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京急・糀谷駅の南側を歩いた4月10日…… 大田区南六郷1丁目18……横切っているのは大田区主道要第102号線というらしい。前方350mほどには多摩川が流れていますが、見学には行かなかった~ 交通安全の守護神……【真言】おん あみりと どはんば うんはった そわか 馬頭観世音が祀られているのだろうが、祠の中はのぞけなかった。 馬頭観世音・馬頭観音……六観音の一つで、畜生道に迷う人々を済度(さいど)されるありがたい存在。旅の道中を守るほか、家畜の安全や健康を祈ります。 ※ 済度=苦しみや困難から救うこと。南無馬頭観世音… 川崎駅や蒲田駅に行かれるバスがあるんだわな~ これに乗れば川崎の居酒屋に行かれます。考えてみたら、川崎駅はさほど遠くない。直線距離で3㎞だものね~ 重幸稲荷神社……大田区本羽田1-7-14 こちらも羽田神社の兼務社「羽田七福いなりめぐり」の看板には「大野 重幸稲荷神社」……昔、この辺り一帯は大野上田と呼ばれていたから。「羽田七福いなりめぐり」の3番札所(開運長寿)でした。『……度々の洪水に悩まされた村人達は、多摩川のほとり旧六郷土堤の際に、田畑の守護と五穀豊穣を祈って社を建立した。社前の道路は旧六郷土堤であり、現在の社の高さが旧堤防の高さであった。境内には樹令400年、幹まわり3.5メートルの楠の大木があったが、昭和20年(1945年)4月の大空襲で焼失してしまった。社前の道路が一部膨らんでいる事が、大木のあったことと歴史の古さを物語っている。』(穴守稲荷神社HPより) 御祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 昭和7年奉納のお狐様……左の建物は、一応、社務所兼町会館。境内を掃除されていた近所にお住まいだとおっしゃる男性と立ち話をさせてもらい、簡単に失礼しました。お邪魔してはいけませんから。 手作り感たっぷりの社でした。鼠に見えたのですが、狐ですね。 重幸稲荷神社の北側……この先のお寺に向かう途中で発見!! 大田区本羽田1丁目7 個人で祀ったお稲荷さんでしょうから立ち入り禁止。商売繁盛を祈ってでしょう。 竹純稲荷神社……と言うらしい。 ということで、今日も簡単におしまい。 本 楽天ブログの読み込みが極端に悪くなったから移転を考えています。19475MB使って17000枚の写真をアップしているし、ページごとに切れ目なく繋がっているのが悪いみたい。ということで、新しいのはよく分かりませんが他社を模索・試行中です。毎月数百円で広告なしにできるものを、とりあえず無料で実験してみます。
2021.04.30
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4月10日の大田区ブラブラ…… 大田区萩中にある萩中神社と7箇寺を訪問した後、すこし南へ……変則路は苦手なんだな~ 電信柱の住所表示は本羽田だけど、卓球場が「南六郷 」と謳うように、道路の右側は大田区南六郷。路地を入ったところに立派な卓球場がありました。コーチングスタッフがいてマンツーマンレッスンが受けられたり、計4台の卓球マシーンも完備しているそうです。休業依頼対象業種だから今は臨時休業中でしょうが、卓球好きの方には連休なのに寂しいですね。近かったら私も利用するんだけどな~ 大田区本羽田1-12-9……Googleマップには鳥居マークがなかったから、この日の予定には入っていなかったのに、突然出現。ラッキー!!! 妙法稲荷社……上田稲荷とも呼ばれるようだけど、江戸時代の当地周辺の地名らしい。こちらが裏参道でした。 鳥居扁額「正一位妙法稲荷社」…… 妙法稲荷社社殿……『享和元年9月(1801年)大洪水の被害から立直る為、京都伏見大社の分霊を賜り、大松の下に社殿を建立し、鎮座されたものと伝へられている。この松の根元には白蛇が住み、神の使いと云われた事から、蛇稲荷とも呼ばれ信仰を集めていた。大正12年(1923年)の関東大震災の折、大松も社殿も焼失したが、当地の有志により松の切株の上に八角堂が建立され、妙法稲荷と呼ばれ信仰を集めていた。昭和20年(1945年)の戦災によって八角堂は焼失したが、昭和31年(1956年)崇敬者並びに地元有志により現在の社殿が建立された。』(穴守稲荷神社HPより) 御祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)……この日、初めに訪問した萩中神社同様に羽田神社の兼務社でした。羽田神社は先日21日に行ってきたけど、日記に登場するのはまだまだ先だな~ さほど高さはないけど、大田区唯一の富士塚にも登拝してきましたっけ。 社殿右わきに、天祖神社(天照皇大神)が鎮座。 妙法稲荷社殿前から表参道……右は上田稲荷児童遊園だけど、誰も遊んでいない。 手水盤のマークはなにかしら?「狐塚」……碑だけあるけど意味不明。「酒匂和三郎翁 頌徳碑」……『翁ハ当地ニ生誕シソノ性温厚篤実ニシテ青壮年ノ頃ヨリ公共ニ盡シ 特ニ敬神崇祖ノ念厚ク当神社ノ為ニ献身的ニ仕ヘ顕著ナル功績アリ 然ルニ昭和四十四年惜シクモ他界サル 依テ翁ノ遺徳ヲ偲ビ有志相諮リ茲ニ此ノ碑ヲ建立ス 昭和四十五年7月建之』……疲れた~「酒」に「匂い」と書いて酒匂さん……「さこう」「さかわ」「さかこう」「さかい」などなど、さまざまな読み方があるようだけど二日酔いを連想されるから当事者は嫌かもしれませんね。小田原市立で酒匂(さかわ)小学校があるけど、近隣小学校の生徒からいじめられませんように…… 囚われの身……お狐様は逃げないように金網で囲ってありました。冗談です。動けずしても神様をお守りする存在です。 多数の鳥居からは近隣氏子さんの崇拝の念を感じます。 私が歩くには ちと低かった…… 表参道……また裏口入社をしてしまいました。 萩中神社に鎮座していた「東官守稲荷神社」で学習した「羽田七福いなりめぐり」の2番札所(招福厄除)でした。8社をめぐる七福いなりめぐりですが、この後「参番・重幸稲荷神社」には寄ってきたから、残る5社はそのうちに……でも天空橋の近くまで行かなくちゃならないから遠い。コロナが沈静化しないとダメだな~《独り言》 どうしても東京オリ・パラをやりたいのだろう。「高齢者向けの2回の接種を7月末までに終わらせる」と述べた菅首相を後押しするように、政府は大手町に新型コロナワクチンの「大規模接種センター」を設け、1都3県に住む65歳以上の高齢者を想定して「1日1万人規模の接種」を行うと言う。 予定している15階建てビル、1階で受付をした後、2,4,7階に分けて接種を行う想定だと。各フロアには会議室風の部屋が並んでいて、「予診票確認」「医師による健康確認」「ワクチン接種」「経過観察」との流れに沿って、接種者が部屋を移動していくと伝えられるが期待より懸念が先に立ち、尻込みする私。 外出自粛を求める中で、我々高齢者に電車やバスを乗り継いで来いと言う。自宅に近い所で接種できるほうが安心なのだが、じめじめする梅雨時に傘をさして足元の悪い中を歩けと言う。会場に到着してからも、上記の通り屋内を歩かされる。改修はするのだろうが、現在 階段に手すりはないと。元気な高齢者ばかりではないだろうに、7階まで上がれと言うのか。予約時間より早く到着するのが高齢者の常であり、その人たちの安全な待機スペースは充分に確保されるのか。電車の遅延により遅刻した場合はどうなるのか。思い付きのように「やってる感」を伝えるための道具にされてはたまらない。 規模に見合う医療従事者の人員確保も容易ではないだろう。記録の管理など、自治体との連携はミスなく行えるのか。厚労省はワクチン接種後に健康状態を聞き取る調査が28日時点で始まっていないと言う。接種の本格化は5月10日からだが、調査開始の見通しは立っていないと。唐突な施策には失敗が付き物であり、あらゆる角度からの綿密な計画と実行性を担保してから行うべし。 そうそう、オリ・パラ人数制限決定は先送りになどせず、即時中止を決断されたし。国民の安全・安心のために……
2021.04.29
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昨日、本当に久しぶりに魚屋をのぞいたら…… 良さげなヤリイカがあったから買ってみた。 皮をむいてイカ刺し……たまには台所に立たないとね~ 醤油にコピット浸けて焼いた……お袋が好きだから、硬くならぬようソフトな焼き加減。 サクランボも赤くなった昨日、連れ合いに食べさせたら「すっぱいよ~」と泣いていた。赤いのに鳥が突かないわけだわね~「そろそろ時期だよな~」と、今朝、モーニングの帰りに寄ってみたらみごとに咲いていた。 なんでか分からないけど、やる気がないから今日は超簡単におしまい。連休になるから、予防の電気治療に行ってきます。昨日、行かなかったからな~
2021.04.28
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4月10日の散歩…… 真光寺……関東大震災後の昭和3~4年、築地から現在地:大田区萩中にそろって移転してきた7箇寺中 最後の訪問先。『節目あり 竹の子 けじめあれ 人の子』……誰の言葉か分からないけど、人にとって「けじめ」は大切だから「けじめのある行動」はとります。でも、国民・都民・県民をリードしていく方々には施策のけじめと対策の妥当性を明確にされたし。 浄土真宗本願寺派……表札には(お西)って書いてあるけど、私は知っているよ。近隣7箇寺の中で、最もなじみ深い造りの本堂です。 治承3年(1179年)真運が庄内鶴岡に天台宗真光院を開いたのがスタートらしい。延慶4年(1311年)品川郷に移転した後、元和7年(1621年)に浄土真宗に改宗して江戸浜町に移転するも、明暦の大火(明暦3年・1657年)により移転して築地本願寺寺中に。その後当地へ移転……「災い転じて福となす」と言うものの、これ以上 移転を余儀なくされないことを祈ります。 本堂扁額……何と読むか不明だけど、山号は東照山。 南無阿弥陀仏……御本尊は阿弥陀如来と思われます。 本堂前から参道…… 本堂左手の墓地の一画に…… 納骨堂と思われます。「倶会一処(くえいっしょ)」……倶に(ともに)一つの処(ところ)で会う たとえこの世で会えなくても、死ねば阿弥陀仏の極楽浄土でまた遇える。 仏教から出た「一蓮托生」も同意語のようです。「一つの蓮の花の上に身を託し生まれ変わる」……私が死んでも、ご先祖さまや連れ合いに「また会える」と楽しみを胸にとなえましょう。南無阿弥陀仏。 本堂前から庫裏…… 近隣7箇寺ともに花がお好き…… 真光寺の門前は妙覚寺……ということで、六郷地区寺院の内、大田区萩中の7箇寺に参ってきました。西六郷・南六郷・中六郷には真言宗智山派の寺院が数寺あるから、そのうちに訪ねてみましょう。遠いんだけど…… 今朝はモーニングに行ってきたけど、西小山駅前の人出はいつもより少なかった。天気は散歩日和だけど、不要不急の外出自粛だから止めておこう。電気治療だけは行ってこようかな? 連休で休診が続くから……
2021.04.27
