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今日は易経勉強会はプラス君も参加して4人だった。まず、「人生に生かす易経」の第二章八卦六十四卦の見方・考え方を読み合わせる。難しい漢字があって、読むだけでも大変である。そして、政さまから上卦・下卦の説明があり、「上卦は、ないか(内卦)・下卦は、げか(外卦)とも言う」と言う話に、一同「なるほど~」しかし、後から「ないか、げかは医者の世界で、易経はないか(内卦)、がいか(外卦)であった」と訂正が入り、一同「ほ~っつ」簡単な漢字であっても侮れないことを実感(笑)政さま、ごめんなさいね、バラしちゃった!さらに、龍の話は乾為天の話であり、他の卦では尺取り虫やきつねが出てくる、といった説明も加わる。たとえ初爻は同じ陽でもそれぞれ意味が違うという。「そうか、初爻が陽なら皆、潜龍のようなものだと思っていたよ」私を含めて、みんな亞っこさんの本しか読んでいないので、龍の印象が大きい。そんな流れでおおざっぱな理解をして、コイン占いをやってみた。政さまからやり方と注意事項の説明があり、「北島康介が金メダルをとれるか」ということを、占った。結果は以下のとおり。水山蹇 変爻は五卦山天大畜 変爻は六卦地澤臨 変爻は初卦坤爲地 変爻は四卦これを次回までに調べてきて、発表しようということになった。残念ながら政さまが次回は都合がつかないということなので、「それじゃ、最後に政さまがご自分で出した坤爲地について、読んで説明していただきましょう」と振ってしまったら、「この原文はまだ一度も読んだことがなく…」「みんな読んだことがないから大丈夫です。読みましょう!」「で、意味は?」「うーん、あれじゃないですかね、慎重にいけという…」「いやぁ、いいかげんなことは言えないけれど。むにゃむにゃ」「今日は遠くから参加してよかった。楽しい!」byプラスくんというふうに、終始和やかムードであっと言う間の2時間でした。なので、9月にはもれなくイケメン政さまの、坤爲地解説が聞けます♪政さま、ありがとうございます!!
2008年07月02日
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毎月第一水曜日は易経勉強会です。千代田区役所にある図書館内の研修室で夜7時から9時まで、やっています。会社帰りにふらりと易経が勉強したくなったら、気軽にお立ち寄りください。明日はまさ様を中心に、コイン占いをやる予定です。どんな卦が出るのか楽しみ♪♪
2008年07月01日
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先日そば打ちの話をしていたときに、そばを切るときに使う板(こま板か?)のことを、「便所の蓋のような」板と言ったら、「今それが通じるのは50以上じゃないの?」と言われてしまった。そう、私が子供の頃はポットントイレに、薄い木の蓋があった。あれは手作りだったのかな?まさかtotoで作っていたわけでもあるまいな。あれから水洗トイレが小学校に出現して、みんなを集めて「水洗トイレの使い方」授業があった。トイレットペーパーは30センチに切って、きちんと折りたたんで使う、といった授業だったと記憶している。先生がしゃがんで、女の子は大事なところを汚物で汚さないように、前から後ろへ拭くようにと指導された。「そうだったのか、難しすぎる~」と、純朴な千葉の小学生だった私はたまげた!なんか水がもったいないな、などと思った。それから活躍したのが、詰まったときにパッコンとやるヤツである。あれは名前があるんだろうが「パッコンとやるヤツ持ってきて~」と正式名を呼ばれたことがなかった。それからしばらくすると団地に様式トイレが出現した。椅子に座ったまま用をたすなんてできない、と、団地に遊びに行ったときにもよおしたときは、家まで内又で帰ってきていた。それからうん十年、うんこの後は、お湯がぴゅーっと出て洗ってくれるし、席を立つと自動で流してくれるし、まさに極楽とはこのことだ。会社のウォッシュレットが大好きである。会社選びでいちばん大事なポイントは、ウォッシュレットである。でもこの前、シャワーのあたる位置が気にいらなかったので、何気なく腰を浮かせて座りなおしたら、とんでもないことに…トイレの進歩にちょっとついていけてない自分を実感(とほほ)
2008年06月30日
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宅配便はいつも夜間指定である。ところがたまたま夜遅かったりして、何度も雨のなか宅配便の方に足を運んでもらうことがある。そんなときのために、いつも冷蔵庫にコーヒーやお茶のミニ缶を冷やしてある。100円ショップで2本100円で売っている。最近はちょっとのどが渇いたな、と自動販売機をみると、150円になっていたりするから、外周りの人は大変だろうとお察しする。この前も夜9時頃に荷物を届けてくださったので、「これ、少しですが飲んでくださいね」と渡すと、満面の笑顔で何度も頭を下げられて、かえってこちらが恐縮してしまった。宅配便の方はいつも同じではないけれど、飲み物を渡すと例外なく、「ありがとうございます。疲れが吹き飛びました!」などと、とても喜んでくださる。プレゼントは渡す方の気持ちと、受け取る側の意外性、そこがポイントなんだな、と実感した。
2008年06月28日
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犯罪心理学の広瀬弘忠氏によると、地震や火事に直面したとき、多くの人間はパニックにならないのだそうだ。実はそれが問題で、'03韓国でおきた地下鉄火災のときは、列車に乗っていた人は、逃げなかったのだという。ある人は「しばらくお待ちください」というアナウンスを信じ、ある人は他の人が逃げないのを見て同調し、危険を過少評価して、煙が車内に立ち込めてもまだ座ったままだったそうだ。実は人間の心は予期せぬ異常や危険に対して、ある程度鈍感にできている。心は「遊び」を持つことで、エネルギーのロスと過度な緊張に陥ってしまう危険を防ぎ、ある程度の異常を正常の範囲内として処理しているのだそうだ。その心のメカニズムを「正常性バイアス」という。災害時に亡くなるのは、あわてて行動した人間でなく、何もしなかった人間が圧倒的に多いのだ。広瀬氏は「この世の中にはいろんな考えの人間がいて、人を殺すことをなんとも思わない人間もいるのだ、ということを考えてみる。日常生活の延長では考えられないことでも、もしかしたら…と、想像力を働かせて多様なシナリオを描くことが大切」と言う。そのためには人間を知ること。特に男性は身近な人間が何を考えているのか?想像することが苦手である。それでは生き延びていけないと広瀬氏は警鐘を鳴らしている。私は最近アイポッドを電車内で聴くのをやめた。イヤホンをしていると周囲へのセンサーが鈍る。何か異常事態が発生したときに、対処が遅くなると思うから。歩きながら能天気に音楽を聴ける時代は終わったのだ。
2008年06月27日
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目覚ましテレビで軽部アナが、アメリカの人気ドラマの主演女優たちに「どうやったら僕もモテるようになるのでしょうか?」とインタビュー。彼女たちは「そのままでいいのよ」とリップサービスをしていたが、そのなかの一人が「女性は話をきちんと聴いてくれる男が好きなのよ」と語った。私も、ほんっとにそのとおり!だと思う。夫婦仲が悪くなる最大の原因は、妻の話を聴かないことである。「あ~疲れた」と仕事から帰ると、旦那が「疲れるような稼ぎもないくせに」と、とか「こんな意地悪な人、あるいは使えない人がいて、やんなっちゃう」とボヤいたら、「それはあんたの人間性が未熟だからだよ」と言ったとか。「そうなんだ。大変だね」となぜ受け止められないのかな。冷たい態度に愛も覚める。昨日はある宗教活動を熱心にされている方に会った。「あなたがたは、幸せになりましょう!祈って願いを叶えましょう」と言うけれど、私は宗教は「こんなに祈ったからこのくらいのお願いが叶えられる」とか「仕事が成功して年収1000万円を超えて幸せになった」とか、そんなバーター的な概念を捨てることだと思うし、むしろ病気になっても、大事なものを失っても幸せであり続ける自分であるために、信仰があるのだと思っている、などと話した。一緒に幸せになりましょう!と勧誘されて、座談会に参加してみたら、新聞の勧誘をしろだの選挙で票を集めろだの、いきなりセールスマンにされちゃう、それって、おかしくないですか?といった話をした。彼女の素晴らしいところは、そういう自分とまったく違う価値観を、表面的にではなく、誠実に受け止めてきちんと聴くところである。「この人は何もわかってないから、こんなことを言ってるんだわ」というような、先入観はないのである。彼女には強い信仰心があり、人生をそこにかけているのだから、いろいろ反論したい気持ちもあるだろうし、実際私を言いくるめることも、できるのかもしれない。彼女は、確かに自分たちにも悪いところがある。変えていかなくてはならないところもある。そういうふうに聴いていたので、その姿勢に彼女の知性と人徳を感じた。自分と価値観の違う相手の話を聴くということは難しい。でもそれができてこそ、信頼と友情、愛情が生まれるのだと思う。私の尊敬する女性の一人である。
2008年06月25日
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カフェで人と待ち合わせしたが、時間を間違えて1時間早く行ってしまった。しかも、こういうときに限って本を持ってなかったりする。手帳に挟んだわくわく様のブログの言葉を何度も読んだり、友人にメールしたりしたが、間が持たない。そこで、理想の彼氏を携帯のメモ帳に書いてみたら、とんでもない、すごい人になってしまった。私の彼は…志が高い浮気はしない自分から向上しようとする自分に厳しく他人に寛容価値観の違う相手を丸ごと受け止めることができる芸術を味わえる心のゆとりがある損得を抜きにした友人関係を持っている自分を守るためのウソや言い訳をしないどんな危機に直面しても、ユーモアを失わない思慮深く、知性があるパワーで他人を動かそうとはしないいろんな視点から物事をとらえることができ、言葉で説明する労を惜しまない謙虚であるこういう人と出会うためには、自分もそれにつり合う人間性を備えねば…まだまだだな~
