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1月30日……天気が良かったので野次馬根性で行ってみることに……もちろん通過点としてであり、未訪問の寺社にもお寄りしました。新型コロナウイルスで闘病中の皆様の早期ご回復をお祈り申し上げます。 滅多に通らない環7をほんの少しだけ歩いたら、遠くに山が……「目黒風景55」で [54.坂みちのある住宅地(1)]に選ばれている[平町]だけあって、私の居る場所からは下り坂……大岡山小学校前歩道橋の一本南側の路地です。古い知り合いのMさんは見てるかも……鉄飛坂からは見えないのにね~ 西南西の方向ですが……こんな場所から、こんな方向に見えるなんて知らなかった。(12時51分) どう見ても富士山……冨士見坂って名付けたらいいのに……ありきたりだけどね~ 大岡山駅からさらに南下して中原街道……なんと不親切なことか、左折したいんだけど洗足池小学校前には横断歩道がない。何度か反対方向から歩いたけど、渡る必要がなかったから気にしていなかった。 車は右折できるのに人間様はまっすぐ渡れないなんて、なんと理不尽な…… ブツブツ言ってもしょうがないから歩道橋を渡りました。南南東に向かう荏原病院通り…… 左の緑の建物……[焼肉 やきとり ごん][中華料理 一番] 同族経営なのかしら? 焼鳥で一杯やってから〆のラーメンなんて、若かったら嬉しいです。 荏原病院通りは高い所にあります。進行方向左側(北東方面)写真は下り。低い所を池上用水が横切っているから当たり前です。そちらを歩いてみるか? 迷ったのですが、昨日は反対側(南西)に下る[宮前坂]を下って雪ヶ谷八幡神社に寄るコースを選択したので用水遊歩道はいつの日か…… 左右に少しくねる道の先に見えてきました。 荏原病院……正式名称は[公益財団法人東京都保険医療公社 荏原病院] 感染症医療に関しても高度・専門医療を提供しているそうです。肺炎のみならず、患者さんたちの回復をお祈り申し上げます。 以前散歩で出会った[東京労災病院]には患者さんが運ばれないのかしら? 羽田空港から一番近い総合病院なんだからと思ってHPを見たら「下記に該当する方は、来院前に電話でご連絡ください…」と大きくトップにありました。感染しないように手洗いとうがいをしていますが、マスクは面倒な私です。そもそも売っているのかしら? 梅園の梅はまだまだ無理だろうと、病院前から南西に向かって坂道を下りました。坂の名前はないのかしら? [病院坂]って呼んであげようかしら。 遠くに見えるのは武蔵小杉方面でしょう。低いところには何度も歩いた呑川が横切っています。荏原病院通りは呑川と池上用水との間の道です。 ピノキオ児童公園……呑川直前に 公園の時計は14時15分……富士山を眺めてから1時間25分経っています。雪ヶ谷八幡神社での写真撮りに手間取ったからしょうがないですが、なんとダラダラ歩きのことか… ティラノサウルス……ってやつかしら? 呑川・円長寺橋を渡って振り返ると……「くだりで良かった~」……右は雪谷中学校 いいな~ 乗ってみたいな~ ということで、三か所の寺社を訪問した昨日(日記の掲載は後日ですが……)タラタラ歩いた割にはコピット疲れたかもしれません。《おまけ》 あの人は今 どうしているのかしら? やっぱりどこかに入院してるのかな~ (散歩とは何の関係もありません)
2020.01.31
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1月14日……天気が良かったので、大田区矢口あたりをブラブラ… 延命寺山門……今泉北向庚申塔から少々大回りをしたけど、なんとか到着。 山門左の石碑には[聖徳太子作 火雷除子安地蔵尊]と刻まれていました。 ゆとりある境内…… 左が明照殿、右の建物には多摩川七福神の幟が…… 寿老人もおいででしたが、中央におられるのが聖徳太子作でしょうか? きれいすぎるからきっと違うんでしょうね。説明看板が1枚もないので本寺に関しては不明だらけの私です。拝見できただけで良いんだけど…… 本堂……願海山延命寺・浄土宗の寺院で御本尊は阿弥陀如来三尊とのこと…… 藤棚の下に手水舎……塀の向こうが墓地 墓地入り口に…… 萬霊塔になるのかしら? 本堂の左が庫裏かしら? 山門を入って左側……奥は客殿? なんの塔か不明ですが…… みなさま良きお姿でした。 背の高いのは[戦病死忠霊]・左の石には[兼斎上人之塚]と…… 大きいけど隅っこにお墓……砲兵上等兵勲八等……生きて勲等を賜ったのならいいけど、亡くなってからでは悲しい。それ以前に戦争なんて絶対に行かないよ~ 梅一輪……今年初めて見たかと…… ツバキでしょうね……きれいな色をしてたのでパチリ… 延命寺をあとにして北向庚申塔までもどり、その先を西へ…… 多摩堤通りを「このへんにあるはずなんだよな~」と次なる目的地を探して歩きました。 残念ながら続きは次回です。天気が良いから散歩してこようかな~
2020.01.30
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人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。 司馬遼太郎 作家が小学6年生に向けて書いた『二十一世紀に生きる君たちへ』から。自分がより大きなものによって生かされていることを知ってほしい、他人の痛みを感じ「いたわる」人になってほしいとの、願いがこもる。「たのもしい」は「頼りになる」こと。私の言い方だと「逃げない」「体を張ってくれる」ということ。「こんなときあいつがいたらなあ」と言ってもらえる人になりたいな。 (朝日新聞・折々のことば1713・2020.1.29) 衆参両院での予算委員会が始まった。桜に関して、代表質問においてはなんとかかわしてきた安倍首相だが、一問一答の追及には矛盾を隠せなくなった。議長を含めて政府の人々は首相をかばおうと、答えにならない答弁を繰り返し時間稼ぎ。テレビ中継で顔がでているのだが、「お宅の旦那さん情けないわね~」なんて周囲から思われる家族は辛いだろう。そこまでして首相のために体を張っている彼らの姿は見苦しく、私の眼には「たのもしい」とは映らない。 森加計を初め、かずかずの疑惑から逃げ続けて来た首相だが、功績・功労者を招待する桜を見る会のそもそもの趣旨を逸脱して「参加したい人は申し込んでね~」と事務所が手配していたのは明白なのだから、取り繕わず事実を語って素直に詫びれば良かった。首相の主張に齟齬(そご)がないよう辻褄合わせに精を出す政府の人たちは辛いだろう。本当のことを言ってしまえばいいのに言えない歯がゆさで眠れないのでは? どこかの前大臣みたいに睡眠障害で入院雲隠れもできない。 昨日歯医者から帰って見ていたらビックリ仰天!!! 桜を見る会を含む観光ツアーへの参加をつのる文書を見せながら、「募集していることはいつから知っていたのか」と共産党の宮本議員が首相に訪ねた。返ってきた首相の答弁は「私は、幅広く募っているという認識だった。募集しているという認識ではなかった」だって……安倍晋三首相にとっては「募る」と「募集」は別なんだと知った。こんな日本語も理解できない人に首相が務まるんだな~ いやいや、そうだからこそ適任なのかもしれないが、誰か国民のために体を張ってくれる与党議員がいないものかしら? 1月25日に拾った花たち…… サツキかツツジか?……桜の後に登場するなずなんだけど、ポツンと咲いていた。 紅梅……さほど日当たりの良い場所じゃなかったけど……池上の梅園はどうかな~ 見に行かなくちゃな~ モーニングから帰ったら、武漢から帰国した人の中で熱や咳の症状のある4人が荏原病院に入院したと連れ合いに教えられました。「荏原病院ってどこにあるのかな~」と聞かれたので、ちょっと見てみようとおもったら繋がらない。「応答時間が長すぎます」のコメントが出て何度やってもダメ。みんな調べてるんでしょう。明日、洗足池から同病院脇を通って池上あたりを散歩してみましょうかしら? 奇麗に飾られていました。 スイセン…… バラ一輪…… 昨日から降り続いていた雨もあがり、今日は青空……気温も低くないから快適です。明日も暖かそうだから、散歩行かなくちゃね~ 池上梅園は早咲きがちょこっと咲いている程度らしいから考え物だな~ 去年は2月4日に行ったけど早かったからまだ無理かもね~
2020.01.29
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1月14日……大田区矢口あたりをブラブラ… 矢口氷川神社や花光院を南に進みます。両面通行の道ですが、車がほとんど通らないのがありがたい。 南に向かっている私に対して、こっちを向いている祠…… 今泉北向庚申塔……右の木札はすっかり読めませんが、左の木札には「文化五年(1808)…十二月…」とだけはハッキリ読めました。 青面金剛……六臂かしら? 足元には三猿もいたのですが、いくら交通量が少ないとはいえお尻を轢かれてはこまるので省略でした。 次のお寺を求めて、庚申塔の四つ角を東に…… お寺の塀らしきはありましたが、山門がない…… ついには公園になっちゃいました……矢口二丁目児童公園……寺社も多いけど、公園も多い大田区です。 塀があった反対側まで結局一回りしてしまいました。 でもあったから良かった~ 残念ながら、今日は歯医者で顕微鏡による根管治療を受けてきたのでこれでお終い……1時間強、口を開けっぱなしは辛い。麻酔はしてもらったものの、途中で痛みがあり2回追加。帰りにコーヒーだけ飲んだけど、お腹空いた。麻酔も切れたからどうにか食べられそう。なんぞ食べてこようかしら? そうそう、マイクロエンドもインプラント同様に確定申告に使えると歯科医師が言っていた。去年は両方やったから今年は少しは返ってくるかもしれない。ひょっとしたらもう一本インプラント入れないとならないかもしれないから、今年もお金かかるな~ ちゃんと歯磨きしてるんだけどな~ 老後2000万円じゃ足りないよ~
2020.01.28
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1月14日……新田神社-氷川神社に続いてここにも神社……とにかく密集しています。花光院のお隣ですから、別当寺だったのでしょう。 池上本門寺を中心に日蓮宗寺院が取り囲み、玉川八十八ヶ所霊場に名を連ねる真言宗寺院、その他浄土真宗寺院などなど100数十の寺院が大田区には存在するようですから、寺社合わせれば優に200を越えることでしょう。 今泉神社鳥居……現在の住所は大田区矢口ですが、昔々は今泉村だったのでしょう。 小さいながらも立派な社号碑です。 手水舎……いらっしゃいました[がまんさま] 八雲氷川神社は四か所を担いでいましたが、こちらは前面だけでした。ひょっとしたら二体 壊れたのかもしれません。慶応元年(1865年)から支えているんだからくたびれるわな~ ご苦労様です。 右に社殿、左に境内社……氏子さんのご協力のたまものでしょう。掃除が行き届いていました。 力石……『…宝永年代ヨリ土地老若氏子ガ祭礼の時体位向上心身練磨ニ供用セル石ナリ…』と、石碑に書かれていました。錬磨?練磨?……私に足りないものです。 社殿左側に二つ…… 手前には鳥居がありませんが、稲荷神社なのでしょう。 正面に堂々と鎮座していました。 稲荷神社……気を付けないと頭をぶつけそうです。稲荷神社だけど、狛犬も守っています。 御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)……日本書紀では倉稲魂命……先日も書いたっけ… 味わいのある狛犬…… こっちはちょいと怖いかも…… 今泉神社社殿……御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)……日本書紀における応仁天皇の呼び名 社殿扁額……すっきりした字体… 社務所玄関は新しそうなので、神職の方もおいでになるのでしょう。 しかし、秋の祭礼はどうしてるのか? 新田神社、氷川神社と今泉神社が同一日にならないように調整しているかもしれません。近隣の子どもたちには嬉しいです。縁日 三回楽しめますものね~ と言うことで、今日はこれでお終い…… 明日は歯医者 嫌だな~ マイクロエンド…それほど痛くはないけど口を開けてるのが辛いんだよね~ 電車止まらないでね~ 雪は困るよ~
2020.01.27
