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享年九十歳の父の 四十九日法要が ぶじ終わりました なんとか雪も ひどいことはなく 車椅子で出席する ことができました弟夫婦にはせわになりましたおつかれさまですありがとうございましたいろいろ悔むことは ありますがあらためて 亡くなった親父のぶんまで 生きてやると思いました いつも応援してくれる 職員の人たち たくさんのリハビリ仲間 みんなといっしょに がんばっていきたい カメの歩みですが 生ききってやろうと おもいます ずっと見ていて下さい
2014年12月13日
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大正14年生まれ かぞえどし90歳の父 とつぜんの別れでした 前日まで元気だったそうです 3週間前に会ったのが さいごになってしまった、、 肩幅がひろくて背の たかいひとでした はたらきものでとても やさしかった父です 殴られた記憶がありません 戦後のたいへんな時期に 鮮魚店をひらき苦労して 育ててもらいました ぼくのすすんだみちを 応援してくれていました 感謝しかありません、、 親不孝ばかりしてきました ほんとうにごめんなさい 天国というものがもし あるのならそこでゆっくり してほしいとおもいます ぼくらをずっと 見守っていて下さい
2014年11月02日
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大正14年生まれ 来年90歳になる父の みまいに行って来ました いまの施設が 気に入ったらしく 思いのほか元気で よかったです ぼくのことはすぐ わかってくれました 前回会ったとき あまりことばがでなかった のですが今回はけっこう しゃべってくれました 「稲刈りもう終わったか」 「ご飯は3回出てうんまい」 「ひろいお風呂に入れる」 ぼくのリハビリのことも 心配してくれました 親不孝ばかりしています 「また来いや」と手を にぎりかえしてくれた 元気で長生きしてほしい
2014年10月12日
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本日、午後からつれあいと 施設を訪ねることが出来ました 車で1時間以上かかります 父は、思ったより元気そうでした 先月訪ねたときは 自分の部屋で寝ていて だるそうな感じだったけれど 今回はみんなと一緒に 食堂にいるところでした それだけでも 前より調子がよさそうです 良かったと思いました ぼくの顔を見ると何回も 握手をしてくれました そして食べようとしていた、 自分のおやつをぼくに 進めてくれるのです 父の気持ちに泣けてしまった 食事もなんとかとれて おだやかなに過ごしているそうです ぼくはそれだけで 良しとしなければと思いました 何と言ってももうすぐ90歳です 別れ際の握手の時に 握り返した手の力強さが とてもうれしかった
2014年06月15日
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ぼくの実父はもう90歳近くになりましたここ近年いろんな事がわからなくなってきた最近、施設に入所したそうです今日はその親父のいるグループホームを訪ねる予定です人生の終わりの時期を施設で迎えようとしている親父に対してどう接すればいいのか僕は悩んでいますともあれ世話になっている施設に顔を出そうと思います果たして親父はどういう反応をしてくれるでしょうかかなり心配です息子をちゃんと認識してくれればいいのですがまずは元気な顔をみたいものです
2013年11月17日
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歌手の島倉千代子さんが亡くなったそうです75歳と聞きました肝臓ガンだったといいます残念です彼女の歌で思い出すのは「東京だよおっ母さん」泣ける歌でした昭和と言う時代がまた遠くなったのを感じます「人生いろいろ」ではないがすごく寂しい気がします惜しい人をなくしました天国で好きな歌を歌って欲しい合掌
2013年11月09日
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ちょうど1年前に義理の父親が亡くなりました今日は南砺市で一周忌の法事亡くなった人のことを親戚一同が集まって偲びました月日の経つのは早いものです脳出血で享年79歳働き者でじっとしていない人でした米作りのことや在所のこといろいろ教えてもらいましたぼくが脳梗塞で重い後遺症がのこり長期入院していた時にほんとうに親身になって励ましてくれました思い出すと泣けてしまいますどんなことにも前向きな人だったぼくたちをずっと天国から見守っていて下さい
2013年11月03日
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作詞家の岩谷時子さんが亡くなりました 97歳でした「愛の賛歌」などが有名ですがたくさんのいい歌をつくられました思い出すのは加山雄三の「旅人よ」いまでも聞くと泣けてきます惜しい人をなくしました日本の歌謡界の大切な人でした若かりしころあなたの詞によってどれだけ励まされてきたことか今はただ冥福をお祈りします天国に行ってもみんなを励ます歌をつくって下さい合掌
