全3731件 (3731件中 1-50件目)
にほんブログ村 岡崎市の名鉄 藤川駅。この駅の周辺は、東海道五十三次の藤川宿の遺構が点在します。寺院や神社も多く点在するので、藤川駅周辺を散策しました。ただ散策には、ひとつ課題がありました。多くの文化財は旧東海道沿いにありますが、一畑山薬師寺だけが山の上にあります。一畑山薬師寺はテレビCMもよく流れている寺院。藤川駅にはタクシー乗り場もなく、仕方なく山歩きを決行しました。まずは関山神社に行きます。その境内から関山神社奥の院を経由して、一畑山薬師寺に向かいます。こちらがその参道(登山道)です。石に足を取られやすい、かなり急勾配の参道。この岩場は波蝕巨礫群という地層によるものと説明書きがありました。この様な道を、駅から2km、標高差200m……。どうにか到着した一畑山薬師寺には、広い駐車場がありました。その駐車場の片隅に、蛇ヶ谷龍神の小さな祠があります。蛇ヶ谷龍神はこの地に一畑山薬師寺を開けとお告げした蛇神様を祀っているそうです。祠の説明板の下に見慣れたものがあります。一目でわかる、高見観音です。高見観音では最も小さいクラスです。前後の接合面は不明瞭です。小型の像は一体で製作しているのかもしれません。後から見ると、鳥の糞の汚れが痛々しい。それにしても置かれ方が適当です。固定されていない様子で、周囲の石で補強しています。祀る場所に困り、誰かが置いたものでしょうか。岡崎市の南東部では、高見観音の発見例はありませんでした。珍しい地域での発見例として、高見彰七作品リストに登録です。リンク集2 (No.34) ・所在地: 岡崎市藤川町王子ヶ入 蛇ヶ谷龍神 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 高さ45cm, 胸部幅 12cm, 胸部厚 9cm, 裾幅 15cm【 置時計 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.16
コメント(31)
にほんブログ村 名鉄 平戸橋駅から越戸駅までの間にある神社をもう1社ご紹介します。村社 灰寶神社です。村社ですが、境内の広い神社。ここに私の目を惹くものが2点ありました。まずは大きな二宮尊徳像。私は見上げて撮影していますが、2m程度の大きな像です。高さは計っていません(笑)。この大きさ、少年ではありませんね。二宮尊徳を児童虐待と批判する声もある今日、新しい二宮尊徳像自体、珍しいと思います。もうひとつの注目は、とてもマニアック。マニアック過ぎて伝わらないと思いますので、若干の説明も含めて、次回にご紹介します。【 おやすみライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.14
コメント(39)
にほんブログ村 凍てつく冬の寒さに耐えるかのようにロウバイはうつむいて咲く。風雪からシベを守るためだろうか。うつむき、それでもなお冬にあがらうその姿は私たちに生きるものとしての共感と励ましを与えてくれる。冬に咲くにも関わらずロウバイは虫たちに受粉を助けられる虫媒花だ。数少ない冬の虫。ロウバイと虫たちの一期一会の出会いがそこにある。ロウバイはうつむくことで虫たちを守る傘になろうとしているのかもしれない。凍てつく冬の日に、温かい出会いがある。そんなやさしいロウバイが美しい。【 陶器の浮き玉 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.11
コメント(51)
にほんブログ村 豐田市の身掛山 観音院。前鬼・後鬼を従えた役小角の他にも、非常に多くの石仏があります。その一部をご紹介しましょう。新しいけど、大きな馬頭観音様。頭部には、馬と牛の双方が刻まれた、やや珍しい石仏です。観音院の入り口付近の観音様。不動明王様。外に置かれた役小角様。烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)。案内板の表記では「沙」が抜けています。六地蔵。童観音(わらべかんのん)とのこと。むしろ、童地蔵か、童道祖神(双体仏)と呼びたくなりますが。塀沿いにあるのは、千体仏でしょうか。小さな石仏は観音像です。ほんの一部をご紹介しました。ご紹介は新しい石仏ばかりになりましたが、古い石仏も多くあります。古い石仏は各地から引き取って保存されたのでしょうか。ありがたいことです。【 おやすみライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.09
コメント(40)
にほんブログ村 名鉄 平戸橋駅から越戸駅までの間にある寺院や神社。ここにも面白いものが幾つもありました。その一部をご紹介します。ますは、身掛山 観音院。この寺院には、新旧、数多くの仏像などがあります。私が惹かれたのはこちらです。前鬼・後鬼を従えた役小角(えんのおづぬ)がおられます。前鬼・後鬼は瓦製ですが、愛らしいお顔をされています。アップでもご覧ください。鬼ですが憎めません。役小角もこの鬼ならば、従えるというより、癒してくれるペットと思っているかもしれません。【 ミッフィー雛人形 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.06
コメント(52)
にほんブログ村 阿弥陀院の観音像が、高見彰七作品とする理由を紹介します。1)観音像の姿勢が体をくねらせた「流れ形」 これは皆さんも同意かと思います。 衣装の造形にも高見観音の特徴があります。2)像の前後に接合部がある 像の前後を別に作成して接合する高見彰七の製造法の特徴。 比較的綺麗ですが、接合面に沿ってヒビ割れもあります。3)手を体と一体化させている これも高見観音の特徴。 腕の破損を防ぐためでしょう。4)寸法比が高見観音の中型サイズ 中型の高見観音像は、 高さ:胸幅:胸厚=120~160:30~50:20~30。5)顔に明るい褐色の着色が残っている 高見観音で使われる着色が残っています6)顔のモルタルはきめ細かく、体のモルタルは粗い お顔は滑らかに仕上げられている7)お顔がご親族に似ている お顔に見覚えがあると思っていましたが、 前回の記事掲載後に気づきました。 ゆるいなどと書いてしまい、すみませんでした。ところで、阿弥陀院のお堂内は綺麗で、御住職もおられるようです。ただ、御堂の外装は修繕が必要にみえます。維持管理は大変とは思いますが、お寺も観音像も永く守っていかれますようお願いしたいと思います。【 孫が描いた似顔絵のハンカチ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.04
コメント(37)
