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さあ、今日で昨年末のパリ・イタリアの旅写真も終わる 4ヶ月以上時間が過ぎてしまった それでも、いろいろな事を想い出せたので、イタリア・パリへの想いが またよみがえって楽しかった 最後の写真は、定番である上空から見て感動した神秘の世界と 「翼よあれがパリの灯だ」と言う映画の 言葉が思わず口から出てしまった程 凄い明るさ、美しさであった この写真はホンの一部しか写っていない ローマからドゴール空港へは、パリの上空を通過して入るらしい 今まで夜の飛行で、ここまで明るかった事は記憶が無い 空港が市街地から遠いという事・余り市街地の上空を飛ばないで 空港へ回り込む所が多いからだろうか(成田しかり) 香港・ソウルも住所地近くを通るが、パリには及ばない それより何より、パリの電気使用量は半端ではないという事か ややこしい事はさて置き、出来ればズーット上空を飛んで、下界を見ていたかった パリへ夜入った人は、この風景を見ていると思う もし停電になったらなんて事を思ったのは、これを書きながらであるあり得ない事ではない都会は常に危険と隣り合っている首都圏でも時々、場所によって起きている これはネガティブな想像かもしれないが、余りにも明るかったので地球上の格差を感じてしまった 余談である・・・特に、アフリカの電気事情は相当低く現在も停電・断水が日常茶飯事だと言う。何の予告も無く停電は来るらしく、パソコンが突然切れたりするのでバッテリーの持ちも悪く、故障がちらしいと言う情報が入った所だったので、・・・パリの灯かりとこじつけたような・・・事になってしまった何を言いたいのか、整理整頓が出来なくなりつつあるので、この辺で この日のパリ上空からの写真はとても伝えきれないが お許し願いたい現地を見る機会があったら、是非撮って来て貰いたいと願う パリからの帰りの上空から見た、朝日が昇り始める 飛行機に乗る大きな楽しみは、上空から見る地球の風景である特に夜の飛行は好きで、眠るのが惜しくなる夜中の星の輝き、位置などは決して地上では見られない朝日・夕日もその一つである 小さな光が「月」で、大きな光は比翼の先端 これでこの旅の写真は終了ご覧頂き、コメントも頂き、感謝感激ありがとう・メルスイ・グラツイエ さてこれからどうするのかパスポートも切れることゆえ行きたくなったら申請に行こうと、思案中人生は旅だから、これからもその旅が終わるまで、旅をする 暫くは、ちいさな旅で日々足を鍛えて、次なる非日常にそなえる事に
2008年05月01日
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ローマで見た妙な建築物 古い建造物の両側に、新しい建物を作ってある 何回見ても 07年12月20日ローマからパリ経由で帰途につく 出かけたのは5日だったから、16日間である ローマ「テルミニ駅」は、数年前に来た時から すっかりリニューアルして、広く、明るく、美しくなっていた コンコースは何時も乗降客でごった返している ホームは余りに多く、乗るべきホームを見つけるのがやっとである 列車もカラフルでイタリアらしい さてこの日、ミラノで合流した友人はミラノ経由大阪行きに乗る 時間もわたくしより相当早い便なので、駅まで送って行く時間ギリギリなので大丈夫かなーーっと思ったが大丈夫大丈夫、と言うので安心して別れた それからわたくしは、最後の土産を見たり、スーパーへ寄ったりして のんびり街を歩きホテルへ帰った 1時間半ほどして、友人から電話が入る「乗り遅れた」「2泊ホテル取って」何々何故何故「ホテルで待つから」と言ったら「今から直ぐ空港へ来て」と言うホテルは2泊予約出来た、一人だから安くしてと交渉したが同じ値段しか出来ないと言う、仕方が無い 何という事時間は早すぎるが、荷物を持って列車に乗る きっとがっかりして、落ち込んでいるだろうと気が気じゃない列車から降りたら、彼女が待っていた どうしたのと聞くと、 ローマの空港はとてもわかりにくく、辿り着くまでに時間が掛かって、搭乗時間を過ぎてしまったと言う それでも助かったのは、2日後に変更できた事である安いチケットなので若しかしたら駄目かと予測していたので何よりよかった 彼女はローマは初めてだったので、2日間じっくり観光するしかないねと慰めて、わたくしは搭乗時間になるまでお茶を飲む 