、見たいと思ったが、名人にたやすく匠の技を求めるのはいかがなものかと、ためらう中、当の別当入道はさりげなく、最近、百日に渡り鯉をさばいており、今日だけ欠かせないので、その鯉を申し受けたいと言われ鯉を調理した。
2023.10.29
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「多くの事柄を書き漏らした」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十六段の二山門(比叡山延暦寺)の事は格別に詳しく書けた。九郎判官(源義経)の事は、詳しく知っていて書き記しているが、蒲冠者(源範頼)の事はよく知らなかった。多くの事柄を書き漏らして、武士の事や弓馬の道については、生仏が東国の、生まれである事もあり、武士に詳しく聞いてから書いたのだろう。その生仏の生れつきの声を、今の琵琶法師は学んでいるのである。二百二十七段の一六時礼讃(ろくじらいさん/一日を六時に分けてその度に極楽往生の讃文を唱える浄土門の方法)は、法然上人の弟子の安楽という僧が経文を集めて作り、お勤めしたものである。その後、太秦の善観房という僧が音楽的な節や調子を、定めて声明にしたのが、一念の念仏の最初とされ、後嵯峨院の御代より始まる。法事讃(浄土転経行道の法則を明らかにした方法)も、善観房が始めた。二百二十八段の一千本(京都市上京区千本にある瑞応山大報恩寺)の釈迦念仏(南無釈迦牟尼仏と唱える念仏)は、文永の頃に如輪上人が始められたものである。
2023.10.28
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「神仏の由来を歌いながら」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十五段の一磯の禅師の娘は静御前(源義経の愛人)といって、この芸を引き継いだ。これが、白拍手(しらびょうし/男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞)の元祖で、神仏の由来を歌いながら舞い、源光行が多くの舞いを創作した。後鳥羽院も多くの舞いを作り、愛妾の亀菊(承久の乱の一因になったとも、言われる女性)に教えられたということである。二百二十六段の一後鳥羽院の御時、信濃の国司だった中山行長は、学問の道での誉れが高かった。しかし、白氏文集の論議の席において意見を求められた時、七徳の舞の内の二つを忘れてしまい、五徳の冠者という不名誉な渾名を付けられた。行長はそのことを悩んでしまい、学問を捨てて遁世(とんせい)してしまった。慈鎮和尚(じちんかしょう)は、一芸ある者を厚遇しており、身分の低い者でも、技能がある者であれば召しかかえた。そして、この信濃の出家者である行長も、召しかかえて面倒を見たが、この行長入道が、平家物語を作り、生仏という名の盲目の法師に教えて語らせた。
2023.10.27
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「我が家に訪ねて来られ」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十四段の一陰陽師の安倍有宗(あべのありむね)が、鎌倉より京に上ってきて、我が家(兼好の家)に訪ねて来られ、家に入ってきて、この家の庭は、いたずらに広くて、みっともないものである。道を知る者ならば、まず作物を植えるように努める。細い道一つを残して、みんな畑にしてはどうかと諌められた。確かに、少しの土地でも、いたずらに広く置いておくことは無益であり、野菜や薬草でも植えておいたほうがまだ有益だ。二百二十五段の一多久資(おおのひさすけ)という朝廷に勤めた楽人が申し上げるには、通憲(みちのり)入道が舞いの中から特に面白いものを選び、後に、磯の禅師(静御前の母親)と呼ばれることになる妻に教えて舞わせた。この時の舞いの衣装は、男物の白い着物の水干(すいかん)であり、腰に刀を差して、長い髪を烏帽子に引き入れていたので男舞と言われた。
2023.10.26
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「念仏に勝るものないという」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十二段の一竹谷上人が、東二条院様(後深草天皇の皇后)の元へ参られた時に皇后から、亡き人の供養で、勝利・成仏につながるお経はないものかと尋ねられた。光明真言の宝篋印陀羅尼ですと答えたが、弟子たちは何故このように、申し上げなかったのです。なぜ念仏に勝るものないということを、言わなかったのですかと質問した。もちろん、南無阿弥陀仏はうちの浄土宗だから、そう言いたかったが、南無阿弥陀仏で死者を成仏させた上で更に大きな利益まであると書いた経文は見たことがない。どの経典にそんな事が書いてあるのかと、質問されたら、何と答えれば良いのかと思って、根拠とする原典が、確かな真言の陀羅尼(ダラニ/祈りの言葉)を勧めたと申した。二百二十三段の一鶴の大臣(九条基家)は幼い頃に「鶴君」と呼ばれた。鶴を飼っていたから鶴大臣だというのは間違いである。
2023.10.25
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「鐘の音というのは黄鐘調」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十段の二鐘の音というのは、黄鐘調(おうじきちよう)であるべきで、無常の、調子であり祇園精舎の無常院の音色でもある。西園寺の鐘も、黄鐘調になるように鋳られたが、何度も鋳かえたけれども出来なく、結局は遠国より探し出した鐘を使うことになった。浄金剛院の鐘の音も、また黄鐘調の音程になっている。二百二十一段の一後宇多天皇の御世である建治・弘安の頃は、賀茂祭の日に無罪放免された罪人が、行列して余興をするが、あの頃は変わった紺色の布、四・五反ほどで、馬を作り、馬の尾や鬣(たてがみ)にろうそくを灯し、蜘蛛の巣の柄の、水干にその飾り馬をつけたのを着ていた。歌の心などと言って賀茂祭に参加していたが、祭りの時にいつも見ている、光景ではあるが、実に興趣のあることをしているなという気持ちだったと、年老いた役人たちが今でも語っている。最近の賀茂祭は、年ごとに飾りが、過剰になっており、放免たちは色々と重い飾りを多く身に付けている。袖の左右を人に持たせて、鉾(ほこ)さえ持てずに息を切らして、苦しんでる有様というのは非常に見苦しいものではある。
2023.10.24
