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今月、このイギリスの折りたたみ自転車ブロンプトンを買って(私のは深緑)近くの公園を走りまわったり、電車や高速バスに乗せて、千葉の海辺や山を走ったりして、犬のように喜んでいます。単純なものが、けっこう面白い。身近に素敵な公園があるんだなぁと、ひたすら感動。この自転車を飛行機に乗せて、海外も走るのが夢です。はははは~!笑いながら、月光仮面のように、走ってまっせ(笑)
2011年12月01日
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フェイスブックのやり取りが忙しくて、なかなかブログまで手がまわりません。ブログだと、ある程度、まとまったことを書かねばならないと思うので、おっくうになってきます。友達になって、同じ趣味の仲間と飲み会をしましょう、というのも、フェイスブックはペースが速く、活発です。いろんなバーチャルな世界が広がっていますが、良い出会いを引き寄せるのは、やっぱり自分の心がけしかないのかな、と感じています。嘘や見栄はすぐにバレますしね。断捨離を決意。中途半端にしていた武道(合気道と杖道)をきっぱりやめることにしました。あまりいい人間関係が作れなかったので、自分には向いていないのだと思います。これからはサイクリング、読書会に絞っていくつもりです。
2011年08月28日
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宝くじ売り場で働く友達を交えて3人で焼き鳥を食べた。彼女のいるチャンスセンターは、当たりが出ると大人気で、連日行列のできる大盛況ぶり。この前もテレビで紹介されたので、沖縄や長野県などからわざわざ来て、何百万円も買っていく人がいたという。驚いた!そして彼女いわく、「私は20代の頃、宝くじや懸賞に当たりまくっていたときがあった。パチンコでも、やり方が分からなくても、座ってちょっとはじいたら、じゃらじゃら出てきたりとか。そんなことが何年か続いたのよ」すると、もう一人も、「あるある、忘れた頃に、応募した商品が届いたり、ね」という。ちょっと待ってよ、それって、誰にでもあることなの?ずるくない?「え~、私はいつもはずれてばかりで、そんな当たりまくりのシーズンはなかったよ」と2人に抗議すると、「息子が当たりなんだよ。できがよくてさ」「そうそう、それが当たり」そっか、くじ運は息子で使い過ぎだったのか!っていうか、息子はくじか懸賞か?でも、一応サマージャンボ、3000円買いました(笑)
2011年08月02日
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私は大体いつも上機嫌なのですが、たまには落ち込むこともあります。人間だもの。その日も「あ~あ、生きていてもいいことないな。あくせく働くばかりで」などとため息をつきつつ、近所のスーパーで翌朝のバナナを購入。店を出たときに、前から車いすの若い男性が来ました。このスーパーは通路が広く、車いすの方専用のかごも設置してあり、車いすの方を見かけるのも珍しくありません。でもこの日出会った方は、車いすを前に進めるため、必死の形相で両手に力を入れていました。そう、このとき初めて気づいたのですが、道路の歩道からこのスーパーの入口までは、上り坂になっているのです。私は何年もこの店に通っていながら、まったく坂になっていることに気づいていなかったので、そのことに自分でビックリしました。押しましょうか?といってその方の車いすを、後ろから押しました。店の自動ドアまでほんの2、3メートルです。あ~、ありがとうございます!感謝するのは私の方です。この方のおかげで大事なことに気づきました。
2011年07月05日
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常識にとらわれない自分を信じてバカになれ失敗は努力不足部分だけでなく全体を見ろあきらめるな
2011年06月26日
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先週の木曜日に「奇跡のりんご」の木村秋則さんの講演会に行った。これは私が最近敬愛している大学の先生が、木村さんの大変なファンで、本も紹介していただいたし、この講演もお勧めだったのでご一緒させていただいたのである。木村さんのお話はとても面白く、心に響くものだった。「害虫を食べる益虫は農薬に弱い。だから農薬を使うと害虫が出る」「中途半端な有機農法はかえって危険である」「農家は米や野菜や果物が自然に育つのを手助けしているだけである」「りんごがどうして欲しいのか、じっと観察していてりんごの気持ちになってみれば、わかる。教科書にはほんとうに役立つことは書いていない」などなど。目からウロコの落ちる話がいっぱいだ。なかにはこんな話もあった。「景気が悪いから地方の支店を閉めようかと、ある経営者から相談されたが、都会は地方が支えているのだ、本店を閉めなさいと話してそのとおりやったら、会社が元気になった」講演のあとで同行の先生方と4人で居酒屋に。そこで一人の方が「病院に行ったらあなたはぜんそくのケがあるから、この薬を飲みなさい、と薬と吸入器を渡され、毎日飲んでいる」と言われた。すると医療関係の先生が「薬を常用してはいけません」「薬を飲まないことが健康の秘訣」と語られて、人間も無農薬が一番なのだ、とすごく納得した。食べ過ぎ飲みすぎに気をつけ、周囲と仲良く、毎日笑うことと適度な運動。そうです。薬で病気は治らない。健康でいるためには、自然治癒力を高めるしかないのに、やたら医者や薬に頼る人がいて、何種類もの薬を毎日飲んでいて驚く。原発の安全信仰が崩れたところで、薬頼みもやめましょう。薬は毒。ほんとに必要なときだけ短期的に飲むから効き目があるのです。
2011年06月21日
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楽器のなかではチェロが好きだ。昔からチェリストにあこがれていた。日曜日の「題名のない音楽会」に古川展生さんが出演していた。とっても素敵な演奏だったが、なんか彼は誰かに似ているなぁと思っていたら、なんと、別れた夫に似ているのだった(笑)古川さんがチェロを弾く姿を見ながら、別れた夫がまだ40になる前の、家族がうまく行っていた頃のことを思い出した。彼に久々の中学時代の同窓会があり、そこで同窓生から「一番かっこいい中年になった人」に選ばれたといって、喜んで帰ってきたことがあった。彼がおかしくなったのは、たぶんあれからだろうなぁ。人生のすごくうれしい出来事というのは、不幸の始まりになったりする。そういう時こそ、謙虚な気持ちを忘れずに、自分の足元をしっかりと見ていなくてはいけない。大切なものを粗末に扱うと、すべてを失うことになるのだと、別れた夫が身を持って教えてくれた。美しいチェロの演奏を聴きながら、しみじみ、ありがたいことだと思った。
2011年05月24日
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最近、元気がなかった。原因は息子がいなくて一人で原発問題や、地震対策、経済問題などをあれこれ考えたりしていたからである。先日一時帰宅した息子に、母の日のプレゼントをもらえるかと思いきや、「東京勤務になれなかったら、自立してね」などと言われ、「息子が稼ぐようになったら、少しは楽をさせてもらおう」という永年の夢を打ち砕かれて、傷口に塩を塗りつけられた。しかしよく考えてみれば、「お母さん、今までありがとう。これからは僕が親孝行するよ」「そうかい、ありがとうよ」なんて、会話はうちの親子には似合わないのであった。ヤツは「僕たちには関連企業の方々の生活を守る責任がある。これからもっと強みを育てて業績を上げていかなくちゃならないんだ」と、社長のようなことを言って張り切っているわけで、私の生活などにはかまってられないのだろう。く~~~~!思えば息子の「皓」という字は、「暗い世の中を輝く白い光りで照らす」という意味で名付けたのだった。そうか、私も負けていられないと思っていたら、素敵な言葉があった。「菜の花はとうが立ってから咲く」食べられなくなっても、美しい花。絞れば油もでますけど(笑)
2011年05月22日
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昨日の日記では、自分が男性に口説かれたことを自慢しているように、受け取られるかもしれないと思うので、補足説明をしてみたい。ある有名な心理実験がある。男性が女性たちに囲まれて、しかもうっとりした眼で見つめられている写真がある。それを女性に見せると、この男性をとても魅力的に感じる。逆に男性に囲まれた女性の写真を男性に見せるとどうか?写真をみた男性は拒否反応を見せる。つまり女性は他人の評価を気にしてみんなが欲しがる人を好ましく思う。男性はパートナーを選ぶ際に、女性ほどえり好みしない。他人の意見を気にしない。女性をゲットするのに、競争相手が多く、時間や手間がかかるのは避けるのである。つまり、私のような「いい歳をしたフリーの女」は、適当に遊びたい男性にとって、競合も少なく、簡単に手に入りそうだと、思われているのだと、私は認識している。だいたい、口説きの手口も見事なまでに皆さん一緒だし(笑)お酒を美味しく飲むための、リップサービスでしょう。ヒョウタンから駒のようなことになれば、お得、って感じですか?美人だからモテるのかも…なんて考えは30代で終わりだよね。杖道の4段の審査に受かったときは、合気道の師範に「顔で合格をもらったんじゃないか」と言われたがそれは私の顔がよかったというよりも、私のどんくさい合気道の技からすると奇跡だと、おっしゃりたかったのだろう。ちょっと悲しいことだが、現実はそんなところか。己を知らずに勘違いしちゃいけない、と自分をいましめています。
2011年05月17日
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昨夜は、飲み会に誘われて新橋へ。メンバーは私を含めて熟女3人とオヤジ2名。オヤジたちと熟女1名は既婚だった。居酒屋で大人の男女が飲むとなると、しょっぱなから下ネタである。私ともう一人は飲めないので、お茶。酔いが回ってきたら私の前に座っていた方が、奥さんから嫌がられているのだけれど、女性の肌に触れたいから、あちこちでエッチしているという話をした。そして彼の隣にいたバツイチの女性に「今夜1時間4000円でどう?」とお誘い。「私は1時間じゃ満足できないわ」とお断り。「じゃ3時間!」「どうして4000円なのよ、安いじゃない」ちょっと怒り。「飲み代とかホテル代とかいろいろ入れての予算なんだよ」すると、突如お誘いの矢がこちらにきた。「キミは彼氏がいるの?」「ニコルさんは最近いないよ」と隣の友達が代わりに答えてくれる。「じゃぁ、9000円でどう?」「ぎゃ~、私の倍以上じゃない、ひっどいなぁ。絶対やってやらな~い」「ニコルさん、男と女は、肌を合わせることが必要なんだよ」彼女を無視して口説きにかかってきた。「ちゅ~だけでも…」「奥さんがいるなら、奥さんにお願いしたらどうですか?いつも生活費を払っているわけだし」「----------------」むふふ、このときの顔ったら(^ー^)b 撃退しました!
