真理を求めて

真理を求めて

2004.02.22
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今日の疑問は黄色いハンカチに対する疑問だ。これは、山田洋次監督の映画「幸せの黄色いハンカチ」に対する疑問ではなく、それからヒントを得た、自衛隊の無事帰還を願う運動としての「黄色いハンカチ」への疑問だ。これは、その動機には誰も反対できないものの、現象として黄色いハンカチが並んでいる町を見ると、何か違和感がぬぐいきれなかったのだが、山田監督の次のインタビュー記事を読んで、その違和感が何かがはっきりした。

<黄色いハンカチ>「兵士の無事願うことと違う」 山田洋次監督
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040221-00000070-mai-soci

山田監督がここで語っている「黄色いハンカチ」運動への疑問は、僕もとても共感できるもので、そのポイントは二つあると思う。一つは、「映画のハンカチは夫婦愛の証し。戦争に行く兵士の無事を願うこととは本質的に違う」ということで、映画のイメージが持っている、相手に対する思いやりや愛情の暖かさが、本当は注目すべき大事なことを見えにくくさせていることにつながっているのが問題だ。その大事なことは二つ目のポイントになるもので、山田監督自身の言葉では次のように表現されている。

「自衛隊員を派兵する町で、黄色いハンカチが見送りに使われるのはとても気になる。イラク派兵が憲法違反ではないかという重要な論点が消えてしまうのが不安だ」

「黄色いリボンやハンカチを並べると派手なのですが、それがイベントみたいになる中で、イラク派兵が憲法違反ではないかという重要な論点が消えてしまうのが不安です。今はじっくりと議論することが大事だと思います。」

「黄色いハンカチ」の運動を進めている人たちは、これが善意の運動であることを理由に、この山田監督の発言に困惑しているらしい。しかし、これが善意から始まった運動であるからこそ本当は問題なのだという感覚がなければいけないのではないのだろうか。善意というのは、それ自体に反対することは難しい。善意は無言の圧力になりかねないのだ。この記事には次のような記述が見られる。

「自衛隊員の妻の反応は賛否さまざま。留萌駐屯地(留萌市)の派遣隊員の妻は「精神的に参っていたが、ハンカチに心が癒やされた」と語る。派遣要員になっていない隊員の妻(36)=旭川市=は「国の命令で背中を押されてイラクに行く夫の同僚たちの心を思うと、ハンカチは無言の圧力になる。安易にハンカチを掲げるのは許せない」と批判する。」

この中の前者の方の思いは大変わかりやすい。善意が善意として受け取られているからだ。こういうものは、善意のみを見ている人間は素直に受け取るだろう。しかし後者の方の思いはどうだろうか。この思いを共感できる人間はどれくらいいるだろうか。この思いを抱く人間がいるということが、映画の「夫婦愛の証」と、この運動の「兵士の無事を願う気持ち」との違いを象徴しているのではないだろうか。



「日本の自衛隊は、イラクに戦争に行くわけではないから、なぜアメリカの習慣のまねをするのか。その昔、「日の丸」の旗を振って兵隊を見送ったのと同じことになってしまうのではないか。」

「無事を願う」という善意の裏に、かつての戦争中の行為と同じように、「安心して命をかけてこい」という圧力が込められていないだろうか。善意の人たちは、そのような気持ちが入っているとは思わないだろうが、圧力として感じる人がいるということは上の記事から確かではないかと思う。

しかも、このようにして送り出すと言うことは、もはや自衛隊派遣の是非に関しては全く思考から抜け落ちてしまっていることを意味する。決まってしまったのだから、今更何を言っても仕方がない、せめて無事を祈るだけが出来ることのすべてだというような圧力も感じる。「地獄への道は善意によって敷き詰められている」と言うことの一つの例のように感じる。

善意に対して異議を唱えるというのはとても勇気のいることだ。特に、中間集団全体主義が支配する日本社会においては、世の中の流れがある体で出来てしまっているときにこのような発言をすることは大変なことだ。僕も違和感を抱いていても、なかなかそれを表明することは出来なかった。

その中で山田監督という影響力の大きな人が、このように明確な発言をしてくれるということは大変勇気づけられる。これまでも山田監督には信頼を置いていたが、それが間違いでなかったということを改めて思った。そして、ますます信頼の度を高めていっているのを感じている。

さて、他にも気になるニュースはたくさんあるので、ちょっとだけ触れておきたい。まずは次のニュースだ。

「20年近く、事前に漏らす 米核兵器工場の警備訓練で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040217-00000126-kyodo-int

アメリカというのは、日本よりも責任観念が確立しているので、このようなことが起こりにくいと思っていたのだが、最も重要な危機管理が必要なところで、本当の意味での危機管理が出来ていなかったというのが衝撃的なニュースだった。

ニューヨークでの大規模テロにおいて、ハイジャックされた飛行機が利用されたとき、アメリカのような国でなぜ簡単にハイジャックされてしまうんだという疑問が僕にはあった。しかし、このような危機管理をしていたら、現実にねらわれた場合に危機を回避できないのではないかと言うことも理解できそうな気がした。なれ合いの警備訓練などをしていたら、本物のテロリストに遭遇したときには対処することはできないのではないかと思う。この記事のような事実が発覚した後は、本当の警備訓練がされたのだろうか。アメリカでもこうなのだから、日本でのことも心配になる。どうなっているのかな?

「米の神父4450人、児童へ性的虐待の疑い1万1千件
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040217-00000414-yom-int

この記事を読むと、「性悪説」(宮台氏的な意味)を基礎にして人間の行為をとらえた方がいいのかなと改めて思った。神父というのは、誰にも知られずに密室で自分の行為が行われるということが多いのではないだろうか。その時に、高い倫理観を持たなければならない存在なのだろうが、誰にも知られなければある種の欲望に誘惑されると言うことも多いのだということの結果がこれではないだろうか。

神父は、高い倫理観を持たなければならないと言う精神的なプレッシャーから来るストレスも高いのではないかと思う。それが「誰にも知られなければ、悪いことにでも手を出してしまう」という「性悪説」の正しさにつながってしまう原因かもしれない。すべての神父を疑えということではないが、一人の犠牲者も出さないと言うことのためには、チェックシステムを構築するしかないだろう。

「世界はエイズとのたたかいに敗れつつある=エイズ対策基金事務局長
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040218-00000311-reu-int

この記事では、次の部分を重く受け止める必要があることを感じた。



日本ではエイズの脅威が日常的にはなっていないが、この病気のために平均寿命が40歳にも満たない国もあるということを聞いたことがある。日本での被害が広がらなければ、それはどこか遠い国の出来事という風に見てしまうのだろうか。これが、我々自身の問題でもあると、主体的に感じられるようにするにはどうしたらいいのだろうと思う。





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最終更新日  2004.02.22 09:47:59
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