2008年06月24日
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一週間前に実家へお小遣いをもらいに行った息子が、「木箱に入ったメロンがあったよ」と言うので、一週間ずっと、そのメロンのことが気がかりだった。もしかして、もう食べられているかもしれないが、奇跡的に残っているかもしれないので、昨日思い切って電話してみた。すると、まだ無事だというのである。「夕食ごちそうするからメロン持って来ない?」と母を誘うと、「今日は大雨だからまたの機会にするよ」なぞとのんきなことを言う。「雨なんかバスに乗ってしまえば気にならないよ。メロン持ってきなよ、メロン」と連呼すると、「どーする、おとうさん。ニコルがどうしてもメロンが食べたいんだって」と父と相談して、くることになった。夕食を食べると皆満腹で、私が作ったデザート用のロールケーキも、もうおなかに入らないので、持って帰るという。仕方ないので袋にいれる。息子がまたしてもお小遣いをもらう。私が材料費を出して労力を使って息子がお小遣いをもらうのである。「あ~、なんか納得できない。でも今日はメロンがあるからいいか」でも、ロールケーキ、せっかく作ったんだから食べたかったな。「両端を切り落として、とっておけばよかった」というと、息子がたまりかねて「あんた、セコイよ」と。メロンを冷蔵庫に冷していると、隣の人からメールが入った。お隣さんは銀座のデパ地下の某有名料理屋さんで働いていて、ときどき高級総菜やお弁当を持ってきてくれる。「お弁当2つ持って帰るけどいりますか?」である。もちろん!でもこのタイミングでお弁当をいただくと、メロンもおすそわけするべきかな?せっかくあげてもまずいと困るので、ちょっと切ってみて、息子と味見をする。「すごい、美味しいね。どうしようか?やっぱりあげるのやめる?」「…」「あげるとしたら半分かな?やっぱり四分の一じゃカッコつかないよね」「…」「仕方ない、清水の舞台から降りる覚悟で半分あげよう!雨のなか持ってきてくれるんだもんね」「あんたにとっちゃ、メロン半分が清水の舞台なんだっ!!」メロンを持って、キッチンと玄関の間をウロウロしていると、「パブロフの犬みたいでみっともないからやめてくれ~」むふふ、冷蔵庫の中には1個4000円もしたという、九州土産のアップルマンゴーという隠し玉があるので、それでもまだ、理性は残っていたのであった。だって、マスクメロンなんて、私が子供の頃は、病気しても食べられなかった。親戚のおばさんが出産したときにありつけたくらいである。喫茶店のプリンアラモードに乗ってた切れっぱしを、いつまでもチューチュー吸っていた記憶もある。メロンをあげるとお隣さんも「えびでタイを釣った気分だわ」と上機嫌で、やっぱり、思い切って差し上げてよかった。サラリーマンのランチが500円というニュースを見て出社し、ランチは2500円のお弁当だもんね。しあわせ♪♪
2008年06月23日
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会社帰り、とある古本屋に立ち寄って本を見ていると、話し声が聞こえてきた。それは店番をしていた、80歳くらいのおじいさんと、本を買おうとしているおばあさんの会話だった。「この本を書いてる人の名前、私と一緒なのよ」「あ~、そうですか」「私も書をやっているんだけれども、最近はいい字が書けなくなっちゃって」「あ~そうですか」「あら、いくらでしたっけ」「525円です」「10年前までは自分でもよく書けたなと思うこともあったのだけれど、これでも90近くなんですのよ。仕方がないですね。あら、おいくらでしたっけ」「525円です」「いやあね、すぐに忘れちゃって。でもね、なんでも一人でやっているんですよ。ひとりだから、誰もやってくれませんからね。あら、また忘れちゃった。おいくら?」「525円です」「はい、やっと払えたわ。ほんとにね、なにするんでも大変でね」「あ~、そうですか」「それじゃ、どうも、おじゃましました」寂しいおばあさん、きっと誰かと話をしたいのだろう。でも、こんなおばあさんに見込まれて、いつも店にいりびたりになられても困るんだろうな。
2008年06月21日
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最近の大学生は宿題などもネット経由で出され、パソコンを使って勉強することが多い。でも、我が家には私のディスクトップしかない。そこで、今年に入って、息子もノートパソコンを買うために、バイト代をコツコツ貯金しはじめた。予定では年末だったが、食費も切り詰め、ペットボトルの水さえも毎日家で入れていくケチぶりのお陰で(笑)早めにたまってきたらしい。毎日のように、ネットであれこれスペックを比較検討したり、店頭に見に行ったりで、彼の口からパソコンの話題が出る。丸井ができてからだろうか、とりあえず現金がなくても、クレジットカードで買えるようになったので、久しくそういう感覚は忘れていた。中学生のときにお小遣いを溜めて自転車を買ったことや、高校生のときに友達と能登へ旅行に行ったときのことを思い出して、なんだか、懐かしくなった。お金がたまってきて、あれにしようかこれにしようか、迷っている間が、実は一番楽しいのかもしれない。クレジットカードのおかげで、こんな楽しみが奪われてしまったんだなぁ。
2008年06月20日
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若いころヨガブームがあった。なんでも流行るとやってみる。スポーツクラブのなかのヨガクラスに行ったところ、そこは新人さんの集まりであった。いろんなポーズをみんな悪戦苦闘しながらとったあとで、瞑想タイムとなった。「それでは皆さん、目を閉じて、お尻の穴を締めましょう」と先生が言うと、体格のよい女性が「先生お尻の穴はどうやって締めたらいいのでしょうか?」と質問。先生はちょっと困った様子で「え~、膣を締めるとお尻の穴も一緒に締まりますよ」と言う。「は~、その感覚がどうもよくわからないのですが…」その女性はマジメである。「じゃあ、自分のお尻の穴を触ってみてください。そこを引き上げて見ましょう」その後、彼女に彼氏はできたのだろうか?人事ながら心配だった。また、あるときは、「それでは指先から息を吸う感じで呼吸してみましょう」と先生が言うと、「すいません、私は指先から息が吸えません」と中年の女性が告白。そりゃ、あんた誰だって指先から呼吸なんてできまへんで~。と笑いうをこらえて、心の中で思う。先生も「できなくても、いいんですよ。イメージでやってみてくださいね」それでも、彼女は一生懸命指先から息を吸おうとして、思いっきり指先に集中して頑張っていた。また、あるときは、「右の鼻から息を吸って、左の鼻から出して」というのもあった。指で鼻の穴を片方ずつ押さえるのだが、スーピー、スーピーやたら鼻息の荒い人がいた。鼻が詰まっていたら、無理してやることもないのに、まじめである。こんなふうに、ヨガを習っているとほのぼのとしたシーンがけっこうある。ある地方都市でヨガの教室を開いている男性は、瞑想中に生徒を脅して健康食品をせっせと売っていた。「ヨガをやってこれを飲んでいれば安心ですよ~」って、あんたが一番キケンなんだよ。
2008年06月19日
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先日お会いした著者の方はカウンセリングもされている。そこで、こんなことを話された。「カウンセラーがその人のためを思って親身に話を聴き、アドバイスもして、精神状態も良くなってきているのに、陰でものすごい悪口を、触れまわられていた。あるいは、困っている友人にお金を貸して、よくしてあげたのに、ひどいめにあった、ということはありませんか?」私はお金がないので、お金を貸すことはできないけれど、その人のために労力を使うことは何度かあった。その結果、冷たい態度をされて、訳がわからず、もしかして自分に悪いところがあったのではないか、とあやまったり、さらに、何か自分にできることはないか、とあれこれやってみたりした。いつか善意が通じるのではないか、などと思って。「その人はよくしてもらったことで、引け目を感じるのです。無力感に襲われて、バランスがとれないから、相手を貶めずにいられなくなってくるのです。そういう心の作用をよくわかって、相手に接することが重要です」彼の話で、長年の疑問が氷解した。相手にとっては私の善意がむしろ負担になっていたんだな、かえって苦しめていたんだな、と。自分は相手にとってよかれと思うことを精一杯やっていたつもりで、相手も表面的にはうれしそうにしていたけれど、心の中はどんなんだったのだろう?そんなことの配慮も私にはなかった。私の心のなかには傲慢な優越感もあったかもしれない。その人を判断するときに、どんな人と友達で、どういう付き合い方をしているか、それで人間性がわかる、と語る人がいる。たしかにそうだ。「牌の音ストーリィ」に桜井章一氏が、病気の友人のために、毎週欠かさず日曜日の野球の練習につきあっている、というエピソードが紹介されていた。どんなことがあっても、何年も一日も欠かさず…心のなかが不信よりも信頼で、悪意よりも善意に満ちた人、素直な好意が通じる、熱い心を持つ相手とつきあっていきたい。襟を正して自分の交友関係を見直そう。
2008年06月18日
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ユンディ・リがショパンコンクールで15年ぶりの優勝者になったときのことだ。審査員の中村紘子さんが「テクニックは素晴らしいのだが、もうこれ以上聴きたくない、という人もいれば、ちょっと間違ったけれど、もっと聴きたくなる人もいる。そういう人を選ぶ」と、自分なりの審査基準を語っていた。ショパンコンクールでは世界中の才能が集まってしのぎを削っている。審査の基準は審査員によってさまざまだろう。彼女が語った「素晴らしいテクニックの人」は、落ちた理由に納得できるのだろうか?剣道の試合などでも、相手に入っているのに、審査員に認められずに、悔しい思いをすることも多々あるという。杖もアイススケートだって、はっきりした勝ち負けが見えるわけではない。以前柔道で勝っているのにフランス人の審判に負けと判断されたのは誰だったか?こういうことを思うと、勝つときは、ぶっちぎりで勝たねばならない、という先日紹介した桜井章一氏の言葉を思い出す。誰が見ても明らかにダントツで勝つ。そうなれば、どんな作為も思い込みも、下心も入り込む隙がない。
