わたしのこだわりブログ(仮)

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2014年08月10日
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昨今、どこの教会に行っても修復中で、幌(ほろ)や足場がじゃましてせっかくの建物の全景が撮影できない事が増えている。
 世界遺産登録を目論んでいるのか? あるいは世界遺産に登録されてお金が入るようになってきたからか?
なんて考えていたのだが、確かに古い教会の維持管理は大変に違いない。
もともと石が組み上げられただけの教会は地震でもあれば倒壊の危険がある。近年はどこも鉄骨を入れて大がかりに構造の補填がされている。

今回紹介するミラノ大聖堂の場合、カテドラルの建設には500年以上が費やされている
 大司教が教会建設を宣言したのが1386年。その翌年には建築プロジェクト、ヴェネランダ・ファッブリカ・デル・ドゥオーモ(Veneranda Fabbrica del Duomo)が発足され、その組織が現在は教会の財産管理委員会として構造上の修復や芸術上の修復を手がけているそうだ。

ミラノ(Milano) 3  (ミラノ大聖堂  1)

ミラノ大聖堂(Duomo di Milano)
リソルジメント(Risorgimento)・・・イタリア統一運動
夏冬兼用のカテドラルの建設
ルドヴィーゴ・ポリアーギの扉

ドゥオーモ(Duomo)は、ラテン語のDomus(神の家)に由来する語

ミラノの領主ジャン・ガレアッツォ・ビスコンティ(Gian Galeazzo Visconti)(1351年~1402年)は繁栄するミラノを象徴する近代的で立派な神の家の建設を指示するとミラノの市民は歓喜し、経済は活性化。寄付に寄贈、ボランティアと言う活動がここに誕生したと言う。
ミラノ大聖堂の建築はミラノ市民にとって「神の家」であると共に「自分達の家」と言う思いだった事だろう。

ドゥオモ広場からの大聖堂
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左の見切れがヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリアで、右の見切れがヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像。

ドゥオーモ広場のヴィットリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia)の騎馬像
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異常に鳩がまとわりついている銅像である。5年くらい前まで鳩のエサを売っていた人がいたからのようだ。
今は唯一の日陰の為に鳩だけでなく人も集まって来る。
何しろこの広場は広いのに日陰がないし、座って休む場所もないからだ。

リソルジメント(Risorgimento)・・・イタリア統一運動
回「モンテ・ナポレオーネのレストラン」の中で ナポレオンが建国したイタリア王国およびイタリア共和国について紹介したが・・。
ナポレオンが失脚して王国は再び解体されるとイタリア人は帝国からの分離とイタリア人によるイタリアの統治を求める戦いを始めた。(反オーストリア蜂起 )

リソルジメントは日本でイタリア統一運動と訳されるが、 イタリアに再び過去の繁栄をよみがえらせる・・と言う政治的、社会的運動で、最終的には独立にいたる戦い をさしている。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele II di Savoia)(1820年~1878年)
サルディーニャ王国を支配するサヴォイア家出身で、ナポレオン失脚後に始まるイタリア統一運動(父、アルベルトから引き継いだ戦い)の中核なした人物。そして 初代イタリア王国、国王(在位:1861年~1878年)となった人物 である。

ドゥオーモの正面左にはヴィットリオ・エマヌエーレ2世の名を冠したガレリア(ショッピングアーケード)も建っている。
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ドゥオーモの屋上テラスからの広場
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリア入り口
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1867年イタリアの建築家にしてエンジニアのジュゼッペ・メンゴーニ(Giuseppe Mengoni)(1829年~1877年)のデザイン。

Duomo di Milano
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イタリアにおけるゴシック建築で最大の大聖堂である。
ファサードは何度も姿を変えたが、最終的にはナポレオンの一言で大聖堂はゴシックの姿で完成

夏冬兼用のカテドラルの建設
1300年代後半ミラノには夏のバシリカと冬のバシリカが存在したと言う。
その両者のバシリカが老朽化した為に大司教は新しいカテドラルの建設を領主に相談。
当初はレンガやテラコッタのオーソドックスなバシリカでの建設構想だったようだが、前出の ミラノ領主ビスコンティは当時のイタリアではまだ知られていなかたフランスやドイツのゴシック建築。いわゆる国際ゴシック様式で建設したいと考えたようだ
冒頭説明したヴェネランダ・ファッブリカ・デル・ドゥオーモと言う建築プロジェクトを立ち上げ、工事運営、指揮、技術者確保と石材の確保など建設にかかわるあらゆる優遇措置を与えたと言う。

ところで 夏と冬のバシリカとは?
夏と冬・・とはおそら夏と冬の司教座があった場所が異なっていたからではないかと推察 できる。
前にも紹介した事があるが、司教座の置かれている教会をカテドラル( cathedra )と呼ぶ。
司教座とは、その地域の教会を統括する教区長の在するす教会を指している。
因みに教区長は一般に司教か大司教がなるので、司教座聖堂or主教座聖堂と呼ぶわけであるが、冬の間 深い霧に包まれる・・と言う環境のロンバルディァ地方は夏冬の環境で司教座の場所を移動していたのかもしれない

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ファサードの扉は1900年代に入り青銅の扉に徐々に変更。全てデザイナーが異なっている。

ルドヴィーゴ・ポリアーギの扉( 中央扉)
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ルドヴィーゴ・ポリアーギ(Lodovico Pogliaghi)(1857年~1950年)
扉は1906年~1908年に製作。


この大聖堂は聖母マリアに献堂されている。
聖母戴冠
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右扉・・・聖母の喜び
生まれたキリストを抱く聖母
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左扉・・聖母の悲しみ
ピエタ(Pietà)・・十字架より降下されたキリストを抱く聖母図
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確かにこの扉の装飾が一番美しい。そして感心したのが扉口の開口部の継ぎ目
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赤いで線を印したところが合わさり目。
植物の根の装飾も素晴らしいが、合わさり目が全く解らないのだ。びっくり

ミラノ大聖堂つづく
リンク ​ ミラノ(Milano) 4  (ミラノ大聖堂 2 屋上テラス)






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Last updated  2020年09月21日 01時40分59秒
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