2005年07月26日
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先の日記に我が家の因縁について記録しようなんて書きながら、sのままになっているんだが…、それほどたいしたものでもないのにと笑われてしまいそうだ。まあ自分の記憶として、書き留めておきたい。自分は4男長女次女そして一女死亡で、七人の兄弟で末っ子。この末っ子が中学校時代に本家から持ち出していた物が江戸時代末期と思われる近江国1329ヵ村の村高帳(寛政12年7月に記載したとする年貢徴収高帳)である。これにはしっかりと記載者の名前が我が先祖の屋号とする名前に姓も現在の我が家の名前なんだ。滋賀県中の村名と石高が列記した古文書であったんだ。これからして考えられるいくつかの我が家の史実が思い浮かべることも出来た。ただ空想の域も甚だしいと言われても仕方がないが、我が家の名字{姓}も彦根は井伊藩家老たちの下屋敷とされるところに多くあり、現在の我が家は信長由来の安土にあって、我が家の姓名は自分だけでもあるんだ。そして信長に関わる由緒を持つ一統と婚姻関係も結んでいる。これからして井伊藩重臣は近江国を所領にして、政治的にもうまくいくために近江各地の有力者との和睦にかなりの心血を注いだとの話も合って、まさに我が先祖は安土に譜代としてまあ左遷させられ、そこの有力者とする一統との婚姻換券系を結んだことのようにもさせられそうだ。いずれにしろ年貢の取り立てに従事したことにはたしかなようだ。
 いま因縁とする物についてこれから語らんとするものだが、ここからが自分自身のこれまで歩まされてきた人生も語ってその証しとするところを述べようと思うんだが、単なるこじつけと思われても仕方がないかもしれない。
 しかし其れは仕方がないにしても、一つ一つ綴って見たいものだ。
 先ず我が生家は、江戸末期の当時を頂点に家運衰微の一途を歩み続け不慮の死(変死者)童子童女出の死亡、さらには火宅と言われる状況の夫婦不仲
から酒色泥酔者、両足歩行不備なる不虞者等、不幸続きに苛まれてきた。年貢取立役人でいたため込んだか取り上げたかで蓄えた出あろう私財も売り食い同然の明治以降の我が生家であったようだ。
 たまたま自分にあっては、自分なりにまじめに働きため込んだ貯金で買った土地もまんまと他人に取り上げられる始末。この顛末は改めて………





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最終更新日  2005年07月27日 01時29分39秒
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