2008年06月17日
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先週の日曜日、午後一番にとても嫌な電話があった。のんびり読書する予定だったが、そんな穏やかな気分になれなかった。なので、いつか暇なときに作ろうと買っておいた布バッグの本を見て、一番難しそうなものにチャレンジすることにした。布を買いに行き、ミシンとアイロンを引っ張り出してきて、本と首っ引きでやり始める。布バッグを作るのは初めての経験だから、ほかのことを考える余裕がない。あれこれ試行錯誤しながら、夜7時になっても終わらず、夕食の支度もしないで、10時までかかって仕上げた。わけがわからないので、とにかく手を抜かずに丁寧にやる。ものすごい集中度である。ま、仕上がりはよく見ると縫い目などはひどいものだが、一応形になってうれしい。次回は半分の時間でできると思う。部屋を片づけて簡単な夕食を食べると12時を回ってしまった。手作りするのは、ほんとにおもしろい。最高のストレス解消。石鹸作りもまたやろうと思っている。
2008年06月15日
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ブログでも何度か紹介しているが、私のとても尊敬する著者の方と(樹さんではない)お会いした。本の感想などをメールしたところ、ご丁寧なお返事をいただき、講演会などがありましたら聴きに伺いたいと申し上げたら、彼がお仲間とされている勉強会に参加して、そのあとお食事でもいかがですか?と誘ってくださった。もちろん、喜んで、のこのこ出かけていく。勉強会ではたくさんの資料を用意してくださっていた。お店に入り、本を3冊サインしていただき、最後の1冊にサインし終わったときに、「私に何かメッセージを書いてください」とお願いした。その方は「う~ん」と苦笑いしてから、数分間真剣に考えて、頭をひねりながら書いて下さった。この待っている間、とても幸せな気分だった。相手のことをこんなに大切に思い、一生懸命誠実に対応して下さる、温かいご厚意に感激した。そして、書いて下さったその言葉が、かっこいい、洒落た言葉でないのが、うれしかった。
2008年06月14日
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若さは人生の一時期を表すものではない。それは心の状態なのだ。ピンクの頬や赤い唇、柔軟なひざのことではない。意志や想像力のレベル、元気な感情の問題なのだ。それは新鮮な人生の春があるかどうかなのだ。若さとは臆病に打ち勝つ勇気を持つことであり、安逸よりも冒険を求める気性である。これは20歳の若者よりも60歳の大人のなかにあることも多い。人は年数で年をとるのではない。理想を捨てることで年をとるのだ。歳月は肌にしわを作るだろうが、情熱を捨てたときには魂にしわができる。心配や恐れ、自分に自信が持てないことは、心を屈伏させ精神を塵に返してしまう。60歳でも16歳でも関係なく、すべての人の心には、不思議なことに惹かれる気持ちがある。次に起こることを知りたがる子供のような尽きることのない情熱があるのだ。あなたや私の心の中心には無線局がある。神や人々が発する美や希望、励まし、勇気と力のメッセージを、そこが受信しているかぎり、私たちは若いままでいられるのだ。この本のなかでは興味深いデータもいろいろある。狭心症のリスクを持つ1万人の男性を調べたところ「奥さんはあなたに愛情をしめしてくれますか?」という問いに「はい」と答えた男性は、狭心症になることが少なかった。あるいは、胃潰瘍にかかる確率を8500人の男性を5年間追跡調査したところ、研究開始時に「妻から愛と支えをあまりうけていない」と答えた男性は、2倍の確率で、「妻は私を愛していない」と答えた人は3倍の確率で、それ以外のグループより潰瘍になっていた。また、600人近い男性の会話を録音し、「私が、私に、私の」という言葉を使った数と、心疾患を起こした確率を調べたところ、自分のことを話す人ほど、心臓発作を起こす確率が高いことがわかった。健康で年を重ねるためには、野菜果物精製しない穀物の摂取、適度な運動が必要である。そして最も大事なのは、自己中にならず、夫婦仲良く、他人に対する愛情を持って生きることである。
2008年06月13日
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秋葉原での無差別殺傷事件は、ほんとにやりきれない思いがする。犯人のすべてを他人のせいにする動機にしても、犯人の親をカメラの前に引きずり出して、謝罪させるというマスコミの神経にしても、「こころ」「おもいやり」といったものとは無縁である。事件当時の映像で、被害者の方を必死で救おうと心臓マッサージをしている人の姿や、被害者の方を悼んで涙する友人の姿に救われる思いがする。現場に居合わせた方のなかで、こんなことを語った人がいた。「なんだか、空気が変だなと思った」私たちが易経や武道を勉強する理由のひとつは、見えないものを感じる力を得るためである。兆しに気づく力を得るためである。空気が変だと察知したらその場を立ち去る、この人嫌だな、と思ったら遠ざかる。気が咎めたら素直に改める。その初期動作を素早くするためである。ますます、必要になってきてるんあだな~と実感した。ね、易経一緒に勉強しましょう♪--------------------ミルトン・エリクソンの本ですが、書棚にコピーがありました。「なんだよ、オレが丸ごとコピーしてやったのに、捨てたのか!」とご本人がもしも読んでいたら、叱られると困るので、訂正します。ちゃんと、保存してあります。
2008年06月12日
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先日紹介した石井裕之さんの「ダメな自分を救う本」、タイトルはベタですが、内容は濃いと思う。この本の最後に「心はどこにあると思いますか?」というものがある。身体の中に心があるのではない。心の中に身体があるのです。心は身体よりもずっと大きい。心は皮膚を超えて、キミの身体を包み込むように広がっている。意外ですか?心は拳くらいの大きさしかないと思い込んでしまっているから、ストレスを感じたり、ちょっとした人間関係のトラブルに圧倒されてしまう。つぶされてしまう。心が拳くらいにちっぽけだったら、どうして自分以外の誰かを愛したり、どこかの国の飢餓の現実に心を痛めることなんてことができるのでしょうか?誰かを愛したり、思いやったりできるのは、キミの心がキミという個人よりもずっと大きいからです。ところがそのことを知らないばかりに、本来は大きな心を小さく使ってしまっている人がほとんどです。そして彼は「心のストレッチをしよう!」と呼びかける。私は杖道をやっているが、これを杖の稽古で応用してみた。杖に限らず、テニスでも卓球でも、何か道具を使ってやるものは、それを自分の体の延長、杖であれば腕の延長として意識し、自在に使えるようになることを目指す。でもこの意識の持続は難しい。杖先に意識を持って行くとか、まあ、これまでいろいろやってみた。それを先日の稽古では、杖の先まで血液が流れ脈を打っている、杖先をもしもつねられたら痛いと感じる、というふうに具体化した。そして相手を自分の心で包み込む。対立するものとしてでなく、ともに練磨する相手として。すると、帰りに相手から「今日の杖は生きていた感じがした」との感想が。最近傘を他人に向けて平気で持っている人、手を振って歩きながら、傘の先も一緒に振っている人が目につく。危ないな、と思う。自分の傘の先までも、心が届かないのだろうか?心のストレッチ、流行らせたいな。
2008年06月09日
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前回書いた漫画「牌の音ストーリィ」の引用の前に、いかさまについてこんな言葉があった。悪い事をする奴はバレないと思ってる奴がほとんどで、バレると多少のヒケ目を感じうろたえる。見破られてヒケ目を感じている者と、自らの心に恥じることのない人間では、すでにその心において勝敗は決している!また、イカサマをやる様な奴は相手をナメているし、相手をナメてる奴は何事においても、やる事がズサンになってくるので、人をナメた時点で敗因を内蔵しているのだ。私は半月前になぜか突然、数年前に読んだ心理療法家、ミルトン・エリクソンのことが気になりだして書棚を探したが、昔は友達から借りて読んだらしく、自宅の書棚には見当たらなかった。けっこう高い本なので買えず、都内数か所の図書館で検索してもなくて、息子に頼んで大学の図書館で借りてきてもらった。これを寝る前に読んでいた。ミルトン・エリクソンの手法であるアファメーション(暗示)を使ったカウンセリングをしている石井裕之氏の本を偶然ブックオフで見つけて、購入♪この「ダメな自分を救う本」の中にこんな言葉があった。たとえば、誰も見ていないことを確認して、キミが道端にゴミをポイと捨てたとしましょう。もちろん、キミの潜在意識は見ています。そして、こう考えます。「なるほど、オレって人が見ていないと悪いことでもしちゃう人間だったんだな。今まで気づかなかったなあ。それじゃあ、こういう卑しい人間にふさわしいものをもたらせばいいんだな。そうだなあ、まずは、同じようにズルい手口で誰かに金を騙しとられるっていうのはどうだろう?うん、いい考えだ。それがふさわしい!」そして、潜在意識は、それを実現させる出来事にキミを促します。かくしてキミは、たまたまかかってきた悪徳業者の電話勧誘に「なんとなく」興味を持ってしまうのです。~中略~ズルいことをしたら、ズルい自分にふさわしいズルいことが起こる。何かを恐れて怯えれば、おびえる自分にふさわしい怖いことが起こる。人に親切にすれば、親切な自分にふさわしい温かいことが起こる。~中略~つまりキミ自身の「行動」がキミ自身の潜在意識へののっぴきならない「暗示」となっている。桜井氏が麻雀に勝つためには陰徳を積めと語っていますが、それはこういうことだったのか、と腑に落ちた次第。私もズルいこと、悪いことは、以後慎むようにいたしまする(激反省!)
2008年06月07日
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ルカさんが桜井章一さんのことを書いていらっしゃるので、私も押入れにしまってあった「牌の音ストーリィ」という漫画を出してきて、何年振りかで読んでいます。息子は将棋とか、ゲームとか、麻雀も最近好きなようですが、私はまったくそういう類のものがだめです。でも「勝負」というものに興味があり、スポーツマンや勝負師の話をよく本で読んだりしています。この漫画のなかに出てくる20年間無敗の男・桜井章一の言葉を紹介しましょう。シビレます!勝てると思って闘ったことなど一度もないよ。勝てると思わないから、細心の注意を払って相手を警戒し、自分の能力を最大限に発揮して闘えるのだ。「勝ちたい」という思いは有利になるとすぐ「勝てる」という思いに変化しやすく、それは勝てるかどうかわからないという不安な状態を早くぬぐい去りたいという気持ちが働いてしまうのだ。誰だっていつまでも勝てるかどうかわからないストレスの中にはいたくない。誰だって「早く楽になりたい」という気持ちを捨てることは難しいのだ。「勝てる」という思いは相手を「なめる」ということになり、自分の力を100%発揮することができずに自ら墓穴を掘る。周りの人々に迷惑をかけないなど、麻雀に限らず、普段の生活においても、私より公を優先させる心を持ち、人間性を磨くことが、おのずと麻雀に生きてくるのだ。ただ勝てばよいと言った気持では、ずるさやテクニックに陥り、本当の雀力は育たない。いいか、勝つときにはぶっちぎりで勝つんだぞ!帳尻を合わせるような麻雀はするな!
2008年06月05日
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千代田区図書館、今朝のめざましテレビで紹介されていました。その図書館内にある研修室で、毎月第一水曜日夜7時から開催予定です。第一回目の参加者は私の友人で、亞っこさんの本やブログの読者であるU氏。それから私の友人でまったく本も易経の存在も知らなかったという女性2名。そして、亞っこさんのブログを見て、突然来て下さったH氏。H氏は去年の1月から亞っこさんの講座を、何度か受けていらっしゃる方で、今日も勉強してこられたそうです。メンバーの中では一番易経を勉強されている、頼もしい存在。まさにサプライズゲストでした!ありがとうございます!!イケメン大歓迎~♪♪山は登山口を見つけけるのが一番難しいと言いますが、易経も、どこから手をつけていいやら…とにかく亞っこさんの「人生に生かす易経」の28ページから、41ページまでを、読み合わせすることからスタート。兆しを察するのは「直観」か、という話になりH氏が「直観」とは違うニュアンスだと思う、というお話をされる。「直観」という言葉の意味合いが、違うのかもしれない、とU氏。あるいは、私が中島敦の「名人伝」の話は、弓の名人とは弓を用いずとも獲物を射ることができる、つまり君子占わずとはこのことではないか、と私が話すと、H氏から「これは見龍の話で、立派な師の教えを乞う」という譬えではないか、という意見が出て、とても面白い。自分の感じたことを率直に言い合える雰囲気がよかった。H氏は65ページの六十四卦の表の見方を説明して下さった。まったく知らない人間に説明するというのは、とても難しいことで、今回説明に窮したところは、次回までにしっかり勉強してきてくださるということになった。女性たちも次回までに本を買って読んでくるという。途中で乾為天の原文もコピーしたりしたのですが、今日はそこまで進むことができませんでした。また江守さんの朗読も聴けるように準備したのですが、それもまだ早いようでした。パソコンも使えるようなので、今後はパソコンなども活用して、楽しく親しみやすい勉強会にしていきたいです。帰宅してからは、中国の歴史について、息子から簡単に説明してもらいました。歴史が得意な彼も参加してくれると、歴史背景の説明に便利な存在なんだけどな~。こんな感じで和気あいあい、スローペースでやってきますので、興味のある方はどうぞ。8月まではMAX8人くらいの部屋をとっていますので、グループで参加されるときは、事前にお知らせください。お願いします。
2008年06月04日
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昨日の東京は霧雨が降る寒い一日だった。私はいろいろと家の用事があるので、朝からバタバタしていたが、息子が「昨夜ラーメンのテレビを見ててラーメンが食べたくなった。昼は昔二人でよく行ったラーメン屋に久しぶりに行きたい」と言うのである。それではラーメン代はそれぞれ自分で出すということにして、電車は定期がお互いにあり、バス代は私が持つということで合意に達した。荷物の不在受け取りを夜間に変更してもらって、昼前に家を出、1時間近くかけてラーメン屋へ。ところが、店の前に行くと、新しい建物になっており、すでに昔の店は、無くなっていた。「あれ~?確かこの辺だったよね」「ネットで確認してきたのに情報が更新されてなかったんだ」ヤツはすでに不機嫌である。帰りのバスの中で彼は、平日授業の前に、高田馬場の有名ラーメン屋に行くからいいや、という。「へ~、馬場のどの辺?」「学校から遠い新宿寄り」「じゃあ、ビックボックスの方?」「違うよ、栄えてない方」「あ~、じゃ駅の向こう側の坂を登っていく方か」「違うって、新宿寄り」「川の方だ」「全然違うね、でももういいよ、めんどくせ~、この話は終わりにしよう」あれれ?バス代を出して、つきあってる私がなぜ怒られんの~?仕方なくまた家の近くまで戻る。時間はすでに1時を回っている。「何か家で作る?」と訊くと、「腹減った。めんどくさい」という。「じゃあ、家の前にある、パンが食べ放題のパスタ屋にするか」と決め、店に入る。入口に傘たてがあり、息子がそこにビニール傘を入れないで、席に持ち込もうとするので、「じゃまだから、そこに入れなよ」と言うと、彼は「とられると嫌なんだ」と。「バーバリーじゃあるまいし、そんな傘、誰もとらないよ」と言いくるめて中に。やっぱ、パスタは自分で作る方が、私は好きな味にできていいんだ、などと後悔しつつ、とりあえず二人分を支払う。しかし…店を出ると息子のビニール傘がなくなっていた!「だから僕は持って入るって言ったんだよ」「たぶん、間違えたんだろうから、この似た傘を持っていけば?」「嫌だね。そうやってみんなが、いいビニール傘を選んで持っていくという、悪の連鎖が嫌いなんだ。僕で終わらせるよ」「でも、傘が余るんじゃないの?」「それは別にいいんだよ。店の人が利用すれば。僕は買うから」そんなふうに言われると、お昼代を出せとは言えなくなり、結局私のおごりである。悪の連鎖の尻は私に来たのかっ!?涼しい顔でコンサートに出かけた息子。おかげで私は、雨の中、図書館に行ったり、水を汲みにスーパーに行ったり、クリーニングを出しに行ったり、買い物に行ったり。さんざんな土曜日だった。母はつらいですわ。
2008年06月01日
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一人で亞っこさんの本を読んでも、ただそれだけで終わってしまう。もっと理解を深め、あるいは興味を広げていくためにはどうしたらいいのだろう?と考えたとき、ほかの人と一緒に勉強できたらいいな、と思いました。こういう勉強会を主催するのは初めてなので、どこから手をつけていいのかわからなくて、まず「易経」の存在も知らない女友達にを誘ってみました。「どっかのセミナーに参加していい男を誘ってくるからさ」というのがお誘い文句です。セミナーなどで名刺交換しても、以外にその場で終わってしまうことが多いので、こういうアカデミックな(笑)勉強会に誘えたらいいな~、というのも、今まで思っていたので、ウソではありませぬ。一番大変なのは会場探しで、ネットで調べたり、会社帰りに歩きまわって、ここを見つけました。今まで読書会というのは20代の頃に参加した「丸山真男を読む」だけ。ぜんぜんついていけなったトラウマがあります。丸山真男に疑問点は質問できませんが、亞っこさんには訊けるのがうれしい!楽しくやりたいです。経過はブログで報告しま~す。
2008年05月31日
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来月からいよいよ、易経の読書会をやります!会社の帰りに場所を探していましたが、とってもいいところを見つけました。千代田区役所の9階にある研修室です。区役所の9階10階が図書館になっており、夜10時まで利用できます。10階にはカフェがあって、夜8時ラストオーダーで450円で定食が食べられます。なので、読書会は7時から9時頃まで。それ以前に来られる方は、カフェで夕食を食べたり、図書館で本を読むこともできますよ。すごくきれいで充実しています。景色もいいです。亞っこさんの本、オーディオブックなどは、一応こちらで用意しています。易経に関して必要な資料など、図書館ですぐに探すこともできて、便利で~す。参加費は部屋代くらいなので、夕食を食べても1回1000円でいけると思います。誰か講師に教えてもらうというスタイルではなく、自分たちで知的好奇心を刺激しあいながら、理解を深めていくことが理想です。一つの例として…「人はいかに学ぶか」稲垣佳世子著のなかで、認知科学専攻の大学院生や助手を二人一組にして「どうしてミシンで布が縫えるのか」というテーマで話あった実験がある。さまざまな意見が出て、話し合いは多いのほか長びき、中には4時間も延々と話し合いが続いたという。なぜか?それは一方の人が大体これで分かったと思い、いさんで相手に説明すると、相手から「そういうけど、でもここのところはどうなってるの?」とか「実際の縫い目はこんなふうになってないから、その説明はおかしいんじゃない?」などの質問や批判がでてくることが多かったためである。自分では既有知識を駆使し、制約条件のすべてを充足する、一応もっともらしい完全な説明を生み出すことができた、その意味でよくわかった、と思っても、既有知識を異にする別の人にとっては必ずしもそうではない。それが相手への質問や批判となって出てくることになり、これに答えようとすると、今までの説明(理解)では不十分で、さらにもっとわからなければならない部分があることにお互いに気づく。そこでさらにまた考え続けることになる…こうして「わかっている状態」から「わからない状態」へ、さらに再び「わかっている状態」へという具合に、二つの状態を繰り返しながら、次第により深く理解が進んでいくのである。話し合いの言語記録を分析していくと、相手からのこうした疑問や批判などを契機として、次第により深い理解のレベルに進んでいくことが見出された。いろんな視点の人が来てくれるとうれしいですね。興味のある方、メールをお待ちしています。