後髪を引かれながら、別れた 帰ってからの連絡で「ホテル」がシングルで、しかもランクが相当落ちた部屋だったと言う足元を見られたそれでも、一人でゆっくりローマを楽しんだそうだ という事で、わたくしも乗り遅れた経験があり(チケットは変更出来た)彼女の気持ちがよくわかる 出来るだけ早めに空港へ行く事にしている早く行った時に、飛行機が遅れたりと言う事もあるが乗り遅れるよりはまだいいと思う飛行機は待ってくれない イタリアでは、ちょっとだけ買いたいものがあったので買ってきたがその中で一番良かったのが 「バルサミコ酢」である イタリアでも「フィレンツエ」で作られている最高のものは「ウン万円」するので ちょっと下の物「12年」物等3種類買った 一番美味しく、高価なのはどれ
2008年04月30日
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帰国の前日夕方の街を歩く ここで見たのは、ローマの日常、わたくしの非日常 街頭に灯がともると、そこは別世界 三越前のロータリーで見た夕日に染まった飛行機 彫像の周りで、お休みの舞いと、帰巣への集合を始めた 鳥の集団 明日は帰国という日の「ディナー」を ちょっとだけ贅沢する事にした レストランの前はトラムが走っている レストランの玄関 スタートは「生ハムとメロン」 この旅で生ハム何回も食べた(イタリアは生ハムが美味しく、自慢の食材) 野菜のスープ ミラノかつとスパゲッティー この人はレストランに入って弾き語りをする 「流しのオジサン」 らしい この時、食べていたらやってきて歌い始めた 我々の他に、ツアーで来ていた日本人カップルが2組いた後でわかったのだが、その一組が呼んだらしいこの流しのおじさんは、呼ばれたので来て歌った所が誰もチップを出す気配が無いので歌を止められない我々は始めは楽しんだが、段々歌声が大きすぎ食事の邪魔になってきたどうなるのかと黙っていたら、チップをくれと言われたおじさんを呼んだカップルは、サービスだと思ったらしい(日本人はサービスが付いてくると思いがちだがチップの国でサービスで歌う事は先ず無い)呼んだ2人は「この店に居た人だからサービスだと思った」と言ってチップを払うのを渋っている年長の我々が「3組で少しづつ出そう」と提案し、オジサンに払ったらあっという間に居なくなったレストランの人は「ケチな日本人」と言う感じで全くタッチしなかったそれも無理は無い恥ずかしい 言葉・習慣の通じない国での行動は、余程控え目にして丁度よいかも特にチップ制度のある国での対応は、旅の前から十分情報を集めたい考えてみれば、流しのオジサンに只で歌ってもらうのは無理があるたとえ店に居たからと言って、歌ってと言った以上は、チップは当然である こんな経験初めてだったが、これも旅ならでの体験である
2008年04月29日
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作年末、イタリアを列車で縦断した最後の街「ローマ」のアップだけが ちょっぴり残って、やっと辿り着いた 「ローマは一日にして成らず」「全ての道はローマに通じる」 という事と何の関係もない ナポリからローマへ列車の移動 ナポリの駅で経験したこと 男の人が何だかんだと声を掛けてくるよく聞くと、何処へ行くのか何時の列車かだったら案内するよと言う・これは駅員ではないだから相手にしてはいけないと思ったが、既に友人はその人について行くと呼び止めたが、早足で前を行ってしまう きっとチップ稼ぎのオジサンだわたくしはちょっと離れて様子を見る事に・・・・・・駅員がいたので聞いたら目の前の列車でオーケーだった、友人を呼び止めて、素早く乗り込む・・・・案の定、オジサンが手を出してチップよこせと言っている知らない振りして座席に付いた・・・彼女は駅員だと思い付いて行ったという事だった。