全8件 (8件中 1-8件目)
1
XPのサポートが、来年4月で終わると言う事と使っているPCの動きが、相当重く、スピードが無くなっている どうしたものかと考えていたそんな時、友人からのメールでやはり同じ悩みを聞くことができた 友人は、WIN8に買い替えたが使い勝手が悪く、とても困っている様子 それを聞いて、ショップへ下見に行った既に店頭に並ぶのは、8が主流 確かに8は、使い方から内容まで、一変している初めてのPCであれば、何ということなく、使えるのだろうもう長年XPに慣れたわが身には、新しいバージョンに挑戦するのは、面倒である 1社のみ、WIN7を買えることがわかり説明も、詳しく聞け、信頼出来たので数日考慮して、7を買った 画面の大きさ、繋ぐコードのシンプルさに先ずは驚きながら2台並べる 画面は殆ど倍の大きさキーボードもマウスもコードレス マウスでなく、指で画面を触るのもあったが、ディスクトップが汚くなるので、止めた XPに近いと言う7であったが、中々手強くPC2台を並べて、四苦八苦の日々であった ソフトのインストールだけでも数日かかり 旧PCからデーターの引越しにも時間がかかる 全てのフォルダーの形も異なりOUTLOOKの使い方も、名称さえ、全く変化している 一時はPCを見るのも嫌になった PCを使い始めて17年程になるが初期の頃の、人任せでの難しさとは違う 全てを自分で発見し、解決しなくてはならない楽しみでもあり、苦痛でもあった この夏は、暑さの中での、チャレンジであった 今は、旧PCは、殆ど電源も入れず、鎮座している 新しいPCの速さと、文字の大きさに、慣れてしまえば 買い替えてよかったと、日々、楽しんでいる 振り返れば、このPCで何台目になるのだろう 記憶にあるだけでも最初は「マック」から入って、泣く泣く「WIN」へマックのリンゴマークが好きだった もう買い替えるのは、これが最後だと思うWIN7は、7年のサポートだと言うことである 暑さも少しづつ変化し、秋へ向かっている今年も、異常気象と言われているが、ここ数年毎年のことである 地球全体が変化しているのだろうか誰にもどうにも出来ないのが、気象なのだから・・・・・黙して過ごすのみ
2013年09月05日
コメント(0)
先程アップしたら、写真が全部縦長になってしまった何故だろう困った、困った、困った 楽天から返事があり、ブログ写真サイズの仕様が変更になり、今後は大きな写真はアップしても、サイズを規定にカットすると云う事だった仕方なく、諦める事にした色々経験する
2012年11月02日
コメント(2)
この地にウン十年と、長く住んでいるが カウントダウンに山下公園に行ったのは、初めてである 新聞報道で大晦日の夜「東日本大震災の復興」を願って「電飾」「キャンドル」を点灯するイベントがある と言うのを見て、時間が出来たら行こうと思っていた 来客が11時頃帰ったので、「それっ」っと自転車に乗り、飛び出したスタートは人も車も少なくビュンビュン走れたが、 みなとみらい21に近くなったら、車が縦列駐車人も混雑で、自転車を降りて歩く ここで元旦を待つ人が、こんなに多いとは驚く 観覧車の時計が11時45分 急いで山下公園を目指す 着いて見ると 近くで見たらこんなきれいな器にローソク 少し海寄りへ行くと 全体が大きくて、 広すぎて全体が撮れないがパノラマで撮ったのが「HOPE YOKOHAMA 」 人がザワザワしたので振り返ったら こんな人が 何かを振り回している 接近してみたら、服に電飾を縫い付けている この日はシルバーだったが、「ゴールド・レッド」等色々持っていると話していた世の中色々な人が生きているのが面白い 初めての経験で、一歩出ると何かが起きるそんな夜だった そして、又新しい年がやってきた
2012年01月02日
コメント(0)
彼女の絵屏風に魅せられて、ティータイムを取った後ロビーに陳列してある写真に目が釘付けまさかかの彼らの写真 司馬遼太郎の「竜馬が行く」は、30年前に夢中になって読んだ この本に出てくる人々が一同に会している馴染みの名前が沢山こんな写真が現存するなんて 志士達、気迫のある面差し 写真説明文フルベッキ博士と幕末維新の志士達博士は、安政年に来日し、幕府の英語伝習所や佐賀藩の学問所などで、語学や国際政治学等を教授。維新後、明治政府の要請を受けて、諸外国の憲法を翻訳したり、聖書の布教に努め、明治31年(1898年)68歳で死亡。生涯日本に留まり、新生日本の為に尽力した、功労者である鎖国状態の江戸時代の現状を憂い、世界の情報と、最新文化に触れられる唯一の場所である長崎を訪れた志士たちは、高名な博士に意見を求めるのが常であったそんな状況下で実現したのが、この写真である。