真理を求めて

真理を求めて

2011.07.10
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次の批判を見てみよう。

■「原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。」
これも非常に誤解を招く局部的な話です。
ニュース等で報道されるシーンは殆どが事故時の映像なので防護マスクをつけた映像なんかがよく流れるわけですが、防護マスク着用の必要がある場所は本当に極一部だけです。
また、昔ながらのゴムで密着するタイプに代わって、近年ではフードマスクと呼ばれる、透明な窓の付いたビニールカバーで頭をすっぽり包み込んで、そのカバーにポータブルの送気ユニットからフィルターを通して空気を送るというタイプのマスクが使用されています。これだとカバー越しに会話ができるので普通にコミュニケーションが取れます。

これは、今までの反論と違って、平井さんが提出する事実に対して、そうではないという事実を対置している。今までの批判は、どちらかというと、平井さんの文章の解釈の違いで違う見解が出ているという感じだったが、ようやく批判らしい批判が出てきたという感じだろうか。

今までの解釈の違いによる批判では、平井さんの真意を正しく読み取っていないように見えたので、論理的にはうまくかみ合っていないように見えたが、事実に対して事実を対置するという批判は、ようやく論理的には正当なものが出てきたという感じだろうか。

「原発がどんなものか知ってほしい(全)」

で平井さんが語っている事実も確認しておこう。

「また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。」


・原発の作業現場は暗くて暑い。
・原発の作業現場は防護マスクを付けていて、互いに話をすることも出来ない。

<批判者が語る事実>
・防護マスク着用の必要があるのはごく一部。
・近年はフードマスクと呼ばれるものを使い、これなら話が出来る。

これは、事実の問題なので、僕にはどちらが正しいかの判断は出来ない。しかし、事実に対して事実を対置するという批判の方法としては、ようやく正当なものが出てきたという感じだ。

だが、ここで一つの問題も感じる。この事実は果たして本質的なものだろうか?どうも末梢的なもののように感じる。このちょっとした違いが、本質的な主張にどの程度影響を与えるだろうか?防護マスクの必要があるのがごく一部だったとして、それが原発のシステムにおける素人集団の運用という批判を覆すことになるだろうか?批判の論理としてはようやくかみ合うようなものが出てきたが、内容においてはどうも末梢的な部分を突っついているだけのように僕には見える。

これに比べると、次の批判

■「細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。」
正直私は溶接工の方々の経歴を知りませんので、もしかしたら本当にこのような話もあるのかもしれません。しかし、もしそうだったとしても、原子力設備で自分の仕事が原因でトラブルを起こしたらシャレにならない事は誰もが知っています。手抜きする人や技能のない人を受注会社が出してくるとは思えません。
「○○ 建設が施工した原発で、手抜き工事が原因で事故が起きた」なんて事になったら、会社の信用を一気に失ってしまうわけですから。また、耐圧試験等によって実際に漏れたり壊れたり割れたりしない事を確認してから使用するので、さほど問題は無いかと思います。



前の批判では事実をとらえて反論をしていたのだが、この批判ではどうも事実を対置しているのではないようだ。そのような事実もあるかもしれないが、という前置きで、「原子力設備で自分の仕事が原因でトラブルを起こしたらシャレにならない事は誰もが知っています。手抜きする人や技能のない人を受注会社が出してくるとは思えません」という言葉で反論を語っている。これは論理としてはやはり弱いと感じる。

事実を対置する論理が一番強い論理になるが、論理的帰結を導いて反論するときでも、単に「思えません」と語るだけではそれは弱くなる。自分が「思えない」というのではなく、客観的な観点から、「誰もそう思わないだろう」というような論理を展開しなければならないと思う。果たして、誰もが「そう思わない」と言うだけの説得力があるだろうか?

平井さんの指摘で、原発の現場には素人が多いというイメージを抱いていたり、噂で聞くだけだが、原発の現場には、高い日当に引かれて、何も専門知識がない人が孫請け会社などから派遣されたりする、というようなものも聞いたりすると、とても「そう思わない」という結論にはならない。むしろ、「そうではないか」という疑いの方が大きくなる。確かな事実をジャーナリストに報告してもらいたいものだと思う。

■「素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。」
原発が素人だけで作れる程簡単なモノでは無い事は容易に想像できると思います。確かに新人は素人かもしれませんが、どこの業界でも新人と言うのは素人なモノです。私だって様々な研修や訓練、実作業をすることで現在の技能を身に付けたわけで、発電所に来た当初は「管理区域には鉛の放射線防護スーツを着て入るものだ」等とすっかり素人考えを持っていたんですから。素人も現場で経験を積んで、玄人になっていくんです。その辺を間違えないようにして欲しいと思います。



ここでの指摘は、事実としては、むしろ最初は素人かもしれないが、努力して素人ではなくなるのだ、といっているように感じる。これはあまり説得力がない。どうしてかと言えば、どのようにして素人がプロになっていくかという過程が語られていないからだ。どのようにして知識と技術を身につけていくかが語られれば、それが納得出来るものであれば、確かに原発の現場は素人ばかりではなくプロと呼べる人間もいるのだ、と賛成することが出来るだろう。しかし、「素人も現場で経験を積んで、玄人になっていくんです」と語るだけでは、本当にそうなのかと言うことをすぐに信じるわけにはいかない。どのようにしてプロになっていくかが語られなければならない。

全体像を教えることなく、マニュアルで定型的な仕事だけをこなすような現場では、どんなに経験を積んでもプロにはなれない、と考える方が普通ではないかと思う。そういう意味では、平井さんが語ることが事実であるなら、平井さんの論理の方が説得力がある。

そして、このような素人集団が作り運営する原発だからこそ危険なのだ、という話にも説得力が出てくる。本当に安全な原発を作り運営しようと思えば、それは素人には出来ないだろう。だからこそ、原発の現場では本物のプロが働く必要がある。だが、そうなっていないから、原発にはまだ本当の安全はないのだ、という指摘には、上の批判では反論し切れていないのではないかと僕は感じる。問題は、原発の現実がどうなっているかと言うことなのだ。





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最終更新日  2011.07.10 23:02:40
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