1

写真は1969年4月に蕨駅の住友セメント専用線で撮ったものです。 プレートにD201と書かれています。出自は不明ですが、1964年川崎重工業製の20トンクラス入れ替え専用のディーゼル機関車と思われます。 当時蕨には、日本車輌と住友セメントの専用線がありました。また、荷物扱いもしていましたので小口貨物もあり、入れ替え作業がよく行われていました。
2025.11.28
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2枚の写真は、1969年4月に蕨駅―西川口駅間で撮ったものです。 後ろに有蓋車を連結している機関車は、1947年から1958年にかけて導入された、貨物列車牽引用のEF15形直流電気機関車です。第二次世界大戦終結直後の輸送需要に対応するために設計され、基本的な構成はEF10の流れを汲んでいます。同時期に製造された旅客用のEF58とは車体・電気機器等を共通設計で、製作行程の簡易化と入手の容易な使用材料の選択による量産設計の徹底が図られています。 後ろに車掌車を連結している機関車は、1934年から1941年にかけて製造された、貨物列車牽引用のEF10形電気機関車です。写真の機関車は、EF10形の20号機で、丸みの強い溶接構造の半流線型車体となっています。
2025.11.27
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2枚の写真は、1969年4月に豊橋駅で撮ったものです。 辰野行の行先板を掲げている車両は、クハユニ56004です。この車両は、1951-52年に、クハニ67形のクハニ67005の荷物室後部に郵便室を設置し、客室部分をセミクロスシート化のうえトイレを設ける改造を実施したものです。なお、クハニ67005は、1939年に製造された片運転台式の三等荷物合造制御車です。 湘南型の車輛は、クモユニ81形のクモユニ81004です。クモユニ81形は、1950年に6両製造された郵便荷物合造電動車で、車両の前後に運転台があり、パンタグラフを2基搭載しています。クモユニ81004は、この写真を撮った前年の1968年に東海道線から飯田線に転入しました。この車両は、1969年に荷物車に改造され、クモニ83形100番代に編入されクモニ83101に改番されました。72系からの改造車であるクモニ83形と同形式ですが性能の共通性はなく、新性能電車との併結も不可能となっています。
2025.11.25
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4枚の写真は、1969年4月に、関西本線亀山から乗車した名古屋行の列車の車窓から撮影したものです。この列車は、C57形蒸気機関車が牽引していました。 D51形679号機は、井田川駅ですれ違った貨物列車です。 単機の蒸気機関車は、四日市で見かけたC57形83号機で、門鉄型デフを有しています。門鉄型デフとは、門司鉄道管理局(小倉工場)式助煙板のことで、除煙板の下半分が切り取られています。 C57139のナンバープレートを付けた蒸気機関車と、朝明信号所ですれ違いました。C57139は、お召列車を二十数回牽引した輝かしい経歴を有しています。また、1969年9月30日の関西本線SL牽引さよなら列車を牽引しています。
2025.11.21
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2枚の写真は、1969年4月に撮った名古屋市電です。 名古屋市電は、京都市電に次いで1898年に日本で2番目の電気鉄道として開業され、1974年に廃止されました。 81系統の車輛は、1500形電車の1534です。1500形は、戦後最初の純粋な新造車として1949年に登場し、1974年の路線全廃まで活躍しました。 11系統の車輛は、2000形電車の2020です。2000形は、名古屋市電が有する「和製PCCカー(無音電車)」の最終形式で、日本の路面電車を代表する形式の一つです。その静音性は市民から「忍び足の電車」と称され、あまりにも静か過ぎるため「警笛を大きくせよ」と言う批判があったそうです。
2025.11.23
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3枚の写真は、関西本線亀山で、1969年4月に撮ったものです。 ホームに停車中の車輛は、亀山駅に停車中のキハ20系のキハ20 75です。キハ20系登場前の普通列車用の気動車の車幅は2600㎜でしたが、キハ20系は、車幅を電車・客車並みに拡張して登場した普通列車用の気動車です。 ディーゼル機関車は、亀山機関区のDF50の3号機です。新三菱重工がスイスのズルツァー社と技術提携して製造したエンジンを搭載し、紀勢本線・関西本線東部などで使用されていました。 構内に停車している気動車は、亀山機関区のキハユ15形のキハユ15 4です。この車両は、1961年に、キロハ18 形のキロハ18 6を改造した2等郵便合造車です。トイレ・洗面台部分を運転室に改造し、旧1等室部分を郵便室とし、2等室部分は改造しないでそのまま客室として利用していました。
2025.11.15
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7

東京に向かう20系客車のさくら↑(1970年3月30日、静岡駅?)このところ、蒸気機関車の写真が続きましたので、今日は、ブルートレインです。1970年の特急さくらの写真です。さくらの列車番号は、栄誉ある1と2が割り当てられていました。ブルートレイン全盛期の頃です。この写真を撮った場所は不明ですが、朝8時56分に撮影されていますので、おそらく静岡駅かと思います。この頃、東京―下関間の牽引機は、EF65の500番台で、なんと、早岐―佐世保間はC11が牽引していました。20系客車は、私の大好きな客車で、20系の優雅さを超える車両はまだ出現していません(と思っています)。
2017.09.07
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8

出発を持つD51↑(1969年8月17日、松本駅、中央西線)急行アルプス165系↑(1969年8月17日、松本駅、中央東線)1969年当時、夜行の急行アルプスはたくさんの登山客で大混雑でした。写真は、朝5時20分ごろの松本駅の光景です。新宿から急行アルプスに乗って来た登山客が松本駅で降りて、上高地等それぞれの目的地に向かいます。隣のホームではD51の引く旅客列車が出発を待っています。
2017.05.21
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9

写真は、1968年に撮ったものです。初代5000系デハ5000形5025と初代7000系デハ7000形7040です。撮影場所は、おそらく、東横線学芸大学駅付近だと思います。 5000系電車は、1950年代に105両製造され、東急では1986年まで、地方私鉄では2016年まで運行されていました。航空機の技術であるモノコック構造を応用した超軽量構造で造られています。車体塗装はライトグリーン一(萌黄色)で、以降この色は東急の鋼製車の標準色となりました。東急の鉄道線における普通鋼製車両は本系列が最後で、以降の新車はステンレス車体へ移行しました。 7000系電車は、アメリカのバッド社との技術提携により製作した日本初のオールステンレス車両です。1962年から1966年にかけて、134両が製造されました。東横線と営団京地下鉄日比谷線の直通運転を前提として設計され、車体の規格は乗り入れ協定に準拠したものとなっています。
2025.05.02
