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2007.11.16
トートロジー(同語反復)という論理法則
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カール・ポパーの「反証可能性」という言葉を、必要条件と十分条件という観点から考えてみようと思っている。「反証可能性」という概念は、その考察の対象が「科学である」ということに関して必要条件となるが十分条件ではないというようなことを考えている。ポパーの考察の対象は、科学を装ってはいるが科学ではないという、誤解と錯覚を与えるようなものだったので、「科学ではない」と結論できるような必要条件が問題となったのではないかと思われる。
それに対し、板倉聖宣さんが提唱した仮説実験の論理(手順)は、「科学である」ということの十分条件を与えるものだと思われる。この違いが、科学の認識においてどのように関わってくるかを考えてみようかと思った。
それで「反証可能性」に関する資料をいろいろと眺めていたら、論理学が科学ではないということの根拠にこの考察が役に立つと思った。特に、トートロジーと呼ばれるものは、論理的には絶対に正しいと考えられているものなのでまさに「反証可能性」は無いといえるものだ。論理における「反証可能性」の問題は、何か言い逃れをするようなごまかしではなく、絶対的に正しいものだから「反証可能性」が無いという特殊な面を持っている。それは似非科学を名乗っているのではなく、科学とは違う種類の真理を語っている。
このトートロジーは、論理法則としては簡単なものだ。Aによって任意の命題を代表させれば、仮言命題
A →(ならば) A
という形で表現される。Aという同じ命題が繰り返されるので「同語反復」などと呼ばれている。Aとしては任意の命題を入れることが出来るので、明らかに間違っていると思われる命題でも入れることが出来る。例えば、「地球は太陽より大きい」という命題を入れると
「地球は太陽より大きい」ならば「地球は太陽より大きい」
これは、Aとして考えている命題は明らかに事実に反する。しかし、この仮言命題全体は論理としては正しい。「地球は太陽より大きい」ということを仮定として設定すれば、そこから「地球は太陽より大きい」ということが結論として導かれるということが論理的な意味になっている。これは論理としては正しい。結論だけを取り上げて、それが事実と違うではないかといっても、この仮言命題全体を否定することは出来ない。「反証可能性」は無いのである。
この仮言命題を否定するには、その仮定の元で結論が必ずしも成り立たないということを言わなければならないのだが、仮定と同じ結論を主張するトートロジーは、その仮定の成立を前提としたときに過程の命題が成り立たないと結論してしまえば、それは今度は矛盾律という論理法則に反することになってしまい、論理そのものが破綻してしまう。
しかしトートロジーは、論理的には正しいのでそれは似非科学のようなごまかしには見えない。しかも日常言語での表現によってトートロジーであることが分かりにくい表現になっている場合がある。このような時、その命題がトートロジーであって科学ではないということを理解するのはたいへん難しいのではないかと思う。それが論理的には正しいだけに、正しいことを言っているのだから、現実にも正しいのであり普遍性を持っている科学(信頼できる真理)だという認識に傾きやすい。
「適者生存 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」
によれば「創造論者などは進化論への反論として「生き残った物が適者であり、適者が生き残る」と言う主張は循環論(あるいは同語反復、トートロジー)であり科学ではない、と主張する」と語られている。進化論が、科学と呼ばれる理論になっているかどうかは難しい問題をはらんでいるのだが、そこにはトートロジーの問題も深くかかわっているようだ。
日常言語での主張には暗黙の前提というものが含まれている。「適者生存」ということを語るとき、その意味を、それに関して言及する前に確定しておけば論理的な意味でのトートロジーを見ることはた易い。数学などは、論理を展開する前にすべての用語の意味を確定する。そして、そこで確定した意味以外のものをまったく含ませることなく論理を展開する。その意味では数学は壮大なトートロジーの体系だと言っていいだろう。
「適者」の概念が、もしも「生き残ったもの」というものであれば、「適者が生き残る」という「適者生存」の法則はトートロジーになる。
「適者」が生き残る(「適者」=「生き残ったもの」を代入)
↓
「生き残ったもの」が生き残る
↓
観察の対象が「生き残ったもの」 ならば それは「生き残ったもの」である
日常言語を使っても、最後の言い方になればそれがトートロジー(同語反復)であることを見るのはた易いだろう。「適者生存」の法則は、「適者」の定義の仕方によってはトートロジーになる。それは反証可能性の無いものになり、科学ではないと結論できる。しかし、「適者」の定義として違うものを使えば、それはトートロジーにはならない。