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「舞楽は都に負けてない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二十段の一何につけても京都から離れた辺境の土地は下品で粗野であるけれど、天王寺の舞楽のみは都に負けていないと言う。それを聞いた天王寺の楽人が、申すには、私どもの寺の舞楽は図竹を使って調律を合わせており、楽器の音の調律が綺麗に整っているという点において、他よりも優れている。理由は、聖徳太子の時代からの調律の秘策である図竹(調律合わせのための笛)を、今に残していて、基準にしているからだ。いわゆる六時堂の前にある鐘の音を、調律に使い、その鐘の音の音程は、黄鐘調(おうじきちよう)そのもの。寺の鐘は暑さ・寒さで伸び縮みするので、音程にも上り下りがあり、二月の涅槃会(ねはんえ)より聖霊会(しょうりょうえ)までの間の音を標準としている。これが秘蔵の調律合わせの方法で、ただこの一調子のみを用いて、全ての楽器の調律を合わせることができると申し上げた。
2023.10.23
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「簡潔で優れた意見」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十九段の二この五の穴を吹く時には、必ず口を退ける。退けないと、他の楽器に合わなく、五の穴を適切に吹ける人は滅多にいないと申していた。本当に、簡潔で優れた意見であり強く興味を引かれた。先達が後生を畏れるとは、この事だと申した。その話を聞いていた大神景茂(おおみわのかげもち)が後日に言った。笙なら、調律さえ合わせれば、後はただ吹くだけだ。横笛は、吹きながら調律を合わせ、調べていくものなので、その穴ごとに口伝の教えがあるだけではなく、吹き手の生来の勘を加えて吹かなければならない。その勘の働かせ方は、五の穴のみに限らず、口を退けるばかりとも限らない。悪く吹けば、どの穴も良くない音がする。上手な名人ならば、どの音も吹いて合わせることができる。調子が他の楽器と合わないのは、奏者の責任であって、楽器のせいではないと申した。
2023.10.22
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「口にするのも恥ずかしい」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十九段の一四条の黄門様(南朝の重臣・藤原隆資)がなんとなく語られはじめた。笙(しょう/雅楽の管楽器の一つ)の名人の豊原竜秋(たつあき)は、音楽の道に関しては素晴らしい人物である。先日、竜秋が来て次のように言っていた。浅はかで、口にするのも恥ずかしいのですが、横笛の五番の穴は、いささか、信用ならないと秘かに思っている。何故かと申せば、六番目の穴は疑問点があり、その理由は、干(かん)の穴は平調(ひょうじょう)、五の穴は下無調(しもむちょう)その間に、勝絶調(しょうせつちょう)を隔てて上の穴が、双調(そうじょう)。鳧鐘調(ふしょうちょう)を置いて、夕(さく)の穴は黄鐘調(おうしきじょう)で、その次に鸞鏡調(らんけいちょう)を置いて、中の穴が盤渉調(ばんしきちょう)、中と六との間に、神仙調(しんせんちょう)というのがあり、このように横笛の吹き口は、みんな一律に調子を揃えているが、五の穴のみ上の間に調子を持たず、吹き口の間隔だけは他の穴と等しいので、その声色が不快になりがちである。
2023.10.21
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「欲望を満たせば財産を失う」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十七段の四金を貯める話は、自分の欲望を断ち切り、苦労を恐れるなと聞こえる。欲望を満たして楽しみとするのは、財産がないという事には及ばない。悪性の皮膚疾患を患っている者が、水で体を洗うのを楽しみとするより、初めから皮膚疾患を病まないほうが良く貧富の格差が無くなってしまう。こうやって考えれば、貧乏人と金持ちは同じ人間で、悟りと迷いも一緒で、強欲は無欲と似ているのである。二百十八段の一狐は人に噛み付くものである。堀川様の屋敷で、番人が寝ている足を、狐に噛まれた。夜、仁和寺にて、本堂の前を通る下級の僧に、狐が三匹、飛びかかって噛み付いたので、刀を抜いてこれを防ぐ間、狐二匹を突いた。一匹は突き殺し、二匹は逃げ、法師は数ヶ所を噛まれたが大事に至らなかった。
2023.10.20
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「金銭のことで恥をかいても」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十七段の三主君のように、神のように恐れ敬うもので、思い通りに使うものではなく、自分自身のほうが金に仕えるのだ。金銭のことで恥をかいても、怒ったり恨んだりしてはいけない。正直に生きて、約束を守ること。これらの正しい道理を守って利益を求める人は、富が向こうから来る事は、火が乾いた方角に燃えていき、水が低い方向に流れるのと同じである。お金が貯まって無くならない時には、宴会や女の色香がなく住居を飾り立てず、欲望を満たさなくても、金が多くあるというだけで心は常に安らいで楽しい。だが、そもそも人は、自分の欲望を満たすために金を求めるものだ。金銭を、価値あるものとするのは、金銭で願いを叶える事ができるからである。欲望があっても叶えず、金があっても使わないというのは、全く貧者と同じではないか。ただ延々と金だけ貯めて、何を楽しみにするのか。
2023.10.19
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「冷静にみつめてはいけない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十七段の二仏教的な智慧・悟りなど働かせて世の中の無常を観照(本質を客観的に冷静にみつめる事)したりしてはいけない。これが第一の用心である。次に全ての用事を思い通りに終わらせてはいけない。この世の欲望は、私でも他の人でも無限である。欲に従い志を遂げようと思うのであれば、百万の金銭があっても休む暇さえない。欲は尽きる事がないが、財産のほうは無くなってしまう。限られた財産で、無限の欲望を満たそうとしてもそれは不可能である。欲望が心に生まれたならば、我が身を滅ぼす悪い思念が起こったと解釈して、自分の欲望を慎み恐れて、小さな用事であっても節約を心掛けるべきだ。金銭を奴婢のように自分勝手に使うものと考えるならば、永遠に貧苦から抜け出ることはできないということだ。