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10

EF60の写真は、1968年12月に新鶴見機関区で撮ったEF60形501号機です。EF60形500番台は それまで20系寝台特急を牽引してきたEF58形を置換えるため1963~64年に製造されました。外部塗色は20系客車に合わせて、地色は青色で前面窓まわりと側面の帯をクリーム色としました。華々しいデビューでしたが、1年後の1965年には20系客車牽引はEF65形500番台P形にバトンタッチしてしまいました。1964年に新幹線が登場し、夜行列車にもスピードアップが要求されたのですが、実は、EF60形500番代は、時速110kmには対応していなかったのです。結局、EF60形は、貨物輸送でその能力を発揮することになりました。 EF58の写真は、1969年1月に東京機関区で撮ったEF58形1号機です。EF58形は、1950年代から1970年代にかけ、東海道・山陽本線や高崎・上越線、そして東北本線黒磯以南といった主要幹線において、旅客列車牽引の主力として用いられました。EF58形1号機となっていますが、最初に落成された機関車は1946年の21号機で、1号機は、1947年に製造され、1948年までに1号機から31号機がそろいました。デザインは、戦前からの伝統に則った「前後デッキ付の箱形車体」でした。EF58形は、半流線型車体へ改造され、EF581は1955年に改造され、古い箱型車体はEF13形23号機に機器ごと転用されました。
2025.07.25
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11

C58↑(1969年6月22日、高麗川駅、埼玉県)D51↑(1969年6月22日、高麗川駅、埼玉県)古い写真の整理を始めようかと考えています。たくさんのネガフィルムが未整理のまま眠っていますので、整理して、デジタル化してみたいと考えています。ネガのスキャンは、以前購入したCanoScan 9000F MarkIIを使って行うこととしています。掲載した写真は1969年6月に高麗川駅で撮ったものです。この当時は、C58311は高崎第1機関区所属、D51786は八王子機関区所属です。
2017.05.10
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12

3枚の写真は、1968年3月に東京駅で撮ったものです。 急行伊豆のヘッドマークを掲げている電車は、157系です。157系は、最初に投入された列車名から「日光形電車」とも呼ばれています。東海道新幹線開業による1964年10月のダイヤ改正では東海道本線の昼行特急が全廃となり、それまで特急で使用されていた157系が、1964年11月にデビューした東京~伊豆急下田・修善寺を結ぶ急行伊豆に使用されることとなりました。その後、1969年4月に東京~伊豆急下田を結ぶ特急あまぎに157系が使用されたため、急行伊豆は153系電車を使った普通の急行列車になってしまいました。 153系の急行東海と並んでいる両開き片側3ドアの近郊形電車は、113系です。1962年に湘南電車、横須賀線で営業運転が開始されました。113系は大都市圏のほか、房総地区や東海道・山陽地区のローカル輸送など、主に本州内の平坦で温暖な地域の路線で広く普通列車から快速列車に用いられました。 中間車両の写真は、サハ100-205です。この車両は、モーターも運転台もない付随車であるにもかかわらず、パンタグラフを置くための台が屋根に取り付けられています。パンタグラフ台が付いている理由は、車体と機器類は将来の電動車化を考慮した構造としたからです。101系は、全車両をモーター付きの電動車として編成全体の出力を高め、高加減速運転を行う方針の下で進められましたが、変電所容量やコスト面から困難となり、将来の電動化を考慮した付随車が製造されることとなりました。なお、写真のサハ100-205は、付随車ながら電動発電機と空気圧縮機が付いています。
2025.04.25
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13

写真は、1969年1月に品川客車区で見かけたマニM3203です。 マニM3203は、国鉄での形式番号はマニ3118で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収された客車群の1両です。駐留軍専用客車として、郵便車は「M」、郵便荷物車は「MB」、荷物車は「B」の記号を国鉄の記号と軍番号とともに、「マニM3203」のように標記されました。マニM3203は、最後まで使用された接収車の一両となり、1970年1月に接収解除されました。
2025.08.03
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扇型車庫と転車台↑(1970年3月30日、稲沢第1機関区、愛知県)C11↑(1970年3月30日、稲沢第1機関区、愛知県)昨日のブログの続きです。1970年の稲沢第1機関区です。転車台があり、扇型車庫がある、典型的な機関区の姿です。C11、C12、キューロク、D51などが扇型車庫から出たり入ったりしています。
2017.09.06
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並木橋から渋谷駅方面を臨む↑(2017年6月1日、渋谷、東京)写真は、並木橋から渋谷駅の方向に向かって撮ったものです。緑色のシートを被っている橋脚の跡は、2013年3月まで走っていた東横線地上部分の名残です。右側にみえるコンクリートは、渋谷川の川岸です。渋谷川の多くは暗渠になっていますがこの辺りは、地上に残っています。現在盛んに工事が行われていて、並木橋から渋谷駅にかけての渋谷川には浄化水を放流して広場や遊歩道を設けるオアシスが設置されると聞いています。【Bon appétit !】 Tokyu Corporation plans to develop a 47-story commercial building atop the relocated Toyoko Line platforms to the east of the station, which will become the tallest building in Shibuya upon its opening in 2019. Tokyu also plans to open a 16-story commercial/residential complex at the station in 2018, followed by a 35-story building on the site of the former Toyoko Line terminal in 2020.(https://en.wikipedia.org/wiki/Shibuya_Station)
2017.06.05