にほんブログ村 豊田市の名鉄 平戸橋駅で下車。隣の名鉄 越戸駅までの一駅間を国道153号線に沿って歩きました。この道沿いのわずかな区間に、5か所も寺院や神社があります。それらをのんびりと散策しました。新発見は、平戸橋駅から最も近い阿弥陀院でありました。入り口がわからず、阿弥陀院の墓地から入りました。すると墓地の中に、見慣れた後ろ姿が。高見観音と確信、あわてて近寄ります。前に回り込んで、こんにちは!えっ!!え、えっ!!なんてゆるい表情なのでしょう。今までにないゆるさです。ひとめぼれしてしまいました。それにしても、実寸以上に厚みが薄く感じます。しばらく観察したり、寸法を計ったり。角度を変えて散々ながめ、思案して、高見彰七作品と判定しました。リンク集2 (No.33) ・所在地: 豊田市平戸橋町太戸 阿弥陀院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 高さ155cm, 胸部幅 33cm, 胸部厚 19cm,裾幅 60cm本作品、コンクリート像好きであれば、一見の価値があります。ぜひ現地でご覧ください。本当に高見観音?そういう声も多いと思います。次回は、私が阿弥陀院の観音像を高見彰七作品と判定した理由をご説明します。【 ゆるかわ 似顔絵 名入れ マグ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.02.01
コメント(44)
今日はなぜか「Dream財団」のクリック募金にアクセスできません。10円x6件が寄付できない……。
2025.01.31
コメント(18)
にほんブログ村 2025年中に解明したい高見彰七作品の謎、その5です。【解明したい謎 (5)】〇豊田市 三九郎病院にあった3体の大型観音像。 当時の写真を入手したい。(三九郎病院) 画像出典:三九郎病院H.P.三九郎病院には、3体の大型観音像がありました。高見彰七氏の近縁の方が、この病院に勤務されていたためです。かなり目立つ像で、多くの方の記憶に残っていますが、当時の写真がありません。アナログ写真の時代だったため、デジタル化がされていません。どなたか画像をお持ちの方はいないでしょうか。(2025年 解明したいこと)1)250体の作品は、いつ道路沿いから撤去されたか?2)撤去された作品を引き取った「中〇新〇」氏の職業は? また、引き取った数は?3)作品分類4「作家銘 与次」は誰の作品か?4)作風の異なる作品が、高見彰七作品か確認したい。5)豊田市 三九郎病院にあった3体の大型観音像。 当時の写真を入手したい。【 木彫り 風水根付 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.29
コメント(44)
にほんブログ村 2025年中に解明したい高見彰七作品の謎、その5まで挙げます。【解明したい謎 (4)】〇作風の異なる作品が、高見彰七作品か確認したい。リスト登録済みの作品でも、やや疑問のある作品もあります。幾つかを検証したいと思います。如何に数例を挙げます。「豊田市 霊岩寺の地蔵菩薩像」 大型の綺麗な地蔵菩薩像です。 花瓶の作風は、浅野祥雲の作品に似ています。「豊田市 京町区民会館の観音菩薩像」 御顔が他の高見彰七作品とは異なります。 しかし、衣装などには高見彰七作品の特徴があります。「分類3 妙楽寺の観音像」 妙楽寺にあることから、高見彰七作品確定と思います。 これはなぜこれほど作風が異なるのか、知りたいと思います。いずれの真贋も、ご親族にお話を聴くしかなさそうです。解明できるでしょうか。【 桃木 観音菩薩 キーホルダー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.27
コメント(32)
にほんブログ村 赤いお化粧に、険しい表情。児島半島南西部、玉野市大藪地区の化粧地蔵、続きです。化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。付近の道は広くはありません。岡山県玉野市大藪776ストリートビューでは、この場所までしかありません。この前の道の先の丘近くに化粧地蔵のある祠があります。丘にあるのはみかん畑です。やや主要な地域から外れた場所にある化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その44)」岡山県玉野市出身の漫画家、いしいひさいち。いしいひさいちの代表作は、「がんばれタブチくん!!」。【 いしいひさいち作 「ののちゃん」 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.23
コメント(44)
にほんブログ村 岡山県南部の化粧地蔵は、大きく3地域に分布していました。1)児島半島南東部、胸上地区 多色に彩色された化粧地蔵が多い2)児島半島東部、北方地区 多色塗の六化粧地蔵が多い3)児島半島北部、八浜地区 ベンガラで赤一色で塗られた化粧地蔵が多い今回ご紹介するのは、その地域から外れた児島半島南西部。岡山県玉野市大藪地区で、その化粧地蔵に出会いました。大藪地区は「大藪みかん」で知られ、みかん畑の多い地域です。祠の中に3体のお地蔵様がおられます。そのうち、向かって右端の1体が化粧地蔵です。赤く塗られたそのお姿は、児島半島北部の化粧地蔵に似ています。たくさんの綺麗な花が生けられ、地域の信仰心の高さが感じられます。お地蔵様としては、やや険しい表情に思えます。日頃の行いを戒めるための教えの表情でしょうか。住所は、岡山県玉野市大藪776。化粧地蔵の3大分布地区から外れた、珍しい地域にある化粧地蔵でした。次回は、この場所をストリートビューでご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その43)」【 大藪みかんを使ったジェラート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.21
コメント(34)
にほんブログ村 雪の中、鳥取城に行きました。鳥取城には、鳥取駅からの循環バス「くる梨」が便利です。3系統の循環バスが各々約20分毎に発車。1回乗車100円です。では、鳥取城攻めを開始。撮影もままならないほどの大雪が降っています。雪で滑り、危険な階段。とても立派な石垣です。吹雪いていて、辛くなってきました。写真でも、真っ白にしか写りません。もう何が何だか……。目的地「天球丸」に着きました。奇跡的に雪は小降りになりましたが、説明板も読めません。見たかったのは、この「巻石垣」。画面中央の半球状の石垣です。石垣の崩落を防止するため、巻石垣は江戸時代に継ぎ足されました。半球状の巻石垣は鳥取城のみ。全国で唯一の半球状の巻石垣です。巻石垣の下に下りる頃、再び吹雪いてきました。もう耐えられません。撤退です。大雪の中、私自身が雪だるま、いや氷だるまの様になりながら、雪の日の城攻めの厳しさを実感する体験になりました。【 書籍「鳥取城」 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.18
コメント(36)
