おいでやす。郡山ハルジ ウェブサイト。

死んだ友人Jのこと


(日本での)学生時代、2年足らずの間に2人の友人の死に直面した。ひとりは’87年に自殺したH、もうひとりが’86年、美術サークルの夏合宿の最中に水死したJの件である。

友人や知人の死を経験したのは、決してこれらが最初ではない。小学生の時は、遊び仲間のひとりが、お気に入りの遊び場であった堤防下で雨の日にサワガニ取りをしていて増水した川に足を滑らして溺死しているし、隣でケーキ屋を経営していた家族は経営難を苦に、遊び仲間であった私より3才年下の男の子と、そのお姉さんを道連れに服毒&排ガス自殺していた。中学に入ってからは、先輩の兄が我が家の目の前の道路でバイク事故を起こし、絶命していた。

しかし、ついさっきまで一緒に話をしていた人間が、その何時間か後に死体になって目の前に現れるような経験は、Jが最初であった。
Jは私が所属していた大学の美術サークルの同級生であったが、年齢は2つ上であった。無口だがサークルの部室には比較的頻繁に顔を出し、展覧会を開く時は必ず手間暇を掛けたであろう写実的な力作を発表する男であった。私とは特に個人的な交流があったわけでも、お互いに関心があったわけでもなかったと思う。
しかし、彼が私に残したその印象は、皮肉にもほかのどの部員よりも強烈なものになってしまった。

【それは“スイカ割り”から始まった】
その夏、われわれが所属する美術サークルが合宿をすることに決まった場所は、日本海側のとある海岸町であった。1年生から4年生までの総勢20数名程度の参加者は、午前から昼にかけては数時間程度海景をスケッチし、あとは海で泳いだり観光したり、夜は飲んでゲームをしたり、明け方近くまでダベったりで4泊だったか5泊の合宿を終える予定であった。
3日目であったか4日目だったその日の午後も、旅館で昼食を済ました後、みんなで海に出た。その午後のメインイベントは、スイカ割りだった。
波打ち際やら海中やらで好き勝手に遊んでしばらくしてから、われわれは一旦海から一斉に上がって、砂浜でスイカ割りを始めた。ボケ役の部員が的を思い切り外すなどしてイベントが盛り上がりを見せていた時、先輩部員のひとりがふと『あれ、Jくんは?』と言い出したのは、すでにみんなが海から上がって30分以上は経過していた頃であった。盛り上がっていた輪が一瞬にしてシーンとなり、それぞれが周りを見渡してみると、確かに彼はスイカ割りの輪の中には居なかった。われわれは一挙にパニック状態に陥り、そのへんをウロウロしているんじゃないかとか、旅館にひとりで戻ったんじゃないか、とか言って、手分けをして彼を探し始めた。
---それを進んで口に出す者こそいなかったが、もちろん海の中もその捜索の対象のひとつであった。

しばらくして旅館にも「そのへん」にも彼が居ないことが明らかになると、われわれはそれが一番あってはならない場所だと知りつつ、海中の捜索を始めた。折りしも天候は下り坂で、雲は次第に厚くなり、波は高くなり始めていた。部員のうち男子10数人はお互いの手首を握り合って「ライフチェーン」を作り、海岸線に平行に一列に並んで波打ち際から沖へ向かって海中の捜索を始めることになった。しかし次第に勢いを増す波はわれわれを波打ち際へと押し戻そうとし、それでもなんとか背の立つ沖の方まで探した限りでは彼の姿は見当たらなかった。
そんな時、砂浜で様子を見ていた女子部員のひとりが海の一点あたりを指し、『スイカ割りをするために海から上がる前、Jさんはあのあたりで水中メガネをかけて海に潜ったり出たりしてた。』と言い出した。われわれは「そのあたり」から沖にかけても捜索したが、やはり彼の姿はなかった。

