日本では子どもの目線で人称代名詞を使うということがある。また、人称代名詞そのものも、辞書的な意味ではすべて「私」と重なるのに、不必要だと思えるくらいたくさんあるような気がする。「私」を意味する言葉では、「おれ」「じぶん」「わし」「わたくし」「あたし」「うち」「われ」「あちき」など、中には方言のようなものもあるが、英語のように I だけで済ますということをしない。「私」という主体はいつも同じなのに、日本ではその「私」が人間関係の中で、どう名乗るのがふさわしいかということを考えながら言葉を使わなければならないという社会の要請があるのではないかと思う。そのために、辞書的には同じ意味なのに、多くの違う言い方が存在するという言語になっているのではないかと思う。
英語では「I love you.」という言葉があるが、日本ではこのような言い方はしないだろう。二人きりで男女がいる場合、わざわざ一人称と二人称をつけて「私はあなたを愛している」という日本人はいないだろう。もっとも、「愛している」などという言葉自体も日本人は使わないかもしれないが。それは言葉に出さなくても、目と目を見れば伝わるという感じなのかもしれない。だが、言葉に出して言うならただ「愛している」という言葉だけだろう。「私」と「あなた」という言葉をつけると、何と他人行儀なと感じてしまうだろう。「本当に愛しているのかしら」と疑われてしまうかもしれない。だが英語で I や you を省略することは出来るだろうか。これは出来ないのではないだろうか。
英語は主語というものを絶対的に必要とする言語で、日本語で言えば主語なしに「雨が降っている」という状況の表現だけですむのに、「 It rains.」と、「It」という主語がなければならないという。これがおそらく英語という言語が規制してくる「ものの考え方」なのだろうと思う。