DISTANCE -道のり-

DISTANCE -道のり-

2008.09.24
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カテゴリ: 動(sports-fan)


そんな双葉山も入幕(昭和7年、1932年)からしばらくは、正攻法すぎる相撲が災いして、上位を脅かすという存在ではなく、取組内容も攻め込まれてから土俵際で逆転することが多く、成績も不安定だったと言います。

しかし、この時期の横綱であった玉錦は、「双葉山の相撲はあのままで良い。今に力がついてくれば欠点が欠点でなくなる。」と評価していました。

その言葉を裏付けるように、双葉山は体重が増えるに連れて、1935年頃には、相手より一瞬遅れて立つように見えながら先手を取り、右四つに組みとめた後、強靭な足腰を活かした必殺の左上手投げで勝利する相撲になりました。

1936年1月場所9勝2敗。
続く5月場所では11戦全勝で初優勝。
以降、1938年5月場所までを5場所連続全勝優勝。
1939年1月場所4日目に敗れるまで69連勝するなどの大記録を樹立。

また、連勝が69で止まり、約3年ぶりに黒星を喫した際にも、決して取り乱すことも、落ち込む態度も見せぬまま、普段通り一礼をし、東の花道を引き揚げていった様は、同じ東方の支度部屋を使っていた横綱男女ノ川が、「あの男は勝っても負けてもまったく変わらないな」と語るくらいに泰然自若であったと語られています。

「いまだ、木鶏たり得ず」 です。

生涯、木鶏を目指した大横綱 双葉山。


現在の西横綱 朝青龍。
秋場所10日目の昨日、「左ひじ内側側副靱帯(じんたい)損傷で3週間の安静加療を要する」との診断書を提出して先場所に続き途中休場しました。
今場所においては、8日目、9日目と連敗して、5勝4敗と不振を極めていたのですが、その際の態度です。
特に、8日目の敗戦時の悪態は相当のものです。

土俵際で右かかとが俵を割ったと判定されたのに対し、勝ったと思った朝青龍は、土俵上で不満そうに審判長をにらみつけ「残ってるよ」と怒鳴る。
さらに支度部屋に戻っても、左ひじに巻かれたテープを投げ捨て叫んだり、まげを結い直す間にも「残ってると思ったんだよ。この野郎!」と口にする。
報道陣に対しても、「出てたの、出てないの。どっちなの」と意見を求める。
さらに、国技館を去る際には「ビデオを見てねぇから分かんねぇけど、納得いかねぇ。今の気持ちは真っ白。たまったもんじゃねぇよ」とまくし立てる・・・。

私自身が、朝青龍と言う人の本質を知らない人間ですので、批判できる立場にはありません。


しかし、双葉山とは、明らかに違う横綱であって、横綱として尊敬に値する存在には成り得ない方なのではないかとは思います。

如何に強くても尊敬できない人が横綱であってはならないのではないかと思います。




幕内通算成績 276勝68敗1分33休(31場所)
横綱昇進後の勝率 8割8分2厘(取り直し制度導入以降の最高)
優勝12回、全勝8回(ともに年2場所制での最多)
5場所連続全勝(明治以降唯一)
関脇1場所、大関2場所は全て全勝で通過(史上唯一)
昭和43年(1968年)12月16日、劇症肝炎にて逝去 享年56

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Last updated  2008.09.25 09:01:35
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