にほんブログ村 西日本でしかお会いできなくなった500系新幹線。その中でもレアな500系ハローキティ号を偶然見かけました。早速撮影しましたが、撮影者は他にも多くおられました。【JR西日本】 「500系ハローキティ新幹線」内装は、こんな感じらしい。(1号車) (画像出典: 上記JR西日本H.P.)(2号車)乗ってみたいような、恥ずかしいような。皆さんは乗車、いかがですか?【 500系ハローキティ新幹線 プラレール 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.16
コメント(46)
にほんブログ村 2025年中に解明したい高見彰七作品の謎、その3です。【解明したい謎 (3)】〇作品分類4「作家銘 与次」は誰の作品か?作家銘「与次」の観音像を、私は確率50%で高見彰七作品分類4としてきました。しかし高見氏のご親族にうかがうと、「与次」の銘に心当たりがないとのことでした。ただし「与次」の観音像の画像はご覧頂けていないので、まったく否定もできていません。【分類4 「与次」】 「与次」「豊田市 渡刈町 路傍」 在銘「与次」 「見徳寺」 銘板を剥がした痕あり「八王山 春光院」 無銘装具などの造形から、私は高見彰七作品の候補としています。しかしお顔立ちからは、南知多半島付近に作品が残されている「平山岩松」氏の作品かもしれないと思っています。平山氏に関しては、「小嶋独観@珍寺大道場」氏のH.P.に情報があります。【「平山岩松」氏】 「珍寺大道場」この「与次」の謎、解明したいと思います。【 2025年 ノリタケ 福袋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.14
コメント(36)
にほんブログ村 2025年中に解明したい高見彰七作品の謎、続きです。【解明したい謎 (2)】〇撤去された作品を引き取った「中〇新〇」氏の職業は? また、引き取った数は? 道路沿いから撤去された多数の作品は、 魂抜きの祈祷後に撤去されました。 撤去された作品の一部は、「中〇新〇」氏が引き取りました。 (氏名は一部伏字にしました) しかし、某氏も他界され、作品群は妙楽寺に移設され、 現在に到ります。 妙楽寺に移設前は寺院に作品群があったという情報もあります。 「中〇新〇」氏は寺院の住職だったのでしょうか? 野見御嶽社の観音菩薩像は、昭和62年に「松光院」から 移設されたとあります。しかし、松光院は近隣にはありません。 「中〇新〇」氏は、松光院と関連あるのでしょうか? また「中〇新〇」氏は何体を引き取ったのでしょうか?【 2025年 ロイヤルコペンハーゲン サイ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.12
コメント(30)
にほんブログ村 2025年、今年もよろしくお願いします。高見彰七作品の謎の解明にあたり、2025年中に解明したい項目を整理したいと思います。【解明したい謎 (1)】〇250体の作品は、いつ道路沿いから撤去されたか? ある方からの情報で、現状では撤去年は「平成2年頃」 としています。 しかし、「もっと早い時期では?」という声もあります。 また、さらに別の方からの情報では、 「大雨が降り、斜面に立った地蔵菩薩像が倒れ、 撤去のきっかけになった」とも聴いています。 実際に撤去した方も判明していますので、 御多忙な方ですがコンタクトして、撤去年を確認したいと思います。【 2025年 ロイヤルコペンハーゲン 干支 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.08
コメント(38)
にほんブログ村 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年は災害のない良い年でありますように。まずは未掲載の化粧地蔵でご挨拶です。【 2025年 大倉陶園 イヤープレート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.01.01
コメント(44)
にほんブログ村 高見彰七作品リンク集1~3を最新版に更新しました。【高見彰七作品リンク集】 「リンク集」新情報のご提供を下さった皆様、ありがとうございました。現在、高見彰七掲載数は、113件になっています。また本ブログをご覧頂いた皆様、コメント頂いた皆様、ありがとうございました。2024年の更新はこれで終わりますが、2025年度も引き続きよろしくお願いします。【 2025年 ウェッジウッド イヤープレート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.30
コメント(28)
にほんブログ村 県道45号線沿いの化粧地蔵、続きです。この化粧地蔵様は、八浜地区の特徴であるベンガラで赤く彩色されてはいません。祠がある点にも、地域のやさしさを感じます。彩色も劣化は見られません。岡山県玉野市八浜町波知この道の左側は干拓による人造湖、児島淡水湖です。ストリートビューを少し前に進むと児島淡水湖が見えてきます。大きな淡水湖の景色をご覧ください。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その42)」【 岡山 蒜山はちみつ黄金ケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.26
コメント(39)
にほんブログ村 交通量の多い道路に面した化粧地蔵様をご紹介します。場所は岡山県玉野市八浜町波知。児島淡水湖に面した県道45号線沿いです。1体の化粧地蔵様が祠の中におられます。白い衣装を身に着けています。俗名が書かれていますので、本来はお墓だと思われます。横におられるのもお地蔵様でしょうか。笑っておられるかのような表情。大切に守られ、安心されているのでしょう。この場所の目の前は、干拓と仕切り堤防でできた淡水湖です。次回はこちらのストリートビューをご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その41)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その43)」【 岡山のバームクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.24
コメント(30)