2023.10.18
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「三献にかい餅で終わった」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十六段の一鎌倉幕府の執権・北条時頼が、鶴岡八幡宮に参拝したついでに、御家人の足利左馬入道の屋敷にまずは使いを送って、その後に立ち寄られた。時頼様が主賓としてもてなされた時の献立は、一献にあわび、二献は海老、三献にかい餅という感じで終わった。その座には、亭主夫婦だけでなく、隆辨僧正(りゅうべんそうじょう)も主方の人として座っていた。時頼様が、毎年頂いている足利の染物が、待ち遠しいと申されると、足利左馬入道は、既に用意してありますと返し、色々な染め物を三十反、それを目の前で女房どもに小袖に仕立て贈られた。それを実際に見た人が居て、その人から伝え聞いた話である。二百十七段の一ある大富豪が言うには、人は何を差し置いても、ひたすら富(金)を得られる方につくべきである。貧しくては生きている甲斐もない。富める者が人なのである。得をしたいのであれば、まずその心の使い方を磨くべきだ。その心というのは、他でもなく、世の中はいつも同じ状態に落ち着いていて簡単には変化しない。
2023.10.17
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「あたふたしているうち」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十五段の二入道様に呼ばれ、すぐに行くと伝えたが、あたふたしているうちに、また、最明寺入道様の使者が来て、直垂(ひたたれ/武士の平服が鎌倉以降正装)など、ありませんか。夜なので変な格好でも良いから早く来てくださいと言う。(電車が大好きで凄い力で電車に向かおうと吠える)よれよれの直垂で家にいたままの普段着の格好で参上すると、入道様は、銚子とお猪口を取り揃えて待っていた。この酒を独りで飲むのが寂しくて、貴公を呼んだが、酒の肴がない。人はもう寝静まっているので、何か肴にふさわしいものがないか、どこまでも探してきて貰えないかとおっしゃる。紙燭(しそく)を灯して隅々まで探し求めるうちに、台所の棚の上に、味噌の付いた素焼きの器を見つけ出し、探すと、これを見つけましたと申し上げると、この味噌で十分だと言って、気持ちよく何杯か酒を飲み、興に乗られ、あの時代は、そんなものだったと大仏宣時は申された。
2023.10.16
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「三献にかい餅で終わった」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十四段の一想夫恋(そうふれん)という楽曲は、女が夫を恋いしがる故の曲名ではない。元々、相府蓮(そうふれん)で、文字と音が似ており当て字である。晋の王倹が大臣の時に、家に蓮を植えて愛でた時の雅楽である。これにより、大臣を「蓮府」と呼ぶようになった。廻忽(かいこつ)という楽曲も、廻鶻(かいこつ)と呼ぶのが正しい。廻鶻国という異国で武芸の強い国があった。その国が漢に服従した後に、廻鶻の民が漢にやって来て、自分の国の音楽を演奏したということである。二百十五段の一鎌倉幕府の重臣・大仏宣時(おさらぎのぶとき)が、老いてから昔話をした。ある日の夕暮れに、執権の最明寺入道様(北条時頼)に呼ばれた。すぐに参りますと使者には伝えながらも、拝謁するのに相応しい直垂がない。
2023.10.15
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「人の心も天地と同じ無限」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十一段の二心が緩やかにリラックスしていて柔軟な思考ができる時には、髪の毛一本さえ、傷つけられるということが無い。人は天地の霊であり、天地は無限である。穏やかな気持ちを解放すば、一喜一憂することなく、人に苦しめられる事もない。人の心も天地と同じ無限である。喜怒の感情に振り回されないし、他人のために思い悩んだりすることもない。二百十二段の一秋の月は、限りなく美しいものである。いつでも月というものは秋月のようであって欲しいと思い、別の季節の月との区別がつかない人は、ひどく情けなくて残念だと思う。二百十三段の一天皇の火鉢に火を移す時には、火箸で挟んではならない。火種にしても、素焼きの器から素早く移動させる事になり、火種が転び落ちないように、初めから炭を高く積んでおくべきだろう。天皇が石清水八幡宮に出かけた時、御供した貴族が、白い浄衣を着て、手で炭を置かれていた。それを見た宮廷の儀礼に詳しいある有職の人が、白い着物を着ている日であれば、火箸を用いても問題はないと言われた。
2023.10.14
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「徳があっても頼りにするな」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十一段の二才能があっても頼りにするな。あの孔子さえ好機には恵まれなかった。徳があっても頼りにするな。顔回(がんかい/孔子の弟子の一人)さえ不幸な、末路に陥った。主人の寵愛も頼りにするな。失敗すれば速やかに罰を、受けることになる。従ってくれる家来がいても頼りにするな。裏切って敵に寝返ってしまうことがある。人の心(意志)を頼りにするな。人の不安定な心は必ず変わるものであり、他人との約束を頼りにするな。信義を貫いて約束を守る事など少ない。自分も他人も頼りにしないなら、良い時には素直に喜ぶ事だでき、悪くても誰も恨まないで済む。左右が広ければ人の障害にもならず、前後が遠ければ前が塞がれて、身動きがとれないということもない。狭い場所に人が集まると、互いに、押し合い潰し合うことになる。人間関係の中で頭が働かず気持ちに余裕がない厳しい状況では、他人に逆らい争い合う事になり、最後には自分が傷つく。
2023.10.13
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「真言宗の書の中に喚子鳥の事が」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百十段の一喚子鳥(よぶこどり/人を呼ぶような声で鳴く鳥)とは春の鳥だと言うのだが、どのような鳥であるかについて明確に記した書物はない。真言宗の書の中に、喚子鳥が鳴く時に、招魂の法(死者の霊をまねいて祭り鎮める)という秘儀を、行う方法が書いてあるが、これは鵺(や)という鳥である。(垣根の向こうは線路で電車が来るのを聞き耳立ててる)万葉集の長歌に、「霞立つ、長き春日の」と続けたりしているので、鵺鳥(トラツグミ)も喚子鳥の様子に似通って見える鳥だと思われる。現在では、喚子鳥はカッコウのことで、鵺はトラツグミの事と考えらる。二百十一段の一あらゆる事は頼りにすべきではない。愚かな人は、他人やモノを強く頼りに、し過ぎるので、恨んだり怒ったりするが、勢いがあっても頼りにするな。強い者からまず滅ぶので、財産が多くても頼りにするな。一瞬で金はなくなる。