2011年05月16日
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「どうしてこんな人を都知事に選んでいるの?」先日、友人に訊かれたが、私だって、恥ずかしいし、哀しい。都民の食が危機に…
2011年05月15日
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毎月第一水曜日に開催している易経勉強会ですが、連休の関係で、今月は第二週になり、昨夜はメンバー4人で楽しく話に花が咲きました。雨のなか、しかもお仕事忙しいなか、遠くから参加していただいて、ほんとうにありがたいことです。感謝、感謝!毎月、占っていると不思議なことに、そのときどきに、ピッタリの卦が出てきて、的確なアドバイスが与えられることに、みんなビックリしています。そして、定期的に続けていると、「流れ」も見えてくるようです。しばらくやっていけば、兆しもよめるようになる、かも!!!ある本を読んでいたら、言葉が生まれたのは、コミュニケーションの道具としてではなく、グルーミングの変わりとして発達したのだ、ということが書いてありました。他愛のない言葉のやりとりが、人間関係では大事なのです。役立つ言葉や意味のある言葉でなくて、ぜんぜんオッケー。あ~でもない、こ~でもないと、亞っほ~な話をわ~わ~、やっていることに意味があるのです。易経勉強会も、おおいに存在価値があるでしょう(爆笑)
2011年05月12日
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GWはいつも衣替えや片づけ、そうじなどの家事で終わってしまうことが多い。今年は、本を思い切って1/3ほど捨て、洋服も処分した。引き出しに入っていたテレカ数枚を売り、炊飯器、ミシン、ガスストーブ、スーツケースを粗大ゴミで捨てた。スーツケースは壊れたものを息子が部屋に放置してあったのを、ゴミ集積所まで原チャリで運んだ。使わないフィルムカメラと古いパソコンを処分するために、いろいろ調べ、申し込み用紙をダウンロードした。こういうものは住民票の添付が必要だったりするので、なかなか面倒。普段家にいられればよいが、役所に行く時間がない。必要事項を記入して、書類を添付し、パッキングしなくては…こういう手間を放棄すると、ゴミ屋敷ができるわけだ。ときどきご主人と家事を分担している、などという話をきくと、ほんとにうらやましくなる。私は息子に干したふとんを取りこんでから出かけてくれ、とか、管理人室から駐輪場のステッカーをもらっておいてくれ、とか、ゴミとか買い物とか、自分でできないものを、ときどき頼むことがあるが、けっこう忘れられてしまう。それでも仕方ないと諦めている。自分の精神衛生上のためだ。腹を立てたり、文句を言ったりしても、お互いに嫌な気持ちになるだけだから。GWの前半、息子は旅行。家にいるときは料理を作ってくれた。まぁ、それだけでもありがたいかな?後半は私もFBでお友達になった大学の先生に、ホームパーティに呼ばれて、とっても楽しかった。3日間もかけて煮込んだ和牛ビーフシチューが絶品で、さすが、男の料理は違うなぁと感動した。この先生は多趣味で、カヌーやクルージング、模型の船、絵画や作詞などなど、幅広いお話が弾んで、4時からスタートして10時過ぎまでがあっという間。さらに、伝統の江戸切子の作家さんを応援しているということで、創作切り子のコレクションもびっくりするくらいきれい。しきりに感嘆しながらながめていたら、ご一緒した女性と私に、小さなグラスをくださった。ホームパーティって、ほんとに楽しい!前半の家事疲れが癒された。美味しい料理と美味しい会話、ありがとうございました!
2011年05月09日
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昨日は幼なじみと仕事帰りにカフェへ。彼女は長く専業主婦で、郊外で子育てをしていたので一時期つきあっていなかったが、また都心まで働きに来るようになり、会社が近いこともあって、つきあいが復活した。彼女は小学生の頃から成績優秀スポーツ万能だった。唯一の欠点は好きになる男が、変態ばかりなこと(笑)ただ、奇跡的にご主人は優しくてまじめな人である。会って話を訊いて欲しいと言われると、「また変態男のことか」とうんざりしていたが、近頃は小沢一郎にハマっているので、話も弾む。そんな、彼女による私の評価は「世渡り下手」「人を見る目がない」ということで、残業もしないで今までの人以上の仕事をやっているなら、時給を上げてもらうように、こんなふうに交渉したらいい、とか、妻子持ちの男に言い寄られたら、「私は夢中になると奥様に電話しちゃうんです」と言うべし、などいろいろ教えてもらった。私は世渡り下手かもしれないけれど、自分の利益や欲のために、人を利用したり、遊び半分でつきあったりしたことはないので、多少誤解されたことはあっても、誰からも恨まれていない。道端で出会っても、顔を向けられない人もいないので、気が楽だ。いい友人に恵まれてたくさんフォローしてもらっている。また、息子は逆に世渡り上手で、よく人を見ている。世の中うまくしたものである。「とりあえず、何の悩みもないしなぁ」と言ったら、「ノー天気」という評価もついた!
