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ブルージュ(Brugge) 1 (街のなりたち)
フランドル(Flandre)と亜麻(リンネル・liniere)
ブルージュ(Brugge)の栄華盛衰
死都から古都ブルージュ(Brugge)へ
ブリュッセルの北西(列車で1時間程)、
スヘルデ川を通して北海に近い街ブルージュ(Brugge)はフランク王国分割後に誕生したフランドル伯爵領にある。
9世紀にもとは要塞として誕生したブルージュ(Brugge)はフランドル伯爵領の中でも稼ぎ頭となる繁栄をした街
なのである。
ブルージュ(Brugge)の古地図を絵画にしたもの(一部)
楕円に囲われているのが街をとりまく運河。ブルージュ旧市街は運河で囲われている。
その昔はさらに城壁で囲われていたことが最初の古地図からうかがえる。(まさに要塞都市)
アムステルダムほどではないが、ブルージュ(Brugge)も川や運河により発展した典型的な町なのである。
運河はだいぶ消えたが街並みは今もほとんど変わっていない。それがこの街の魅力である。
写真下・・Sがブルージュの駅。そこから街の中心まで車で10分程度。
地図Aにある南西にある鍛冶屋の門(Smedenpoort) 街側からの門。
ブルージュの旧市街に入る城門の一つ。(現在門は4つしか残っていない。)
今や信号機もついて車、自転車、歩道とわけられている。
鍛冶屋の門(Smedenpoort)
外側から
最初にこの門ができたのは1297年。
鍛冶屋の門には青銅の頭蓋骨がかざられている・・とウィキペディアにも書かれているがそれらしきものは見当たらなかった。
青銅の頭蓋骨は、1691年街のうらぎり者の首を見せしめに門に吊した事から戒めの為に後に青銅の首を飾る事になったと言う。
(考えたらちょっと恐ろしい場所でもある。まあ、中世のこうした門の城門外側はどこも罪人の死体を見せしめに野ざらしする場所でもあったのだ。)
門、外側から街を見る。
12~13世紀に建てられたブルージュ最古の教会である救世主大聖堂の塔が見えている。
これでもここはお店が多く並び最も交通量の多い通りかもしれない。
全体に街の中は商用車くらいで車は少ないのだ・・。
もっとも運河で発展した街なのでかつては道路よりも船で運河から街に入った商人のが多かったろう。
今船は観光船だけである。
フランドル(Flandre)と亜麻(リンネル・liniere
)
フランドル(Flandre)が繁栄できたのは周辺で採れる亜麻草を利用したリネンの生産やベルギー・レースの生産があげられる。
寒冷地を好む亜麻の栽培にフランドルは適していた
からだ。
特にブルージュ(Brugge)は地乗りが良かった事もあり亜麻の生産地としてだけでなく、集積から紡績、織物製造までのラインができた。
したのである。
通気性、吸湿性に優れた上質な繊維を持つ亜麻は肌触りが良い事もあり古来より高級な衣類に使用された。
特に 中世では亜麻糸で編まれた細密なベルギーのレースは品質も美しさもあり、それを身に付ける事が貴族のステータス
になるほど人気で売れたと言う。
ボビン・レースは手間がかかる為に今も非常に高価。
ブルージュ(Brugge)の栄華盛衰
今でこそ内陸に入ってしまったが、10世紀頃より運河伝いに北海の玄関口として街は栄えはじめる。
取引の為の商館が次々置かれ欧州の商品取引の巨大マーケットが形成
された。
さらには 商品の取引に伴う為替。世界初の両替所が13世紀にはブルージュに設置され欧州の金融センターに発展
したそうだ。
その勢いは止まらず、 15世紀にはハンザ同盟の主要貿易拠点にまで成長
。
ブルージュ(Brugge)は欧州より商人が集まる街になり、その集まる冨で美しい街並みが形成された
のである。(今ある古都ブルージュは、そのかつての遺産なのだ。)


しかし、フランドルが、ではなく、 ブルージュ自体の発展が16世紀末で途絶えてしまう。
それは ブルージュ(Brugge)の繁栄を支えた物流が途切れてしまった
事にある。
商取引に必要な物流の要である運河が北海より流入してくる砂で埋まってしまったからだ
。
船の行き来ができなくなり商人はブルージュを捨てアントワープに移動。
16世紀にはアントワープとロッテルダムが欧州の商取引の50%を締める都市に発展して行く。
(因みにアントワープはフランドル伯爵領である。)
物流どころか交通網の水路自体が途切れて利便の悪くなったブルージュ(Brugge)は衰退。
つい近世まで忘れ去られた死都になってしまった
・・と言うわけだ。
「フランダースの犬」は貧しくなったフランダースの農民の話を象徴した物語だそうですよ ![]()
街の中心に向かうほど古い建物が目立つ。



死都から古都ブルージュ(Brugge)へ
19世紀、産業革命後に成功したイギリスやフランス人の間でレジャー・ブームが起
そうだ。
鉄道の整備や蒸気汽船の発達もあったのであろう。
(そう言えばこの頃エジプトなどの遺跡発掘をしに行く金持ちも増えたな。)
そんな 観光ブームの中、ブルージュ(Brugge)は古戦場ワーテルロー(Waterloo)のついでに足をのばす古都として人気が出た
のだそうだ。まさに棚ぼたである ![]()
ワーテルロー(Waterloo)と言えばナポレオン最後の戦いの場所。
1815年6月のワーテルローの戦い(Bataille de Waterloo)で有名な土地である。
(当時からやはりナポレオンは人気の武将だったのだろう。)
現在もある旅行社トーマス・クックはすでにワーテルローを組み込んだパック旅行を出していた・・と言うから驚きである ![]()
とにかくこの忘れ去られた中世の見事な街並みはデカダン派の小説家ジョルジュ・ローデンバッハ(Georges Rodenbach)(1855年~1898年)の書いた「死都ブルージュ(Bruges la Morte) (1892年)も後押しをしたようだ。

それにしても・・海底や川底の土砂をサルベージするクレーン船は14世紀初頭に現れ、中世欧州では、ほとんどの港や入り江にあったらしい。
それでも土砂の堆積が凄すぎてサルベージが間に合わなかったのだろう。
さて、今回はざっと雰囲気を紹介しましたが、次回からもう少し細かく・・。写真が多いので選ぶのが大変ですが・・。![]()
リンク ブルージュ(Brugge) 2 (十字の門と風車)
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