ヨーロッパで駅員から案内の声を掛けて来ることは先ず無いと思う・・・声掛けてくる人には要注意 ローマ行きは料金により快速・鈍行・特急等がある 我々のチケットは指定以外は含まれているので、何でも良かった ナポリから列車に乗ってローマまで約2時間30分で着いた(乗った列車は鈍行らしい) ゆっくり眠って行けたので、楽だった 窓外の風景 ローマに近くなってきた また落書きが始まった いよいよローマ 昨年末、ローマからリアルタイムでアップしているので、よっかたら12月のブログを・・ 今日はこの時ローマで泊まったホテル この旅で泊まったホテルは、2人で1泊「10000円」前後(朝食付き) を選んだ メールで相談し、インターネットで予約を入れた 今回廻ったイタリアは ミラノ ・ ヴェネチア ・ フィレンツェ ・ ナポリ そしてローマである ホテルの場所は、ヴェネチア以外は、荷物の移動を考えて駅の近くを選んだ その中で一番内容が良かったのが「ローマ」であった テルミニ駅に3分ぐらいの所で、インターネット無線ランフリーだった ツインの客室 今回のホテルで、バスタブ付はここだけ 朝食のレストラン 旅の疲れも出る頃、バスタブ付で、朝食の内容のまあまあだったので 心身ともに安らぎ、3回目のローマを楽しんだ このホテルでの後日談があるが、最後に・・・・・
2008年04月26日
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ナポリのブラブラ歩きで見たこと 繁華街の中のCD等の店主らしき男性 新聞を読みながら、こっくりこっくりし始めた 12月で外は寒いのだが、余程寝不足だったのか 面白くてつい見とれてしまった このお店では、通行人がいるのもお構いなく お掃除に余念が無い 急に小雨が振り出した何処ともなく傘売りがやってきたのにはびっくりするやら、タイミングのよさに感心した アパートなのかビルなのかはっきりわからないが バケツの連結 上のほうで何かやっているらしいが 材料を運ぶバケツのようだった 小耳に挟んだ情報でピッツァが美味しくて伝統のあると言う店を探し行ってみた 余り空腹ではないので2人で1枚オーダーした 相当歴史があるらしい壁には他にも写真が掛けてあった 安いのも魅力らしい 大きさもたっぷりである焼きたてのあつあつで、美味であった 食べ切れなくて、包んで貰った 街で見かけたファッションの店は、パリでもそうだったが ここナポリも、黒系だけを置いてある店が多かった 黒が流行りなのだろうか、わたくしこの数年黒系を主に着ているので 何となく不思議な心境であった ナポリも、バス・トラムが縦横無尽に走っていた ヨーロッパの国では、トラムを残している町が沢山あり エコを考えると、トラムはとても有効な乗り物である 狭い路も車だけが優先ではない、人の運行を優先している 日本では市電(トラム)をやめた所が多く、残念な気がする イタリア市内の道路は、石畳が多く自転車は難しいが トラムがあれば、料金も安く庶民の足として便利である
2008年04月05日
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日々の事が優先になり、イタリアの旅からすっかり時間が経ってしまった ナポリとローマの残りを又アップする事にナポリは少し憧れと期待があったのだが 歌にも歌われているように 「ナポリ夢の街・恋の街」なんて 現実は厳しいものがあった時代が変われば又違う町になるのだろうかという事はわたくしの呟きである 海岸にある「サンタ・ルチア通り」から、夜の散歩で見た 夜は汚れも隠してしまうので、美しいナポリが見られた ヴェスーヴィオ山 長い埠頭の突端にあり照明があたって見えるのは「卵城」卵城って何なのだろう 名前の由来は、城の基礎に埋め込まれた卵が壊れると同時に、町も城も滅びると言う伝説に由来するらしい12世紀のノルマン王によって建てられた。13世紀アンジュウ家の王の住居となった現在の城の周りには、カフェが並び港には豪華なヨットが停泊している。と由来を知ってもなお、疑問が残ったままである 夜の城は、近寄りたくないちょっと不気味な、カフェとのミスマッチな妙な風景であった 街の中にも城のような建物が これは、ヌオーヴォ城と言う 王の住居であった卵城が、立地的に不便であったので、1284年アンジュー家の新しい城としてカルロ1世がここに建てた現在は、パrクァティーノ礼拝堂を含んだ市立美術館になっている 街中で現在も発掘作業が行われている 車の駐車の仕方など、早足で通り過ぎたい雰囲気が漂っている 中心地の横丁は、車も通れない狭い路が結構ある 上を見ると、洗濯物が 注意しながら歩く事に ビルとビルの橋は中廊下 この紐は 所変われば習慣も変わる聞く事も出来ず疑問を抱えたまま帰ってきた・・・残念・・・「言語障害」
2008年04月04日