2011年05月07日
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ポンパレというクーポンサイトで、横浜中華街での豪華フカヒレコース4000円を購入。昨日は友人を誘ってそこへ行ってみた。ところが、店に入るとクーポンサイトにあった、高級感あふれる内装写真とは似ても似つかない、定食屋ふうの店内。あの写真は支店かほかの店なのか?しかも店員の態度がめちゃくちゃ感じ悪い。おそらく観光客やクーポン客を相手にしてるので、客の気持ちなど、どうでもいい、と思っているのだろう。あたたかいウーロン茶を頼んだら、ぬるいウーロン茶がきた。料理もとてもクーポンサイトで紹介されていたものではなく、メインの気仙沼さんの高級フカヒレの姿煮は、5センチくらいのミニサイズでしかもペラペラ。15センチの皿に二人分が重ねてあった。エビチリとかエビマヨなどは、ひとり1個ずつ。まるで試食のようだ。品数はクーポンどおりだが、これじゃぜんぜん足りない。満足できないときは、チャーハンがおかわりできるらしい。帰りに一応伝票がテーブルに置いてあったので、それをレジに持って行って店員が来るのを待っていたら、黙って帰ってください、って追い払われた。ひえ~、何ここ?「なんか、一番美味しかったのって、マーボー豆腐じゃなかった?」「僕もそう思った」誘って申し訳なかったなぁ。クーポンサイトで中華は気をつけよう。もう横浜中華街も、わざわざ行くような価値がないのかも。
2011年05月01日
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私が小学生だった頃はトマトやピーマンはもっと青臭かった。だから給食の時間になると、トマトやニンジン、ピーマンが食べられなくて、5時間目の授業が始まっても、給食室に残されて、食べるまでは席を離れられずに、泣いている子が何人もいた。私は「食事なんてお腹がいっぱいになればいいんだ」という、戦時中に育った母のおかげで、家のご飯がまずかったので、鎖骨を折ろうが、足を怪我しようが、休まず学校へ通い、給食を堪能していた。給食が食べられない子供がうらやましかったな。お家でどんだけいいものを食べているんだろうって(笑)食い意地が張ってました。ちなみに息子は子供の頃、誰かの家に連れて行くと、まず、そこの冷蔵庫を開けてチェックするので、主婦仲間に恐れられていた。こういうしょうもない遺伝子は受け継がれていくようだ。食べ物と女性に対する嗜好は似ているという考えには、深いものがあると思う。今は接待などで儲けていたバカ高いお店は、ある程度淘汰されたのではないだろうか。私はたましか外食しないので、ちょっと高級なお店が好み。味さえそこそこならば、どんな雰囲気でもいい、とか、お腹がいっぱいになればとりあえず満足、とか、そういうのは残念だと思う。やっぱり、味だけでなく、お店の雰囲気や器や盛り付けや、サービスや景色など、いろんなものを含めて、一緒に過ごす時間を楽しめる人が理想。そういう人は、人生も豊かだと思うから。
2011年04月30日
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連休で息子が研修先から一時帰宅した。「景色はいいよ、いつも風呂屋の富士山が目の前にドーンとあるって感じだよ」ほー「すしがうまい!あなごのうまい店をみつけた」いいね!「どうして発電所から送られる電気が交流かわかった」大丈夫か!?なんて、話をしていると、なんか元気になる。今日は友達とドライブしてバーベキューだと出かけていった。楽しい人、やる気に燃えてるヤツと一緒にいると、それが伝わってくるんだなぁ。研修が終わっても東京勤務になって欲しい。今はそれを願うのみ。意外に子離れしてなかったな、自分。
2011年04月29日
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日々、校正の仕事などをしていると、人間はほんとに間違えることが多いものだと実感する。校正を書きこみながら、それがまた間違ってしまうこともある。あり得ない誤植も多々ある。例えば消防関係のライセンス本で防火設備→放火設備火災報知器→火災放置器なんてのがあったりする!著者名や社長名タイトルなど、もう絶対に間違ってはいけないものが、どういうわけか、数々のチェックをすり抜けて仕上がってきたときに、違っており、あ~っ、刷り直しぃいい~~~~!!!なんてことも。原発の安全神話もほんとに神話に過ぎなかった。本なら刷り直しができるが、原発はとりかえしがつかない。毎日、うんざりする事実の連続だ。ずっとたどり着けないプールのなかを泳いでいて、顔を上げると、欲に目がくらんだ人ばかりがおり、また水に潜って一人あがいているような、そんな気がする。醜いものを隠すためでない、芯から美しいものに出会いたい。
2011年04月28日
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暗誦している数少ない詩のうちのひとつ金井直さんは、10代の頃から大好きな詩人です詩集<飢渇>からあじさい 金井 直また季節はめぐりきて うすむらさきのほほえみはよみがえるあなたは思い出 いつみても懐かしい いつまでもあなたのそばにいると あなたの色が沁みこんでくるようだかけがえのない愛の色よ あなたの繁みの奥にこころのゆりかごを静かにゆり動かす手がある あなたの蔭に「時」のない影があるだがもう あなたの芯から名前は生れではしてもむかしのあなたではないあの日のいのちとともにうすれて いつか消えてしまったただひとたびの美しさよいまあなたにくまどられながら じっとあなたをみつめていると眼が痛くなり 眼を閉じると 急にまわりが広くなる遠いものは近くなり 近いものは遠くなるあなたの中に私が在るのか 私の中にあなたが在るのか わからなくなるそして 人というものが哀しくなってくる
2011年04月27日
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【送料無料】白い薔薇の淵まで価格:460円(税込、送料別)私はふだんあまり小説は読まないのだが、これはあるパワーブロガーの方が紹介されていて、印象にあったので読んでみた。同性愛の話である。著者の中山可穂さんは、ご自身も同性愛者だとカミングアウトしている。この小説はある作家の本から始まる。主人公の女性は青山ブックセンターでふと手にした本を戻した瞬間に「どうしてそれを買わないの?」と声をかけられる。声の主はその本の著者。店を出ようとすると外は雨が降っており、彼女からカサを借りることになる。それからは、このふたりの性愛が最後までず~~~~~と続く。第14回山本周五郎賞を受賞したというだけあって、その心のひだや、細やかな愛撫の表現力たるや、圧巻であった。主人公の「私」は初めて彼女と愛し合ったときに「今までいろんな男性とつきあってきたが、それは単なるスポーツのようなものに過ぎなかった」と、目覚める。人が人を愛するというのは、相手や自分の弱さやわがままを、どこまでも許して受け入れて、こんなふうに溺れていくものなのかなぁ。見栄も世間的な成功も、色あせてくる…同性愛に対する偏見も間違いだったのかも、とこの本を読んで思った。去年亡くなった広島の男友達は整体師だった。彼は人の体に触るときはその前に合掌行気という、自分の両手に気をおくる「行」をやっていた。たぶん彼にとって相手の「体」は単なる「物体」ではなく、今そこにある「命」そのものだったのだろう。細胞の一つ一つを呼び覚ますかのように、そっと優しく、大切にしかも、少しの変化も見逃さないように、触れていた。その、命に対する謙虚さや、誠実さに、身をゆだねる心地よさは、ほかで味わうことはできなかった。言うまでもなく、巷にあふれている整体とはまったく違う、体に響くのは、技術ではなく、彼の美しい心である。美しい心は欲によって汚れる。ただひたむきに磨かなければ、あなたの求める、ほんとうの愛情は得られない。
2011年04月25日
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昨日は友人とまつ毛パーマとネイルに行った。友人の回数券で私の分も払ってもらい、ほんとにありがたい。サロンの人も巻き込んで涙を流しながら笑ったあと、二人で買い物をして私の家でご飯を食べた。その間ずっとしゃべりまくり、アホ話しで笑い転げていたので、ほんとに楽しかった。息子がいないので、こんなふうに誘ってもらったり、一緒にご飯を食べてくれるとうれしい。独居老人の淋しさが少しはわかる気がする。金曜日は美容院で「滝川クリステルのような髪型」をオーダーしたので、月曜日は磨きのかかった私に課長もビックリかも(笑)中身は変わってませんが…
2011年04月24日
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会社帰りに地元のドンキホーテの家電売り場をのぞいたら、以前から欲しいと思っていたヘルシオが破格の値段で現品限り!だったので、衝動買いした。それが19時過ぎのこと。21時半頃に配達に来てくれたが、思いのほかデカイ。「申し訳ないけれど、家の中まで入れてもらえませんか?」とお願いして玄関の中に置いていただいたが、ビクとも動かない。それを見かねて、「部屋の方へ持って行きましょうか?」と配達の方が言って下さったので、リビングまで運んでいただき、段ボールの箱から出してもらった。さらに、部屋の中央の床にオーブンレンジがあっても使えないので、テーブルの上まであげてもらう。今までのオーブンレンジと入れ変えましょうと、彼が棚の高さを測ってくれたのだが、広げないと入りそうもない。「大変ですね。大丈夫ですか?もうちょっと高さがあれば入るのにね」なんて、優しい配達の方なのかしら♪ 感激!でも、しかたないので、後は自力でなんとかしますと、段ボールを解体してゴミに出し、棚の上の部分を外して幅を広げた、そして古いオーブンレンジを外まで運んだ。もう時間は22時半を回っている。は~、さて、どうするか。夜遅く申し訳ないが、デパ地下でお弁当を作っている隣の人に電話して、助けにきていただく。彼女は60歳を過ぎているのだが、私が動かせもしないヘルシオをひょいと持って、棚に乗せてしまった。「いつも重いおかまとか鍋を持ちあげているからね!」無力な自分にガクッとしながらも、ほんと、周りの方に助けていただいているなぁ。感謝、感謝です。昨夜は美味しいプリンを作りました。
2011年04月23日
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会社にコーヒーを運んでくる喫茶店のオヤジが、いつも机の上にコーヒーをこぼしたまま行くので、現行犯を捕まえて「こぼしたら、ダスターを持ってきて拭いたらどうですか?」と言ったら、返事もしないで行ってしまった。次に現れたときは、机にお盆を置かないで、持ったままポットからカップにコーヒーを注いでいた。そこまでして机を拭くのがいやなのかしら。どうしてダスターを持ってこないのか、不思議。棚の引き出しを最後まで閉めずに行ってしまう人がいるので、「○○さん、引き出しをちゃんとしめてください。今回は私が閉めますが、ときどきあるので気をつけましょう」「あれ?どうして閉まってないのかな?」「閉まるまで確認しないからですよ」なんてこともある。そのほか、速達や料金後納のはんこを押さない人や、海外便の伝票の不備やメール便の伝票を書かないで荷物だけ置いていく人などに、いちいちやり方を説明する。今日はほかの部署でアルバイトをしている男の子が、背広にネクタイをしているのに、擦り切れた革靴を履いているので、「靴を磨きなさい」と言ってしまった。「いや~、ちゃんとしたところには、いい靴を履いていきますから」「ふだんがちゃんとできてないと、いざというときにも、ちゃんとできないのよ。いい靴を履けとは言わないけど、靴ズミをつけて磨くの!」「でも…面倒だし」「男は足元を見られるの、靴のお手入れは大事なのよ」なんてやりあっていたら、後ろから「おかあさんの言うことをききなさい」(笑)ありゃ~会社でもおかあさんになっちまったよ!
