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税務署から、確定申告書が届きました。国家の無駄使いと国民の税負担の矛盾、政官業のやりたい放題に怒りを覚えます。今の税制、国家のあり方は、まるで、稼ぎの無い親父が、子供たちの財布から金を取り上げて、無駄使いをしているのと同じではないでしょうか。私など、稼ぎが無ければ、まさに粗大ゴミどころか、生ゴミ扱いされかねませんし、追い出されるか、ゴミと一緒に捨てられかねませんよ。しかるに、国家は、のんきなものです。毎日増える借金は、悪徳サラ金の金利地獄に劣りません。無駄使いをする亭主など要りませんよ。捨てましょうよ。捨てる覚悟を決めなければならんのでは無いでしょうかね。民主主義の定義そのものも考え直しをしなければならない時にきているのではないかと思われる今日この頃です。政治家に特権を与えてはいかんのですな。政治化には、特命を国民が指示するという構図で無いと、いかんのとちぃますか。ま、しかし嘆いてばかりもいられませんので、私たちは生活のために、安くて長く使えるものを用いる工夫をすることにいたしましょう。そこで、親子孫三代にわたり、お召しいただける着物を生活に用いられる事の提案いたします。着物には、”親から子へつなぐ文化”と共に、布きれとしてまで使う事のできる”しまつの美”があり事にもお気付いただきたいのです。日本の”しまつの美”について感じている事は、又、後日。
2006.01.31
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困ります。パソコンが、言う事を聞いてくれません。パソコンの奥が深いのか、私の知識が浅いのか。???私の考える理屈とパソコンの理論とが、あまりにも大きく違いすぎるのか。???とにかく、パソコンは私の考えを無視します。私がパソコンを使うのならば、パソコンの理屈に合わせるより他には方法が無いようです。「クーソー!!!!!」と思うのですが、「理に叶わざれば、叶わず」。まるっきし、パソコンは、曼荼羅の世界感と同じだと感じるのです。宇宙の理屈に合わない事は、何事たりとも叶わない。人は言います。失敗した時に必ず、「一生懸命やったのだけれども・・」と。一生懸命に自分の理屈でやっても、宇宙の理屈に合っていない事は、成る事が無いのですね。曼荼羅は、その事を説いたものなのです。寺の住職の資格を持ち、理屈に合わぬ事は何事も成らぬもの、と知ってはいるつもりの私なのですが。パソコンのソフトを作っているのも同じ人間だと思うと、同じ人間でも考え方の手順、基準の違う事に関心するやら、怒るやら。です。「オン・アボキャア・ベイロシャノ・マカボダラニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」と唱えつつ、「50才からのパソコン用語」という本を読んでいます。「オン・アボキャア・ベイロシャノ・・・云々」というのは、”曼荼羅”の中心の佛さまの大日如来を称えるサンスクリット語のお経です。パソコンと曼荼羅が浮かぶ頭の中で、今の人の時間の過ぎ方は、人の間合い合っているのでしょうか。などと疑問となっております。今こそ、和の”衣食住・音の文化”を通して、もう一度、人の時間と空間を考えてみるのも無駄ではないと思うのですが。
2006.01.30
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今年は、モーツアルトの生誕250年なのだそうです。今年は2006年だから、引くことの250年で・・・ン~・・・、ま、とにかくとして。生まれは、1月27日だそうです。私は、1月17日生まれ。阪神淡路大震災以来、この日は、お悔やみの日となってしまいました。10日違いで大違いなのですよ。時は、待ってはくれないというべきなのか、自然とは自然だというべきなのか。ま、とにかく、私の事はおいといて。と。 さて、さて、ところで、「ベートーベンは偉大な音楽家であり、モーツアルトは唯一の音楽家だ」と言った人がいるのだそうです。ベートーベンの音楽は、人の内側の叫びとして聞こえるのですが、モーツアルトの音楽は、私たちには見えない、空間に浮かんでいる音符を”ヒョイ・ヒョイ”と、いともたやすく指先で拾い集めたのではなかといった感じを受けます。 