真理を求めて

真理を求めて

2003.01.03
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は珍しく誰もが知っている歌を選んでみた。僕は、金八先生をやっているときはちょうどアルバイトをしていて、その時間はテレビを見ていなかった。だから、物語はほとんど知らないんだけれど、この歌は歌詞もメロディーも好きだったな。

武田鉄矢の書く詞は昔から好きだった。それは誰もが思いつきそうな感じがするんだけれど、誰も書かなかったという感じがする詞だ。つまり、みんなが心の中に抱いている気持ちを思い出させてくれるような、そんな気がする詞だった。

これは誰もが知っているので、もちろん<うたまっぷ>で検索が出来る。この歌で特に印象的なのは次のフレーズだ。きっとそう思う人が多いだろうな。

     人は悲しみが 多いほど
     人には優しく できるのだから

僕は、灰谷健次郎に出会ってからずっとこんなふうに思っているけれど、ちょうどそのころにこの歌も聞いたのかな。「そうだ」と思っていることをその通りに言葉にしてくれたとき、共感が一番大きくなるような気がする。人生は、不公平だと思うけれど、喜びよりも悲しみの方が多いんだろうな。だから、悲しみをたくさん知る人ほど、人間の本当を知っている。本当を知る人でなければ、本当にはやさしくできないんだと思う。

悲しみを深く知らなくても、やさしくする方法が一つだけあるかもしれない。それは、もう一つの印象的なフレーズの次のところに感じる。

     だけど私ほど あなたのことを
     深く愛した ヤツはいない



この歌は、他のところでも共感するところは多い。武田鉄矢はステキなセリフを考えるね。みんな同じ気持ちを持ってはいるんだけれど、言葉にすることが出来ない。それを言葉に出来るというのがすごい才能だ。

悲しみをこらえてがんばるよりも、自分の気持ちに素直に泣いてしまった方がいいなんてのも、その通りだと思うし、信じないよりも信じて傷ついた方がいいというのもその通りだと思う。僕は、教員の仕事には「裏切られる」という悲しみが含まれていると思っている。人間というのは、みんながみんな期待通りに生きているわけではない。さまざまな条件で、期待がかなえられないことの方が多いだろう。そういう意味で裏切られるということがきっと多いだろうと思う。それを、相手に対する落胆として受け取るのではなく、やさしくなるための悲しさとして受け止めることが出来れば、この歌のように「人にはやさしく」なれるのかもしれないと思った。

僕は、金八先生とはまるでタイプの違う教員だと思うから、ある意味ではそれを見なくてよかったかもしれない。無理して金八先生になろうとしなかったから。僕は、灰谷健次郎が「砂場の少年」で描いた葛原順のような教師ならなれそうな気がした。それは、情熱で引っ張っていくような教師ではなく、迷いながらも生徒の側に寄り添っていこうとするような教師だった。悲しみを知る人間も二つのタイプがあると思う。自分が悲しみの中にいた人間で、肌でそれを知っている人間だ。これは金八先生のようなタイプになるかもしれない。もう一つは、人の悲しみを感じることの出来る人間で、これは葛原順のようなタイプになるかもしれない。僕は、夜間中学で悲しみを知る人に囲まれている。葛原順のような人間になりたいと思う。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2003.02.22 21:37:25
コメント(9) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

コメント新着

真の伯父/じじい50 @ Re:自民党憲法草案批判 5 憲法34条のロジック(02/03) 現行憲法も自民草案も「抑留」に対する歯…
秀0430 @ Re[1]:自民党憲法草案批判 5 憲法34条のロジック(02/03) 穴沢ジョージさん お久しぶりです。コメ…
穴沢ジョージ @ Re:自民党憲法草案批判 5 憲法34条のロジック(02/03) ごぶさたです。 そもそも現行の憲法の下で…
秀0430 @ Re[1]:構造としての学校の問題(10/20) ジョンリーフッカーさん 学校に警察権力…

フリーページ


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: