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2007.01.18
正義の実現と権力
(6)
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権力というものを抽象的に考察していくと、それが合理的に機能しているときは、われわれはほとんどその存在に気が付かないのではないかと思う。権力がうまく機能していると、われわれはそれを気にする必要がないほど安定した社会が営まれているといえるだろう。
われわれが権力を意識し、権力に注目するのは、たいていが権力がうまく機能していない・合理性を失ったときではないかと思う。だからこそ、権力というものは、われわれを弾圧するだけの悪い存在だという感じがしてくるのではないだろうか。合理的に機能していない現存する権力と、合理的に機能する抽象的な権力とを区別しなければならないのではないかと思う。
抽象的に捉えられた権力は、ある意味では理想的な権力であって、そんなものは現実にはないというふうに簡単に捨てられてしまうかもしれない。それが現実にはありえないことは確かだが、理想的な権力というのは、現存する権力がどれだけ合理的に働いているかの判断基準を与えてくれる。そのような見方が大事ではないかと思う。
いじめ問題を議論しているとき、宮台氏と内藤朝雄さんが、学校に警察権力を介入させろという主張をしていた。このことは、学生運動が華やかだった全共闘の時代の記憶がある人には、生徒を弾圧するために警察権力を利用するのか、というふうに見えるかもしれない。
しかし、宮台氏や内藤さんの主張の根底にあったのは、生徒の自由を奪うという意味での権力ではなく、「正義の実現」を達成するための権力というイメージだった。いじめ問題の根本的な解決は、内藤さんが主張するように、学校における中間集団全体主義の克服にあると思うのだが、緊急の処方箋としては、正義の実現によって今生じているいじめの中のひどいものはかなり収まるのだという。
他者を肉体的・精神的に傷つける行為の中には、犯罪的なものがある。いじめという判断はなかなか難しいが、犯罪的であるという判断は下しやすいだろう。それを処罰することで、いじめがひどくなることを防ぐことができると思う。それは、いじめそのものをなくすことはできないかもしれないが、やり過ごせるだけの軽いものに変えることはできるかもしれない。
犯罪を処罰するというのは正義の実現をすることだが、このためには「権力」というものを必要とする。論理的に考えれば、「権力」なしに正義を実現することの困難が見えてくるだろう。
西部劇映画などを見ていると、そこには無法地帯というものが出てくることがある。無法地帯では正義が実現されていない。最も力の強いものが、暴力的な支配を基に、自分勝手なやりたい放題をするのが無法地帯だ。ここに正義を実現させるには、映画では正義のヒーローを必要とする。支配者よりももっと強いヒーローが出現して、そのヒーローの人格の高潔さで正義を実現する。
映画の中ではヒーローが正義を実現するが、現実の世界ではなかなかヒーローは出てこない。支配者よりも強いヒーローは出てこない。ヒーローの出現を待っていたのでは、いつまでも正義は実現されない。ヒーローがいなくても実現される正義として、権力が合理的に働いたときの正義の実現が考えられなければならないと思う。
また、学校における正義の実現として、直接教員に権力を与えてしまえばいいのではないかと考える人もいるかもしれないが、前近代の社会ならいざ知らず、近代社会では分化した機能として権力が働かないとそれはおそらくうまくいかないだろう。犯罪を取り締まる正義の実現の機能は警察権力が担っているのであって、それを教師に担わせると弊害のほうが大きくなるのではないかと思われる。教師は、教育と評価という二点でのみ正義が実現されるような権力をもつべきだろう。
警察権力が、誰もが認める正義の実現をしていれば、社会は安定した状態を保ち、われわれは権力の存在を意識することなく、権力の合理性を感じることができるだろう。しかし、現存する権力はいつも合理的に働くわけではない。私利私欲に駆られて権力を利用する人間もいつでも生まれてくる。現実の権力はいつでもそちらへシフトする可能性が高いのだから、合理的に働く権力などは、やはり現実離れした理想に過ぎないといわなければならないのだろうか。
合理的に働く権力というものが、現実離れのした妄想になるのか、現実が目指すべき理想の姿になるかは、われわれの学習にかかっているのではないかと思う。私利私欲に駆られて、権力の合理性を逸脱して不当な使い方をすれば、結局は支配する人間にさえも不利益が生じるという学習が大事ではないかと思う。正義の実現ができない権力は、一時的には支配者に利益をもたらすかもしれないが、社会そのものの存続を脅かすために、やがてはプラットホーム(存在基盤)の崩壊を招き、支配するべき対象がなくなってしまうのではないかと思われる。
その学習にとっていい材料は、不祥事を起こして倒産が確実視されている不二家という会社ではないかと思う。不二家では不正が行われていて、それを隠すという不正義が行われていた。不二家という会社(社会)では、正義の実現をするような権力が存在していなかったと考えられる。青山貞一さんの
「格差社会と内部告発~不二家問題に思う~」
というエントリーには次のような記述がある。
「この不二家問題を見ていて直感したのは、不二家工場でパートとして働いてきた労働者の「内部告発」であり、ここ数年のこの種の不祥事や事件の多くが、「内部告発」がきっかけとなっていることだ。」
「ところで格差社会は、言うまでもなく本来必要とされる社会経済的な規制までとっぱらい、何でも市場にゆだねる市場原理主義のもと、弱肉強食の経済社会を増長していた。とくに、製造業では大企業の多くが日本の伝統的な終身雇用や正規雇用からパート、アルバイト労働に切り替えることで大きな経常利益を上げてきた。
だが、ちょっと考えれば分かることだが、同じ内容の仕事をしながらボーナスやさまざまな保証もない、日雇い労働者として差別されているひとびとは、会社への帰属意識も従来のようになく、眼前で起こっている今回の不祥事に見て見ぬふりをして辞めてゆくひともいれば、正義感や怒りを持って外部に内部告発するひともでてくるのは自然の成り行きである。」
不二家という会社の中では、他の会社も同じだと思うが、同じ仕事でありながら給料の格差があったりするという不正義が横行していただろう。この不正義は、虐げられた人間の個人的な叫びでは改正されない。正義が実現されることはない。また、正義を実現してくれるようなヒーローが経営者の中に出てくることなど期待できない。ここに正義を実現するには、合理的に働く権力がどうしても必要だろう。
しかし、不二家は合理的な権力を実現できなかったのではないだろうか。不合理な不正義を押し付けて、さらに消費期限切れの原材料を使うという不正が行われていたとき、不正義が行われていないことに不満を持つ人は、どこかでそれをいきなりもっと大きな権力に訴えるということが起きても不思議ではない。それによって、会社というプラットホームが失われることになっても、正義の実現をしてくれないような会社には愛着がないだろう。
不二家が、会社内の不正を正し正義を実現するという合理的な権力をもっていたならば、不二家で働く人間たちは、そのような会社を大事に思い、会社の存続にかかわるような重大な事柄に対しては、会社にとってプラスになるような提言をするだろうと思う。重大な不正が外に出る前に、内部の努力によってそれを正すということができるだろう。内部告発は、正しく内部で処理されるようになるに違いない。
正義の実現というのは、何か青臭い子供のような理想主義ではないのだと思う。むしろ、組織や社会を安定させるために不可欠の要素なのだと思う。かつて敗戦間近の日本軍においては、組織的な腐敗が蔓延していたと聞いたことがある。物資の横流しが行われ、利権を持っていた人間は、あのような時代であったにもかかわらず不正な蓄財をしたという。正義が実現されなかった軍隊という組織が、本来の任務でも能力を発揮できなくなるであろうことは自明ではないかと思う。権力の座にいる人間こそが、権力による正義の実現というものを学習しないと、組織や社会は崩壊への道を歩むだろう。
日本における最高の権力は、国家を動かす政府権力だろう。果たしてこの権力は正義を実現しているか。ここが正義を実現していなければ、日本社会の行く末は不二家のようになるのではないだろうか。プラットホームそのものの崩壊を招くのではないか。宮台氏が語る真のエリートなら、そのようなことに気づき学習するのではないかと思うが、権力に集まる人間たちは、どうも私利私欲を求めて動いているように見える。