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京都駅のC57127↑(1970年3月30日20:49、京都駅、山陰本線)方谷駅のD51831↑(1970年3月31日6:50、方谷駅、伯備線)京都駅2番線ホームにC57が停まっています。これから山陰本線を走っていきます。京都駅をご存知の方は、京都駅の2番線は山陰本線ではないと思われるかと思いますが、確かに、調べてみると30番線や34番線になっています。この写真は、1970年に撮ったもので、どうも、当時の2番線は、現在の0番線のようですが、もう少し調べてみないとわかりません。どなたかご存知でしょうか?もう一枚の写真は、伯備線のD51です。このときは、倉敷から伯備線に乗車しました。途中、美袋(みなぎ)駅、備中高梁(びっちゅうたかはし)駅などでも蒸気機関車とすれ違い、写真は、方谷(ほうこく)駅でのすれ違いです。【Bon appétit !】 The governmental railway from Kobe reached Kyoto on September 5, 1876, but the station was under construction and a temporary facility called Ōmiya-dōri Temporary Station was used until the opening of the main station. The first Kyoto Station opened for service by decree of Emperor Meiji on February 5, 1877.(https://en.wikipedia.org/wiki/Kyōto_Station)
2017.09.26
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E653系臨時特急いわき↑(2022年4月2日、東浦和付近、武蔵野線) 見沼代用水東縁に咲く桜を見ながら自転車で走っていたら、武蔵野線付近にカメラを持っている人がたくさんいました。桜の写真を撮っているような雰囲気ではありません。聞いてみると、E653系が来るとのこと。 やって来たE653系は、国鉄時代の特急色に塗装が変更されていて、485系特急「ひたち」を懐かしく思い出してしまいました。 ネットで調べると、八王子発いわき行きの臨時特急「いわき」でした。八王子を出てから、中央線、武蔵野貨物線、武蔵野線、常磐線と都心を避けて走ります。車両は、E653系1000番台、国鉄特急色のK70編成。 I was thrilled to meet E653 series repainted in Japan National Railway limited express colour.【Bon appétit !】 The E653 series is an AC/DC dual-voltage electric multiple unit (EMU) train type operated by East Japan Railway Company (JR East) in Japan on limited express services since 1997. Originally used on Joban Line Fresh Hitachi limited express services between Ueno in Tokyo and Iwaki, they were reallocated to Niigata for use on Inaho limited express services from 2013 and on Shirayuki limited express services from 2015.(https://en.wikipedia.org/wiki/E653_series)
2022.04.02
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写真は、1968年11月に大宮工場付近の線路上で見かけた3軸貨車のチ500形のチ718号車です。 現在では3軸貨車を目にする機会はありませんが、歴史を俯瞰してみれば少数というわけではなく、1968年頃に廃止されるまでに、国鉄線上に12,000両が足跡を残しました。2軸車よりも多くの積載量とすることができる一方で、ボギー車ほど構造が複雑でないというところに狙いがありました。 チ500形は、最初から遊車(ゆうしゃ)用に製作されたため、荷摺木や柵柱はなく、床面はフラットです。遊車とは、長物車、大物車等に車長をはみ出す積み荷がある貨物を1車または2車跨ぎで積載する場合、その前後あるいは中間に連結される空車の長物車のことを言います。貨車記号「チ」は、「Timber」(木材)に由来し、長物車を意味します。
2025.07.05
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写真は、1969年1月7日に、品川客車区で撮ったものです。 写真の車輛の形式は不明ですが、見た目が「おいらん車」のように見えますので、おそらくオヤ31ではないかと思いますが、実際のところはわかりません。 「おいらん車」とは、建築限界測定用試験車のことを言います。矢羽根を広げている様子が花魁(おいらん)が沢山のかんざしを挿しているように見えることからその名が付いたと言われています。 建築限界試験とは、駅舎などの建造物が建築限界(線路を走行する車両に障害物が触れないようにするため、周囲の建造物が越えてはならない限界線)内に収まっているか測定する試験のことを言います。車両側面から矢羽根を広げ、建築限界からはみ出した建造物に矢羽根が触れて倒れるとケーブルまたは電気信号により伝達表示される仕組みになっています。
2025.07.27
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鶴見川を渡るD51451↑(1969年7月28日、鶴見-川崎間、品鶴線)鶴見川橋梁のD51844↑(1969年7月28日、鶴見-川崎間、品鶴線)写真は1969年に撮ったもので、鶴見川を渡るD51です。東海道本線の鶴見駅から東京方面へ向かってすぐの所にある橋梁です。この線路は、東海道本線に並行して走る貨物線で、鶴見駅を出て鶴見川を渡ると東海道本線から離れて、新鶴見操車場へ向かっています。現在の横須賀線の新川崎駅の辺りが、1969年当時に新鶴見操車場があった場所です。
2017.05.17
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スノープロウとつらら落としステイ↑(1970年2月22日、飯山、飯山線)飯山駅のC56↑(1970年2月22日、飯山、飯山線)飯山駅にC56131の引く旅客列車がやってきました。雪国のSLらしく、スノープロウを装着しています。また、アーチ形のつらら落としステイも装着しています。なお、飯山線は、国鉄日本最高積雪地点の記録を持っています。【Bon appétit !】 In 1945, the year the Pacific War ended, 7.85m of snowfall was recorded here. It is said to have been Japan’s largest snowfall of the time, with snow reportedly piling up as high as the roofs of two-story houses and allowing people to walk over power lines.(https://snowcountryblog.wordpress.com/2015/11/08/morimiyanohara-station/)
2017.06.20