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4月10日の大田区散歩……結構遠かったな~ 正覚寺を後にして北側へ……右に見える屋根を目指します。福称寺後方の寺院。 妙覚寺門前……浄土真宗本願寺派 開基は親鸞聖人の直弟子唯誓坊宗専の弟宗養で、越後の国柳瀬(現在の新潟県)に草庵を結んだのが始まり。室町時代・文明年間(1469~1486年)に武蔵国(現在の東京都・埼玉県の全域、および神奈川県の一部)に移転するが、次第に荒廃。慶安4年(1651年)に江戸の四ツ谷に再興されたのを期して、地名を山号とした。本願寺宗主より現本尊を賜り、浜町御坊、築地と移るが関東大震災によって壊滅。昭和4年に現在地に再建された。苦難の道でしたね。 やっとのことで現地に再興されたけど、昭和20年(1945年)の空襲で焼失したのでしょう、現在の本堂は先代のご住職によって再建されたようです。近隣7箇寺も戦禍にみまわれたことでしょう。 左に庫裏…… 本堂扁額……四ツ谷山妙覚寺 江戸時代慶安年間(1648~1652年)に作られた本尊・木造阿弥陀如来立像は、本願寺宗主・教興院より寄贈を受けたとのこと。 石や季節の花々が彩りを添えています。 何気なく本堂前…… いずこの寺院も丁寧に手入れをされています。 色鮮やかだったので思わずパチリ……春の色 きれいきれい……ハンドソープじゃありません。 ふり返って失礼しました。 ということで、もうすぐ用事があるので今日も簡単におしまい。 昨日は、お酒を飲める飲食店を求めて川崎あたりも賑わっていたそうだけど、私は家飲み。連れ合いがホタルイカと蛸刺しを振舞ってくれました。今晩もおとなしく家飲みだけど、近いうちに料理番をしないとあきまへんな~
2021.04.26
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今年1月8日に発出された2回目の宣言が解除された3月21日からわずか1ヶ月だというのに3回目の宣言発出。変異株の存在を知りながら対策を放置した国や都への怒りがこみ上げてくる。怒髪衝天で何もしたくないから、休もうかと思ったけど簡単に…… すっかり春めいてきたけど、心はブルー…… 昨年4月7日・1回目の緊急事態宣言が発出されてからの1年間は何だったのか。GoToトラベルもイートも利用せず、行きつけのお客の少ない喫茶店と、これまた貸し切り状態の居酒屋での早い時間の晩酌。携帯用消毒液を持ち歩き、店内ではマスク飲食。お蔭で今日現在までコロナには感染していないが、私なりに自粛してきたことはいったい何だったのか。人と接触しないことが最大の感染防御であり、新規感染者を増やさないことが医療従事者を助けることなのだが、いい加減あほらしくなった今日。高田馬場や渋谷で無茶する若者の真似をしようとは思わないが、説明のつかない根拠の曖昧な施策を打ち出され、そろそろ我慢の限界かもしれない私です。 ピータンで紹興酒二杯の短い半跏思惟の時間、独り楽しめるのはいつのことか……
2021.04.25
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萩中地区の寺院を訪問した4月10日…… 4つ目のお寺にお参り…… 正覚寺……浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は法照山。「仁治元年(1240年)9月 茨城に唯念が開基し、明暦3年(1657年)築地に移転するも、関東大震災の被害を受けて昭和3年(1928年)築地本願寺寺中から現在の萩中へ移転されました。」と(六郷地区寺院歴史マップ)にありましたが、当該年度あたりで「唯念」を見つけることはできません。幕末から明治時代の唯念上人(ゆいねんしょうにん)って言う方は出てくるんだけどな~ しかし、もう引っ越さなくて済みますように…… 本堂……モダンな建物ですが、御本尊は阿弥陀如来でしょう。 観世音菩薩絵馬(非公開)・大田区指定有形文化財『縦82cm、横96.5cmの絵馬額仕立、着彩、額の枠は最近補充されたもの。 絵は右上に観世音菩薩、上部に滝と堂らしき建物があり、下方に順礼姿の七人の人物を描いている。左下部には「寛政改元年吉辰 歌川豊広画」の墨書と朱の花押があります。観世音の霊験を示した構図で、このような絵馬は珍しい。……』 歌川豊広(1773ー1828年)が16歳の作時の作品だって……見てみたいな~ ちなみに、説明書きには「順礼」とありますが、「巡礼」の間違えじゃないのかしら?と思った私ですが、どちらも良いみたい。後者の方がしっくりするんだけどな~ 本堂左前にベンチと灰皿が置かれていたので一休みさせていただきながらの写真です。墓地から庫裏に向かう、お子さんを抱っこした(おそらく)ご住職が通られましたが、笑顔で会釈をくださいました。勝手にタバコを吸って失礼しました。 本堂前の植え込み……きれいに剪定されています。 アヤメかショウブか?…… 盆栽はご住職の趣味なんでしょう。 桜は終わってしまいました。 道路の向こうは福称寺……福称寺にも高く伸びる相輪があったのね~ 同一宗派の近隣7箇寺ですが、いずれも異なる本堂の表情。ご住職の個性の顕れでしょう。 ということで、残り2寺を残して今日はここまで……明日からは外飲みできないから、飲みに行ってくるよ~ お客さんの来ない安全な店にね~
2021.04.24
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天気が良かった4月10日の大田区散歩…… 福称寺(ふくしょうじ)……浄土真宗本願寺派 近隣他寺と同様に、関東大震災により昭和4年築地から移転されました。 麻谷山福称寺……「1660年(万治3年)に准如(じゅんにょ)上人より山号、下付(かふ)されている」と「大田区・六郷地区寺院歴史マップ」に記されているけど、築地本願寺HPでは「上人は1630年(寛永7年)11月30日(旧暦)に54歳でご往生されました」との記載があります。年代に少し違いがあるけど、准如上人とは、1617年(元和3年)、江戸浅草横山町に築地別院の源流となる御堂を建立された方らしい。 写真の右・寺号碑には「真宗本派」の文字……「本派」の他に「お西さん」とも呼ばれるのが浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺。一方、真宗大谷派の本山・東本願寺を「お東さん」と呼びます。意外だったけど、「浄土真宗」を宗旨名として用いたのは親鸞聖人の没後だと。江戸時代までは「一向宗」って呼ばれたと聞けば、何となく覚えがあるような……ちなみに浄土真宗は10派ほどあるみたいですが、私は本願寺派と大谷派の寺院しか知りません。 ※ 宗旨(しゅうし)=その宗教・宗門の教えの中心になっているところ。《余計な話》 現在は、京都に東と西と二つある本願寺だけど、戦国時代には大阪城の場所にあった浄土真宗の一大拠点・石山本願寺だけだった。その石山本願寺を織田信長が攻めた石山戦争をきっかけに二つに分かれることに。織田信長は、10年以上攻め続けたけど石山本願寺は落とせなかった。そこで、天下統一を目指す信長は、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の力を借りて和睦の道を模索するんだけど、信長と「和睦するか」あるいは「徹底的に戦うか」で本願寺内の議論が分かれることに……石山本願寺の当時のトップ・顕如(けんにょ)と三男の准如(じゅんにょ)の和睦派と、長男・教如(きょうにょ)の徹底抗戦派が激しく対立し、結果として本願寺が東と西に分かれるきっかけとなった。 和睦を決めた顕如と准如は和歌山に移転し、信長との争いは落ち着いたように見えたが、そうはいかない。しつこい信長は、明智光秀に本願寺陥落を命じるが、裏目に出たのは信長。「敵は本願寺にあらず…」と、本能寺の変で信長は討たれてしまいましたとさ。 浄土真宗のトップの座が三男の准如になるや、怒ったのが長男の教如。徳川家康に土地を寄進してもらい建てたのが東本願寺でありました。 今日は嫌いな歴史の勉強……あぁ~疲れた~ 手前は駐車場……広々としていました。都心にもたくさんの檀家さんがおいでになるはずです。法話の他にも謡曲の会・カラオケ教室など開催されているようですが、コロナ禍では開催されていないでしょう。早く日常がもどりますように。 この写真を撮ってすぐ、本堂で手を合わせたところにご住職が登場。ということなので残念ながら本堂右前の親鸞聖人御像の写真はありません。(撮ってもお叱りはうけないでしょうが……) 御子息に譲ったから隠居の身だしお勤めもしていないとおっしゃるから、元住職が正しいのだろうけど、私にとってはご住職。しばし雑談に付き合ってくださり「7箇寺が一緒に築地から来た事情」も伺いました。85歳にはお見受けできない若さながら「門の外に出てはダメ」と言われているから歩くのは境内だけみたい。晩酌を問うたら「毎日だよ」「でも一合だけどね」と笑顔で答えてくださった。どうぞこれからもお元気で…… 5つ目の寺院に向かうところ……右・福称寺の後方と、左側に2寺待ってます。 福称寺脇門……「ふく志よう寺」って書いてあるのかしら?《独り言》 緊急事態宣言が発出される。人流を抑え込むには仕方ないかもしれないが、酒の提供までストップされるらしい。お酒を飲むと声が大きくなるからなのか? コーヒー飲みながら狭い喫茶店での会話は良いらしい。時短要請下、20時を過ぎるとぞくぞく登場する路飲みだが、日曜日からはもっと早い時間に始まるんだろう。屋外とは言え、至近距離でしゃべりながらの立ち飲み。おまけにノーマスク。まさに感染の根源ではないのか。ゴミは山積みだけど、路上飲みに対しては「注意喚起」だって。「禁止」の都条例を作って取り締まれば良いのに、いったい何をやっているのか。路上喫煙だって罰金取るんだから同じこと。酔っ払い相手にどこまで注意喚起できるか? そんなことより期間がなぜ5月11日までなのか? 2週間程度で治まる訳は絶対にない。専門家だって一ヶ月とか、短くても3週間と言っているのに、政府や都はどこを見てるんだと腹が立つ。心ある我慢する国民は1年以上に渡って右往左往させられた。GoToを含めて自分たちの施策や見立ての甘さから生まれる3回目の緊急事態宣言だということを心して噛みしめろ。ワクチンの遅れも含めて、まず反省の弁を述べてからの発出とされたし。 椅子を抜いて席数を減らし、ドアを開けて換気をし、消毒液もアクリル板も設置し…… こんな機械まで買わされている。 なぜ、こういう店で飲んじゃいけないのか、しかと説明されたし。店によるお酒の提供はダメというが、自分のボトルを飲むのがなぜダメなのか。ボトルの支払いは済んでいるから、店が提供するものじゃない。宣言期間中にボトルの期限が切れたらどうしてくれるのか? あるいは、氷とウーロン茶をもらって、持込のアルコールを飲むならいいのか? あほらしくなってきたから止めた~ 今日の東京都は759人。先週の金曜日より92人増……もう一度言う。5月11日の解除は絶対あり得ない。
2021.04.23
