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西日本中心に40年に1回ともいわれている寒波が襲来の週末。
雪が降らない所にお住まいの方は大変ではないでしょうか?
カプが旅立ってから早いもので、もうすぐ2週間になろうと
しています。
彼のいない生活にも慣れましたが、思い出を振り返ってみたいと
思います。
彼は熊谷市生まれ。知人より里親になってくれと頼まれて
我が家の一員となりました。
私の仕事の都合で最初は大宮市、次は新潟市と転居をしており
引っ越した回数は合計3回になります。
小さい時はカーテンや網戸を上るのが大好きで、上まで登ったは
いいけど降りられなくなって鳴いている何てことがよくありました。
また、オモチャを投げると走って捕りに行って私の前に置く事を
繰り返す、 そんな子猫時代でした。
彼は2・3回「ダメ!」と言われると2度と同じ事はしない猫で
ご飯の時は「お座り」と「待て」を完璧にマスターし、更には
「お手」もマスター。とても賢い猫でした。
写真撮影も慣れてカメラを向けて名前を呼ぶとカメラ目線で
答えてくれました。さらに色々な表情を見せてくれてシャッターを
押す回数も知らず知らずに多くなっておりました。


晩年は眠り猫のごとく1日の内寝ている時間が殆どで、ご飯とトイレ
以外は起き上がらなくなりました。
彼の足腰に弱りが見え始めたのは、ちょうど1年前位。
そして昨年の秋ごろからヨロケル様になり、年が明けた1月10日から
自力で立つことも歩く事もできなくなりました。
でもご飯の時に「カプ、ご飯だよ!」と声を掛けると来ようとします
ので 抱いてご飯の所へ連れて行き、食べはしないのですが
いつもの様に お皿にご飯を入れてあげました。
彼は私が夕食を終わらせ部屋に戻ると私の前に座り「お手」を3回程度
してから膝の上に乗る事を毎日のようにしていましたが、亡くなる前の
晩も ベッドから這い出て同じことをしようとしました。
真っ直ぐ私の顔を見て一生懸命に来ようとする姿が今でも目に焼き
付いております。

最期の3日間は常に私の側にベッドを置いていました。
か細い声で呼ぶ時は顔や体を撫でてやり、出ようとする時は水を
飲ませたり トイレに連れて行ったりと付きっきりでした。
ご飯も「ちゅーる」を水で薄めて注射器で口の中に入れて
食べさせました。
亡くなる前日、もう彼には残された時間が無いと感じたので、彼の
お気に入りだった窓の所へ連れて行き雪で少し白くなった外を眺め
させて あげました。
これが彼が見た最後の外の景色となりました。
先週の土曜日に斎場から共同墓地への納骨が終わったとの連絡を
受けましたが、天候が悪かったりスケジュールの関係でまだ墓参りに
行けておりません。
来週には行けるようにしたいと思っています。
でも無事に虹の橋を渡った事と思います。

22年間の思い出は尽きる事が無く書ききれませんので数回に分けて
お送りしたいと思っています。