2023.10.12
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「上の紐の先を下に通せば良い」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百八段の一仏教のお経の巻物の紐を結ぶのに、上から下へとたすきに交えて二筋の中から、紐の先を横向きに引き出すのは通常よく行われ、ある巻物を、そのようにして華厳院弘舜僧正が解いて直させた。この結び方は今風過ぎるので、伝統が、感じられず、相当に醜い。麗しい結び方とは、ただくるくると巻いて、最後に、上の紐の先を下に通せば良いだけなのだと古い結び方と僧正は正した。二百九段の一他人の田の所有権を巡り訴えを起こし負けた者がいた。その残念さと妬ましさで、その田の稲を刈り取って来いと、配下の男達に命令した。命じられた男達は、まず通り道にある他の田んぼの稲も刈り取って行く。その横暴を見た百姓達が、ここは訴訟になっている場所ではない。どうしてこんな事をするのだと、反論して止めようとした。勝手に稲を刈っている男達は、目指している田んぼの稲だって勝手に刈り取って、良いなどという理由はない。これから悪事をしに参る者なら、どこでも刈り取っていくものと言う。この理屈は、とても面白い。この段の逸話は、鎌倉時代末期の地方武士(地侍・国人)の勢力が行った刈田狼藉(かりたろうぜき)に関するもので、半農半士の武装勢力が強引に他人の田んぼの稲を刈りる乱暴を働く事があった。
2023.10.11
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「この蛇はこの土地の神である」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百七段の一亀山殿の屋敷を建設しようとして、土地の地ならしをしていると、大きな蛇が、沢山寄り集っている塚が見つかり、建設担当の役人は、この蛇は、この土地の神であると言って工事を中止し、蛇塚が出てきた状況を後嵯峨院に伝えると、反対に院から、どうした方が良いのかと勅問をされてしまった。古くからこの地にいる蛇神なので、そう簡単には掘り捨てられないと皆が、申し上げたが、亀山殿の建設責任者である大臣(徳大寺実基)一人が反対し、陛下が支配する王土に住んでいる蛇が、どうして皇居を建てているのに、祟りを、起こすだろうか、いや起こすはずもない。鬼神は邪心を持たず、建設を中断すべきではない。ただみんなで蛇を掘り出し、川に流せば良いと申し上げた。大臣がそう言うので、蛇塚を崩して大量の蛇を大井川に流した。蛇を川に流したが、祟りなどは全くなかった。
2023.10.10
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「屋敷の中に入ってしまう」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百六段の一今は亡き徳大寺の大臣殿(藤原公孝)が検非違使庁の長官の時に、庁舎の屋敷の中門で検非違使庁の評定が行われた事があり、その評定の中で、中原章兼という検非違使の下級役人の牛が牛車から離れて、屋敷の中に入ってしまった。その牛は、評定の座の大臣殿が座る席に上がり、草をくりかえし噛み味わう。それを見ていた人たちは、これは滅多にない怪異現象だと言って、その牛を、陰陽師の元へやるべきだとの意見もでた。だが、徳大寺殿の父の徳大寺実基が騒ぎを聞きつけて、牛に分別はなく、足があればどこへでも登るものだ。微禄の下級役人が、出仕に利用しただけで牛を取りあげることは無いだろうと。徳大寺殿の父がそう言われるので、その牛は主人に返す事にして、牛が寝て、汚れた畳を取り替えるだけで終わらせた。その簡単な対応だけで、何も凶事が起こることはなく、怪しい事象を見ても、怪しまなければ、怪しい事柄は、自然に破れ、何も奇妙な凶事は起こらないと言うことである。
2023.10.09
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「背負った靫(うつぼ)」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百三段の二朝廷の警察機構である検非違使庁の看督長が背負った靫を、謹慎中の人物の、家に懸ければ、人の出入りは出来なくなる。この罪人(謹慎者)を罰するための制度・慣習は今ではすっかり絶えてしまっているが、今の世(六波羅探題が、管轄する武家の世)では、謹慎者の家の門を封印するようになっている。二百四段の一罪を犯した犯人を木の枝で造った鞭でムチ打つ時には、拷問器に寝かせて、縛りつける。拷問器の形状も、拷問器に縛りつける方法も、今ではそれを、知る人がいなく、朝廷の検非違使庁が警察として治安を維持する時代が終わりを告げて、幕府の六波羅探題が京都の治安を担当する時代となった。二百五段の一比叡山の開祖である伝教大師・最澄の霊威の召還は、慈恵僧正により始められ、神仏や大師を召還する際の契約書である起請文は、召還を実際に行った慈恵僧正以外の僧侶・法師を縛るものではない。古代の神聖な霊威が残っていた時代には、こういう起請文(誓約書)に基づいて政治を行った事は無く、最近になって、神仏・大師と契約を交わす起請文が政治・祭祀の場で流行してきたのである。
2023.10.08
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「集まる根拠は何処にもない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百二段の二十月には、全ての神々が伊勢神宮に集まる説もあるが、伊勢に集まるという根拠は何処にもない。神々が集まるのであれば、伊勢神宮では特別な祭りの月とすべきだが、祭りが行われた例もない。十月は、各神社へ天皇が、参拝するという例も多い。だが、その多くは不吉な例である。現代の通説では、神無月に神々が集まるのは三重県の伊勢神宮ではなくて、島根県の出雲大社だが、吉田神社の神官の家系の兼好法師(けんこうほうし)が、10月に神々が集まる場所を、伊勢神宮と考えているのが興味深い。二百三段の一勅命により謹慎処分となった者の家には、靫(ゆぎ/矢を入れて携行した武具)を、かける作法があったが、今では知る人がない。天皇が病気の時や世の中が、乱れた時には、五条の天神という神社に靫をかける。鞍馬にある靫の明神も、靫をかけられた神である。