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ポンペイの中にあって、中心より少し離れている場所に 「秘儀荘」と言う家があり、フレスコ画が美しく残っていると聞き行って見た ここは、紀元前2世紀前半に母体が建設され、 その後現在に至っている ここで注目されているのは、「ディオニュソスの秘儀」への 入信の様子を描いた「フレスコ画」である 背景には「ポンペイの赤」が使われ、儀式の作法を示す連続絵画、等紀元前に描かれたと言われる壁画が、今尚色鮮やかに残っているのを見て、感動する 時間も経ち、気温もどんどん低くなりこのイタリアの旅で最も身に堪える寒さであった暖かいラーメンを食べたいと思った事を思い出す 帰りの路から見たポンペイ 停まる駅を見ると どの駅にも大々的な落書きがあり、電車の車体も外が見えないほど落書きが凄い イタリアの駅の落書きは何処もあったが、ナポリ~ポンペイへの線は、芸術的と言うか あるがままに放置しているのも お国柄なのかもしれない 追伸タイムリーですねー、大阪の地下鉄の車両に落書きされたと言うニュースがありましたこれは、犯罪だそうですお国柄の違いがはっきりしたようですね
2008年03月20日
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一度は行って見たいと思っていた所 2000年以上前に栄えた街、ヴェスーヴィオ火山の噴火により、火山灰の下に埋もれてしまったポンペイ ポンペイはイタリアを訪れた人は勿論、世界の観光地として余りにも有名な街である 映画をはじめ、ポンペイについての情報は沢山あるので、撮ってきた写真の 一部を紹介する この日は気温も低く、訪れる人も少なかった スポーツジム・共同浴場・居酒屋・等々、現代と殆ど変わらない 日常生活がここにあったと言う事がわかる 馬車のわだちが残る石畳の道を歩くと、何処からか当時の住人達の生活の 音や話し声が聞こえるような、そんな錯覚さえ覚える とは言え、殆ど石作りの家が延々と連なっている、遺跡である そして広大な街であり、全てを見る事は無理なので、ホンの一部を歩いた ナポリからヴェスヴィオ周遊鉄道に乗り、ポンペイ・スカーヴィ・ヴィッラ・ミステリ駅駅から歩いて直ぐ入口がある(電車往復3.6€ 入場料11€) 細かい解説は省かせてもらい、雰囲気だけを伝えたい 韓国の団体さん
2008年03月19日
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駅前からバスに乗って、 「ビア・トレド」と言う停留所で降りた このバスの中で友人は、男の人から妖しげな素振りをされ それを見ていた乗客が間に入って助けてくれた・・・と言うことがあった 賑やかな街中を歩いて、フニクラーレ(ケーブルカー) チェントラーレ線に乗る ここまで来るには、何人かの人々に案内して貰わないと 来られなかったみなさんありがとうと言いたい このフニクラーレとはかの有名な歌 「フニクリフニクラ」と同意語らしい フニクリフニクラの歌は、1880年、ベスピオ山に出来たケーブルカーの 利用者が少なく、宣伝する為に作られたものであった 世界で最古の「コマーシャルソング」と言われている どんな電車なのか期待をして行って見ると 目に入ったのは、マントを纏った青年達 全員素敵に見える何の制服なのか最後まで聞けなかった 降りてから、彼らの後を追ったのだが、坂道が多く 追いつけなかった 市バス・フニコラーレ等公共機関は、90分以内1€で乗り降りオーケーなのでチケットは買わないで入れたこの格子の向こうに電車がやってくる 電車が入って来た 出入口が違うので、スムースに乗降出来る この電車は、山の中を掘って作ってあり、地下鉄のように全く外は見られないケーブルカーなので、傾斜が強くゆっくりとした速度で上がってゆく 降りたときには、乗るのを待っている人達が見られた 途中の駅で下りてみた 途中駅から見られたのは、ナポリ湾と市民の住宅であった この「フニクラーレ」はナポリ市民に取って、大切な生活の足である この山の上には、沢山の住宅・賑わう街があった 行きのバスの中で、友人が嫌な目にあったが、帰りには わたくしの横に居た男が、肩から提げていた水のボトルの入った袋に 手を入れようとしたので、パッと位置を変えて見ると 直ぐ前に居た友人のコートのポケットに、手を入れかけた わたくしが、彼女にそれを知らせたら、停留場でそ知らぬ振りして 降りて行き、見ていたら後の車両に乗ったのを見た 被害は何も無かったが、嫌ーーーな気分であった 外国人の顔をしているので、狙われたと思う 用心していても、何処に難が待っているかも知れない 今は、どの国が安全であるとは言えない状況になっている
