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2008.02.23
論理トレーニング 11 (接続の構造)
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さて、解答のない課題問題を考えてみようと思う。まずは次の問題からだ。
問4 次の1~5の接続構造を記号と番号を用いて図示せよ。
1 一般に「人殺し」を問題視する人たちは、「殺す者」と「殺される者」が互いに相手を「人」として見ていることを、簡単に前提にしてしまっている。しかし、
2 信じられないような殺戮が実現される裏には、おそらく「相手」をもはや「人」とは見なさなくなっている可能性がある。だから、
3 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いの立て方は、あまり実情を問う問いになっていない。
4 彼らは「人」を殺そうとはしていないかもしれないからである。むしろ、
5 「なぜ人は、人を人でないものと見なせるときがあるのか」と問われねばならないだろう。
まずはそれぞれの接続詞が示す、その前後の主張の関係を取り出すと次のようになるだろう。
1 しかし 2
3 ←(根拠) 4(「からである」という言葉から判断)
4 むしろ 5
この、主張同士の関係(論理構造)が、文章全体ではどこまで及んでいるかを解析することで、この文章全体の論理構造を示すことができる。このとき、考察のきっかけになるのは根拠に当たる部分の解析ではないかと思う。3の根拠になる主張は、接続詞から考えると2と4の二つあるが、この2と4は、それだけで単独で3の根拠になりうるのか。それともどれかとの組み合わせで根拠となるのか。それを解析することが全体の論理構造の解析となるだろう。
3の主張の根幹にあるのは「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いが実情を反映していないということだ。つまり、この場合の「なぜ」が「人」というものに関連して、相手が「人」だからいけないのだと考えているなら、そうではないかもしれないということから、実情の反映とならないと言えるだろうということだ。
「人」へのこだわりからこの問いを発するなら、その「人」へのこだわりがなかったら、その問いは意味を失う。2では「「相手」をもはや「人」とは見なさなくなっている」と語り、4では「「人」を殺そうとはしていないかもしれない」と語っている。いずれも、相手をもはや「人」ではないと見ているかもしれないということを語っている。内容的にはほとんど同じだ。単独でも3の理由となりうる。どちらか一方が欠けると3の主張に結びつかないというわけではない。だから、この2と4はそれぞれが単独で3の根拠となるだろう。
問題は、2と「しかし」で結ばれている1の判断だ。この「しかし」で展開されている内容の結びつきは、2だけと結びついているのか、それとも4も同じような内容を語っているのだから、4にもかかる「しかし」なのか。
1で提出されている主張は、人殺しの際に「相手を「人」として見ている」ということだ。これに対して、2と4ではその反対の相手をもはや「人」ではないと見ているという同じ内容を語っているので、内容的には、「しかし」で転換される違う内容になっている。だから、この主張の内容を次のように順番を入れ替えても通じるのではないかと思われる。
1 一般に「人殺し」を問題視する人たちは、「殺す者」と「殺される者」が互いに相手を「人」として見ていることを、簡単に前提にしてしまっている。しかし、
4 彼らは「人」を殺そうとはしていないかもしれない。「だから」、
3 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いの立て方は、あまり実情を問う問いになっていない。
2 信じられないような殺戮が実現される裏には、おそらく「相手」をもはや「人」とは見なさなくなっている可能性がある「からである」。「むしろ」、
これでも主張の内容はほとんど変わらないだろう。微妙なニュアンスにおいて違いを感じるだけだ。その微妙なニュアンスの違いは、「しかし」の前の主張に対して、どちらの主張の方が対立する主張として大きな意味を持っているかという、主観的な感情が伝わるということなのではないかと感じる。「しかし」とすぐ結びついている主張の方が、「しかし」の前の主張から生み出されてきた最初の感情というような印象だろうか。
その意味では、感情がわいてくるような表現としては、やはり問題文にあるように「信じられないような殺戮」という具体的なイメージが喚起される表現の方が、「しかし」のすぐあとにはふさわしい感じがする。「彼らは「人」を殺そうとはしていないかもしれない」という、やや一般的な言い方は、よく考えたあとの客観的な理由として冷静に提出されるという感じがする。「しかし」の前の主張によって喚起され、それと論理的につながっていると考えるのは、2の主張の方であり、4はその主張からいったん離れて冷静になった後に、一般化されて出てきたものと考えた方がいいのではないだろうか。