権力の座にいる人間たちが賢くないとき、その社会は崩壊するしかないのだろうか。そのまま権力の構造が変わらないのであれば崩壊するしかないかもしれない。しかし、近代社会は民主主義であるということに一筋の光明が見えるかもしれない。民主主義社会では、形の上では、大衆が最高の権力者になっている。今権力の座にいる人間たちも、民衆の支持を失えば権力の座を失う。正義を実現する権力が、今の権力の座にいるエリートに期待できないときは、民衆が賢くならなければならないとも思う。宮台氏はこれにあまり期待していないようだが、大衆の一人である僕は、こちらのほうにこそ期待をかけたいという願いを持っている。
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最終更新日 2007.01.18 09:38:41
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先日はどうも
かつ7416
さん
秀さん、先日は失礼しました。
僕のほうの書き込みに次のようなコメントがありました。
>ところで、私は秀さんのブログも愛読していま
>す。インテリの話、自由の話、権力の話などとて>も参考になりました。何より、論理の美しさにい>つも唸っています。
>庶民の代表のような私が入り込むわけにも行かな>いので、何かの折にでも、ここに庶民の愛読者が>いること、お伝えください。
この方、ななさんといいまして医療翻訳を仕事にされている方です。直接面識はないのですが。
本当は、自分で直接伝えてくださいと言いたいところなのですが、とりあえずお伝えしておきます。 (2007.01.18 12:35:08)
返事を書く
Re:先日はどうも(01/18)
秀0430
さん
かつ7416さん
コメントの趣旨とはやや違うのですが、このコメントから、大衆社会時代のインテリというものについてのあるイメージが浮かんできました。
インテリというのは、これまでは大衆から遊離したものとして特別な存在だったと思いますが、近代成熟期は、大衆の中にインテリを生み出すことができる時代になったと言えるのではないでしょうか。
大学生がごくわずかだった時代は、大学を出たということがインテリの条件だっただろうと思います。その後は、有名大学出身者がインテリの条件になったのではないかと思います。しかし、大学教育の権威が落ちてからは、有名大学を出たというだけではインテリになれなくなった代わりに、それなりに専門知識をもち、社会での有能さを発揮している人であれば、学歴に関係なくインテリと認められる時代になったのではないかと思います。
三浦つとむさんは、かつての時代では大変珍しい、学歴のない大衆の中から生まれたインテリだったと思います。しかし、近代成熟期には、三浦さんのようなインテリが大衆の中からも生まれてくるのが当たり前の時代になったのではないかと思います。
ただこのインテリにも、本物か亜流かという違いがやはりあるように感じます。それを区別するカギは、専門的な分野における正しい知識の量と質の問題があると思います。自分の専門では圧倒的な知識の量と、それを正しく運用する質の高さを持っていなければ本物とは呼べないのではないかと思います。そして、専門外のところでは、自分が分かっている部分と分からない部分とを正しく判別していることが、本物であるかどうかの分かれ目になりそうな気がします。 (2007.01.19 10:38:28)
返事を書く
Re:先日はどうも(01/18)
秀0430
さん
かつ7416さん
僕は、とりあえずは形式論理(数理論理学)に関しては自分の専門だと思っています。しかしそれ以外の分野では専門外のことが多いので、どこまでが自分が分かる範囲なのかを意識するようにしています。それを正しく自覚することが、「亜インテリ」に落ち込まないための心構えではないかと思っています。