2011年04月20日
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週末、春日部に住んでいる友人と食事をした。しばらく会っていなかったので、話題は地震のことである。彼女はご主人と子供2人の4人暮らし。息子はすでに社会人で、娘は大学生。都心まで仕事にきている。地震のあとで、原発が爆発するという騒ぎがあり、それを真に受けた彼女は、親子で富山まで逃げて、「旅館に2泊してうろうろしたから20万円くらいかかったわよ~」という。帰ってからも、何度も計画停電にかかり、「夕飯の支度をしていたら、バシッと電気が切れて、真っ暗。信号機も止まっていて怖い中、車で娘を迎えにいき、電気のついているレストランで家族で食事、その都度5000円の出費だよ」それだけではない。休日は水やトイレットペーパー、備蓄品の買い出しである。「家の近くのスーパーが5時に閉まってしまい、買い物ができないのよ」そんなこんなで振り回される毎日。やっと落ち着いたかと思われた頃、会社帰りにあった大きな余震。「あの日は東武線が動かなくてグルグル回って、家まで5時間もかかっちゃったw」ついに力尽きて、会社を休んだという。かと思えば、今日会った友人は、韓国に避難した知り合いが、放射能を感知するというキーホルダーを送ってくれたというので、それをつけて新宿歌舞伎町へ飲みに行ったら、警報が鳴り始めて、止めることができなくて大あわて。「歌舞伎町って、なぜかあそこだけ放射能がやばいんだよ」と、真顔で言っていた(笑)なぜ?あの変なカエルの鳴き声みたいな、地震警報も毎日そこらじゅうで鳴り出すし…「なんだか私、最近食事のあととか、お風呂の湯船につかったときとか、ふ~っ、って意識が遠のくんだよね。ウトウトしていたりしてさぁ」もう、歳かな?と私が言ったら、二人ともが、「いや~、疲れているんだよ!」そうだね、みんな心身ともに、疲れてるよね。
2011年04月16日
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めざましテレビでチェーンメールの発信元をたどる企画をやっていた。「コスモ石油コンビナートの火災で有害物質が…」という、デマの発信元はツイッターだった。この部分だけを見ているとツイッターが、あっという間にデマを広げていくツールみたいだ。でも、今回の地震関連で私はツイッターのすごさを実感した。確かにいろんな情報が流れてくる。なかには「え~そりゃないでしょ」というのも。すると、すぐにそれは正確な情報発信者によって否定される。見事だ。今は正確な情報かどうかを個人が瞬時に見極めること、なんて無理。そんなすごい情報リテラシーを持っている人は少ない。だから、ツイッターなら、どんな人をフォローしているのか。誰のブログをチェックしているか、どんなサイトを見ているか、つまり自分のニュースソースは誰、どんなところか、というのが大事なんじゃないかな?大スポンサーである東電とのからみで、マスコミは真実を報道することができなかった。東大だって、研究費をたくさん出している東電の肩を持つしかなかった。逆を言えば、そんな体質だから、原発の深刻な問題は起こったのだと思う。4月といえば新学期。小学校の役員決めも始まっているのだろう。私も息子が小学生のときは広報委員をやって、学校とPTAという組織にうんざりしたことがあったなぁ。広報誌に具体的なことを書くと必ずクレームがついた。給食の内容、楽器の数、体育道具の数。何をごまかしているんだか?そして先生方の写真のサイズ(教頭より学年担任が大きいとまずいとか)、内容よりも、そんなちまちましたことにこだわっている。どんな組織であっても、保身のために汲々としていたら、先細り。もうブレイクスルーをしていかないと、生き残れない時代になってきたんだね。
2011年04月12日
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頑張れ、日本は強い国だ、などと連呼されても、どこかウソ寒く感じてしまうのは私だけだろうか?わかりやすい言葉、単純化された耳障りのいい言葉、ちっとも論理的でない、感傷のベールに包まれた言葉。その言葉の陰で、どんな悪意が、事実が隠されているのか?お仕着せの、ぽぽぽぽ~ん! なんてものに洗脳されたくないな。韓国人の指揮者、チョン・ミュンフンは、音楽は人間の内なる力を呼び覚ますためにある、と語っている。ベートーヴェンやヴェルディは、人間の内なる力を信頼していて、その内なる力に促されて作品を書いた。だからこそ…人間の内なる力を呼び覚ます力がある。ステージに上がる前には必ず祈ります。一回の演奏を終えてしまうと、その演奏のことは頭から消えてしまいます。そうして、その次の演奏をどのように準備し、勉強するべきか考えるのです。音楽の道を歩みながら、もっとも大切に考える価値は謙遜=humilityです。メシアンのような方が目標と言えます。チョン・ミュンフンに少し力をもらいました。
2011年04月10日
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息子が学校へ上がる前のこと。どこかで将棋を覚えてきて夢中になっているので、千駄ヶ谷にある将棋会館へ、どうやって勉強したらいいのか、訊きに行ったことがあった。受付の女性が「じゃあ、ちょっと指してみましょうか」と、息子の相手をしてくれて「とても筋がいいから、なるべく通ってみてはいかがでしょう」と言って下さったので、親子で大喜びして、こちらへ通うことにした。ここにはプロの先生が教えにいらしていて、予約すると個人レッスンが受けられる。もちろん、いろんな方と対戦することもできる。若い棋士の先生が教えている、子供を集めた教室も開かれている。保育園に迎えに行ってから電車を乗り継いで将棋会館まで送って行くのだが、私はまったく将棋に興味がなかったので、隣で待っているのがとても苦痛で、おそらく送っていったのは2~3回だけで、あとは一人で行かせたような気がする。将棋会館の受付の女性も、棋士の先生方もとても親切で、ほんとにお世話になった。土日などはおにぎりを持たせると、朝から一日中入り浸っていた。小学生になってからも、5年生になって中学受験をするために、塾に通うまでは、野球やサッカーではなく、将棋三昧だった。私はゲームには興味がないが、スポーツや武道、将棋など、勝負をする人が好きなので、本はかなり読んだ。なかでも、もっとも好きなのは、永世棋聖の称号を持ち、紫綬褒章も受賞した、米長邦雄さんである。米長さんには、忘れられない名言が多々ある。女房を大事にしないような男は、よそへ行ってもモテない。今、目の前にあるものを、大事にしないということだから。というのもそうだが、私は相撲の八百長ニュースを見るたびに、この言葉を思い出す。自分にとって順位に関係ない試合でも、相手にとって落ちるか上がるかの重要な勝負の場合がある。そういう時こそ、相手に情けをかけたり、手心を加えてはいけない。むしろ全力をかけて、自分の力を出しきることだ。この言葉を読んだ時、正直にいって意味がわからなかった。でも今はわかる。勝負に臨む精神とは、こんなふうに研ぎ澄ましていなければ、どんどん汚れて行ってしまうものなんだと。山本真司さんが新刊を出しました。
2011年04月07日
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昨日、別れた元旦那が、数年ぶりに息子あてに手紙を送ってきた。息子はしばらくいないので、封を開けてみると、少しお金が入っていた。彼は糖尿病でありながら、自分は「太く短く生きるのだ」といって、私に隠れて大酒を飲み、好きなものを食べて遊んでいた。そのときつきあっていた女性は、私とは比べ物にならないくらい、優しくて思いやりに溢れているのだと、愛を語っていた。離婚後すぐに脳こうそくで倒れ、リハビリをしながら、田舎でひとり闘病生活を送っているという。最近は目が見えなくなって手術をしたと、その手紙に綴られていた。「お母さんと、何か美味しいものを食べてください」わずかな収入のなかから、コツコツと貯めたお金らしい。困ったな。息子はしばらくいないし、いたとしても、このお金で美味しいものを食べる気にはなれない。仕方なく電話をする。「みんな元気にやっているのか?就職はできたのか?自分はほとんど目が見えなくなって…」と彼は話すが…家族を捨てた人間は、時がたてばそのことを忘れるのかな?捨てられたものは、自力で懸命に生活しているのだ。甘ったれのお涙ちょうだいでは、やっていけない。そんな思いがこみ上げてきて、つい冷たい態度になってしまう。「こちらはちゃんとやっているので、もうお金の心配はいりません。お体に気をつけて、お元気で」さて。どうしたものか。ぜんさんのブログで被災地の方に必要なものを自分たちで直接届けていることを知ったので、ちょうどよかった。このお金で救援物資を買うことにした。仕事から帰ってあちこち回って買ってきて、箱に詰めた。お米も入れたら、重くなってしまった。ちょうど宅配便のお兄さんが配達に来たので、ついでに持って行ってもらおうとしたら、伝票を書いていないとだめだという。そこを無理やり頼み込み、コンビニまで運んでもらうことにして、クロネコさんの車の後ろから走ってコンビニに行き、ゼーゼーしながら荷物を送った。お腹すいた~。時計を見たら、すでに9時を回っていた。なんだか、すっきりしたなぁ。よかった!