慶応元年、上野彦馬によって撮影されたと、伝えられている。長く秘蔵されていた為、専門的研究はなされていないが、伝来の経緯から、本物である可能性が高いと言われている。この写真は、博士が宗教記録として所持し、手放さなかったものだが、明治20年代の宗教家でもある戸川残花の強い要請で借り受けた物である。 2004年 日本経済新聞記事による インターネットからの写真を勝海舟 桂小五郎(木戸孝允) 中岡慎太郎 高杉晋作 大久保利通 伊 藤 博 文 坂本龍馬 これも龍馬 この時代の写真は、貴重な遺産である ●をつけた代表的な10人の志士達の事を少しだけ調べてみた 生年 享年 死亡理由高杉 晋作(1839) 28歳 「病死」(肺結核) 言葉「おもしろき こともなき世に おもしろく」中岡慎太郎(1838) 29歳 「暗殺」近江屋(京都)坂本 龍馬(1835) 32歳 「暗殺」近江屋(京都)西郷 隆盛(1828) 49歳 「打首」城山決戦 隆盛の言葉「児孫に美田を買わず」大久保利通(1830) 47歳 「暗殺」紀尾井坂の変・・金銭に潔白、8000円の借金桂 小五郎(1833) 44歳 「病死」 辞世の言葉「西郷もいいかげんにしないか」江藤 新平(1834) 40歳 「処刑」佐賀の乱(?首) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・伊藤 博文(1841) 68歳 「狙撃死」ハルピン駅にて 渾名「箒」(掃いて捨てる程女がいた)勝 海舟 (1823) 76歳 「病死」(脳溢血) 辞世の言葉「コレデオシマイ」 大隈 重信(1838) 84歳 「病死」 この時代の平均年齢は人生50年と言われていた7人は、50歳を迎えることなく早世している5人は暗殺・自刃・処刑と時代の波に飲み込まれた 今、龍馬達が注目されているのは、個人の利益を優先せず、目的意識を持った人生それも単独でなく、同士を纏める力があった結果は、歴史の中にある 彼らが残した歴史により、今があり、歴史を繋いで未来がある 時代を担う代表者(政治家等)達は、未来永劫に記録が残る事を意識して欲しいものだ目先の欲(自我・物・名声・利権)に翻弄されることなく、人として恥じることの無い生き方を望みたい(無理) なんて勝手な事を言えるのは、庶民の特権である 旅はミステリーであるこんな出会いがあるとは夢以上であるこれだから旅が止められない
2010年07月24日
コメント(0)
何故かナレンさんの写真は、食事の時ばかり昨日余りにも悲しい情報が入ったので、追悼の気持ちでこのブログをアップする事にした ネパールブログを見て頂いている方は、時々ガイドの「ナレンさん」と言う言葉を記憶されていると思う(ポカラから始まる8日の旅のガイドを受けてくれた) ナラヤンガードの夜の事件・帰りのバスでのエピソードが一番近い この主人公の「ナレンさん」が急死されたと言うメールが入ってきたそんな馬鹿な一体なぜ そんなナレンさんが、仕事の途中バイクで事故に遭い、亡くなったと言う 彼はバイクが大好きで、何処へ行くのもバイクであるわたくしも、彼の家からホテルまでバイクで送って貰った事もあった道もデコボコで、バイク・車も多く、危険が一杯だと感じた 少し前は、カトマンドウからポカラまで、一日で往復したとも話していた あの元気で、明るく、親孝行(父を早く亡くし、4人姉弟の長男)誰にでも優しく、微笑みの王子様人として出来過ぎるほど出来ている しかもまだ若干27歳 神仏はどうして彼を召されたのだろう人は必ず死に行く身であるが余りにも若く、素晴らしい人をこの世から連れ去ってしまった 悲しすぎる寂し過ぎる ネパール自体も魅力的であったが、ナレンさんに会いたいから、もう一度行ってみたいと、思い始めていた矢先だった お姉さんが日本人と結婚し、日本に居るだからなのか、家族みんな日本語が出来、日本人を寄宿させ面倒見て居るという、不思議な一家 そこに縁のあった人達は、家族は勿論、ナレンさんの人柄に魅かれてしまうと、言っていた 彼とは8日間の二人旅と言う、わたくしに取って前代未聞の素敵な日々だった 沢山の話をし、毎日食事を共にし、朝から部屋に入るまで、殆ど一緒だった カトマンドウへ帰ってから最後の日まで、毎日ホテルへ来て、わたくしの体調を気にしてくれた自宅へ来て養生しないかとも、誘ってくれたが、それは断りホテルで滞在した 彼はこれからの夢を語ってくれた、恋人がいること、お金を貯めて、ネパールのストリートチュルドレンに家を作りたい ネパールが豊になる為に力を出したい 