真理を求めて

真理を求めて

2004.02.08
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最新号のマル激トーク・オン・デマンドでは、「幻の大量破壊兵器はいかに捏造されたのか」というタイトルで語られている。大量破壊兵器の問題は再び取り上げられているが、何が一番問題なのかというのを、もう一度思い出さないとならないのではないだろうか。

戦争前のアメリカの主張としては、大量破壊兵器が緊急性のある危機であるということが武力行使を正当化する最大の理由だった。山陰中央新報の社説(2003年2月7日)では次のように書かれている。

「パウエル長官は、イラクは(1)化学兵器製造用トラック十八台(2)化学兵器用物質百-五百トン(3)核開発用装備-などを保有、国際テロ組織アルカイダと連携しているとも指摘した。イラクが安保理決議に違反して危険な大量破壊兵器を持っているのはほぼ間違いないとの印象を持たせるのに十分な演出だったといえる。

http://www.sanin-chuo.co.jp/ronsetu/2003/02/07.html

一方、この社説の中には次の記述もある。

「イラクが核・生物・化学(NBC)兵器および射程百五十キロ以上の弾道ミサイルを保有していることを直接的に証明する情報はなかった。イラクに対する武力行使を正当化するにはなお決定的な証拠を欠いている。」

アメリカの主張は認められるに足るものはなかった。アメリカが大量破壊兵器だと考えている具体的な対象は、査察では見つからなかったのである。これがたとえ情報の間違いであろうとも、それによって不当な戦争を仕掛けて多くの一般市民を殺したという責任を免れるものではないだろう。ましてや捏造ということであればもっと責任は重くなる。

論理的に考えれば、戦争を仕掛けたことの大儀は、大量破壊兵器の存在と、それが差し迫った危機であるという緊急性があったという判断にかかっているだろう。この両方が証明されなければ、あの戦争の大儀の基礎は何もないことになる。この両方が証明されてさえ、僕はまだ不十分だと思っているけれど、これが証明されなければ、議論の第一歩も歩み出すことができないと思っている。

このことがどうしても証明できないので、戦争の大儀はその後いろいろと論点のすり替えが行われた。フセイン政権が国民を弾圧し残虐行為をしていたから、それからイラクの人々を救い出し、イラクに民主的な国を建設するためだというようなこともいわれた。これなどは、よほど事実に無知でなければ信じられないことだろう。フセイン政権が、かつていろいろな残虐行為をしていたということは、戦争前に分かったことではないだろう。どうして、戦争以前にはそのことを問題にしなかったのか、という疑問でこのことが論点のすり替えであり、ご都合主義的なものだということの証明になるのではないだろうか。



かつて持っていたものも、よく調べてみればかつてアメリカが与えたものだったということになるかもしれない。だから、「湾岸戦争」と呼ばれる戦争のあとには、アメリカが与えなかったので、開発も保持も出来なくなったと見るのがむしろ自然な考え方のように思う。

どこかにあるはずだといういいわけがもはや続けられなくなったので、「意図」や「能力」という、それがあることを証明することも難しいが、ないことを証明するのも難しいというものへまた論点をすり替えてきているのだろうと思う。しかし、法律の世界では、実際に行われた行為に対して裁かれるのであって、心で思っただけの「意図」や「能力」で裁かれることはないのではないだろうか。これを理由にすることは、かなり論理的にむちゃくちゃだという思いが僕にはする。

事実の優位性というもので、すでに戦争が行われて、イラクでは今問題なのは復興の方なのだから、今更戦争前のことを引きずらないで、これからのことを考えなければいけないなどという声も聞こえてくる。ブッシュ大統領の演説などでも、戦争によって脅威が減ったのだとか、結果のことをのみ語ることが多くなっている。しかし、大量破壊兵器のことを忘れてはいけないと僕は思う。

大量破壊兵器を理由に持ち出したので、世界は何となくアメリカの大儀に押し切られてしまったが、これがもし間違った情報のもとに始められた戦争だとしたら、今後同じように間違った情報が発生しそうな場合に、何らかの歯止めを工夫しなければならない。忘れてしまえば、同じことがまた起こる。

また、アメリカの情報操作という捏造のもとにこの戦争が行われたものであるならば、アメリカは戦争をしたいと思えば、いつでもそれができるという前例を作ってしまったことになる。これは何とか阻止しなければならないだろう。もしアメリカの横暴を許すようなシステムができあがってしまったら、それは世界の破滅を意味するんだと思う。

かつての軍国主義時代の日本では、権力の側の横暴を許してしまったために、どんなに論理的におかしなことでも歯止めを作ることが出来なかった。道理が引っ込んで無理が押し通されるようになった。人間は死ぬことが一番の幸せになり、ものがなくても精神力で生きていけるということが常識になっていた。その無理が終わったのは、より強い存在に打ち負かされたときだった。アメリカの横暴を許してしまったら、アメリカよりも強い存在がない世界は、その無理がいつ終わりが来るか分からない。

大量破壊兵器の問題は、それが情報の間違いであってもアメリカの不当性を証明できる。ましてや捏造であれば、その不当性の程度はもっと高いものになる。世界の世論が、アメリカは不当な戦争をしたのだということが大勢を占め、アメリカ自身もその責任を認めざるを得ないところに来て、世界は何とか未来への希望を感じることができるのだと思う。そういうふうに考える人間が一人でも多くなることを願っている。

「戦争支持初めて5割切る 世論調査で米国民
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040203-00000193-kyodo-int

という記事を見ると、少しずつ希望が見えているのかなとも思うが、

「大量破壊兵器が見つからなくてもイラク戦争は正当化できると答えたのは48%。一方、「見つかった場合のみ正当化できる」(23%)と「いかなる場合も正当化できない」(25%)を合わせても48%で、意見が割れている。」



今後、イラクで大量破壊兵器が見つかった場合、僕の論理はどうなるだろうか。大量破壊兵器がないのに戦争を仕掛けたという、アメリカの不当性を証明することは出来なくなる。しかし、この論理が崩れたからといって、それでアメリカの戦争は正当だったという結論にすぐには結びつかない。

戦争という手段が国際紛争を解決する方法としてふさわしいかというより原則的な問題もあるからだ。これは、より原則的であるから、大量破壊兵器の問題よりも批判は難しいけれど、批判できない事柄ではない。自衛の戦争ではなく、先制攻撃の戦争であるという点で批判をすることが出来るだろう。

同じように大量破壊兵器を所有している他の国、たとえばイスラエルの問題も、ダブルスタンダードの問題として批判の対象になるだろう。そして、大量破壊兵器の使用の危険があるにもかかわらず戦争に踏み切ったということの是非の問題もある。これは、差し迫った危機としては、朝鮮民主主義人民共和国の問題もある。こちらの国の方が、先制攻撃を仕掛ければ、その報復として大量破壊兵器を使われる危険が遙かに高い。その場合でもやはり先制攻撃をするのかどうかという問題だ。危険を回避するためには、外交手段の可能性のあるときは、外交での解決を図るべきではないのか。

ある意味では、イラクには報復する力がほとんどないことが分かっていたからアメリカは先制攻撃を仕掛けたのではないだろうか。「湾岸戦争」後の10年でそれだけイラクを弱めていたという自信があったのではないだろうか。そんなことを感じるので、僕は、イラクでアメリカが探しているような大量破壊兵器は見つからないんじゃないかと思っている。そういう意味では、論理の前提が崩れることはないんじゃないかと僕は感じている。今後のニュースに注目していきたい。





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最終更新日  2004.02.08 11:09:28
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