2008年05月28日
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週末はオペラ「こうもり」を観た。ウイーン第二の歌劇場である、フォルクスオーパーの来日公演。東京文化会館大ホールは、満員御礼の札がかかる、ほぼ満席であった。私は4階の席でお値段は2万3千円也。チケットを購入したのが、まだ前の会社を辞める前だったので、ちょっと無理して買ったのだが、今ならあきらめていた。2万3千円あれば、10日間は食べていけるから(笑)6時半開演で途中20分の休憩が2回入って終わったのが10時半。開演前に友達が買ってきてくれたサンドイッチと、私が持参したバナナで夕食。休憩時間には4階からロビーに降りて行く頃にはもう、ロビーはいっぱいで、満員電車並みの大混雑である。もちろん、コーヒーやシャンパンの売り場には長蛇の列。テーブルや椅子につけず、立ったまま、持参したお弁当を食べている人もけっこういた。パリのシャンゼリゼ劇場の優雅さとは、えらい違いだと思う(一度しか行ったことないけど)公演はもちろん、コメディっだし、歌とダンスがあって楽しくて華やかで、「やっぱ奮発した甲斐があったな~、人生こうでなくっちゃ!」と大興奮。特にオルロフスキー公爵を演じたヨッヘン コワルスキーのカウンターテナーが素晴らしく、聴きほれてしまったのだった。彼は変声期に病気にかかってしまい、声変わりしなかったとか。人生まさに「塞翁が馬」を地で行く人である。オペラの良さは、歌手の豊かな表現力である。そして、芝居の中で殺し合ったり憎み合ったりしても、最後はみんなで手をつないで挨拶に出てくるところだったりする。人生もかくありたい、といつも思う。一緒に観ていた友人は秋に来日するウイーン国立歌劇場のチケットを欲しがっていたが、残席わずか、一番安い席で四万円、その上が六万円と聞いて、私にはとても手が出ないとあきらめた。どうしてこんなに高いのだろうか、やっぱり、オイル代も入っているんだろうな~。昨夜はBSで「イル トロバトーレ」を放送していたので堪能!イタリアオペラは、激しく燃えるところがいい!ブラボー♪♪私は当分の間、DVDで我慢しますが、オペラデートに誘っていただければ、どんな人とでもNOとは言いません。バナナ持参します(爆)
2008年05月25日
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やっぱり、人生をサザンとともに送ってきた世代としては、曲を聴けば蘇ってくる思い出がある。学生時代にカラオケに行くと、必ず酔いのまわった男子の誰かが「勝手にシンドバット」を唄った。私の結婚パーティのときに、友達がピアノを弾いて、元旦那が「いとしのエリー」を「いとしのニコル」と変えて唄った。とてもうれしかったな~。あの頃はみんな、若かった!「ラブアフェアー」の気持ちもわかるようになったし…「エロティカセブン」も、私のテーマ曲になりつつあったのに(笑)恋人同士だから飲むロマンティックなあのジュース♪涙を見せないように生きていたいだけさ♪サザンにはじじいになっても、あの調子でヒット曲を出し続けて欲しかった。
2008年05月22日
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NHKのBSで薬師寺の番組を見た。平成の人たちの彷徨える心を救済するために、日光月光菩薩を東京の国立博物館へ送り出す、その試みがドキュメンタリーの主軸である。それともうひとつが、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって行った白鳳伽藍復興事業のエピソードである。なんと、20世紀半ばまでの薬師寺は、戦火を逃れた東塔と、江戸時代末期に仮再建された金堂、講堂がわびしく建つのみ。高田氏は、金堂の再建という悲願を立てるが、檀家組織がなかった薬師寺にとって、莫大な再建費用の壁が大きく立ちはだかる。金堂の再建だけでも約10億円が必要だった。そこで高田氏は全国の篤志家から、一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これで費用を賄おうと考えた。当初は一年に一万巻しか集まらなかったが、高田氏は全国の市町村で8000回におよぶ講演を行い、写経勧進を訴え、加えて、新聞のコラム記事、本の執筆などの効果で、復興事業は一挙に進み、1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。この新聞のコラム記事の中で、高田氏が書いた「誰の心の中にも仏がある。どうぞあなたの心のなかにある仏を探してみてください」という言葉が、多くの人の琴線に触れて、以来全国から現金が集まってきたのだという。高田氏はユーモアたっぷりの分かりやすい法話で、修学旅行の生徒達に人気があった。ちなみに、修学旅行に訪れた女生徒と交際を続けて結婚、薬師寺の歴史ではじめての妻帯僧でもあったそうだ。 いずれにしても型破りな人だった。私も「誰の心のなかにも仏がある」と信じたいし、「すべての人が仏の化身なのだ」と思えるようになりたい。そのためには、目に見えないものを見ようとすること、これが大事なんだな、と思う。
2008年05月21日
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DVD「ビフォア・サンライズ」を観た。フランス人学生セリーヌと、一人旅を終え明日アメリカに帰ろうとしているジェシーが、ヨーロッパ横断の列車で近くの席になり、会話を交わすことになった。すぐに意気投合した二人。彼の目的地、ウイーンに列車が到着したときに、「今、言わないと一生後悔すると思って…」と、ジェシーは彼女に途中下車して、翌朝まで一緒に街を歩かないか、と提案する…美しいウイーンの街を歩いたり、バスに乗ったりしながら、会話を交わす二人。有名な場所を観光するわけでもないが、ところどころに素敵なエピソードが盛り込まれているのが、この映画の魅力だ。占い師に手相をみてもらい、レコードの視聴をしたり、観覧車に乗ったり、店に入ったり、無縁仏の墓地で、死や子供の頃の思い出を語り合う。そして「何か言葉をくれれば、それを元に詩を作りますよ」という、吟遊詩人と出会ったりする。お互いにどんどん惹かれあっていく様子や、盛り上がっていく会話が素晴らしい。特に秀逸なのが、お互いの友人に、電話をかけて心境を語る電話ごっこ。「りん、りん♪ちょっと、出てよ」「は~い、セリーヌなの?」「そうよ。今、ウイーンにいるから、明日約束したランチに行けないわ。なぜかというと、電車で会ったアメリカ人と一緒だから。青い目のハンサムな彼から一緒に降りないか、と言われたとき、私もそうしたいって思っていたの…」当の本人を友達に見立てて、本音を告白していくのだ。頭がよくて、おしゃれで、自然でほんとに素敵だ。さて、朝になって別れなくてはならない二人だが、お互いの連絡先を教え合うのはよそうという。そして半年後に同じ場所で再会を誓う。こんなふうに気の合う人に出会うことは、人生にたびたびあることではないだろう。でも、若い頃は世界の半分は異性なのだ、とばかりに、貴重な出会いを簡単に手放してしまう。セリーヌが言う。「愛は心のなかにあるのではないのよ。今、二人の間にあるの」私は思った。小さな誤解から離れた気持ちも、こちらがずっと思っていれば、いつかまた二人の間に愛として蘇ることがあるのだろうか、と。さて、約束の場所で二人は会うことができたのだろうか?続編の「ビフォア・サンセット」も一緒に借りることをおススメします。
2008年05月18日
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お昼休みは皇居のお堀までお弁当を持って食べに行く。周りにもお弁当を買ってきて食べている人たちはいるけれど、私のように手作りは、ほとんどいない。一人で弁当を食べて、ぼーっとしているときが、なんとも言えず、幸せだ。おなかもいっぱいだし、景色もいいし。天気がよければ、ぽかぽか陽気だし。こんなときに、友達の顔を思い浮かべて、元気かな~、美味しいもの食べているかな~、あいつのことだ、頑張っているんだろうな~お幸せに♪ と思う。広島の親友、神戸の親友、小淵沢の親友。学校の友達、合気道や杖道の仲間たちや師範。これまで働いてきた職場の仲間たちなどなど。そうやって自分と縁のあった人たちの、幸せを祈れることが、実はとっても幸せなことだ。ありがたいね!あ、もしも近くにお勤めの方がいらしたら、一緒にお弁当食べませんか?お弁当のおかずの交換、OKです。昨日に引き続き、易経の読書会参加のメールお待ちしています。
2008年05月13日
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私の敬愛する河合隼雄さんの言葉に、「ふたつよいことさてないものよ」がある。よいことがあれば、悪いこともある。運がよければよいことがふたつ続くこともある。でも、よいことの陰には悪いこともある。悪いことがあれば、どこかによいことがあるのだと思っていい。それでバランスがとれているのである。ブログを始めて約4年素晴らしい友達ができて、いろんな情報やアドバイスをいただき、素敵な経験ができた。ほんとにブログをやってて、よかったと心から思う。その反面、合気道ができなくなるなどの、つらい経験もした。そして、人間の表裏を見た。お笑いのネタに、言っている趣旨とまったく違うところに反応して、ボケるというものがある。「そこかよっ!」とツッ込むあれ、である。ブログを書いていて、一番驚いたのは、こちらの意図とは、まったく違った言葉じりに反応する人がいる、というものだった。価値観や環境の異なる人が読んでいるので、同じ言葉でも受け取り方がずいぶん違う、ということもある。その辺をもっと配慮しなくてはならないのだと、勉強になった。失敗してよかった。私のようなアホは失敗しなくては身に染みない。失わなければありがたみが、わからないのである。さて、そんなことを考えつつ…ブログを通じて知り合った亞っこさんの易経の本を読む読書会を、月一くらいのペースでやりたいと思うのですが、いかがですか?場所や時間は参加者の都合で決めたいと思います。すみませんが、都内です。なるべくお金をかけずにやりましょう。お気軽にメールくださいね~♪
2008年05月12日