音楽は、神からの贈り物なのか、それとも人の創造物なのかは分かりませんが、この空間の中から生まれた事には間違いが無く、無の内より音楽を生み出す人の感性には、「すばらしい」と言った言葉だけでは言いつくせない偉大ささえ感じます。人間っていう生き物は、本来、すばらしいものなのでしょうね。昨今の新聞をみると、・・・・ですが。音楽も人の文化だと言って良いと思うのです。人に文化が無ければ、果たして人とよぶべきなのか。などと思っています。”衣食住”が人の文化だと言っていますが、”音”を加え、人の文化とは、”衣食住音”といたしましょう。
2006.01.28
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庭の椿のつぼみが少し膨らみ、やっと色付きはじめました。まちどうしいです。開花するその日が。赤い椿の花に白い雪が積もった時に眺めるのも楽しみの一つです。花の好きな方は多いと思いますが、私は、四季に咲く草花も美しいと思いるのですが、木に咲く花が大好きなのです。普段は地味な木に花が咲くと、”パッ”と存在感が生まれる。普段は地味でも、やる時にはやる。といった感じにひかれているのかも知れません。着物の柄には花を使ったものが多くありますが、これも、多くの人々が花は美しいと感じていらっしゃるからでは無いかと思っています。
2006.01.27
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怖い話ですよ~~ヒュー ドロドロドロロ・・・!!!。今日は、真冬に怖い話を一つ。!!!!「でるン~ですョ~」出るんですョ。着るものに人なりが。「怖いでしょう。」「なに、怖くない。」では、では、本題に。お召し物には個性を出すという楽しみもあるのですが、出るのですよ~。知性も理性も心持までもが。すなわち、身体は隠しているのですが、理性的であったり、でなかったり、知性的であったり、でなかったり、と心根が丸裸になって現れているのです。衣服で隠しているつもりが、実は、隠しているつもりの衣服から透けて見えているのです。歩く姿に、そのままに。怖いですね~。と、いう私の愛用の衣服は作務衣。さて、どのように読みますか、私の心。さて、ここより着物の宣伝ですが、為になりますので、読み進めてください。着物は、実に良い物で、隠してくれるのです。ちょっと疲れた心も身体のコンプレックスな部分も。着物で、お出かけになると、男どもが、妙に優しいと感じた事はありませんか。着物を着た事の無い方は、一度、着物を着て実験をしてみてください。是非、お試しを。特に、男どもを食い物にしてやろうと企んでいる人には、謹んでお勧めいたします。洋服は、体のコンプレックスな部分を隠してはくれませんが、着物は、見事に隠し通してくれるのです。と、いうよりは、昔の人のような体型になりたい方、あるいは、昔の人のような体型になっちゃった方の体型をも綺麗に見せてくれるだけでなく、昔の人のような体型になっちゃった人の方が着映えするのですから、着物は、さあ大変。さあ、さあ、思い当たる人は寄っといで。!!着物は、帯を結ぶ事で姿勢が良くなり、歩く姿が美しくなります。着物は、綺麗に着ようとするより、楽に着る事を心がけた方が綺麗な着付けの早道になります。楽に着付けた着物は、身体も心も楽にしてくれます。だから、着物は、心も身体も綺麗に見せる事が出来るのですよ。高品質の天然素材の着物を京都からならではの”お手ごろ価格”で販売しています。一枚の絵を”まとう”贅沢が着物でできるのですよ。
2006.01.26
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時代の寵児が逮捕されたんだってね。自分は、山の頂上へ向かって走っていたつもりだったんだろうね。でも、実際は、崖に向かっていたのかもね。急いでは、いかんのだろうね。急ぐと、見落とす事も多くなるのだろうね。道草するぐらいの余裕があった方がいいのだろうね。懐かしいな~。道草をしながら野道を歩いていた子供の頃が。 中国の思想家の「荘子」は、二千五百年ほど前、「政治を良くしようとすると社会がいびつになる。」と説いて、「万物と春をなす。」と言い切っているんですよね。