2011年04月05日
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昨日は息子の入社式だった。東京の本社で式のあと、そのまま沼津の研修所へ行くということで、スーツ姿で荷物を引きずって出かけていった。どこから引っ張り出してきたのか、保育園のときにシーツを入れていた、セサミストリート柄の布の袋にスニーカーを入れて、カバンに入らないからとぶら下げていた。おしゃれの脇が甘いヤツである。息子のいない2ヶ月間、寂しいなぁ。今まで私のくだらない話につきあってくれただけで、ありがたかったのになぁ。思えば彼の世代は時代の波に翻弄されてきた。生まれたときにはバブルがとっくにはじけており、息子はずっと保育園生活である。小学校に入学したばかりで、父親がリストラされて引っ越し、転校。小学校時代には、円周率を3にするような、ゆとり教育。中学に入ると、父親の借金が元で離婚し貧乏暮らし(これはうちだけですが)そしてリーマンショック後の厳しい就職活動。さらに今年は震災で卒業式も中止、計画停電、原発の不安を抱えながらの、社会人スタートである。息子や友人たち、彼らは今の政治家や役人たちをまったく信用していない。マスコミの作り出している既成の価値観にも左右されない。人気企業ランキングなんて、気にもしない。独自のネットワークで情報交換しながら、わが道を行く、である。彼らはきっと、今までの日本ではなく、もっと地に足をつけた、きちんとした国づくりをやってくれるような気がする。こんな国を次世代の人に渡すことになって、本当に申し訳ないが、よろしく頼むよ、そう思いながら息子を見送った。
2011年04月02日
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浄水場から放射能がでた~!会社の上司はネコを飼っており、私は息子がいるので、「ネコが死ぬ!」「息子が無精子になる!」と、パニックになり、シーガルフォーという放射性物質を除去するという浄水器88000円をネットで申し込んだ。すると…注文殺到でお届けは4月中旬だという。今月は減収で、こんな高額商品を買ってしまうと家賃が払えないが、息子の精子を守ることが先決だ、と購入ボタンを押してしまった。ところがネットでいろいろと調べてみると、この程度の放射性物質なら、まったく心配ないことがわかった。とくにこの先生のわかりやすい説明を見て、キャンセルすることにした。いやはや、お恥ずかしい限り。
2011年03月28日
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原チャリを買ったのは今から5年ほど前だ。私の住まいは駅から2分くらいのところなので、まったく日常生活に必要ないのだが、当時は実家に行ったり、合気道の稽古に通うために重宝していた。それが両方とも行くことがなくなって、原チャリを放置していた。すると…半年でバッテリーがだめになってしまった。バイクを購入したのはバスで30分+徒歩15分のところにある、昔からオヤジがやっているバイク屋。そこに電話したら、自分でバッテリーを外して持ってくれば、バイクの引き取り料金5000円がかからないという。なので説明書を見ながらバッテリーをやっと外してバスに乗って持参した。数日後、再訪すると、充電したけどだめだったというので、新品を買った。それをやっとのことで付けて、1カ月後乗ろうとしたら、またエンジンがかからない。キックでも無理。そんな…新品が1カ月で上がるのか?オヤジに電話して、また取り外してバスで運んで、充電してもらって翌日取りに行き戻って取り付ける。「このバッテリーおかしくないですか?心配だからバイクの点検もして欲しいけど」と言っても、大丈夫というだけ。しかもこのオヤジは無類の話好きで、行くたびに、寒空のなか1時間もオヤジの無駄話を聞かされる。それから週に一度はエンジンをかけるようにしていたが、また、一か月もたたないうちにエンジンがかからなくなった。「え~、どうして?このバッテリーおかしくないですか?」「ま、充電しておくから、大丈夫、大丈夫」また取り出してバスでバイク屋まで行き、オヤジの無駄話を1時間きき、充電代800円を払い、翌日取りに行って無駄話を1時間聞き、帰って取り付ける。今度はマンションの駐輪場ではなく、玄関のドア前に置いておき、毎日エンジンをかけた。しか~し、2週間でダウン!電車があてにならないこのご時世に、いざというときに役立たない原チャリ。乗っている時間よりも、バイク屋にバスと徒歩で通っていたり、オヤジのヨタ話しを聞いている時間の方がはるかに長いではないか!そこで先週自宅から一番近いバイク屋をネットで探して、行ってみることにした。地図を見ながら歩いていくと15分くらいの場所。中から優しいお兄さんが出てきたので、状況を話すと、「いいですよ、見てみましょう」と言ってくれたので、自宅まで戻り、大汗を流しながら、原チャリをそこまで引きずっていった。翌日は腰痛。それが先週のことで、バッテリーの様子をみるために、充電してからしばらく預かりましょうということに。今日行ってみると、やっぱりバッテリーが不良品だった!「オヤジ、このやろう!」一年間はメーカー保証があるはずなので、買ったところで取り替えてくれますよ、とお兄さんがバッテリーを外して持たせてくれたので、バスに飛び乗って、さらに走って、オヤジのバイク屋まで行く。するとオヤジは「おかしいなぁ。そんなことあるのかな?でも書類を持ってこないとそんな高額のバッテリーを簡単には取り替えられないよ。走行距離もみてきて」と。仕方ないのでまたバス30分+歩き15分でお兄さんのところまで戻った。「え~、そんなこと言っているんですか?あまり無理をして嫌な思いをするようなら、こちらでなんとか協力しますよ」とお兄さんは優しい。ステキ、ハグしてもいいですか?いや、それどころではない。キレそうになっていたのが、ちょっと励まされて、またバス30分+歩き15分で、オヤジの店に。買ったときの書類を見せて、走行距離を伝える。「ほかのお店で確認してもらいました」というと、オヤジは渋々認めた。「じゃあ、新しいのを充電しておくから、明日以降、取りに来て」私の気持ち?たいがいにしろよ、オヤジ。私はそんな暇人じゃないんだ。せっかくの休日が、ここを行ったり来たりしてるうちに終わっているんだ。「何度も来ている暇はないんで○○さんにバイクを預けてあるので、そこまで持って行ってください」オヤジは「え~っつ。それは…」と言いかけたので、シャ~ラ~ップ!って感じで、「何言ってるんですか?もうバスで何度も通わされて、バッテリーがおかしいって、前から言ってるじゃないですか。そのくらい、そっちでやるべきでしょう!」もちろん、私のこの剣幕に勝てる相手はいません。バイクの件は一件落着。帰り道、炭酸水が売っていたので、勢いで4本買い、クタクタになって、帰宅したのは7時を回っていました。このいきさつを帰宅した息子に話すと、「ハンパな仕事してる専門家が多いんだよな」
2011年03月27日
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地震災害から立ち直るためには、仕事があって働ける人たちが、しっかりと生産性を上げて被災した方たちを支えていかねばならないのに、計画停電やら、自粛ムードやらが、すっかりその足を引っ張っている。製本所や印刷所の方たちは、計画停電のおかげで、機械が動かせないために大打撃だという。ほかの製造業の方も共通していることだろうが、機械をいったん3時間止めてしまうと、それを使える状態にするために、また、数時間かかる。なので日に2度の停電時間があれば、まったく仕事にならない、という。イベントも軒並み自粛や中止で、街は沈滞ムードが漂っている。卒業式や入学式がなくなれば、お祝いの品もレストランでの食事も、写真やさんも衣裳店も、キャンセル続きでお金が入ってこない。計画停電をやめるために、フレックスタイムにして電力のピーク時間をずらそうよ!電車も止めずになんとか、動かそうよ!今週は地元の駅前で民主党の議員が募金活動を始めたら、翌日は自民党、その翌日は共産党の議員が募金箱を持って立っていた。こんな無能な連中に票を投じるのはもうやめたい。
2011年03月26日
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地震のあった日にイタリア旅行へ出かけた息子が、搭乗手続き中に被災して成田に2日間足止めされ、他の航空機に乗り換えてイタリアへ行ってきました。2日間のローマの日程はなくなり、フィレンツェとベネチアを堪能して、土曜日に帰国しました。イタリアのメディアではリビア情勢と日本の原発報道がすごかったそうです。フィレンツェでは名物のTボーンステーキを3人で2日も続けて食べたとか。グルメの息子なので、美味しい料理が旅の目的で、大満足だったらしい。おみやげは乾燥ポルチーニ、オリーブ、生ハム、白いアチェートバルサミコなど。パルミジャーノチーズとパンチェッタも欲しかったな、というと、「そんな金ないよ!」確かにそうです。クリニークのハッピーEDPという香水をプレゼントしてくれました。私も出かける2日前は「無事で帰ってきてくれれば、お土産なんていらないよ」と言っていましたが、前日になると、あれもこれも浮かんできて、お土産リストが出きあがり…「まぁ、そうくると思ってたよ」ありがとうございました。