2023.10.07
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「荘厳な卒塔婆を一対建てる」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の201から247」の研鑽を公開してます。二百一段の一退凡(たいぼん)と下乗(げじょう)の卒塔婆(そとば)。外にあるのが、下乗で、内にあるのが、退凡である。紀元前6世紀、インドの霊鷲山で釈迦牟尼世尊が、説法をし、その説法を聞くためにマカダ国のビンバシャラ王が山頂へ道を開き、その途中に荘厳な卒塔婆を一対建て、それを退凡・下乗の卒塔婆と呼ばれる。下乗の卒塔婆の先は神聖な場所になり、そこから乗物を降りよと指示する卒塔婆だった。退凡の卒塔婆は凡人・凡夫の立ち入りを禁止する意味の卒塔婆であり、上座部仏教(小乗仏教)の出家者だけが救済されるというエリート主義をイメージさせるものである。二百二段の一十月を神無月(かんなづき)と言うが、神社に神のいない月として祭りをしない。だが、理由を記した書物はない。古典にもその根拠となるような文書はない。十月にはどこの神社も祭りを行わないので、神無月と呼ぶようになったのか。
2023.10.06
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「平安時代の法制の書物」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十八段の一決まった赴任する国を持たない名目だけの揚名介(ようめいのすけ)の、国司次官であるだけではなく、名目だけの国司役人である揚名目もある。政事要略という平安時代の法制についての書物に載っている。揚名介(ようめいのすけ/職掌及び給付のない名誉職としての国司の次官)百九十九段の一比叡山延暦寺にある横川(よかわ)で修行していた行宣法印(ぎょうせんほういん)が申したのは、中国は雅楽の呂旋法(りょせんぽう/宮・商・角・徴ち・羽うの五声に変徴・変宮の2音を加えた呂の七声のこと)の国であり、律の音階がない。日本は、律旋法(りつせんぽう)で雅楽の演奏国で、呂の音階がない。二百段の一中国産の呉竹(くれたけ)は葉が細く、日本産の河竹(かわたけ)は葉が広い。宮中の庭にある溝に近いのは河竹で、仁寿殿(じじゅうでん/内裏の中央にあり、紫宸殿の北、承香殿の南、清涼殿の東に位置する)に近い場所に、植えられているのは呉竹である。
2023.10.05
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「武家の家柄が知るところ」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十六段の二神輿の行列に付き添う土御門相国(源定実)が、大将の源通基に神社の前で、このような威圧的な警護は如何なものかと申し上げたが、通基は神を送る作法は、武家の家柄が知るところのものと得意そうに答えるだけであった。後になり源通基(久我内大臣)が話した事は、あの人(源定実)は、北山抄は、読んでいたが、西宮の説を知らず、神輿につきまとう眷属の悪鬼・悪神を恐れる為に、神社でも人を追い払う道理があるのだという事だった。百九十七段の一決まった給与で雇われる定額僧と呼ばれる者は諸寺の僧侶だけではなく、延喜式にも定額の女孺(雑事に従事した下級女官)という言葉があるのを見た。定額というのは、定員が定まったすべての役人の通称とすべきではないか。
2023.10.04
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「地蔵を田んぼの水に浸し」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十五段の一ある人が久我縄手の通り(京都の鳥羽から大山崎に至る道筋)を歩いていて、小袖に大口という下着姿の人が、木製の地蔵を田んぼの水に浸しながら、何をしているのかと不審に思って見ているうちに、丁寧に洗っていた。貴族の着る狩衣を着た男が二、三人出て来て、ここにおられましたかと、言うなり、地蔵を洗っていた男を連れて去ってしまい、その人こそ、久我内大臣殿(源通基)だったが、正気だった時は、頭もしっかりして、身分の高い高貴な方だった。百九十六段の一初めは奈良・東大寺の手向山八幡宮の御神体を、京都・東寺の若宮八幡宮の御神体にしていたが、その神輿を奈良の東大寺にまで帰座させた事があった。この時に、八幡宮を氏神とする源氏の公卿達が神輿の警護を務めたが、その大将源通基は家来に命じ声を出させ前を行く人達を人払いした。
2023.10.03
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「事実がはっきりしない間」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十四段の二事が終わった後で、特にいつもと異なる様子もなかったと、手を打って笑うような人もいる。また、虚言だと分かってそれを知ってるとも言わずに、事実がはっきりしない間は、知らない人と同じようにして静かに過ごす人もいる。また、この虚言の本意を初めから心得ていて、真剣に陰謀の首謀者と、同じ気持ちになって力を合わせる協力者もいる。こんな愚か者の戯れですら、物事を良く知った達人の前では、言葉から顔色から全てが隠す事もできずに、知られてしまう。このような達人が、判断に迷う我等を見る目は、手のひらに載せた物を、見るようなものである。ただし、達人であろうとも、このような推測だけで、仏法までも虚言と見なしてしまうべきではないだろう。仏法には、衆生救済、解脱を目指すために嘘も方便ということがあるのだから。
2023.10.02
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「素直に本当だと信じて言う」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十四段の一物事の道理を知った達人の人間性を見る目には、少しも誤りがない。ある人が、世間に陰謀を企てて、人をだまそうとすると、素直に本当だと、信じて言うがままに騙される人もあれば、余りに深く信じ過ぎて、更に、煩わしくも虚言に自分の印象を付け加えてしまう者もある。また、何とも思わないで、虚言を心にもかけない人もいる。また、何でもない、くだらない話と思っても、信じるでもなく信じないでもなく思い悩む人もいる。また、本当だとは思えないけれど、人の言う事であればそんなこともあるのかと、そこで考えを止めてしまう人もいる。また、さまざまな推測をして心得たような振りをして、賢そうに頷きつつ、微笑んでいるが、はっきりとは知らない人もいる。また、虚言を推し測って、嘘の真相に気づきながらも、自分に誤りがあるかもしれないと疑う人もいる。