50歳になったら、家族と世界旅行がしたい事等々 目を輝かせて語ってくれた 正義感があり、夢があって素晴らしい青年である ヒマラヤサンライズに行ったとき、頂上の土産物屋で、お母さんのお土産に高価なテーブルクロスを買った姿、旅の最後の日、休憩時間に地元産の野菜を、 お母さんにお土産にすると言って沢山買った事等(彼のお母さんは、沢山食事を作って、誰かれなく食事を振舞うので、沢山の食材が何時も必要としている)あれもこれもと、彼の事が想い出される 恋人はまだ母に紹介していないと言っていた早く紹介しなさいねと言って来たが わたくしが帰る日のフライトは夕方だったので、友人のレストランでランチを御馳走して貰い、空港まで来ると言うのを断ったら、タクシーを呼んで料金まで先払いし、 途中までバイクで並走して送ってくれた。 あの姿が最後になるとは・・・・・ 帰ってからメールで数回やりとりしたが、今年はメールをしてなかった 後悔先に立たずである 余りにも急な知らせで、動転したまま書いたので、独りよがりになったとは思う 一寸先は何が起きるかわからない、何度も経験した事だが、今回の事は ドラマが現実になったような気分である ドラマであって欲しい ネパールは遠くて近く、人生を教えてくれた国になった 合掌
2009年02月11日
コメント(16)
前の日まで元気だったPCが突然昨夜「昇天」してしまった 修理するにしても、金額が相当高価になるらしいので 思い切って買い替えに走った と言う事で2週間は携帯用のパソコンで凌ぐしかない 何時何が起きるかわからないのが人生さ 昇天したパソコンは、昨日まで1回も「リカバリー」無し だったので 4年間よく働いてくれた感謝しなくては でもでもちょっと困った事は、メールアドレス等完全に消えてしまった 何もかも1からやり直し、アーーー参った もしかしたら、新しいのがきた時うまく行けばハードディスクから取り込めるかもしれないと一縷の望みはあるのだが もしこのブログ見ていただいた方で、わたくしメル友達の方へ一度メールを頂けるとありがたいのですが 勝手なお願いよろしく と言う事で、暫く不便ながら「小さく・使い勝手の良くない」携帯用で アップする事に・・・・ 昨日、上天気になり、約束してた友人と「鎌倉」へ行ってきた ちょっと贅沢して、会席料理を食べ(後日気が向いたらアップ) 人の少ない緑と土のある山道を歩いた しっかりと根を張った大きな木 今回は5月も半ば、木々たちは若葉を過ぎ、十分成長していた 里へ降りると、車の通る道から、鎌倉江ノ電方面に出た 「御成隧道」を抜ける ここからは駅前の商店街をゆっくり散策し、ちょっとだけ買い物して帰った 鎌倉は色んなコースがあるので、何度いっても新しい 暑くなると、山道が心地よい
2008年05月16日
コメント(12)
今週月曜日、29日発のチケットが取れましたの急遽、ヨーロッパに出かけます 荷物の整理やら、出かける前の連絡やらで、時間が取れずインドの途中ですが、申し訳ありません 行き先は、オランダ滞在が多くなりそうですが出来たら何処かへ行けたらと、思っています行って見ないと何ともいえないところです期間は暫くと言うことで、これもはっきりしません と言う事で、このブログも帰るまで、お休みする事になりそうで、もしあちらで更新できたら致しますが・・・ 暑くなりましたので、みなさまご自愛下さい 休みの前に、わたくしの大好きなサンセットの写真を輝く太陽が 数分で落ち始め 去ってゆく その後にお月様がやって来た こうしてこの日の日常が暮れて行った
2007年06月27日
コメント(18)
新しいブログを始めるにあたり、ご挨拶いたします。実は既に約1年「http://plaza.rakuten.co.jp/konoyowayume/」上記URLによりブログやっていましたが、急にログインが出来なくなり困った挙句、NO.2として立ち上げる事に致しました。上記のブログは、このままにしておきますので、ご覧いただけます。何かコメント等、いただける事がありましたら、「虚空2」の方へお願い出来ると有難いのですが・・・ 大袈裟に言えば、明日何が起きるか判らないと言う、そんな事の一つとして、今回経験致しました。 急の事で、ログイン出来ずご挨拶も叶いません。とても残念ですが新規一転の心算で、楽しく、ゆったりとやってゆきますのでご支援のほどよろしくお願い致します。 内容は、旅の写真、食の写真等を中心に日常・非日常で見た事を写真に撮り、アップして行くつもりです。 先ずはご挨拶まで・・・・
2007年03月06日
コメント(18)
全8件 (8件中 1-8件目)
1