にほんブログ村 新発見の高見彰七作品(観音菩薩像)のご報告です。発見者は「FDG公式」さんです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」FDG公式さんからお借りした写真でご紹介します。場所は豊田市加納町 弘誓院の墓地入り口です。たしかに高見観音です。苔生しています。表情は高見彰七より、正美作品に近い印象です。私は現地確認できていませんが、数多くの新発見をされているFDG公式さんからのご報告です。新発見の高見観音で間違いないでしょう。高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.32として登録します。リンク集2 (No.32) ・所在地: 豊田市加納町 弘誓院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・発見者,画像提供: FDG公式さん ( @FDG_official01 )FDG公式さん、ご報告ありがとうございます。皆様からも新発見のご連絡をお待ちしています。【 干支 起き上がりこぼし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.22
コメント(45)
にほんブログ村 コンクリート像作家 高見彰七と高見正美。ふたりとも、実は名前が違います。私はブログで「高見」と書いていますが、これが違います。「高見」の「たか」は、「高」ではなく「はしご高」です。それでも「高見」と書くのは、「はしご高」が環境依存文字だからです。環境依存文字を使うと、文字化けの恐れがあります。そのため「はしご高」はブログでは、環境依存文字を入力するとエラーが出て使えません。PC環境を気にせず、どんな文字でも自由に使いたい。みなさんは、環境依存文字で困ったことはありませんか?【 チーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.20
コメント(39)
にほんブログ村 街路樹を覆いつくしたランタナの花は、今もまだ咲いている。熱帯の植物のはずなのに、冬の今もランタナは花を咲かせている。ランタナは実も付けている。その強い繁殖力で、来年もさらにランタナは増えるのだろうか。ランタナの強い繁殖力は、日本の冬でも衰えを知らない。世界の侵略的外来種ワースト100の登録も納得できる力強さだ。街路樹がランタナに覆われて枯れてしまっても、ランタナが悪いのではない。その責任は、ランタナを持ち込み、管理しなかった人にある。持ち込んだのも、野生に広げてしまったのも人。それでいて、ランタナを侵略的外来種と呼ぶのも人だ。人はその責任を忘れ、広がるランタナを批判するのだろう。ランタナは、あるがままに生きているのに。冬に咲くランタナは、野に放たれ、いつか殺処分されるかもしれない、小さな動物たちに似ている。【 フラワーライト 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.17
コメント(43)
にほんブログ村 以前にご紹介した茨城県の八溝山にある八溝嶺神社の神馬。悩みましたが、高見彰七作品として登録することにしました。(写真撮影: 「ツネツネツネ」さん) (リスト集1「神馬」 No.9) ・所在地: 茨城県 八溝山 八溝嶺神社 ・製作年月: 昭和55年(推定移設) ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・発見者: 「ツネツネツネ」さん【矢並八柱神社の神馬(比較のため画像左右反転)】側面から見ると、八溝嶺神社の神馬も高見彰七作品。一方で、八溝嶺神社の神馬の正面からのお顔。(画像出典: 「YAMAP」 )しかし、正面から見るとやや顔がシャープなのが気になっていました。ただ昭和29年製の鞍ヶ池公園東 矢並八柱神社の神馬。この現時点で最も古い神馬も、やや顔が角ばっています。高見彰七の神馬は、古い作品は角ばっていたのかもしれません。もしそうであれば、八溝嶺神社の神馬も製作は古いと推定されます。【矢並八柱神社の神馬】同じく八溝山にある日輪寺の2頭の神馬。こちらも高見彰七作品の可能性がありますが、さすがに「候補参考作品」とさせて頂きます。【日輪寺の神馬】(画像出典: 「Laugh and grow fat」 )長野、岐阜、茨城と、高見彰七作品の分布が広がってきました。今後、愛知県以外での高見彰七作品の発見が期待されます。【関連記事1】 「八溝嶺神社の神馬 その1」【関連記事2】 「八溝嶺神社の神馬 その2」【関連記事3】 「八溝嶺神社の神馬 その3」【 蹄鉄のショコラ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.15
コメント(37)
にほんブログ村 自動車での移動を最少限に控えている私。そんな私への影響は少ないですが……。ご存知の通り、ガソリンの補助金が減額されます。ガソリン価格上限を175円に抑制していた補助金。・12月19日から補助金減額、ガソリン価格上限180円に。・来年1月16日にさらに減額、ガソリン価格上限185円に。自動車での移動、ますます厳しくなりますね。【 ケーキセット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.13
コメント(39)
にほんブログ村 才谷梅太郎さんから、観音像のご紹介を頂きました。岐阜県揖斐川町の揖斐城跡にある「城台観世音菩薩」です。【才谷梅太郎さん】 「才谷梅太郎さんのX」写真は才谷梅太郎さんから許可を得てお借りしています。高見観音の特徴を持っています。現地確認はできていませんが、ネットでは色々と確認しました。新発見の高見観音で間違いないでしょう。高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.31として登録します。リンク集2 (No.31) ・所在地: 岐阜県揖斐川町 揖斐城跡 ・製作年月: 昭和37年11月12日建立 ・作家銘: 現地未確認 ・発起人: 御詠歌講一同 ・特徴: 白色塗装 ・発見者: 「才谷梅太郎さん」昭和37年は高見彰七氏が最も活動されていた頃です。貴重な愛知県外での発見例です。ご報告ありがとうございました。【 干支饅頭 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.11
コメント(39)
にほんブログ村 おひさしぶりです。あまりに長距離移動と外泊が続き、ブログをお休みしていました。東京への移動と外泊。東京は宿泊費が高く、宿泊場所が目的地から離れがちです。それから関西へ近鉄移動。初めて近鉄特急「ひのとり」に乗車しました。エンブレムも綺麗です。ひのとりはシートも快適です。その後は愛知県内を移動。そして今度は関西以西に移動しました。とりあえずブログ復活します。またよろしくお願いします。【 ひのとり 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.12.09
コメント(30)
にほんブログ村 宗蔵寺の化粧地蔵、続きです。居心地良く祀られた化粧地蔵。丁寧な彩色は、地域の子供たちが施したとは思えません。おそらく、お寺の住職による彩色でしょう。またその彩色は、八浜地区の朱塗りの彩色ではありません。胸上など、児島半島南部の化粧地蔵に似ています。岡山県玉野市八浜町八浜1060児島半島南部の特徴を持ち、お顔は薄化粧。半島北部の八浜地区では珍しい化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その40)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その42)」【 讃岐 宗家くつわ堂 瓦煎餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.27
