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、起きたらお昼になっていました。「ひぇー!!」
10時間近く熟睡、いや爆睡でした。
実は「ベルサイユ宮殿の写真の選択」のストレスがあります。もともと予定して撮影したものではないので、写真枚数はたくさんあるのに、以外と使える写真がありません。
天井ばっかりで部屋の全体がないとか・・。建物の全景がなくて、部屋も一部だけとか・・。
さらにどこの宮殿の部屋か? わからない・・。
足りない分を雑誌から持ってくるか? それなりに企画を変えるか? と、頭を使いすぎて疲れすぎてしまったようです。
普通に希望の写真が全てそろっていたらこんな苦はなかったのでしょうが・・。嫌、まいりました・・。
何とかある写真で形を整える予定ですが、自分が当初意図していた形にはなりそうもないので残念です。
そこで、今回は、私の為のBreak Time企画です。唐突ですが、トルコの奇岩を紹介です。
トルコ共和国、アナトリア高原、カッパドキア、ギョレメ
スリー・シスター(3美人の山)
シメジに見えるこれは、りっぱな岩山です。トルコの カッパドキア地方のギョレメ国立公園にある奇岩の一つで、スリー・シスター(3美人の山)
と呼ばれています。
アンカラ(トルコの首都)の南東にあるアナトリア高原は、 2000万年前に起きたカッパドキアの3つの山、(エルジイェス、ハサン、ギュルル)火山の噴火によって火山灰(凝灰岩)が降り積もり形成された大地
です。
特に水に溶解しやすい岩石で構成された大地の上に、さらに比重の大きい溶岩(玄武岩)が降り注ぎ、固まり、さらに長い年月に石灰岩などの水に溶解しやすい岩石のみ雨水などによって溶食され、岩が少しずつ水に溶けて特異な地形を形成した カルスト地形
です。
古来より小アジア(現代のトルコ)の内陸地域にあたるギョレメ地方は、通称Cappadocia(美しい馬の地)と呼び、ヘロドトス (BC485年頃~BC420年頃)の時代には、「カッパドキア人」がこの地域を支配していたようです。
カッパドキアはいくつかの地下都市を有し、住居としての使用だけでなく、キリスト教徒の隠れ場所としても使用されています。
BC!7年にカッパドキアがローマの属州に組み込まれてから後、この地には熱心なキリスト教徒が数多く住み着いたそうです。
それは7~9世紀にイスラム教徒の攻撃を受けても変わらず、奇岩の岩盤に穴を掘り、内部に教会や礼拝堂を造り暮らしたと言われています。
特に14世紀の迫害は厳しく、廃墟となった所もあるそうです。
1923年のローザンヌ講和条約により、ギリシャとトルコの住民の相互交換が行われ、ギリシャ系キリスト教徒はギリシャへ強制送還させられ、その後にトルコ人が入り、未だに一部居住者がいるようです。
全て同じ岩です。(季節の違いがありますが・・。)
このような奇岩は色々なタイプがあり、カッパドキア地方の観光スポットです。
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