2008年02月15日
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イタリアの旅3箇所目の街ナポリへ 列車で3時間半のゆったりとした行程である この列車は全席指定で20€(約3500円)かかった 途中ローマを過ぎる頃、3日後にこの駅へ降りると思うと ちょっとわくわくする 列車から見た窓外何度乗っても列車はいい ナポリへ着いた時は、鳥たちがねぐらへ帰る時間だった ナポリのゴミ問題 (年末年始にゴミの回収が無く、 町中にゴミが溢れ、所々火をつける人が出たりして、市内は騒然となっている) 新年、日本でも報道されていたが、 この時見たのが中央駅前玄関でこの通り 冬で相当気温が低かったが、臭気が漂っていた 町全体にゴミが散乱している、ここまで見たイタリアで、 最も危険を感じられる風景であった ****貧・富とは関係なく、街も家も、清潔な環境が人の気持ちに反映する**** こんな言葉を聴いたことがある・・・・ 中央駅から直ぐの所にあるホテルの部屋からこの街を見た 意外だったのは、夜10時頃になると 店が閉まり、人の行き来も途絶え、静寂な街になったことである お陰で、静かな睡眠時間が与えられた
2008年02月13日
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この日は友人だけ「ウッフィッツィ美術館」へ行った私は、数年前見ていたし、イタリアへ行くまでパリで美術館巡りをしていたので今回は止めて、フィレンツェ市内をぶらぶらする事にした フィレンツェの名所「ヴェッキオ橋」周辺で見たこと色々 この場所を見ていたら、何処かでこれに似た所があった気がする思い出したのが、スペインの「ジローナ」で見た風景水のある所の家並みは、わたくしは強く惹かれるその写真は下記のURLで見られるこのURLの写真と似ていた 日の高い時間にヴェッキオ橋から見た川面日が落ちた同じ場所川面が美しい 現在のヴェッキオ橋は、両側とも貴金属の店が並んでいる この橋は洪水にあい、1345年再建されたフィレンツェ最古の橋である 1565年までは、食肉・八百屋などが並んでいたが、川の上に「ヴェッキオ宮殿」とピュッティ宮殿を結ぶ ヴァザールの回廊が出来た時、余りの臭気に生もの商店を撤廃させられた、という事だった宮殿の住人は、生ものを食べないのだろーか この橋の貴金属店の窓からは何時も川面が眺められる入って見たかったが、貴金属に興味の無いわたくしは勇気が無く、外からちょっと眺める事に これは何処で何を 並んでいるのは、子供達である ヴェッキオ橋から2ヶ所で、ゴルフの打ちっぱなしをやっていた 水の上にグリーンを作り、打っていた青い矢印は、玉を拾うボート このゴルフのボールは、水に浮くようになっているらしい打っていたのは、殆ど子供であり、相当な実力の持ち主達であったグリーンは6ヶ所あった面白い発想であるついついここで時間を潰してしまった ウツフィッツィからヴェッキオへの道では、画家達が商売商売 前を歩く若者のジーパンの模様が 街ではこんな事は何時も見かけるが、この2人はクリスマスの街に似合っていた
2008年02月09日
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イタリアの旅写真を又再開するミラノ・ローマのドウーモには上がっているがフィレンツェのドウーモは今回初めてである 上がったのはの所 先ずドウーモへ入って中を見る ここでも結構高く感じたが、まだまだこれからが長い 中の階段の一部、大変急な階段が、延々と続く 途中明かり取りで空いている窓から眺める段々期待が膨らむとともに、体力がきつくなって来る ふうふう言いながら上がった所から360度のフィレンツェを見る始め寒かったが、ここへ上がると、汗をかくほどである全景を見ながら、マップであれが・これが・あそこが・・・・等々、確かめられる程フィレンツェの街は、手ごろな広さである ドウーモも街中も、足元に細工された石の模様が大変美しい フィレンツェが落ち着きもあり 歩き易い好きな街である