「全ての自然を認め、自然にしたがって生きてゆきましょうよ。」といった意味なのでしょうが、この言葉が、私は大好きで、自然に遊べ、自ら遊べという意味を込め、会社の名前を京都:自遊工房となずけたのです。でも、実際には、金と時間が無くて遊べませんけれどもね。 しかし、今回の事件にかかわった投資家は災難だったよね。でも、彼らは自己責任で事にあたっているよね。でも、「問題が違う」などと言っている政治家がいるけれど、無責任だよね。まったく、この事に限らずだけれどもね。人を見抜くという事はなかなか難しい事だけれども、人の直感って、けっこう当たるよ。だから、人任せにしないで、自分自身の直観力をやしなっておかないといかんのだろうね。テレビのコマーシャルを見ていると(見せられている?かな)、この程度のことで購買につながるのかと、不思議に思うのは、私だけでしょうか。(なんだか、芸人風の終わり方になってしまったな、今日は。)今年は、寒いので、庭の水仙の花がまだひらきません。
2006.01.25
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人が”言葉”を持ち合わせていなかったとしたら、現代はどのような形で存在をしていたのでしょう。 アイヌの人は、文字を持たなかったといいます。なぜなのでしょう。アイヌの人は、文字を持たなかった代わりに、自然を神として語る豊かな言葉を持っています。アイヌの人々は言葉を、時間、空間を超越し過去も未来も今も結ぶび共有できるものとしてとらえ、文字以上に言葉を大切に考えていたのでは無いか。と私は思っています。平坦な文字に比べ、抑揚のある言葉はに臨場感があると思うのです。言葉の事を”ことだま”とも言います。”言葉の魂”という意味で、魂が人の言葉に宿っている、選ぶ言葉により人なりを感じる事が出来るという事ですね。「落語を聞こう」と唱えているひともいらっしゃいます。今、言葉が乱れていると言われます。確かに、過去に比べれば変わってきていると思いますし、私の年のものには違和感をおぼれる言葉もあるのは確かですが、果たして、私も含め、古文を読める人が何人いるでしょう。仮定として、平安時代の人と会話のできるのでしょう。言葉が時代と共にかわるのは、ごく当たり前のことなのでしょうね。アジアでもアメリカでも、どんどんと新しい言葉が生まれています。年よりは嘆いています。どこの国でも、最近の若い者は。と。中国などは、漢字さえも変えてしまいましとものね。言葉が無ければ、こうだったかも。ああだったかも。と思いが尽きませんが。言葉をもって人が交流する事は、空間を共にする事を大前提としていると思うのです。そこで、言葉を有効に活用するためにも、できれば民族共有文化の話が出来ればと考えています。民族の根は”衣食住”にあると考えています。今、言葉が無ければ、はたして今は。とも考えつつ、大事に良い言葉を用い、人の和を考えながら言葉を用いてゆきたいと思っています。今日の京都は、雪がちらちらと舞い、昨日よりも寒いです。今日の写真は、まじめに帯の製作の仕事をしている時のものです。テレビの影響でしょうか、お国言葉がなかなか聞けなくなった事は、寂しい限りです。
2006.01.24
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「・・・・残念です。」 最近、企業の不祥事があると、記者会見で盛んに使われる言葉です。「二度とこのような事は・・・」と言った後にも起きるのです。不祥事が。私は、「残念です。」と言う言葉には、本当に企業が、もしくは担当者が責任を感じているとは感じられないのです。 私が思うには、これらの不祥事の元には、人任せ、機械任せで、適切な過程のチェック、あるいは過程を楽しむという意識が無くなっている事の表れでは無いかと思うのですが。いかがでしょう。例えば、私の専門分野で言うならば、着物を着るにも着付け屋に任せてしまう。着付けてもらう人に聞くと、「着れないんだもの。」とおっしゃる。何でも、最初からは出来ないですよね。何事も。何度も試して覚えるから出来るようになるんですよね。何事も。で、もって、始める時の楽しさ、知らなかった事が少しずつでも分かるってくる時の楽しさ。このように過程を楽しむという事が大事なのだという事を忘れているのではないのでしょうか。現代人は、あれもやらなければ時代に後れる、これもやらないと、云々・・。などの強迫観念に蝕まれているのではないでしょうか。もっと、ゆったりとした時間を過ごせば、人も世の中も変わるのではないかと思い、ゆったりと着物で過ごす時間のおすすめをしています。詳しくは、こちらから インスタントな環境が増えた事で便利にはなったと思うのですが、過程を楽しめない人生は「残念です。」今日の京都は雪。写真は、雪の大文字です。梅のつぼみは、確実に膨らんでいます。