【「犬神家の一族」のような死体】
Jの不在に気付いてから1時間も経過したであろうか、雲はさらにどんよりとその厚みを増し、空にはカラスが舞い始めた。もし彼が溺れていたとしたら、もう命はないであろうことは明らかであった。そうこうしているうちに海岸には騒ぎを聞きつけた地元住民がボツボツと集まり始めた。
すると、そのうちひとりの初老のおっさんが、途方に暮れているわれわれに『もし水死しているとすれば、死体は潮の流れであの辺に流れてくる』と、岬状の岩場の彼方を指差した。それを聞いて、われわれのうち比較的元気のいい連中数人が岩場の先端から荒波へと飛び込み、沖へ向かって泳ぎ始めた。私もそのひとりであった。
岩場から20メートルやそこら泳いだ頃だったろうか、前方を泳いでいた後輩が、『ありました。』と声を上げた(その瞬間私は、彼が『居ました』ではなく『ありました』と言ったことが何かひどく残酷なことのように思えて、密かに反感を感じていた)。私がそこに泳ぎ着くと、Jは水中メガネをつけたまま、水面からすぐの海中で、うつ伏せで手足を海底に向けて垂らした姿勢でダラーンと浮いていた(彼の髪が、映画『犬神家の一族』の1シーンで見たように、波に揺れているのが私は今でも目に浮かぶ)。

われわれがJの体を浜辺へ向けて移動する間、浜辺に居た地元の救命隊員かと思われる若者数人がこちらに向かって猛烈な勢いで泳いできた。われわれは彼らにJの体を引き渡すと、そのうちのひとりがJの頭から水中メガネを外し、水中を移動しながらマウス・トゥー・マウスで人工呼吸を始めた。何度か腹を押すと、彼の口からは海水ではなく、消化された昼食が噴き出てきた。その救命員は死体の口から飛び出す吐瀉物を顔に浴びたのを海水で洗いながら人口呼吸を続けた。砂浜でそれを見ていた同級の部員のひとりは、気が動転して泣き出したりする女子部員をなだめながら、『大丈夫だ、吐いたからあれは助かる。』などとまるで自分を納得させるような口調で言っていた。それを端で聞きながら私は、あれは「吐いた」のではないし、発見までゆうに1時間半は経過している事実から判断しても完全に死んでいるだろうことを確信していた。
Jの体は浜辺に上げられると担架に載せられ、岬状の岩場から飛び込んだ際、波に押し戻され岩に張り付いた貝殻で全身傷だらけになった同級生の部員(とその付き添いのガールフレンド部員)とともに同じ救急車に乗せられた。同時に、「第一発見者」の後輩とサークルの部長は、取り調べということで警察の車に同乗してその場から去った。

【呆然とする部員たち】
ほかの部員は、旅館のマイクロバスだったか徒歩でみな旅館に戻った。まだ午後3時くらいだったと思うが、外は今にも雨が降り出しそうな暗さであった。
先輩部員たちがJの家族やサークルのほかの部員たちに連絡をとるのに奔走している間、ほかの部員たちは旅館のロビーでただ口をつぐんでソファに掛けていた。しばらくの間は誰も一言も発さなかったと思う。誰もが今しがたの出来事を現実として理解し、自分の感情をコントロールするのに精一杯だったに違いない。

それから夜までの間、何があったか全く記憶にない。ただ、Jの死が医学的に確認されたことが報告され、合宿の中止と(その日合宿に合流した数人の部員も含め、)明日全員が帰宅することが決定された(マヌケな部員の中には、Jの死体が発見された時点でコトは解決したものと思い、その日の晩の余興大会に胸を弾ませているような発言をして呆れられている者も居たが)。
夜になり、本来であれば酒を飲みながらゲームや余興に興じるはずだった時間が来ると、みな話ができるだけの余裕が出てきたのか、半日前の出来事について思い々々に語り始めた。『人間って、あっけなく死んでしまうものなんやね。』との感想を述べる者、『なんでJはあん時、わしらと一緒に砂浜でダベってへんかったんや。砂浜におったらこんなことにならんで済んだのに。』と悪戯な運命に悔しがる者。合宿にその日の夕方合流したためにJの死体を目の当たりにしていない先輩部員のひとりは、『ダメだよJちゃん、死んじゃぁー。』とおどけて言っていた。

