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今年も今日を入れても、あと3日となりました。12月17日夜、突然の病に倒れた妻が、20日早朝、逝ってしまいました。 呆然自失のクマタツですが、少しづつ自分を取り戻しつつあります。いえ、そうなるように自分を励ましています。 そういうことで、しばらくしたら元気を出して、また書こうと思います。皆様、いい年をお迎えください。
2022.12.29
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しばらくブログを休みます。皆様のブログへの訪問もしばらくできませんがお許しください。事情解決次第復活の予定です。
2022.12.18
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菊花大会を見た後、本殿に向かおうとすると目の前を神主の御一行が歩いている。聞くと、毎月1日と15日の11時から行われる月次祭(つきなみさい)のため本殿に向かっているところだという。しかも私達も見学できるとのこと。なんという幸運だろうか。私達も御一行の後ろについて本殿に向かった。 笛の音に合わせて巫女さんの舞などが荘厳な中に執り行われた。 宗像大社では数多くの祭事がなされているが、中でも10月1日の「みあれ祭」は時にテレビでも全国に放映されるように大島港を出向し神湊港の寄港した後、勇壮な海上神幸、陸上神幸などの後、辺津宮に戻るという祭事である。 本殿・拝殿は弘治3年(1557)焼失した後、本殿は天正6年(1578)、拝殿は天正18年(1590)に再建したもので、いずれも国の重要文化財である。桃山時代初期の神社建築の特色がよく表されているという。 安部龍太郎著の「姫神」の背景について2022年10月11日、当ブログに書いた時に触れたと思うが宗像大社は三つの神社、すなわち辺津宮(へつぐう)、中津宮(なかつぐう)、沖津宮(おきつぐう)により構成されている。なお「姫神」は玄界灘に浮かぶ絶海の孤島「沖ノ島」(沖津宮)を重要な舞台としている。今回私が北九州への旅で宗像大社に10数年ぶりに訪れようと思ったのも、「姫神」を読んで沖ノ島には行けなくても、宗像大社・辺津宮を改めて見てみたいという願望が湧いたからだった。 辺津宮(本社)には市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀り、そこから11km先の中津宮(大島)には湍津姫神(たぎつひめのかみ)、更に49km先の沖津宮(沖ノ島)には田心姫神(たごりひめのかみ)がそれぞれ祀られている。下の地図上で見るように三宮は一直線上にある。 「日本書紀」(720年)には天照大神から宗像三女神へ「歴代天皇をお助けすれば、歴代天皇は祀るでしょう」という言葉が残されている。これは宗像が日本における最初の国際港であったため、海外との外交、貿易、国防的な機能を果たせば天皇が祀るとされ、それは沖ノ島から出土した約8万点の国宝からも国家祭祀の痕跡が裏付けている。国家祭祀とは、天皇の勅使が現地に赴いて、祭りをするというものだが宗像における国家祭祀は出土した国宝の品々からかなり大規模ではなかったかと推測される。沖ノ島の出土品は四世紀から九世紀のものが多く、その間、国家祭祀がどの程度行われてかは明確ではないが古い記録などからも天皇の勅使が宗像に遣わされたことを知ることができるという。(宗像大社ホームページより一部抜粋) このようなことから2017年に”世界遺産「神宿る島」 宗像・沖ノ島と関連遺産群”として世界遺産に登録され、今年はそれから5年経過し様々なイベントが開催されているようだ。 神門前に青銅製の狛犬がいた。文政7年(1824)奉納の「神殿型」という。角を持っているが神を守護しているにふさわしい穏やかだが、威厳のある表情で立派な狛犬である。 阿形獅子 吽形獅子 神郡宗像にあった神社群をときの福岡藩主・黒田光之がまとめ寄進したもので本社の外まわりに121社ほどあるという。
2022.12.17