2006.01.23
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京都の特産品は沢山ありますが、もっとも有名なものってなん~だ。!?「豆腐。!!」「・・・もアリですね。」「京野菜。!!」「・・・ありですよね。」「京料理。!!」「・・・もアリですね。」「八橋・五色豆。!!」「・・・食べ物から離れて!!。」「寺。!!」「ムムムム・・・(--; 違うでしょ。寺は特産品と”ちゃいまっせ。(違いますよ。という意味です)”」「ウゥゥー・・・」「あるでしょ、他に。」「ウゥゥー・・・」「京友禅て知ってますゥ。」「聞いた事があるな~。!!・ところで、それって菓子の名前か。?」「はなれろ食べ物から!!・まっあく、このおっさんは。」などと、独り言をブツブツと楽しんでいる店主であります。京都には、名産品や特産品が多くあるのですが、いざ聞かれると、多すぎるのか、何から言ってよいのか分からなくなってしまうのですよね。特に、京都に暮らしていると。ところで、京友禅が京都の特産品だと知っていましたか。?江戸時代に宮崎友禅斉という人物が考え出した着物の染色技法で、今では着物の代名詞となっています。でも、着物は地元の呉服屋さんで買う。という方が多いと思うのですが、地方の呉服屋さんで買うよりも、京都で買う方が、ものすご~く安いんですよ。当たり前ですよね。産地直売なのですからね。当たり前の事なのですが、でも、知っている人も、京都で着物を買ったという人も少ないのではないでしょうか。京都で買うより、もっともっと安いのが、”京都:自遊工房”です。着物一枚買う予算で、着物と京都旅行までできて、その上、お土産までも買える賢い旅行が出来ちゃうのですヨ。まさに、”京都旅行丸儲けの術”なのです。一円からスタートのオークションも開催中です。(着物として仕立を注文いただくことを入札の条件としていますので宜しくお願いします。)今日は、大雪だと言っていた天気予報は、大はずれ!!寒いですが、良い天気です。ちなみに、写真の右端に写っているのが京都タワーです。タワーの形は、ローソクの行灯、”ぼんぼり”をデザインしたと言われています。
2006.01.21
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今日は、お使いで灯油を買いに行ってきました。2リッター買い値段を聞いて、思わず、「たぁっか~!!」と言ってしまいました。いや、新聞やテレビで読んだり聞いたりはしていて情報としては知ってはいたのですが、実際に、その場で聞くと臨場感が違というか、リアルに感じますよね。これが、生活者の実感というのでしょうね。政治家や投資家には、このような事は実感も、なーんも無いんでしょうね。いやいや、現場主義というか、現場に触れる事が大事なのだとつくずく感じましたよ。今日は。そこで思い出したのが、子供に魚の絵を描かせると切り身を描く事やアリが像より大きかったり。魚を切り身にするまでの過程を知らなかったり、テレビで像やアリを見ていれば、やむおえないですよね。実体験をしたり、させたりする事がどれほど重要な事かが良く分かりますよね。私たち、大人でも同じですよね。活字で知っていたり知識として知っていても、実態として分からなければ、知らない事と同じなのですよね。やっぱし、体験に勝る知識は無いですよね。そこで私は、和文化の入り口として、和服・町屋・和食の体験をお勧めしています。(ちょっと、無理やりですかね。お許しを。)和の文化を知る事こそが、世界の文化を認め合う事につながり、グローバル化への第一歩の入り口となると。着物を着て、ゆっくりと京都を散策してみてください。見つかりますよ思わぬ京都が。お母様の着物でも、おばあさまの着物でも、お召しいただいての京の散策。良いものですよ。着物は着るから”着物”であるのです。着ないで箪笥に仕舞いぱなしでは”KIんMONO”ですよね。今日の京都は寒いですが晴れています。京都の北部では雪がふっているのでしょう。下の写真は東山の通称大文字山で、三角に写っているところが大文字です。