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1月14日……大田区矢口あたりをウロウロ… 花光院(かこういん)山門……閉まっていたので… 脇からお邪魔しました。氷川神社からは近い近い…… 本堂……福田山花光院蓮花寺 本尊は大日如来 本堂扁額……真言宗智山派だというのでもしやと思ったら…… 玉川八十八ヶ所霊場 第六十二番札所……先日は世田谷と目黒区で三霊場を訪問した私。こちらの花光院もねらって来たわけではないのに、ありがたいです。知らず知らずのうちにいくつも訪れていますが、川崎や横浜を除く札所は制覇してみたいと思っています。 本堂前左手…… 六地蔵+1でしょうか? 右は供養塔みたいですが[天下泰平][国土安全]と彫られています。 左は「文化12年(1815年)」と台座にありました。 水子地蔵さんごめんなさい……こちらだけお賽銭置いてきませんでした。本堂左奥から裏にかけてが墓地のようです。私は立ち入りませんが…… 宝篋印塔…… この日最初に訪問した新田神社の別当寺でもあった[真福寺]が廃寺となったため、花光院に合併されたそうです。珍しく由緒書きなど一枚もなかったので、詳細は不明です。近隣神社同様に、戦災で記録が焼けてしまったのかもしれません。 花光院山門を出て東に……となりのブロックに玉垣が見えています。 でも続きは次回……寒いし、昨日の散歩でちょっとお疲れ気味なので……
2020.01.26
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1月14日……いつものように思い付きの散歩… 矢口の新田神社を後にこんな道……新田神社の東南、直線距離にしたら100m~200mでしょうか? 目と鼻の先に…… 一応玉垣に囲まれてはいても氷川児童遊園の片隅を借りるように…… 氷川神社……参道は真南に向いています。訪問時にはまったく気付いていませんでしたが、この日初めにお邪魔した新田神社と縁がある神社でした。左側大半が児童遊園で……誰も遊んでいませんが…… 社号碑は[氷川神社]ですが、他所と区別するためにタイトルは矢口氷川神社としました。樹木は、楠(クスノキ)で、区の指定保存樹みたいです。 入口左側の手水舎は、現在は使われていないみたいです。 掃除が行き届いています。参拝する方の姿は伺えませんでしたが、地元の氏神様として近隣の方々のご助力があるはずです。新田神社とは規模が違いますが、大切に守られてきたことでしょう。 なかなかお目に掛かれない風情の狛犬…… 嘉永2年(1849年)の奉納……石造りだけに焼失を免れたのか? 氷川神社社殿……素戔嗚尊(すさのおのみこと) 昨日書いたように、空襲によって焼失した新田神社とこの氷川神社は昭和33年(1958年)に再建されたものです。社務所もないので、おそらく新田神社が兼務しているのでしょう。 社殿扁額…… もとの姿と比較してどうかは不明ですが、簡素ながらしっかりと再建されました。 老朽化したとされる神輿庫があったのは、こちらあたりでしょうか? 社殿前の赤い幟は[多摩川七福神]でした。「大黒天」は、社殿内におられるのでしょう……お姿は拝見できませんでした。 新田神社に置かれている神輿と山車……もともとは氷川神社のなんだけどな~ 社殿右の境内社は立ち入り禁止…… 稲荷社鎮座記念……昭和47年(1972年)に鎮座 三社稲荷……鉄格子の隙間からパチリ……きっと正月や例大祭にしか直接拝見できないのでしょう。 三社稲荷扁額…… 社殿前から鳥居……この参道、本当に真南に向かっています。 由緒は不明ですが、規模の違う近くの新田神社が気遣いをするのだから、こちらのほうが創建は早かったのでしょう。 と言うことで今日はこれでお終い…… 留守番をするか? コピット散歩に行くか?
2020.01.25
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1月14日……とびきりの上天気ではなかったけど、ノンアルの日であり、散歩と相まって健康には良かろうと……地元の駅前で簡単にモーニングを済ませて早めに散歩にでました。 大岡山からひたすら南下して、一気に武蔵新田まできました。 以前、池上本門寺界隈や下丸子あたりまで東急多摩川線の北東側は探索したのですが、南西側にも寺社があることを独り反省会で見つけてあったので行ってみることにした暇な私です。 武蔵新田の商店街を少し南下すると…… 新田神社……立派な社号碑……旧名は新田明神社 大木は御神木……最後にふれます。 左の狛犬の左に大きな破魔矢のオブジェ……破魔矢発祥の地だとか? 境内に入って左手に並んでいます。 左は法仏殿……流石に金網のフェンスで守られています。元旦や例大祭以外はクローズなんでしょう。 右は神輿庫……でも、納められている神輿と山車は、正確には氷川神社のものなんだって。元来この矢口地区の氏神様は氷川神社だそうですが、昭和20年4月の空襲でここ新田神社や氷川神社の社殿をはじめ、両社の神輿などもすべて焼失した。そこで、地元の総代・崇敬者・有志が集まって昭和33年に氷川神社の社殿や神輿・山車を新たに造ったのですが、その後氷川神社の神輿庫の老朽化が進んでしまう。平成20年、新田神社・鎮座650年を迎えるにあたり、新たな神輿庫をここに造り、氷川神社の神輿と山車を陳列することになったとのことです。 次に訪問しましたが、氷川神社は本当に近い所にあります。仲がよくて良い事です。 神輿庫前に立っている幟には[多摩川七福神]……そんなのあったのね~ 七福神は[新田神社][頓兵衛地蔵][矢口中稲荷神社][氷川神社][延命寺][東八幡神社]と[十寄神社]だと今日知りました。知らずに行ったのですが、4ヶ所は訪問できたから良かったとします。 戦災後、新田神社では独自で神輿を作ることはしなかったそうで、両社の祭礼でこの神輿が渡御(とぎょ=お出まし)できるよう、正面と後部には氷川神社の社紋『左三つ巴』、そして左右の側面に新田神社の社紋『一つ引き両』がつけられているとのこと。 ガラス越しだったので見にくいですが、恵比寿さんもいました。 狛犬はとても新しそうです。鎮座660年大祭記念事業として、鳥居や狛犬も奇麗にしたそうです。ケルヒャー使ったのかしら? 奉納の文字なども塗り替えたのでしょう。 新田神社社殿……こちらも鎮座660年にあたり、2018年に洗浄と防火施工の修復工事を行ったと……二度と焼失させてはなりません。 拝殿……失礼してパチリ 社殿左側……石碑などが並んでいたので行ってみることに…… 石の卓球台……毎日、無料でラケットと球を貸してくれるんだって。いいな~ そよそよ程度の風なら屋外でも卓球できます。連れ合いと一緒だったら、絶対にやったんだけどな~ いざ勝負! 自分で言うのもなんだけど「わしうまいで~」 うなる「狛犬」……謀略を企てた足利基氏(もとうじ)家臣の畠山一族の者、またその血縁者末裔が新田神社付近に来ると、きまって雨が降り、この狛犬がうなったと。残念ながら一体は戦災で壊れてしまった。戦争反対! 靖国碑……靖国の神霊を慰める碑でしょう。 鳥居保存……かつて武蔵新田駅前通りにあった新田神社一之鳥居が、昭和45年の下水道工事の際に折損し倒壊の危険を生じたため、やむなく解体してここに保存してあるんだって。 左の石碑文「建石華表之記」には『この鳥居は、江戸麻布の篤志家・亀谷重五郎と称する人の発願尽力によりて成れるもの…』と書かれているそうです。奉献に力を尽くした重五郎氏だけど、完成を見ずに他界されたとのこと…… 力石……180~240kgあるんだって……『…重い石を持ち上げることにより一人前として社会に認められた当時の通過儀礼の一つでもあった。』とされていますが、私は認めてもらえないでしょう。 新田大明神道標……現在の第二京浜国道沿いに建てられていたもので、文化14年(1817年)4月に麻布日下窪講中によって再建されたと……新田神社が昔は新田大明神と呼ばれていた証です。 御塚(おつか)……御祭神新田義興(よしおき)公の御遺体を埋葬した所で、直径約15mの円墳。この中に入ると必ず祟(たた)りがあるというところから「荒山」「迷い塚」などともいうそうです。入ったらアカン! この社殿後方に「御塚」があると……フェンスや垣根で立ち入り禁止です。 入ったらアカン!とは云うものの、この御塚後部には昔から神域を越えることがない不思議な篠竹(しのたけ)が生えていて、江戸時代に平賀源内がこの篠竹で厄除開運・邪気退散の破魔矢「矢守(やもり)」と作り、広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めたとのこと……爾来(じらい=その後)、毎年正月初詣の人々に社頭で授与しているそうです。破魔矢は矢守と呼ばれた時代……なるほど破魔矢発祥の地なんですね。 矢口新田神君之碑……新田義興(よしおき)公の事績と神社創建の由来が記されているそうですが、全く読めません。延享3年(1746年)に石城国(福島県)守山藩主、松平頼寞(よりひろ)が造立した碑で、大田区の文化財。江戸期の記念碑は大田区には数が少ないようです。 社殿前から鳥居…… 手水舎…… 手水舎の後方に稲荷神社……朱色がまぶしい! 江戸時代頃に、この矢口村の稲作や農業を守護するために京都の伏見稲荷大社から、その御分霊が祀られたそうです。 御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)……日本書紀における倉稲魂命(うかのみたまのみこと)の方が私にはピンときます。 稲荷神社扁額…… 狐はお稲荷様の眷属(けんぞく)……たくさんの従者が守っています。 御神木……樹齢七百年に及ぶ欅(けやき) この御神木に触れると「健康長寿」「病気平癒(へいゆ)」「若返り」の霊験があると伝えられているそうです。御神木の御加護をいただくには、写真の反対側の鳥居から中に入り、できるだけ長く御神木に触れて霊気を感じることだそうです。鳥居への出入りでは一礼を忘れずに…… 落雷や戦災によって大きく裂けた幹…… でも、淡黄色の小花が咲く、珍しい「宿り木」が寄生していてるとのこと……もちろん新緑の季節には青々とした葉も繁るって。春になったら再訪してみようかしら? 出発前に多摩川七福神を知っていたら残り3つを制覇したのにと、ちょっと残念な散歩でしたが続きはまた次回……≪1月25日に通りかかった折、神輿庫がオープンしていたので再撮≫ よかったよかった~ (2月5日追加)
2020.01.24
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昨日の代表質問に続き、今日の午前中も国会中継を見た。「桜ももう散ってしまった。早くこの問題から次の建設的な問題に議論を移していかなきゃダメだ」と、自民党二階俊博幹事長は安倍首相の答弁に同調するが、やましいことがないのなら隠さずに真実を説明すれば済むこと。 保存期間が過ぎたので廃棄したと説明してきた過去の関連資料が最近見つかったが、年が変わっても昨年同様の答弁を読み返すから疑惑は晴れない。他にも残っている可能性は大きいはずだが、招待者名簿の再調査を指示する考えはないと言い切る安倍首相。名簿の電子データの廃棄時期がわかるコンピュータのログ(履歴)の確認を問われ、安倍首相は「不正侵入を助長する恐れがある」なんて答弁で拒否。ログを確認することが不正侵入とどう関連するのか私には意味不明。なんのためのログなのか? 確か「バックアップデータは公文書ではない」なんてことも菅官房長官が言っていたっけ。 官僚の世界において、公務員が公文書管理法に違反して記録を残さないなんてことはあってはならない話であり、公務員自らの保身のためにも残すのが常識だろう。外交上の途中経過等を記録に残すことは必ずしもではないだろうが、ルーティーンのような一般的な記録を残さないなんて考えられない。おまけに何年間にも渡ってのこと。 廃棄した日などを記す[廃棄簿]への未記載のみならず、保存期間などを記す行政文書である[管理簿]への未記載に加え、廃棄前に必要な首相の[同意手続き]までスルー。森友問題では、最終的な決済文書まで勝手に書き換えた上で「廃棄したと」……自殺者まで出ているのに、政治家による官僚人事への恐怖・圧力なのか…… そもそも招待者名簿が残っていないなんてこと自体信じられない。年賀状リスト同様、翌年に誰を招待するかを決めるために必要であり「遅延なく廃棄」など、私が担当公務員であるなら考えられないことだ。 ジャパンライフ山口隆祥会長が桜を見る会に招待されていたとされるが、個人情報だとかわす安倍首相。