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大田区萩中1丁目に集結した7箇寺を訪問した4月10日…… 3つ目の寺院を訪問…… 延徳寺……もちろん浄土真宗本願寺派 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。 つまり、世に非難されない者はいないのである。 仏教の開祖・お釈迦様(仏陀)のお言葉……非難されることを怖がらず自分の信念に従って生きなさい。もし間違いに気付いたら、訂正してやり直せば良い、とでも受け取れば良いのでしょうか。 話はそれるけど、米国から帰ってきた菅首相は、19日に、ワクチンに関して「9月までに供給される目途が立った」と少し語ったが、昨日・一昨日は一変「会談の詳細は相手方との関係もあり差し控える」と沈黙。詳細は「差し控える」でも良いが、国民の一大関心事は「いつワクチンを接種できるか」にある中においての情けない答え。医療従事者も2割程度の接種率らしいし、蔓延防止から緊急事態に切り替わる都府県が増えている事態を直視していないのか。接種完了時期を問われても「実務を担う自治体が作成した計画による」とする首相。「自分は打ったから良い」と思っているのかもしれないが、あまりにも他人任せ。多くを語る者は非難されるかもしれないが、言葉を尽くして説明することが政治リーダーのあるべき姿だと認識されたし。覚悟のない者に人はついては行かない。 左の扉には浄土真宗本願寺派の紋…… 大正12年(1923年)に起こった関東大震災により焼失し、帝都復興計画に基づく区画整理が行われる中、昭和4年に築地の地からこちらに移転されました。 右端の延徳寺会館の向こうは報身寺……高く伸びる相輪が印象的でした。 正面が書院で左に本堂…… 桜は終わってしまいましたが、四季折々の花や池を愛でることができる境内…… 池があって…… 大きな鯉たちが悠々と…… 餌をもらえると思っているのか? 寄って来るんです。 石庭もあります。 潮留山延徳寺(ちょうりゅうざん えんとくじ)本堂……『延徳2年(1490年)に開山した為、その元号を頂き延徳寺と号し、江戸時代は日本橋にあったとされるが詳しい資料は明暦3年の江戸三大火の筆頭、俗に振袖火事(1657年)により本堂と共に焼失したとされる。 その後は幕府の区画整理の為に本願寺と共に寺基を築地へ移転し築地本願寺の塔頭(たっちゅう)となる。また築地の地においては汐留付近に位置していた為、併せて益々仏法が満潮の時を迎え、永く留めておくという意味で山号を「汐(引き潮を表す)」を「潮(満ち潮を表す)」の字に改め潮留山とした。』(同寺HPより) 蛇足ながら、「汐」は「夕」に「水」を表す「氵」(さんずい)が付いているから「夕方の海の満ち引き」で、「氵」+「朝」=「潮」は「朝の海の満ち引き」って説もあるんだけどな~ 本尊は「阿弥陀如来」……南無阿弥陀仏 当寺の門前は、大田区立出雲小学校……昭和11年9月2日開校の『東京市出雲尋常小学校』ですが、「出雲」の云われは何なのかしら? 昔の村名なのかな?《独り言》 週刊文春の新聞広告に『小室圭さん母「年金詐取」計画 口止めメール28枚文書で判明』『元婚約者の金銭提供を贈与と主張してきた佳代さんだが、報道されるまで贈与税を支払っていなかった。経緯を検証すると、佳代さんが遺族年金を詐取しようとしていた疑惑が。婚約直後、元婚約者に送ったメールには綿密な計画と共に「内密にして頂きたい」……。』だって。 文春オンラインをのぞいてみたら「佳代さんは婚約直後の2010年9月5日にこんなメールをX氏に送っていた。」として《*お互いの総収入+主人の遺族年金でお互いの生活を賄う事 *その他預金や財産に関してもお互いのものとしてみなす事 *パピーの生命保険の受取人を私にして下さる事 先ずは以上を実践する=事実婚をします。そして4年後パピーの年金取得時に改めて入籍する》なる携帯メールが載っていた。 文春は、「佳代さんがX氏と生計を一にしながら、同時に、亡夫の遺族年金ももらい続け、圭さんを含めた3人で生活していくことを計画していた」と報じているが、事実であるなら圭さんの結婚はもう無理でしょう。圭さんがちらつかせた音声データに対するX氏の報復メール……コロナ感染予防が一番大事だけど、圭さんの次の文書は何枚になるのかしら? 多くを書いても非難されますよ。 昨日歩いたから、今日は散歩お休みです。足が少し重い私……歳です。
2021.04.22
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4月10日の大田区散歩…… 報身寺の後方・北側に…… 善永寺……浄土真宗本願寺派の寺院 如来さまより最も遠い身が 実は最も近い身でありました Although I may be far from the Tathagata,the Buddha is actually very close to me. 和氣 良晴『[法話] 皆さんは夕焼けを眺めて虚(むな)しさを感じたことはないでしょうか。この日常自体に不満があるわけではありません。楽しいことがないわけでもありません。家族もいて、友だちもいる。毎日の生活もしている。なのに、夕焼けを眺めた時に、今日もこうして二度と戻らない一日を失ってしまった。そんな虚しさを感じることはないでしょうか。 今こうして現実を力いっぱい生きているのに、ただいたずらに時間ばかりが過ぎ去っていく虚しさ、と言ってもいいかもしれません。それはどこかに思いを繋(つな)げ、わかりあいたいと思いつつも、誰とも通じあえず、大きな宇宙の中にひとり生まれ、ひとりポッカリと浮かんでいるような、取り残されたような悲しさでもあります。 太宰治は『人間失格』の末尾にこう書きました。 いまは自分には、幸福も不幸もありません。 ただ、一切は過ぎて行きます。〝ただ、一切は過ぎて行く〟。私の人生は、過ぎ去る命にしがみついて、やがて存在が失われていくただ孤独な存在なのだろうか。そう思うと、すべての生きとし生けるものを、一切平等の真理に目覚ませるという阿弥陀如来(あみだにょらい)の願いと聞いても、何の実感もわかず、まるで遠い世界のおとぎ話のように聞こえてくるものです。 しかし、その如来の本願(=仏・菩薩 (ぼさつ) が衆生を救済するために起こした誓願)を説いた『無量寿経(むりょうじゅきょう)』を開いてみると、偉大な大弟子たちが集っていた中に、たったひとり、阿難(あなん)だけが未(いま)だ悟りを開けず、迷いの中にあったというプロローグ(=本筋の展開に先だつ前置きの部分。序章)が語られます。 その阿難が、何かに呼び覚まされたように立ち上がり、お釈迦(しゃか)様に「あなたは仏と仏がお互いに念じ合う世界にいるのではないか」とたずね、その問いがお釈迦様に、私たちが求めてやまなかった本当の願いを説かせることになります。不思議に思いませんか。その場に集った中でただひとり迷いの中にあった阿難によってこのお経が始まるのです。言うならば、阿難がお釈迦様を目覚ませるところから、このお経が始まったと私は受け止めています。 そして阿弥陀如来の本願が説かれていくのですが、その願いは私ただ一人(いちにん)を救うためであったと、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は言われます。なぜ私一人かといえば、私がもっとも如来から遠い存在だからです。『無量寿経』に説かれる本願(第十七願)のお意(こころ)を私なりにいただけば、最も救われ難い私を目覚めさせるために、如来は宇宙全体に向かって、この私一人を呼び覚ますことに協力してほしい、そのために我が名(南無阿弥陀仏)を呼んでほしいと願いました。その願いが成就(じょうじゅ)し如来の名を聞くことで、仏として目覚めていく道がこの私に開かれたのです。 迷いのただ中にいる私が如来の願いを呼び起こし、そこから全てが救われていく世界が開かれていくのです。その意味で私は如来よりもっとも遠い身でありながら、如来の願いのど真ん中にいたのです。 他ならぬ私が、この広大な願いが紡(つむ)がれた歴史の始点にいたことに気づいたときに、私は知るのです。この宇宙の中で、私はひとりぼっちでただ過ぎ去っていくような、孤独な存在ではなかったのだと。 松下 蓮 (まつした れん) 1975年生まれ。京都教区丹波第2組延福寺衆徒。』 東本願寺出版(大谷派)発行『今日のことば』より転載 ※ ホームページ用に体裁を変更しております。 ※ 本文の著作権は作者本人に属しております。 蛇足ながら、寺院も東京都のレインボー・マークを取得するようです。賛美歌を合掌してクラスターを招いた教会ではどうなっていたのかしら? 大人数での参加はできないから、法要など寺院もお困りのことでしょう。 建長年間(1249~1256年)に武蔵の国 品川 高輪台に浄土宗鎮西派として創建され、開基は慈信房善鸞(親鸞聖人の長男)とのことだが、慶長年間(1596~1615年)に本願寺准如上人の教化により、初代浄宗が浄土真宗本願寺派に改宗したそうです。「親鸞聖人が善鸞を義絶した」と聞いた覚えがあるけど、関係あるのかしら? ※ 議絶(ぎぜつ)=親子・兄弟など肉親、あるいは君臣の関係を絶つこと。 ちなみに、善永寺の山号は「高輪山」、始まりが高輪の地だったからでしょうが、ご住職のお名前も「髙輪 真澄」様とはこれ如何に……『江戸時代初期西本願寺の別院を江戸に作るため、高輪の寺地を幕府に献上し、浅草の浜町に土地をもらい、そこに別院を建て、その中に善永寺も移転した。 その後明暦の振り袖火事で全焼後別院ごと築地に移転した。 大正時代「関東大震災」で再び全焼、当時の区画整理事業により築地周辺は大きく変わり、そのため各地に念仏の輪を広げるため、善永寺も近くの6ヶ寺とともに現在地に昭和4年頃移転し、現在に至る。』(同寺HPより) 江戸時代から「本願寺築地別院中の表四箇寺の一寺にかぞえられた」との歴史と誇りを現在に継承されておられます。 御本尊・阿弥陀如来立像(大田区文化財指定)……像高80㎝で室町時代後半(15世紀後半)の作品は、平成29年(2017年)3月に大田区の助成をいただいて修復したそうです。ずっと残りますように。 寺院らしさを残しながら、なんともモダンな本堂です。同地に集まった7箇寺は、それぞれに個性がありました。 本堂左隅にありましたが、竹垣の目的は如何に……燈籠が倒れた場合に人に怪我をさせないため? あるいは、触られないようにかしら? 両開き寺門扉の立派なこと…… 門前の道路の向こうは妙覚寺墓地だけど、1ブロックに3箇寺が身を寄せています。続きはまた……散歩に行こうと思っているから……
2021.04.21
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2月に訪問した蒲田八幡神社。兼務社の内、未訪問だった2社(女塚神社・御園神社)と、玉川八十八ヶ所霊場70番札所を歩いてきた昨日…… 若宮八幡神社(写真はそのうちに)から蒲田駅に向かって東急多摩川線沿いに進むと…… 踏切に挟まれた場所……正面 400mほどに蒲田駅。右側が多摩川線で、左が池上線。ホームに待機中だった両方の電車が見えた。「ひょっとしたら両方を一緒に納められるかしら」とバカなことを考える。スマホのバッテリーが弱っているから無駄に消費できないが、昨日の訪問予定は5~6ヶ所。余裕があったから待つことしばし…… 先に出発した多摩川線がやって来る。池上線は小さい……「早く来いよ!!」と心で叫ぶ。 でもって、なんとか双方をキャッチできました。 しかし、スマホの広角レンズはありがたい。 めでたしめでたし……申し訳ないけど暇な私でした。 天気が良いから今日も散歩日和だけど、昨日の歩行で足が重いから、今日はお休み。日記も簡単に終了……《ちょっとブツブツ》 東京オリ・パラ組織委員会が企業に業務委託する際の人件費単価について、昨日の衆院委員会で丸川珠代五輪担当相が「守秘義務で見せてもらえない資料がある」と述べたと。五輪担当相ですら見せてもらえない資料とはなんぞや。なんのための担当相か? 仕事してないのと同じだから、辞めてしまってはいかがか。 組織委の内部資料を基に「日当以外に諸手当や賞与相当額などを含め1日最高30万円のケースがある」と毎日新聞が報じている。委託先への支払いの人件費単価が1日30万円なのだろうが、委託先の人材派遣会社が個人に支払う日当は1万2000円程度であり、結局、中抜きする業者ばかりが利を得る。接待されて決まるんだろうな。 丸川氏は「国民に歓迎される五輪でないといけないので、組織委には透明性を高めるための説明を尽くしてもらいたい」と答えたらしいが、「透明性を高める」ではなく、完全な透明を目指されたし。「経費が多いか少ないかは分からない」なんて、五輪相の答弁じゃないでしょう。 一方、昨日の新聞にはこんな見出しが並ぶ……『変異株 世界が危機感』『感染1日70万人超 最高水準』『インド「二重変異株」確認』『仏、接種進んでも状況悪化』 海外のみならず、国内も大阪府を筆頭にひどいことになっている。重症病床が逼迫している大阪府へ、文部科学省や厚生労働省などが所管する病院などに呼びかけて集めた約70人の看護師さんが派遣される。30床ある重症センターでの勤務らしいが、患者一人に二人を充てるということか。少なくてもワクチンは摂取済みの看護師さんたちだろうが、今後は大阪以外の都道府県からの要請もあり得る。 大会に必要とされる医療スタッフは1万人と言われるが、コロナ以外の通常の医療体制もきっちり確保したうえで回せるのか。一向に進まないが、ワクチン接種への対応もしてもらわなくてはならない。 どう考えても無理なんだから、どうか丸川珠代五輪相には「オリ・パラ中止」と発していただきたい。東京都知事は「言い出しっぺ」になりたくないから、誰かが声を上げたら続くかもしれない。 簡単日記のつもりが、またブツブツ言ってしまった。トホホ……