2006.01.20
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かって、絹の生産は、日本のお家芸と言われていたのですが、現在では、世界中で生産されている内のわずか0.1%、総量880トンです。主な生産国は、中国、ベトナム、タイ、インド、イラン、ウズベキスタンなど。その中で、中国の生産高は76%64万3千トンだともいわれています。国内での着物の製造にも中国産の絹が使われるようになり、かなりの時間が経過し、いまや、中国内で着物として織り上げられているものもあるのです。中国で、着物が織られるようになり、すでに、30年以上になるのではないでしょうか。当初に比べ飛躍的に品質は向上し、日本で生産されたものと比べても変わらぬ程の品質のものも出来るようになっています。まさに、一国では成り立っていかない時代になっているのですネ。世界の英知を持ち寄り、仲良く暮らさないといけない時代だと、このような場面からも感じるのですが・・・・。仲良く暮らすには、異文化を認め合うことこそが大事だと思います。そのためにも、自分たちの文化を充分に知る必要があるのではないでしょうか。”衣食住”は、文化を知るための智の入り口として、おおいに役に立ちますヨ。和服も、おおいにお役に立てます。ちなみに、「蚕」と呼ばずに、「お蚕さま」とよび、「一匹」「二匹」とよばず、「一頭」「二頭」とよんでいたのは、牛や馬のように貴重な存在であったため感謝の気持ちからのようです。京都は、今日は小雪が舞っています。
2006.01.19
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外国で暮らすと”和”の文化の価値に気付ます以下のような、お便りをいただきました。実は仲間の一人、男性ですが最近着物を着るようになっています。彼は20年前にオーストラリアに移住したのですが、今は半年づつ日本と彼の地を行ったり来たり。その彼が着物を着るので笑ってしまいます。日本に居る男性は洋服一点張りなのに(^^)私も、LAで仕事をしていた事があるのですが、その時、知り合ったアメリカの人々は、日本の文化を高く評価してくれ、あこがれるとも言ってくれました。着物にいたっては、「一枚の絵を身にまとうなんて、なんと贅沢な事、美しい。!!」着物姿のエレガントさには、ものすごく賞賛の声が多かったです。パーティーに着物姿で出かけると、どれほど高価なドレスにも勝る評価を得たものです。(私ではなく、かみさんの和服姿ですので、念のため。)すばらしい文化を持っている日本人は、自信を持って良いのです。和の文化を知る事で、もっと自信を持った日本人が増える事を願っています。
2006.01.18
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庭の椿が、つぼみを膨らませています。雪の日には、赤い椿の花が雪の白さと競っているのだな~。と感じる事があります。椿は、木から落ちる時、いさぎよく見事に花丸ごと落ちます。私の好きな花の一つです。寒い中で着々と花を咲かせる準備をすすめている花を見ると、自分もがんばらなければと思えてくるのです。そして、散る時には椿の花のように、未練を残さず散りたいものだと思っているのですが、いざ、その時を迎えるとどのような気持ちになるかと楽しみでもあるのです。とにかく、その時のためにも今を楽しまなければと思っています。着物で楽しんでください。(ちょっと、無理やりですか。)揃っています。楽しんでいただける着物が。お客様より頂いたレビューもご覧ください。
2006.01.17