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明治時代に活躍した武道家・武田惣角が始めた、大東流合気柔術を継承し、さらに発展させた佐川幸義という人物をご存じか?佐川先生は生前、90を過ぎても、合気の術は衰えず、95歳で亡くなる前日まで、門人を畳に叩きつける稽古をしたという。佐川先生のことは「透明な力」木村達雄著に詳しい。連休中に「孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義」津本陽著を読んだからである。津本陽氏は「鬼の冠」で武田惣角の話を書いているが、この本の存在は知らなかった。「透明な力」も感動的な本で私は人にあげたりもしたが、自分でも何度も何度も読んだ。武道に縁のない人でも学びの多い一冊である。この「孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義」では、「透明な力」を書いた佐川先生の弟子・木村さんのことが書いてあり、私はその逸話に感動した。佐川先生は奥様と長男を亡くされ、晩年は寝たきりの二男との男所帯で、一切の家事を自分でされていた。そこで木村さんは、自分から申し出て、食品や日用品の買い物をすることにした。木村さんは当時筑波大学の先生であったため、小平市の佐川先生の自宅兼道場まで片道二時間の距離を、門人よりも早く行くのである。それを17年間、週三回一日も休まず続けたという。佐川先生から四股を毎日1000回やれと言われてやり続け、多い日には一万回もやった。実際の命のやりとりをしないからだめなんだ、と言われて、夜な夜な池袋辺りをうろつき、真剣勝負の喧嘩をしたりした。大学の先生が大立ち回りをして相手に何かあったら、社会的な地位もなくなってしまうだろうに、そんなことは考えないのである。「「私は臆病だから」なんていうことを公表してはいけない。今の考え方ではそれは正直であると評価されるかもしれないが、そうではない。その時点でその人の気力は無くなってしまうのだ。人間だれだってこわい所、弱いところがあるがそこをグッとこらえて言わぬようにしているうちに気力も出てくるのだ。」佐川先生は体を鍛えるのがきわめて重要なことだといい、鍛錬を門人にすすめた。「合気ができないのなら、せめて力をつけるよう鍛練しなければならない。稽古のたびに相手にころころ倒されているばかりの者は、問題外だね。頭がからっぽなんだよ。鍛練といっても武術に遣う力は、瞬発、集中を重んじなければならない。のんびりやっているだけでは、相手に必死に反撃されたときに技が通じなくなる」体を鍛えているうちに、思いがけない技を相手にかけられるようになってくる。その技をくりかえすうちに、もっと効率のいい倒しかたが分かってくる。それはなぜかと考えるうちに理が分かってくると、先生は言った。先生は非常な高齢でありながら(92歳)頭脳明晰であるのはこの鍛錬のおかげだというのである。人間にとって体を動かすことの本当の重要性は、まだほとんどの人が気づいていない大切なことであるという。頭脳も体の一部で、体全体が弱まると頭脳も弱ってしまうのだと先生は考えている。自分の常識を超えた素晴らしい人間や、素晴らしい人間関係があるという事実が、私の希望や夢、生きる意欲につながっている。たとえ、私にはできないけれど…いや、やる気になればできるかもしれない。そうだ! などとその気になって、四股を踏んでみたら10回で足が上がらなくなり、翌日は太ももの裏が筋肉痛でも(笑)
2008年05月10日
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私が子供の頃、家事のお手伝いはあたりまえだった。まず、食事の前にはかつを節を削る。そして海苔をあぶってから切る。かつを節は味噌汁の出汁用と白菜のつけものなどにかける用である。カンナのような歯がついた箱で削るのだが、これも下手をすると手を切るので、今思うと、危険な作業だった。海苔は今のような焼き海苔が我が家にはなかったので、二枚合せてコンロの上であぶるのである。この加減が難しく、ときどき穴が開いたりした。子供とはいえ、このような難度の高い仕事を請け負っていた。ときどきは共同の井戸から水を運ぶこともあった。台所に水を入れておく甕があり、そこへ溜めておいたのだ。最近スーパーまで水を汲みに行っているが、なんだか昔に帰ったようだ。風呂に入ると洗濯板があり、自分の肌着などはそのときに洗った。洗濯機が現れてからは、風呂場で靴下や、ずっく靴を古い歯ブラシで洗うだけになった。買い物もよく頼まれた。お肉屋さんへ赤い縁取りのハムやコロッケを買いに行かされた。子供なので、ずうずうしいおばさんなどに先を越され、なかなか注文できないで、ガラスケースの前に立っていると、お肉屋のおじさんやおばさんが、「そこのお譲ちゃんは何にするの?」と、訊いてくれる。私は、その瞬間がとても好きで、自分が見つけてもらえた幸せに、ニコニコしながら、母に頼まれたものを注文し、揚げるところをじっと見ながら待っていた。お手伝いも、今、思うと、なかなか楽しかった。
2008年05月06日
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今朝7時から新宿の京王プラザホテルで開かれた、倫理法人会に参加して、わくわく様のお話を聴いた。私は倫理法人会の存在はなんとなく知っていたが、こんなに朝早くから皆さん集って、毎週勉強されているとは、知らなかった。世の中には、向上心の旺盛な、きちんとした方々がたくさんいらして、日本の国を良くしよう、自分を磨こう、と努力されているのだと知り、ほっとしたのであった。私のような人間ばかりだったら、日本の将来は危ういと危惧していたのだが、なんだか大丈夫そうだ。そんな皆さんの前でご紹介にあずかり、何か一言を、などと促され、自分の倫理観の欠如がバレるのではないか、とドキドキして、珍しくあがってしまった!その点、わくわく様はNLPのお話をさらりと講演してましたんで、あらためて、すごいな~、彼女には倫理観もあったのだな、と感心したのだった。帰りにホテルを出ると9時前の微妙な時間。せっかく新宿にきたので買い物をしていきたいと思い、時間つぶしを考えていたところ、会に参加されていた24歳のイケメン君がこちらに歩いてくるではないか、「時間があるので、よかったら、お茶しませんか」とナンパしたところ大成功!横にあったスタバに連れ込んだのであった。彼は「いい病院を作りたい」という夢に向かって努力している社会起業家の卵である。神田昌典氏が「これからは社会起業家、社会をよくしたいという若者の時代」と語っていたが、彼の話はまさにそのとおりで、環境問題や、病院内のコミュニケーションをよくするためには、どういう仕組みを作ったらいいのか、という課題に取り組んでいるという。息子とあまり変わらない年齢にもかかわらず、とてもしっかりしたご自分の考えを持っておられるので、驚いたり、感心したり、ついでに息子のことを相談したり、これから立ち上げるサイトのことに関してアドバイスをいただいたり、すご~く勉強になってしまった。早起きするといいことがある、セミナーに参加すると、ほんとに学びが加速すると実感した次第だ!でも、日曜朝7時からは(布団の中では若者の)私には無理でございます。
2008年05月04日
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休日にもかかわらず、友人と神保町にでかけエチオピアでカレーを食べた。ここでは70倍の辛さが指定できるが、初めての店なので私は0倍、友人は1倍を指定。もうちょっと辛くてもよかったかな、などと思ったが、評判通り、スパイシーであっさりしてて、やみつきになりそうな予感。うまいっ!若くて世間知らずな頃、指輪の展示会に騙されて連れて行かれたときに、そこにいたスリランカ人の家に招待され、手作りのカレーを御馳走になり、断りきれなくて指輪を買ってしまったことがあったが、そのときのカレーを彷彿とさせる味だった。後で高い買い物だったな、と思ったし、結果として騙されたのかもしれないが、なぜかこんなふうに騙されていた自分が好きだ。お茶をしてからスポーツ店でTシャツの山を、かき分けたり、美術書を見たりなどしながら小川町の交差点まで来た。ここにはたい焼き屋があるので、2人でたい焼きを買って、交差点のところの花壇のふちに腰を下ろして食べた。雨がすっかり上がって青空が出ている。「私たちこんなことしてて幸せだよね」と友達が言うので、「ほんとに幸せだよ~」と笑う。「内田樹さんが神保町の学士会館によく滞在しているから、もしかしたら、ニコちゃん偶然会う機会があるかもしれないね」と彼女が言うので、「今ここを樹さんが通りかかったらどうする?」と私。実はいつもそんなことを考えて、備えている。「お、妄想が始まったね」と彼女。「そしたら、あ、内田先生!と声をかけて、まあまあ、とにかくここへ座れと、2人の間に無理やり座らせちゃうね。それで、たい焼きを買いに走るんだよ」「拉致ですか、二人で。すごいな、道路に座らせちゃうんだ」「もちろん、私はやるよ、なんたってたい焼き屋の前だからさ~。ははは。逃げたら、たい焼き片手に追いかけるよ」「たぶん彼も観念して大人しく食べるでしょう」彼女は呆れる。内田樹というボタンをクリックすると、幸せな妄想のウインドウが開く!こういうボタンをいくつか持っていることが、案外、幸せになるコツかもしれない。彼は迷惑かもしれないが、それも有名税ということで、きっと許して下さるでしょう(笑)
2008年05月03日
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「ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち 」ポール グレアム 著を斜め読みした。著者は大成功をおさめたベンチャーの創業者にして天才プログラマ。彼が語る、これからの時代を見通す考え方と創造のセンス とは…センス。あるいは審美眼。美が最初のテストだ。この世には醜い数学の生き残る余地はない -------G・H・ハーディ「数学者の弁明」より良いものを作るには、良いセンス、美を見分ける力が必要なんだ。どうやったら良いものが作れる?良いデザインは単純である。良いデザインは永遠である。良いデザインは正しい問題を解決する。良いデザインは想像力を喚起する。良いデザインはしばしばちょっと滑稽だ。良いデザインは簡単に見える。良いデザインは再デザインだ。(注:不満足な部分を何度も書き直して突き詰める)良いデザインは模倣する。良いデザインはしばしば奇妙だ。良いデザインは集団で生起する。(注:印象派やルネッサンスのようにホットスポットから生まれる)良いデザインはしばしば大胆だ。
2008年05月02日
