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8月12日(水) 会社倒産(23)休憩:「啄木コンクール」(4) こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そうとしています。 夜警についてまだ色々あるのですが、ここで「夜警」について過去に賞をとった作品(2作品)を載せてひとまず終了したいと思います。 2007年度「啄木コンクール」(20首詠)入賞 今年度は受賞者該当なし、佳作2編でした。 佳作「午後の教室」 相澤寿美子(宮城) 佳作「夜警」 後藤瑞義 (静岡) 「夜警」(4) 後藤瑞義 深ぶかと夜警のわれに会釈して若きコンパニオン闇に消え行く 灯すなく今日を終えたる客室の闇に懐中電灯向ける 事なきを当然などと思うまじ夜警となりて思い至れり 月のなき夜空いちめん輝ける星屑まぶし夜警のわれに 新しき年よ幸あれ夜明け前の闇照らしゆく夜警のわれは (つづく)
2026.08.12
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短歌鑑賞飛びあがり宙にためらふ雀の子羽(は)たたきて見居りその揺るる枝(え)を北原白秋 アララギ派は子規の写生主義から出て、簡単に言えば写生を重視しているグループだと認識しています。さて、北原白秋は、前にも触れましたがアララギ派と反目していた明星派のポープでした。 子雀をよく観察をして、まるでアララギ派の写生の歌のように思われます。しかし、はたしてそうだろうか。それが私の疑問です。 それでは、アララギ派のホープ斎藤茂吉の歌をあげたいと思います。雀の歌ではなく、馬の歌で比較が適当でないかもしれませんが、私の考えは伝わるのではないかと思います。 斎藤茂吉に次のような馬の歌があります。しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼(まなこ)はまたたきにけり では白秋の子雀を写生的に歌っている歌とアララギ派の茂吉の歌の違いを見てゆきたいと思います。 白秋の歌は、解説するまでもない大変わかりやすい、光景が目に浮かぶような歌です。そこで、わたしは二点注目をしたいと思います。第一点は「宙にためらふ」であり、第二点は「雀の子羽(は)たたきて見居り」です。 わたしが、白秋だなあ、茂吉と違うなあと思うのは特にこの二点です。「ためらふ」「見居り」です。 ほんとうに子雀が「ためらった」のでしょうか。ほんとうに子雀が「見ていた」のでしょうか。それは、白秋が感じたことだと私は思うのです。 それでは、茂吉の歌はどうでしょうか。しんしんと雪が降っています。その雪の降っているなかに馬がたたずんでいます。そして、(よくその馬を見ると)「馬の眼(まなこ)はまたたきにけり」なのです。 一切そこに作者の感じ、たとえば上記の「ためらった」とか、「見ていた」とかいう、そんな感じがするというような言葉は入っていません。 ここだと思うのです。白秋と茂吉の違いは。感覚派白秋と写生派茂吉の違いはここだと思います。 白秋は確かに子雀が初めて飛び立った、子雀の初体験を歌にしたように思います。しかし、私は白秋自体が何か初めて宙に飛んだような体験をして、いままで止まっていた枝が激しく揺れていてもとに戻れない。白秋自体が心で今悩んでいる、心に思っていることがそこに表れているようにも思えるのです。 さて、茂吉です。しんしんと雪が降っているなかで佇んでいる。ただ馬がいるというのではなく、佇んでいます。そして馬が雪の中でまたたいているといった曖昧なことではなく、「馬の眼(まなこ)はまたたきにけり」なのです。馬を冷静に私情をはさまず、歌っています。厳しい雪のなかで眼(まなこ)をまたたきながら馬が生きているのです、懸命に馬が生きているのです。そうは、茂吉は一言も言っていませんが、読むものにその馬に対する、生きものに対する茂吉の気持ちが伝わってくるのです。お前も大変だなあという気持ちもあるでしょう。 白秋も茂吉も自分の心にあるものを、あるいは子雀にあるいは馬に、託しているかもしれません。しかし、その作歌方法に違いがあると思います。そして、その一端がここに表れているのではないかと思うのです。飛びあがり宙にためらふ雀の子羽たたきて見居りその揺るる枝を 北原白秋しんしんと雪ふるなかにたたずめる馬の眼(まなこ)はまたたきにけり 斎藤茂吉 参考:北原白秋参考:斎藤茂吉
2010.02.08
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10月13日(金)(佐佐木幸綱の一首)2006年09月19日佐佐木幸綱氏には大変ひかれます。子供を詠んだ歌に好きな歌があります) 佐佐木幸綱氏には大変引かれるところがあります。ただ彼の歌集を熟読するまでは至っていません。わたしが四十過ぎてから作歌を始め、もはや彼の初期の歌から読んでゆく勇気失っているのです。高嶺の花という感じでしょうか。ただこれからでも遅くないという言葉も聞こえてきます。そもそも、朝日歌壇で初めて採られたのは、佐佐木幸綱選の「新しき時代は来るや黒潮の蛇行激しき海原を見る」でした。それより以前に全国レベルの歌会で、それも選者選に採られました。