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椅子を跳ね上げて立っている運転手↑(2018年6月10日、武蔵野線、埼玉県) 南浦和で乗り換えて武蔵野線に乗りました。 私が乗った電車の運転手さんは立って運転していました。 ほとんどの場合、電車の運転手さんは、椅子に座って運転していますが、珍しい光景です。 私は南越谷で降りたのですが、その間その運転手は一度も座りませんでした。 I was surprised to see the train driver who was not sitting but standing all the way.【Bon appétit !】 Pointing and calling(指差確認喚呼、指差呼称)is a method in occupational safety for avoiding mistakes by pointing at important indicators and calling out the status. It is common in Japan. Making large gestures and speaking out the status helps keeping focus and attention. The method was first used by train drivers and is now commonly used in Japanese industry. A 1994 study by the Railway Technical Research Institute showed that pointing and calling reduced mistakes by almost 85 percent when doing a simple task.(https://en.wikipedia.org/wiki/Pointing_and_calling)黒にんにく ちこり村 有機(オーガニック) 送料無料 お試し20片(約10日分) 初回限定・2個まで 黒ニンニク 黒大蒜 にんにく ガーリック チコリ村 有機栽培 自然食品
2018.06.23
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キセルを物色するお客さん↑(1972年12月、東京都)ラオスにある竹の一品種↑(2007年9月29日、ヴィエンチャン、ラオス)ピーと音のする小さなリヤカーを引いている職人さんを見なくなって久しいです。ピーという音は、リヤカーに乗っている小さなボイラーのようなものから出ているようです。小さな煙突があり煙が出ています。今日、高校生の時に撮ったネガフィルムのスキャンをしていて、ラオ屋さんの写真を見つけました。懐かしいので、ご紹介します。ラオ屋さんは、煙管(キセル)の清掃や修理をしてくれます。ラオといい言葉は、実はラオスを意味しています。キセルに使う煙管にはラオス産の竹が最も向いているそうです。【Bon appétit !】 The origin of the Japanese word kiseru is uncertain. The most common explanation is that it would come from the Cambodian word "khsier" meaning "pipe". But nothing truly attests it, and others think it could come from the Portuguese "que sorver" ("which is drawn"). There is also the same problem etymology for the word "rau", which refers to the main bamboo pipe of a kiseru. Some say that this term would come directly from the country name of "Laos" neighboring country of Cambodia which bamboo were used to make pipes. (http://www.kiseru-pipe.com/en/content/9-history-of-kiseru)
2018.12.30
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2枚の写真は、1968年7月に、大宮駅で撮ったものです。 屋根が取り払われて車両後部が無蓋貨車のようなスタイルになっているL字形の車体の車輛は、クモル24です。クモハ11形旧型電車を改造することで1955年頃から生産された片運転台式、17m級の配給車です。車両工場と車両基地との間で、車両などの保守部品を配るためにの事業用車両で、車両記号の「ル」は、「クバル」の「ル」から取っています。 普通の電車のような車輛は、クモニ13です。1933年から1942年にかけて木造車のモハ10形を全室荷物車に改造して製作された両運転台式、17m級の荷物車です。車両記号の「ニ」は、「ニモツ」の「ニ」から取っています。
2025.06.01
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写真は、1968年9月に横浜機関区で撮ったものです。 横浜機関区は、横浜駅の南、現在の高島町付近にあり、横浜港への貨物輸送を担う高島線の中継地点として、貨物列車の機関車の整備・補給を行っていました。 新鶴見機関区のD51が高島貨物線を通り、横浜機関区に来ていました。蒸気機関車の写真は、D51形のD51920です。この機関車は、1969年に厚狭機関区へ異動となり、1973年に廃車となりました。 ディーゼル機関車のDD13が入っている車庫は、横浜機関区の扇形車庫です。扇形車庫の前には転車台が設置されていて、横浜機関区廃止後には本牧市民公園に移設・保存されました。
2025.06.16
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3枚の写真は、1968年12月に、大宮機関区で撮ったものです。 凸型の機関車は、DE10形ディーゼル機関車527号機です。丁度、大宮機関区に新製配置されたDE10形ディーゼル機関車の1両です。DE10は、1966~1978年にかけて708両が製造され動力近代化を促進しました。動軸を5軸として13 t級の軽軸重を実現し、3軸+2軸の台車配置・前後非対称の車体構造など、9600形やC58形の代替機として広汎に使用可能とするための設計が随所に盛り込まれました。 見慣れない形の機関車2枚の写真は、DD90形ディーゼル機関車の1号機の前姿と後ろ姿です。戦後、国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、日本国内の車両メーカーは、独自の機関車を設計・試作していました。DD901は、1954年にアメリカのゼネラル・エレクトリックとの提携で東芝が製造した試作品です。大宮機関区に配置され、入換に使用され、1958年に国鉄が購入しDD90形とされました。その後も大宮操車場で入換作業に従事していましたが、輸入部品ばかりで保守に難があり、1971年に廃車となりました。【Bon appétit !】 A single locomotive was built by Toshiba in 1954 and used as a switcher locomotive, initially numbered DD12 1 (not to be confused with the JNR Class DD12, another type of switcher locomotive); the locomotive was built in a technical partnership with General Electric. Deployed at the Ōmiya Rolling Stock Center and reclassified as the Class DD41, the locomotive was used to perform switching duties and other light duties; in 1958 the locomotive was reclassified as the Class DD90 and renumbered DD90 1. As many of the locomotive's parts had to be imported to allow for maintenance DD90 1 was not used often and was withdrawn in March 1971 and scrapped.(https://locomotive.fandom.com/wiki/JNR_Class_DD41)