コメント(68)
にほんブログ村 今回は快適な環境ですごされている化粧地蔵様をご覧いただきましょう。以前ご紹介した岡山県玉野市八浜の金剛寺。その化粧地蔵がある金剛寺の隣には、宗蔵寺があります。そして、宗蔵寺にも、別の化粧地蔵様がおられます。少し長めの階段を昇ります。するとそこには、屋根がありやや解放された地蔵堂があります。地蔵堂の背後からは、八浜の街が見渡せます。快適な堂内には、綺麗な化粧地蔵様がおられます。1体ですが大型です。衣装は丁寧にお化粧されていますが、お顔は薄化粧です。次回はこちらの化粧地蔵様を眺めつつ、宗蔵寺のストリートビューをご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その39)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その41)」【 岡山 大手饅頭 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.25
コメント(35)
にほんブログ村 「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」「高見彰七調査隊」の皆さん、謎は解けましたか?コメントでは、かなり良い御推理がされていたかと思います。それでは、謎の答えです。〇観音像の建つ場所について 愛知池は恵日山青峯山観音寺の土地の一部を 買収して造られた巨大な人工池です。 池の造成で観音寺の私有地が、池の中に小島として残りました。 しかし池の中の小島を私有地とするのは、 将来、池の拡張の支障となるため、 池の外に観音寺の管理地が移されました。 現在、観音像はこの移転地に建てられ、 小島は野鳥の巣となっています。〇なぜ観音像は建立されたのか? 調査隊の皆さんのコメントにもありましたが、 愛地池の造成はビッグプロジェクトでした。 その工事の際に事故で亡くなられた方がおられ、 その供養のために観音像が建てられることとなったそうです。〇なぜ観音像の作家として高見彰七氏が選ばれたのか? 昭和35年の愛知池の観音像建立の頃、 高見彰七氏のご自宅前には250体の観音像が並び、 観光バスが来るほど有名になっていました。 高見彰七氏は観音像の作家として、 愛知池近隣でも知られていました。 そのため観音寺を通じて、愛知池の犠牲者の供養のために 高見彰七氏が大観音像を「寄贈」されたとのことです。 観音像は発注されたのではなく、高見彰七氏の「寄贈」でした。〇高見彰七氏と建設メーカとの関連は? 高見彰七氏は観音像を寄贈し、建設メーカが設置施工しました。 高見彰七氏と建設メーカの間に、 特に関連があったわけではありません。若干、複雑でしたが、如何でしょうか。観音像は「寄贈」という点がポイントです。今後も「謎」に関しては推理形式を採ることがあると思います。謎解きをお楽しみください。【 バスクチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.23
コメント(40)
にほんブログ村 愛知県の愛知池にある大観音。この大観音は、私にとって大きな謎でした。作家 高見彰七、施工 鹿島建設㈱の大観音。昭和35年、仏像製作10年の農業が専門の彰七が、いきなり大手建設メーカと協業できたのはあまりに不自然です。如何にして、大観音建立のプロジェクトを任されたのか?大手建設メーカと、どの様な縁があったのか?考えるほど、謎が深まります。今回、この謎も解明できました。しかし、すぐに答えを示すのも、楽しみがないでしょう。みなさんも、「高見彰七調査隊」の一員として、ぜひこの謎を推理なさってください。推理のお題は、「高見彰七がいきなり大手建設メーカと手を組んで、 大観音建立というビッグ・プロジェクトに携われたのはなぜか?」です。答えは次回の記事で掲載します。【 冬のぶどう 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.20
コメント(51)
にほんブログ村 今回も民家敷地内の観音像を、撮影許可を頂いて紹介します。背景などはAI処理、トリミングしていますので、違和感がある箇所もあるかと思います。やや経年を感じさせる風化が進んでいます。お顔もややわかり難くなっています。高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.30として登録します。リンク集2 (No.30) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 高さ105cm, 胸部幅30cm, 胸部厚さ20cmこの観音像には像の前面/背面の境界に、縦に明瞭なヒビ割れがあります。高見観音の製法は、1)前面,背面を別々に半割りの像として作り、2)その後、前面,背面を接合して一体化して立像としたということが、ご親族の情報から確認できました。観音像の観察から推定していた「半割り接合製法説」は正しかったことがわかりました。半割りであれば接合面を下にして、像を造形できます。一方で、接合面が弱く、ヒビ割れなどの劣化が進み易くなります。モルタルを使いコンクリート像を作ることは、一見、容易なようで、実際は難しいことがよくわかります。【 元祖 くず餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.18
コメント(36)
にほんブログ村 今回ご紹介する新発見の高見彰七作品は、重要な意味を持っています。民家の敷地内にありますので、詳細は省かせて頂きます。撮影許可などを頂いての画像掲載となります。まずはご覧ください。一見して高見観音とわかります。ただ服装の表現などが、多くの高見観音とは異なります。微笑みは少なめで、お顔も下膨れのふくよかなお顔ではありませんが、高見観音で見かける表現です。実はこの観音像、高見彰七作品であって、高見彰七作品ではありません。今までこの作風の観音像も含めて、私は高見彰七作品としてきました。しかしこれは、「高見正美」氏の作品です。高見正美氏は、彰七氏の御子息に当たります。高見彰七氏と正美氏の親子は、時に協同で作品の製作に携わった様です。今回ご紹介の観音像は、高見正美氏単独での作品例です。思えば高見観音を私が4分類に整理した時、第2分類の観音像の作風は一定ではなく、その理由に悩んでいました。もちろん製作活動での試行錯誤と捉えることはできますが、彰七氏と正美氏の両者の手が加わっていたということであれば、より納得ができます。【第2分類】 「高見彰七作品 第2分類」いずれにしても「高見彰七としていた人物はふたりいた」というのは、私にとっては衝撃の新事実でした。まずは従来通り、高見彰七作品リンク集2「観世音菩薩像」にNo.29として登録します。リンク集2 (No.29) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし, 高見正美作品 ・特徴: 高さ120cm, 胸部幅25cm, 胸部厚さ15cm今後、リンク集を活用して、明らかに高見正美氏の作品と判明した作品があれば、その旨を表記したいと思います。次回はさらに新発見の作品の紹介をしつつ、また別の重要な情報をお伝えしたいと思います。【 福寿柿 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.15