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我が家の雑草園のことも冬の間は書くこともなく、雑草園が一段と寂しそうにしている。だが、気を取り直して久しぶりにデジカメ片手に雑草園をに降りてみた。 コロナ禍という、これまで経験したことないほぼ3年の間、外出もままならない日々を過ごしてきたが遂に雑草園まで冬を迎えて沈み込んでしまったようだ。ただ、正月を象徴するような花の一つである葉牡丹や南天が正月を待ち望むように一角を占めていた。 パンジーもこれからか。 夏を象徴する花の一つブーゲンビリアも申し訳無さそうに、未だに花を咲かせている。この花は棘があるので、大きくならないようにいつも気をつけて、剪定しなくてはならない。 この3年間ほとんど行くことのなかった? 鹿児島市一の繁華街・天文館に今週は3回行ってきた。月曜日の夜は、ブロ友・リュウちゃんご夫妻との会食、火曜日の夜は高校の同期会の3年ぶりの忘年会、そして今日金曜日は買い物についていっての荷物持ちである。お陰で寿司屋でランチができた。当地でも県単位で連日1500人前後のコロナ患者発生が伝えられているので、いつ自由な動きができなくなるのか、おっかなびっくりの日々であるが、正月は何事もなく迎えたいものだと思う。 北九州の旅の続きも次回から書きたいと考えている。 そういう中で、2年ぶりに庭師さんにお願いして先日庭の木々の剪定をお願いした。昨年の夏、屋根や壁の塗替えも終えたので、カイヅカイブキの茫々さが目立っていたが、これで何とか格好がついたようだ。おかげで年末の私の恒例行事の庭の片付けは終わったも同然。とはいえ家の中の片付けや大掃除はこれからだ。まだまだゆっくりとはいかない。
2022.12.16
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12月12日、朝から嬉しいニュースが飛び込んできた。高校同期の市来龍作おじいちゃんの孫娘・勝みなみちゃんが「アメリカ女子ゴルフツアー」来季出場資格を争う最終予選会に出場していたのだが、最終11日を終わり、5位になった言う知らせが、おじいちゃんからLINEで届いた。 この予選会は、8日間で8ラウンド144ホールをまわる厳しいものだと聞いていたが、最終日6バーディ、ボギーなしの66でまわり、8日間通算24アンダー、550だったという。この最終日の勝負強さは、これまでの日本のツアーでも発揮して、日本女子オープンゴルフ選手権の昨年と今年の2連覇にもつながっている。 報道によるとアメリカの来季ツアーは来年1月下旬から始まり11月下旬まで開催されるとう。これまでの日本ツアーと比べると2ヶ月くらい長い期間の戦いのようだ。体調に十分気をつけて日本にいる私達おじいちゃん・おばあちゃんたちにもいいニュースを届けてほしいものだ。 がんばれ みなみ! このニュースは昨日の夕方の鹿児島テレビ・KTSライブニュースでも取り上げられて放映された。私は、そのニュースの時間には奈良にお住まいのブロ友「リュウちゃん」ご夫妻が鹿児島にお見えになっていたので、城山ホテル鹿児島までお迎えに行って、夜の天文館で一緒に御飯を食べるために出かけていた。その話題はリュウちゃんが奈良に帰られた後、得意のブログで詳細が伝えられるものと思い、私も楽しみにしている。そういうことで家には居なかったが同期生からのLINEで放送があることを知った家人が録画をしておいてくれたので繰り返し見ることができた。 昨夜のテレビに出演した龍作おじいちゃんは、ほんとにいい顔をしていた。みなみちゃんを子供の頃から他にコーチもつけず、ここまで育てあげてきたおじいちゃんにとっては、ビッグニュースであり、人生で何番目に嬉しい出来事だったのだろうか。今晩、3年ぶりに開く高校の同期会におじいちゃんも出席するとのことなので聞いてみたい。それにしても日程の設定はこの日を予期していたわけでもないのに、偶然とは言え日程がピッタリ合った。幹事のKくんはやはり凄い。なんという偶然だろう。「みなみちゃんおめでとう」で同期会が盛り上がることは間違いない。 最後におじいちゃんが笑いながらも「でも寂しいです」の言葉は胸を打った。アメリカで何年ツアーに参加する予定かは知らないが、それもまた実感だろう。 11月13日南日本新聞の紹介記事
2022.12.13
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旅の二日目は宮地嶽神社参拝の後は、今日の宿泊先・「ロイヤルホテル 宗像」へ。宿の宿泊予約などは苦手という妹夫婦の話で、私達が鹿児島から宿の選定から割引やクーポン券なども含めて全ての手続をしていた。コロナ禍の中で、唯一政府がとったいい施策かと思われる今回の制度をもう何回か使って旅をしたが、いずれも小旅行である。それでも合間を縫っての旅で息抜きに成る。 宿泊した部屋の窓からチャペルウエディング用の小さな式場も見える 大きなホテルだけあって、ロビーも広々として気分も休まる 平日一人3000円のクーポン券もこの日と翌日に使わなければ、無効になるので、ホテルの売店も「地域クーポンご利用いただけます」とPRに抜け目がない。ここでも買い物をしたが、クーポン券を使うと別にプレゼントももらうことができた。夕食も翌朝の食事もバイキングを選択した。下戸の私も義弟に付き合って4人でビールで乾杯! コップ半分も飲まないのにいい気分になった。 3日目はホテルを出て、「道の駅 むなかた」へ。ほぼ開店の時間に到着したが、もう駐車場は満車に近い。