それは佐佐木幸綱選の「肉体は煙となりて消えゆけり健一郎の顔に似る雲」でした。20年前の昭和61年度NHK短歌大会のことでした。短歌を始めて間のないわたしは、NHKホールに招かれ、雛壇に登る栄誉を与えられたのでした。その時選評をなさった近藤芳美氏、塚本邦雄氏、また選者の大西民子氏、生方たつゑ氏はすでにこの世におられません。時代の変遷を深く感じます。短歌鑑賞(佐佐木幸綱) のぼり坂のペダルを踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ 自転車に乗っている子は未だ幼いのかもしれません。自転車で坂道を登りながら、少し不安になったのか「まっすぐ?」と父親に問います。かなり限界に近づいているのが「叫ぶ」に出ているように思います。それに対して父親は「そうだ、どんどんのぼれ」と答えます。このどんどんのぼれのフレーズに「」がついていないのは、あるいは頷いただけかもしれません。言葉自体は自分自身へも言い聞かせるような感じだったかもしれません。男としてこれだけは託したい生き方、そんな理想のような、希望のようなもの(そうだ、どんどんのぼれ)が言外に滲んでいるように感じるのです。
2023.10.13
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8月12日(水) 「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(179) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)二月二十七日 ある事柄がまだ完全に克服されていないということは、わたしたちがそれについて考えたり、語ったりしたがらないことからも分かります。ところが、すでに克服されたなら、まず最初に憎しみも怒りも伴わないある無関心が生じ、最後には勝利の心地よい感情さえ湧いてくるものです。あなたもこのことを真面目にやってみなさい。そうすればあなたの困難はのこらずそのように終わるにちがいありません。(よりつづく)二月二十八日 いわゆる「内的戦い」とは、実にしばしば人間の我意が、神の意志を知りながら逆らう戦いです。わたしたちは神の意志をまげて自分の計画に同意させようと思うのです。(つづく)船出(1)ついに実行した。この世をあとに!この世の盃はこなごなに砕かれた。岸をはなれた小舟のなかから遠い岸辺が薄明りのなかに見える。 路もない海原にあやしく囲まれ、これからは、ただ希望のみが財産だ。私の席はきみたちが占めたまえ、きみたちにはこの世が、私には天国が開かれよ。 長いあいだもくろみ、多くの不安なときに熟慮したことを、ついに敢行した。わが巡礼の足が永遠の祖国を見出すまでもはや決して陸地を踏むことはない。 (つづく)
2026.08.12
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茨木のり子(4) 茨木のり子詩集「自分の感受性くらい」より「癖」むかし女いじめっ子がいた意地悪したり からかったり髪ひっぱるやら つねるやらいいイッ! と白い歯を剥いたその子の前では立往生さすがの私も閉口頓首やな子ねぇ と思っていたのだが卒業のとき小さな紙片を渡されたワタシハアナタガ好キダッタオ友達ニナリタカッタノたどたどしい字で書かれていてそこで私は腰をぬかし いえ ぬかさんばかりになって好きなら好きとまっすぐにぶつけてくれればいいじゃない遅かった 菊ちゃん! もう手も足も出ない小学校出てすぐあなたは置屋の下地っ子以来 いい気味 いたぶり いやがらせさまざまな目にあうたびに 心せよこのひとはほんとは私のこと好きなんじゃないかと思うようになったのだ茨木のり子【予約】 茨木のり子集 言の葉(1)価格:861円(税込、送料別)
2010.08.02
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窪田空穂歌集(62)岩波文庫:200年4月14日発行土を眺めて(大正七年)(8)中篇(2) 亡妻の伝記を書きて 一春深く咲くや藤浪、紫の花にありける、なつかしき我が亡き妻(な)が、世に生くと尽くしたりける、村肝(むらぎも)の心の相(すがた)、父母は離れて遠し、生める子はいまだ幼し、共に居て十年(ととせ)が程を、つばらにも眼には見にける、我をおきて知る者なしと思ふ寂しさ。大き心妻によりては持つと云はね我れは持ちけり妻とし棲むに (つづく)【白い絵本】文庫本サイズ 絵本 画集 詩集 短歌集 サイン帳 などに HIBARI BOOK BINDING窪田空穂 【中古】文庫 窪田空穂歌集【画】価格:250円(税込、送料別)Amazon.co.jp 『スター・ウォーズ ブルーレイBOX』 特設ページ私のおすすめの本ザ・シークレット DVD 日本語版(ロンダ・バーン)
2011.02.21
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1月26日(金)短歌集(166)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版土田耕平(10)一度さへ拾ひしあとにまた拾ふ栗の実いくら袂(たもと)重(おも)たしただ一つ見えてまぢかし朝船は野増(のまし)の磯(いそ)に寄らで過ぎゆくひとしきり耳にまぢかしとどとどと磯波よする音なだれたり春ははや木の芽ゆるむにさきだちて榛(はん)の木の花青みたるらし渚(なぎさ)原(はら)ひととき波のしづまれば遠き渚の波音きこゆ (つづく)