招待番号の60は首相推薦枠ではないか? の質問にもまともに答えず調査もしない姿勢にはうんざりする。私とて「桜さくら…」と、いつまでも言っているつもりはないが、去年も一昨年も5千万円を超える税金が使われたのは事実であり、ジャパンライフ会長の招待は被害者を増やしたにもかかわらず、国民を愚弄しているとしか思えない姿勢に怒りを覚える。推薦枠の区分番号は毎年変更されたはずはないのだから調べれば判明するはずだが、携わった官僚・公務員が率先して提出ないしは証言すれば済む。公文書は国民の知る権利を守るためにも存在する。政治家のみならず、その公文書に携わる公務員も国民に背を向けているのが今の時代なのかもしれない。 防衛省が「不存在」としていた自衛隊イラク派遣時の435日分の日報が見つかったとき、「戦闘」という言葉が複数あった。南部サマワ周辺での英国軍と武装勢力との衝突であり「戦闘が拡大」と記されていた。実際に戦闘が行われていても、自衛隊の活動地域は「非戦闘地域」と国民に説明し続けてきた政府。この問題もうやむやになってしまったが、国民への説明との整合性がとれなかったことは事実だ。「戦闘が拡大」されていても「非戦闘地域」だと、国民は騙されていたことになる。これを打ち消すために「戦闘」と書かれた文言を、稲田朋美前防衛相は「武力衝突」と読み替えたことも私は忘れない。日時が経てば国民は忘れるだろう、と思ったら大間違いだ。都度取り繕い、事実から目をそらす政府・政権を信じられる日は訪れるのか? 陸自に日報が保管されていた事実の第一報を報じたのはNHKだったはず。内部告発だったと記憶しているが、心ある公務員の方々の告発を願っている。『自民党本部、河井夫妻側に1億5000万円 参院選前、溝手氏の10倍 資金肩入れ浮き彫り』と昨夜の中国新聞デジタル……本日発売の文春砲も扱っているみたいだが、マスコミも不正を正す取材によりいっそう注力されることを願う。党本部が1億5000万円を渡すことが法に抵触しなくても、政党交付金など国民の税金が原資と思えると不愉快極まりない。信頼できる政府の再構築を切に願う。 モーニングへの途中で見かけます。左はおそらくNSXだろうと推察するのですが……右は見当がつきません。ウイングに近いであろうリアスポイラーが付いていそうなんですが……いつもカバーがかけられたままで残念な私です。 隠れているのが何なのか、正体・真実を知りたいのは政治も同じ…… 怒りをパワーに……今日もブツブツ書いてしまいました。 明日は穏やかな日記にします。 蛇足……[個人情報保護法]は、改正によって個人情報取扱事業者の範囲が拡大されたり、罰則規定も強化された。中小企業や小規模事業者であっても留意が必要な内容となっている。 民間には厳しい法律だが、[国の機関][地方公共団体][独立行政法人等]および[地方独立行政法人]は除く、とされている。守らなくても、適用外だから処罰は軽いのだろう。
2020.01.23
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1月9日……世田谷中町や等々力をブラブラして帰ってきました。 お隣の金蔵院にお寄りしたのに、こちら(八雲氷川)にご挨拶をしないのは失礼だと拝殿に手を合わせてから、前回撮り忘れた手水舎だけパチリ……何でかって? 安政6年(1859年)の奉納らしいですが、数日後(1月14日)に訪問した矢口今泉神社手水舎にも同じ姿をみました。当時の流行りだったのか? 水盤の底を持ち上げている力持ち…… よいしょ…… こらしょ…… どっこいしょ……[がまんさま]なんて呼ばれて親しまれたようですが、水盤を支える力持ち達……辛そうですが日々お疲れ様です。 表通り商店街に出て、帰宅態勢の私……喫茶店らしきを見つけてドアを押し「こちらはタバコ吸えますか?」と尋ねたら、「すみません、うちは喫茶店ではなくコーヒー豆を売る店です」ですって……[珈琲店]って書いてあったから勘違いをした私でした。恥ずかしい~ でも入り口の風情は喫茶店だったんだけどな~ 商店街の通りに、東光寺参道入り口があります。これは以前[東光寺]にお参りした際に撮りましたっけ…… 常圓寺参道入り口……東光寺の入り口は前回見ていたのですが、なぜかこちらは気付きませんでした。ついこのあいだのように思えますが[常圓寺]や東光寺は去年の6月でした。《おまけ》 切られた桜の切株ですが、抜根作業が終わった後の昨日、一応埋め直されてアスファルト補修が済みました。三角コーンが置いてあるってことは、まだ補修作業が終了したわけではないのでしょうか? ということで、1月9日の散歩日記は今日で完了しました。次回からは14日の大田区散歩……気まぐれなのであっちこっち……品川も行きたいところが残ってるんだけど、今日は寒いからだめです。霙(みぞれ)が降ってきても不思議じゃないから大人しくしています。 そうそう、今日の西小山はガラガラでした。行った時にお客さんは一人だけ。「寒いからみんな出てこないんでしょう」とマスター。贅沢してオムライスを食べてしまいました。お腹いっぱいだから昼抜きで大丈夫。休肝日だから晩御飯は簡単に……狐どん兵衛でいいや~
2020.01.22
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1月9日……世田谷区中町-等々力を歩いてから寄りました。 八雲氷川神社には以前(2019.6.2)来たのですが、なぜかお隣をスルーしたので…… 氷川神社の拝殿前 三之鳥居を左に…… とてもコンパクトなお寺です……ワンブロック左の[みどりの散歩道 呑川・柿の木坂コース]は歩きましたが、こちらへは訪れたことがありませんでした。 山門脇は梅の木でしょう。来月になったらもう一度行ってみましょうかしら? 氷川山虎空蔵寺金蔵院(ひかわさん こくぞうじ こんぞういん)……垣根も山門もないこの風情。わずかな石段を上って失礼します…… 真言宗智山派……よりすぐんだ分けではなく、この日に訪れた三寺が同宗派であり、玉川八十八ヶ所霊場(第五十三番札所)であったことは誠に見事な偶然でした。 歓喜天(かんぎてん)堂(手前)と本堂(奥)…… 無縁供養地蔵……石段を上がった脇にひっそりと……『氷川神社の地蔵さんが導いて八雲の宅地一帯に埋もれている無縁仏の供養と地の神の供養をしてほしいとの夢を見て奉納』とありました。 歓喜天堂内……『歓喜天は梵名をナンデイケーシュヴァラといい、歓喜自在天・難提自在天・大聖歓喜天と訳されています。一般には……諸願をかなえる力も強いけれど、反面、約束を守らなかったりすると、大変恐ろしいといわれている天部の尊です。(高野山霊宝館より)』……約束は守らないといけません。説明責任とは口ばかりの政治家さんたちは恐ろしい目にあうかもしれません。『歓喜天の姿は、頭部が象の形であらわされ、いわゆる象頭(ぞうとう)人身の姿をしています。その姿には大きく分けて単身像のものと、双身歓喜天として二尊が抱きあう姿のものがあります。(同館)』……象頭人身とは、怒らせたらさぞや怖いことでしょう。やっぱり約束は守ること、あるいは初めから約束などしないことでしょう。 南無大師遍照金剛……歓喜天堂脇にお立ちでした。『南無とは、敬意や尊敬を表すサンスクリット語の「ナモ」を音写した仏教用語であり帰依するという意味があります。大師とは偉大なる師を意味し、真言宗の開祖である弘法大師・空海のことを指します。遍照金剛は弘法大師が唐に渡り密教を学んでいた時に付けられた灌頂名(かんじょうめい)です。(㈱滝本仏光堂より)』 本堂に進む時、弘法大師様がお出迎えしてくれます。 金蔵院本堂……慶長5年(1600年)頃に頼栄上人によって創建されたと伝えられ、古い記録としては享保年間(1716年~1736年)に俊海法師が本堂を立て直したことが残っていると……失礼ながら、見かけ以上になかなか歴史のあるお寺でした。 本堂に安置されている、本尊の大日如来像と脇侍の「木造不動明王および両童子立像」は区指定有形文化財。不動明王像の頭部内から発見された11枚の文書によると、像の作者は不明ながら、応仁2年(1468年)に大和国山辺群・広瀬群のあたりで造立されたことと、目的が明らかになったと、目黒区教委の説明看板にありました。どうせなら造立の目的も書いておいてくださいませ。しかし500年以上前の仏像は貴重です。 コンパクトですが、丹念に作られていました。 本堂前から山門に向かって……と言っても、門はないんだけど…… 水子地蔵でしょう。とても悲しい気持ち…… 境内……明治4年(1871年)、境内の建物を使用して学校が創立されました。後の区立八雲小学校(八雲小学校としての創立は明治7年)で、区内で一番古い小学校誕生の地だそうです。『遍照金剛には「太陽のような明るい光を照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまのような砕けることのない知慧の持ち主」という意味があり、大日如来の別名でもあります。(㈱滝本仏光堂より)』 ということで後ろ姿に一礼して家路についた私でありました。《おまけ》 昨日しばらくぶりに前を通ったら、こんな姿に変わっていました。以前はラクサとか言うお店だったけど、やっぱり長続きさせるのは難しいのでしょう。隣のヒグマ・ドーナツは頑張ってるんだけどな~ 金谷丸……「黄金アジフライ」だって……イカフライだったら絶対に行くんだけどな~ どうぞ長続きしますように……
2020.01.21
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1月9日……満願寺をあとにして、ちょっと危ない撮影場所に向けて目黒通りを上りました。 嘉衛門……フェラーリ、ベンツ……一番下のは分からない私ですが、ホイール屋さんかしら? 途中、左に上って行く細道発見……石段付きで人に優しいです。上野毛通りに抜けられれば上ってみても良かったのですが、行き止まりだったら辛いのでこの日はパス。弱気だったかも…… そうそう、スマホが新しくなったのでちゃんと地図は出てきますが、Wi-Fiの使えない屋外では見ないケチな私です。 リサイクルのお店みたいです。目的地に近づいてきました。 およよ!!! リサイクルの隣はクルマ屋さんでした。マセラティにフェラーリ…… コレツィオーネ……というイタリア語みたいな名前の会社です。ドン・コルレオーネに似ているからイタリア語でしょう。 イタリアが好きのようなのでランチアもあるかもね~ あるかぽね~に似ています。年寄りのダジャレは受けません。 危ない撮影場所に到着……何度か通りましたが、車が停まったり流れたりしていたのであきらめていました。この日はラッキー…… 庚申塔と地蔵さん…… 渡りにくい場所にあるので、花など供えることが困難と思われます。 私も合掌してから3ショット撮って、即撤収…… 左の道(上野毛通り)は両面通行、右はこちらに向かって合流する1車線……混んでいると抜け出せなくなるスポットです。「危ないやんか!!! こんなとこ行かんといて!!!」と連れ合いから叱られちゃう私でありました。ずーっと気になっていたさかい堪忍な~《おまけ》 人参の葉っぱの天ぷら……今朝の西小山のサラダは通常以上の品数の野菜が乗せられていました。黄色いのとか紫のとか……「これ何?」って尋ねたらニンジンだと。カウンターの中の調理場からお姉さんが手に掲げて見せてくれましたが、「おまけ」と言って揚げたてを供してくれました。えぐみもなくサクサク……ニンジンの葉っぱは初めて口にしましたが、美味しい。ビールのつまみに良いと思った私でした。ご馳走様でした。
2020.01.20
