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写真追加
ローテンブルクは資料がありすぎて逆に大変なのです。ちょっと亀の歩みで進んでいます。
ドイツ連邦共和国(Federal Republic of Germany)
バイエルン( Bayern)
ローテンブルク・オプ・デア・タウバァー(Rothenburg ob der Tauber)
ヘレンガッセ(Herrngasse)通りとホテル・アイゼンフート

No11 ブルク門(Burgtor)
No11~1 ヘレンガッセ(Herrngasse)通り
No1 マルクト広場(Markt)
No1~6 Hafeng通り
No6 マルクス塔(レーダー・アーチ)
No~22 Rodergasses通り
No6 レーダー門(Rodertor)
かつて 城から続いた城前の道はヘレンガッセ(Herrngasse)通りと呼ばれ市のほぼ中心に位置するマルクト広場に繋がっています。
道はマルクト広場からHafengs通りと名を変えて第1次城門跡のマルクス塔に達し、そこからRodergasses通りと名を変えて現在の城門レーダー門から城外に繋がっています。
逆に言えば、かつて城を訪ねる者はこの道を通って向かったメイン通りです。
ヘレンガッセ(Herrngasse)通り 写真の上がブルク塔
写真左3件がホテル・アイゼンフート
ヘレンガッセ(Herrngasse)・・・親方通りと市参事 (ヘレンorヘルンとも・・)
城跡、ブルクガルデンにあるブルク門からマルク広場に続く ヘレンガッセ(Herrngasse)通りはこの街の一等地
に当たります。
この街はここから発展しているので 当初は城勤務の高官や騎士の居住区
だったようです。
後に彼ら高官は中世都市貴族となり、牛や馬等の市の開催or販売等の特権を有し、親方商人へと転じ
て行くようです。
ここはヘルン・マルクト(牛や馬の市が建つ)となり、後に ヘレン・ガッセ(旦那衆通り)と呼ばれ、ここに居を構えるのは商店主のあこがれ
となったようです。
(領主の役人とか有力な大商人は「ヘル」と呼ばれていた。)
彼ら親方商人はラーツヘル(市参事)としてローテンブルクの行政を司る相談役となります。市参事会の起源です。
簡単に言うと市議会議員ですが、選挙とは言え当初は有力な大商人の家系で独占されていたようです。
だからこの通りに市参事が多く住んでいたわけです。
ヘレンガッセ通りと井戸ヘルン・ブルンネン
井戸にはたまたま飾りが付いている。通りの奥左手がマルクト広場。
ヘレンガッセ通りとホテル・アイゼンフート
上の写真の井戸ヘルン・ブルンネンの反対側、広場よりにホテルは連なっています。
写真右3件で、奥の3件目が当初のホテル。
ホテル・アイゼンフート (Hotel Eisenhut)
年代がはっきりしていないのですが、 15~16世紀頃建築か?
もとは貴族の館で後に商館(ヘルの家)だった建物
のようです。
近年買収したのか? 現在4棟? からなる 老舗ホテル
です。
創業時からの建物
アイアン・ワークの鉄兜の看板が目印で、アイゼンフートは「鉄の帽子」の意。
ホテル内はアンティークな家具や調度品が配され、中世のムードが漂っている。
夜の撮影で無理に明るくしているので見づらいです。
日本人のツアーでよく使われるようです。
ベッドも天蓋付で、凄く重みのある重厚な造りで部屋の中は中世ムード満載。
朝のブッフェでインスタント。ミソスープが付いていたとか・・・。(日本人が多い証拠)
フロントにもアイゼンフート
部屋の至る所に甲冑が飾られている。
ヘレンガッセの終点マルクト広場の角にラートハウス、市参事会堂があります。
右が13世紀のゴシック式の建築。
左の白いのが16世紀のルネッサンス式の建築。
次回マルクト広場で紹介しますが、白いラートハウス(市参事会堂)のら上が展望塔になっており、ここからローテンブルクの街の絶景が写せるのです。
つづく
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