コメント(54)
にほんブログ村 今回以降お伝えするのは、高見彰七のご親族3名の方からのヒアリング結果です。最も御詳しい彰七氏の御孫さんにたどり着くのにやや手間取りましたが、皆さん丁寧にご対応下さり、ヒアリング継続中です。まず、新情報1件目です。高見彰七の活動期間が判明しました。80歳で他界されましたが、79歳まで製作活動を続けていました。活動期間を年表で整理します。没年、昭和45年。製作活動は、昭和25年から44年の19年間。この期間に、あれほど多数の作品を製作されたわけです。しかも当初は木彫りの仏像を製作していましたので、コンクリート像の製作期間は更に短くなります。ここで奇妙なことに気付きます。没年以降に建立された観音像もありますが、これは移設でしょうか。実はそこには驚愕の新情報が隠されていました。そのお話は次回以降でお伝えします。【 かぼちゃ バウム 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.13
コメント(35)
にほんブログ村 驚愕の新情報の前に、高見彰七作品、新発見のご報告から。この作品は以前から確認していましたが、民家敷地内にあるため、許可を頂く関係で掲載が遅れました。大きく重そうな狸です。民家ゆえ、背景は一部AI処理しています。比較的状態は良さそうです。やや野性味があり、みよし市の大狐にも似ています。リンク集3 (No.7) ・所在地: 豊田市 民家 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・特徴: 象嵌あり ・寸法: 高さ 110cm神馬,稲荷大狐以外の動物は、初めての発見例でしょう。次回は、まず問題提起の新情報から。【 とんぼ玉 たぬき 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.11
コメント(38)
にほんブログ村 高見彰七について、幾つもの新情報が得られました。その中には、すべての前提をくつがえす、驚愕の新情報もあります。私自身、大混乱で、なにからお伝えすべきか迷います。情報を整理しつつ、まずは新発見の高見彰七作品からご紹介したいと思います。新発見の作品にも、皆さん驚かれることでしょう。そして新情報は、謎を解くことにもなりますが、さらなる混乱を生むことにもなります。次回以降の記事にご期待ください。【 ショコラクリスタル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.09
コメント(26)
にほんブログ村 浅野祥雲と1歳違いで同世代だった高見彰七。それなのに知名度がある浅野祥雲に比べて、高見彰七が忘れ去られてしまったのはなぜでしょうか?むしろ、作家銘すら残さないコンクリート像作家が忘れられるのは自然なことだと私は思います。浅野祥雲の知名度の高さが特殊なのです。そこで、なぜ浅野祥雲の知名度が高いのかを考察したいと思います。以下はその理由と思われる点です。1)浅野祥雲の作品は、多色に塗装された作品が多い 多色に塗られた人物像は表情がユニークに見えます。 そのため、テレビ番組でも取り上げられました。 一方、今日残る高見彰七の観音像は大半が塗装が残っていません。2)浅野祥雲の作品は、まとまって観られるスポットがある 関ケ原ウォーランド、五色園、桃太郎神社などでは、 浅野祥雲の作品をまとまって観ることができる。 高見彰七の作品は基本、分散している。 妙楽寺の58体は廃棄を免れているにすぎない。3)大竹敏之氏の貢献が大きい 大竹敏之氏は浅野祥雲について詳細に調べ、 書籍を出版されています。 様々な浅野祥雲のPR活動を行い、さらに五色園の浅野祥雲作品の 定期的な再塗装活動もしています。 これらの活動は浅野祥雲の知名度向上に 大きく貢献していると思います。実は私も以前に、大竹敏之氏が説明役の五色園見学会に参加しています。その際に私は大竹敏之氏の著書を購入して、サインも頂いています。マニアックな見学会で参加者も限られていました。Xで私のコンクリート像関係の投稿に「いいね」を下さる方の中には、あの時の見学会の参加者もおられるのでは?と思ったりもしています。【 浅野祥雲大全 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.07
コメント(42)
にほんブログ村 高見彰七について色々とわかってきました。そこで一度、重要な事項を整理します。1)高見彰七は昭和25年頃から、夢に見た観音像を追って、 観音像の製作を開始した2)高見彰七は農家の人であり、プロの作家ではない3)昭和31年にはみよし市の大狐、昭和35年には愛知池の大観音など、 代表作と言える大型作品も製作している 「みよし市の大狐」 「愛知池の大観音」4)昭和36年には道路沿いに並ぶ250体の作品とともに、 当時71歳の高見彰七が全国誌で紹介される5)その後、昭和46年の昌福寺の観音像まで、 作家活動が確認されている 「昌福寺の観音像」6)道路沿いの250体の作品群は、平成2年頃に安全上の理由から撤去7)そのうち58体は妙楽寺に置かれている8)宮口神社の神馬、森下交差点の観音像など、 その後も作品の廃却が続いている9)多くの作品が各地に移設されて四散し、現在捜索中 現在まで約110点の作品が発見されているにすぎない10)長野県での作品の確認例もあり、作品の分布は愛知県に留まらない11)高見彰七は知名度が高いコンクリート像作家・浅野祥雲より 1歳年上の同世代の作家であったが、 今日ではほぼ完全に忘れられてしまった約20年間ほどの活動で、高見彰七は多くの作品を残しました。一時期は高い知名度があった高見彰七ですが、その後、急速に人々の記憶から消えました。人の記憶の儚さには驚くばかりです。【 大須 栗りん 栗三秋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.04
コメント(47)