2008年02月08日
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ヴェネチアの街で、こんな橋は何処でも見られるがここは歴史的に特別な橋であるドウカーレ宮殿と旧監獄を繋ぐ橋で「溜め息橋」と呼ばれていたこの橋を渡って監獄へ入ると、生きては出られないと言う辛くて悲しい橋だった 朝日の当る建物 に建物が映っている 運河は何時も舟が行き交い、水音とエンジン音で賑やかである ここは海を背にした「サンタ・ルチア」駅正面ここからイタリア全土・隣の国スロベニア等へ列車が出ている 今回は冬の旅であり、パリ・イタリアで余り食事に期待が出来ないので 何時も持って行く携帯用「鍋」を持参した 友人と相談して、ラーメン・うどん等も持参 この日のディナーは、スーパーで買った シーフードサラダ・生ハムとうどん・ラーメンを食べた美味しかった これは、現地の市場で見つけた「ホワイト生アスパラ」 生のホワイトアスパラは大好物なので、即購入してゆでる そして、生ハム専門店でカットして貰い買った超高級生ハム この日はお米(持参)から「御飯」を炊いた まるで「ホテルでキャンプ」状態だったが 十分満足できるディナーだった わたくしの冬のヨーロッパの旅に、この鍋は必需である 何時も温かい好きなお茶が飲めるのも便利 ヴェネチアから次の街フィレンツエに向う
2008年02月02日
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ベネチアはアドリア海のラグアーナに沢山の島が点在する 今回はムラーノ島に行ってみた勿論舟で海を渡る 舟から降りると、この島の日常がある この島は、ヴェニチアングラスを作っている島である13世紀にガラス職人が移り住み、ヴェニチアンガラスの島と呼ばれるようになった我々もガラス工房を探して見学した 冬なので温かさが心地よいが、夏は相当厳しいと思う ここも運河があり、道路側は、殆どお店になっているガラス製品を売る店が並んでいる ここで買って来たのが、ヴェネチアンガラスの「ベル」1個 わたくしは、旅先で自分に買うのが何時もご当地の「ベル」 何時の頃からか、買い始め、今では数十個溜まってしまった場所を取らず思い出が語れるたった一つの品物である
2008年01月31日
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イタリアの旅を再開する事に・・・ ヴェニチアが途中になっていた数回のヴェニチア訪問なので、新鮮さに欠けるが、その時々で目にする事が、新しい時もあるランダムに写真を載せる事に サンマルコ寺院の周辺は、鳩の群れが凄い観光客達が面白がって餌を撒くと、その人に集団で群がって来る逃げても逃げても着いて来る寺院の上から見ていたが、鳥は色んな害をもたらす、と聞いているので彼らは大丈夫なのかと要らぬ心配をしながら下へ降りた時は、急いでこの場所を抜けた 少し歩くとこんな狭い道が至る所に見られる今回の発見は多くのシニアの女性達が、ロングの毛皮のコートを 着ている事であった確かに気温も低くかったが余りの多さに、ヴェネチアの市民の豊かさを見たような気がする また、男性たちもセンスの良い服装でイタリア紳士らしい人達が沢山居た色々な街を歩いたが、ヴェニチアが一番ファッションは素敵だった さてさて、上とは全く別の写真がこれ さあここは何処へ入る関所公衆トイレであるヴェネチアは何処も1€(170円) このトイレは「駅」のトイレコインが無いと入れてくれない ヴェネチアで珍しいと言われる「木造の橋の欄干」
2008年01月26日
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ミラノから午後ヴェネチア行きの列車に乗るこの列車は、4回目である今回は、日本で言えば「のぞみ」のような新幹線らしく全席指定だった日本で、イタリアユーレイルパスを買ってあったので1等車指定券のみ15€約・・・2600円 乗客は、サラリーマン風な人が殆どで我々2人は何となく場違いな列車だった車内は、広いテーブルとコンセントもあり、コンピューターを使う人も結構居た 3時間以上かかると思っていたが、2時間で到着びっくり・うれしいである既に日は落ち、暗くなっていた 