2021.04.20
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4月10日の散歩…… 未訪問の玉川八十八ヶ所霊場第83番札所・秀明寺を訪問しようと、地図を見ていたら近隣にこんな場所を発見!!! でもって行ってみることにした私でした。 上記地図の右上・セブンイレブンを南(地図では下)に向かいます。地図には緑の線がありますから、かつての用水路跡かもしれません。南に800mほど行くと多摩川が流れていて、六郷水門ってのがあるらしい。でも、知らなかったから未訪問ですが…… ※ 六郷水門=『昭和6年(1931年)に竣工して以来、下水道が普及するまで、六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部の地域の生活用水の排水を処理しました。水門に架かる橋の高欄の「郷」の字を「ロ」の字が囲むデザインは、地元である旧六郷町の町章を用いたものです。堤内地の舟だまりは、かつては舟運にも利用され、雑色運河と呼ばれたころの雰囲気を伝えています。』(大田区HPより) 少し進むと善永寺の表札……庫裏の裏口みたい。山門は西側でした。 表通りに出ると、寺院の並ぶ3ブロック……手前からお邪魔します。 龍雲山 報身寺……浄土真宗本願寺派の寺院 山号は本山・西本願寺の「龍谷山」からかしら? 屋根から天に高く伸びる相輪が印象的…… 関東大震災後、昭和3年(1928年)に築地よりこちらに移転してきた寺院です。 福称寺のご住職に教えていただきましたが、同地の7ヶ寺は築地本願寺寺中だったそうです。みなさん、おそろいで引っ越してこられたんですね。 ※ 関東大震災=大正12年(1923年)9月1日 堂内では法要が行われていたので、遠くから失礼しました。 御本尊は阿弥陀如来でしょう。南無阿弥陀仏 花がお好きなご住職なんだと思った私…… 丁寧に手入れをされています。 牡丹……でしょう ツツジも満開…… 何気なく塔…… 枝が真っすぐに伸びているからアマノガワかしら? 赤いカエデはこれから緑になるんだよね~ こちらはまだこれから…… 寺院そのものよりも花を愛でさせていただきました。 さてさて、散歩に行こうかな~
2021.04.19
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ちょと遠出した4月10日…… 大田区南蒲田3丁目……予想以上に遠かったな~ 咲き始めた民家の藤をみながら…… 大田区萩中1丁目……駐車場の奥に赤い幟発見!! 萩中神社……南向き 貫だけ新しいうえに、照明付きの鳥居は初めて…… ※ 貫(ぬき)=垂直材の間に通す水平材。門や戸をしっかりしめるための横木、閂(かんぬき)って言うのと共通項でしょう。「かん(貫)のき(木)」の音変化。……今日は国語の勉強をしてしまった。 平成24年(2012年)奉納の新しい石灯籠は、傘だけ古いままま。旧台座は昭和15年(1940年)だから、傘も同年のものでしょう。ひょっとして、東日本大震災時の地震で転落したのかしら? 参道左に手水舎……もちろん使用中止中。私は携帯消毒液を持っているから大丈夫。 社殿の大きさに対して広々とゆとりある境内を備えながらも、羽田神社の兼務社らしい。ちなみに14社ほど兼務されている羽田神社には「羽田富士」もあるみたいだから、そのうちに行ってみましょう。近隣には、玉川八十八ヶ所霊場の札所でありながら未訪問の3つの寺院があるから……しかし、大鳥居は益々遠いな~ 社殿右に神楽殿……だと思う…ものすごく新しい。専従のご神職はおられないけど、町の氏子さんたちが守っていることが伺えます。永遠の氏神さま…… 昭和43年奉納の狛犬…… 社殿扁額……創建年代は不詳ながら、神明社と称し江戸時代後期には既に鎮座していたとのこと。 御祭神は「天照皇大神(あまてらすすめらおおみかみ)」( )内のフリガナは羽田神社HPの兼務社より。天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)とも呼ぶみたいだけど、日本書紀の「天照大神(あまてらすおおかみ)」の方がなじみ深い。「豊受姫大神(とようけひめのおおみかみ)」……豊受姫大神は宇迦之御魂神・倉稲魂命の別名だったかしら? 古事記と日本書紀、こんど一覧表にしておこうかしら? 八重桜も終盤…… 社殿左に……児童遊園もあります。13時26分、急がねば…… 藤棚の藤はまだまだこれからでしたね~ 東官守稲荷神社…… 東官守稲荷神社は、昔 萩中町7番地(旧番地)辺りにあって、東向きの広い敷地に、海に向かって建てられていた。当時の村民は半農半漁の生活をしていたので、海における仕事の安全を祈る守護神として信仰を集めていたとのこと。 大正6年(1917年)の風水害によって社が被害を受けるが、萩中神社再建の際にこちらの境内に移された。ところが、またしても昭和20年4月、戦災の為焼失してしまったが町民の努力により再建されたと……毎度のことながら戦争が起こりませんように。 羽田七福いなりめぐりの1番札所(身体安全)……なんだって。初耳!!! 昭和63年(1988年)に、羽田地区の神社に玉川弁財天が加わった8社をめぐる七福いなりめぐりが始まったそうです。 ● 壱番 東官守稲荷神社 ● 弐番 妙法稲荷神社 ● 参番 重幸稲荷神社 ● 四番 高山稲荷神社 ● 五番 鴎稲荷神社 ● 別格 玉川弁財天 ● 六番 白魚稲荷神社 ● 七番 穴守稲荷神社 まったく意識していなかったけど、この日は「弐番・妙法稲荷神社」「参番・重幸稲荷神社」に寄ってきました。順番どおりに歩けそうです。 町民のみなさんの心意気が感じられます。 失礼しようと思ったら……右に… 囲いがあって…… 力石が置かれていました。 ということで、今日はここまで…… 天気は良いけど風が強いな~ 何をしましょうかしら?
2021.04.18
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3月16日 白金高輪の裏路地を歩いていたら発見したイギリス車…… フランスやドイツに比べると技術が遅れていたとされるイギリス車だけど、買収したベントレーと共に高級車の代名詞。とんでもなく高いのだが、ロールス・ロイスの製造販売は2003年からBMWが行っているそうです。知らなかった~ 興味がないから仕方ないけど…… ロールス・ロイスと言うと、自動車のみならず航空用エンジンを作っていたと聞いたことがあります。調べてみたら、第二次世界大戦中に大量生産された「マーリン」ってのは「スピットファイア」に搭載されたと。液冷V形12気筒なんて、でかいエンジン積んでいたのね~ ちなみに、制作がストップしているドイツ機・Pfalz D.IIIaのエンジンは直列6気筒でした。残念ながら、戦争によって技術が進歩していったのは事実です。 航空用エンジンからのこだわりなのか? 現在販売されている自動車ロールス・ロイスも60°V型12気筒 / 48バルブが目につく。2,450kgもの車重でありながら0-100km/hが4.5秒であり、最高出力は632PS。しかし、5,000万円前後もするそんな車を買える人はすごいな~ 自分で転がす車じゃないから、お抱え運転手さんを雇っておいでなんでしょうね。 さてさて、このロールス・ロイスは「コーニッシュ」って車種の4代目みたい……エンジンはV12じゃなくてV8らしい。年式:平成6年(1994年)、走行距離:1.7万kmの中古車が1,880万円だって。木枯し紋次郎のごとく、私には関りのない車でした。 ということで、今日は簡単におしまい。ブツブツも書きませんが、具合が悪いのではありません。モーニングにも行ったし、おかげさまで元気です。為念…
2021.04.17
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やっと終わる……2月22日の散歩最終回 社殿左側……立派な梅の大木 上記写真の左の木は、ピンクと白が一緒に咲いていました。 地図を見たら、私の立っている所から東側(右)、直線距離で350mほどに「聖跡蒲田梅屋敷公園」として整備されている一画があります。『梅屋敷公園の歴史は江戸時代に和中散(道中の常備薬)の売薬所の敷地3000坪に梅の木数百本と花木を植え、東海道の休み茶屋を作ったことに始まります。当時は梅の名所として多くの人で賑わい、また明治時代になってからは、明治天皇がたいそうに気に入られ、9度も通ったと記録されています。』(大田区HPより) 京急や第一京浜の用地になり、現代は縮小されてしまったのでしょうが、梅の時期には江戸近郊の名所の1つだったと。薬屋を営んでいたのは山本久三郎という方らしいけど、広大な屋敷を有していたということは儲かっていたんですね。3000坪=9900㎡ということは、池上梅園の8500㎡よりも広い。私の勝手な推測ですが、同社に鎮座する「薬祖神社(やくそじんじゃ)」は、山本氏の屋敷に祀られていたのかもしれません。なんとなくスッキリした~ 社殿前の狛犬の背後にも梅……左右に紅と白を配置しています。 狛犬は昭和34年(1959年)奉納……逆光だったから狛犬のアップはなし。 社殿前から参道…… 参道左に…… 天祖神社……境内社は3社と思ったら、こちらもありました。合祀されたようです。昭和40年(1965年)の文字があるけど、碑を建てた年か? 合祀の年か? 山野神社合祀碑……蒲田周辺に鎮座していた神社の合祀でしょうが、発展に伴う開発によって居場所を失った神社と推測します。溶岩流のような足場が造られているから、やはり山が発祥の神社でしょう。蛇足ながら、奈良県宇陀市にも山野神社があるみたい…… 手水舎は勿論使用中止……常夜灯は傘以外は交換されています。 そう言えば、神楽殿がなかったな~ なんでかしらね~ 梅を楽しませていただきましたが、色々と勉強になった薭田神社でした。 でもって神社の脇の道…… 左に境内社後方…… 右に寺院……残念ながら扉はかたく閉じられていました。 栄林寺……薭田神社の別当寺 栄林寺は山号を長光山と号す日蓮宗寺院で、御本尊は十界大曼荼羅。千如院日好(寛永3年・1626年寂)によって開山されたとのことです。千如院日好の供養のために創建された『開山供養塔』には、日好が寛永三年に没したとの銘文が刻まれていると。また、安政の地震で大破した薭田神社社殿は、41世日現の代に再建されたことが当寺所蔵の『諸寄進帳』に記載されているそうです。帳面は見られないだろうけど、供養塔は拝見したかったな~ ※ ここで言う「安政の地震」とは、安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時頃発生した地震でしょう。コロナ禍の今、どうか大きな地震が起きませんように。 ということで、2月の散歩日記がやっと終わりました。めでたしめでたし…… ブツブツ書きたいけど、労力の無駄だから止めておきます。
2021.04.16
