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2011年お正月 クイズここはどこ? シリーズ 3-4 (パルテノン神殿)
パルテノン(Parthenon)
エレクティオン(Erechtheion)
パルテノン以前
海も近く、周辺に幾つもの泉を有し、川の流れる肥沃な平地はBC2800年頃には人が住み始めていたそうです。
青銅器時代末期のBC1300年頃には丘に巨石を使用した城壁が作られその後居住地から神域へと変わっていったようです。
それはクレタ島のミノア文明が崩壊した後、ミケーネ文明の時代にあたり、当時の古神殿跡やそれらの巨石は今もパルテノンの前に転がっています。
この頃からギリシャは民族の流入が続く動乱期に入り「暗黒時代」と言われ、史実もほとんど伝えられていないそうです。
私たちの知るイメージのギリシャ文明は、その暗黒時代が過ぎたBC6世紀頃から始まるアルカイック期(archaic)からのもの
です。
丘の上にはまだ古い神殿が残り修復や新築を始めていた頃、今度はペルシャ戦争(BC492年~BC449年)が勃発。ギリシャはアケメネス朝ペルシア帝国との戦いに突入。
その最中の
BC480年、サラミス島近海で起きたギリシア艦隊とペルシア艦隊との衝突(サラミスの海戦)により戦いに勝利したものの神聖なアクロポリスの丘は再びがれきの山となった
のだそうです。
パルテノン神殿の建築
パルテノン神殿の建設はBC449年アテナイの政治家ペリクレス(BC495年?~BC429年)の治世に始まったと言われています。
前回紹介した写真から・・・再びアクロポリスの復元図を参考に
今回紹介するのは下の写真の部分
右・・・パルテノン(Parthenon)
左・・・エレクティオン(Erechtheion)
上図のパルテノン神殿の今
参道を上ってくると右手にパルテノン神殿が目に入ります。
本来この参道は現在のパルテノン神殿の左隣にあったアテーナの古神殿に続いていました。
そして、その神殿の前には巨大なアテーナの像が建っていたようです。
ガラスケース入りで写真がボケているのですが、唯一あった写真をおまけに紹介します。
パルテノン美術館に保管されているこの大理石のアテーナ像はローマ時代に現物を模写したと言われるものです。
これの全長12mのサイズのものが紀元前にはアクロポリスの上に立っていたと言う事です。
パルテノン(Parthenon)神殿・・・・アテーナ・パルティノス神殿
奥行き69.51m。横幅30.86m。
正面と背面に8本、両サイドに17本の計 46本のドーリア式列柱が神殿を取り囲む形で建てられたドーリア式神殿です。
柱の高さは10.43m。
着工は ヘリクレースによりBC447年に着工
。
総指揮をペイディアースがとり、組み立てにイクティーノスやカリクラテース。
他に彫刻家、建築家、画家などの当代一の名工達が一丸となってこの国家的事業に参加したようです。その為に驚異的なスピードで神殿は BC438年に完成
しています。
神殿内部に「処女の間(パルテノーン)」があり神殿の名はそこから呼ばれるように・・。
処女の間は女神アテナイに仕える女官達の居室と言う建前ですが、実際は奉納品を納める部屋として使用されていたようです。
素材はペデリンコン産の白大理石
すべての柱は内側に傾斜し台輪を支え、のしかかってくる重量の負担を軽減。
柱は上端に行くほど細く、柱の中頃あたりは逆に膨らみ、柱の下部はほとんど同じ大きさでドッシリと安定させているそうです。
また、柱は円柱の臼(うす)のような石を10~11ピース重ねてできているそうですが、ブレもなく継ぎ目がしっかり合わさって見えます。
後側
西側の破風にはアテナイとポセイドンの土地争いのレリーフあり、東側の破風には守護神アテナイの誕生の様子が描かれたレリーフがはめ込まれていたようです。
東のレリーフの現物はロンドンの博物館に、その他神殿を囲むように掘られていた現存するきれいな物は大英博物館やルーブル美術館にあります。
以前 ギリシャの文化大臣になった女優メリナ・メルクーリが「ギリシャの物はギリシャに返せ。」と返還を要求したようですが、
。
度重なる戦争によりメチャクチャにされ、かつ特に 完璧な美術品と呼べる物は海外に流出
していて国内にはガラクタに近いようなものが残された・・と言うのがギリシャの現状です。
建物内にはこんなレリーフがあったようです。
アクロポリス博物館 「座せる三神」
右からアルテミス、アポローン、ポセイドン・・らしい。
横から
アクロポリスの丘は、ずっと工事中。
遺跡を発掘しつつ、修復工事はギリシャ時間ですすんでいるように見えます。
エレクティオン(Erechtheion)・・・エレクティウス神殿
複数の神が祀られている複合型の神殿
(エレクティウス神、ポセイドン神、アテーナ神、ヘーパイトス神)
パルテノン神殿は堅牢さ、重厚なドーリア式の完成形と言われる建物ですが、ドーリア式はそんなに長くは続かなかったようで、BC420年に着工して(内戦や火災で工事を中断しながら)BC395年に完成したこちらの エレクティオンはイオニア式の代表的な神殿
としても知られています。
この神殿の場所はアクロポリスでも最も古くからの聖域があった場所とされています。
以前にも紹介していますが、 アテナイの守護神を決める対決
で女神アテーナとポセイドンが戦った事は神話の世界の話ですが・・。
伝説
ポセイドンは三叉の矛で地を突くと「エレクテウスの海」と呼ばれる塩の泉が吹き出した。
アテーナは輝く槍で地を突くとオリーブが生え、たわわな実を実らせた
・・と言う。
この対決は、この土地を領有していた祖王ケクロプスの裁量で女神アテーナが勝利し、この土地は以降アテナイと呼ばれるようになったとされています。
現実的には、この伝説がアクロポリスの丘は泉と穀物に恵まれた土地であった事を示している・・とも考えられるそうです。
神殿の北には6体の少女像の柱があり、カリュアーティデスと呼ばれています。
飾られているのはレプリカで、一部本物はアクロポリス博物館で展示。一体は大英博物館に。
高さ2.30m。頭に供物の入ったかごを持つこの柱は珍しいだけでなく極めて芸術性の高いものとして評価されているようです。
さて、きりがないのアテネのアクロポリスも今回はこれで終わりにしたいと思います。
アテネのアクロポリスは1987年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
ギリシャ共和国でした。
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