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いたかも知れませんが、語り手であるメルクのアドソが在籍していた僧院がこのメルク修道院です。(事件の舞台はこの修道院ではありませんが・・。)
記号論哲学者で、中世研究者でもあるエーコの小説は中世の僧院を舞台にした推理サスペンスで、ショーン・コネリー出演で映画化もされている有名な作品です。
しかし、非常に難解な作品なのです。小説冒頭に語り手であるメルクのアドソが時代を理解してもらいたい・・。と言う断りがあるよう、その時代背景諸々を共に理解しないと解らない部分が多く、私もなかなか手が出ない作品でした。(映画は見ていたけど
)
時代がちょうどアヴィニヨンに教皇庁が置かれていたアヴィニヨン捕囚
時代(フランス王フィリップ4世のいいなりの時代)で同時に異端審問が厳しくなっていた時代でもあります。
特にアドソが非難するアヴィニヨン時代の初代教皇クレメンス5世はテンプル騎士団を異端審問にかけ、火あぶりにした教皇ですし、教皇ヨハネ22世は自ら清貧を心理としたフランシスコ会を異端的と断罪した教皇です。
そんな理不尽がまかり通されたアヴィニヨン時代の教皇庁は異常そのもの。
そんな時代をからめたサスペンスは史実を理解していたらより楽しめる作品と言う事で長らく棚上げしてきましたが、そろそろいけそうなので年内読破を目論んでいます
ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 2 (メルク修道院)
メルク修道院(Stift Melk)
マルク(Mark)
聖コロマン(St.Koloman)
ドナウ川分流のメルク川からのメルク修道院(撮影は川下、ドナウ川合流地点から)

船で攻めて来たらすぐわかるような丘に要塞(マルク)は築かれ、それはやがてベネディクト会修道院になった。
別の回で紹介しますが、テラスからの景色は絶景でした![]()
メルクの街のハウプト広場から
小説の語り手、アドソの父はバイエルン王、ルードヴッヒ4世の随身貴族だったが・・。
実際、ここは バイエルンの高位貴族出身のバーベンベルグ家(Haus Babenberg)、レオポルドが976年に辺境伯として赴任し拡大した土地
である。
マルク(Mark)
10世紀頃、ドナウ川流域は守備の為のマルク(Mark)が建設。 マルクとは軍事的な砦の事
である。
エンス、イップス、メルク、クレムス、トゥルンと川の名前がそのままつけられたマルク(Mark)は辺境地にあるから辺境区であり、その 辺境区を治め指揮管理する地方長官が辺境伯(Markgraf)である
。
後に「辺境伯(Markgraf)」の称号は世襲化されて、一種の爵位称号に変わってしまったが・・。
メルクはこのあたりのマルクの中でも最も重要な1つ
だったようです。
駅前広場を下ってくると・・

ところで修道院の成り立ちについては、いろいろあるのですが・・。
7世紀以降の西部フランクあたりでは、ベネディクトゥス戒律が採用されたと言う。
779年に発布されたカール大帝の最初の勅令の中では修道士のあり方まで言及されているらしいし・・。
そんな事情もあったのか? 11世紀にはバーベンベルグ家より土地を贈与され、 1089年3月21日修道院長ジギボルトに率いられた修道士達がメルクに入りベネディクト戒律に基づいた共同生活に入った
。
城塞はメルク修道院(Stift Melk)となり、ベネディクト会(Ordo Sancti Benedicti)の修道院になった。
メルク修道院図
建物の部分のみ拡大したが、修道院の右の見切れている方に倍以上の荘園を持っているようです。
修道院の畑にはワインに使われるブドウの栽培もあります。なぜワイン? と思う方もいるでしょうが、聖体拝領に必要だからです。
ワインはキリストの血にみたてられパンはキリストの体にみたてられる聖体。最後の晩餐に由来する典礼で使用。
修道院の門


修道院にしては本当に
豪華な建物である。
現在の建物は1702年礎石。1736年頃完成していたらしいが、直後に火災に遭いかなり焼けたそうだ。

ベネデイクトの間と呼ばれる建物は中庭へのゲート
聖コロマン(St.Koloman)
もとは要塞の傍ら 、バーベンベルグ家(Haus Babenberg)の墓所だった教会に ハインリッヒ1世は箔を付ける為に1014年、殉教者、聖コロマン(St.Koloman)(不詳~1012)の遺骸を運ばせ、ここに祀った。
アイルランドの異人、聖コロマン(St.Koloman)はスパイ容疑で処刑されたそうだが、死後にStockerauの墓所で不思議な現象が続き、神聖視される。
聖コロマンは17世紀までオーストリアの聖人であり、その信仰はハンガリー、バイエルンに広がっているそうです。
高位聖職者の庭
幅42m。奥行き84m。実際、奧の方が少し狭まっているのでこのような写真に・・。

皇帝階段
皇帝回廊
西 の皇帝回廊の方の部屋は美術館として修道院の宝物が展示
されています。
その中には 聖遺物の納められたメルクの十字架
があり、それは「聖槍(Heilige Lanze)(Holy Lance)」の時に紹介した皇帝の十字架(Imperial Cross)に匹敵するお宝です。(次回紹介)
窓越しに見えるメルクの街
大理石の間
つづく
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 3 (メルクの十字架)
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