にほんブログ村 愛知県 鞍ヶ池公園東の矢並町にある八柱神社。その八柱神社の神馬の続きです。この神馬には台座がありません。しかし銘板があります。昭和29年と読めます。その横に書かれているのは、奉納者のお名前です。神馬のお顔、たてがみ、尾、脚の造形や大きさから、高見彰七作品で間違いないと思います。調査中、地区の方にお会いしました。神馬は昨年(2023年)に再塗装したばかりで、まさにお会いした方が再塗装されたそうです。地区の方には製作年などのご確認をお願いしました。少し時間はかかるものの、町内会の折に記録を確認くださるそうです。記録でも製作年が昭和29年であれば、製作年を登録します。その場合は、みよし市の大狐像より古く、製作年が判明したものでは、最古の高見彰七作品となります。(みよし市の大狐像は昭和31年2月建立)地区の方には、永くこの神馬を保存くださるようにお願いしました。また、かつて道路沿いにあった250体の高見彰七作品は地区の方もご存知で、当時は有名だったとのことです。ところで、この矢並八柱神社の神馬を見ていて、あらためて先日の茨城県 八溝山の神馬がよく似ていると感じました。八溝山の神馬についても、もう少し検討したいと思います。【 レゴ 名馬8体セット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.11.02
コメント(38)
にほんブログ村 お待たせしました。ようやく以前から報告を頂いていた高見彰七作品候補の現地確認をしました。今回の新発見は神馬です。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」豊田市にある人気観光スポットの鞍ヶ池公園。観光客で賑わう鞍ヶ池公園を東に過ぎると閑静な矢並町。そこに神馬のある八柱神社があります。名鉄バス矢並区民会館から南へ徒歩数分。突然目の前に意外な風景が広がります。田園風景に存在感のある真っ白な神馬。もうこの時点で、高見彰七作品への期待が膨らみます。さらに接近。はい、高見彰七の神馬決定です。(リスト集1「神馬」 No.8) ・所在地: 愛知県豊田市矢並町 八柱神社 ・製作年月: 判読不能 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 190cm, 前後長195cm ・発見者: @FDG_official01 さんまずは神馬をご覧ください。現地確認では、この神馬などを管理されている地区の方のお話も聴けました。次回はその情報と、神馬の銘板などをご紹介します。【 おすわりマスコット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.30
コメント(50)
にほんブログ村 八浜児島淡水湖近くの化粧地蔵、続きです。今回は残り3体をご紹介します。児島湾は、かつて海でした。その湾の海側入り口に堤防を造り、内側を干拓しました。その時、干拓されずに残ったのが、児島淡水湖です。こちらのお顔は線描きです。こちらは色落ち、お化粧直しが必要でしょう。こちらのお地蔵様は真っ赤なお顔。お酒でも呑まれたのでしょうか。 化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。先のだんじり小屋を川沿いに進んだ所にあります。岡山県玉野市八浜町八浜1396真っ赤なベンガラが特徴的な八浜地区らしい化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その38)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その40)」【 電気圧力鍋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.28
コメント(34)
にほんブログ村 先回ご紹介した岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵。その場所から川沿いを北に約250m。八浜中学校南西の児島淡水湖近くにも、別の化粧地蔵様がおられます。祠の中には、9体の化粧地蔵様。赤い前掛で隠れていますが、ベンガラが塗られています。ベンガラ塗は、八浜地区の化粧地蔵の特徴です。左端は六地蔵ならぬ、五地蔵。5体なのは、別に1体あるということでしょうか。その六地蔵の1体と思われる、大きめのお地蔵様。ベンガラを吹き付けたのか、横のブロックまで赤く染まっています。頭の周囲の赤いベンガラは、頭巾の表現でしょうか。表情もユニークです。前掛で隠れてお化粧がよく見えないのが残念。赤い前掛の下の体もおそらく真っ赤でしょう。残り3体の化粧地蔵とストリートビューを次回にご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その37)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その39)」【 ベンガラ 試し塗り用 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.26
コメント(36)
にほんブログ村 八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵、続きです。祠の隣にだんじり小屋があります。この地区の祭りは盛大らしく、説明板もあります。だんじりは2基ですが、精緻な彫刻がされているとのこと。残念ながら秋まつりは観れませんでしたが、まつりとともに化粧地蔵も永く守られていて欲しいものです。化粧地蔵の場所のGoogle mapストリートビューです。川沿いのわかりやすい場所にあります。岡山県玉野市八浜町八浜181児島湖にほど近い、明るく開けた場所にある化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その36)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その38)」【 岡山 蒜山ヨーグルトクリーム大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.23
コメント(42)
にほんブログ村 今回は、岡山県玉野市八浜のだんじり小屋隣の化粧地蔵をご紹介します。 化粧地蔵の祠の隣に見えるのは、この地区のだんじり小屋です。大きなお地蔵様。輪郭を黒く縁取りした質素な御化粧です。八浜地区は児島半島の北部、児島淡水湖側に位置します。今までご紹介することが多かった東児・胸上地区とは御化粧が違います。八浜地区にはベンガラで赤く塗られた化粧地蔵があります。今回の化粧地蔵はベンガラを使わず、極めてシンプルな御化粧です。御化粧は質素ですが、綺麗な祠と地域住民の信心で守られた幸せなお地蔵様でした。次回はストリートビューと、だんじりの話を少々ご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その35)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その37)」【 岡山津山ホルモンカレー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.21