2013年10月29日
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アンパンマンの作者やなせたかしさんが亡くなりましたアンパンマンの漫画が好きでしたじつは僕は丸顔でアンパンマンというあだ名がついていたことがありましたそんな縁で親近感があっただけにとても悲しい気持ちでいっぱいです正義とはいつも勝つとは限らない実は弱いものだという悲しい戦争体験からの哲学へろへろになりながらも自分の顔を与え続けたアンパンマンのことぼくは忘れません合掌
2013年10月16日
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夕方、テレビで藤圭子さん自殺のニュースを聞きましたぼくと同年代の歌手でしたなんでみずから死の道をえらぶのだろうか詳しいことはわかりませんとても残念です
2013年08月22日
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富山・生と死を考える会の記念講演会で三人目の講師は映画「おくりびと」の原作者として知られる青木新門さんです僕は青木さんの「納棺夫日記」を読んだことがありますがそのお話は本の中身のことを主に述べておられました非常にまれな仕事であるだけに映画の脚本とは微妙に違う点をいわれていました人間いつかは死ぬのです幼い時に身近な人の死を経験しているかいないかで人の死に対する考えが決まるのではないかとおっしゃっていました死を真面目に考えた1日でした後援団体に医療生協が入っていました 1600人の参加があったそうです
2013年06月23日
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マスコミで報道されたので知っている人も多いと思うが世界最高齢の木村さんが116歳で12日亡くなりましたギネスにも載りましたあやかりたいものですその年になっても新聞を読み続けていたというから素晴らしいと思いますご冥福をお祈りします 合掌
2013年06月13日
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2週あとですが高岡で聖路加病院の日野原先生のお話があります100歳を越えても現役のお医者さんの元気をもらいたい100歳のひとのお話はそうそう聞けるものではありません詳しくはまた書かせてもらいます
2013年06月09日
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今日は日曜日です 4月21日は田中好子の命日だそうです2年前の今日亡くなりました言うまでもなくキャンデーズの一人です人は亡くなってみてその人の残してきたものが判るといいますそういう意味では僕は何を残せるのかと思いますそんな事を考えずに今日も生かされていることに感謝しています今日の日を懸命に生きよう
2013年04月21日
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僕が世話になっている福祉生協関係者の訃報を知りました長い間福祉の専門家として活躍してこられた方ですたいへんショツクを覚えましたまだ若かっただけに残念でたまりませんその人の分まで生きたいとこころから思いました
2013年04月18日
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四十九日の法要が終わりましたお坊さんの嫌いな義理の父も今日の法要は許してくれるのではないか遺骨をお墓に納骨をしてあとみんなで飲む機会を持ちましたにぎやかでした亡くなった父も喜んでくれたと思います残された家族であとはなんとかやつていきますから天国というものがあるのならそこで僕らをを見守ってください長い間お疲れ様爺ちゃんの手紙が僕あてにありました泣けました
2012年12月23日
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午前中リハビリでした今日はこれから予定がありません明日は亡父の四十九日ですだから福光に帰るのですが雪が心配ですクリスマス寒波が来るという話ですこないでほしい今まで一緒に息をしていた爺ちゃんは死んでしまいましたが僕らはいきていかねばなりません爺ちゃんの分も生きるぞそれにしても日の経つのが早いと思います
2012年12月22日
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ラジオ深夜便で赤城りえのフルートを聞いたなぜか急に亡くなった義父の事を思い出したまだまだ心の整理はできていないよい事は天国で爺ちゃんが応援してくれると思いたいその反対にくるしい時は自分に試練を与えいると考えたいそんなわがままな事を思っている
2012年11月27日
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残された義母健気にお葬式の大役をこなしていました、さすがです今日は楽しみにしていた家族会の旅行中止にしました残務整理で福光に帰ります連日の高速利用で係の人も覚えてくれるのではないかと思うほどですそれにしても高速の職員ですがカメラ越しの対応に疑問を持ちますもっと障害者に配慮できないものかどこもかも効率の事ばかりです本来の福祉の心ではないと思います