2025.07.19
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写真は、1969年1月に新鶴見機関区で見かけたモハ12形のクモハ12013です。 クモハ12013 は、1929年に製造されたモハ31050が出自で、戦後、両運転台に改造されてモハ34034とされた車両です。その後、車体長17 m級3扉ロングシート両運転台の制御電動車は出自に関係なくモハ12形とされたことに伴いモハ12013とされました。 この写真を撮った当時のクモハ12013の役割はわかりませんが、新鶴見機関区・新鶴見操車場と鶴見間の職員輸送用の電車として1996年頃まで活躍していたと聞いていますので、当時も同じ役割を担っていたのかもしれません。 省電の面影を色濃く残している車輛だと思います。
2025.08.15
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台湾で「便當(ビエンタン)」といえば、弁当のことです。 二つのお弁当が写っている写真は、阿里山森林鉄道、奮起湖駅近くで売られている弁当です。容器が昔の奮起湖弁當を再現した金属製になっていて、保温を意識しているそうです。写っているお弁当は、鶏肉弁当と豚肉弁当です。このほかに鶏豚ミックスの弁当が売られていました。 カラフルな絵が描かれている弁当は、台湾高速鉄道(高鐵)の嘉義駅で購入した高鐵弁當です。鶏肉、豚肉、野菜の3種類の弁当が売られていました。写真は、野菜弁当で、弁当箱は経木で作られていました。【Bon appétit !】 The famous Fenqihu lunchboxes are closely connected to the industries in Alishan. Since Fenqihu is centrally located in the area, it was the best spot for workers in the logging and tea picking industries, as well as other businessmen to stop by and take a break. Fenqihu lunchboxes had started then and continued until today. Every shop features their unique flavors.(https://www.ali-nsa.net/en/explore/souvenir)
2025.08.30
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写真は、台湾鉄路のE400型電気機関車のE405です。 E400型は、通常台湾鉄路の急行「莒光号」を牽引していますが、写真のE405は、塗装を変更しています。また、正面に、「鳴日」と書かれたチタン製のヘッドマークが付いています。 もしかしたら、観光列車「鳴日号」か「鳴日厨房」を牽引しているのかもしれません。「鳴日号/鳴日厨房」は、5ツ星レベルの豪華な料理を届ける台湾初の移動するグルメ車両として有名です。 「鳴日厨房」といえば、昨年、「西武鉄道 旅するレストラン『52席の至福』」と「台湾鉄路 鳴日厨房(ミンルーツゥファン)」が姉妹車両協定を締結しましたので、覚えている方も多いかと思います。【Bon appétit !】 The Future (Chinese: 鳴日號) is an excursion train operated by Taiwan Railway that is composed of refurbished Chu-Kuang Express rolling stock. As of November 2020, the train only operates if reserved in advance. The Future began services on 31 December 2020.(https://en.wikipedia.org/wiki/Future_(train))
2025.09.10
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写真は、1969年4月に大垣駅で撮ったものです。 貨車の写真は、事業用貨車のラッセル式除雪車キ550形キ552です。複線用の構造で、進行方向に向かって左側に雪を排除します。 キ552は,東海道線関ヶ原付近で使用されていましたが、1986年に廃車となり、その後、住友大阪セメントに売却されたということです。 写真では、貨車は白色の帯を巻いているように見えますが、実際の帯の色は黄色でした。なお、この帯は、最高速度65kmを意味し、高速化不適格車とされています。貨車の記号も高速不適格車を識別するため、記号に「ロ」が追加され「ロキ」となっています。 電車の写真は、581系電車の特急「つばめ」です。世界初の交直両用寝台電車で、月光形電車の愛称があり、広範囲の地域において、昼夜兼用で広汎に使用されました。なお、写真の「つばめ}は昼間の特急です。
2025.11.10
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浜離宮前踏切警報機↑(2019年3月15日、中央区、東京都)汐留から築地市場に向かって歩いていると、なんと踏み切り警報機がありました。と言っても、線路はありません。以前ここには、汐留貨物駅から東京市場駅に向かう引き込み線があったということです。1987年1月に最後の貨物列車が走ったそうです。I happened to meet an alarm of a railroad crossing in Ginza area, Tokyo.However, there are no rail around it.They say that the railroad has been abandoned since 1987, which run to Tsukiji Market from Shiodome freight station.【Bon appétit !】 Tokyo is not managed without a railroad. The number of the users of Shinjuku Station is near 3,500,000 people a day. A railway network set up like a mesh of a net carries enormous human beings day and night. In such Tokyo, there is abandoned railroads. There is the place where a track is left, or there is the place where only a monument is left.(http://jpn-trip.jp/magazine/maniacjapan/52676/)