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今度の会社は神保町なので、私の好きなお店がある。そのひとつが画材屋さんだ。先日、博物館で日光月光菩薩のポストカードを購入したので、マットをつけて適当な額縁に飾ろうと思い立ち、会社帰りに額縁コーナーへ立ち寄ってみた。「マットが欲しいんですけど」と、作業をしているおじさんに尋ねると、出っ歯にメガネ、エプロン姿の彼がニヤリとして、お客さん、マットは飾るものに合わせて切っているので、すでに出来上がったものはないんですよ、と言う。「へ~、そうなんですか」と私が驚くと、「マットはね、たとえて言うと、女性のブラウスか半襟なんですよ。だから、何をどんな額縁に飾るのか、そのくらいわからなければ、選びようがないでしょ」と。そして、そこにあった素敵な絵を元に、いろんなマットを組み合わせて、絵がどんなふうに変身するのか、見せてくれた。「ほら、この色を合わせると絵が締るでしょう。絵とマットの間に空白をとると、こんなふうになるし、マットを2枚合わせると、違う表情になりますよ。ぜんぜん違うでしょ?」確かにブラウスかも…。「ほんとだ~、絵はマットと額縁でこんなに変わるんですね。知りませんでした!」驚きである。「実物を持ってきてごらん、連休もやっているからね」おじさんはニコニコして、見送ってくれた。ほんとに自分の仕事が好きで、誇りを持っている人なんだなぁ、こういう人が好きだ。うれしくなる。地味な仏像が、おじさんの力で、めいっぱいおめかししたらどうなるのかな?それが楽しみなので、連休中に友達を連れて再訪するつもりだ。
2008年04月30日
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土曜日、東京国立博物館に行った。平城遷都1300年を記念して国宝薬師寺展が開催されている。ここでの目玉は、寺外で初めて展示されるという金堂の日光・月光菩薩立像(国宝)である。聖観音菩薩立像も素晴らしい!寺内では前からしか見られない仏像を横や後ろから見られるというのも、素敵な体験である。展示方法も工夫されていて、やや高い位置からも見ることができる。美しいお姿で、ご尊顔というのは、まさにこのことか、と思える表情である。堂々たる体躯も、そこから発せられるオーラも圧倒的な凄さである。「まあ、優しいお顔だわね」などと話している人が多く見受けられた。この「優しい」とはどういうことだろうか?すべてを受け入れてくれる「優しさ」だろうか、すべてを許してくれる「優しさ」だろうか、私はむしろ凛とした「厳しさ」のようなものを感じた。菩薩像は、好き嫌いに囚われ、幸運不運に一喜一憂し、日々の世事にとらわれてあくせくしている私に、「待て」と言うのである。「朝からこんなに込んでてまいったな~、年寄がじゃまなんだよ。落ち着いて見れないよ」などとつい今まで思っていた私に、「ちょっと待て」と言うのである。「あら、ウエストがくびれてお尻がプリンとしてるね~」などと、友人と評価していた私に「心静かに」と言うのである。まさに、自分を無にしてその前にひれ伏したくなるような、存在感なのであった。博物館へ行ったのは数年ぶりで、庭や建物も素晴らしい。年間4000円のパスポート会員になれば、東京京都奈良九州の各博物館の常設展はフリーパスだし、特別展のチケットも6枚もらえる。何度も足を運びたい場所なので、友人と会員になろうと話す。この日はかねてからファンだった、ガンダーラ美術の「仏頭」も観て、根津のマットコで、安くておいしいランチのつつじランチ1500円也を堪能して帰宅。楽しい一日でした♪感謝感謝!ありがとう。
2008年04月27日
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「ニコルさんはどんなタイプの男性が好きなの?」そう聞かれると、昔は、本当に好きな人を答えていた。でも最近は、だれかれ構わず「内田樹さんです!」などと答えたりしない。頭がよくて、武道家でフェミニストで、笑顔が素敵で優しくて…云々なんて言わない。その人に似たタイプを考えることにしている。東大卒の方には「やっぱり男は頭の良さです!頭の回転が速い人は話していて楽しいわ」とか、目の大きい人には「目の大きい人は、瞳がキラキラしてて好き」というし、ハゲには「むしろハゲがいいな。セクシーだから」と答える。だって男性でも、私と正反対な、例えば、「華奢で大人しい従順な人がいい」などと答えられると、思いやりがないヤツだなと思うもの。決して正直ものだとは思わない。友達としてであっても、コイツとはもうつきあわないゾ、と誓う。「どんなタイプが好き?」は、「僕はどうですか?」「私は好みのタイプかしら?」ってことだというのが、最近になってわかった次第。遅い~(涙)
2008年04月24日
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少し前になるが、CMに「名前のない馬」が使われていた。実はこの曲は私が初めて買ったシングルレコードだった。とても懐かしく思った。どうしてこのレコードを買ったのか、今では思い出せないが、やっぱり、どこか旅を思わせるメロディに、惹かれたのかもしれないな、などと思う。初めて買ったLPはイーグルスの「ホテルカリフォルニア」か、サイモンとガーファンクルだったか、は思い出せない。もしかしたら井上陽水の「氷の世界」かも…。初めて買ったクラシックは覚えている。すでにCDである。ミッシャ・マイスキーとマルタ・アルゲリッチが演奏するバッハのチェロソナタ。ここからクラシックにハマった。なぜこの曲かというと、沖縄の海で一週間一緒に潜った、通信社のカメラマンが、このCDのファンだったからである。束の間の恋の、ロマンチックな思い出に浸るために、私も同じCDを買ってみたのだった。バッハが好きだ。モーツアルトもよく聴くし、一番多くCDを持っているが、私にとって、豊かな音楽の世界の扉を開いてくれたのは、バッハだから。
2008年04月22日
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河合隼雄さんの著書は、何度読み直しても新たな発見がある。相手の欠点を指摘しつつ、なお、自分のほうにも目を向けている。これを「愛」と呼んではおかしいだろうか。欠点がある相手を駄目な奴だと突き離してしまうと、そこには愛が生じない。しかし、欠点を指摘するだけなら誰でもできる。そのときに、自分の内面にも目が開かれていることによって、欠点を指摘しながらも、お互いの心が切れることはない。あくまでも切り捨てることなく、努力をかさねてゆくところに愛があると思われる。考えてみると、相手に欠点がないように思われ、何もかもうまくゆくのだったら、その人とつきあうことは当然であり、利己的に言っても価値のあることだから、別に愛などという必要はないかもしれない。欠点のある人-誰しも欠点を持っているのだが-と、自分も欠点をもつ人間として関係を維持してゆく努力のなかに愛があるのではなかろうか。「日本人とアイデンティティ」
2008年04月21日
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私の両親は77歳だが、揃って現役で働き、旅行も好きである。「同じ服装で写真に映りたくない」という理由で、父は旅行に行く前に、シャツなどを買うのだ。私のマンションの前がAという紳士服のチェーン店なので、昨日もシャツとスラックスを買うために夫婦でやってきた。私にも息子のシャツを買ってくれるというので、お伴である。この店は1枚5000円くらいのシャツを3枚買うと、10000万円で、もう1枚買うと半額となる。そしてスラックスも2枚目は半額になるので、まとめ買いしてしまうシステムになっている。父もシャツ3枚とスラックス2枚を買った。息子のシャツは1990円の半額である。(なぜか昔から私は両親に高額のものをねだることができない)私はTカードのポイントも入れてもらった。そしてクレジットカード付きのメンバーズカードを使うと、さらに5%引きになるという。若い店員さんに言われるままに、カードの申し込みをする父。自筆で書いてくださいと言われるが、老眼鏡がなければ細かい文字は読めないし、手が震えてマス内に文字がおさまらない。やっとのことで書類の記入が終わると、店員さんは「銀行の通帳番号などを記入して、お店で保険証か免許証のコピーをとって、ここに送ってください」と封筒に入れて書類を渡した。父や母は「はいわかりました」とそれを受け取ったが、あとで聞くとまったくわかってなかった。保険証を持って、A店に行けばいいのだと思っていることが判明。保険証のコピーをとって、さらにしっかりと書類を見せて説明してやり、初めて理解したようだ。これから高齢化社会になってくれば、こんなふうに今までの接客、説明の仕方では理解してもらえなくなるだろう。そこに付け込む輩も出てくるんだろうな~、などと思う。
2008年04月18日
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映画「インサイドマン」をDVDで借りて観た。映画のストーリィや解説については、ほかのブログを参照してね。教えてGooなどでは、映画の内容がわからないという質問に対して、トンチンカンな回答があったりして、けっこうわかりづらい内容であることは確か。私も混乱して、後半を2度観た。銀行に人質をとって立てこもった犯人と警察、弁護士の心理戦を描いた、いうなれば社会派地味な作品で、公開当時から賛否両論あったようだ。キャストはデンゼル・ワシントン、ジョディ・フォスター、ウィレム・デフォー、クライブ・オーウェンなど超豪華版。監督は社会派・スパイク・リー私はとってもこの作品が好きになったのだが、映画の中で語る犯人の言葉がとても印象的だった。「大金のために友を売り、自尊心を売った男が、それを償うために社会的な善行を重ねて社会的な信用を得ても、過去の罪に付きまとわれ、疲れさせられ、いつか、必ず追いつかれる。自分は金のために自尊心を売ることはしない。自尊心こそが大事だから」映画の内容とはちょっと違うが、思い出したことがある。私がまだ結婚していた頃、別れた主人があるピザ店のグループに勉強に行っていた。彼はある開店したてのピザ屋で、開店応援という形で、数か月働いた。その店のオーナーは飲食店の経営経験がなく、主人は数人のパートの女性たちに、店長という形で一生懸命に仕事を教えたらしい。店がパートの人たちで回せるようになったころ、オーナーはなんだかんだと彼の人格や態度について文句を言い始め、給料を払う必要なし、さらにグループに入れる必要なし、と解雇した。私は納得できなかったので、パートの女性たちに真相を聴くため、店に行った。すると、彼女たちは「この仕事を失いたくないので、オーナーの機嫌を損ねることは言えない」という。私が「彼はこのままだと、家庭と仕事の両方を失うことになりますが、あなたたちはそれでいいんですね」と確認した。すると、そのなかの一人があとから追いかけてきて、「ご主人にはよくしてもらいました。みんな感謝しています。どうか、彼の味方になってあげてください」と頭を下げた。私は「皆さんにはご迷惑をかけませんよ」と、うれし涙にくれた。このときは彼のためにピザ屋グループと闘い、結果的に勝利し(笑)自力で店を開いたのだった。私も自分の利益のために誰かを売ることはしないし、そういう人間とはお付き合いしたくない。