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つい先日のようにも思うけど、2月22日の散歩……最終訪問場所の前編 境内には立ち入れなかった日蓮宗 圓頓寺前を西に……突き当りに… 薭田神社(ひえだじんじゃ)……社号碑には「延喜式内 薭田神社」「延喜式内(えんぎしきない)」は一種の社格で、古代律令制における神祇官(じんぎかん)が作成した官社の一覧表=「神名帳」に記載されているということ。 ※ 神祇官=朝廷の祭祀をつかさどり、諸国の官社を総轄した官庁。 神道はほとんど知識がないから、今日も勉強…… 生命の言葉・令和三年二月……掲示板にありました。『雲間より さしたる光に 導かれ われ登りゆく 金峰(きんぷ)の峰に』今上陛下 東京都神社庁は、東京都内にある1,398の神社を取りまとめている団体です。 江戸時代の古い鳥居……『寛政12年(1800年)に北蒲田村の氏子によって寄進されました。区内の石鳥居の中で古いものの一つです。』(大田区HPより) 鳥居から、まっすぐ社殿に向かう参道……梅の季節でしたが匂いはなし。 ● 社名について…『薭田神社の「薭田」という字。これは「ヒエタ」と読むのでしょうか、「ヒエダ」と読むのでしょうか。 平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には、武蔵国荏原郡に鎮座する2つの神社の内1つは「薭田神社」と書かれていますが、これは「蒲田神社」の誤りであるというのが通説です。 幕末に活躍した国学者、栗田寛は、「蒲」という字は、古体をいつのときにか「薭」と誤写し、それがそのまま後世に伝えられたものであると述べています。明治時代に出版された『神社覈録(かくろく)』も「ヒエタ」と読みながら「薭田擬ふらくは蒲田の誤ならん。」と注記し、更に「和名鈔・郷名部・蒲田 加万田」と述べています。 また、『延喜式神名帳』以前に編纂された歴史書『三代実録』に「貞観六年八月十四日戌辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」とあることや、同時期に造られた辞書『和名抄』に荏原郡蒲田郷の地名のあることなどから考えて、この説が正しいと思われます。 このような有力な説があるにも関わらず、当社は社名を薭田神社ととなえており、蒲田神社とは称していません。蒲田神社が薭田神社と称するようになったのは何故でしょうか。『延喜式神名帳』にある旧荏原郡の薭田神社は後世になって所伝が絶え、その所在が不明確になっていました。旧荏原郡内の神社にはそれに見合う大社はありませんが、当社の社前の地が古くから「神戸」と呼ばれており、また近くには神戸橋という橋もあり、この地名はのちに八幡社が勧請されてからの地名とは思われないので、当社が薭田神社であろうと考えた別当榮林寺の僧が、神祇管領の吉田家に当社を薭田神社とする旨の申請をし、その許可を得ました。『新編武蔵風土記稿』は薭田神社についてこのように述べ、社号成立の経緯を明らかにしています。』(蒲田八幡神社・兼務社HPより) 昭和20年(1945年)4月15日戦災のため灰燼(かいじん)に帰すも、昭和21年に仮本殿を再建。ようやく昭和29年に本殿・幣殿を新築。そして現在の社殿は平成12年(2000年)の新造営。2000年は、蒲田八幡神社の御鎮座四百年祭と合わせたのかもしれません。 ●由緒……『延喜式内社の「薭田神社」として、当社が正史にあらわれるのは貞観6年(864年)ということになりますが、社伝によると更に歴史は古く、次のように伝わっています。 和銅2年(709年)、僧行基が天照・八幡・春日の三体神を造り、本社に安置しました。その後、弘安5年(1282年)に日蓮が池上宗仲の邸に入ったとき、村民の要請で、この三体は日蓮によって開眼されたといいます。 しかしながら、現存の式内社についての全国調査結果をまとめた『式内社調査報告』によると、この社伝は信憑性がないとし、『惣國風土記』に基づいて潤色されたものであろうと記されています。ただ、当社に一体の石像(春日)と二体の木造の神像が安置されてきたことは確かであり、この点は社伝の三体神と一致しています。』(蒲田八幡神社・兼務社HPより) ※ 天照・八幡・春日の三体神とあるのは、天照大神・応神天皇・春日大神のことでしょう。 現在では、先に訪問した蒲田八幡神社の兼務社となっている薭田神社。「蒲田村より新宿分村に当たり、鎮守の神として薭田神社から春日の像一体を分かちお祀りしたのが始まり」とされる後発の蒲田八幡神社に任せていることは少々納得できないけれど、様々な面において駅前というロケーションには勝てないのかもしれない。 蒲田八幡神社境内にも小円墳があったらしいが、こちらにも古墳があり聖地として信仰の場であったことに変わりわない。 社殿扁額…… ●御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと) 荒木田襲津彦命(あらきだそつひこのみこと) 春日大神(かすがのおおかみ) ちなみに「春日大神」とは春日大社の祭神である次の四柱の神の総称。 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 経津主命(ふるぬしのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 比売神(ひめがみ) 兼務社でありながらも、りっぱな造りの社殿……右方向に鳥居…… 社殿の右手に並ぶ境内社…… 手前から奥に3社……それぞれ異る屋根など、丁寧な造りでした。 三十番神社……神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた日本全国の30柱の神々「三十番神」を祀るものらしい。初めてお目にかかりました。 鳥居扁額……三十番神は、最澄(天台宗の開祖)が比叡山に祀ったのが最初で、鎌倉時代に盛んに信仰されて以降は日蓮宗でも重視されたようです。どうりで、当社の別当寺・栄林寺は日蓮宗寺院でした。 稲荷神社……中央に鎮座 稲荷だけにお狐様もおいでです…… かすかに阿形…… 鳥居扁額…… 薬祖神社(やくそじんじゃ)……一番奥に 薬祖神社というのも初めてかと……御祭神は日本神話の神様「大己貴命(おおなむじのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」で、医薬や医道、また酒造などを教えたと「日本書紀」等で伝えられているそうです。 上野公園に両祭神を祀る「五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)」というのがあるようです。『第十二代景行(けいこう)天皇の御代、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の為、上野忍が岡をお通りになられた時、薬祖神二柱の大神に御加護を頂いたことを感謝なされて、此の地に両神をおまつりされましたのが当社の御創祀であります。(約1900年前)』(宗教法人 東京都神社庁HPより)……遠い遠い昔の話。 そう古くはないであろう狛犬…… 噛みつかないでね~ 鳥居扁額…… 境内社奥から……各社に鳥居 境内にはあちらこちらに梅が見られました。写真を撮りに来られた方々もおいでだったので、梅の名所なのかもしれません。 ということで、今日はここまで……後編は明日。 今日、東京都発表のコロナウイルス新規感染者は729人。直近7日間の平均は、前の週と比べて122.6%で増加傾向が続いている。大阪府同様に急拡大が充分予想される。東京オリパラの開催について「これ以上とても無理だということだったら、これはもうスパッとやめなきゃいけない」と、二階俊博幹事長は今日のTBSのCS番組収録で語ったと。開催中止も選択肢になるとの考えをもっているのだろうから、もう中止にしてください。密密密の聖火リレーもストップしてください。医療崩壊している地域もあるし、医療現場に届いているワクチンもわずか。一般病症の患者も含めて、トリアージされたらたまったものじゃありませんから……お願いしますよ。
2021.04.15
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2月22日の蒲田・梅屋敷あたりの散歩…… 妙典寺からちょっとジグザグしながら南に200mほど…… 右に…… 椿神社……この日、最初に訪問した蒲田八幡神社の兼務社でした。京浜蒲田駅と梅屋敷駅の中間ぐらいの所。 鳥居扁額……初めて聞く社名だけど「猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮」を見つけました。 椿大神社:『伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。 猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導申し上げます。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。 仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。』(椿大神社HPより) 参道口から高山入道ヶ嶽の山頂・標高906.1mに位置する奥の宮まで続く壮大な神社みたいです。三重県鈴鹿市は仕事で何度も行ったけど、当時から興味があったら訪問出来たのに残念。 椿神社……御祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと) この新しい神殿造営が行われたのは昭和62年(1987年)とのこと。創祀は不祥ですが、今日においても多くの崇敬者がおられる証です。 猿田彦命は道案内の神であり、道祖神(塞の神・障の神)と習合して村の境を守る関の神となるけど、更に咳の神として信仰されるようになったと。風邪をひいて咳が出るときや百日咳・喘息などにかかった時は、額堂に掛かっている麻を借り受けて病人の首に巻くと咳が止まる言い伝えがあると。治ると麻を二倍にして額堂に納めて感謝する他、足の病気が治るようにとワラジを奉納して祈願する人もあったと。左の額堂にかかっているのが麻紐らしいけど、「麻紐をお受けになる方は、薭田神社社務所迄お越しください」と張り紙……蒲田八幡まで行かなくていいのね~「除病習俗」が大田区文化財……『……しかも神社であるのに、祈願者は社前に線香を供えるという神仏混交の習俗が、今なお存続している例として興味深いものがある。』(掲示板) 神仏習合……鑑真の来日によって日本の仏教が一定の確立を迎えた後、国内でも最澄、空海といった二人のスーパースターに続き、次々と自らの宗派を立てる高僧が輩出されて発展した仏教。またたくまに神道を追い越す勢いで国内に受け入れられたのは、仏教には「教義」という学術的存在があったからだろう。「仏教」の解釈の中から、「仏」と「神」の関係を唱えた「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」が語られだす。「本地」=仏・菩薩が民衆を救うため、「垂迹」=仮の神の姿になって現れるというもの。神の形をとっているが、もとは仏という説。広く定着していた神道を排除するのではなく、共存繁栄の道筋・本地垂迹説を説いた僧侶は本当に賢い人物だったと思う。そして、互いの持ち味を生かせる神仏習合の道を歩みだす。 額堂に掛かっている麻を借りて首に巻くと咳が止まるとの神威(しんい)を伝える椿神社だけど、すでに古代日本仏教において医療知識を備えた僧侶が活躍していた。「声明(しょうみょう)=文学」「因明(いんみょう)=論理学」「内明(ないみょう)=教理学」「工巧明(くぎょうみょう)=工学・数学・暦学」そして「医方明(いほうみょう)=医学・薬学」と分類される5つの専門領域「五明(ごみょう)」が仏教には存在し、8世紀中頃には漢方薬を使った投薬治療も行われていたそうです。 また余計なことを書いてしまった…… 手水舎……狭い境内だけど、鳥居を潜ると右手に もちろん使われていません。 右の角に置かれた石は車除けじゃない。何の石碑かしら? 道祖神なのかしら? 右の前方から来た私は、今度はこの位置から左へ…… 椿神社の西に…… 円頓寺…… 日蓮宗の寺院……残念ながら檀家しか入れないのかな~ 性光山円頓寺(せいこうざんえんとんじ)……手を合わせて、門扉のすき間から1枚だけ。『本尊勧請様式:曼荼羅 天正18年(1590)の創立。開山大乗阿闍梨日澄なるも詳細不明である。開基本法院日芸。 開基檀越35家。豪族行方氏の休館跡に文禄元年堂宇建立。開基日芸の兄行方直清領主の法号に因み円頓寺と号す。戦災で焼失後数年において本堂、庫裡を建立。 寺宝の宗祖断簡は過去帳の中から発見されたというが、このほかに、行方家の古文書、由井正雪の古文書、浅野長政の古文書(共に保安年間)や二代将軍秀忠公側室の古文書等が保管されている。 『郊遊慢録』の著者斉藤幸考が文化13年(1816)2月16日に当山の過去帳を見た折の記録に「開山九老日澄上人云々」とあるも確証の伝承は不明。』(日蓮宗東京都南部宗務所HPより) ということで、今日はこれでおしまい。ダラダラ書いたから意味不明があるやもしれない。疲れたから読み直しはしません。悪しからず……