論理構造を図示すると、
(1しかし2)→3
4 →3
((1しかし2) + 4) → 3
という形にはならない。このように図示してしまうと、「+」でつながれた二つの要素のどちらかが欠けても3が導かれないということになってしまうからだ。「+」で結ばれた根拠は、その両方が合わさって初めて3の根拠となるという論理構造になる。
最後の5の主張は、1から4までの主張から、「人殺し」においては「人」が殺されるということが問題なのではなく、「人を人とは見なくなる」という違う視点の方が大事ではないかという主張になっている。内容的には、1から4までの主張から導き出されているような部分があるものの、この結論が唯一のもので他には考えられないというものではない。「人殺し」の問題は他にもいくらでも考えられる。その中でも特にこれが重要ではないかという問題提起を、1から4までの主張に付け加えていると解釈できるのではないかと思う。その意味では、これは1から4までの主張に付加したものと考えたい。図示すると
((1しかし2)┐
( ├→3) + 5
4 ┘
というような形になるだろうか。
この問題の主張において、5の主張が、他の主張から論理的に導かれた結論であるなら、これはその前提さえ正しければ、結論として完全に正しくなるという主張になるだろう。「→」の関係で導かれている3は、その前提(根拠)なっている事柄とは、そのような論理的な関係になっている。
「「相手」をもはや「人」とは見なさなくなっている可能性がある」という主張と「彼らは「人」を殺そうとはしていないかもしれない」という主張を前提としたとき、「「なぜ人を殺してはいけないのか」という問い」が意味をなさないのではないかという主張は、それが「人」ということに関わって「なぜ」が問われるなら、その「なぜ」には意味がないと言っていることになる。相手が「人」ではないのなら、単に「殺してもかまわない」と思っている対象を殺しているだけなのかもしれない。ちょうど、血を吸われた蚊をたたきつぶすことに何の良心の痛みも感じないときのように。
2と4の前提を認めてもなお、3の主張を否定できるかどうか。もしそれができるなら、3は2や4から論理的に導かれているとは言えなくなる。「→」で示される論理的な関係は、「ならば」で示されるものだが、これは、前提が正しいのに結論が間違っていたら正しい論理関係とは言えなくなる。果たして、前提が正しいときに、結論を否定しても大丈夫かどうかということが確かめられれば、この論理関係が正しいかどうかが判断できる。
相手を「人」と見なさなくても、なお「人を殺してはいけない」ということの「なぜ」を問うことができるかどうか。「なぜ人を殺すのだ」と問い詰めても、「相手は人じゃない」と答えれば、それ以上はもう問うことができなくなるのではないだろうか。3の主張は、2や4から論理的に導かれているという必然性を持っているのではないだろうか。
それに比べると、1から4までを認めたとしても、なお5に反することを考えることができるのではないか。5では、「なぜ人は、人を人でないものと見なせるときがあるのか」と問うべきだと主張しているが、そのような問いがなくても、殺人という行為そのものに、社会秩序を乱す要因があるのだとする考えもできる。「人を殺す」から問題になるのではなく、とにかく「人殺し」という行為そのものが社会にとっては驚異なのだから、理由の如何に関わらずそれは取り締まられ、処罰されるべきだとする主張も成り立つだろう。
「人殺し」の問題は、単に「人」を殺すからという、相手が「人」だということから道徳的に導かれるものではなく、相手を「人」と見なさなくなるという、人間の感情のあり方から問われるべきだというのが、この問題の主張だと思われる。そして、それは「人殺し」の問題の一部であり、一般に「人殺し」で問題視されていることとは違うことを主張したい、というのがこの主張の本質でもあると思う。つまり、客観的に絶対正しいという主張ではなく、相手に共感を求める形での主張ではないかと思われる。
その主張の主題が、論理的な帰結として提出されているときは、それは前提さえ正しければ絶対的に正しいのだという主張になるだろう。しかし、論理的な帰結ではないものが主題として提出されているときは、それは共感を呼びかける主張ではないかと僕は感じる。内田樹さんの主張には、そういうものが多いのではないかなと僕は感じる。そして、その主張に共感することが多い。
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最終更新日 2008.02.23 10:48:45
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