【いったい死因は何だったのか?】
また、彼の死因も話題に上った。当日はその前日に比べ波がやや荒かったため、部員の多くは何の疑いもなく、Jは溺死したものとして片付けていた。
---実は、誰も口にはしなかったものの、われわれ各人の沈黙の中にはJに対する「うしろめたさ」が隠されていた。つまり、彼の「不在」に誰ひとりとして30分以上も気が付かなかったという事実。きっと、皆の脳裏には『Jの不在にもっと早く気が付いていたら、あるいはひょっとして...』とか、『私たちがスイカ割りなどをして楽しんでいる時、Jさんは人知れずひとりもがき苦しんでいたのではないか...。』といった罪悪感が潜んでいたに違いないのだ。

しかし私は、同様の疑念に苛まれつつも、彼の死は溺死ではないという確信があった。その理由は、まず水中にJを発見した時、彼は水中メガネをちゃんと掛けていた。人間が溺れている時、水中メガネを掛けたままにしているとは私には思えなかった。さらにもうひとつの理由は、救助員が人工呼吸を試み、彼の腹部を押した時、彼の口からは海水がほとんど出てこなかった。溺れたのであれば、大量の海水を飲んでいたはずではないか。それに、溺れていたのであれば声を上げるなり何らかのSOSサインを出したであろうし、20人以上も居たわれわれの誰もがそれに気付かなかったとは思えない。---この私の意見に、一緒に話していた部員たちも一応納得していた。

しかしそこまで考えた時、ひとつの疑問が浮かんだ。溺死でないとすれば、Jの死因は心臓マヒであろうか。だとすると、若い盛りで健康体であったはずの彼が、どうして突然心臓マヒなどを起こしたのか。部員のひとりは、そう言えばJは前の晩、気分がすぐれないと言って早めに床に就いた、と語った。

【そう言えば、昨夜...】
---そこまで話が行き着いた時、私はふと恐ろしい考えが浮かび、慄然とした。
その考えというのは、私がJの間接的な死因を作ったのでは、ということである。

前日の晩、われわれ美術サークル部員は「肝だめし」と称してあるゲームをしていた。それは、部員がひとりずつ数分おきに旅館を出発し、海岸近くの岩場の上にあるお宮(祠)へと向かい、岩場の階段を上ってそのお宮のお供えのところにあらかじめ人数分並べておいた火のついたロウソクを1本取り、岩場の下にある墓地を通り抜け、墓地の傍の広場に再集合する、という4~500メートルのコースを踏破するものだった。豪胆を自称する私にとってその「肝だめし」は子供だましにほかならなかったが、私の順番がまわってきた時、多少ともこのイベントを盛り上げようというイタズラ心も多少あったのかも知れないが、お宮でロウソクを取ってから墓地を通り抜ける途中で私は立ち止まり、立ち並ぶ墓石の間で何気なしに座り込んでしまったのだ。

私の次の順番はJだった。

お宮の階段を降りてきた彼は、墓石の間に座り込んでいる私にはじめは気付かずに通り過ぎようとした。しかし彼の目の端は何かを捉えたらしく、『そんなハズないよな...』といった表情で彼はちょっと歩速を緩めて墓の間に目を向け、そこに人型のものが座り込んでいるのを確認して、目を丸くして心底驚いていた。
---別にそこで彼が失神したわけでも、飛び上がったり絶叫したわけでもない。今思えば、彼はただ、その人影が私であったことを確認して、引きつった笑いとともに『あぁー、びっくりした。』といった意味のことを口にしただけである。

それにも拘わらずその晩、私の頭は自分が彼の死を引き起こしたのではないかという、この突如湧いた疑念に巣食われ、その責任の重大さに『前の晩の出来事』のことを誰にも口にすることができないのであった。