2021.04.14
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3月に桜を割り込んだから、今ごろになってしまった2月22日の散歩……「ぷらもーる梅屋敷商店街」の南側……北側には「東邦大学医療センター大森病院」があったんだわな~ 妙典寺到着……15時10分……結構 陽が傾いていましたね。 妙典寺山門……山門は平成11年(1999年)新築 お決まりの一枚……こちらも桜が咲いたらきれいでしょう。 参道左側…… 淨行菩薩……タワシも置かれていましたが、手だけ合わせた私。『淨行菩薩は法華経にでてくる菩薩で法華経の教えを末法のひとびとに伝える役目をもった地涌の菩薩たちの代表者の一人です。この仏様は”地蔵さま”であったり又は”淨行さま”とよばれる菩薩さまのときもあります。この仏様の身体を洗いきよめることによって、自分の身体の病や痛みを治してもらおうという「なで仏」の信仰と「水垢離(みずごり)」の信仰とがむすびついて「あらい仏」の信仰が出てきたのです。』 衆生の悩みをお救いになる慈悲心のお姿…… 法界萬霊塔…… 梅の季節でした…… 戦災で焼失した本堂は昭和27年(1952年)再建。次いで昭和29年(1954年)に庫裡を再建し、昭和46年(1971年)には客殿を建立。平成9年(1997年)に客殿・庫裡の一大改修工事が完成して現在に至っているみたいです。 妙典寺本堂……『創立年代不明。開山二位僧都日饒。もと天台宗で妙田寺と称したが、開山が日蓮宗に改宗し、以後妙典寺となる。柳島鈴木戒秀師、万治元年造の祖師像をおさめる。(日蓮宗東京都南部宗務所HPより)』 御本尊は一塔両尊四士。 本堂扁額……宝光山 またしても、池上八十世 日威の揮毫(きごう)。この日 訪問した「妙安寺」の扁額と同じ筆でした。妙安寺の御本尊は「一尊四士(いっそんしし)」でしたね。 室町時代には既に存在し、池上本門寺の有力末寺だったことでしょう。 本堂前から山門…… 南無妙法蓮華経…… 陽射しがかなり斜めからになったので、先を急いだ私でした。 ※ 地涌(じゆ)の菩薩=法華経従地涌出品に説くもので、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた法華経を弘めることを目的とする無数の菩薩で、本化(ほんげ)の菩薩とも言う。上行(じょうぎょう)・無辺行(むへんぎょう)・安立行(あんりゅうぎょう)と浄行(じょうぎょう)の四菩薩を代表として、それぞれが眷属(けんぞく)をもつと…… ※ 眷属=従者・家来・配下の者。 また勉強してしまった。 まだ雨は降りださないけど、今日はおとなしくしています。ノンアルデーだし……
2021.04.13
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大田区蒲田とか大森中なんてあたりを歩いた2月22日…… 密乗院をあとにして、梅屋敷東通りの商店街……道路奥の右に…… 参道出入口…… 長享山(ちょうこうざん) 大林寺(だいりんじ)…… 山門のすぐ左に南無妙法蓮華経……日蓮宗の寺院 左は「池上道道標(いけがみみちどうひょう)・大田区文化財」……もとは、東海道から分かれて池上本門寺に至る池上道の分岐点にあったもので、道路拡張などの事情でこちらに移されました。道標の位置から十五町(約1.5㎞)で本門寺に至り、更にそのまま品川宿に行かれることを示していると。享保14年(1729年)、大森村の日蓮宗信徒で組織された甲子講(きのえねこう)の人たちが建てたものだそう。 本堂は昭和31年、庫裡は昭和36年建立。 大林寺本堂……もと真言宗薬王院として創建された年代は不詳だけど、長享2年(1488年)当寺第三世だった日円は、法華宗日位と法論した結果、その教説に感じて弟子となり、日位を開山に迎えて日蓮宗に改めたと。宗義の優劣や真偽をめぐって行われる宗論・問答の結果、改宗することはままあったのでしょう。あのお寺はどこだっけな? すぐに忘れる私でした。 本堂扁額……本堂内撮影禁止を厳守しました。 ご本尊は、一塔両尊。寺宝として、水戸光圀の筆による「雪中訪師図」というのがあるそうです。拝見したいな~ さりげなく手水盤…… 三面大黒天画像(大田区文化財)があると……冒頭の「池上道道標」は「甲子講」の人たちが建てたと書いたけど、甲子講ってのは干支でいう甲子の夜に集まって大黒天を祀る講だそうだ。庚申講の五日後が甲子講らしいけど、寝不足にならなかったかしら? 梅屋敷駅前の第一京浜を渡って…… 「ぷらもーる梅屋敷商店街」に行列……15時5分だからおやつの焼鳥を買うのかしら? 前後の距離は保っているけど、マスクしてない人は気を付けないとね~《おまけ》 昨日、久しぶりにMAANAさんの笑顔を拝見しました。歌いたいのに、我慢の辛い日が続きます。早くライブが出来ることを祈ります。
2021.04.12
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2月22日の大田区散歩…… 大森八幡神社を後にして、大田区大森中の住宅街を進むと…… 綺麗な塀…… 密乗院……到着 真言宗智山派の寺院……玉川八十八ヶ所霊場第77番札所……88の内、なんとか都内だけは制覇したくて伺いました。76番「密厳院」もと思ったのですが、大森北はルート外だったから断念。そのうちに…… いつもの一枚……かつては、大森の諸神社の別当寺だったと。 本堂扁額……海光山 密乗院 大森寺 およそ800年前に、不動明王を安置して真栄が開創したそうです。徳川家康が狩りの折に休まれたそうで、寺領20石を賜ったが、御朱印状は天明年間(1781~1789年)の火災によって堂宇と共に焼失したと。 なにげなく手水盤…… 南無大師遍照金剛……結構高い所にお立ちです。 北を向いておられましたから、品川方面を目指すんでしょう。14時48分……斜め逆光。 本堂前から山門…… 蓮のモチーフに…… カエル発見……「無事帰る」の遊び心かしら 相生地蔵尊……『この地は明治の頃まで大森村字相生(あいおい)と呼ばれていました。相生には助け合って生きる意味があり、水子地蔵様と六地蔵様に相生地蔵尊と名付けることにいたしました。』……菅首相も口にする「自助・共助・公助」だけど、「互助」はどこにいってしまったのか? 互いに支えあうという意味では「共助」と共通点はあるが、「互助」は費用負担が制度的に裏付けられないから消されたのか? 都市化や高度経済成長とともに核家族化が進行し、自発的な「互助」は姿を消したんだろう。暮らしていくには大切なことなんだけどな~ 寺務所兼庫裏でしょうか……モダンな建物でした。山門脇は枝垂れ桜みたい。咲いたらきれいだったでしょう。 コンパクトながら手入れの行き届いた密乗院でした。 桔梗紋……真言宗智山派の宗紋。なんと木目の美しい事か……南無大師遍照金剛 ということで、今日はこれでおしまい。昨日の散歩で少々足がだるい私。玉川八十八ヶ所霊場83番札所の「秀明寺」を訪ねましたが、さすがに大田区本羽田は遠いな~
2021.04.11
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モーニングへの行き帰りの花…… 八重桜もボチボチ終わりかな~ こちらは葉っぱがぎょうさん出て来たし…… アマノガワ……って言うんだって。オオシマザクラ系の里桜でしょうが、枝が上に向かって真っすぐ伸びてます。淡紅色のきれいな花でした。 枝ぶりが良かった…… 黄色の壁……満開になった このピンクも奇麗…… 眩しい赤…… 白地に赤い模様のツツジ……オレンジの花がアクセント これ何て言うの? 藤はもうちょっと……「サラダ半分」ってお願いするんだけど、いつもこんな状態。 コーヒー豆を焼酎に漬けたの……1週間ほどで素晴らしい琥珀色になりました。コーヒーの深い香りとコクが味わえる逸品です。行きつけの居酒屋さんに豆を持ち込んで作らせてもらいましたが、美味しかったので自宅でも作ろうと、昨日はモーニングのついでに豆を買ってきて漬けました。喫茶店のマスターお薦めのフレンチロースト……かなり深煎りです。そうそう、ロックも美味しいけど、お燗しても楽しめます。「珈琲はアイスもホットもあるんだから」と言って試してみる居酒屋の主の発想には常々感心されられる私でありました。 一週間後に連れ合いは何て言うかしらね~ 楽しみです。 散歩に行くから、今日は簡単でおしまい。
2021.04.10
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2月22日の大田区散歩…… キネマ通り商店街から住宅街を歩いて……あちこちの民家で梅を見ました。大田区のシンボル、区の木はクスノキで、区の花はウメなんだって。 玉垣は比較的新しい……氏子さんたちのお力です。 大森八幡神社……参道左に小さな「ひめゆり児童遊園」 ありがたいことに灰皿も置かれていたので、帰りに一服させていただきました。 参道右……手前が境内整備記念碑で、左隣の木に隠れているのが…… 社号碑……「村社八幡神社」明治7年4月・賜社格とあるから、明治維新後に村社に列格したんですね。 社務所兼自治会館の隣に鳥居…… 鳥居扁額…… 火伏稲荷…… 社殿扁額……ブルーの文字もいいな~ 参道左に手水舎……水手舎の右にある百度石は角柱じゃない。 基礎石はそのままで、燈籠だけ置き換えたようです。 村社って雰囲気、わかります。 大正9年奉献……右の狛犬は社殿に顔を向けて… 左は参道口鳥居方向を見ています。逆光だったからこれで諦めたけど、デジカメ欲しいかも…… 大森八幡神社社殿……御祭神:品陀和気命 (ほんだわけのみこと)(応神天皇) 建武年間(1334~1336年)の創建で、江戸時代には北大森村・西大森村の鎮守だったと。蒲田八幡神社より300年弱も早く鎮座したのでした。 社殿扁額……鶴岡八幡宮の宮司さんの揮毫みたい。岡田實さん……あったあった……昭和29年(1954年)から昭和48年(1973年)に鶴岡八幡宮の宮司を務めた方。ということは、社殿はこの頃に改築したのかしら。 ※ 揮毫(きごう)=筆をふるって字や絵をかくこと。 社殿左横…… 神輿庫と神楽殿…… 神楽殿前が駐車スペースになっているから、車が堂々と参道を走ってきます。 住宅街の真ん中で、近隣住人の安寧を願う氏神様でした。 ということで、今日はこれでおしまい。 東京都・京都府・沖縄県に「まん延防止等重点措置」を適用するけど、飲食店だけ規制してもダメでしょう。私は嫌いな単語だが、小池都知事の使う「人流(じんりゅう)」ってのを抑える措置をとらないと……毎日ブツブツ呟くと連れ合いが寂しがるので、これ以上は止めておきます。書いてもコロナは減らないから……