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1月9日……中町天祖神社-金剛寺-薬師如来瑠璃光院、そして等々力玉川神社を経て訪れた満願寺の後編です。よくぞ見学したものだと、我ながら感心しています。 本堂左手の講堂ですが、左端に灰皿らしきを発見した私…… ベンチに座って、本堂、境内を眺めながら一服させてもらいました。ありがたやありがたや…… 鐘楼……前の写真で私の背後にあります。 鐘楼の背後にひっそりとたたずんでいました。 馬頭観世音菩薩…… 私の好きなポーズ……新しそうですが、奥の石仏は歴史を感じます。 一服したので本堂左側に……左手と正面奥が広い墓地でした。 石碑・石仏が整列…… みんなこの文字が書かれています。 凌雲善童女……[凌雲]とは『雲をしのぐほどに高いこと。俗世を超越していることにいう。』とgoo辞書にありました。[童子]や[善童女]は15歳未満の子供の戒名に使うみたいですが、古き水子地蔵の類なのでしょうか? 墓地への入り口で、黒い石板が呼んでいました。 線刻って言うのでしょうか? 見事に美しく刻まれています。 脇に[普賢延命大安楽不空眞實一百八臂金剛蔵王大菩薩]の文字……108臂というだけあって、たくさんの剣が描かれています。 同意語みたいですが、金剛蔵王大権現というのが奈良県吉野町の金峯山寺の本尊として有名らしい。(連れ合いは知っているかもしれません…) 役小角が吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承があるそうな蔵王権現は、釈迦如来、千手観音と弥勒(みろく)菩薩の三尊が合体したものだと。ここに描かれているご尊顔は弥勒菩薩さまかしら? でもちょっと分かりかねるのは金峯山寺は天台宗……宗派が違うんだけどな~ 私が勝手に見当違いをしたのかもしれません。悪しからず…… 墓地の入り口に並んでいました。本来墓地には踏み込まないのですが、[史跡 細井廣澤 墓]の石碑を見ていたので探してみました。 六地蔵の前を通って墓地に入ると、すぐにそこだけ広々とした一画が目に飛び込んできました。おそらく、歴代住職の墓ではないでしょうか? 本堂の北側及び西側の広い墓地には、古き歴史がうかがえる墓石や石仏で埋め尽くされていました。 奥の一画に細井廣澤(こうたく)先生のお墓があるようです。 細井廣澤先生墓所……と刻まれた石碑が目立っていたので迷わずたどり着きました。明治44年4月に建てられたようですが、折れて修復した痕が痛ましい。 ご一族の墓碑とおぼしきが並んでいました。立ち入って覗き込んでも失礼であり、囲まれちゃうのも嫌だったので入り口で失礼しましたが、細井廣澤先生のお墓は写真左の角にあるみたいです。 ※ 細井廣澤=1658~1736年・江戸中期の儒学者・書家。遠江(とおとうみ)の人。名は知慎(ともちか)。朱子学・陽明学を修め、また、唐様書道を広めた。柳沢吉保に仕え、歴代天皇陵の修築に尽力(デジタル大辞林)……とのことです。 境内から上半身が見えた[大塔]は、墓地からも姿は確認できませんでした。仕方なく表に出てあるべき方向に行ってみたのですが、残念ながら影も形も拝めませんでした。 ちなみに、このゆるい坂を上って行くと、左に薬師如来瑠璃光院、右に玉川神社の西の鳥居です。 ということで、念願の満願寺を後に、つまらないものを探しながら帰途に着いた私ですが、続きはまた……《ちょっとブツブツ》 今朝モーニングの帰り……目黒通りの歩道を少しだけ歩いた。右の車道でスローダウンする車を認識していたが普通に歩く私。左にあるガソリンスタンドに行くのだろうと思っていたとおり、車は左折モードで左前輪が歩道の縁石に乗る。私の直前なのだから止まるだろうと思ったら止まらない。ノロノロではあるが停止せずに突っ込んできた。私が止まらず普通に歩いたら確実にぶつけられていた。私の隣を一歩遅れて来た自転車も止まった。 運転手は私の存在に気付いていないのだろう。待ってやっているのだから、すんなりガラガラのスタンド内に入って行けばいいのに、車は歩道を完全にふさいで停止。スタンド奥に向いた運転手の目は、店員の誘導を待っているらしい。後ろからは回れないので、車の前方から行こうと思った時、嫌がらせのようにわずかにノロノロ前進する。歩行者妨害ってやつも知らないらしい。待つのが我慢できなくなって「さっさとどけろよ」と大声を出したが、運転手はこちらを向かない。窓を叩きたかったが我慢。声に気付いた店員が、これまたノロノロやってきて誘導していた。 白のBMW右ハンドル……注意力も視界も聴力も極端に低下しているであろう年寄りなんだから、免許返上したほうがいいよ。私でなく、ベビーカーを押したお母さんが歩いていたとしたら、間違いなくベビーカーにはぶつけていたはずだから…… おちおち歩道も歩けません。みなさん気を付けましょう。
2020.01.19
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1月9日……世田谷区中町から等々力に来ています。 等々力玉川神社を後にしてすぐの場所……角に発見!! 左は、東急大井町線を越える目黒通りの高架……何十回も通りましたが、車からでは見えません。 庚申塔……自分でもなぜかわかりませんが、見つけると嬉しくなります。 江戸時代の物でしょうが、地元有志のご尽力で今日まで姿を残しています。『何れの地に有りしか、荒廃せるを見て明治10年4月、現在地の東隣に移した。昭和の初頭再度満願寺境内のこの一偶(隅?)に移し、堂宇の結構を新たにす。』みたいに読めます。世話人さんを初め、後世に語り継ぐ地元の皆さんの気持ちが伝わります。 右一帯が目指す満願寺……昨年等々力不動尊は同寺の別院だと知り「行ってみなければ…」と思っていた私です。 満願寺山門……「およよ!!!」一流老舗温泉旅館のエントランスかと思えちゃいます。同寺は世田谷百景96のようです。 山門の扁額……[到航山]……細井廣澤先生の書だそうです。 見にくいですが、前の写真・エントランス右側の植え込みの中に石碑があって、[史跡 細井廣澤墓]と彫られていました。細井廣澤先生は、後編で少し触れるつもりです。 到航山感應院満願寺……真言宗智山派で、開創は平安時代末。中興は室町時代で、吉良氏の居城であった兎々呂(ととろ)城の一角(現在地)に祈願寺として移築されたとのこと…… 同寺は、[玉川八十八ヶ所霊場 第五十四番札所]です。派は異なるものの八十八ヶ所とも真言宗のお寺ですが、気付いたら先にお参りした金剛寺は第三十五番札所で、このあと寄り道した金蔵院は五十三番札所でした。当日参った三寺とも智山派であり、ねらったわけではない偶然に帰宅してから驚いた私でした。 なんだかモダンに見えるけど、『現在のご本堂は、数寄屋造りの第一人者である吉田五十八氏設計の昭和を代表する名建築』だそうです。 五十八=「いそや」とお読みするそうです。明治27年(1894年)~昭和49年(1974年)……昭和期に活躍した建築家。昨年11月にお邪魔した五島美術館も同氏によるものでした。 本堂の扁額……山門の扁額を書いた細井廣澤先生の子、細井九皋(きゅうこう)の書。私にはよくわかりませんが、書家らしい字なのでしょう。連れ合いは何と言うかしら? 本尊は金剛界大日如来だそうです。『1200年もの年月を歩んできた…』と同寺HPにありましたが、建物の姿からは想像できません。でも、墓地を拝見すると、その古さ、長い年月がはっきり伺えました。 本堂右側は寺務所と客殿なんでしょう。 上部だけ拝見できた大塔……1990年に桧皮葺総檜造りで完成。春秋お彼岸の中日と7月7日にご開帳ですって…… 本堂左側は講堂かしら? 講堂のすみっこに……ゴールドが目に入りました。 一言地蔵尊……心をこめて一言祈願すると願いがかなう。世界平和だけ願ってきました。 [日本三体地蔵]とも言われ、もともとは三体あったそうです。残りの二体はどこへ行ったのでしょうか? と言うことで、写真登録枚数に限度があるので後半は明日です。《おまけ》『トミカ50年 2秒に1台売れた』と、一昨日の朝日新聞朝刊にありました。 今年が発売から半世紀を迎えると……1970年8月18日に初めて売り出されて以来、ミニカーの販売台数はなんと累計約6億7千万台だって。車のみならず、横幅78mmの箱に入るという条件を変えることなく、バイク、電車やヘリコプターなどを含めて計1050種が登場したそうです。 現在店頭で売られているのは計140種類らしいですが、毎月第3土曜日に2種類が登場し、2種類が姿を消すというシステムにはビックリです。毎年24台の新車が登場することになる一方、77年に登場した「ロンドンバス」は、デザインも変わらず健在らしい。 私にとって面白いと感じたのは、販売台数上位(1~5位)が働く車なんだって。1位「日野はしご付消防車」407万台。2位「コマツ ブルドーザー」308万台……3位以下は不明ですが、パトカーや救急車なんかが入賞しているかも。いずれにしても、今後も子どもたちの手のひらに夢を与え続けることでしょう。 雪は止んだみたいだけど寒いな~
2020.01.18
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だが、人々が直面しているのはつねに「過去をひきずった今」なのである。 安克昌(あんかつまさ) 阪神大震災から3年後、神戸の「復興」は着実に進んだが、住民にはどこか「しっくりこない」思いがあったと、震災後ずっと全力で救護活動にあたった精神科医は言う。喪(うしな)った家族は戻ってこないし、転居に次ぐ転居や失業で「再建」に行き詰った人も少なくない。震災の記憶は「日々の生活のストレス中に溶け込んで」いると。『心の傷を癒すということ』(新増補版)から。 (朝日新聞・折々のことば1701・2020.1.17) もう四半世紀も経ってしまったのかと時の早さに改めて気付く私。 あれから25年、今現在も復興事業は完全に終了していない。事業が完了しても心の傷は癒えるはずもなく、元の生活にもどれない人々がどれほどいらっしゃることか。 災害復興住宅は11の市に234団地があり、減少したとはいえ、今現在約2万9千人が暮らすと聞く。入居者の高齢化も進み、昨年11月末時点で53.7%にあたる方々が65歳以上……昨年1年間で、誰にもみとられずに独居死した方は75人もいらっしゃったと。弱者を置き去りにするような行政の力・熱のなさにも驚く。 疑問だらけの「桜を見る会」だが、阪神・淡路大震災1995年には催されなかった。2011年も東日本大震災で中止となったが、2014年広島市を襲った豪雨土砂災害の翌年は開催された。毎年のように全国各地で水害による被害が続いているが、おかまいなしに開催される。何の役に立つのか意味不明な一時の会に数千万円(去年・一昨年は5千万円越え)を支出し続けるが、そんなお金があるなら被災地・被災者に使えと独り憤る私。 2カ月半も雲隠れしていた自民党の河井克行前法相と参院議員の妻案里氏が、地検による家宅捜査が行われた日(15日)に釈明会見をした。両者とも、捜査を理由に「コメントは控えたい」の連発。捜査が隠れ蓑になるから出てきたとしか思えない。本人たちはあれで説明責任を果たしたつもりなんだろう。捜査中であろうと無実なら無実と言えば良い。週刊誌報道は事実だが、証拠不十分で自分たちは起訴されない逃げ切りを目指しているようだ。案里氏が宿舎に引っ込んだ時の笑顔には「政治家ってみんなそうなんだろう」と本性をみた。 国会議員を続ける意味を問われて「日本を変えたい」と訴えた案里氏に対して、記者も優しい。「何をどう変えたいのか」の質問はなかったようだ。疑惑の核心は捜査中として一言も答えないのだから、せめてそれぐらい質問しろよと、またまた独り憤った私。 国会はすべて欠席して隠れていても歳費はちゃっかりもらう。2か月、ボーナスもあるが夫婦合わせて約1000万円……使途を報告する義務の課せられない[文書通信交通滞在費]も別途各自毎月100万円ある。 既定を越える報酬を渡していた関係者である男性秘書……彼がどのような立場か知らないが、公設秘書だとすれば彼らの給料も税金から払われている。国会を欠席しても、給料やボーナスを満額受領できるなんて一般人には理解できないが、返納は受け付けないなんて規則らしい。両者ともに「心苦しい」を繰り返し口にしていたのだから、真にそう思うなら被災地に寄付すればいい。 ちなみに、昨日 安左南区にある男性秘書の自宅にも家宅捜査が入ったようだ。大規模土砂災害のあった地域だが、地元の復興なんて考えていない方々なんだろう。 ブツブツつまらないことを書いてしまった。 25年前、阪神・淡路大震災の前日まで大阪にいた私。結局、東京-大阪間の新幹線が動き出した1週間後から数年間大阪で生活を命じられた。すぐに借りられるアパートなどないから、数カ月は点々とホテルや旅館暮らし。定住する場所がないにもかかわらず「辞令を出したから出張ではない。従って日当は出しません。」と、つれない会社。たかだか2000円程度をケチられた事は今でも忘れず怒っているが、大阪生活があったから連れ合いと知り合えたことで良しとしている私でありました。 携帯マイ箸……コーンもカイワレも楽々、活躍しています。 桜の切り株は抜根だけされていました。舗装工事はいつなんでしょうか? 歩きにくいです。 さてさて、今日は何をしようかしら?