2024.01.26
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5月9日(土)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(81) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月十二日(3)対話(2)一月十二日(3)対話(2)二わたしはおまえと議論はしない。ただ沈黙をまもっているだけだ。より高い光(賢さ)はおまえに任せよう。ただ(信じる)意志だけはわたしが持ちつづける。(よりつづく)三おまえはあいかわらずだ。なん度敗れてもそのままだった。人間はだれもおまえ、自我には勝てない。新しい夜明けが来なければだめだ。 未知の高みからやって来る別の霊、別のこころ――どんな価いを払っても、どんな苦痛を忍んでも、それを手に入れたい。おまえはもう去るべきだ。(つづく)5月9日(土)昭和萬葉集(巻十四)(367)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)V(32)天地自然(9)山・湖(9)古沢武夫白樺の木肌に触れつつさやかなり山の湖に秋の風吹く君島夜詩湖岸うみぎしの一点に燈が入りてより走るがごとく光ひろがる遠山光栄あらはれて切岸きりぎし赭きところまで湖は曇を遠く湛たたへつ田中周三しばしして空のくもれば水うみに立つ鈍色の波はさみしき鵜飼三郎汀みぎはにはさざ波立ちて沖つ方とざす氷が鈍く反射す (つづく)
2026.05.09
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5月12日(火)「眠れぬ夜のために」(ヒルティ)(第一部)(84) 発行所 岩波書店(1973年5月16日)(注)あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)をしました。 ☆ ☆ ☆ ☆ (前日)一月十四日うしろを見ないで、つねに前方を見なさい。最後には、この世の命をこえてかなたを見なさい。あとを振り返りてもなんの利益もありません。ただし、改めるべきことを改めるためや、過去の失敗を今後用心するためや、人から受けた恩誼に感謝をもって報いるために、後ろを振り返るのは別です。(よりつづく)一月十五日神学も、学問としてならば、おだやかに尊敬しなさい。神学は他の科学とひとしく価値あるものです。しかしそれ以上ではありません。あなたの内面的な生活にとっては、神学的知識は必要ではないでしょう。このことはキリストみずからがかたっております。たとえばルカによる福音書第10章21節から22節に:そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼い子のような者にお示しになりました。父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子がどういう者であるか知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」(つづく)
2026.05.12
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7月24日(金)歌集「瀧のこゑ」(35)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(2)弔問の列(2)安らけき眠りあれかし須崎御用邸の弔問の列にわれもつらなる昭和とふ文字に訂正印を押し事務を処理するけふより平成雑草といふ名は無しと宣へりメシバ・クサフジ・カラスムギ知る百万本の薔薇をあげると唄ふ声身のめぐり急に春めく朝 (つづく)
2026.07.24
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7月日25日(土)歌集「瀧のこゑ」(36)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(3)風のやうなり(1)束縛はしないかはりにされるのも嫌といふ君風のやうなり秋の陽に紅万作の花咲くと告げたき人は今あるやなし聞き役と心に決めて枯葉色の帯に萌黄の帯締め結ぶひと休みするに恰好の電柱ならむ鴉が止まる鵯来て止まるぽつかりと浮かびたる雲過ぐる風いつもむなしきものばかり恋ふ (つづく)
2026.07.25
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7月26日(日)NHK「俳句入門」―鑑賞編―(抜粋:後藤)(8)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第二章 夏の俳句を読む(1) 三村純也二、夏の俳句を読む(1)【時候】子の髪に少女の匂ひ夏来たる 三村純也『常行』娘三歳の時の句です。抱きあげた途端、風に吹かれた娘の髪の匂い、シャンプーと汗とがほどよく混じった、少女の香りがしました。立夏、子どもの日は、前日でした。 (つづく)