【「この部屋によう寝れへんし...」】
その晩、もともと人数分しかなかった私たちの寝室の布団は、死者の分一組余ることになった。その前日まで同じ部屋に寝ていた同級生のひとりは、就寝前に自分の寝具を一式抱えると『悪いけど、(気持ち悪くて)この部屋によう寝れんへんし、向こうの部屋に行かせてもらうわ...。』などと言って部屋を出ていった。彼の中では、Jはすでに「お化け」になっているようだった。

Jの死体の発見で合宿はそれまでどおり続行されると思い、その晩の余興大会に胸を弾ませていたバカな男は論外としても、この日の各部員の反応から分かったことは、『オレが死んだ時にも、こいつはこういう態度をとったのだ』という、いわばその人の真の姿とでもいうものであった。
さっきまで一緒に話をしていた仲間が、次の瞬間には死体になっているといった経験をする時、湧き起こる感情は決して「悲しみ」なんかではなく、圧倒的な不条理感だと思う。たまたまその人間がその時ちょっとした運命のめぐり合わせで死んだ。彼・彼女の死には何の必然性もなかった。それは別の誰かだったかも知れないし、もしかすると私自身だったかも知れない。―しかし日頃、健全だとか常識人とか見られているような人間の中に、そんな初歩的な想像力が働かない者がゴロゴロ居たのだ。失われた友人の価値を惜しむどころか、その消え去った存在にまるで忌むべきもののように袋を被せて顔をそむけようとする。---自らが死んだ当人だったとしたら、この「常識人」たちはそんな態度に対してどう感じたことか。---いやきっと、この種の「健全な」者たちは、こんな不慮の死が決して自分にだけは訪れないことを何の根拠もなく信じ切っているからこそ、さっきまで一緒に語り合っていたはずの友人を「お化け」扱いできるのであろう。 

【ノンシャランな同級生】
---こういった考えを含め、『肝だめしでの出来事』のことをようやく人に話したのは、合宿から帰った日、合宿に参加しなかった部員の下宿を訪れた際であった。彼はわれわれが大騒ぎをしていた時、下宿にひとり居た。そして、先輩部員から突然の電話でJの死のことを聞かされたという。彼はその知らせに『えぇ、××先輩、それ冗談でしょう?』と応えると、『○○くん。こんなこと冗談で言えると思うの?』と諭されたと言い、先輩のその台詞に感心していた。
人間的なものに常に距離を置いている芸術家の彼は、友人の死の知らせにも『これまで人間の生なんて大して意味のないことだと思っていたが、Jの死がこれだけの波紋を巻き起こしたことを見て、人の死も結構周囲に影響を与えられるものなんやな、と感心した』とも言っていた。私が「肝だめし」の一件を話す気になったのも、彼のそんなノンシャランな反応のせいだったかもしれない。
いずれにしても、私には「肝だめし」の話に対する彼の反応が思い出せない。その話を聞いて、彼はまるで笑い話でも聞いたかのように笑ったかもしれないし、興味深く聞き入ったかもしれない。いずれにせよ、彼にとってその一件は大ごとではなかったには違いない。

【葬式の日の出来事】
Jの葬式は、彼の自宅で、その翌日だったか翌々日に執り行われた。Jの家に向かう途中の電車やバスの中で、一部の部員たちはほんの数日前Jがわれわれの目と鼻の先で誰にも気付かれずに亡くなったことなどまるでなかったかのように、Jにも葬式にも全く関係のない下世話な話で盛り上がっていた。その彼・彼女たちが、Jの家に到着し葬儀が始まるやいなや声を上げて泣き始めるのを見て、私はとても不愉快に感じた。さらに皮肉なことには、サークルを代表して弔辞を読み上げたのは「この部屋によう寝れんへんし...」の彼なのであった。

Jの死の一件は、私の中に「健全で常識的な人間への不信感」と「生への不確実感」とでもいったものを植え付けた。生が全く予期せぬ瞬間にいつ絶たれるかも知れないこと、そして私が死ぬ時も仲間は「スイカ割り」をしているだろうし、葬式では当り障りのない弔辞が読まれ皆が涙し、帰りの電車ではTVドラマの話に盛り上がるのだ、という感覚が、片時も頭を離れないのであった。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: