7月27日(月)
武士はなぜ歌を詠むか(抜粋:後藤)(2)
~鎌倉将軍から戦国大名まで~
(注)子供の時見た忠臣蔵で、大石内蔵助の片岡千恵蔵がグワーと泣き崩れた姿が忘れられませんでした。主君浅野内匠頭の辞世 「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」 を読んだときでした。そんな記憶からこの本を手にしました。少し、読んでみたく思ったのです。
発行:平成二十年七月十日
著者:小川剛生
発行所:角川学芸出版
序章 源氏将軍と和歌(2)
歌人であるということ(1)
ほんとうの武士には、武芸(騎射など)を伝えることが大事なことは前回書きました。そのなかに歌道が入っていて、ほんとうの武士には歌道も必要な教養でした。
和歌を創作し鑑賞する行為は、個人では完結しませんでした。政治的信条や立場を同じくするグループに所属して詠歌しました。一定の作法があり、グループでのルールがありそれにのっとって和歌を作りました。歌会、歌合は、共同体の構成員である自覚の下になされる、厳格な儀礼です。そして、すべて題詠歌でありました。古今、後撰、拾遺の三代集によって選び取られた素材と詠法を基盤としています。あえて言えば、決まった筋書きのもとに演じられる神事や芸能に近いでしょう。
歌壇と無縁の場所で秀歌作ったところで、すくなくとも社会的評価とは結びつきませんでした。古典和歌の世界では、歌壇とまったく縁をもたない、もぐりの歌人は存在しませんでした。西行は常に都の歌壇と交渉を持っていました。 (つづく)
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