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銀色の手紙@ Re:『お札を置きに……』&『メジロの観察……』(01/12) 小鳥と柿のお話、興味深く拝見させていた…
2021.01.15
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カテゴリ: 寺社
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​  古い11月28日の品川散歩……


 立会川に架かる涙橋の南側の袂(たもと)から右に…


 社号碑は「天祖神社」……昔は参道両側も境内だったでしょう。


 天祖・諏訪神社……『浜川町と元芝の鎮守の氏神様として仰ぎ親しまれる天祖・諏訪神社。古くは神明宮、諏訪社と称し、かつては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで並び祀られていました。天祖神社の創建は、建久年間の大井郷之図や来福寺の記録から西暦1100年から1190年頃に遡るとも思われ、諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、江戸時代初期の寛永8年(1631年)以前の創建と思われる。』(同社HPより)


 両社は昭和40年(1965年)に合祀され、天祖・諏訪神社と称されるようになった。この位置から立会川を挟んで北側の北濱川と呼ばれた地域に、今も取り残されている仲町稲荷神社の場所に諏訪神社がありました。別当寺は「来福寺」とのこと。昨年8月に訪問した際は入寺禁止だったけど、緊急事態宣言下の今も入れないんでしょう。いつかは行ってみたいたい寺院です。
 参道入り口の社号碑が
両社が合祀前の昭和10年(1935年)に建てられたものだからでしょう。


 一段高くなった境内に入ると、右に手水舎。後方に鳥居と朱色の社が見えます。


 本来なら社殿から参詣するのが先ですが、参拝される方を迎える正装の神主さんの姿をお見かけしたのでこちらから……


 厳島神社……天祖神社創建時から鎮座していたものらしい。
 ちなみに当社は東海七福神の福禄寿を担っているとのことだけど、弁財天であっても不思議ではない境内社です。当日は、七福神・
福禄寿 など目に入らなかった情けない私です。事前調査なしに出かける、私の悪い癖です。
 東海七福神の​ 弁財天・磐井神社 ​は、約2年前、城南島海浜公園まで歩いた折に立ち寄りましたが、七福神の一つだとは気付いていませんでした。​
毘沙門天・品川寺(ほんせんじ) ​​と、
恵比寿神・荏原神社 ​ も行きました。

 未訪問の「大黒天・
布袋尊・ 養願寺」「 寿老人・ 一心寺」は、それぞれ近距離に鎮座しているみたいだからそのうちに行ってみましょう。


 鳥居扁額……広島県宮島の嚴島神社のご分霊をお祀りし、水の神・海上安全を司る神としても崇敬されていると。海が近いからでしょう、鮫洲八幡神社にも境内社として厳島神社がありました。


 とても立派な弁天池……『弁天様(弁財天)の御使いは蛇(巳・へび)とされ、6月初巳(み)の日にお参りすれば、金運や財運、芸能・学問の運が開けると多くの人に信仰され続けてきました。』 (同社HPより)


 朱色の社殿が堂々と鎮座……
 御祭神は、「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」
「田心姫命(たごりひめのみこと)」
「湍津姫命(たぎつひめのみこと)」



 弁天池において悠然と泳ぐ立派な鯉……


 弁財天の鳥居の向こうに手水舎。さらに奥は社務所……


 これも古いんだろうな~


 朱色の木製の橋ではなくても風情があります。


 境内北側……手水舎の左に…


 御大典記念植樹……令和元年5月1日。天皇陛下御即位を祝うソメイヨシノの植樹。


 社殿右に神輿庫……総鎮守だけあって、さすがに数が多い。


 天祖・諏訪神社社殿……拝殿で御祈祷がなされていたので、遠慮して近づきませんでした。正面からの写真も撮らず……
 御祭神は、「天照大御神」
「豊受大神(とようけのおおかみ)」
​「建御名方刀美神(たけみなかたとみのかみ)」
「​建御名方神(たけみなかたのかみ)」天孫降臨に際し、高天原から派遣された建御雷神と力競べをした後、国譲りを約束した神。

「小碓命(おうすのみこと)」日本武尊(やまとたけるのみこと)の別名らしい。熊襲・蝦夷平定の為に活躍したことはなんとなく知っています。
 ちなみに、狛犬は慶応3年(1867年)の奉納と古い。


 社務所も立派です。御朱印は頂戴しないので私は素通りで失礼。


 いそいそと最終目的地に向かった私でした。
 蛇足ながら、当社は以下の周辺神社の本務社とのこと。
山王日枝神社
八景天祖神社
長田稲荷神社・春日神社
池上本町稲荷神社
堤方神社
​​
 この後 通過した 「濱川神社」も天祖諏訪神社の兼務社だそうですが、結局全部制覇したみたい。少し前までは元気だったようです。
 明日は人間ドック……嫌だけど行ってきましょう。
​​​​​​​​​​​​​​​





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Last updated  2021.01.15 16:51:14
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