適者としてある種の能力を持ったものという定義をすれば、「適者生存」の法則は、ある種の能力を持ったものが生存する可能性が高いという言い方に変えることが出来る。そうすると、その能力を持っているにもかかわらず、結果的に生存出来なかった生物が存在する可能性がある。つまり反証可能性のある命題になるというわけで、科学である必要条件を持つことになる。
日常言語による表現では、それがトートロジーになるかどうかは、その言葉の定義に大きく依存している。議論の出発点において言葉の定義が明確にされているならば、それがトートロジーになることを見やすくなるが、暗黙の前提として辞書的な意味が立てられている時は、その解釈によって実はトートロジーの主張をしていることになってしまう場合がある。そのような時は、すでに結論の主張が前提の中に入り込んでいるので、主張している人間には自明のことのように感じてしまうが、同じ前提を共有していない人間は、単なる詭弁にしか聞こえなくなる。
歴史的事実の「存在」に関しては、このようなトートロジーをめぐる議論のすれ違いがかなりあるのではないかという気がしている。例えば「南京大虐殺」と呼ばれる歴史的事実に関して、そこで何が「あった」かという「存在」の問題を考えると、「あった」と主張される事柄の定義によって、その「存在」の主張はトートロジーとなってしまう場合がある。
そこで戦闘行為があったということはおそらく誰もが認める事実となるだろう。戦闘行為という言葉の定義に食い違いが生じる可能性は低いからだ。そして、戦闘行為の結果として死んだ人がいたことも事実だという同意が出来るだろう。これらは、現象面を捉えた単純な判断に還元できるからだ。そこには立場の違いなどはあまり関わってこない。ウィトゲンシュタインが、事実を単純なものに限ったのは、この同意が出来るという範囲が単純なものに限られるからではないかと思う。対象が論理語で結ばれるような複雑化したものになれば、立場の違いや観点の違いで同意できなくなり、それが事実として確定しなくなるのではないかと思う。
「南京大虐殺」に関して、それが「あった」「なかった」とまったく正反対の主張がされるのは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているという単純な話ではないのではないかと思う。それが指し示す事実が単純なものではないので、まったく正反対の主張がどちらも成立してしまうのだと思う。それは、深く「虐殺」という言葉の定義によっているだろう。「虐殺」という言葉をどう定義するかという前提の中に、すでに「あった」という主張と「無かった」という主張のどれもが含まれているのだと思う。どのような定義を取るかでその主張が違ってくる。しかも、自分の定義が正しいと思えば、当然相手の主張が間違っているとしか思えない。だが、それはたぶん現実の事実の観察によっては決定出来ないトートロジーになっているだろうと思う。それが決着のつかない不毛な議論を生んでいるのだろうと思う。
沖縄の集団自決に関しても、そこで多くの人が自死したという現象的な事実に限って考えれば、それが「あった」ということに反対する人はいないだろう。誰もが同意するに違いない。しかし、それが軍の命令で行われたということに関しては、「軍の命令」という言葉の定義をどうするかで判断が違ってくる。この定義が違えば、仮言命題の前提の違う論理の展開を考えることになるので、結論がまったく違っても論理としてはどちらも正当であるという場合もある。
このトートロジーの問題は、仮言命題の全体としては正しいのだが、その前提が本当に正しいかどうかが決定出来なければ、結論の正しさが保証されないというところにある。「A→(ならば)B」という仮言命題の正しさが確認されても、それだけでは必ずしもBの正しさが得られないのである。Bが正しいことを言うには、同時にAが正しいことも語らなければならない。
「A→(ならば)B」という命題は、その正しさを証明することが一般的には難しいので、簡単に結論の正しさを主張する人はいない。だが、「A→(ならば)A」という命題は、トートロジーであり、その正しさを示すのは容易である。そのため暗黙の前提に気づかないと、Aの正しさが自明ではないかという気分にもなる。我々が論理を展開するとき、特に日常言語によって論理を展開する時は、その言葉の定義に慎重にならなければならない。暗黙の前提を持っていれば、それはトートロジーという反証可能性の無い主張になっているかもしれない。そして、反証可能性の無い主張は、科学のような信頼性の高い真理を与えてはくれないのだということを自覚しなければならないだろう。勝手な思い込みである場合が多いのだ。
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最終更新日 2007.11.16 10:25:01
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