2023.10.01
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「まったく当たる筈がない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十二段の一神社の神・寺院の仏には、人が詣でる事のない日、神社の祭日や寺院の行事などが無い日の夜に参るのが良い。百九十三段の一知力のない道理に暗く愚かな人が他人を推測して、その知性を評価しても、まったく当たるはずがなく、知力の乏しい人が自分が碁を巧みに打てると、碁の技芸には劣っている賢い人を見て、自分よりも知力が劣ると決め付ける。それぞれの道に通じた専門家(職人)が、他人が自分の専門分野の事を知らないのを見て、自分の方が優れていると思い込むのは大きな誤りである。経典・文字専門の法師、座禅・瞑想に通じた禅師が、お互いに相手の知力を、推測して、自分には及ばないと思ったりもするが、これは共に間違っている。
2023.09.30
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「夜の時間帯の方が素晴らしい」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十一段の二人の気配にしても夜の火影のもとなら、美しい人はさらに美しく見えるし、話している声も、暗い場所で聞いていると、声をひそめる気配りしており、心引かれるものがある。匂いも声も、夜の時間帯のほうがひときわ素晴らしい。取り立てて何という事もない夜、夜更けに参上した人が、とても清らかな、すっきりした顔をしているのが良い。若い者同士でお互いを注意して見る時、時間の区別もなくなってしまうものだが、特に打ち解けあう機会には、ハレとケの区別もせずに身だしなみを整えていて欲しいものだ。ハレは祭礼、年中行事、通過儀 礼、冠婚葬祭などの非日常な祝祭に対し、ケは日常生活、ふだんの労働を指しており、身分のある男が、日が暮れて、髪を洗い、女も夜更けに廊下を静かに滑るように退席し、鏡を取って顔を、つくろってから男の前に再び出る、こういった場面に情趣があるのである。
2023.09.29
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「嫌われつつも一緒にいて」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十段の二どんな女であっても、朝から晩まで毎日見ていれば、酷く気に食わない所が出てきて憎くなってしまう。女にとっても、嫌われつつも一緒にいて世話をしなければならない、そんな結婚は中途半端なものになってしまう。他の場所から時々通い住むという通い婚こそ、年月を経ても絶えない男女の仲になるのではないか。不意に男がやって来て、そのまま一泊して帰るのは、きっと女にとっても新鮮な関係になるだろう。百九十一段の一夜になると、物の見映えがしないと言う人は、全く残念な美意識の持ち主だ。全てのものの美しさ・装飾・色合いなども、夜こそが素晴らしい。昼なんかは、簡素で地味な姿でいても良く、夜は、煌びやかで華やかな装束が似合って良い。
2023.09.28
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「独り者でと言われるのは」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百九十段の一妻というのは、持つべきものではない。いつまでも独り者でと言われるのは心憎いものであるが、誰それの婿になったとか、また、こういった女を家に連れ込んで、一緒に住んでいるとか聞くと、その男をやたらと見下げてしまうような気持ちになる。格別の魅力がない女を素晴らしいと思い込んだ上で一緒になったと、無責任にも周囲から推測され、良い女であれば可愛がって自分の守り本尊のように崇め奉ってしまう(尻に敷かれてしまう)。妻を持つ事をその程度のものだと思う。更に、家を守って家政を司る女は、非常につまらない人生となる。子どもが出来れば、妻は大切に世話し可愛がるが、これも気分が沈み、夫が亡くなれば、貞節を通して尼となり年を重ねる。男というのは、死んでも妻に干渉するのがあさましくて興醒めである。
2023.09.27
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「登蓮法師は雨の中を駆け出して」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の五登蓮法師は雨の中を駆け出して、渡辺の聖にススキの事を習いに行ったと、伝えられ、立派な即断であり、なかなか出来ないことでもある。論語に、敏き時は即ち功あり(すぐに行えば、すぐに良い結果が得られる)とある。ススキを不審に思ってすぐに知ろうとした登蓮法師のように、乗馬・早歌の道に逸れた法師も、一大事の因縁(機縁と仏道の精進)を思うべきであった。百八十九段の一今日はあの事をやろうと考えていたら、思わぬ急用が出来てそれに紛れて時間を過ごし、待っていた人は用事で来れなくなり、期待していない人が来たりもするが、期待していた方面は駄目になり、思いがけない方面の事柄だけが思い通りになってしまったりもする。 面倒だと思ってきた事は何でもなくて、簡単に終わるはずだった事には苦労する。一年というのはこんなものだ。一生という時間もこんな風に過ぎていくだろう。かねてからの予定は、全て計画と食い違ってしまうかと思えば、たまには予定通り行く事もあるから、いよいよ物事というのは定めにくいものだ。予定なんて不定(未定)と考えていれば、実際の現実と大きく異なることはない。
2023.09.26
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「他の事が失敗しても」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の四一つの事を必ず成そうと思うならば、他の事が失敗しても落ち込むのではなく、他人の嘲りを受けても恥じてはいけない。全ての事柄と引き換えにしなければ、一番の大事が成るはずなどない。 大勢の人がいる中である人がこう言った。ますほのススキ(穂が赤みを帯びた薄)、まそほのススキなどと言うことがある。渡辺の聖は、このススキについて何か知っているということだと。その場にいた登蓮法師はそれを聞いて、雨が降っていたのにも関わらず、笠と蓑はありますか。あれば貸して下さい。そのススキの事を習いに、今から渡辺の聖のところへ行って参りますと言った。あまりにもせっかちですね。雨がやんでからでいいでしょうと周りの人が、言ったのだが、とんでもない事を言わないで下さい。人の命が雨の晴れ間をも待つものでしょうか。私が死んで、聖も死ねば、誰が教える事ができるんですか。