2011年03月21日
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野口整体より放射線を軽減する操法 被爆したかどうか見極めるのは難しいと思いますが、次の三つを参考にしてもらえればと思います。 <観察> 〇喉に違和感(頚椎の6番は甲状腺に関係する) 〇右下腹がつまった感じがする(ガスがたまっても右下腹が固くなるが、被爆の場合は 虫様突起部が固くなる。整体では盲腸部が放射能の影響を柔らげる場処とされている) 〇胸椎7番を押さえると椎骨に痛みがある。 この三つが重なれば被爆の体とみることができる。 <操法> 1、 虫様突起部が弛むまで愉気をする 2、 腹部第五(肝臓:右上腹部)に愉気をする 3、 中毒操法(胸椎4番左一側、右二側、胸椎9番右二側、腰部活点:腰椎2番三側) 4、 頚椎1,2,3番に愉気して感応したら頚椎6番を押さえる 5、 胸椎7番の左一側を押さえる 6、 腰椎1番の一側を押さえる 以上が放射線を抜く操法です。放射線や化学物質、予防注射などは汗から排泄されます。 被爆の操法を受けることでその夜に汗が出ればうまく排泄されたとみることができるでしょう。 汗を誘導するのは胸椎5番なので、5番の動きが悪い人は調整しておくと良いです。 盲腸をとってしまった人は腹部第五によく愉気しておくと良いでしょう。 ぜひ、活用していただければと思います。
2011年03月16日
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あこがれのスーパー、成城石井。今日はここで何を買おうかなぁと、一日考えてみた。大きなグリーンオリーブチーズ、パルミジャーノほか2種類ウインナーパルマの生ハムかハモンセラーノの生ハムエシレのバターサンダルフォーのブルーベリージャムグリッシーニ北欧のクラッカージュノエクスのベーグルパンベーグルラスクドライトマトのオイル浸けドライポルチーニ茸丹波の黒豆木で塾したアボカド甘いトマト珍しいかんきつ類ヴァローナのチョコふふふ…諭吉は軽く飛んでいくと思いますが。
2011年03月10日
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昨夜は易経勉強会でした。ここさんが参加して下さるようになって、毎回盛り上がっています。とても熱心で、きちんと下準備もしてきていただけるので、主催者としてはありがたいメンバーです。「毎月この会に参加するために、自分で占って易経を読むようになり、今月はこんなことに気をつけて、こんなふうに頑張ろうと思うようになりました。最初は何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでしたが、少しずつ自分の状況に合わせて考える習慣ができてくると、わかってきますね!」ここさんから、こんなうれしいお話がありました。そうなんです、自分の今の状況を流れのなかで客観的に把握するくせがついてきます。月に一度のペースでも自分を見つめ、お互いに情報交換できる場が、易経勉強会です。ここさん、ありがとうございます!プラス君もOさんもなべちゃんも、皆さん私よりずっと勉強熱心で、いつも刺激を与えてもらっています。メンバーはみんな職業や状況が違っており、いろんな解釈や見方があり、それがまた面白いのです。------------------------いつも周囲の人をこのブログに書いてはお叱りを受けたり誤解されたりしている私ですが、初めて他人のブログに書かれてしましました。趣味でお芝居をしている会社の上司ですが、この話を書いたらランキングがガッと上がったそうです。客観的にみると、私の発言て、ちょっと、ヘンですね、確かに。
2011年03月03日
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会社の女子ランチでチラリと昔の男の話が出たので、私もすっかり忘却の彼方にあった男のことをふと思い出し、ネットで名前を入力してみたら、なんと一部上場の、その会社の九州支社長になっていた!ええええ~っ、どうして!?ちょっとショックというか、許せないという複雑な気分になり、「最低男が出世していた」というのをフェイスブックのプライベートなページに書いたら、そんなけしからん男のところには、生物兵器をぶち込もう、という話になった。つまり、ドリアンとかシュールストレミングとか、サルミアッキを、かわいいラッピングに包んで送りつけ、会社を業務不能状態にしてやろう、という、制裁プロジェクトである。次々出てくる秘密兵器に、吹き出してしまった。10年前、この男は出張先から夜中に電話してきたり、牛たんを送りつけてきたり。あまりしつこいので、奥さんに「ちょっとセクシーに迫ってあげて」と、言ってあげようかとも思ったが、やめておいてよかった。彼もあれから頑張ったのだろう。ま、せいぜい生物兵器が届くまでは、うんと幸せを満喫していて欲しい。
2011年02月25日
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母が亡くなった数日後、弟が私のところに訪ねてきた。自分は親の言うことをきいて公務員になり、同居して苦労してきたが、姉であるあなたは、好き勝手なことばかりしてきた。趣旨はそんなことだった。私はビックリして、なるほど立場が違うと考え方もずいぶん違うのだな、と妙に納得してしまった。以来、母の49日にも三周忌にも声をかけてもらえず、いや、実家を引っ越ししたことすら、知らされていない。いわば、縁を切られた状態である。弟は私の5歳下である。私の両親は、長男を重んじる考えだったので、弟に愛情を注ぎ、私には無関心だった。私はいい成績をとっても、走って一番になっても、褒められたことはなかった。学校から帰って母に話しかけると、決まって「あ~今、テレビが大事なところだから」と遮られた。いつも話を聴いてもらえず、寂しかった。なので一人で本を読むようになったのかもしれない。私は甘酒やカボチャの煮物や豚すき焼きが嫌いだったが、弟の好物だったので、たびたび食卓に上っていた。父はタクシーの運転手だったので、夕方家を出て明け方に帰る。なので、母は夜中に父の帰りに合わせて起き、朝は私が家を出る頃は寝ていて、弟の学校に時間に合わせて起きていた。朝食がインスタントラーメンということもよくあったし、高校時代にお弁当を作ってもらったこともない。学食がなかったので、毎日パンを買って、学校の階段などで一人で食べた。母にしつこく「たまにはお弁当を作って欲しい」と言うと、ある日、お弁当を持たせてくれた。いつも菓子パンの私がお弁当を持て来たというので、友達の話題になりみんなが見に来た。お弁当箱のふたを開けると、ご飯の上にシャケが一切れのっていた。私はそのままふたをしてお弁当を食べなかった。そして二度と母に作って欲しいとは言わなかった。息子ができて、ほんとによかった。母にしてもらいたかったことを、することができたから。それに息子によくしてくれたので、母にも感謝することができたから。
2011年02月22日
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電車の中でこの本を読んでいて、何度も涙が出そうになった。子供が自分でお弁当を作ることで、母親や食材や、自分を育んでくれた人たちに感謝の気持ちが生まれる。今まで当たり前に思っていたものに気付く…。最近、息子の株が上がり、ありがたいことに、「どうしてそんないい子に育ったのか?」と訊かれることが多い。私は息子をほっぽって遊んでばかりいたので、放置していたことしか記憶になかったが、食育ということだったら、少しは自信がある。息子は保育園の頃から料理に興味を持っていたので、子供用の包丁を与えて、やりたいと言えば、いつでも作らせた。キッチンは汚れるし、私がひとりでやったほうが早くできる。でも、やりたいという気持ちが大事なので、好きにやらせた。味噌汁の大根を切ったときは、不格好な大根を美味しいと褒めまくった。ケーキもパンも、なんでもやった。そして寿司屋でもフレンチでも、子供連れOKなら一流の店に連れて行った。当時NHKで「ひとりでできるもん!」という子供料理番組があり、一緒に仕事をしたカメラマンの妹さんが、そのディレクターをしていて、うちの息子に出て欲しいと頼まれ、そば打ちに挑戦したこともあった。元主人が当時はそば打ちの職人だった。一カ月かけてそば打ちを練習して、テレビに出て、知り合いや保育園の仲間などに、たいそう褒められ、あれが息子の料理熱に火をつけたのかもしれない。以来、小学生の頃には自分で肉を買ってきて、かつ丼を作るまでになっていた。中高は男子校だったが家庭科の時間があり、調理実習の授業は、あちこちでひっぱりだこ。大学に入ると好きな女の子にケーキを作って頑張っていた(笑)うちではインスタントは食べないが、コンビニもファストフードも彼はめったにいかない。遅く帰宅してもチャッチャとかき揚げをあげて、そばをゆでて食べたりしている。家にあるもので工夫して料理が作れる。中高6年間、毎日弁当を持たせたこともよかったと思う。学食はほとんど利用しなかった。夕飯を独りで食べる日が多かった彼だが、お弁当を食べるときは、母親の愛情を感じてくれたのかもしれない。食べることって大事だとあらためて感じた。