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京都の賀茂川には、今、すごい数の”ゆりカモメ”が餌を求め集まっています。手に食パン(パンはパンでもパンのみみです)をかざすと”ゆりカモメ達”が群れ集まって来て見事に奪い去っていくのです。そして、お腹いっぱいになった鳥たちが水辺でくつろいでいる姿が、じつに微笑ましいのです。つい下手な句を詠んでしまいたくなるほどに。「花咲く水辺の鳥達は、皆で仲良く遊びおる、何も持たず身一つで、多くを持ち生きねばならぬ人悲しけれ」多くを持たないと生きてはいけない人を悲しくも思う事もあるのですが、人は、知性と理性と智恵を得る事が出来たおかげなのか、文化を楽しむ事ができるのではないかと思うのです。いながらにして世界中の文化に親しむ事も出来るのですが、文化を楽しむという事と親しむ事は違うと思うのです。親しむことは手軽に出来ると思うのですが、文化を楽しむという事は手間を掛けることの楽しさを味わう事ではなのかな。と、思うのです。着物に関していうならば、着付けるには手順も知らなければなりませんし手間も時間もかかります。ですから最近では、美容室で着付けてもらって着物を着ているという人、多く見受けます。着物を着て街ゆく人を見ていて分かるのです。着物に着られている人と、着物を着こなしている人の違いが。着付けられている着物も苦しそう。着付けられている人は、食事は出来るのだろうか。転ばないだろうか。汚さないだろうか。着物の事が嫌いにならないだろうか。着物を嫌いになってほしくないな。などと思ってしまいます。着こなしをしている人の着物は楽しそう。着こなしている人も楽しそう。着物が跳ねたいのを「おしとやかに」などと、たしなめているかのように静かなのですが、着物の裾裁きなどから着物たちの楽しい気持ちが伝わってきす。着物の話になると、つい、深入りしてしまいますので、着物の話は、今日はこれくらいにして、と。でも人も、「花咲く水辺の鳥たち・・・」のようにありたいものだと思っています。人生は楽しまなくっちゃ。!!!着物を楽しむ方の応援をいたします。京都:自遊工房下の写真は、仕立上りおしゃれ名古屋帯です。
2006.01.16
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今日の京都は雨。先日までの寒さが嘘のように感じます。いつもは街中の騒音が聞こえてくるのですが、今日は雨の音のみが心地よく聞こえてきます。街中も、穏やかな墨絵のように静まり返っているようです。京の音といえば、初詣の柏手の音に始まり、葵祭りの玉砂利を踏みしめる音、夏は祇園祭の”コンチキチ”、時代祭りの美しさにあがる歓声、などなど、そして観光客も少なくなって除夜の鐘の音。京都では年中、観光の方の声が、どこかしこから聞こえてくるのですが、12月から2月までは人影も少なく、静かな京都の風情を楽しむにはおすすめの時期なのです。”しし脅しの音”読経の声”など、本当の京の音は、このような静かな音の中に潜んでいるのではないいでしょうか。見つけに来てください。和服に身を包み静かな京都を。今の京都は静かで、来る価値がありますよ。雨の日、雪の日にも安心してお召しいただける着物もありますので、着物姿で、静かな京都の散策をされてみてはいかがですか。着物に関してでしたら、私も、お手伝いが出来ることもあります。行事のある頃の京都も良いですが、人影の無い京都もすばらしいですよ。写真は、雨にかすむ東山方面です。
2006.01.14
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”捨(すてる)”という字は、”拾(ひろう)”うという字に”十”を足す。”拾う”という字に”十”を足して”捨てる”という字になるのですね。拾う事よりも、捨てることに手間がかかるということなのでしょうか。?捨てる時には、10の手間とストレスとがかかるのだよと言っているのでしょうか。?現代のゴミ事情を昔の人は予言していたかのような意味深な文字ですよね。まさしく、ロハス的暮らしを啓蒙するかのような文字だと関心しきりです。着物は、洋服のように流行廃りが無く、親子孫の代までといい、着物から羽織、羽織から腰巻、腰巻から腰紐と、三代どころか、末代にまで受け継がれてお使いいただけるのです。
2006.01.13