先ず船に乗るためのチケットを購入しなければならない2泊の滞在なので、48時間券を購入船チケット代(48時間券25€・・・約4300円)時間内は乗り放題だが、結構高くなっていた 駅前から船に乗って、 リアルト橋ベッキオ橋(ヴェネチア市内の一番人が集まる橋)で降りた 予約したホテルを探すのに、回り道だったのか結構時間が掛かるヴェネチアの道はキャスターつきのスーツケースを運ぶのは、結構しんどい 後でわかったが、ベッキオ橋から歩いて近い所だった ホテルの部屋は赤が基調で高級感があり、壁布にはクッションが入っていたくっ付けてあるツインベットを、離して寝る事に 姫になったような楽しい経験 ホテルの部屋から見た外はヴェネチアらしい狭い道 朝出かけたら、ホテルの近くでゴミの収集この街は車の代行が船である・・・生活の移動からものの配送まで、全て船である船タクシーと言うのもある
2008年01月19日
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パリドゴール空港からミラノに向け出発したのは午後早くだったドゴール空港 ミラノへの飛行途中には、スイスの山々が見られる パリからミラノマルペンサ空港へは、1時間20分と言う距離一眠りもしないうちに着いてしまう空港からバスで約1時間、中央駅に着くこの駅には数回来ているので、地理はわかっているあらかじめ予約したホテルへチェックイン 友人は、関空から直行便でミラノへ着くのが夜の7時ごろの予定それまで一人でミラノ駅周辺を廻ってみるこの駅は要注意の場所以前来た時、2回掏りにやられている 今回は冬なので、持ち物もコートの中であり十分注意しての散歩であるそんな眼で見ながら歩くと、相当危ないかナーーっという光景をチラチラ見かける殆ど何も手にしないで、歩くと言うのはとても楽なことだ 彼女からメールが入り、最終的には3時間遅れになった 夜11時過ぎの駅周辺は、人も少なく気持ちも緊張する初めての友人を迎えに行きながら、夜のバス停は退屈しなかった ミラノは1泊だけの通過点だったので、午後の列車まで2人であちこち歩き回る先ず街の中心の「ドウーモ」へ、以前外装修理中だったが今回は前面が見られたドーモの上には前に登っているので、友人だけが行く ドウーモの中・・ステンドグラスが沢山ある 友人が登っている間、街中を懐かしく散策するこの街のトラムは、狭い道を悠々と 走っているトラムがある街は、何処もゆったりした時間を感じる この日、地下鉄のチケット買う時、10€札を自動販売機へ入れチケットを待っていたら、横からさっと手が出てお釣を握った女が居るそして何だかんだと言う日本語で「お釣り出しなさい」手を取ったら、いやいや出したのが6€結局2€盗られて諦める全く油断も空きもないやはりミラノは嫌な場所であるもう行きたく無い
2008年01月17日
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パリはまだ残っているが、イタリアを先にアップイタリアのフィレンツエで会った人を 街の中心地である路上で、パステルで絵を描いている人を見つけた下を向いて描いているときは、日本人とは見えず友人と素敵ねーー等と言って見ていたらにっこりして顔をあげ、こんにちわっと言われてあらっ日本の方ですかそうですよ^^という事で、色々話をしながらも手は動くトイレの場所・美味しいランチ・この町のこと等等とても丁寧に話して下さったこの方フィレンツエに来て初めて絵を描き始めたっと云うそれにしては相当優れものここでは、3人の人が描いていたが、彼は抜群の腕前 時間をおいて何度か出来具合を見に行ったこの時、小学生が先生と立ち寄って歓声を上げていたイタリア語・・・ファンタスティコ(素敵)みんなで声をそろえて「ファンタスティコ」そして、ポケットをごそごそ持っていたお金を箱の中に入れているさすが芸術の町の子供達彼はニコニコしながら、「グラツイエ」と声を掛けるこの自然のやり取りに見とれてしまう 夕方、日も落ち始め寒くなる頃、完成間近い時間、素晴らしい出来栄えを確認して 彼に聞いたこと・・・「生活は成り立つの」こうして路上で描くことで、仕事が入ってくるので何とかやっている・・・「好きな事をやっているので貧乏は苦にならない」素敵な笑顔がそれを実感させていた世界には、色んな生き方を選択している若者が居るのだと感心しながら、ホテルへ帰った
2007年12月26日