2019.03.18
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相鉄線とJR及び東急東横線乗り入れ線の平面図等↑(2019年1月)2022年完成予定の新横浜駅見取り図↑(2019年1月、新横浜駅前、神奈川県)相鉄線のダイヤが2019年11月30日に改正されたことは、前回2019年12月2日のブログで書いたところです。上の写真は、2019年1月に入手した乗り入れ線の平面図等の設計図です。併せて、2022年度下期開業予定の東急東横線乗り入れで新たに設けられる予定の新横浜駅の見取り図が新横浜駅前に掲示されていたので掲載しました。Sagami Railway revised the timetable on 30 November, 2019, starting shared operation with JR. The company is going to start shared operation with Tokyu Toyoko Line by 2022.【Bon appétit !】 The Sotetsu Shin-Yokohama Line is currently under construction, linking Nishiya to Hazawa Yokohama-Kokudai, Shin-Yokohama and further to Hiyoshi on the Tōkyū Tōyoko Line. The line will allow through services to the JR Lines and Tokyu Lines towards the Tokyo Metropolis from 30 November 2019 and 2022 respectively.(https://en.wikipedia.org/wiki/S%C5%8Dtetsu_Main_Line)
2019.12.06
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3枚の写真は、1968年3月に、日本車輛蕨工場をバックに撮ったものです。 日本車輛蕨工場は、新幹線の試作車や量産車0系が製造されたことで有名です。 写真に向かって左向きに走っている南行電車は、クハ79 366です。前面窓傾斜タイプとなっています。前照灯はまだ埋め込み式になっていません。 運転席側にパンタグラフがついていて、前照灯が埋め込まれていない電車は、クモハ73 126です。クモハ73の初期の標準的な形です。 115系電車に並んでいて側面に汚れがある電車は、クモハ73です。前照灯が埋め込まれ側面窓が従来の3段窓から2段式アルミサッシ窓になっています。
2025.04.24
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写真は、1969年1月に田町電車区で見かけた167系修学旅行列車用電車です。先頭車は、クハ167-3です。塗色は、修学旅行色と呼ばれるライトスカーレット(朱色3号)とレモンイエロー(黄5号)です。 修学旅行専用車両は、1959年に155系が登場し「ひので」・「きぼう」の名で運行されました。1961年に中京地区向けの修学旅行用電車として159系が開発され、1965年に北関東地区向けの修学旅行用電車として167系が開発されました。その後新幹線による修学旅行が1970年に開始されると在来線での修学旅行列車は減少し、あらかじめダイヤを設定して走らせていた「修学旅行集約輸送臨時列車」は、1975年頃にはほぼ消滅しました。
2025.08.05
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写真は、1969年3月に蕨駅ホームから撮った103系電車とEF57電気機関車です。 103系電車は、京浜東北線には1965年から投入されましたが、1971年頃までは、72系などの旧形電車も並行して活躍していました。 EF57は、戦前・戦中における最強力の旅客列車用機関車として、東海道本線の特急・急行列車を中心とした客車列車の牽引に使用された名機です。1978年までに全機が廃車されました。
2025.08.17
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2枚の白黒写真は、1969年4月に天王寺鉄道管理局亀山機関区で撮ったものです。亀山駅は関西本線にある駅です。 機関庫の前にいる蒸気機関車は、C58形353号機です。この機関車には、この写真を撮った1年ほど後に、草津線で柘植駅から次の駅までの一駅間、運転室に同乗させていただいた思い出があります。運転室に同乗させることは当時であっても規則違反だと思いますが、まだまだおおらかな時代だったのでしょう。中学2年生だったので乗せてくれたのかもしれません。それにしても、運転室の揺れがひどいことに驚きました。 客車をつないでいる蒸気機関車は、C50形75号機です。亀山機関区で入れ替え作業をしていました。1971年に引退し、今は、足立区北鹿浜公園に静態保存されているということです。カラー写真は、2025年11月18日現在の北鹿浜公園のC5075です。修復中で赤い色は錆止め塗装の色です。
2025.11.18
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清掃中のナローゲージの車両↑↓(1978年2月、台東、台湾)写真は、1978年に台東線の終点台東駅で撮ったナローゲージの車両です。この当時の台東線の軌間は、まだ762mmでした。【Bon appétit !】 Taiwan began developing its rail service during the Qing dynasty, using a 1,067 mm gauge. The Japanese colonial government, which ruled from 1895 to 1945, continued using that gauge. The system is now administered by the Taiwan Railway Administration, and the Taipei Metro and Kaohsiung Mass Rapid Transit use 1,435mm gauge. The Taiwan High Speed Rail which began operation in January 2007, also uses 1,435mm gauge. A 762 mm gauge line on the east coast was regauged to 1,067 mm when it was interconnected.(https://en.wikipedia.org/wiki/Narrow-gauge_railways_in_Asia)
2018.01.24
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大宮機関区の蒸気機関車たち↑(1969年3月5日、大宮機関区)大宮機関区の29620↑(1969年3月5日、大宮機関区)写真は、1969年に大宮機関区で撮ったものです。多くの9600形が勢ぞろいしています。D51もいます。不思議なことに、29620のキューロクがいます。この機関車は、正面に給水温め器があり、一見するとD50 のような感じがします。資料を見ると平機関区にいるはずですが、どうしてこの時期、大宮機関区にいたのか、謎です。誰かご存じないですか?
