yitikoさん

そのたとえはとても面白いですね。今ちまたで言われている「自己責任」という言葉の使われ方を、鋭くついているものだと思います。

自己責任という言葉を、本当の意味で主体性のある個人の責任という意味で使っているのではなく、何か行動を起こそうとする人間の行動を押しとどめるという目的で使っているのですね。

そういう言葉を許す社会は、新しい建設的なことに挑戦する人間が出てこなくなります。冒険をする人がいなくなりますよね。冒険というのは、危険がともないからこそ冒険といわれるのですから。でも、冒険のない社会は、何かで行き詰まっても、その行き詰まりを解決する方法を見つけられません。その問題を先送りにするだけです。まさに小泉政権が主導する日本の現状を象徴するような、「自己責任」という言葉の蔓延ですね。 (2004.04.17 00:01:36)

真理を求めて

真理を求めて

2004.04.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
すでに他の人の日記にも書かれているのでごらんになった人が多いだろうが、「[TUP速報]287号 米軍はファルージャ市民を虐殺している 04年4月15日」の記事に、アメリカ軍がいかにひどいことをしているかが報告されている。これは、日本のマスコミにはほとんど登場してこないもので、その偏った報道に僕は疑問を感じている。それだけに、この記事の冒頭に次のように語っていることが印象に残る。

「ファルージャではここ数日間、市全体が米軍により包囲され、水も電気もないまま、一般市民が「集団処罰」を受けているという。なのにマスコミはその惨状をほとんど報道してはいない。
 実際、ファルージャ市内で取材している記者は、たった二人しかいないのだ。私は現場で起こっているだろう残虐行為をこの目で見て世界中に報らせるめ、ファルージャに行くことにした。」

このジャーナリストに対して、「有名になりたい」からだという人もいるかもしれない。しかし、「有名になる」というのは結果として起こることかもしれないけれど、「有名になりたい」と言うことだけの動機で、このような行為が出来るものではないし、もしそのような動機だけで事実を眺めれば、そこには「売れる」という観点で事実を眺めてしまうことになってしまうので、貴重な事実を送ってくれたという結果に結びつかないのではないかと思う。

ジャーナリストの使命感は、知らせるべき事実があるのに、それが知らされていないときに自分が行かなければならないと感じるものではないかと思う。まして、ファルージャでの取材者が二人しかいないとしたら、そこでとどまるのがジャーナリストの使命だと、この記者は感じたのだろうと思う。あえて危険な道を選んでいる。

このジャーナリストは、そこにとどまることをジャーナリストとして選んでいる。自己責任でその危険を引き受けていると言っていいだろう。もし不幸にして何らかの事件や事故に巻き込まれて死ぬようなことがあっても、それは覚悟の上だろう。しかし、だからといって、危険な目にあった人間を「自己責任で行った」のだから助ける必要はないと考えていいものだろうか。

「自己責任」を論じるのと、「自己責任」を理由に責任逃れをしたり、人質を見捨てるような発想をするのとは僕は違うと思う。うるとびーずさんの日記に紹介されていた、江川紹子さんの文章「いわゆる「自己責任論」について」というものに僕は深く共感する。これは次のところで見てもらえるといいと思う。

http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_28.html

ここで一番共感する部分は次のところだ。



このことだけでもさることながら、ジャーナリストとしての彼らの活動は、「自己責任」という非難を浴びせるものではなく、むしろ尊敬し感謝すべきものではないかと僕は感じる。もっともそうは感じない人がいるから非難を浴びせるのだろうなとは思うけれど。

ファルージャからの報告には次のようなものがある。

「街でいちばん大きな病院は、そこに出入りしようとする人々を米兵が狙撃するので使えないし、もう一つの病院は米軍がすでに爆撃したので使用不能だ。いまファルージャで機能しているのは、二つの小さな医院だけだった。それはこの医院と、もうひとつは車の修理工場内に設置した臨時医療所だ。私がその小汚い医院にいる間に、米兵に撃たれた女性や子供たちがひっきりなしに運び込まれた。ひとりの女性は首を撃たれ、息をするたびに妙な音をたて、苦しそうにもがいていた。
 同じく首を撃たれた小さな子供は、医者が必死で命を救おうとする間も、うつろな目を空に向けて、口から何かを吐き続けた。30分たったころ、医者は二人の命をあきらめざるをえなかった。
 外では狙撃の音が断続的に続いていた。米軍の侵略行為で傷ついた犠牲者が次々に運ばれたが、そのほとんどが女性や子供たちだった。」

このような情報は、まず日本のマスコミには登場しない。そして、現地に行かなければ得られない情報でもある。日本人3人の人質の事件に関しても、イラクがどのような地であるかというのをこれほどはっきりと知らしめることになったのは他になかった。サマワでの自衛隊は、地元の人々と友好な関係を作っているという記事ばかりで、イラクは安全な地であるというイメージすら与えていたのではないだろうか。

イラクが危険であると言うことは、今や政府関係者でも語らざるを得ないほどになっている。

「イラクの治安はまだ予断を許さない=川口外相」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040415-00000636-reu-int

この中で川口外相は、「イラクの治安状態はまだ、予断を許さず、今後ともイラクへの渡航は絶対に控えて欲しいと勧告する」と語っている。イラクは非常に危険なのだ。もはやイラク特措法が適用できる状況ではない。しかし、政府の方針は、

「毅然と復興支援を継続 外相、残る2人確認に全力」


ということになってしまう。これは論理矛盾ではないのだろうか。

危険だから、ジャーナリストにさえも行くなと言うのなら、国民は偏った情報を修正することが出来なくなる。ますます、危険を冒してでも情報を伝えるジャーナリストの必要性が増していくのではないか。我々は、そういうジャーナリストを尊敬こそすれ、危険を冒したと言うことを非難すべきではないと僕は思う。彼らは、我々のかわりに貴重な情報を求めてくれているのだ。

マスコミが知らせない貴重な情報を与えてくれるジャーナリストとしては、田中宇さんもそのような人であると僕は感じている。田中さんの次の記事には非常に貴重な情報が伝えられている。

「米イラク統治の崩壊」
http://tanakanews.com/e0413iraq.htm



「ファルージャで殺されて遺体を引きずれ回されたアメリカ人4人は「ブラックウォーターUSA」という米軍傘下の非正規戦闘要員の供給会社(戦場における警備業務なども行う会社)と契約していた海軍系などの米特殊部隊の元メンバーで、ファルージャ市内で米軍のための食糧運搬の警備をしている最中にゲリラ攻撃を受けたと発表された。

 だが、彼らは実は食糧運搬などしておらず、しかも4人が攻撃され、遺体が引き回されて何時間も騒動が続いていた間、その近くに駐屯していた米軍部隊は全く動かなかった。殺された4人は、ひと目で米占領軍の関係者と分かる白い4輪駆動車に乗り、重武装していた。そのため、殺害事件を誘発するために、米軍がわざと4人を犠牲にしたのではないかという見方が、アメリカの大手マスコミの記事にも出ている。

(国内世論を考えると米軍はこれ以上正規軍の兵力を増やせないため、国防総省は、アメリカやイギリス、南アフリカなどにある非正規戦闘要員の供給会社〈傭兵会社、戦場警備会社〉と契約し、合計2万人の非正規戦闘員を雇用している)

 米軍がファルージャで行ったような、占領下の市民をわざと挑発し、怒らせてゲリラ攻撃を煽り、その上で正当防衛と称して大攻撃を仕掛ける作戦は、イスラエル軍がパレスチナ占領地で行っている手法である。そして、今回のファルージャ大攻撃につながる3月31日の「アメリカの民間人」4人がファルージャで殺害された事件も、米軍側が大攻撃を仕掛けるための口実として起こした可能性が高い。」

この情報を見ると、「民間人が惨殺された」というイメージがかなり変わってくるのではないだろうか。僕は、このことで、惨殺されたと言うことを弁護したいのではない。どのような人間であろうとも、惨殺するのは理不尽な犯罪には違いないと思う。しかし、イラクの地では、アメリカによってイラクの人々が、これ以上のひどさで惨殺されているのである。その報道が全く出ない中で、このアメリカ人の惨殺だけが大きく報道され、イラクの人々だけが非人間的なことをしているようなイメージを振りまくのは、あまりにも不公平ではないかと思うだけである。その不公平さに、公平を取り戻すために、尊敬すべきジャーナリストがいるのだと僕は思う。

「自己責任」は抽象的に語られるものではなく、その状況という具体性を考慮して語らなければならないのではないかと思う。





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最終更新日  2004.04.16 10:29:01
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Re:ジャーナリストの使命(04/16)  
yitiko  さん
お久です。今日の朝日夕刊の漫画が、自己責任を問うことの、いい加減さを端的に表してくれています。溺れている子供を前にして、助けに行くなら自己責任だぞ、と言ってるのがいて、行こうとしている人は服を脱ごうとして固まってるの。

Re[1]:ジャーナリストの使命(04/16)  
秀0430  さん

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