2011年02月21日
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フェイスブックで親しくさせていただいているお友達3人をお呼びして、ホームパーティをします。昨日、今日はその準備でずっとバタバタしていました。私のマンションは駅近だけが取り柄の、貧乏長屋です。家電製品はすべて10年以上前に買ったもので、息子が生まれたときに買ったガスストーブは、燃費が悪くガス代が先月の倍に跳ね上がってますし、同じく購入したコタツには、息子が叱られたときに、もぐりこんで書いた「おかあさんのバカ」という落書きが、未だに残っております。毎日のようにパンやケーキを焼き、冷凍ご飯をチンしているオーブンレンジも、10年以上前から頑張ってくれています。私は数年前に2年間ほどイタリア料理店をやっていました。料理をやらないとどんどん手が遅くなります。段取りも悪くなるので、たまにこうして、一日中キッチンに立っていると、当時のカンが取り戻せそうで、ほんとに楽しいです。たまたま友人が荷物を取りにきてくれたので、作りたてのミートソースとベシャメルソースを使って、ペンネのグラタンを焼いて持たせてあげたら、すごく美味しかったとメール+電話をしてきてくれて、とてもうれしかったです。バレンタインデー用の義理チョコ作りもあったので、新しくいろいろ作ってみました。明日は遠くからわざわざ来て下さるのがうれしいです。立派なお家ではないけれど、のんびり料理をおしゃべりを味わってもらえるのが、ありがたいです。
2011年02月12日
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論理思考トレーニングの本を読んでいたら、経験にのみ基づいて判断する人々ということでこんな例が出ていた。問い暑くて乾燥したところには綿がよく育つイギリスは暑くて湿気が多いイギリスでは綿が育つか、育たないか?答えイギリスに行ったことがないから、わからない問いカイコのマユは暑いところだけにあるシロクマは寒くて雪の降るところだけにいるシロクマもカイコもいるようなところがあるか?答え大きな町なら、何でもいる著者は識字率の低いへき地では異口同音のように、こんな答えが返ってくるという。最初はこれを見て笑ってしまったが、以外にこんな会話が身近で交わされていることに気付いた。自分が論理思考を身につけることも必要だが、こういった論理の通じない人たちと、どうやってコミュニケーションをとるのか、という技術の方がもっと必要かも。
2011年02月09日
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昨日は有楽町のドコモスマートフォンラウンジで開催された、ソーシャル読書セミナーに参加して、本のパワーブロガーである橋本大也さんのお話を伺った。約1時間だが、ご紹介くださった本は、ビジネス書あり、科学書あり、小説あり、と、多岐にわたっており、さらにその説明もわかりやすく、ネタばれせず、とても楽しい1時間。読んでみたい本のリストが、できてしまった。毎月無料で開かれているので、来月も参加したい。もちろん、橋本さんの書評ブログも参考になる。ほかにも私は毎月、ここさんが主催されている読書会に参加しているので、そこでも参加された方から紹介された本を、自分でも読むことがある。若い方が多く、視点の違いが、おもしろい。さらに今夜は大学の先生とお食事をする機会をいただき、いろんな本を教えていただいた。さすが専門に研究されている先生は、的確に良書をすすめてくださるので、すごいと思う。この先生には前回お会いしたときに、教えていただいた古典があるので、「先生、読んでみましたが、余計わからなくなりました~~」というと、先生はご自分のカバンからボロボロになった同じ本を出して、「私もわからないから、いつも持ち歩いて何度も読んでいるんです。天才が一生かかって書いた本の内容が、簡単にわかる、と思うのは、傲慢なんですよ」と言われた。「でも、何度も読んでわからない本を読み続けるのは大変じゃないですか」と食い下がると、「わからないことにずっとかかわっていられることが、能力なんですよ」と。そんなんで、また今夜も楽しいお話とともに、すごい課題図書をご紹介いただいた。前回教えていただき図書館で順番待ちしていた本があったのだが、「買ってすぐに読むべし」とお叱りを受けてしまい…お陰さまで、素晴らしい読書環境です。
2011年01月27日
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昨日はくじで当たった無料バス旅行に、一人で参加させてもらった。最初の立ち寄り場所は、土産物屋。ここでは限定商品が普通の店の倍くらいの値段で売っている。小さな店なのに30分以上の時間がとられており、買う気持ちがないので、間が持たない。ここを過ぎるとホテルへ。大きなホテルでお掃除が行き届いているが、いかんせん老朽化していて、うらぶれている。歩きづらいヘタッたスリッパで、大浴場へ向かうと、さすがにお風呂は立派で、雪やつららを見ながら露天風呂はうれしい!これだけでも、バスツアーに参加してよかったなぁと思う。感謝、感謝!風呂からあがると、まだ11時だがお座敷に食事が用意されており、ランチタイムになる。ここで驚いたのは、きちんと正座して食事をしている人が、ほとんどいないことだった。私も長時間の正座はできないが、食事をするときくらいは、きれいに座っていたいと思う。ま、気持ちはあっても、膝を痛めた方などは、無理なのだろうが…食事のあとはムートン製造販売所へ連れていかれる。ここがこのツアー最大の難所である。田舎の田畑のまんなかに、ムートンや毛皮製品の展示場があって、そこで1時間半あまりも販売アタックを受けるのである。なぜかバスは時間まで迎えに来ないので、逃げることはできない。まずは小さな部屋で30分くらいの説明をきかされる。そのあとで、展示会場へ行くのだが、そこにはおばちゃんらが、獲物を待ちかまえているわけですよ。つり下がった30万40万円のコートを着せられ、ストールやショールを首に巻かれ、やっとのことで奥へ逃れると、ベッドや蒲団が並んでおり、ムートンシーツの上に寝かされて、おばちゃんのアタックを耳元でガンガンやられる。金額は月々8000円の35回払いとかなっていて、いったいいくらなんだか、よくわからない。シーツはちょっとお高いので、今回は枕カバーだけでもどうですか?と笑顔で勧められるがそれだって2~3万円はする。直販とうたっているが、ほんとにこのメーカーの人なのか?それらしき雰囲気を出しているが、よく考えてみると変だ。同じバスの人たちはクッションなどをちょっとまけてもらって買った程度。たぶんだれか1人でもシーツを買えば、ボロ儲けなのかもしれない。ネットで調べたら同じメーカーのものが12600円。同じ製品ではないかもしれないれど…こういうお土産物屋に立ち寄るパターンは、東南アジアの激安ツアーと同じか。佐野厄除け大師でお参りして帰途につく。ツアーの間に本を1冊読むことができた。充実の1日でした!
2011年01月20日
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昔、「るるぶ」の仕事で一番仲良しだったカメラマン氏から、4~5年ぶりに電話があって、「今日写真展のオープニングパーティに呼ばれているんだけれど、一緒に来ない?」と誘われた。写真は大好きなので、行くことにした。場所は信濃町の住宅街にあるおしゃれな建物。レストランとギャラリーがあるのかな?写真はカメラマンではなく映像制作会社を経営する酒井靖之さんが、お仕事で行った先でシャッターを押したものだった。つい、カメラマン氏と「ここはもっとコントラストを効かせたほうが…ここにピントを絞ったほうが…」などなど生意気なことを言ってしまったが、酒井さんの写真はそんな評価を超えたところに存在しているようだった。ああ、そうだったんだ、写真というのは、その人の内面にあるまだ本人すら気づいていない何かが、被写体と出会ったときに感応して形となって切り取られるものなんだ、と、気づいた。酒井さんご自身かなりのイケメンで眼光鋭い方でしたが、内面は温かくて深く、ちょっと寂しいところもあるのだな、などと推察した。よかったです。さらに、お料理がすごく美味しかった。生ハムやチーズのミニパニーニや鴨肉のオードブル、ペンネ、生春巻き、3種類のケーキ、どれもこういった会場ではお目にかかれない、ありえない美味しさ!もう、なんて、ラッキーなのww~カメラマン氏、酒井さん、ありがとうございました!
2011年01月18日
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私は、母子家庭で息子が中学から大学まで私立に行けたのは、ラッキーだな、と思っていたが、息子から「母子家庭になったこと自体がアンラッキーなんだ」と言われ、なるほど、それもそうかも…と気づいた。彼の友人の親御さんは一流企業の重役さんばかりで、引け目を感じているそうだ。そう言われてしまうと、私は稼ぎが悪いことと、稼ぎのよい男をつかまえることができなかったことで、二重に自分が能なしのような気がしてしまった。ヴェルディのレクイエム運命の力に負けずに、人生の最期のときまで闘うべし!