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「八掛」とは、二股、三股、「八人掛け持ち」では無く、着物の腰から下の裏地のことだと昨日の日記で分かっていただけたと思いますが、「では、腰から上の裏地は??」と疑問に思われた方のみ以下をお読みください。 ”袷の着物(裏地の付いた着物)”の裏地の腰から上に付けるものの名称は「胴裏」といいます。基本的には、”つるり”とした”しなやか”な白の”羽二重絹”を用いますが、最近ではポリエステルを用いる事もあります。これは、女性用の着物の裏地の使い方で、男物の裏地には、紺色や茶色、黒色などの無地の羽二重の一枚ものを使う事が基本なのですが、私のところでは、女性と同じ「色物の八掛」と「胴裏」を使用しています。なぜならば、男物の着物も裾に心配りをすることで、着物に粋さと色気が出ると考えているからなのです。男も女も着物は粋に着こなしていただきたいと考えています。ちなみに、女物の反物で男物の着物を作ると、思わぬお洒落な着物が出来上がります。もちろん私のものは、女性用の反物を使用して仕立てた着物が多いです。
2006.01.12
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「八掛・????」”八掛(はっかけ)”とは、裏付き着物(袷の着物と言います。)の裏地の腰から下の裾の部分の名称です。「上おくみ」「上前」「右後ろ」「左後ろ」「左前」「左おくみ」「右袖」「左袖」合計八つ。合わせて八箇所の裏に掛ける(付ける)ので”八掛”と言います。ちなみに、着物の通の方は、八掛の色にこだわりをお持ちになります。なぜならば、裾から少ししか見えませんが、この少しの八掛で着物の表情がおおいに変わるからなのです。おとなしく感じる着物になっり、粋な感じの着物になったり、華やかになったりと。八掛の種類には、”無地”と”ぼかし”と”柄の付いたもの”があります。基本的には、無地を付けるのですが、最近では”ぼかし”を付ける事が多くなりました。”ぼかし”の八掛は、淡い地色の付け下げ(訪問着の柄付けを略式したもの)の表に濃い八掛の色が映ることを極力少なくする為に作られたものなのです。ですから、小紋や濃い色の付け下げでしたら、無地を付けるのが良いのですよ。柄物の八掛は、主に訪問着や留袖や振袖に同柄のものが付けられていますが、お洒落な小紋柄のものも製作されており、これらは小紋や紬に付けられます。■このページの写真の一番下のものを参考にご覧ください。分かりやすいと思います。
2006.01.11
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今日から平成十八年・「今、なぜ昭和30年代がはやりなの。?」急ぎすぎている事に気付始めたんでしょうね。多くの人たちが今。30年代にも、それなりに急いではいたのでしょうが、今の急ぎ方は機械的になり過ぎていると思います。「急ぐ」という同じ言葉でも、急ぎ方が人間的だったころが懐かしいと、人の細胞が叫びはじめているのでしょう。今の急ぎ方は、人の急ぎ方ではなく、機械的で無機質な急ぎ方になっているのでしょうね。だから、町屋が流行ったり、レトロの着物が流行ったり、和食が見直されたりしているのでしょうか。 和服は、ゆっくりと歩むことの重大さを教えてくれます。高級な着物でなくて良いですから見直してみてください。着物に身を包みゆっくりと、身近にある宝物のような”ゆったりとした時間を探してみてください。
2006.01.10
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つい先日、元旦を迎えたと思っていたら、今日は七草粥。もうすぐ十日恵比寿ですね。知っていますか、 ”えべっさん”は、耳が遠いいので、正面から「ゴニョ・ゴニョ・・・」と小さな声でお願いをしていても、聞いてはくれないのだそうですよ。 横から壁をドンドンと叩き、大きな声で元気良く「えべっさ~ん!!」と呼びかけてから、大きな声でお願いをしないとご利益がないのだそうですよ。 私は、恥ずかしがりやですので、酔っ払ってからにしますが、 一度、お試しを!!さて、今日の問題です。・・・・・・ 正解しても賞品はありませんが。Q:以下の”ふく”を足すと”何ふく”でしょう。 大黒天 恵比寿神 毘沙門天 弁財天 福禄寿 寿老人 布袋和尚 京都:自遊工房 宝 船 ___________________ : : : : : 「九つふく!!」・・・・・・・・・・・・違います。 : : : : : では・・・「八つふく」・・・・・ブー!!間違いです。 : : : : ん~・・「なら、七ふく」・・・・残念です。もう一度。 : : : 答えを知りたくば「一ぷく」していないで↓を見よう。答えはこちら:どっかに隠れています。 今日の京都は雪。寒いです。