2020.01.17
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1月9日の散歩……4か所目の訪問先… 薬師如来瑠璃光院参道を出ると左に鳥居……玉川神社境内西側の参道です。 写真右手は後で行く満願寺の広い敷地でした。 西側の参道を入ると神楽殿脇。南に向いた大鳥居が……また裏口入社しちゃいました。神楽殿前にひかれた白線は駐車場所みたいなので、車は西の鳥居から入ってくることになります。 左に手水舎がありましたが使われていないようです。表参道のを利用するみたいです。ちなみに、この写真を見て初めて気付いた間抜けな私……ベンチの所に灰皿らしきがあります。今さらながら残念……ここまで1本も吸ってなかったから、8マンのように強化剤が必要でした。しかしなんで見落としたんだろう。 祓戸社……手水舎の後ろ……「祓(はら)へ給へ清め給へ」と唱え、祓戸の神様に罪や穢(けが)れを祓ってもらってから本社・末社をお詣りするとのこと。祓戸社=[はらえどしゃ]って読むのかしら? 等々力玉川神社社殿……彫刻などは簡素でしたが想像以上に立派な建物でした。賽銭箱の前に「神楽鈴」っていうのか? 手に持って振る鈴が立てられていましたが、このタイプ 私は初めてだったかも…… 社殿扁額…… 昭和時代の再建でしょうが、重厚感が伝わってきます。数百年後の深みのある姿は思い描けませんが、戦禍で焼失などしませんことを祈ります。 社殿左側には、いくつもの境内社や石碑が並んでいました。後ろは歩いて来た道路なのですが、木々に囲まれて静かな空間でした。 高屋真弘翁 留魂碑……残念ながら高屋さんは不明です。 天満宮と八幡神社の合殿らしい……三社祭れるのになぜ二社なのか? 奥にも境内社が並んでいます……いったい何社あるのか? 大國社…… 稲荷社……朱色の鳥居があったし、お狐さん大集合。 稲荷社後方には立派な木造社殿…… 三峯神社……あちらこちらでお目にかかります。 右端の小さな祠は神明社らしい…… 社殿右側・社務所前にありました。岩を積み上げただけか?と思ったら…… 石獅子(いわしし)……『獅子は子を生むと、その子を深い谷底に投げ落とし、生き残ったものだけを育てるという俗説から、自分の子に苦しい試練を与えその才能をためし、立派な人間に育てることのたとえとして、遠き昔よりこの様な子育ての信仰があった』と書かれていましたが、言葉を具現化したのでしょう。 落とされた子ども……見上げているけど、登れるかしら? 社殿前境内はスッキリ広々……三が日は大勢の方で賑わったことでしょう。「犬に水を飲ませないでください」と張り紙……散歩させる人もいるんでしょう。 神楽殿……境内注意事項を書いた看板が3つも置かれていました。景観を損なうので外したのか? マナーが良くなったのか? どうぞ後者でありますように…… 忠霊塔……鳥居がありますが、石碑にはそう彫られていました。戦没者慰霊塔なんでしょう。手だけ合わせてきました。 [中町天祖神社]の本務社ということだけあって、規模が違いました。 とても巨大な社号碑……大鳥居の左が忠霊塔でした。 目黒通り……大通りはなるべく避けて歩くので、ここを徒歩で通過したことがありません。車に乗っていた頃は何度も通過しましたが、神社があるなんて記憶にない……横目で見ていたはずなんだけど、興味がなかったのでしょう。 ということで、今日はこれでおしまい……留守番しながら何をしましょうか? おっと、『新型肺炎、日本で初確認 中国・武漢への渡航歴』だって……湖北省武漢市で発症が相次いでいるらしい原因不明の肺炎。どんどん増えるかもしれない。どうやって注意すればいいのかしら? 困るな~
2020.01.16
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さくら さくらん さくらんぼ 高橋順子 夫に先立たれたあと、不在という空っぽの時間に迷い込んだ詩人は、遺影にさくらんぼをお供えする。「さくらんした/さくらんぼ/さらまでくらいなさい/さくっ」。さらさらした音が、ゆくえの定まらなぬ心情を繕い、ふと、思いがけない道をつたって夫のそばへ導いてゆく。天然の修復であるがごとくに。詩集『さくら さくらん』から。 (朝日新聞・折々のことば1621・2019.10.26)『さくら さくらん』は、夫・車谷長吉氏が亡くなってからの詩集……帯に書かれた「くうちゃん 詞がおわらないよ」からも長吉氏への熱い想いが伝わる。 詩集『時の雨』で、夫の神経症を書いた高橋順子氏……(朝日新聞2017年7月2日・著者に会いたい)で、夫に関して次のように語っている。『……神経症の症状は深刻な一方で、校正の請負仕事をしているところに「殿、内職でござるか」と声をかけると「藩の財政が逼迫(ひっぱく)しておってな」と答えるなど、変にユーモラス。……実は、車谷さんは漫才師になりたかったそうなのだ。だから漫才師で芥川賞を受けた又吉直樹さんに「嫉妬したでしょうねえ。生きていたら」と言う。……』 互いにリスペクトの上に思いやりを持った生き方をされたことが伝わるが、記事末に『…生まれ変わったら、また車谷さんと? と聞くと即座に、「いや、それは結構です」と笑って答えた。』とある。本音か冗談か定かでないが、早くはない結婚で短い夫婦関係であっても悔いのない人生の断片だったことでしょう。 生まれ変わったらを問われたときに、連れ合いに断られないような余生に私も努力しよう。 伐採された桜の切り株……これは少し空洞化が進んでいるけど… こっちの幹はしっかりしているのに……田向円融寺通りの4本の切り株が抜根作業を待っていましたが、今朝 雨の中で作業が行われていました。重機とトラック2~3台が駆けつけての作業。舗装工事まで今日やるかは不明ですが、ご苦労様です。立会川緑道も2本抜根・舗装が予定されています。他にいくつも切り株があるのですが、ほったらかしなのは予算がないのかしら? いずれにしてもどんどん寂しくなります。 梅一輪……昨日、大田区矢口にある延命寺の境内に咲いていました。散歩本編はまだまだ先なので、開花速報です。 蛇足ですが、九十九里に「梅一輪酒造」ってのがあって、勿論同名のお酒を造っています。寒いから梅見酒ってのは流行らないんでしょうが…… Windows7のサポートが終了したので、10にデータ移行していたらこんな時間になってしまいました。マイクロソフトもケチだよな~ 買い替えてくれないと困るからだろうけど、もうちょっと我慢してくれれば良いのにな~
2020.01.15
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1月9日の散歩…… 中町天祖神社から金剛寺を拝見して、東に向かいました。 普通の住宅かと思いきや、何かのお店みたいです。 前後左右に、ゆるやかですがアップダウンがあります。 下って上る…… 低い所まで行くと…… こんな所…… 南に向かって暗渠……歩きたかったけどこの日はパス… 北に向かっては細い細い川が見えていました。どこから流れてくるのか興味はあります。蓋をする予算がないのか? よそ者に歩かれたくない住人の思いなのか? ゆるい坂を上りきると石垣……右折しました。 左は玉川神社ですが、右側が気になります。 駐車場らしきにはロープが張ってあったので、立ち入り禁止? 反対側からはこんな景色……フェンスも垣根もありません。 山門もありませんが、参道入り口…… 石仏の集団……石段を上ってすぐ右に 細いけれどしっかりとした参道を進むと石碑……一宇建立と地蔵堂の祈念碑らしいです。 薬師如来瑠璃光院……一宇とは、こちらのことでしょう。私の推測でしかありませんが、南側(私の背後方向)の道路を隔てた場所にある満願寺の飛び地かも知れません。 失礼して室内を拝見…… 弘法大師さまと、左が薬師如来さまかしら? 右手(歩いて来た道路側)にも何かありました。 左の4段ほどの古い石段が昔の姿。バリアフリーに拡張したんでしょう。 新しそうですが、右の黒い物体は不明です。 こちらが石碑にあった地蔵堂でしょう。 寿地蔵菩薩……と言うらしいです。泣きぼくろ? 参道入り口まで戻って右をみると墓地……後で分かるのですが満願寺の墓地でした。 正面に玉川神社の鳥居……右の白い壁は満願寺……さてさてどっちにしようかな? と言うことで寺社が隣接しているありがたいエリア……続きはまた…… 雲はあるけど今日も天気だから散歩に行こうかしら? お焚き上げに行ってくれた連れ合いや、日々お仕事のみなさんにはごめんなさいです。
2020.01.14
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先月、師匠宅にお招きいただき拝見させてもらいました。 スーパーガール……だって……スーパーマンは知っていたけど、全然知らない私。コミックを原作とするアメリカのテレビドラマらしいけど、見たことがありません。 Qposketってのを調べたら『大きく艶のある瞳と、ふんわりと優しいほっぺたの質感、大胆なアレンジと繊細な造形を高いクオリティで実現した、可愛いフィギュアシリーズ』だって……ちなみに「Q」はクオリティで「posket」はフィンランド語で「ほっぺた」だそうです。 Syoさんが師匠へのお土産でお持ちになったのですが、「実は、私も持ってるからいいよ」と辞退する師匠。「どうもどうも」と黙って受け取るすべもありますが、正直に口にできる人間関係は良いですね。 叶姉妹の妹……美香さんだったかしら? 前回は姉・恭子さんでした。 トミカのミニカー・スズキ スイフトスポーツ……1/60スケール 古い知り合いのMさんは幼少の頃たくさんミニカーを集めていましたっけ……何十台持っていたのかしら。置き場に困って、店頭ディスプレイ用のアクリルケースまで調達しましたね。駅前のおもちゃ屋、トラヤだったかしら? 今はもうありませんが元旦にもらったお年玉を握りしめて行った頃が懐かしいです。 スズキ スイフトスポーツ……本物……お洒落なホイールなので替えたのかと思ったら、専用の17インチだそうです。軽量化を図って、重さは16インチと同等だって。重量の軽減化は、燃費や走行性能に影響するものね。でもって、なかなか速いようです。夜のドライブ、巻き込まれないようにご留意くださいませ。 三点セット……お邪魔するたびに、いろいろ見せてくださいます。 不二子ちゃん……前回見せてもらった箱から出したようです。 肛門日光浴ってのがSNSで話題になっているみたいです。日光の浴び過ぎは皮膚癌のリスクを増加させるはずだけど、肛門癌にならないかしら? なんとも悩ましい…… 寝姿が正しい置き方のようですが、座らせるひねくれ者の私でした。 散歩写真の登録が間に合わないので、今日はフィギュアを使わせていただきました。いつも散らかしっぱなしで帰ってしまい、申し訳ありません。
2020.01.13
