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2009年08月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
数ヶ月前の駅前で

「お願いします」

と道行く人にそう繰り返しながら

何かを配っている集団に出くわした

何気なくその横を通り過ぎると集団のうちの一人から

一枚のチラシを渡された

とある宗教の勧誘の広告

そこには

「神に許しを請えば」



「再びこの世によみがえる事が出来るのです」

と書かれていた

俺は家庭の事情から根本的に宗教が嫌いな人間だが

それを信じている人に対して偏見は無い

しかし広告に書かかれていた文言

「神に許しを請えば罪が許される」という点のみについて

俺は大きく疑問を感じる

具体的に言うならば

罪に対して必要な事は

罰は勿論だが

その人の痛みを知ること



痛みを知ることも必要だと俺は考える

そして許されたとするならば

また許されるという痛みを知ることである

神と言う不確かな存在に対して縋る事ではない

今宗教のチラシに書いてある「罪」について書いたが



という文言についてのみの批評である

先ほど書いた文書は「罪」に対する

一人の人間の考え方の一つでしかない

今書いた「罪」に対する思想は

自分独自の考え方でしかないからだ

特に今回の「罪」に対する解釈は

答えの定まっていない哲学である

俺の書いた先ほどの思想もそれが「正論」であると

断言するのは思想の押し付けというものである

また宗教の「罪」に対して考え方について

自分は全てを理解している訳ではない

そうだというのに直ぐに全面的に悪いと判断するのは頑迷というものだ

どんな思想にも事象にも

人には人の考え方がある

それに対して賛成するのも

反対するのも人の自由だ

しかし全ての事象には理由がある

真意がある

まずその事について理由を考え

真意を見極める事が必要だ

具体的には

まずその件について理由を深く理解する事

原因そして結果に至るまでの数多の要因を知る事

また「物事には絶対的な答え」がないという事

それらをふまえ具体的な問題提起と改善の為の案を提示して

批評しなければならない

人それぞれどのような考え方をして

どのような道を選ぼうと自由だが

少なくとも自分は

そのような考え方の中でこれからも歩んでいきたい








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Last updated  2009年08月08日 14時29分28秒
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