店に入ってわかったことだが玄海の海で獲れた魚や野菜がいっぱいで地元の人らしき人がたくさん買い物に来ていた。道の駅とはいえ、観光客のみならず地元に人にとっても大切な店なのだと実感した。ここでも「わかめ」などゲット。 「宗像観光おみやげ館」に入って近辺の観光パンフレットなどをいただいた。 3日目の目的地、「宗像大社」の総社・辺津宮(へつぐう)に到着。私も北九州在住中には子どもたちと一緒にドライブを兼ねて何回も訪れた場所だが、今回は北九州に行ってコーラスなかまの夫婦と訪れて以来、20年ぶりくらいの訪問である。懐かしい大鳥居が出迎えてくれて、一歩を踏み入れた。 入ってすぐの場所に「ボランティアガイド」の皆さんが待機しておられた。ここで、この日、後日書く大きな行事が開催される日であることを聞く。ラッキーだ。宗像大社のパンフレットもいただいた。 本殿に向かう。そこそこの人出でで賑わっている。 「西日本菊花大会」が開催されており、折しも「七・五・三」でもあったので子どもたちが喜ぶ仕掛けがしてあった。 思わぬところで鹿児島県知事に会った気がした。
2022.12.10
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行った日は妻の妹夫婦宅に泊まった北九州は小倉の旅も二日目。朝食を食べた後、少し早めの昼食に小倉南区下南方の「うどんの小町」に連れっていってもらった。ブログを振り返ってみると、2015年に訪ねて以来である。ここの「ごぼう天うどん」はごぼう天も麺もとにかく美味しい。天ぷらも見ての通り特大、うどんも太麺で半透明に見えるほどだが、それでいて歯ごたえ十分である。何やら「津田流 豊前裏打会」の所属という。 美味しいうどんを食べた後は、義弟の運転する車で高速道路小倉南インターから入り、今日の目的地・宮地嶽神社へ。ここは小倉から玄海方面に旅をすること知ったyokota115さんから勧められた神社である。名前は知っていたが、北九州在住中にも一回も足を運んだことがなく、いつかは訪ねたい場所だと思っていた名所の一つである。この機会にということで翌日の宗像大社訪問の前に訪ねることにしたのだ。 下の写真は神社の前の土産物店などが並ぶ商店街。写真の前方にも鳥居があるが、神社には背を向けた場所である。 振り返ると「宮地嶽神社」の鳥居があり、ここから階段を登っていくのがコースである。 私たちは、駐車場を求めてしばらく右往左往したが、鳥居の手前の左側の坂を登っていくと駐車場があることを教えてもらって無事到着。紅葉が綺麗でいい時に来たものだと思って、思わずシャッターを押した。 駐車場から右手に少し登って有名なスポットに到着。夕日が絶景の神社としても知られ、季節と時間が合うと海辺まで一直線に並ぶため見たことのない景色が楽しめるという場所である。来た人が必ず写真を写すとっておきのスポットだ。 石造物が大好きなわたしにとって宮地嶽神社は大変うれしい場所でもある。なんと左右一対の下の写真の様な「狛犬」が私たちたちが歩いていく先々に五対もあった。その他にも、古ぼけた「石灯籠」「六百俵之碑」「人間万事塞翁が馬」「牛」の碑など境内に置かれている。全部写してきたので、いずれ機会をみてここに再度記事として書く予定だ。 本殿前の「楼門」が立派で圧倒された。 ここ宮地嶽神社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮であるという。約1700年の歴史があり、金成の神、開運商売繁盛でのご利益で名高い。 また、直径2,6m 長さ11m, 重さ3トンの大注連縄、直径2,2mの大太鼓、重さ450kgの大鈴の三つの日本一で知られる。 年末、新しい年を前に念願の宮地嶽神社にお詣りできたことで新しい年はきっといい年になるだろう。
2022.12.08
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私が松本清張を初めて知ったのは「点と線」を読んだ昭和30年代後半のことだったと思う。読んだきっかけは不確かな記憶だが、当時のベストセラーか何かの記事で、これまでにない「社会派推理小説」と喧伝されたことや、福岡の香椎海岸が舞台の一つとして書かれていることを知ったことなどであった。というのも当時、二番目の姉夫婦が香椎の公団住宅に住んでいて、新人社会人の私が休日に小倉から遊びに行っていたことなどから、香椎を身近な場所と感じていたからだ。 元々私は読書は大好きで、子供の頃は図書館にある「鉄仮面」や「十五少年漂流記」など手当たり次第に読んでいたし、中学・高校時代には当時我が家の本棚にあった「日本文学全集」などを少しドキドキしながら読むませた少年だった。「点と線」を読んだ私は、それまでになかった推理小説の面白さに目覚め「目の壁」「張り込み」「ゼロの焦点」などを読んだ記憶がある。