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碑文谷公園……毎年恒例・鷹番住区の火まつり大会(第33回)です。 どんど焼き準備中……正月の門松・しめ縄やお飾りをボランティアの方々が積み上げて行きます。自転車の交通整理を初め、運営に携わる方々は本当にご苦労様です。 ちなみに我が家のお飾りなどは、私がモーニングでふらふらしている間に連れ合いが持って行ってくれました。いつもすまないね~ 焼き芋準備中……10時半から引換券を配って、13時~13時30分頃に焼き芋がもらえるみたいです。先着400人だって…… 11時を過ぎると甘酒や雑炊も振る舞われます。みなさん立ち食いで火入れを待ちます。辛抱強いな~ 火入れ前後にちょこっと見に行く私とは大違いであります。 正午ちょっきりに火が入りました。積み方が上手だったのか、例年より火のつきが良かったかも?……灯油でも撒いたか?と思うほど勢いよく燃え上がりました。 黒い煙が立ち昇りあたりは煙の中……周りは消防署員が監視しているし、消防車も近くに待機しているので安心ですが、今日の黒煙はすごかったな~ 一年無事に過ごして、また来年も見に行かれますように…… 火入れまでウロウロしていたら、女性が近づいてきて「碑文谷警察です。帰ったらお読みください。」と小さいレジ袋をくれました。手当たり次第に配布しているわけではないので、もしやと思ったらやっぱりオレオレ詐欺などのチラシでした。 以前銀行でもオレオレ注意のティッシュを渡されたし、そうとう頼りない年寄りに見られているのかもしれません。そもそもだまし取られるお金がないから大丈夫だし、みなさんのお気遣いには感謝しておきますが、ちょっとショックな私です。 駅前のアルバイトではないからそんなことはないでしょうが、「全部配布してきなさい」と上司から言われていたのかもしれません。そのように考え、自分を慰める今日の私でありました。 [どんと焼2017] [どんと焼2018] [どんと焼2019]
2020.01.12
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1月9日……今年の初散歩… 中町天祖神社からほど近い別当寺である金剛寺に向かいました。 金剛寺山門……なんで今までこの道を通らなかったのかしら? 山門扁額……東陽山薬王院金剛寺 左の石柱には[野良田村]の文字……裏に彫られた文字を写してきましたが読み取れませんでした。『弘安7年(1284年)聖空上人が薬師如来を勧請、一宇を建立したのに始まり、野良田の北向薬師と称し坂東七薬師の一として信仰を集めた。』と区教委の説明書きにあるよう、当時は野良田村と呼ばれていたのでしょう。 山門右側には、北向薬師如来を謳う立派な石碑が……どんなお寺か心がワクワク…… 山門の正面に本堂…… 興教大師850年御遠忌に客殿建立をしたようです。山門をくぐって右。 山門をくぐって左に…… お地蔵さんは[よみがえり地蔵]だそうです。 奥に進むと狛犬? 中央の石柱には[地神尊鎮座]と彫られています。手前の左右の石には、犬みたいなものが彫られていました。 本堂や山門は昭和の時代に建て替えたみたいです。 金剛寺本堂……左の樹は枝垂桜かしら? 春にはすばらしい景色に変身することでしょう。 真言宗智山派……本尊は大日如来。寺宝には、[絹本愛染明王像(天文16年・1547年)][鰐口(元禄11年・1698年)][金襴七条袈裟(正徳2年・1712年)]なんてのがあるようです。※ 鰐口(わにぐち)ってのは『仏堂・神殿の前に掛け、つるした綱で打ち鳴らす道具』ですが、どのようなお宝なのかしら? 本堂扁額……手振れしちゃいました。アルコール飲まないとダメかも? [玉川八十八ヶ所霊場・第三十五番札所]……本堂から左に庫裏 弘法大師修行像…… 立派な立ち姿には、いつも惚れ惚れします。 本堂右奥は墓地のようですが、少しだけ進むと…… 墓石の中央にお立ちでした。観世音菩薩さまでしょうか? 本堂前から山門…… 参道左に薬師堂……左は[宝篋印塔(ほうきょういんとう)]でしょう。形がそうだものね~ 水子地蔵尊……チビッ子たちがまとわりついている姿は愛らしいけど、残念であり悲しいです。 薬師堂……眼病・安産に効験があるそうで、秘佛北向薬師如来は日光・月光両菩薩の脇侍と、十二神将の眷族(けんぞく)を従えているようですが、良く拝見できませんでした。 薬師堂扁額…… 戦没英霊供養塔…… 山門近く……六地蔵と庫裏 残念ながら28枚中、最後の1枚=地蔵様の写真が今日の容量不足でアップできませんでした。1日に15枚程度しか登録できないのが難点ですが、古いデジカメよりもきれいだから我慢です。明日追加しておきましょう。 きれいな整列姿をせっかく撮ったので、一日遅れで載せておきます。『政府が進めるカジノを含む統合型リゾート(IR)の設置をめぐり、厚生労働省は10日の中央社会保険医療協議会で、ギャンブル依存症の治療を今年4月から公的医療保険の適用対象とする方針を示した。』と朝日新聞朝刊に載っていた。 ギャンブル依存症の外来患者は17年度で約3500人。14年度の約2000人から1.5倍に増えたそうだが、IR(カジノ)がギャンブル依存症の増加につながることは明白だろう。国としては治療体制を整えてあると言いたいのだろうが、そもそも自己責任でやるギャンブル依存症治療に税金を投入するなと言いたい。今既に多くの患者がいるのに、さらに病気になる種を増やしてどうするんだ。不幸になる人が増える要因は作らない方がいい。「今日、15万円負けた」と、年明けに居酒屋で不満をぶちまけていたGさん。競馬と麻雀……競馬は8万円使ったが、一つも当らなかったと、うるさくて仕方なかった。彼の場合はさほどお金に不自由はしていないようだから、失った金額よりも負けたことが悔しかったのだろう。来る客ごとに悔しさを爆発させていたが、カウンターに同席する方々にはいい迷惑。 そんなGさん……道路で転んで膝を打ち、お皿が砕けたらしい。来週手術をするそうだが、リハビリを含めて1か月は入院させられることでしょう。お見舞いは申し上げるけど、出てくるまでは居酒屋は静かで居心地が良さそうです。
2020.01.11
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今年の初散歩をした昨日……頬をなでる風はちょっぴり冷たかったけれど、何と言っても青空は気分が良かった。 目黒通りは使わず、八雲や深沢を抜けて上野毛通り……ブックオフの隣へ… 中町天祖神社……社号碑には[天祖神社]としか書かれていまないので正しいかは不案内ですが、他所と区別するため一応中町を付けました。 神仏分離の明治時代、全国にあった伊勢の内・外宮の神を祀った「神明社」あるいは「神明宮」と称した神社が「天祖神社」へ改称されました。宮の称号を一般の神社が使うことが禁止になったのが一番の要因でしょうが、だからどこへ行っても天祖神社なんですね。 一之鳥居……何度も前を通りましたが、目的地ではなかったし、寄り道するには奥深そうなのでスルーしていた私です。昨年暮れに訪問した等々力不動尊が満願寺の別院と知り、そこを目指すついでに今回ちょっとだけ遠回りのルートに入れてみました。 参道の並木はイチョウとケヤキみたいですが、この季節は寂しいです。春になったら撮り直しに行こうかしら? 真っすぐな参道を進むと、左手に手水舎…… 参道の並木が終わる所で狛犬と二之鳥居がお出迎え……珠持ちと子持ちで阿吽の狛犬でした。 鳥居をくぐって左に神楽殿……比較的新しそう… 社殿……取りあえず新年の御挨拶……連れ合いに貰ったお賽銭がま口が活躍。 社殿左わき……完全に木造です。 境内社……社殿左に鎮座していました。 石碑には[阿夫利神社(左)][日枝神社(右)]と彫られています。 石のようなものが3つ…… よく見ると上に[弁財天]……[阿夫利神社][日枝神社]と共に合祀されたので、石みたいなのも3つあるのだろうと勝手に推測しました。 境内社右にありましたが、たぶん力石でしょう。毎度のことながら「徹」ではありません。しかし、これを持ち上げた人がいたのでしょうか? 私には絶対に無理……ぎっくり腰になること請け合い…… 社殿前は広々としています。 社務所と右方向が参道……落ち葉などなく手入れが行き届いていたのですが、常駐する神職はおられないみたい。兼務している等々力玉川神社にもお寄りしました。 神輿蔵かしら? 西に向いた鳥居から失礼することに…… 天祖神社の別当寺「金剛寺」に向かう途中で来た方をふり返りました。 フォルクスの駐車場……ず~っと前に、ダブテンを食べに連れ合いと散歩で行った店。ダブテンって何?って……ダブルテンダーロインステーキの略です。二十歳ぐらいの時「ダブテン食べさせてやる」と言う父に連れられて碑文谷ダイエーのフォルクスで初めてお目にかかりました。なぜか気に入っていて通ったらしい父が勝手に命名したダブテン……大阪上新庄や都心でも立ち寄ったことがありますが、フォルクスはこの店が最後でした。従って、今でもダブテンがあるかは不明です。 昨日は「なんで~」と、車には興味のない連れ合い……今日は写真載せましたよ~ 息切れこそしなかったものの、確実に脚力が減退しています。今朝も行きがけは良かったのですが、モーニングの帰りは少々足が重かった私……日に日に老いていくみたいですが頑張って散歩するとしましょう。
2020.01.10
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残念ながら、現行モデルの受注生産の受け付けは先月終了したらしいです。 シビックTYPE-Rがライバルみたいな車…… スバル WRX STI…… [WRX]はWRC(World Rally Championship)のWRとレオーネRXを掛け合わせたもので、[STI]はSUBARU TECNICA INTERNATIONALの略だそうです。 初代・二代目にはインプレッサの名前が前についていたけど、三代目以降はインプの冠が消えたらしい。WRCに参戦しなくなってインプをはずしたのかしら? エンジン 2.0L DOHC ツインスクロールターボ 最高出力 227kW(308PS)/6400rpm 最大トルク 422N・m(43.0kgf・m)/4400rpm 駆動方式 AWD(常時前輪駆動) ※ 前輪× 全輪〇 でした。 この写真では見えないけど、大型リアスポイラーも後ろ姿を引き立てています。brembo製らしいディスクブレーキ……ホイールの隙間から顔を出す前輪の対向6ポットキャリパーもしっかり存在感を主張していました。ド派手なイエロー塗装にSTIのロゴ入り……この車高ではラリーは厳しいかもしれませんが、場所さえあれば振り回してみたい車であります。もちろん若かったらのことでした。 ちなみに以前作ったWRC2001はインプの冠が付いていました。二代目なのかも知れませんが、彼もいい顔をしてました。あの頃の制作意欲が懐かしいです。「明日は天気が良さそうだから午後から散歩しよう」と決め込んで、上記までは昨日留守番をしながら書いておきました。さっきモーニングで新聞を読んだ帰りに、「やっぱり、せめて横顔が欲しい」と思い、次のをゲットしてきました。 まったくもって暇な私でありました。 さてさて、散歩に行ってきましょう……
2020.01.09
