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もう、ほぼ正解は解っているかと思いますが、案内を兼ねてもう一押しします。
ホーエン・シュヴァンガウ城の近くの南西の山には2つの廃墟となっていた城があり、そこの岩山を爆砕して8m低くした所が建設地となりました。
道路と給水を確保して1869年9月5日礎石。
建築には王宮建築主任のエドゥアルト・リーデルが任命。
1869~1873年、最初に城門館が建設。
3階に居室を設け、2階は建築の指揮をとる場所にあてられ、1873年より本丸の館の建設に築城主はのめり込んだようです。
アメリカ、カリフォルニア州にあるディズニーランドに建てられた「眠れる森の美女の城」は、この城がモデルとなったと言われています。
(シンデレラ城ではありません。したがって東京ディズニーランドの城は違います。)
本丸は1883年にほぼ完成。
1.2.4.5階が仕上がり、1884年春には、城主が4階の住居部に入居。城主の死(1886年6月13日)までの2年のうちの1/4をそこで過ごしたそうです。
もっとも城主の突然の死により建設は中止され、完全なる完成には至らなかったようです。特に図面にはあった細部の彫刻などは省かれたので、こんなにシンプルな外観の城となってしまったようです。
この城は自分の為だけに造られた城です。
メルヘンの王と言われたように城内は彼の好きな神話や伝説の絵画で飾られています。
特に彼のお気に入りの音楽家ワーグナーへの傾倒が伺えます。
国王の執務室の壁絵の題材はほとんどがリヒャルト・ワーグナーの作品の題材と同じで、
音楽を奏でるタンホイザー
ヴェーヌス山のタンホイザー
建築には莫大なお金がかかっています。
しかも、これは国家事業ではないので王室費から捻出されていますが、あまりにも壮大なプロジェクトでお金はもちろん足りなくなります。
城主はどんどんツケで作業を進めさせたようです
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しかも、 お金には全く頓着することなく他の城の建築も進めて・・・城主は周りから三行半を突きつけられてしまうのです。

今はおもいっきり観光資源として利用されていますが・・・ 城主の願いは、自分の死とともにこの城を葬り去る事だったようです。


次回答えですが・・・
嘆美の世界に逃避したのは前回紹介した美形君です。
この城は彼の理想の夢の世界の実現だったのですが、スケールが大きすぎたのが問題でしたね。
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