しかし、その後の社会人時代は、世間並みに多忙でまとまって本を読む機会はなかった。その間にもテレビドラマや映画では「点と線」や「砂の器」などなどたくさんの作品を見た。 再び松本清張を読み始めたのは、65歳でリタイヤし、その後70歳まで親会社の監査室所属として九州管内の関連会社の監査の仕事をするようになって、鹿児島駐在で週4日勤務、月一回の九州管内の関連会社訪問で監査をする仕事だった。もう時効だから白状するが勤務の日も時間を持て余すことが多く、2階の一室を専有していた私は誰にも見られることもなく、自由に時間を使えた。そのため、車で10分くらいの所にあった BOOK OFFでいろいろな本を買って読むことができた。もちろんその中には松本清張もあった。 今、本棚を見ると「渦」「無宿人別帳」「鬼火の町」「紅い白描」「強き蟻」「溺れ谷」「Dの複合」「歪んだ複写」「時間の習俗」「けものみち」」「黒い画集」「影の地帯」「佐渡流人行」「彩霧」などなど30冊くらい並んでいる。当ブログの2019年7月25日に「松本清張を見る」という題でテレビで見た清張ドラマのことを書いているが、その後も少し増えて93本くらいになっている。その中には同じ小説を別な脚本で別な俳優が演じたものも相当数ある。清張のことは上記のブログの他にも2020年9月30日、「或る『小倉日記』伝」、同じく9月30日「傑作短編集」6冊を読む、2022年7月9日、 地図で読む松本清張、などを書いてきた。閑人となった現在、このように好きなことをやれることに感謝しつつも、まだまだ清張本は読んでいないものも多く欲求不満もあるが少しづつ読破したいものだと思っている。 このようにいつの間にか清張にのめり込んでいたいた私だったが、これまで小倉に行っても訪ねる機会がなかった「松本清張記念館」を久しぶりの小倉行きに合わせて訪ねようと計画した。 松本清張は福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)に生まれて、給仕、印刷工などの種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社し、41歳の時「西郷札」で懸賞小説に応募、入選。直木賞候補となる。続いて昭和28年(1953)、「或る『小倉日記』伝」を著し、芥川賞受賞した。そのこともあったからか、同年12月1日付けで朝日新聞東京本社勤務となる。その後、井上靖の助言があり1956年5月31日付けで退職し作家活動に専念することになる。 記念館の中は撮影禁止とのことであった。 写真撮影は展示室入り口のここまで。 1階は、松本清張全著作 700冊の紹介コーナー巨大な年表「松本清張とその時代」全生涯を年代に沿って概観するのみならず、その年代ごとのニュース映画などを写すモニターを配し、当年代の社会背景や世相なども同時に知ることができるようになっている。私達が行った日も熱心なファンと思われる人が一カ所に留まったまま見入っていた。あの人は一日かけても見終わらないのではないかと思うくらい時間をかけていた。 別のコーナーでは、現代小説、推理小説、歴史小説と時代小説、現代史、古代史、松本清張フィルモグラフィー(俳優や監督、脚本家など個人がかかわった映画作品の年代順リスト)の6ジャンル別に清張文学の全貌を紹介してあった。 2階には東京の西郊杉並にあった自宅の空間を切り取り応接室、書斎、書庫をここ生誕の地に移したものである。書庫には約2万3千冊の文庫があり、「調べて書く」という清張の創作の源を感じさせる。 地階には企画展示室、映像ホール、ミュージアムショップなどもあった。今回の記念館訪問は、松本清張の偉大さをまとめて見ることができたが、その後のスケジュールもあり短時間しか見ることができなかった。次回は時間をかけてじっくり見学したいものだ。
2022.12.05
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久しぶりに小倉城を訪ねたこの日、本丸御殿は周りの近代建築を物ともせず初冬の空に聳えていた。私が初めて22歳で小倉の地を踏んだ昭和37年((1962)以来、周り取り囲む全てのものは大きく変わってしまったが、小倉城の存在は変わらない。昭和37年当時は北九州市小倉北区ではなく、小倉市であったが、翌年の昭和38年小倉市、戸畑市、八幡市、門司市、若松市の五市が合併し100万都市の北九州市が誕生する。その次に年・昭和39年に東京オリンピック開催の運びとなる。そして何よりも大きく変わったのは、五市合併による北九州市誕生により、小倉城を囲む勝山公園の一角に「北九州市役所」が建設されたことである。1998年(平成10年)には小倉城址の北の一角に小倉が生んだ偉大な作家・松本清張の功績を保存するため北九州市立の「松本清張記念館」が建設された。 