2011年01月17日
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土日の仕事仲間と夜から新年会。6人で焼き鳥屋へいった。そこでこの前テレビでやっていた、友達同士でいいところを褒めあう、というのをやってみた。ひとり1個ずつ言っていくと5か所である。これはいい気分になるし、盛り上がるね。おススメです。私は「いろんな友達が多い」「勉強家」などと褒めてもらいました。うれしいですぅ。私も佑ちゃんと一緒で「仲間を持っている」いい友達に支えられているんだなぁと実感しました。感謝、感激です。
2011年01月15日
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昨夜は易経勉強会でした。なんと、大学の卒論が「易経」だったという、強力な新メンバー登場!彼は亞っこさんの本を読んで、自分が勉強したのとは、また違っていて面白い、が参加するきっかけだそうです。みんなに素敵なオリジナルブックカバーもプレゼントしてくれました。ありがとうございました。今回は冬至占の結果をそれぞれ発表。「この卦の結果はいつ頃まで続くのか?」「山本さん、もう易経対談やめるのかと思ったら、さらに熱くなってるのはなぜだ?」「幸せを引き寄せるには、どんなことしたらいいのか?」などなど、楽しく充実した時間でした。どんどん盛り上がってきて、うれしいです。皆さま、ありがとうございます。続けてきてよかったな。
2011年01月13日
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デザインは社会とどうつながるべきなんでしょう?デザインとは目に見えない意識を、デザインの言語で翻訳することによって、認知できる具体化するメカニズムを有するもの。たとえば駅のサインは、デザインが介在することによって人の導線がスムーズになって、社会生活に秩序が生まれる。直感的なことを意図的に促すのが、デザイナーの仕事だと思う。美しい秩序が生まれることによって、社会の役にたてるといいなと思う。今年の特徴は?日本のプロダクトにおいて、3Dにかかわる表現が目立ってきているが、観察していると、言葉と実態のギャップが広がっていると思う。錯覚の世界、バーチャルリアリティとリアルの境目がないような世界に生きているのは、すごい危険なことだと思う。バーチャルはあくまでバーチャルだから。ここ数年B級グルメという新しいカテゴリーが、大矛盾の造語ですが、B級を肯定する感覚がデザインの世界にも顕著に現れている。プロフェッショナルのスキルが求められているというよりは、アマチュアニズムというか、ゆるキャラなどの、造形の完成度ではない素人が支持される。昔は恥ずかしい、かっこ悪いという抵抗感のあったものが、タガが外れて抵抗がない。どんどんものは生みだされて増殖し玉石混交、制作の現場でもジャッジする側の審美眼が問われる時代になってきた。インターネットの時代はデザインに影響しているのか?ネットワークの社会だと自制心とか、その現象に対する冷静な分析や読み解きが必要で、世界に飲み込まれてしまうと、おそらく思考ができない。リアクション型の思考回路、動くものに反応する動物のような反応は、考えるということではない。そこからは新しいクリエイティブなものは生まれないように思えて仕方がない。すでにみんなが知っているということは、新鮮でもなんでもない。独自性が薄れていく。あらたに求められる能力とは、情報の処理能力、情報に洗脳されない、過剰に影響されないという独自のアイデンティティの確立が求められている。そのためには善悪の尺度が重要になり、精神の鍛錬が求められるようになる。情報に流され埋没することは容易なこと。情報が行き交う世界のなかで、何かを窮める、高めるにはより強い精神力が必要である。新しい尺度が必要である。時代が求めるモノサシ、それは量的判断ではない。たくさん売れているからいいとか強いというだけではない尺度が必要なのだ。これからデザインしたいものは?日本のイメージ。海外に流れている日本に対する情報などは、実態じゃないイメージだと思う。日本中がコスプレで歩いているような。でも日本でもきちんと昔ながらの暮らしをしている人もいる。そんな、日本人の精神性や美しさを、誤解がないように発信していけるお手伝いをしていきたい。
2011年01月08日
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デザインしていて大変なことは?大きなプロジェクトの後には、そのときには集中力が何年も続くのだが、区切りがつくと入院したりとか。完全燃焼しないことの方が後悔が残るので。与えられた最後の一分一秒まで考え抜きたい。そうすることによってエネルギーが込められるから。デザインをよりよくするためにやっていることは?外部の情報をシャットアウトして瞑想的な時間をよくもつ。ときに情報を取り入れる期間とシャットアウトする時間を両方使い分ける。既成事実として世の中に表出しているものを知らなくてはいけないし、類似的なものを作ってはいけないので。そのために情報を取り入れることは必要。でも新たな物をゼロから生みだすということは、まだ見ない表現なわけなので、情報をシャットアウトすることが必要である。デザインは時代を映すのか?デザイナーは時代精神のなかで求められている意識を具体化する、具現化する仕事だと思っているので、当然時代の空気であるとか時代のバイブレーションというのかな、そのようには敏感に反応しているとは思う。しかし今感じているものはすでに過去のものだから、未来ということをいつも予測する。今の時代が過去と比較して素晴らしいわけではない。現状認識に対して問題を感じているとしたら、進化したりよくなっていると錯覚している。たとえば生活雑器でも、昔は生活のなかで丹念に作られた漆などが生活に取り込まれていた。そんな贅沢が日常的に可能だったが、今は職人の確保でさえ難しくなってきている。昔は当たり前のように可能だったことが不可能になっている。尊敬する方は?よく読んでいる本は数学者の岡潔さんのもの。吉田松陰のように、私心がなくて天命を全うした人の生き方は美しいと思う。何になりたいではなくて、天命として与えられた仕事を、生涯通じて美学を体現した実践者がいると思うと、自分の中に抱えている問題なんかほんとにとるに足りないなと思う。勇気を与えていただける、感受性や美意識に対して尊敬の気持ちしか湧かない。
2011年01月07日
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「グッドモーニング東京」という朝のラジオ番組の、別所哲也さんのインタビューコーナーが面白い。ここ何年かずっと聴いていたのだが、最近はポッドキャストでまとめて聴くことができて便利になった。昨年最後のゲストはデザイナーの平野敬子さんだった。聴いているうちに鳥肌が立つほど感動して、聞き流してしまうのはもったいないので、昨晩、テープ起こしをしてみた。せっかくなので、数回にわけてここにアップしてシェアしてみたい。テープ起こしの文責は中田です。-------------------------------平野さんの朝の過ごし方は?3時50分に起きる。まずやることは、自宅前を両隣の家まで掃除をして公道を清めること。オフィスではメールへの対応とか、毎日こなさなければならないことが山積みなので、オフィスに出る前の朝4時から7時の間に本を読んだり、考えをまとめる。デザイナーになりたいと思っていたわけではないが、父親が建築家で、子供の頃に二次元の図面が立体になるという仕事をみてきたし、ものづくりのライブ感を味わえたことが影響しているのかもしれない。デザイナーとは、職人と違って技術が経験によってうまくなるものではない。年月を重ねることで向上するものは?認識力、俯瞰で物事を見る訓練を重ねることである。デザインの仕事は作品ではないので、さまざまな物理的な条件の集積、状況を束ねていってひとつの成果、結果を生みださねばならない。そのために、判断力とか本質を見抜きながら結果を出すための認識力が求められる。製作の過程において、クライアントや現場などいろんな人とかかわるなかで、ゆらぎながら形にしていくのですか?相手によってゆらいではいけない。自分が明確なビジョンを持ちながら、結果に対する方法論や意思がずれていかないようにしないと、結果に対して責任が持てない。どういう思いでデザインをしているのか?存在には必然性がある。意味のないものは存在できない。なので、不用意に新しいものを生み出すことはとても抵抗がある。人でも物でも単独で存在することはまずない。すべては関係性に基づいて存在し、生活や生きることも社会の構成員の一人であると自覚し、その前提のもとに生きる方が健全である。携帯電話の「所作」というシリーズデザインはどういう思いで作ったのか?5年前位に作ったものだ。当時私は日常的に携帯電話を媒介として不快に感じることが多かった。お店の中でマナーもなく電話をかける人の声とか、会議中にかかってくる電話とか、自分はそういうことで、他人に迷惑をかけないように極力気をつけていたが。依頼があったときに、一週間くらい悩んだ。時代を象徴する非常に興味深い対象だったので、デザイナーとして取り組みたい気持ちと、責任の重さに対するプレッシャーとか。最終的には発信する側ではないと語れないこと、自分ならこういう回答を出すという理想を考えてみたいと思いokした。今の時代には携帯電話はなくてはならない道具なので、その前提があるのならば、その道具が介在することによって、環境の美観が整ったり、周りの人の気持ちいい体験が共有できないかな、ということを「所作」のプロダクトのデザインに込めて行った。使っている人にとって気持ちいい体験になると同時に、気持ちいい着信音が流れてきたときに、周りの人も気持ちいいとか。人を思いやる心を反映させたいと思った。このプロジェクトで、私の立場で考えなくてはならないのは、キャリアのことだった。プロダクトの開発を通して、その企業の技術や意識の素晴らしさを、お伝えすることもデザイナーの仕事で、よくイメージが高まるとか、そういう言葉を使うが、イメージではなくて、素晴らしい企業体であるという実態は、物の精度で伝わると思う。ものの完成度、技術性の高さ、それがほんとに素晴らしい企業だったので、直接的高圧的にマナーを正しましょうというよりは、「所作」という言葉を使って間接的に、美しい立ち居振る舞いを促す道具、内発的に変わっていく携帯の扱い方や、持った人の潜在意識に訴えるような、ナビゲーションがしたいと思った。
2011年01月06日
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