brog

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2024.05.25
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このような記述があった
84歳の男性から「私が死を恐れている理由は、無になることに対する恐怖心に他ならない。」
と述懐された。
とあります。

これは私も同じです。
この問題は無記として考えることは無駄であるとしか答えられないのです。
とあります。

生きているという事は観測していること観ている事です。
観ていないとき、それは有るといえるのか?



どうも困った問題です。私がいるというのは、私が一番よくわかっているからです。
それが無くなったらどうなる? そう考えるのは当たり前です。 ですが

この84歳の方のおこされている恐怖が、それは本当の私ではない
という私はいないという無我の観点からみると、変な話になってきます。

私ではないものが、その恐怖の思いを本当の私に送り込んでくる様に
人はできている

そういうことになります。

その恐怖に苦しむ自分を観ていると、また始まったかと 逃れられないものだと
でもそれも永久にそこに留まることは出来ない
次の瞬間には別の事を考えている

など、ホントに苦しむように出来ていると思います。





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Last updated  2024.05.26 13:33:17
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