2023.09.25
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「十の石を捨て十一の石を取る」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の三碁の名人が一手も無駄にせず、相手に先立って小を捨て大につくようなもの。三つの石を捨てて十の石を取るのは簡単だ。だが、十の石を捨てて、十一の石を取るのは難しい。一つでも多く石を得て勝つ手を取るべきだが、石が十個までなるとそれを失うのが惜しく思えて、多く石を取れる手には、換えがたくなってしまう。これを捨てたくない、あれは取りたいと思う心では、あれも得られないし、これも失ってしまう最悪の手になる。京に住む人が東山に急用ができ、既に東山に行き着いていたとしても、西山に東山よりも勝る利益がある事に、思い至ったならば、すぐに門から出て西山に急ぐべきなのだ。ここまで来たのだから、まずこの用事を済まそう。日時の決まった事でもなく、西山の事は家に帰ってからまた考えようと思ってしまい、一時の怠りと緩みがそのまま一生の懈怠になってしまう。このことこそを、恐れるべきだ。
2023.09.24
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「大いなる目的をも達成」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の二若いうちは何につけても、まずは身を立て、大いなる目的をも達成し、技芸を、身につけて、学問を修めようと、長い将来をあれこれと計画しているものだ。だが、まだまだ人生は長いと思ってやるべき事を怠けていると、差し迫った、目の前の仕事に紛れて月日を送り、何事も達成できないまま身は老いてしまう。 最後には、何の道にも精通せず、思い通りに出世することもできず、それを、悔いたところで取り返しのつかない年齢になっており、ただ坂道を転がる車輪のように衰えていくだけである。一生のうち、あれもこれもと、望む事の中から、どれが勝るかをよく思い比べて第一の事を決定し、その他は思い切って捨てて、一つの事に励むのが良いのだ。一日のうち、僅かな時間の間にも数多くのやることがあるが、その中から、少しでも自分に利益のある事を行い、その他のことを打ち捨てて、大切な大事こそ急ぐべきだ。やりたいこと全てを捨てまいとして、心に持っていては、一つの大事も成し遂げることはできない。
2023.09.23
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「世を渡るための支え」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十八段の一ある人が、自分の息子を法師にしようと、仏の道を学んで因果の理を知り、学んだ内容を説経して、世を渡るための支えとせよと言った。息子は親の、教えのままに、説経師になることに決め、最初に乗馬を習うことにした。大きな寺の僧侶のように牛車・輿に乗れる身分でもないので、法事の導師として、招かれて馬で迎えに来られた時に、桃尻で落馬したら恥ずかしい思いをすると、心配になったからである。次に、法事の後で、酒など勧められた時に芸の一つも、披露できないと、檀那がつまらなく思うだろうと思い早歌を習った。乗馬・早歌の二つが徐々に熟練の域に達して、いよいよその道が面白くなって、懸命に練習しているうちに、本来の目的だった仏教の説経を習う暇(時間)も、ないままに年寄りになってしまった。この法師だけではなく世間の人は、誰でもこんなものだ。
2023.09.22
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「馬に敵う筈もない」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十六段の一吉田という馬乗りが申す事は、馬はどの馬も手強く、馬に敵う筈もないと、知るべきだろう。乗る馬をよく見て、長所や短所を知らなければならない。次に、くつわや鞍などの馬具に危険はないかを見て、心に引っ掛かる事が、あれば、馬を走らせるべきではない。この用意を忘れない者を真の馬乗りと言い、これが、馬に乗る秘訣なのだ。と言った。百八十七段の一それぞれの道の専門家は、専門家の中では劣っていても、素人の中で、上手な人と、並んだ時には、必ず勝つようになっている。これは、専門家がこれこそが、自分の生きる道(天職)であると思い、その技芸や知識を慎んで訓練して、軽々しく扱わない事と、素人が自由気ままに練習して上達を、目指すこととの違いである。芸能や儀礼の所作だけではなくて、普段の振舞いや心づかいにしても、自分の未熟さを認めて慎むのであれば、熟達・成功の原因となる。技術が優れているからといって好き勝手にやるのは、失敗・失策の原因である。
2023.09.21
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「全て貼り替えようとは思う」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十四段の二障子は一気に全部貼り替える方がはるかに簡単で、それに、そのやり方だと、新しい所と古い所でマダラになってしまうので、見苦しくありませんかと、義景が申し上げた。尼も、後にはさっぱりと全て貼り替えようとは思うが、今日ばかりはわざとこうしているのだ。物は、壊れた所だけを修理して用いると、若い人に見習わせて覚えさせる為で、松下禅尼はお答えになったが、とてもありがたい言葉である。世を治める道は、倹約を基本としている。松下禅尼は女性といえども、聖人の心に通じている。やはり、天下を保つほどの人(北条時頼)を子として産んだだけのことはある。本当に並の人間ではない。百八十五段の一陸奥守泰盛(安達城介義景)は、比類のない馬乗りで、馬を引き出させる時に、足を揃えて敷居をゆらりと超える馬を見て、これは勇み馬だと言い、鞍を、置き換えさせ、次の馬が足を伸ばして敷居にひずめを蹴り当てるのを見て、この馬は鈍くて、怪我するかもしれないと言って乗らなかった。乗馬の道に精通していない人は、こんなにも恐れないだろう。
