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写真が多すぎて100分の1くらいまで選定するのに何日も要してしまいました ![]()
疲れた (`@_@'') 目が・・・。
さて、今回は運河観光の名所、ローゼンダッカイ(Rozenhoedkaai)の埠頭とダイフェル(Dijver)の運河通りを紹介。運河の街、ブルージュの顔・・とも言える場所です。だから写真も多めにしました ![]()
(全2回くらいになりそうです。)
ブルージュ(Brugge) 8 (Rozenhoedkaai)
ローゼンダッカイ(Rozenhoedkaai)
ダイフェル(Dijver)
ブルージュの熊 伝説
「8世紀後半~11世紀、フランク王国の北部地方は、今度はノルマン人の南下
で揺れていた・・。」
そもそも、 もっと歴史を遡れば
ローマ帝国時代からヨーロッパ中北部はすでにインド・ヨーロッパ語族のケルト人達が広く入植していた土地
でした。
その後 フランク王国の誕生により彼らはキリスト教に改宗して土地に残った者もいたし、土地を追われアイルランドやイングランド、フランスへと渡った者達もいた。
そんな経緯もあり、北海沿岸地帯には、ケルト人達の遺跡や霊場が結構あちこち残されている
ようです。
例えば、以前紹介したモン・サン・ミッシェルの岩山もそうでしたし、 今回のブルージュのダイフェル(Dijver)もかつてはケルトの神聖なる場所で、ドルイド達の祈りの場所であったようです
。
(もっとも現在そのような遺跡はみあたりませんが・・。)
まずは現在の運河の地図から
中心の黄色の円の部分が今回紹介するダイフェル(Dijver)と言う場所。
見て解る卵形の円内が旧市街。かつては円周の運河に沿って壁が張り巡らされていた。
下の地図がダイフェル(Dijver)を中心にした運河と道路の地図。(部分)
(ブルージュのインフォメーションで購入した冊子より)
ざっくり分けるとこのようなブロックに
A・・ローゼンダッカイ(Rozenhoedkaai)
B・・ダイフェル(Dijver)
C・・グルートフーズ通り(Gruuthusestraat)・・聖母教会とグルートフーズ家の屋敷がある。
ローゼンダッカイ(Rozenhoedkaai)
前にレストラン「デュック・ドゥ・ブルゴーニュ(Duc de Bourgogne)」でも紹介した 運河の埠頭あたり
がそう呼ばれています。(市のインフォメーションにも名前がしるされているので間違いないでしょう。
ここを含めてダイフェル(Dijver)と紹介している本もあります。
また日本語訳の時にローゼンフートとしているのもあります。
私は今回、ローゼンダッカイと読む方を支持しましたが、「何と読むのか? 」「本当にそう呼ぶのか?」と言う疑問を解消する為に必ず現地の文字を合わせて載せるようにしています。
RozenhoedkaaiとはRozen(ロザリオ)、かつてロザリオ販売の屋台がこのあたりにたくさん並んでいたからつけられた呼称のようです。
もしかしたらジョルジュ・ローデンバッハ(Georges Rodenbach)の小説「死都ブルージュ(Bruges la Morte) (1892年)以降からポピュラーになったのかもしれません。
せっかくなので運河クルーズの目線と合わせて写真を紹介していきます。
広角に撮影した写真はこれ(雨)しか無かったので・・。左に見える橋までがRozenhoedkaai。
それにしても日程全体、雨が降ったり止んだりで、あまり晴れ間が無かったのが残念でした。![]()
普通のカメラで全景は入らない![]()



写真ボート乗り場の建物の右奧がHuidenvetterspleinのスクエア
夕刻の写真
一番綺麗に撮れたのは夕刻のこの角度。これより左は西日で逆光になる。
さて、運河クルーズの目線で

正面に見えているのがマルクト広場の鐘楼(Belfort)
前にも紹介したが、かつてはまっすく運河が直進していてマルクト広場まで船が横付けされていたようだ。
運河クルーズ
運河観光の船はこのあたり含めて5カ所くらいから出ているが、どこから乗ってもほぼ同じルートを航行する事になる。 所用時間は40分。
写真白い建物(デュック・ドゥ・ブルゴーニュ Duc de Bourgogne)の角を右折し、古文書館の裏を通りヤン・ファン・アイクの像まで行ってUターン。戻ってこの前を再び通り過ぎ、ダイフェル(Dijver)を南下して聖母教会の横を通り過ぎ、ベギン会修道院の前の愛の泉で再びUターンして帰路となる。
やはりブルージュに来たなら一度は乗っておきたい。![]()
雨でもね・・![]()

デュック・ドゥ・ブルゴーニュ (Duc de Bourgogne)から撮影
みなさんが記念撮影する場所。運河側から見たRozenhoedkaaiの縁である。
かつてロザリオの屋台がたくさん出ていたと言う通り。
たぶん先に見える聖母教会に詣でる人や、ブルージュ土産に購入する観光客が増えたからかもしれない。
後に予定していますが、聖母教会にはミケランジェロ作の聖母子像があり。それも観光の目玉なのである。



観光馬車も市内を走り回る。
次回は橋から先、ダイフェル(Dijver)です。
ところで、以前( ブルグ広場 1)のところ、「旧古文書館の扉の上の紋章」を紹介。
その時紋章の中、「熊が解らない」と書きましたが、理由が解りました。
ブルージュの熊 伝説
「初代フランドル伯ボードゥアン1世(Baudouin I)(生年不詳~879年)によって建てられた城塞が街の起源」と言う事は何度が紹介していましたが、その ボードゥアン1世がこのブルージュの地に降り立ち、最初に出会った生き物が熊だった・・と言う伝承によりブルージュの紋章に熊が採択
されているのだそうです。
昔は熊が生息する場所だったのでしょうかね?
次回は
リンク ブルージュ(Brugge) 9 (Dijver)
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