November 2, 2012
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映画も随分とヒットしたようですし、わたくしの同年代でも「懐かしい」とか「いい時代だった」とかいう声をよく聞きますが、わたくしは30年代を10年も生きておりませんからその実はわかりません。

しかし、30年代後半から40年代はそう良い時代ではなかった様な気がしております。我が家も裕福とは程遠い家計にあり、父の実家の呉服店の経営が思わしくないので「分家」して夫婦で床屋に転身しましたが(何と度胸の良いことでしょうね)、その後流行りの言葉になった「中産階級」とは、程遠い生活環境でありました。同級生たちの生活振りを見ても、お金持ちと貧乏人の差は大きく、今なんか問題にならないくらいの格差社会でありました。

とにかく「インフレ」がものすごいスピードで進んでいて、お菓子の値段も急騰していたことは覚えております。もちろん企業も何より重要な事は会社の「儲け」でしたから、公害なんて当たり前で、白黒TVからのニュースでは、川崎市などで人々がばたばたと倒れた光化学スモッグなどが、予報的に報道されていたことを覚えております。

当然、食生活にも化学薬品的な物が日常的に混入されていて、目にも鮮やかな色の「ジュース」などはもちろん、今は高価で食べることのできない「鯨のベーコン」も油以外の部分は真っ赤に染められておりましたし、わたくし達の食べるオヤツにもその後発ガン性が見つかり使用されなくなった「チクロ」なども堂々と使用されておりました。

多くの乳児が命を落とした「森永ヒ素ミルク事件」を始め、四大工業事件と呼ばれている「水俣病」「四日市喘息被害」の二つの事件も30年代、また薬害では国が認可していた鎮痛剤サリドマイドにより千人単位被害を受けた子供達もおりました。

この時代を生きて来たわたくしには、まだまだこんな話は序の口でありますが、朝からこんな話ばかりでは一日楽しく働く事が出来ませんから、このくらいにしておきましょう。

よく、今の韓国を見て「昔の日本みたいだ」なんておっしゃる方がおりますが、それは「あの頃」の日本を知るわたくしからみると韓国に本当に失礼な話だと思ってしまいます。国内情勢はともかく、外交的には日本よりも大人である事と、戦略的に成功しているのは間違いありませんし、工業製品の輸出においてもすでに日本を凌駕しつつあります。今や日本は「あの良き頃」なんて幻とノスタルジーに訣別して、強い日本の再興に向き合う事が必要だと思います。

もちろん「卓球」も、長谷川さん、伊藤さん、河野さん、小野さんの過去の栄光を越えなくてはなりませんね。倉嶋監督に期待いたしております。





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Last updated  November 2, 2012 07:31:48 AM


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