2017.12.25
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本山停留場跡から鶴見駅方面を望む↑(1974年10月1日、鶴見線、神奈川県)東海道線跨線線路橋↑(1974年10月1日、鶴見線、神奈川県)鶴見線を出発するとすぐに、線路中央に1942年に廃止された本山停留場のホーム遺構が残っています。その先には歴史を感じさせる跨線線路橋があります。ここで横須賀線、京浜東北線、東海道線、東海道貨物線、京浜急行本線をまとめて跨ぎます。Soon after a train on Tsurumi Line leaves the Tsurumi railway station, you see an abandoned railway station.Then a train crosses over the Yokosuka Line, Keihintohoku Line, Tokaido Line, Tokaido Freight Line and Keihinkyuko Line.【Bon appétit !】 The Tsurumi Line is a group of 3 railway lines operated by JR East in Kanagawa Prefecture. The lines provide passenger services, especially for local workers. JR Freight operates to carry petroleum and other chemicals. The line is also used to carry jet fuel from the US Navy fuel depot near Anzen Station through the Musashino Line to Yokota Air Base in west Tokyo.(https://en.wikipedia.org/wiki/Tsurumi_Line)
2019.07.23
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3枚の写真は、1968年3月に東京駅で撮ったものです。 電気機関車は、東京駅の9番ホームに入線してきたEF65 527です。後ろに20系客車の特急「あさかぜ」を牽引しています。EF65形電気機関車は、1965年 (昭和40年)に開発された直流用電気機関車です。1979年(昭和54年)までに国鉄電気機関車史上最多である308両が製造されました。写真のEF65 527は、高速旅客列車牽引用として、1965年から1966年に製造された17両のうちの一つです。 湘南型の電車は、70系電車です。「スカ色(横須賀色)」と呼ばれるクリーム色と青色に塗分けられています。70系は、3扉セミクロスシートの電車で、1951年から1958年にかけて導入されました。当初横須賀線に導入されていましたが、1962年以降111系や113系が投入されたため、1968年1月までに全車転出しています。この写真を撮った時期は、1968年3月ですので、何故東京駅にいたのか、ネットで調べてみましたがわかりませんでした。もしかしたら、1月以降も東海道線で使われていたことがあったのかもしれません。写真の先頭車はクハ76014です。1977年に廃車されています。 通勤電車は、101系電車です。写真の中央線特別快速は、1967年7月に登場しました。運行開始当初は前面窓の内側に「特別快速」の小型表示版が掲げられていましたが、9月には大型のヘッドマークに変更されています。写真にあるように、ヘッドマークには「特」と「快」の文字が大きく書かれていますので、「特快」の呼称が定着したと言われています。101系は、1957年(昭和32年)に登場した直流通勤形電車で、当初モハ90系電車と称されていましたが、1959年の称号改正に伴い、101系と改称されました。旧来の吊り掛け駆動方式から脱却し、カルダン駆動方式などの近代的メカニズムを搭載し、いわゆる「新性能電車」のはしりとなった系列です。【Bon appétit !】 The Class EF65 is a 6-axle (Bo-Bo-Bo wheel arrangement) DC electric locomotive type operated on passenger and freight services in Japan since 1965. A total of 308 locomotives were built between 1965 and 1979. The EF65-500 subclass consisted of a total of 42 locomotives, including newly built locomotives and locomotives (EF65 535 - 542) modified from the earlier EF65-0 subclass (EF65 77 - 84) for use on overnight sleeping car services and express freight services.(https://en.wikipedia.org/wiki/JNR_Class_EF65)
2025.04.19
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写真は、2025年9月8日の赤羽線十条駅の赤羽寄りにある踏切で撮ったものです。 埼京線開業40周年記念ヘッドマークを付けた電車が通り過ぎていきました。 この長閑な開放的な景色ももうすぐ見ることができなくなるということです。 立体交差計画が2020年に認可され、2031年の事業完了目指して、十条駅を中心として約1.5kmの区間について鉄道を高架化し、6か所の踏切が無くなることになっているそうです。
2025.09.15
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2枚の写真は、2025年10月18日に、秩父鉄道御花畑駅付近で撮ったものです。 2両編成は秩父鉄道7800系です。3両編成は秩父鉄道7500系で、ジオパーク秩父ラッピングになっています。 どちらも、東急大井町線で走っていた東急8090系を改造したものです。パンタグラフがシングルアーム型から従来の菱型に戻っています。 なお、東急8090系は、航空機の強度解析に使用される有限要素法を用いたコンピュータ解析により設計され、日本初の量産ステンレス軽量車体を採用した車両で、1980年から製造が始まりました。 【Bon appétit !】 The Chichibu Railway Company, Ltd is a small-sector private railway company operating a railway line in northern Saitama Prefecture. Taiheiyo Cement is its largest shareholder, and one of Chichibu Railway's main operations is the transportation of limestone from Mount Bukō. The railway's passenger services concentrate on the tourism industry, as there are popular destinations along the line. A train hauled by a steam locomotive also operates regularly during some seasons.(https://en.wikipedia.org/wiki/Chichibu_Railway)
2025.10.22
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写真は、1969年4月、中央西線多治見駅で撮ったものです。 蒸気機関車はC58です。構内で入れ替え作業をしていました。 ディーゼルカーの写真は、キハ91系の急行「きそ」です。先頭車は、キハ91系のキハ915。キハ91系は1967年に新系列強力型気動車の試作車として設計・製造された急行形気動車です。製造後わずか10年で運行終了となりましたが、試用された様々な要素技術は、以後の国鉄気動車・客車に大きな影響を及ぼしていて、気動車史上重要な系列ということができます。 電気機関車はEF6411です。1968年から稲沢第二機関区に転入し、中央本線などで活躍していました。1964年に製造され、奥羽本線板谷峠越え(福島 - 米沢間)のEF16形の置換え用として活躍した機関車です。 電車は、70系のクハ76303です。神領電車区に所属し、名古屋と中津川間を運行していました。70系は、横須賀線や中央東線など通勤と中距離路線用に開発された3扉セミクロスシート車で、1951年から1958年にかけて製造された車両です。