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朝から冷たい雨……西小山に行くにはシンドイな~と思案していたら、「イラクの米軍基地に向けて、イランから十数発以上のミサイル攻撃」とテレビが伝えた。「やっぱりな~」と思うがこの先がさらに不安。「非常に大きな代償を支払うことになるだろう」と警告した以上、トランプ氏は黙っていないだろう。武力行使ではない平和的解決を切に切に願う。 何もしなくてもお腹は勝手に空いたので、仕方なく傘をさして屋外に……しばらくぶりにシネマカフェで五目湯麺を食べて体を温め、暇を売る店で朝刊を読みました。師走にはポインセチアが置かれていましたが、松も入った生け花になっていました。この窓辺には時期感があるようです。 これも根付って言うのかしら? 暇を売る店のママさんが「使いますか?」とおっしゃるので一応頂戴しました。ディズニーならチーズでも持たすのでしょうが、こちらは開運だけあって合掌…… 昨年暮れに頂戴しました。戴き物ばかりの私です。 ダージリンはセカンドフラッシュ……その年2回目のシーズンに摘まれた紅茶。夏摘み茶って言うらしいです。北インド周辺でその年最初の収穫茶をファーストフラッシュと言いますが、高い割にはピンとこなかった記憶があります。以前連れ合いと数回行った紅茶の店で飲みました。現在その店ありません。店主が作るショートケーキ好きだったんだけどな~ ちなみに、ダージリン地方では乾季を迎える5・6月からが茶葉の生育によい気候条件で、冬の間はお茶の樹はお休みらしいです。 アールグレイはミルクが欲しい私です。 毎日この時間になると「紅茶おねがいしま~す」と連れ合いに出前を頼みますが、今日は義母に付き添って成田山……毎年の恒例行事ですが、今年もご苦労様です。仕方ないから自分で淹れて来るとしましょう。
2020.01.08
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65歳になったので年金を請求できる「年金請求書」なる葉書がきました。どちらかというと受給繰下げを促しているような葉書ですが、私はもちろん受け取るように返信しました。これで受給はできるのですが、2年半程前に「消えた年金」を探してもらった際に教えてもらった「加給年金」の手続きにしに今日は年金事務所に行ってきました。 (年金機構の老齢年金ガイド) 配偶者が年下なので、もらえるんです。 でも、本当に不親切で自ら届出をしないと加算されません。65歳以上で年金を受給されている方は、要確認です。年金手帳の他には、配偶者の戸籍謄本と住民票があれば手続きはすぐに済みます。電話で問い合わせた時には、マイナンバーの個人番号も必要だと言われましたが今日は不要でした。ちなみに、謄本や住民票は「年金手続きに使います」と言えば無料です。 しかし年金事務所は大繁盛……予約は先までびっしりうまっているし、飛び込みだと「待ち時間120分」と表示されていました。 ともあれ面倒なことが一つ減った今日でした。 よく分からない介護保険料の納付方法…… 12月から3月までの4か月分は、1月から3月まで3回で払うような納付書が来ると言う。年金から天引きが可能なかたは、6か月~8か月後に自動的に変更とありますが、4月分以降はどうなるのか書かれていません。いずれにしても、今月中旬に届くとされる通知書には何がしか書かれているのでしょうが、なんだか不親切な気がする私です。 介護保険被保険者証……どのように使うのか全く知らないのですが届きました。カードの時代なのに紙の被保険者証には驚くばかりです。 しかし、年金だとかこんなのを受け取ると年をとった証……疲れるわけだわな~ ≪おまけ≫ 古い知り合いのMさんに頂戴しました。今日はノンアル・デーだから、明日いただきます。いつもごちそうさま~
2020.01.07
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朝日新聞・別紙「グローブ」(2020.1.5)より…… 連れ合いの愛するスナフキンが表紙を飾っていた。 ギターもハーモニカも持っていないな~ と思う私。原作の挿絵なのだろう……子供向けアニメには登場しないパイプをくわえている。 自由を愛するスナフキンの計画って何だろう……他人を巻き込まず「ひとりっきりでやる」ってとこが恰好良い。 ムーミン「義務って何のこと?」 スナフキン「したくないことを、することさ」 きっと、何かを禁止されることが嫌いなスナフキンらしい計画だろう。「孤独」ってなんだろう……「孤独のグルメ」は独りで食べるから孤独としたんだろうが、私は独りで飲み食いするのが好きだし孤独とは感じない。(連れ合いと一緒は楽しいけどね…) 居酒屋のカウンターの隅っこでおとなしく飲む酒は楽しい。おしゃべりなお客から話しかけられるのは好まない。やたらに話好きなお客をよく見かけるが、そんな彼らにこそ孤独を感じる。「孤独ってなんだ?」と尋ねたら、「人の中にいることさ」とスナフキンは答えるかもしれない。 百年の孤独……宮崎県の黒木本店が作っている麦焼酎。ネーミングは、コロンビア出身のノーベル賞作家・ガブリエル・ガルシア・マルケスの代表作「百年の孤独」からとか。一時飲んでいたのは何十年前のことか? ウイスキーみたいで美味しいんだけど、高いからな~ 昨日、関所への出勤時刻になっても下りて行かないので、心配した連れ合いが上がってきて言った「なんだ、作ってるんですね~」……今年はちゃんと取り組もうと、Pfalzの翼に田植えの合方の穴開けをやっていた。 6か所目で大失敗……0.2mmのドリル刃先が折れた。おまけに、折れた部分が翼に埋まってしまった。左が折れたドリル。 ピンバイスに咥える部分の直径が1mmあるので、咥えやすいので使っているが折れやすいみたい。0.2mmのドリル部分の長さは1.4mmなので、それ以上深い穴を開けるには全体が直径0.2mmの物を使う。こちらも以前折ってしまったので在庫がない。買ってこないとならないようだ。0.3mmは健在だけど、どうしても0.2で行きたい私……熱が冷めないうちに調達しよう。 ちなみに、[AXIAL]さんは0.1mmも使うようです。[シゴーニュ]さんもお使いなんでしょうね~ みなさんすごいです。
2020.01.06
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なにか 一つの 目ぼしい ことを やりとげるには、きっと どこかで いたい おもいか、そんを しなくちゃ ならないさ。 浜田廣介(ひろすけ) 童話『ないた赤おに』から。赤鬼は村人たちと仲よくなりたくて家に招くが、村人は警戒心を解かない。友だちの青おにはこう言い、人里でわざと大暴れし赤鬼にきつく諌(いさ)められることで、赤鬼が人々に受け入れられるよう図る。そして赤鬼の友だと悟られないよう姿を消す。友を思いやるが故に彼との関係を絶つというところが悲しい。 (朝日新聞・折々のことば1554・2019.8.18) アメリカ軍がシレイマニ司令官をイラクで殺害した件に関し、「トランプ氏を擁護するのか、非難するのか、それとも他国のことは関与しないのか」日本政府の見解は目にしていないと昨日呟いたが、朝刊にあった。『首相、中東情勢の言及避ける……休暇中 4回目のゴルフ(朝日新聞)』と…… 昨日、袖ケ浦市のゴルフ場で同問題を問われた安倍晋三首相は「今月、諸藩の情勢が許せば中東を訪問する準備を進めたいと思っている」とだけ述べたとされる。昨年6月に米国との橋渡し役を自負してイランを訪問した安倍首相だが、中途半端な立場での仲介では響かない。 唯一の被爆国でありながら「核兵器禁止条約」の制定に反対するような日本政府であり、トランプ氏の顔色をうかがっているようでは幾度外遊を重ねても本当の信頼は得られない。 12月28日から休暇に入った首相は、昨日までに4回のゴルフを楽しんだらしい。休暇をどう過ごそうが自由だが、中東問題は決して他人事ではない。政府としての見解を示してもらいたいのだが、なぜか腰が重い。やはりトランプ氏との調整が終わっていないのだろう。 カルロス・ゴーンがレバノンに逃亡されたことも大失態。辞任・更迭した河井法相や菅原経産相の説明責任も棚上げされたまま。 朝、報道番組を見ていたら甘利明氏が出演していた。IR贈収賄疑惑に関しての話題だったが、「(議員として)説明責任を果たしてもらいた」旨の発言があったのにはビックリ。4年前に金銭授受疑惑の責任を取って内閣府特別担当大臣を辞任した甘利氏……睡眠障害だったかを理由にその後の国会には閉会まで雲隠れ。少しずつ登場したと思ったが、自らの説明はなされなかったと記憶している。(誤りだったらお詫び申し上げますが…) すっかり返り咲いて今は自民党税制調査会長らしい。近いうちに、再び大臣になるのかもしれないが、青鬼になる覚悟を持った政治家が表れて欲しいと思う。 今日も青空…… 今朝喫茶店で「鍵が壊れちゃった」とオッチャンが言う。「どこか修理してくれるところないかな」と呟くと、「あたし知ってるから聞いてあげる」と、常連のオバチャンが電話をかける。 代わって業者と話しているオッチャンの言うことが不明瞭……「鍵だけ交換すればいいのか、ドアを変えなくちゃダメなのか」分からないと言う。普通だったら鍵交換で済むのだけど、オッチャンは鍵をかけずに外出してきたのかと心配する私。さんざん「鍵」と「ドア」の単語を連発していたのだが、終盤に「鍵の下」だって。想像するに、どうもドアノブの調子が悪いのだろうと思えた。 見に行くと言う業者にオッチャンが言った…「30年も使ってるからドア交換でもかまわないけど、そんなに良いものじゃなくていい。10年もてばいいから。」だって。自分の余命希望を10年と伝えたのだが、すかさずマスターが言った…「長すぎない? 5年でいいんじゃないの?」……聞いていた常連さんたちは大爆笑。私も失礼ながらおもわず顔が笑っていた。 冗談と承知しているから、5年と言われても怒りもしないオッチャンは、業者が求めた写真を撮ってくれるというオバチャンと仲よく一緒に店を後にして行った。 3人に1人が高齢者も目前であり、年寄りどうしで支え合わなくちゃならない時代にあって、朝の喫茶店は良き交流の場所。個人喫茶店が閉店していく昨今だが、なんとか長く存続してもらいたい。 梅も蕾みが出てました……連れ合いが言うように「春は近い」のでしょう。
2020.01.05