コメント(34)
にほんブログ村 茨城県の八溝山には、日輪寺という寺院もあります。こてらは八溝嶺神社からも近い様です。ネット情報で、日輪寺に下記の画像がありました。(画像出典: 「Laugh and grow fat」 )親子の神馬で、八溝嶺神社とイメージが違っています。シャープな造形で、コンクリート像(モルタル製)ではなく、石像の可能性も出てきます。はたしてこれらの神馬は、高見彰七作品でしょうか?【 ねんりん屋 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.19
コメント(40)
にほんブログ村 茨城県の八溝山、八溝嶺神社の神馬。はたして、これは愛知から最遠方にある高見彰七の神馬でしょうか。通常の神馬は駆ける姿で造られます。しかし高見彰七の神馬は、四つ脚で立つ静止した姿であるという特徴があります。おそらくコンクリート像の劣化による破損を避けるためでしょう。神馬に限らず、高見彰七の作品は破損を避ける造形がなされています。たてがみ、尾の造形など、八溝嶺神社の神馬は高見彰七の神馬によく似ています。しかしこれだけでは判別できません。そこで、さらにネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「YAMAP」 )神馬の正面からの画像で、正面から見るとひび割れがあります。この神馬は石像ではなく、コンクリート像の可能性がありそうです。ただし神馬の顔つきが、高見彰七の神馬にしてはシャープです。また、正面からは銘板も読めます。拡大しましょう。奉納者が常陸屋商店であることと、店主のお名前があります。年号は「昭和五十五年」あるいは「昭和三十三年」と読めます。高見彰七の年表で確認しましょう。昭和三十三年であれば、まさに高見彰七の活動期です。一方、昭和五十五年の場合は、移設された可能性が出てきます。そう悩んでいましたが、下記のネット情報で昭和五十五年奉納と分かりました。もし高見彰七の神馬であれば、移設となるでしょう。 【奉納年の情報: 「茨城見聞録」 )残念ながら、高見彰七の神馬であるという確証を持つには到りません。可能性はあるとは思いますが。今後、新たな情報が待たれます。またネット調査の中で、八溝嶺神社近くに別の神馬も見つけました。次回、こちらも紹介します。【 栗秋山 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.17
コメント(34)
にほんブログ村 しばらく遠方に出ていました。その間にX(旧Twitter)を見ていて、興味深いものを見つけました。それは高見彰七作品によく似た神馬です。場所は、茨城県の八溝山にある八溝嶺神社です。写真は 「ツネツネツネ」さん の許可を頂いて転載しています。如何でしょうか。四つ脚で立つ姿、たてがみ、尾の造形など、高見彰七の神馬によく似ていないでしょうか?ネットで別の画像を探しました。(画像出典: 「CROW'S CLOW」 )高見彰七の神馬に比べると、やや細身の神馬です。高見彰七作品の様な、違う様な……。また別の方の画像から。(画像出典: 『栃木発「ちゃりあん」ブログ2』 )やや小柄な神馬らしい。高見彰七の神馬と酷似した台座には、銘板が見えます。もし茨城県での発見となれば、愛知から最遠方での発見例。真贋が気になります。さらに調べると、別の方の画像で銘板も解読できました。それをご紹介しつつ、次回はこの神馬の謎解きを試みます。【 秋の味覚 食べ比べ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.15
コメント(30)
にほんブログ村 愛知県豊田市 八王山 春光院の観音像の注目点をご紹介します。(1)失われた首飾り春光院の観音像も首飾りをしています。ただし他の観音像の様に2重の首飾りではありません。その特徴としては、首飾りのペンダントが取れていることがあります。渡刈町の与次の観音像は写真の様に、円い飾りが付いています。「渡刈町 『与次』観音像」当初は渡刈町の様なモルタルの飾りが付いていたのか、それとも別の象嵌風の飾りが貼りつけられていたのか。あまりに綺麗にはがれています。モルタル以外の飾りの貼り付けの可能性を感じます。(2)消えた作家銘?観音像の背面右下に、違和感のある模様が見えます。次の様な作家銘の可能性はないでしょうか。作家銘を示す長方形の縁取りと「七」の文字が見えませんか。参考に、今は亡き宮口神社の神馬にあった高見彰七の作家銘を示します。「七」がよく似ていませんか。春光院の観音像は、作家銘の上半分が補修用のモルタルで消されている様に見えます。「与次=高見彰七の弟子」に加えて、「与次=高見彰七」の可能性も高まった様に思います。はたして「与次」とは誰でしょうか。いささか「見たいものが見える」、心霊写真的な要素がありますが、もし作家銘ならば、「与次」の重要な手がかりにもなるかもしれません。【前の記事】 「春光院 1」【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.09
コメント(33)
にほんブログ村 高見彰七と深い関連があると推定される謎の作家「与次」の観音像の現地確認第2段です。場所は豊田市の八王山 春光院。豊田市渡刈町の銘「与次」の観音像(リスト集2 No.25)とよく似た観音像です。(No.24)【八王山 春光院】 ・所在地: 愛知県豊田市岩倉町 八王山 春光院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 銘板なし 「与次」作と推定 ・発見者: 「FDG公式」さん ・台上高さ: 140cm, 胸部幅: 30cm, 裾幅: 40cm, 胸部厚: 30cm, 直立形高さ140cmは、豊田市渡刈町の観音像と同じです。幅などもNo.25とほぼ同じですが、厚みは春光院の方が厚くなっています。背面には、銘板は確認できません。前後境界面のひび割れは、軽微ですがあります。この場所は第2東海自動車道の高架下付近。さらに巴川とに挟まれた、交通量も少ない閑静な場所。観音様も人恋しくなるかもしれません。ポストの横に立つ観音様は、日に数度、郵便局員に会うのを楽しみにしているのかもしれません。渡刈町の「与次」と瓜二つなお顔の観音像は、今日も笑顔で私達を迎えてくれます。*次回はこの春光院の観音像の注目点2ヶ所をご紹介します。それは「与次」の謎の解明に迫るものかもしれません。【 活性炭アニマル置物 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.10.06
コメント(47)
全3731件 (3731件中 1-50件目)