2025.10.29
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2枚の写真は、1969年4月に撮ったものです。 ディーゼル機関車は、北陸本線田村駅で見かけたDD50形のDD50 6で、後ろにDD50 2が連結されています。DD50形ディーゼル機関車は運転台が片側にしかなく、常に2両を背中合わせに連結して重連運転することを前提として製造されています。その意味では、D型というより動輪8つのH型と言えます。当初は、敦賀機関区に配置され、米原-敦賀駅間で使用されていましたが、1967年からは、米原駅-田村駅間で直流電気機関車と交流電気機関車の中継に使用されていました。 急行「兼六」のヘッドマークを付けた先頭車は、米原駅に停車中の交直両用急行形電車のクモハ471-1です。「兼六」は、名古屋-金沢間を結ぶ急行として1966年にデビューしました。
2025.11.13
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台東線光復付近↑↓(1978年2月、光復付近、台湾)写真は、1978年に撮ったもので、台湾東海岸を走る台東線です。台東線の規格は軌間762mmで、軽便鉄道でした。この写真を撮った1978年の7月から改軌工事が始まり、4年の歳月をかけて、現在の軌間1,067mmになっています。【Bon appétit !】 Taiwan Railway Administration is the main operator of most passenger services and all freight services on Taiwan's 1067mm gauge traditional network. The various main lines form a loop around the island that connect most of the country's major cities, with small branch lines at various points to the interior.(https://en.wikipedia.org/wiki/Rail_transport_in_Taiwan)
2018.01.18
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タートルアン祭りで記念撮影する女性たち↑ ラオスでは、月に4回仏教の日(ワンシン)があります。 新月の日、上弦の月の日、満月の日、下弦の月の日の4回です。 早朝からお寺に行ってお祈りを捧げます。 お祈りする時は、正装してお寺に行きます。【Bon appétit !】 明治憲法の施行は1990年11月29日 The Imperial, or Meiji, Constitution was the fundamental law of the Empire of Japan from 1889 until 1947 Enacted after the Meiji Revival, it provided for a form of constitutional monarchy based on the Prussian model. This constitution allowed the active Emperor to wield(行使する)considerable political power, but this control was to be shared with an elected assembly.
2007.11.30
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日本石油をバックに走るD51↑(1969年7月28日、鶴見―入江、高島線)入江駅付近のD51↑(1969年7月28日、鶴見―入江、高島線)京浜工業地帯には高島線が走っています。鶴見から桜木町までの貨物線です。みなとみらいにある汽車道はその一部でした。高島線はD51が貨物列車を引いて走っていました。入江駅周辺には、たくさんの工場がありそれぞれの工場に引き込み線があり貨物列車が行き来していました。
2017.05.16
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CK127(左)とCK126(右)↑(1978年2月18日、二水機関区、中華民国)CK124↑(1978年2月18日、二水、中華民国) 台湾総督府鉄道向けに1936年から1942年にかけて、7両のC12が日本車輌で製造されました 日本ではC12はデフレクターなしで走っていましたが、台湾のC12にはC56と同様のデフレクターが装備されていますので、日本のC12とは印象が異なっています。 太平洋戦争後は台湾鉄路管理局が引き継ぎ、CK120形 (CK121 - CK127) と改称されました。 この写真を撮った翌年(1979年)6月に、西部幹線が電化されたことに伴って廃車されました。【Bon appétit !】 From 1936 to 1941, the Nippon-Sharyo was built in 7 C12s for Governor-General of Taiwan Railway. After World War II, they were taken over by Taiwan Railways Administration, and they were classified CK120.(https://en.wikipedia.org/wiki/JNR_Class_C12)
2018.06.05
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国道駅改札口↑(1974年10月1日、鶴見線、神奈川県)国道駅ホーム↑(1974年10月1日、鶴見線、神奈川県)生麦魚河岸通りへ行こうと思い、鶴見線国道駅で降りました。鶴見駅を出て最初に停まる駅です。国道という名前の通り、国道(第1京浜)の所に駅があります。高架駅になっていて、ホームから階段を降りると、ガード下に出入り口がありました。自動改札機はありませんが、簡易Suica改札機が設置されています。券売機もあります。ガード下はアーケードになっていて、古き良き時代を感じさせます。駅構内は、1930年の建設当初から、全く改築されていないとのことです。Kokudou railway station is the first station to stop after leaving Tsurumi railway station on Tsurumi Line.The platform is on a viaduct and there is an old arcade under the viaduct which keeps an atmosphere of the Showa period. 【Bon appétit !】 Kokudō Station was opened in 1930 as a station on the privately held Tsurumi Rinkō Railway. The station was later absorbed into the Japan National Railways (JNR) network. In 1949, the station was used as a location setting for the Akira Kurosawa(黒澤明)movie Stray Dog(野良犬). (https://en.wikipedia.org/wiki/Kokud%C5%8D_Station)
2019.07.24
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前回、大宮方面から赤羽線板橋駅へ向かうD51 をアップしましたが、今回は、その逆で、板橋駅から大宮方面へ向かうD51牽引の貨物列車をアップします。 大宮方面へは全て逆機(バック運転)になっています。というのは、板橋駅には転車台が無く、機関車を進行方向に向けることが出来ませんので、逆機で大宮方面へ向かうことになります。 D51はテンダー機関車(石炭と水を積載した炭水車が接続されている機関車)ですので、逆機での前方確認はかなり大変だったのではないかと思います。 写真は、1967-1968年頃に、蕨―南浦和間で撮ったものです。
2025.03.10
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