2006.01.07
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「帯は五十で二十歳、着物は地味目に」これ、着物選びのコツを伝授する諺です。地味目の着物は長く使うことができますし、着物は地味目でも、帯を派手なものにすることで、着映えのするコーディネートが出来るということです。着付けたとき着物の面積に対して帯のしめる面積の割合は少ないですから、少々、派手なものをお使いになる方がポイントにもなります。ですから、このことを「五十で二十歳」と表現しています。帯締め・帯揚げ・衿などの小物で、更に着物全体の表情を変える事が出来ます。曰く、「着物一枚に帯三本、帯一本に帯締め百本」”百本”は大げさですが、多くあれば、それだけの変化を楽しめると言うことです。着物は、流行に左右されることがありませんし、いざという時には、大いに役立ちます。「着物は、女性の精神安定剤」とも言われるところです。着付けは難しいといわれますが、一週間も着続ければ、すごく簡単なことに気付ます。着物は、補正の道具を使わずに、背を伸ばして楽に着ると美しい姿に着付ける事が出来るのです。着付けの講師も最初はビギナー。難しく考えないことです。綺麗に着付けるではなく、楽に着付ける事に主眼を置いて工夫してみてください。私のところで基本を学ばれる方は、一時間ほどで楽に着付けるコツをつかまれています。私の基本的な考え方は、”標準的な美しさではなく、個性的な美しさが良い”をもっとうとしています。更に、着付けた後に立ったまま膝を軽く曲げ膝を外側に”グイッ”と広げてください。歩く時の膝割れが楽になり裾捌きが楽です。着物は親子孫三代お召しいただけます。気楽に着継いでください。着物の好きな方の応援のため赤字で提供の”福来いセール”開催中です。今日は、大文字が綺麗に見えています。
2006.01.06
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今年のカレンダーの一番のお気に入りです。本来は、「お前百まで・わしゃ九十九まで」なのですが、「いつまでも」と、いいつつも、爺さんと婆さんの笑顔が実によいではありませんか。このような洒落たせりふの言える爺になりたいものです。「おまえ百まで・わしゃいつまでも」、これ、今年のお気に入りです。しかし、和服は良いものですね。ちょっと、無理がありますかね。宣伝・宣伝。以下の絵に著作権および肖像権などをお持ちの場合には、お許しを。
2006.01.05
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「正月は・冥土の道の・一里塚・めでたくもあり・めでたくもなし」間違っていないですよね。これは、一休さんの句だったと思うのですが。こんなのもありますね。「欲捨てよ・言った後から・お上人が拾う」「欲を捨てなさいと説教をする坊主が、大衆から金品を集めているヨ」という坊主でありながら、坊主を皮肉った句です。今で言うならば、内部告発とでも言ったところでしょうか。とんちが効いているというか、結構、洒脱で真実をついていますよね。一休さんの実像は、童話やアニメのイメージとは、ずいぶんと違うようで、妻帯をし、荒れ寺に住まい、顔はしわしわ、頭はぼさぼさ、ひげはしょぼしょぼ。しかし、私の憧れの一人です。一休さんって、人の事を好きでもなく、嫌いでも無く、とかの次元では無く、”あわれ”とか”いとしい”と、感じていたのですかね。若かりし頃、一休さんが修行をした通称”竹の寺”が、私の暮らしている近くにあります。東海自然歩道に隣接していますが、人も少なく、着物姿が絵になる穴場です。「さて、さて、一休み・一休み」写真は、外見だけでも一休さんになりたい私です。
2006.01.04
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