わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年12月09日
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ウィンク

オーストリア共和国(Republic of Austria)
ウィーン(Wien)
中央墓地(ツェントラルフリードホフ Zentralfriedhof)
シュトラウス家、親子の墓所(次男、三男)と J.ランナーの墓所

ヨーゼフ・シュトラウス(Josef Strauss )
(1827年8月20日~1870年7月22日)
シュトラウス家 次男
ウィーンで活躍した作曲家、指揮者。
ウイーン中央墓地 32
墓所は父の墓所の向かい正面です。

「ヨハンは兄弟の中でヨーゼフが一番才能があると語った。」とされ、音楽的才能は兄に劣らず、43年の短い生涯の間に220曲以上の作品を残し「舞曲のシューベルト」と呼ばれるそうです。(ウキペディアより)
ウイーン中央墓地 33
ヨハンだけでなく家族も入っているようです。
真ん中の、アンナさんは没年から母のようです。 ヨーゼフは母の4ヶ月後に、演奏中に卒倒して急死 。同じお墓になったのはその為でしょう。

墓所は、聖マルクス墓地から移されたようで、旧墓石がまだあちらに残っているようで、そこでも2人一緒のようです。
(聖マルクス墓地と言えばモーツァルトの葬られた墓地でしたね・・・・。)

二人の死により、ヨハンは一時創作意欲を無くしたと言われています。


(1835年3月15日~1916年12月28日)
シュトラウス家 三男
ウィーンで活躍した作曲家、指揮者、ハープ奏者。
ウイーン中央墓地  34
墓所は32Aの中でもブロックが後方です。兄弟3人が兄を頂点に二等辺三角形を作る位地に存在しています。そのトライアングル上に父の墓所もあります。

美貌の持ち主で、女性にもて、 オーケストラの統率力はずば抜けていたよですが、長男のヨハン、次男のヨーゼフと違い、三男エドゥアルトには作曲の才能はなかったようです。

特に 長兄ヨハンに対しては強い嫉妬心 を持っていたと言われています。
彼の死後に大量に焼却炉に持ち込まれた楽譜は、彼の楽譜ではなく、兄ヨハンのものとも言われています。

兄の楽団は、ヨハンの死後2年目の1901年に解散。
楽団のトラブルもあったようですが、彼も66歳・・引退して静かに暮らしたかったのかもしれません。
その後15年、自適に生きて81歳で永眠。

墓石屋根の飾りは、アンカサス(西洋アザミ)の葉のようです。
ウイーン中央墓地 35
墓石も流行なのでしょうか・・・こういうタイプけっこうあります。

おまけ・・。
ヨハン・シュトラウスI世(父)のライバルの墓所は彼の左隣でした。

ヨーゼフ・ランナー(Josef Lanner)
(1801年4月12日~1843年4月14日)
オーストリアの作曲家、ヴァイオリン奏者。
日本での知名度は低いですが、オーストリアでは ヨハン・シュトラウスI世と共にワルツを磨いた「ワルツの始祖」として評価が高いようです。
ウィーン中央墓地 36
右となりにヨハン・シュトラウスI世の墓所

ヨハン・シュトラウスI世とは、最初ミヒャエル・パーマーの楽団で共にヴァイオリン奏者として在籍。後に自身のヨーゼフ・ランナーの楽団を立ち上げ、1823年、ヨハン・シュトラウスI世も入団。

ランナーはシュトラウスを評価していたようですが、若いシュトラウスの人気に嫉妬? やがて二人は決裂。(ランナーは3つ年上です。)
シュトラウスI世は、1827年退団して自ら楽団を立ち上げ、二人の楽団はライバル関係になります。

ウィーン中央墓地 37
ハープにリーフのモールが添えられているシンプルな墓所です。
お墓を作ってくれるのは残された人達ですから、財産次第ですかね。
お墓で負けてます・・・。

墓地はまだつづく






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Last updated  2009年12月10日 05時36分18秒
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