わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年12月27日
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ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)
バイエルン( Bayern)
ローテンブルク・オプ・デア・タウバァー(Rothenburg ob der Tauber)
中世の都市

キヴィタスと呼ばれていたローマ型の(小国家型)都市 はローマ帝国の解体とともに一時、消滅しかかったようですが、やがて キリスト教会によって司教座が置かれる事により継承 されたようです。
(司教座の話は「ザルツブルク 3 (司教座聖堂と大司教)」を見てね。)

司教はガリア地域を中心に教会組織の再生に主導的役割を担いながら、地域経済の発展や行政において社会的なとりまとめをも担います 。
その結果支配権力は増大して、司教は領主のごとく成り下がってしまうのですが、それでも、
中世諸都市の発展にキヴィタスと呼ばれるような都市構造は必要だった ようです。

最初に紹介したコーボルツェラー門は第2次増築の時の南角の門。
奥に見えるのがシーバー塔。
ローテンブルクの街 9
他民族からの襲撃
9~10世紀頃、欧州では北からノルマン人、南からイスラム、東からマジャール人等の他民族が襲来し、多くの街が被害にあっていたのです。
ドイツは特に東からのマジャール人の攻撃の被害を受けていたようです。
彼らは平地の戦法を得意としたため山岳の戦いに持ち込む為に中世では、城の建築場所を丘や山に求めたようです
。

最初の市壁建設
定かではありませんが、1172年、ローテンブルクの街が都市権を獲得した頃にはそこそこあったのではないかと思われます。
(ローテンブルクが帝国自由都市に認定される(
1274年)より以前です。)
中世の城の城壁は城そのものが城塞造りで庭は無いので、城ができた時に城壁に囲まれていたと言う事は無かったと思われます。
街はむき出しだったはずですから・・。

右の坂下がコーボルツェラー門に。
左の塔はシーバー・トゥルム(シーバー塔)。
ローテンブルクの街  10

シーバー・トゥルム(シーバー塔)で2次城壁の時代の塔(城門)の名残。
ローテンブルク 25

市壁建設・・増築


拡張第2次城壁
最初の市壁は地図の点線部分約1.4kmで今は環状道路。わずか直径400m程度の街だったようです。

13世紀に入ると市壁内は手狭になり市壁の再構築が始まります。
それは 1274年にローテンブルクの街がハプスブルク家のルドルフ1世から帝国自由都市の特権を与えられた事により加速。
(実はローテンブルクの街はは帝国自由都市になる前に何度か皇帝から差し押さえになっているようです。金銭支払いにより都市権を奪還しているのです。)

No22(コーボルツェラー門).24(シーバー塔)をつなぐ上の位置が2次城壁南の位置。
建築用地は以前の3倍。全長2.4km。西壁はそのまま残して北東南へ拡大。
ローテンブルク 15゛
下の出っ張りは3次城壁の増設部で全長3.4km。

都市は発展すれば人口が増えます。城内からこぼれ街を取り入れる為に城壁拡大の工事をするのですが、お金がかかります。
石材は、元の市壁を崩して再利用 しています。だから城も跡かたもなく消えたのです。

そして、 建設の為の莫大な費用を捻出する為に、古い市壁の一部は環状道路とし、残りの市壁と堀の跡地を市民に分譲して売り出し たようです。

旧城壁跡の通りはアルター・シュタットグラーベン(古堀通り)と名が残っています。
第2次市壁の門だったシーバー塔(1385年建築)を第3次市壁側から撮影。
塔と言っても塔を備えた門です。
ローテンブルク   13
かつては前に堀があり、橋げたの開閉が行われた跡が見えます。

拡張第3次城壁
15世紀、通常城門の外に造られる病院ですが、 街の南に位置するジュピタール(救護院)地区を市壁内に組み込むよう市壁は拡張。
第3次増築で市壁の全長は3.4kmに。


最南端のジュピタール門とジュピタール稜堡。
この向こうにかつてのジュピタール(病院)13世紀に創設がある。
ローテンブルク  11
上から見ると8の字型になり、大砲の位置を移動できるような造りに・・。

ジュピタール稜堡に関しては、16~17世紀の建築となっているので、後世増設されたのかもしれません。
稜堡(りょうほ)はザルツブルクでも説明しましたが、大砲を主要防御武器として設計した要塞になっており、城壁に大砲用の穴があいているのが見えます。

初期の市壁が出来た時とは、戦闘も戦術も、武器も変わり、市壁も大分造りがかわったようです。

ジュピタール門
ローテンブルク  12

第二次と第三次の市壁上の壁の内側を歩く事ができるようになっています。
ローテンブルク  14
壁の再修復費用
実は市壁の再建の寄付が現在も行われています。
第二次世界大戦(1945年3月)でアメリカからの絨毯爆撃にあい、「ローテンブルク炎上」となり街は大破。
国内外の援助で再建途中
のようです。

再建の為の壁1m分の修復寄付 と言うのが行われ寄付を申し出た人には証書と市壁に名前が刻まれると言うものです。
ローテンブルク 26
因みに日本人1号は1982年日本橋の刃物屋さんだそうです。

ローテンブルク 23

そういえば書き忘れていましたが、たいていの観光客は街に入るのに城門を通りません。バスの駐車場が城門の外にあり、その近くから現在開けられている入り口を通って市内に入るからです。


つづく






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Last updated  2010年01月10日 17時27分07秒
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