2012年11月11日
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今日生まれて初めての骨上げを経験しました骨がシッカリと残っていました人間は儚いものですわずか5日前には元気で生きていたのにお葬式は親族・在所の人と義父の同級生の人たちでささやかな内に執り行われました元気なうちにもっと一緒に酒を飲んでいたらよかった義父は遺言で死去してからのあとの段どりすべてを決めていってくれました僕も参考にしたいと思いました
2012年11月10日
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今日は義父の葬式です故人の遺志を尊重して簡素な葬式です新聞にも載せなくていいと遺言がありました親族と在所の方々だけで見送ります79歳でしたまだまだ長生きして欲しかった今日でお別れです寂しいけれどお別れですサヨウナラ御父さんいつまでも残された僕らを見守っていてくださいシッカリと生きるよ
2012年11月09日
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昨日は大変な一日でした義父の危篤の連絡を受けてとるものもとらずに福光へ脳幹出血とのことでした意識がなく眠っていました手を握っても握りかえしてくれません家族の願いもむなしく夜遅くに亡くなりました若いころから建設作業員として働き消防団の団長としても頑張っていた定年になってからはシルバー人材の仕事が生きがいでした働き詰めの人生でしたあなたは先に遺ってしまったのですね農作業に慣れない僕にいろいろと教えてくれた爺ちゃんあなたの愛情は忘れませんお酒が何よりすきだった爺ちゃんあの世で僕らをを見まもってください永遠の別れです サヨウナラ 合掌
2012年11月07日
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昨年の母親大会の日にバイクで亡くなったN君マジで亡くなったんだね今でも信じられません生協で一緒に働いていましたそこを辞めて資格を学ぶために専門の学校に行った頑張り屋のN君医療生協に勤めて患者の気持ちに寄り添ってくれる人でした一生懸命に僕のリハビリの指導をしてくれたでも好きなバイクであの世に逝ってしまった・・・あなたの事は忘れないよ母親大会の日が近づくとあなたを思い出しますこれからもずっと心の中で思い出すだろう僕たちを見守っていて下さい
2012年07月22日
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いつも元気で僕らを励ましてくれたOサンが亡くなりました関西出身でいつも明るく気さくな方でしたコープとやまでは運営委員会の取り組みや平和の集いを一緒にやったことがよい思い出です86才だったそうです小矢部の平和行進の時の元気な姿が今でも浮かんできますご冥福をお祈り致します
2012年04月24日
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ここ一年あまりで友人が順番に亡くなっていきます新聞のお悔やみ欄をみるのがイヤになります自分もそういう年になったのかと思い知らされました僕は亡くなった人の分も生きたいと思っていますでもこれだけは誰にも分からないしっかりしなくてはと決意しています毎日を大切に過ごそう
2012年03月25日
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加藤和彦が自殺したという62歳でこの世を去ったというイムジン河のヒット曲で知られるうつ病だったそうである何故自殺するんだろか僕には分からない年間三万人の人が自殺しているとマスコミが報じているししゃにむ打つわけではないけれども自ら死を選ぶなんてもつと周りの人に相談できなかったのか周りの人がもつと気をかけてやれなかったものか
2009年10月19日
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郷で法事があつた連れ合いのそう祖父である何と50回忌である肝臓がんで亡くなっているそのときに隣の有名な寺の坊さんとの間でトラブルがありそれ以来呼ばないそうであるなんにしても喧嘩はよくないのであるがそれで坊さんのいない法事というわけなのであるみんなで十数名のひとがあつまりにぎやかな法事であつた
2009年10月11日
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今日は植木等の命日だ本当はまじめな人だったらしい坊さんの息子で悩んだらしいがショートステイだはじめての所だ何が待つているのかリハビリはきちんとやってくれるのか不安と期待が半々です明日の日記にまた書くことにする
2009年03月27日
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福光の知り合いがなくなったデイサービスで新聞を読ませてもらっているんだがそれで知った1人は自転車屋のだんなさんもう1人は良く知っている人なんだがともに70すぎでわかいんだけれども早く逝ってしまった死んだら仏と言うけど冥福を祈るだけだ
2008年03月11日
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