2026.07.26
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8月11日(火)歌集「瀧のこゑ」(48)発行所:ながらみ書房著書:村松秀代発行:平成十一年一月十七日作者とは、長いこと静岡県歌人協会の常任委員をともにいたしました。隣町(河津町)の出身といいますか、もともとわたしも河津で生まれましたので…。一つ違いの姉さんということでお世話になりました。県や東部の歌会の行きや帰りの電車でよくお互いに歌評をし合ったこともなつかしい思い出です。Ⅱ宗旦木槿(20)宗旦木槿(3)レモンスカッシュのやうな人と言はれしが酢が利きすぎといふこともある艶のいづるスプレーを髪にふりかけて無性に若くありたき日なり雑木々の辺りより暮れ真近なる姫沙羅の幹艶めきたちぬ古伊万里の絵皿の中にのびのびと花弁そらせて咲く花がある (つづく)
2026.08.11
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8月11日(火)会社倒産(22)休憩:「啄木コンクール」(3)こうした題材がわたしの傾向で、この殻をなんとか破りたいと思っています。そのまえに、こうした歌をまとめることによって自分の歌の問題点を探そうとしています。夜警についてまだ色々あるのですが、ここで「夜警」について過去に賞をとった作品(2作品)を載せてひとまず終了したいと思います。2007年度「啄木コンクール」(20首詠)入賞今年度は受賞者該当なし、佳作2編でした。佳作「午後の教室」 相澤寿美子(宮城)佳作「夜警」 後藤瑞義 (静岡)「夜警」(3) 後藤瑞義外周を巡回するに星空に向け懐中電灯照らすひと本の光の柱立ちにけり懐中電灯空に向くとき月読みのさやけきなかを巡回す鯉飛び跳ねる池などもあり月読みの満つる夜なれば夜警われ懐中電灯消し巡回す犬のごと嗅ぎて歩めと教えらる夜間警備の心得として (つづく)
2026.08.11
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8月12日(水)昭和萬葉集(巻十四)(459)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅵ(20)くさぐさの歌(20)老い(7)宮城謙一 学生と語り合う日々に<青春>を保ち来たりしわれの晩年穎田島一二郎終り近き予感に遺書のこと思ふ昭和に生きて生き拙つたなかりし田辺駿一脳軟化症近づきゐしと知らざればその夜は心おごりて眠れり (つづく)
2026.08.12
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8月12日(水)駒田善治朗歌集「天遊」(28)発行:平成25年7月10日 発行所:株式会社 角川書店静岡県歌人協会の役員をご一緒することがありました。わたしの歌をよく読んでいただき、お会いすると「元気、たいへんだね…」などと気をつかっていただきました。大先輩です。平成十七年~十九年(28)背後より(1)自前の歯二十三本無傷は数本磨り減り戦ひ止まず形状記憶ワイシャツに身合はせど時時刻刻記憶力衰ふ人間を材木のごと活用する生物あらむ人材といふは降り際に無料乗車券パスを翳せば青白く余命にまがふ残高示す (つづく)
2026.08.12
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短歌鑑賞 斎藤茂吉のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり中学の教科書にも載っています、あまりにも有名な歌で解説する必要もないような歌です。以下はわたしの自由な解釈です、ご参考までに…。(われと同じように)悲しみでのどを赤くしているのかつばめたちよ、(いつもは飛び回っているのに、)二羽そろって(喪服のような羽をしていましずかに)梁にとまっている。そうだ、(東京のお母さまでなく、)私を乳から育ててくれた「おっかさま」がいま「死になさるんだ」…。(「おっかさーん」…。)「玄」は黒の意味があります。「足乳(たらちね)」は、母にかかる枕詞ですが、文字通り乳でもって育ててくれたという感じがします。「母は」の「は」に強いひびきをわたしは感じます。茂吉は養子に行きましたので東京の斉藤家にも義理の母がおります。その義理の母ではなくて、「足乳(たらちねの)母は」の「は」だと思うのです。鳥の数え方は「一羽二羽」ですが、「ひとつふたつ」は幼い感じ、幼児に返った感じもあったのでしょうか。この場合、「二羽」より「ふたつ」の一音多いほうがつばめの存在感が強まる効果はあると思います。実家に帰った茂吉は、幼い頃の記憶が蘇ったのではないでしょうか。純粋な心になって死に近い母を詠んだ感動的な一首です。のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり参考:斎藤茂吉 歌集「赤光」
2010.02.03
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