2023.09.20
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「人を突く牛は角を切る」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十三段の一人を突く牛は角を切り、人を咬む馬は耳を切って、危険な家畜の印とする。印をつけずに人を傷つければ、家畜の主人の落ち度となる。人を咬む犬は飼ってはならない。これらはみな罪になる。これらは、王朝政治の礎となる律令の『律』で定められた禁令である。百八十四段の一鎌倉幕府第五代執権・相模守時頼(北条時頼)の母は、松下禅尼と言う尼僧で、その松下禅尼の家に、息子の相模守を招待なされる事があり、家の者で、その準備をしていた時、松下禅尼は手に小刀を持って、障子紙を切りながら、香の煙で煤(すす)けた障子の破れた所だけを切り貼りしていた。松下禅尼の兄・城介義景が、その日の世話役として控えていて、その様子を見て、その障子貼りのお仕事をいただいて他の者にやらせます。そのような事を、心得た男がおりますのでといった。だが、その男の細工はよもや尼の細工に、勝りますまいと松下禅尼は答えて、更に障子の破れを一間ずつ張り替え続けた。
2023.09.19
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「色々投げ入れて燃やす」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百八十段の一家の前のかがり火に色々なものを投げ入れて燃やす、左義長(さぎちょう)の、行事では、正月に使った毬杖(毬を打つ杖)を真言院から出して、神泉苑で、焼き上げる。法成就の池にこそ、弘法大師の奇跡に対する褒め言葉と、囃す(はやす/歌曲の調子をとる)のは、神泉苑の池の事を言う。百八十一段の一ふれふれこゆき、丹波のこゆきという童謡で、粉雪というのは米をついた粉を、振るっている時の様子に似ているからである。たんばのは誤りであり、たんまれ粉雪というのが正しい。その後は、垣や木の股にと歌っていくのだと、ある物知りが言っていた。昔から謡われている歌なのか、讃岐典侍の日記には、鳥羽天皇の幼い頃、雪の降る日にこの歌を謡っていたと書いている。百八十二段の一四条大納言隆親卿が、乾鮭というものを天皇の食卓にお届けしたのだが、こんなあやしい魚を、天皇の御前にお出しするわけにはいかないと人に、言われたのを聞いて、四条大納言は、鮭という魚が天皇へお出しできないと、いうことはないだろう。鮭の乾したものに何か問題があるのだろうか、鮎の白乾しはお出しできないのかと言い返された。
2023.09.18
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「仲間同士で語り合っている」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十八段の一ある貴人の邸に仕える従者どもが、内侍所で行われた御神楽を見物して、三種の神器の宝剣を、あの人が持たれていると仲間同士で語り合っていると、近くの御簾の中にいた女房が、別殿の行幸の時は、三種の神器の草薙の剣ではなく、昼御座(ひのござ)の御剣と教えて心憎い事で、その女房は典侍(ないしのすけ)で、律令制における官職。内侍司(後宮)の次官(女官)である。百七十九段の一宋で仏教を学んで帰国した僧侶の道眼上人は、一切経を持ち帰り京都の、六波羅の辺りの、やけ野という所に経を安置し、首楞厳経(しゅりょう)を、講義して、その地に建てた寺を那蘭陀寺(ならんだじ)と呼んだ。道眼上人が、天竺(インド)の那蘭陀寺の大門は北向きだと、江帥の説として、伝え聞いているが、玄奘三蔵(三蔵法師)の西域伝や法顕上人の法顕伝などには、その記述がなく、更に他の文献でも見当たらない。江帥はどういう根拠で、北向きだと言ったのかが分からない。唐の西明寺は、勿論北向きと語っていた。
2023.09.17
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「黒戸の御所と呼ばれる」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十六段の一清涼殿の北廊の西向きの戸は黒戸の御所と呼ばれ小松の御門(光孝天皇)が、即位される以前、ただの人であった時には、御自分で料理をされていた。即位されてからも以前のように料理をして、薪の煤(すす)で扉は黒く、汚れることになり、黒戸の御所と言われるようになった。百七十七段の一鎌倉の中書王(後嵯峨天皇の第二皇子・宗尊親王)の御所で蹴鞠が催された時、雨が降った後で庭がまだ乾いてなく、どうしようかと話し合っていると、佐々木隠岐入道が鋸で引いたおがくずを車一杯に積んで現れ、おがくずを、庭に敷き詰めたので、泥水や泥土の心配は無くなった。泥水や泥土の為におがくずを用意しているのは有難いと、人々は甚く感動した。この鎌倉での出来事を吉田中納言に語ると、乾いた砂の用意はなかったと言われ恥ずかしい思いをした。素晴らしいと思ったおがくずは、身分の低い者の、適当な対処で、京都では異様な事で、貴人の庭の管理をする人は、雨・泥に、備えて乾いた砂を用意しておくというのが、昔からの儀礼である。
2023.09.16
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「隔てのない親しい相手」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「徒然草の151から200」の研鑽を公開してます。百七十五段の六あまり親しくない貴人の正妻から、果物や酒などを優雅な様子で、差し出されるのも、とても良いものだが、冬に、狭い家の中で煎り物を、つまみにして、隔てのない親しい相手と向き合い、多く酒を飲むのは、楽しく、旅の仮屋や野山で、肴になるものは何かないかなどと言い合う。芝の上で酒を飲むのも愉快で、飲めない人が無理強いされ少しだけ飲むのも、中々良いと思う。高貴な方からお酌をして貰い、もう一杯どうですか。まだ飲み足りないと酒を勧められるのも嬉しく、お近づきになりたかった人が、酒が飲める上戸で、飲むうちに段々と打ち解けるのも、また嬉しいものだ。上戸の酒飲みは面白く罪のない者たちで、酔い潰れて引き戸にもたれ、朝寝をしてると、主人が戸を引き開けて焦って戸惑い、寝ぼけ顔で烏帽子もかぶらず、髻(もとどり)を出して、着物の裾をたくし上げ、帯を引きずり逃げようとする。その後姿は、毛が生えた細脛の辺りが可笑しく感じられ、上戸に似つかわしい。
2023.09.15
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