庶民であるという理由で書き込みが出来ないということはないと思います。自分が分かる範囲と分からない範囲を自覚していれば、どのような分野のどのような意見であろうとも、それを表明するのを恐れることはないと思います。それを表明するのは、表現の自由として保障されているのだと思います。自覚が足りないとき、たとえば自分の思い込みが強いときは、とんでもない意見を言ってしまうことがあるかもしれませんが、それはあとで気がついたときに修正できればいいだけのことではないかと思います。
庶民であっても、自分がよく知っている事柄に対しては鋭い意見を教えてくれる人もいます。夜間中学の生徒だった人にはそのような人がたくさんいました。その人たちは、知識の量としては少なくても、その資質は本物のインテリに近いものを持っていたのだと思います。 (2007.01.19 10:39:20)
返事を書く
Re[1]:先日はどうも(01/18)
かつ7416
さん
秀さん、こんにちは
三浦さんもそうですが、戦前の左翼運動には意欲も能力もありながら経済的な理由などで高等教育を受けられなかった人達に対する学校のような役割もしていたのだと思います。神山茂夫もそうだし山辺健太郎もそうです。たぶん松本清張等にもそういう経験があったのだろうと思います。
ところで以前から疑問に思っていたのですが、秀さんは三浦さんの業績について、弁証法以外のことは評価されていないのでしょうか。
秀さんもご存知の津田道夫さんはもともと国家論の研究者としてスタートした人ですね。彼の国家論は普通「国家意志説」と呼ばれていますが、そのヒントは三浦さんのレーニン批判にあります。
そういう点でも彼の影響力や業績には大きなものがあったと、僕は思っているのですが。 (2007.01.19 18:54:44)
返事を書く
Re[2]:先日はどうも(01/18)
秀0430
さん
かつ7416さん
評価というのは難しいものです。僕が三浦さんが優れていると確信を持って言えるのは、論理にかかわる部分で理解した事柄に限ると思っているのです。だから、三浦さんの業績を、他の点で評価していない(つまり低く評価している)のではなく、多分優れているだろうと思っていますが、論理的な部分ほど確信を持って主張できていないだけのことだと思っています。
言語論に関する部分も、三浦さんは優れた言語理論を創造した人だと思っています。しかし、僕は言語論に関しては、三浦さんが語る言語論以外はそれほど詳しくは知りません。三浦さんの言語論を、他の言語論と比較して評価するということが出来ません。だから、多分優れているだろうとは思うけれども、言語論としての評価は出来ないという感じでしょうか。
言語論で語っているいくつかの事柄について、それを論理という観点から見たときに、そこに見事な論理が展開されているという評価は出来ます。だから、僕が三浦さんに言及するときは、論理の問題が主になるのだと思います。
三浦さんがすばらしいと思うのは、他に組織論があります。三浦さんは、組織の実践者ではありませんでした。実際に組織のリーダーになったことはないのではないかと思います。しかし、組織を抽象する論理はすばらしく、実践者の勘ではない、論理としての見事な組織論だと思います。
その他、若い労働者に対する教育的な「啓蒙活動」がすばらしいと思います。「啓蒙」というと、何か無知蒙昧な労働者に教えをたれるというイメージで捉えられるかも知れませんが、今まで何かが邪魔をして見えていなかった障害を取り除いて、視界が啓けるという意味での「啓蒙」の活動がすばらしいと思います。三浦さんでなければ表現できないような本質を突いた、予備知識がなくても対象の本質的な構造を捉えられるような表現は見事なものだと思います。 (2007.01.20 00:11:03)
返事を書く
Re[3]:先日はどうも(01/18)
かつ7416
さん
秀さん
確かに多面的な業績を残している人については、そのすべてを評価するということは難しいですね。
そのためには、その人が言及しているすべての問題について、そのレベルの高さが理解できる程度に自分もまた学習する必要がありますから。そういった評価の難しさは、僕も吉本さんみたいな人については感じます。
三浦さんの業績のどの部分に関心を持つかは、基本的にはその人がどういったことに関心を持つかに左右されることになるだろうということは分かります。 (2007.01.20 02:51:52)
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