2021.04.09
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「大丈夫?」ってきかれて「大丈夫」って答えるのは、「ほんとは大丈夫じゃない」ってことかもね。 ある居酒屋の店主 我慢に我慢を重ね、ぎりぎりのところで踏ん張っているときに、「大丈夫? まだ持ちこたえられる?」と人に優しく声をかけられると、堰(せき)が切れて一挙に崩れてしまう。逆に、ほんとうに大丈夫なときには、「大丈夫?」ときかれてもきょとんとするだけ。だから大丈夫でなくても「大丈夫」と返すのが、身を保つぎりぎりの線となる。 (朝日新聞・折々のことば585・2016.11.22) 大阪府で過去最多の878人の感染が確認された昨日。兵庫、奈良、和歌山、新潟の4つの県でも過去最多を記録し、全国の感染者数は1月30日以来の3,000人越え。一足先に蔓延防止等重点措置の対象となった大阪府は、医療非常事態宣言も追加した。 東京都も蔓延防止措置を国に要請するが、小池都知事の判断は遅い。2度目の緊急事態宣言解除から間がなかったからだろうが、そもそも解除の判断に誤りがなかったのか検証されたし。 政府は、東京以外にも「沖縄、京都など感染が拡大している他の府県への適用も検討している」と伝えられるが、東京都の隣接県や愛知県も危ない。 愛知県での聖火リレーの様子を見たが、大勢の人、人、人……密、密、密……「密になったら即時中止」するとのことだったが知らん顔の大会組織委員会の対応の悪さに驚く。 3月25日に福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」でスタートした聖火リレーだが、開始から3日間で3件の車両事故が続けて起きていた。開会式の演出を巡る問題をはじめ、透明性の欠如が指摘されているなかでも、車両事故が起きていた事実についても隠ぺいし公表しなかった組織委員会。本件を暴いた文春に対する組織委員会からのコメントは「今回の事案については、受託会社(電通)に厳重に注意を行いました。引き続き、安全で安心な聖火リレーが実施できるよう、努めてまいります」だと。聖火リレーが密になることは承知の上でスタートしたにもかかわらず、お座なりでいい加減な企画運営調整だった証。何かにつけ「安全で安心な」と言うが、五輪本番が恐ろしい。 益々拡大するだろう第4波にあたり、私は開催反対だが、NHKの聖火リレー中継で音声30秒分が消されたらしい。「オリンピックに反対」と長野市内の沿道で抗議行動をしていた市民の声が中継に入り込んだ直後、中継から音声が消えたと。沿道で声を発することはマナー違反だが、「都合の悪い音声」を消したのだろう。「安全安心」を願って、東京オリンピック開催を危惧する国民は私だけではないだろう。 新型コロナウイルスの変異ウイルスによる新たな感染者数が。1週間あたりで、2月末から3月末にかけて全国で14倍に急増した現実を政府や大会組織委員会はどのように考えているのか。2月22~28日に56人だった全国の変異株の感染者数は、毎週増え続けて直近の3月22~28日は767人。従来のウイルスより感染力が強いとされる変異株がこのまま増え続けると、5月1日ごろには首都圏の変異株の割合は7割を超える可能性があると指摘されている。現状でも医療崩壊の瀬戸際に立っているのに、コロナ下の五輪をまかなうのに十分な医療体制が保てるのか。営業時間短縮を要請される居酒屋のみならず、医療従事者の声も「大丈夫じゃない」だろう。政府が頼みの綱とするワクチン接種も進まないが、接種をする医療従事者の負担も生まれるが果たして耐えられるのか。 東京オリ・パラ時に使う予定の警察官仮設宿舎(プレハブ2階建て。江東区、江戸川区、大田区内の計4カ所)を、昨年4月に東京都は37億円をかけて新型コロナウイルスに感染した軽症者向け滞在施設に改修したが、一度も使われることなく11億円かけて元の姿に戻すと。大部屋を「個室化」し、トイレや風呂など水回りの改修もして、約40棟の約770室を軽症者が使えるよう準備したが、ホテルを優先的に活用したことによりまったく使われなかったと。合計48億円の税金はドブに捨てられたことになるが、変異ウイルスが蔓延して五輪が中止になった場合はどうなるのか。警察庁は「五輪が近づけば警察官の宿泊施設としてこの宿舎を使う予定」とし、東京都も「ホテルへの入所を優先しており、今のところ間に合っている。必要ない」と厚労省に伝えての再改修決定らしいが、第3波以上の波が起こることは想定しないのか。オリ・パラ中止は困難もあるだろうが、国民や参加者の命を最優先した方向選択を切に望む。仮に、医療崩壊が拡大して土壇場で五輪が中止となっても「あの時、再改修しなければよかった」となりませんように…… 転ばぬ先の杖……って言葉があるけど、転ばないと分からないのが、いやいや、転んでも分からないのが頭のいい人たちらしい。3月24日、銀座の飲食店で深夜まで宴会をしていた厚労省老健局・老人保健課の職員23人のうち、3人が新型コロナウイルスに感染したと。国民のお手本とならねばならない人たちが三密会食で感染なんて、これほどアホらしいことはない。どの程度の症状か不明だが、入院するなら保険適用外とされたし。全額実費請求されたし。感染者はまだ増えるだろうな~ 時間切れだから、このくらいでブツブツはや~めた。 ピンクのハナミズキ……年々花が少なくなります。 白いハナミズキ……米国からの寄贈された都立園芸高校にあるハナミズキは、いつの日か見たいです。 梅の実がたくさん付きました……去年は寂しかった~ 何て言うんだっけ? すずらんじゃない…… ツツジも出て来た…… ユリなの? 一本の茎から三輪…… 頭が重いだろうに、よく耐えています。 すっかり春です。コロナがなったら良いのにな~
2021.04.08
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アメ車発見……3月22日 ゼネラルモーターズ(GM)のシボレーブランド車 1969年からスティングレイの呼称が復活した、3代目・C3型の初期と思われます。思い切り膨らさせた前後のフェンダーをボディー中央で絞り込んだスタイルはコークボトルの愛称がありましたっけ。 ビッグブロック 7.4L V8エンジンをフロントに積んだロングノーズは恰好良かった。出力は300PS程だったらしいけど、当時の国産車は比較ならない高出力。 ちなみに、この頃のコルベットはスポーツカーというより、GTカーとしての位置づけだったらいい。GT=英語で言うところの「グランド・ツーリング」、イタリア語の「グラン・ツーリスモ」のとおり「快適に高速で長距離を移動をする」大陸アメリカならではのコンセプトでした。 燃費は最悪だろうけど、転がしてみたいですね~ 2019年に発表された8代目・C8型からは、FRからミッドシップに変更されたらしい。エンジンはやっぱりV8で、6.2Lながらも495PS。これはもうGTカーではなく、れっきとしたスポーツカーでしょう。C7に比べるとさらに派手になったけど、実車を見たいものです。2017年のル・マン GTE Proカテゴリーで楽しませてくれたシボレー・コルベットC7.R……今年はどうなのかしら? 散歩に行こうか思案中につき、今日はこれでおしまい。
2021.04.07
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蒲田・梅屋敷あたりをブラブラした2月22日…… お隣の蒲田八幡神社から旧別当寺へ…… 今月の聖語(2021年2月)『日蓮は 安房の国片海(かたうみ)の 海女が子なり』『ー宗祖ご降誕によせてー「この紋所が目に入らぬか。ここにおわすをどなたと心得る」。ご存知水戸黄門の決め台詞です。その黄門さまは日蓮宗に縁が深く、母の菩提を弔うために水戸に久昌寺を建てられました。 ところで黄門さまご自身のお誕生日にこんな逸話があります。家臣が祝いの日として豪勢な膳を用意したところそれを止め、白粥と梅干し1つにされました。その理由を「せめて今日1日を粗食とせしは、母上が我れを産みし折の苦しみを終生忘れぬためである」と語ったというこです。 誕生日は祝福されるだけの日ではなく、両親をはじめ周囲の人びとへの報恩の日でもあることを忘れてはならないのです。 さて表題のように日蓮聖人は現在の千葉県鴨川市小湊に漁師の子としてお生まれになりました。2月16日には、聖人ご誕生800年を迎えます。しかしそのご生涯はご苦難の連続でした。それはなぜか。ひとえに自分をこの世に送り出し育んで下さった父母、そして縁ある人びとを成仏に導くため。それがご自身の誕生への報恩行だったのです。「本尊問答抄」弘安元年(1278年)聖寿57歳 』(日蓮宗・いのちに合掌HPより) 妙安寺……「赤門の寺」の由来である朱塗門があったと言うが、やはり戦火で焼失してしまったと。 参道を進むと左右に分岐…… 永禄年間(1558~70年)、当所地頭だった行方修理亮義安(なめかたしゅうりのすけ)の側室・円光院妙安尼(みょうあんに)が、兄・斉藤政賢の屋敷内に結んだ庵室が当寺の始まり。池上本門寺11世仏寿院日現に深く帰依しその教化で法華信仰に入ったとされる妙安尼が天正17年(1589年)に没した後間もなく日現を開山、妙安尼を開基として開創された寺院。 行方山妙安寺本堂……行方の家号を山号とし、妙安尼の法号を寺号としているのが良く分かりました。「妙安尼供養塔(大田区文化財)」として、寛永20年(1643年)に造立された宝篋印塔(ほうきょういんとう)がどこかにあるみたいだけど、墓地へは踏み込まない私でした。 御本尊は「一尊四士(いっそんしし)」とのことで、釈尊の一尊と本化四菩薩の四士が並んでおいでなんでしょう。四菩薩は「上行菩薩」「無辺行菩薩」「浄行菩薩」「安立行菩薩(あんりゅうぎょう)」 ちなみに、日蓮聖人の教示にみられる本尊形態は、「首題本尊」「釈迦一尊」「大曼荼羅」「一尊四士」「一塔両尊四士」の五種があるようです。また少し勉強してしまいました。日々勉強…… 本堂扁額……「日威」の揮毫。池上本門寺大堂の扁額も第80世金子日威聖人によるもの。 ※ 揮毫(きごう)=筆をふるって字や絵をかくこと。 慶長17年(1612年)造立、像高36.7㎝の日蓮聖人坐像が安置されているらしい。在銘の祖師像として、大田区では池上本門寺祖師像に次ぐ古さだって。残念ながら非公開。 左は客殿かしら? 梅らしきが目に入ったので、庫裏の前まで…… 引き返すときに気付く間抜けな私…… ミツマタの花が咲いていました。新葉が芽吹く前に花だけが開花するのは、春が待ちきれない性格なんでしょう。世田谷代官屋敷で見た時はまだまだだったけど、こんな姿になるのが分かって良かった。 緩やかな曲線の参道を引き返し…… 失礼しました……京急蒲田駅の横です。 京急をくぐって第一京浜・夫婦橋……呑川が海に向かって流れていきます。前回ここを歩いたのは2018年10月。あれから2年半も経ってしまった。「キネマ通り商店街」だって……蒲田には「松竹蒲田撮影所」があったからかと思いきや、戦前までこの付近にあった「蒲田キネマ」と言う映画館の存在が名前の由来らしい。蛇足ながら、のちに映画「蒲田行進曲」の主題歌に使用されることになる初代歌謡曲『蒲田行進曲』は、蒲田撮影所の所歌としても採用されていたと。また、京浜東北線蒲田駅の発車メロディーもこの曲だって。撮影所が大船に越してから久しいけど、蒲田は今でもキネマの街らしい。 圧倒的なレトロ感あふれる商店街でした。「昭和レトロ商店街」の名称の方が似合うんだけどな~ 「中華・食堂 双美家」のラーメン 食べたいな~ 大田区東蒲田から大森中3丁目のこんな道を大森八幡神社に向かった私……続きはまた今度。モーニングが早かったからお腹が空いてきた。なんか食べようかしら?