門司海峡に面した小倉は陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地だった。この地を抑えるために繰り広げられた多くの豪族たちの攻防の歴史も残っている。小倉城の歴史は、戦国末期(1569)中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まる、その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城し、関ケ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、1602年に本格的に築城が始まり約7年の歳月を要した。忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施、外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭も誕生させた。 細川氏熊本へ転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていた、この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に城下町も繁栄した。小笠原忠苗(ただみつ)の時期には、城下下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつくられた。しかし、1837年城内から発火したかさいによって全焼し、2年後に再建されたが、天守閣は再建されなかった。 幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦ったが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を撤退せざるをえなかった。明治10年の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、、乃木将軍に率いられて出征した。その後、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれた。太平洋戦争後は米国に接収されたが、1957年に解除され、1959年市民の熱望により天守閣が再建された。 この天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく五階が四階よりも大きくなっているのが特徴である。また、城の石垣は切り石を使わない野面積み(のづらづみ)で、素朴ながらも豪快な風情にあふれている。 槻門跡 大手門跡 宮本武蔵と佐々木小次郎一騎打ちの像 本丸を別の角度から写した 多聞口門跡 八坂神社を内側から写した 八坂神社を外側から写した 北九州市は小倉を中心に12年間過ごしたところであり、今も忘れることのできない場所の一つである。 参考資料 wikipedia小倉城
2022.12.03
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11月13日から2泊3日でコロナの合間をぬって北九州市小倉北区を始め玄海方面や博多を訪ねた。主な目的は妻の叔父の様子を見て一族と久しぶりに会うことである。それまではできるだけ一年に一回は小倉に住む妻の妹家族との行き来を含めて私達も小倉に行くようにしていた。 小倉を始め北九州は、私にとっても第二の故郷みたいなもので、若い時12年間住んだ街でもある。それまでは車で行くことが多く、小倉駅周辺を歩き回るような機会は殆どなかったが、車の免許を2年前に返上した今回はJR九州「ハロー! 自由時間ネットパス」を購入し3日間乗り放題フリーパスとした。これまでも何回か利用して九州内を自由に旅したことまあったが、今回は大幅値上げがなされていて@19,800円となっていたので、いささか驚いた。それでも予約もいらず3日間なら九州内どこにでも行けるので便利この上ない。 小倉駅構内への階段 どこか鹿児島中央駅とも似ている 小倉駅の特徴は何といっても「モノレールの発着点」があることか。モノレールもできた当初は駅から数百メートル離れた平和通りまでだったが、利便性もあってか駅を発着点とするため延長されている。 小倉の紫川に架かる橋から見えるレンガ状の建物はデパートの井筒屋。北九州のデパートの老舗でブランドが光る。鹿児島市でいえば山形屋デパートみたいな存在か。 私が住んでいた頃の紫川は、あまりきれいな川ではなかったが、都市の再開発と合わせてイメージを一新し珍しい建物もたくさん建っている。 次回は小倉城訪問記など書く予定です。
2022.12.01
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