2008年04月17日
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「鼻につく」という言葉があるが、相手を嫌いになるというのは、まず、相手のにおいが嫌になるというふうに意識されるようだ。ならば、「あなたのにおいが好き」というは、最高の愛の言葉かもしれない。男性が言うならば「きみからいいにおいがする」かな。若い頃に言われたことがある。息子が小さい頃、よく「おかあさんのにおいがする」と言って、私のふとんに潜り込んで寝ていたことがあった。そのときの幸せそうな寝顔を思い出すと、自分が本当に息子から愛されていたのだという実感が蘇り、今でも胸がキュンとなる。私は好きな人とは一緒に寝たい。腕枕して足をからませて。但し、事前事後のシャワーは必須です。
2008年04月16日
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「このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?」は、今の私にはタイムリーな一冊だった。転職を繰り返すことで、人生観や生き方そのものを大きく変えたという人たちをインタビューしていく本である。この中で「われわれの問題をたどって行くと、たいていはふたつか三つの固定観念に行き当たるのです」という言葉がある。その自分が囚われている固定観念を認識し、乗り越えることが、問題解決になるという。私の前に立ちはだかってきた固定観念て何だろう?いくつかは、この著者と似ている。曰く、作家になるのは無理だという観念、離婚によって傷ついたという観念、私は結婚に向いていないという観念、親に愛されていないという観念、いつもお金がないという観念、などなど。多くの人が、次は何かと自問し、最も金が儲かる方法、最も出世や大きなチャンスに近い場所を探しながら、人生を駆け抜ける。型どおりの成功物語では”次”が来るたびに主人公がより多くの金と、多くの尊敬と、多くの領土を手にするのが常だ。わたしは、別の成功物語を提案したいと思う。”次”が来るたびに、主人公がおのれの心から解放され、才能を発揮し、人柄を花開かせ、世界に差し出すべき贈り物を明白にしていくそんな場所へと近づいていく物語を。ほんとうの幸せとは何か、成功とは何か?また、自分が求めているのは何か?答えはひとつではないけれど、自分の人生を考えるきっかけになる良著だと思う。
2008年04月15日
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前回の続きで、夫婦別寝室に寝ている場合、妻が夫のお情けをいただきたいときに、どんな合図をおくるのか。だいたい夕飯でアピールすることが多いらしい。ベタなところで焼肉。意外なところでわかめの味噌汁。「旦那が『24』にはまっていて、寝る時間も惜しんで観ていたので、ちょっとくらいわかめを入れても気づいてくれなかったのよ」という友人に、「じゃあ、もうお椀の中がわかめで盛り上がっているくらい、入れたら、こっちの気持が伝わるんじゃないの?」「いや~、わかめ以外の方法でアピールしようよ」しっぽさんのお宅のように、自分から夫の寝室に行くのは、私の友人には珍しいらしい。理由は「部屋が臭いから」
2008年04月14日
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友人たちと話していて、夫婦で同じ寝室に寝ている人は意外と少ない、という話になった。「だって生活時間帯が違うから、別の方がお互いにじゃまにならない」「旦那の臭いが嫌いだから、近くで寝たくない」「自分で本を読んだり、夜中に気になることがあって起きることができる」「寝るときまで気を使いたくない」「寝る時まで一緒にいたくない」などという。年齢を重ねると、男性は頑固になり、加齢臭がしてきて、奥様方にとっては、一緒にいることがだんだん嫌になってくるようだ。「少しでも離れている時間が欲しい」と。妻がパートなどで働いているのを、旦那さんは「自分が働くことを許している」あるいは「給料内でやりくりすればいいのに、勝手なことをしている」「私だって仕事しているのよ、と偉そうに言っているが、わずかな金額しか稼いでいないではないか」「一家の家計を支えているのは自分なのだから、食事の支度くらいは毎日ちゃんとやっておけ」と思っていると、妻の心は離れていくようだ。ラブラブの夫婦は、みんな旦那さんが優しいね。ベッタリでなく、ある程度の距離を持って、相手を尊重し、助け合っている。少数派だけど
2008年04月12日
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国立西洋美術館に、ヴィーナスを観にいった。作品展の目玉はティツィアーノ作「ウルビーノのヴィーナス」である。イタリア・ウフィツィ美術館の至宝で、日本初公開!海外で展示されるのは、これが最初で最後だという。圧倒的な美しさである。絵から浮き出るような存在感のある肢体、光り輝く肌。図版と比べてみると、本物の持つオーラが再認識できる。それに加えて、ヴィーナスをテーマにイタリア各地の主要美術館から選りすぐった、絵画、彫刻など約80点の作品を展開している。石膏像「メディチ家のアフロディテ」や、ポンペイから出土した大理石像「角柱にもたれるヴィーナス」などからは、後ろ姿になんとも言えぬ色気が漂う。できるものなら、滑らかな背中や肩に触れてみたい。照明に照らし出される気品ある表情からは、不思議な波動が伝わってくるように思えた。私の一押しはミケランジェロの下絵によるヴィーナスである。骨格や筋肉が男性という中性的なヴィーナス。それがとてもなまめかしくて美しい。イタリアはこういうのがどこに行っても見られるのだから、ほんとに素晴らしい国だと思う。彼氏ができたら一緒に行きたい。二人で美しいものを観ていたら、裏切りや諍いはほんの少しで済むだろうから。
2008年04月11日
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私は2月までKセラ系の派遣会社に所属し、同じグループ会社で働いていて、先方都合で契約更新していただけず、失業した。これが、職安では「自己都合の退職」ということになるという。びっくりした。派遣会社は離職票をなかなか送ってこなくて、その間に、同じグループ会社の他支社はどうか、あるいはこちらの条件に合わない会社を提示されたが、お断りした。派遣会社から送られてきた離職票には「自己都合」となっていた。職安の担当者によると、「たとえどんな会社であっても、紹介されたところを断ったら、自己都合ということになる」とのこと。つまり、派遣社員には職業選択の自由はないのであった!ま、今回はすぐに再就職するので、失業手当をもらうことはできないが、会社都合と自己都合ではまったく条件が異なる。毎月少ない給料から雇用保険を引かれているが、実際には何の助けにもならないのだ。弱者に厳しい行政のやりそうなことだと思う。派遣社員の方、ご注意ください。
2008年04月10日
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マルコム グラッドウェル「第1感最初の2秒のなんとなくが正しい」を読んだ。この前彼の「ティッピングポイント」を読んですっかりファンになり、続いてこれを図書館に予約しておいたのだ。高校のときに、お小遣いをはたいてドストエフスキー全集を買い、寝る間も惜しんで読んだとき以来の(数十年前だ。笑)一気読みだった。こんなに知的興奮を味わせてくれた本は最近ではないので、再読するために、すぐアマゾンに注文して買うことにした。第1感というのは、直観、第一印象のことである。第1感の不思議な力、第1感はどこから生まれてくるのか…瞬時に正確な判断を下すには…無意識を訓練するには…わずかな情報で本質をつかむには…といったことが豊富な実例とともに考察される。私が特にびっくりしたのが、夫婦げんかのビデオを15分間見ただけで、そのカップルの15年後を95%の確率で予測できたということ。どこに目をつけて新婚夫婦の未来を判断したのか?ぜひ直接読んでください。
2008年04月09日
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平日の仕事に行っていないので、息子と朝食をとることが多い。大学生になって彼も視野が広がり話題も豊富になったので、けっこう話が弾んで面白い。もちろん、ほとんどがバカ話だが(笑)ごくまれに、ブーバーとか、ヘロドトスの話題も出る。私は自分がちゃんとした親だという自覚がないので、息子に「しつけ」をした覚えがない。せいぜい、挨拶をするとか、靴を揃えるとか、その程度だろうか。いや、彼が小学生の頃、勉強をしないでゲームばかりしていたので、ゲームは一日一時間まで、というルールを勝手に決めて、息子を従わせようとしたことはあった。そんなことは到底無理な話で、彼は隠れてゲームに興じ、私にゲーム機を取り上げられたり、投げつけられるという弾圧に耐えた。今ではおおいに反省している。息子と話をしていると、自分の価値観が果たして正しいのか、どうか、と考えさせられることがよくある。彼に比べて私は多少人生経験が豊富で本も読んでいる、だからといって、彼に押し付けることができるような、たいそうな価値観を持ち合わせてもいない。ゲームより勉強の方が価値があるのか、と今問われたら、わからない、と答えるだろう。息子にアドバイスをくれた、コンサルタント氏は私よりもはるかに優秀な方であるが、自分の価値観を頭ごなしに押し付けることはなかった。「自分はこう思って、こうしているんだ」というスタンスである。自分の子供を「うちの子は勉強しなくて困る、バカだから」と平気で言う人がいる。信じられない。「自分が家でテレビを見ていて、子供に勉強しろって言ってちゃだめ。自分が何か勉強しなよ」というとそういう人は驚くが、まあ、やらない。「子供がどうせお母さんに話ししてもわからないから」と子供から言われるという、友達も何人もいる。皆、私と違って立派な母親だ。子供に楽しい人生を送ってもらいたかったら、自分が一人の人間として人生を楽しむことだと思う。友達と仲良くして欲しかったら、自分が友達を作ろう。そして一緒に考えよう。しつけというのはそういうものだと今は思っている。息子(子育て)から学ぶことは多い。
2008年04月08日
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