2021.04.06
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3月の桜散歩を割り込んだから、今ごろになってしまったけど、なんとなく蒲田まで行った2月22日…… 京急蒲田駅のそば……駅のホームの音(夢で逢えたら)を聞いて来ればよかった~ 立派な構え…… 蒲田八幡神社参道口…… 鳥居扁額……当神社宮司さんは、薭田神社、椿神社、北野神社、女塚神社、御園神社を兼務しておられるそうです。薭田神社と椿神社はこのあと寄りました。北野神社は以前改修中に見かけたから、女塚神社と御園神社はそのうちに訪ねてみましょう。 参道右側は神輿庫でしょう。 真南に向いた社殿に向かって真っ直ぐ伸びる参道…… 手水舎……柄杓はなく、手を出すと水が出る蛇口がありました。コロナ対策ですね~「満願火伏稲荷神社」……御祭神・宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) 銀杏の大木の根方にあった社は、戦災も免れて、蒲田における数少ない建物として残ったと。そのため、「満願火伏稲荷大神」として火災予防の守り神と称えられているそうです。旧社殿は外からは見えないけど、そのまま現社殿の中に納められていると。 明治維新百年 御社殿復興十周年……と刻まれています。昭和43年(1968年)の石碑ですから明治維新は1868年。御社殿復興は昭和33年(1958年)ということになります。 立派な社務所……兼務社の御朱印はすべてこちらで頂けそうです。 蒲田八幡神社社殿…… 創祀は不詳らしいけど、境内に小円墳があったことや言い伝えや伝説、あるいは史実などから相当古くから聖地として村人の信仰の場であったらしい。 蒲田村より新宿分村に当たり、鎮守の神として「薭田神社」から行基作の神体三座のうち、春日の像一体を分かちお祀りした「新宿八幡神社」が始まり。新宿分村は平安末期か鎌倉初期との説もあるようだけど、諸般の事情を推論して慶長5年(1600年)を新宿分村、当社御鎮座と定め、平成12年(2000年)に御鎮座四百年祭を執行したそうです。 明治維新となった折の神仏分離によって、別当妙安寺に移された春日の像は、残念ながら戦災によって焼失したと。妙安寺はお隣でした。 社殿扁額……これは何なのでしょう。初めてお目にかかりました。 御祭神は誉田別命(応神天皇) 昭和20年(1945年)4月15日の戦災で社殿は灰燼(かいじん)に帰したけど、たちまちのうちに再建気運が勃興(ぼっこう)。戦後復興していく蒲田の中心にあったため、昭和24年(1949年)8月に新宿八幡神社を改め現在の「蒲田八幡神社」と称えるようになった。 おみくじと絵馬……奥に鳥居…… 社殿右側……美しい八幡造……梅は時期外れになっちゃいました。 記念碑にもあったように、昭和33年(1958年)に社殿を竣工したけど、60周年を目途に大改修工事を行い、平成30年(2018年)に現在の荘厳な社殿に変身したと。 社殿右奥に裏参道……実は、2018年10月21日に呑川を河口まで下った帰りに、こちらの外を通った私。疲れていたから寄らなかったことを悔いていての再チャレンジでした。御社殿復興六十周年記念例大祭が斎行された直後だったようです。 社殿の右手には境内社の天祖神社『この神社はもとお伊勢の森(現・蒲田四‐二四)に御鎮座する社でありましたが、明治四十三年五月二十七日、現在地に移転して境内末社となりました。』(同神社HPより) 明治11年(1878年)奉納……石碑には『国民崇敬の精神的中心として仰がれる天照大御神は、日本人の心のふる里である伊勢神宮を総本宮として、全国一万八千社の御分社が天祖神社、または神明社となって各地に鎮座されています。……』に続いて、天祖神社移転が記されています。 御祭神は「天照大御神(あまてらすおおかみかみ)」「日本武尊(やまとたけるのみこと)」……社殿同様にこちらも2018年に改修工事が行われたのでしょう。 梅が懐かしい…… と言うことで、今日はこれでおしまい。 朝、病院への行き帰り時は止んでいたのに、また降っている雨。何をしましょうか……
2021.04.05
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俺は聞いていない だめな上司は、つい 会社でも役所でも、がちっとした組織で何か事が起こると、決まってこう口走る上司がいる。聞いていないのではなく、聞こうともしなかったのに、状況を俯瞰(ふかん)して異様な気配を人より先に察知し、きちんとした指示を出さなかったことの弁明のはずが、部下への𠮟責(しっせき)にすり替わる。こういう上司はそのまた上司の顔色をうかがうばかり。聞くことも判断することも放棄している。 (朝日新聞・折々のことば407・2016.5.23) もう決まったことだから だめな上司は、つい(続き)「俺は聞いていない」とうそぶく上司のもう一つの常套句(じょうとうく)。「決めたこと」ではなく「決まったこと」とやんわり恫喝(どうかつ)。ここには主語がない。自分では判断せず、反論は予(あらかじ)め封じる。自分が関門になるのを、あとで責任を問われるのを、どうも避けたいらしい。「責任」は英語でリスポンシビリティ、他の人からの訴えや求めに応じる(リスポンド)用意があるということなのに。 (朝日新聞・折々のことば408・2016.5.24) 日常的に耳にする言葉だが、状況が変化しても「決まったこと」と捨て置き、向き合おうとしない我が国の主導者たち。こんなことでいいのか?と…… 開幕(18~23日)まで約2週間となったところで、東京五輪のテスト大会となるはずだった「飛び込みワールドカップ」を中止すると主催する国際水泳連盟(FINA)が日本側に伝えてきた。W杯のみならず、5月1日開幕の「アーティスティックスイミング五輪世界最終予選」と同月29日開幕の「オープンウォータースイミング五輪世界最終予選」も中止を検討する意向が伝えられたと。新型コロナウイルス対策での費用負担や、来日する関係者への水際対策の調整が難航していたらしい。誰が調整の責任者なのか知らないが、曖昧模糊とした組織なんだろう。関係者の間では「俺は聞いていない」「もう決まったことだから」の言葉が飛び交っているだろうが、こんな状態でオリパラは開催できるのか。あちこちで第4波に突入していくのだから、オリパラ中止の検討もしてみてはいかがか…… 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡り、政府が辺野古沿岸部への土砂投入を開始して2年以上経った。軟弱地盤を見つけられてしまったが、約2.7倍の工費をつぎ込んで7万1千本の杭を打ち込めば大丈夫と強行姿勢の政府。 ところが、外交や安全保障について共和、民主両党の歴代米国政府に政策提言を行ってきた専門家集団「米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)」は、軟弱地盤は明らかに不安定で「完成する可能性は低い」と昨年11月の報告書で指摘したと。沖縄のみならず、米国内でも疑問視する声が出ているのに「もう決まったことだから」と辺野古唯一に固執する日本政府。このCSISの報告を問われたら、加藤官房長官は何と答えるんだろう。「私は聞いていない」かもしれない。 ハナミズキ咲いた……11時58分 サクランボも実ができた…… ブルーベリーも鈴なり…… と言うことで、今日は簡単におしまい。
2021.04.04
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増明院の桜がどうなったかを確認するために出かけた3月27日の帰り道…… 東急池上線・石川台駅手前から中原街道を渡って呑川沿いを…… 島本橋近く……住所は南雪谷から石川町に 大音寺……呑川沿いの住所が、大田区石川町から目黒区緑が丘に変わった所を曲がって、世田谷区奥沢にある寺院に寄り道。150mほどの歩行で三つの区を制覇できるエリアです。 ソメイヨシノはもうちょっとでしたが、写真奥の枝垂系が品があり…… 撮ってみたら、さらに奥は鮮やか…… 隣接する幼稚園に咲いていました。桜かどうかは不明…… 本堂で南無阿弥陀仏を唱え、十三重塔の奥に…… わび・さび……ってところでしょう。 境内東側……70~80m先に呑川が流れています。桜の記憶はかすかだったけど、試しに寄ってみた大音寺でした。本堂、境内社などは「去年の大音寺」…… 猫発見…… なかなか良くできてるニャン…… 東急大井町線・目黒線を越えると呑川は暗渠…… 左側は目黒区緑が丘で、右は目黒区大岡山の東工大…… いつも感心されられるけど、目黒区が手入れをしているのでしょう。貧乏な区なんだけどな~ 呑川緑道…… 単一種で埋め尽くすのもいいものです…… 少なそうに見えるけど、散歩を楽しまれる方が結構おいででした。人混みの中目に行かずとも、桜のエネルギーはもらえます。 ちょうど1週間前でしたが、満開の呑川緑道でした。 左側が目黒区中根で、右は平町……良い時に歩いてきました。 と言うことで、今日で桜の日記はおしまい…… 明日は雨らしい……嫌だな~
2021.04.03
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大田区で桜を探した3月27日…… 本覚寺山門前の御嶽商店街……突き当りに… 御嶽神社……去年とは比べ物にならない。 始まりは室町時代末期といわれるけど、江戸後期に木曾御嶽山で修業した一山(いっさん)行者が大きな社殿を造営して御嶽山信仰で栄えた神社。 ちょこちょこお詣りをされる方々がおいでです。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようで、関東一円から木曾御嶽山の信仰者たちが多数訪れたと。信者数全体は減少傾向にある現在でも地元氏子さんたちが大きく支えているのでしょう。20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭が執行されるそうです。一瞬すごいなと思ったけど、「担いで運ぶ」じゃなくて「運んで担ぐ」のね~。平成23年(2011年)8月が第二回目だったから、今度は10年後だわな~ 社殿右奥にある大鳥神社前にも…… 社殿左の奥に……鳥居の奥は『杜の霊神水』一山(いっさん)行者が水行をしていたと云われる古井戸があります。去年撮ったから今回はありません。 奥から「一山神社」「延命地蔵(小さいの)」「水行堂」……正面両脇に花頭窓を設けた水行堂は国登録有形文化財。 水行堂扁額……照明もレトロ 去年隙間から覗いた時は「何もないじゃない」と思ったのですが、堂内は前後二室に区切られているんです。今回は扉が半分空いていたので奥の部屋が垣間見られました。祭神の社殿が置かれる部屋で水垢離(みずごり)をするんですね。右手に井戸があるらしいです。 ※ 去年の「御嶽神社(前編)」・「御嶽神社(後編)」 御嶽山(おんたけさん)駅……歩いて帰るから乗らないよ~ 池上線開通時の駅名は「御嶽山前」だったと。 商店街のお菓子屋さん……呂万寿はロマンスって読むのかな? 適当に曲がったりするから、歩行径路を後で確認できるように撮ります。 南雪谷の住宅街をトボトボ……個人宅の桜も保存樹でした。 東急池上線・五反田行き……3両編成・1000系ってのらしい。 次の踏切を渡ろうと思うんだけど、今度は蒲田行き。早く行ってよ~ 五反田と蒲田を結ぶ東急池上線。駅数15で、路線距離 10.9 km……とうきゅうに相応(ふさわ)しい数字です。「開通90周年イベント」の一日フリー乗車券(無料)をもらいに行ったのは2017年10月9日でした。この日も、とうきゅうでした。 踏切から振り返ると「雪が谷大塚駅」……7000系停車中。駅の向こう側には車両基地「雪が谷検車区」があり、以前見ましたっけ。同駅の開通時の名は「雪ケ谷」。一つ先の御嶽山駅とこの駅間は0.8kmなんだけど、真ん中に「調布大塚」って駅もあったと。いかにも邪魔くさかったのか? 雪ヶ谷駅が調布大塚駅を合併した折に現在の「雪が谷大塚駅」になったそうです。ちなみに住所に使われるのは「雪谷」なんだけどな~ 石川台駅に向かって道路は下ってます。先に呑川があるから当然…… ふり返って「電車来ないかな~」と思ったら…… 7000系がやってきましたとさ…… 桜のつもりが電車日記になってしまいましたが、続きはまた……
2021.04.02
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天気が良かったので、凝りもせず大田区を歩いた3月27日…… 観蔵院を後にして…… 大正2年1月10日創業の長久保造園土木さんで、今年も拝見しました。 雛飾り詳細は、去年の「お雛さまと西嶺町の梅」 西嶺町の住宅地を歩いて御嶽歩道橋……道路は環八で、瀬田方向。左からきたのだけど、距離感を誤って裏道を歩いたために信号機のある横断歩道を渡れなかった私。先の信号まで行っちゃうと行きすぎだから、しかたなく足腰強化で上りました。写真右側が北嶺町…… 歩道橋から見た武蔵小杉方向……かすんでるけど黄砂かしら? でもって御嶽商店街……正面が御嶽神社だけど先に手前に…… 去年より良い景色…… 本覚寺山門…… 今月の聖語『善悪の根本 枝葉をさとり 極めたるを 仏とは申すなり』……「ー闇を切り裂く大灯明ー」と続くらしい。『「無明の闇」という言葉があります。これは真理を照らす明かりがまったくなく真っ暗闇ということです。まさに迷いの根本です。 私たちはその中を手探りでさまよい歩いています。そして自分の価値観で「善だ悪だ」と決めつけ生きているのです。それがますます迷いを増長する結果となっているとも気づかずに…。 ならば私たちになくてはならないのは、闇を切り裂く灯明のはずです。その明かりとなるのは仏さまの智慧だけなのです。本仏釈尊の前に素直に額ずく。これこそが大灯明を手にできうる唯一の方法なのです。』(日蓮宗HPより) 南無妙法蓮華経…… お辞儀をして境内へ…… まことにグッドタイミングでした。 去年も同じようなアングルで撮ってました。 本堂前のお賽銭箱が遠いので、靴を脱いでちょっと上がらなくちゃなりませんが、私はきちんとご挨拶。 山門の桜を下から見上げて写すだけで引き返す人々。お賽銭など入れなくても、本堂で手を合わせるぐらいはすればいいのにな~ なんて思うのは私の身勝手でした。 ●南無妙法蓮華経「日蓮宗」 ●南無大師遍照金剛「真言宗」 ●南無阿弥陀佛「浄土宗」「浄土真宗」「天台宗」 ●南無釈迦無尼佛「臨済宗」「曹洞宗」「黄檗宗」「南無」=「帰依する」とまではいきませんが、どこへ行っても心の中でご挨拶をします。4つだけ覚えておくと便利です。 ※「昨年の本覚寺」《おまけ》 円融寺本堂裏……散り始めていて桜吹雪。8時49分 こちらも1週間で鮮やかになってました。まだまだ黄色が増えます。 フルーツヨーグルトってのに使うのであろう、ブルーベリーとイチゴをサービスしてくれたみたい。 コロナ感染を避ける私の訪問するお店はいつもこんな…… 厚労省職員23人が深夜まで送別会を開いていたが、朝刊に「県職員8人 送別会で感染」の見出し。鳥取県東部農林事務所の職員14人が参加した3月24日の送別会で、8人がクラスターだと。マスクもせずにカラオケで大声を発していたらしい。感染者数は全国最小の県ではあるが、開いた口が塞がらない。地域整備課に所属する職員らしいが、8人も出勤できずに日常業務は大丈夫なのか。 厚労省は老健局老人保健課の課長が言い出しっぺ。「頼りになる、立派な人物」らしいが、感染して休暇を取らねばならない職員が出たらどうなるかは想像しなかったのか? 一人も「止めましょう」と制止する職員がいなかったは残念だが、上司には逆らえないんだろう。政治世界の縮図……いやだ嫌だ。 事あるごとに「二度とないように」と口にする首相や大臣。いい加減聞き飽きた。どれだけ不祥事を繰り返してきたか「記憶にない」んだろう。
2021.04.01
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