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寛容と自制の規範はアメリカの民主主義の”柔らかいガードレール”として機能し、党派間の闘いを避けるために役立っていた。 S・レビツキー/D・ジブラット 民主主義は、複数の党派が「寛容と自制」をもって向き合うという「慣習」の上に成り立つと、米国の政治学者は言う。合衆国憲法にわざわざ「フェアプレーの精神」でとは書かれていないが、世界には、この「不文律」の薄膜が破れて排除が噴出し、民主主義が砕け散った例は数知れないと。『民主主義の死に方』(濱野大道訳)から。 (朝日新聞・折々のことば1562・2019.8.26)「アメリカがイラン精鋭部隊・革命防衛隊のソレイマニ司令官をイラクで殺害」 新年早々 嫌なニュースが飛び込んできたと思ったら、今日は「イスラム教シーア派民兵組織を狙った新たな空爆をアメリカが実施…」……アメリカ政府からの発表はないようだが、イラクのメディアはアメリカ軍の攻撃により6人が殺害されたと伝えている。 3日の空爆に関してアメリカ国防省は「ソレイマニを殺害することで、海外の米国人を守るための断固たる防衛措置をとった」と声明をだした。それも「大統領の指示で」とされるが、米国人だけ守ればよいのか? そもそも本当にこんなことで守れるのか? さらなる被害者がでるだろうに……「中東地域の平和と安定は日本にとっては死活的に重要な問題だ(12月27日BSテレ東)」と安倍晋三首相が語ったように、政府は海上自衛隊派遣を閣議決定した。情報収集を目的としての派遣だが、巻き込まれる可能性は大きい。集団的自衛権行使なんてことにならなければ良いのだが……2月上旬に日本を出発するらしい自衛隊派遣は、今一度きちんと国会で審議することが必要だろう。 今回のアメリカ軍による攻撃に関して、日本政府・安倍首相の考えはまだ目にしていない。トランプ氏を擁護するのか、非難するのか、それとも他国のことには関与しないとするのか……いずれにしても戦闘・戦争が拡大しないことを祈る。 しかし、日本の民主主義は影も形もなくなってしまった。この先どうなることやら…… 蛸の干したの……毎年暮れになると、おでんのやべさんに吊るされます。 年が明けるともどして蛸飯を振る舞ってくれます。去年は御相伴にあずからなかったかも……お邪魔する回数がめっきり減った私ですが、今年はなんとか食べさせてもらいましょう。 この時期の風物詩である空に浮かぶ凧はまったく目にしなくなりました。揚げる場所も少なくはなりましたが、糸の張り具合や足の付け方などを教えてあげられる親も少なくなったことでしょう。凧揚げ、楽しいんだけどな~
2020.01.04
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堀の内・妙法寺にお参りに行ってきました。 年に1回、連れ合いと一緒に出かける恒例行事です。高齢行事ではありません…… 天気も良かったし、無事に参拝できました。 なんだか年回りが悪いみたいで、連れ合いが私の厄除けのお願いをしてくれ、その間私は日光猿軍団を見学……自分でせなあかんのに、ありがたいことです。 境内のあっちこっちにお参りして、お屠蘇を頂戴……ネズミの盃を頂戴してきました。十二支を揃えるには、あと4年生きていなくてはなりません。 連れ合いのお賽銭がま口……「いつもニコニコね~」ということでしょうが、残念ながら、これまた恒例の昼食に行ったらニコニコどころではありませんでした。 お参りの帰りに、東急プラザの建て替え閉店時から数年間寄っている店に…… 開店少し前から入口に座って待つことしばし……案内の女性が脇に来て「12時45分までとなりますがよろしいでしょうか?」と尋ねる。正月だし時間制限は良いのだけれど「1時からご予約のお客様がいらっしゃいますので…」と付け加える言葉にカチリ……去年まではそこまで言わなかったし、「予約する客の方が上か?」と思う私。そもそもランチだから1時間半も楽しませてくれたらそれで充分なのだが、その後の接客にも、こんなに変わっちまったんだとビックリした今日でした。 ナイフ・フォークとグラスのセットされた席に案内されて、水を注いでくれたボーイさんに「とりあえず生ビール2つください」とお願いしたのだが、これがいつまでたっても出てこない。オーダーは毎年通りで決まっているのだが、一応メニューに目を通して手を挙げてお姉さんにお願い。その時にも、すでに生を頼んでいることを伝えたのだが、いつまでたっても出てこない。 テーブルに置かれていなかった「ワインリスト見せてください」とお姉さんに言ったら、持ってきたのが1枚のグラスワインリスト。「なめとんか!!!」と心で思うが、連れ合いのがま口を思い出しニコニコ……再度生ビールを強調したら、風邪気味なのか鼻水を少々すすりながら例のボーイさんがのろのろ運んできた。飲み切らない生グラスが置かれた狭いテーブルで、ワインを抜栓していった男性……倒さないかヒヤヒヤだった…… マルゲリータ……勿論採り皿も供されましたが、大皿の前菜を採りきらないうちに運ばれました。いくらなんでも早すぎちゃうか~ 去年まではちゃんと間合いを見ていたのに…… エスカルゴ……これも最悪……ピザとほぼ同時に運んでこられたのには驚き。なんたってテーブルには乗りきらない。それでも無理やり置こうとするお姉さん。我慢の限界の私は「Wait!Wait!」と連発。なぜ英語だったか定かではないが、ビールといい、ワインリストといい、きっと日本語が分からない女性だろうとでも思っていたのだろう。残っていた前菜を無理やり小皿に移し、客である私が皿を手に持ってスペースを作った始末でした。 雲丹クリームソース……置き場無ないのに立て続けに料理を運んでくるので、エスカルゴが登場した時「パスタはまだ持ってこないで」と伝えたのに、突然登場した。釘を刺しておいたのだから、普通なら「お持ちしてもよろしいでしょうか?」ぐらいは聞くだろう。制限時間はまだまだ1時間はあったのだから「そろそろお作りしましょうか?」ぐらいの配慮もない。 客の喜ぶ顔など関係なしのこの店には減滅の私。そこそこ食べられる料理も台無しの店。周りを見ても、各テーブルに並べられた皿の数は多かった。結局「早く帰れよ!」と言うことなんだろうが、寂しく悲しい限り。気持ちだけはグランメゾン東京を見習ってもらいたいものだ。 テーブル脇に置かれた伝票…… 開けてみたら天地逆……テーブル番号が窓から見えるように挟むのが普通だろうし、支払い金額を確認する客にとっては不親切極まりない。 去年ワインリストを頼んだ折、持ってきた外国人(ソムリエか?)が私の前に逆さまに向けて置いて行ったことは黙って許した私だが今年は許さない。「これ、逆向きじゃないですか?」と会計時にレジで聞いたら、「ウチはいつもこうです」だって……呆れて開いた口が塞がらない。残念だが接客を含めて格段に質の落ちた店でした。 店名も書こうと思っていたけど「やめておいてください」と連れ合いに言われたので公表は控えておきます。「怒りはエネルギーに変わる」との連れ合いの言葉に従って、今日の怒りは何か別のエネルギーとして活用してみましょう。 今日も、外出中お構いなしの義母からの電話攻撃にあっていた連れ合い……慣れっこのように対応していたけど、良いエネルギーに再生してくださいませ。 正月からブツブツ書いてしまいました。 少々反省…… 『なにゆえぞ わがこころに いかりといふもののわく いかるときは みづからのにくたいすら 屍のごとくこんこんとくちてゆくなり』 (八木重吉「赤つちの土手」より)
2020.01.03
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正月も休まず営業している西小山のポエムに行ってきました。 三が日は10時開店なので、オンタイムで入店したら1名先客……早めに開けたみたいだけど、ありがたいことです。 水を運んでくれた方に「ホットドック」と告げると、何ごともなかったように通してくれたのですが、次に来たお客さんに「モーニングないんです」と言っている。マスターに挨拶していたから常連さんなのでしょう。「イングリッシュでいいのね~」とマスター……次々に入店する常連さんたちには結局モーニングメニューを提供していたありがたい喫茶店であります。 支払時に「モーニングないの知らなくて無理言ってすみませんでした」と言ったら、「いいんですよ、なんでもおっしゃってください」と愛想の良いマスター……まったく融通の利かない頑固などこぞの喫茶店とは大違いでした。 帰りがけに入口を確認したら、確かに通常メニューだけが貼りだされていました。でも、毎日通ってくる常連さんたちは、そんなの見ないものね~ そうそう、「今日も仕事ですか?」と大晦日にマスターに聞かれ「いえ、私ぷー太郎なので…」と答えたのですが、今朝帰りにセブンイレブンに寄ったら「今日からお仕事ですか?」と店長(たぶん)に尋ねられた。西小山の帰りには毎回寄って、連れ合いへの土産にチーズケーキかバウムクーヘンを買うから顔見知り。自分ではすっかり老けたと思っていますが、他人の眼には就労可能年齢と映るようなので、ぷー太郎は恰好悪いかもしれません。 円融寺仁王門……碑文谷八幡宮へ行かれる人々の姿は多かったですが「こちらはどうかしら?」と、寄ってみました。5色の布がかけられて正月の様相です。 釈迦堂……人気のない境内……賽銭がま口を持っていなかったので光り玉……正月だものね~ 釈迦堂というのだからお釈迦様でしょう。 戦後まだ間もない頃、約10年かけで大規模な復元修理が行われた折、屋根裏の一番奥深くの柱に、創建当時のものであろう書かれた文字が発見された。どんな文字か?って……「我が手よし 人見よ」……人名も年号もないけれど、決して誰の目にもふれない場所に棟梁の自信に満ちた心意気。 それから30年近く経ったある日、復元工事の現場監督をされた古建築の専門家・佐々木氏がお寺にあらわれ、「ごめんなさい、屋根裏にはもう一つ文字が刻まれています」と住職に告白したと。誰が書いたものか尋ねると「わたしの仕業」だと……「我が手よし 人見よ」の文字を見た瞬間、どうしても自分からの返事をしなければと衝動に駆られたらしい。国指定重要文化財に彫り物しちゃうなんて許されるのか? とも思うが、600年以上もの時を越えて、室町時代の棟梁との語り合いが歴史に残されると考えれば一つの浪漫かもしれません。 佐々木氏は何と書いたか……『その手よし 我は見たり』 阿弥陀堂(本堂)……昭和50年(1975年)建立。設計者は前記の佐々木嘉平氏……佐々木氏はこの阿弥陀堂の柱にも何か書いたのかしら? 本尊・阿弥陀如来……約140cmとのことですが、光背があるのでとても大きく見えます。 昨日初詣から帰宅して、真っ先に連れ合いにお願いした雑煮……二日酔いの胃に優しかった~ 中華御節をちょっといただいて、アルコールは軽めでした。 干し数の子……今年も連れ合いが上手にもどしてくれました。「あたし、もっと大きい器で食べたいの」と連れ合いの配膳にクレームをつけ、やり直してくる義母……御節の取り皿は極小を所望するなど、訳のわからない義母に翻弄される連れ合い……日々面倒をお掛けしますが、今年も宜しくお願いします。でも、限界まで我慢してはダメですよ~ ブラブラ歩きながらたくさんの車を見たのですが、フロントにお飾りを付けていたのはたった2台でした。昔はみなさん付けていたけど、やっぱり不景気なんでしょう。
2020.01.02
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明けましておめでとうございます。 皆様方のご健康と世界平和を祈ります。 良き1年でありますように…… (10時59分) 今日もきれいな青空……風は冷たいけど気持ちが良い。 振り返るとここ数年の元旦はずっと晴れでした。 [2017年] [2018年] [2019年] 地元の氏神様にごあいさつ…… 昨晩飲み過ぎた覚えはないのだけれど、起きられずにグズグズして出遅れたら長い行列でした。やっぱり8時に行かなくちゃだめです。元旦から反省の私でした。 でも、お墓のご先祖様にもちゃんと挨拶してきたから良しとしましょう。 さてさて、お腹空いたからお雑煮食べてくるとしましょう。
2020.01.01
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