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真実の口からぶらぶら歩きで、人の少ないところを歩くと、ここも観光名所の「フォロ・ロマーノ」を上から見られる所に出た。全体が見られるので、偶然だったが得した気分!!「フォロ・ロマーノ」とは、紀元前753年パラティーノの丘にローマが建国され、都市として形成されて行くが、丘の麓のこの場所が、公共スペースとして整備されたのが起源である。紀元前509年ローマ共和国が成立すると「フォロ・ロマーノ」(ローマ人の広場)としてその役割を強めた。ここ「フォロ・ロマーノ」は、歴代皇帝が壮大な建物を建設し、偉大なローマ帝国の都として栄えて行った。 上から見た「フォロ・ロマーノ」に降りて、右に見ながら夕日を浴びながら歩くと程なく、かの有名な「コロッセオ」に続く・・・「コロッセオ」は、西暦72年に着工され、80年に完成した闘技場。70年にエルサレムを征服したティトウス帝がローマに連れ帰った10万人の捕虜のうち4万人の奴隷を使い、8年で完成させた。ここでは連日連夜闘技や演劇を企画し、ローマ市民を熱狂させ、政治への関心を削がせると言う皇帝の政策であった。人同士を戦わせたり、罪人の処刑も見世物として行われたと言う。こうした血生臭い闘技会は5世紀から300年も続いた。コロッセオへ着いたころ中は閉まっており、外からライトアップされた所だった。 コロッセオにもツリーがあった!! コロッセオから、テルミナ駅へ着き、駅を眺めたら??ここにも現代版コロッセオ??が??? 日付けが変わり、20日なった。明日はこのローマからパリ経由で帰国である。さあ風呂へ入って寝る事に・・・
2007年12月20日
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今ローマにいるので、ビデオ1999さまの提案により今日行った所をアップすることに。とは言え、今夜と明日の2泊でこの旅も終焉であり、帰ってからもアップ出来るかどうか?時差ぼけと、次の旅が入っているから・・・順不同で行く事にした今日はお天気に恵まれ、ほどほどの気温で歩きやすかった。友人はバチカンへ行きたいと言うので、別れて(わたくは2回行ってるのでパス)地下鉄B線に乗って、少しでも中心から離れたいと思い終点まで行ってみた。ナポリもそうであったが、ここローマも芸術家が沢山いるようで、地下鉄は格好のキャンバスになっている。 これは電車丸ごと描いてある これは扉への落書き 内部もこの通り 終点は雰囲気もいまいちなので引き返し、カラカラ浴場に行く事にして途中で降りる。カラカラとは、3世紀前半皇帝カラカラがローマ市民の為に作らせた娯楽施設。総面積11万平方にも及ぶ広大な施設は、高さ30平方の壁で囲まれ、図書館・礼拝堂・劇場・プール等もあった。この施設を作るのに、ざっと計算して9000人が休まず5年掛かる計算になると言う。ここは名高い観光地であるが、今日は人が少なく広大な遺跡の中は、少し寂しいものがある。兎に角現存していたら凄いものである事には間違いない。 ただ今修復中 ローマは何処へ行っても遺跡の街で、余りの多さに遺跡を見ても驚きの熱が冷えてくる。このカラカラへ行く周辺は、アッピア旧街道の姿が残っている為、街道の並木が見られる。この木は、ナポリから見え始め、興味が沸いていた。松科の木であると思われる、と言うのは、松ぼっくりが落ちている。この木はどう表現したら良いのか??大きな帽子をかぶった貴婦人のようにも見られる?わたくしはこの木を近くで見れば見るほど、とても心惹かれた ここから気の向くまま歩くと、「チルコ・マッシモ」に出る。「チルコ・マッシモ」は、紀元前600年頃の古代ローマの競技場跡である。映画「ベンハー」はここで撮影された。収容人数15万人と言う広さ4世紀以降は荒れて行った。現在は散歩・子供の遊び場等、市民の憩いの場になっている。 この広場を少し行くとかの有名な「真実の口」のある、「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」がある。この円盤は、1632年教会の外壁から発見され、もとは古代ローマ時代の井戸の蓋だったとされる。ここへも3回目であるので、遠巻きに写真のみ写した。相変わらず賑わっていた
2007年12月19日
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