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August 23, 2006
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カテゴリ: 歴史全般
墨俣城のイメージが変わる


境川と長良川の合流点に関する疑問
 境川は岐南町の周辺に沿って西進し、川手を右にみながら南に向きを変えて笠松町の西方を南下し、また西へ、更に南へ、西へと何回も向きを変え、長良大橋のちょっと南で長良川に合流する寸前、また南に向きを変えてしまいます。ここから先の合流点までの流路は直線状で、人工流路の匂いが強いのですが、如何でしょうか。人工流路としますと、それを造った理由は治水と利水の両面が考えられます。
 境川が最後に南に向きを変えたのは人工であって、本来は向きを変えずにそのまま長良川に合流していたとすると、その位置は現在の墨俣町上宿の対岸になります。 【談話室ゆづき投稿記事】

墨俣河野氏の支配地はどこ?
 中世の墨俣とはどこか、どの範囲かを先ず確かめなければなりません。現在の墨俣町は再三にわたって町村合併を繰り返して今に至っています。「中世主要地名分布図」には墨俣はありません。現在の墨俣町のあたりと思われる所に二木荘があります。墨俣村は恐らく小村だったのでしょう。
 Wikipediaの「安八郡」を見ますと、墨俣町の変遷が或る程度推測できます。関係箇所を抜書きします。
・明治22年7月1日 町村制施行(2町107村)
   墨俣村、西橋村、下宿村、二ツ木村 (墨俣町)
・明治27年9月24日 墨俣村が町制施行して墨俣町となった。(4町105村)
・明治30年4月1日 (3町19村)

・平成18年3月27日 墨俣町が大垣市に編入された。(3町)
 この変遷記事と地図を眺めますと、中世に墨俣と呼ばれたのは墨俣村で、現在の墨俣町墨俣ではなかったかと推測されます。その位置は#4889に記した墨俣町上宿の北側で、現在長良大橋が架かっているところです。そして両者の西側に接するのが墨俣町二ツ木です。つまり現在は二ツ木は墨俣町の一部ですが、中世では二木荘に墨俣村が属していたのではないでしょうか。
 過日の歴史懇談会における石野先生の資料には、河野氏の名が二木郷とともに出て来ますが、この資料だけでは河野氏の所領がどこか、どれ程の力を持っていたのかなど、全くわかりません。従って墨俣の河野氏がどの程度の勢力を持っていたのか不明で、別途解明を要する問題です。
 それは兎も角として、境川がここで長良川に合流していたとすると(その可能性は高いと思います)、河口から遡って来た場合、ここが稲葉山方面と尾州河野郷方面への分岐点で、河川交通の要衝だったと思われます。河野氏なら当然目を付けそうな場所です。このように見ますと、墨俣河野氏と尾州河野郷が成立した時期や関連を一日も早く解明して欲しいと願わずには居られません。 【談話室ゆづき投稿記事】





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Last updated  August 23, 2006 09:53:23 PM
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