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ご無沙汰しております。 現在、実家に夏休みで帰ってきております そして、私が行くとしたら、図書館 昨日は、息子をばあちゃんに預け、 図書館の原画展の搬出の手伝いに そこで、出た話なのですが 私は、図書館を辞めて3年ちょっとが経ちました でも、東京に行ってからも、帰ってくるたびに、 お土産を持って(ほんの少しですけどね)図書館に行きます まあ、一番の目的は本を借りに行くことですが、 図書館の仲間たちと話したりするのも楽しみだったり・・・ そんなお土産のお菓子のおすそ分けをもらったほかの課の課長さんが、 「〇〇さん(私のこと)は、未だにお土産もって図書館に来るのだから、 よっぽど、図書館が好きなんだね~」 と言ったそうです その話を聞いて、 確かに嫌いではないけれど、 好きとは、ちょっと違うようなと思っていました そして、帰ってきてふと思ったのは、 好きというのもだけど、母性的な気持ちが図書館に対してあるのかな~と 私は、図書館を造るところから入りました。 それは、自分の子供と同様、 産みの苦しさがありました しかも図書館の場合は、3年近く 産むための不安や苦労など、 今は、かなり忘れてしまったけどたくさんありました そして、1年目は、初めてのことづくしで、 あっという間に終わり、 2、3年目は、1年通った道でも、 前の年とは違ったり、工夫もしないといけなかったり・・・ 年々成長していく図書館に追いつけなかったり、 成長させないとと不安になったり・・・ うちの息子は2歳で、魔の2歳児真っ盛りですが、 なんだか子育てと似ているなと思ったのです その子(図書館)育てを7年、 人間の子供で言えば小学生になるまでしたのだから、 そんな簡単に見放せるわけがないのです だから、ほかの職員には想像もできないような愛情があるのです まだ、うちの息子のことで胃が痛くなったことはありませんが、 図書館のことでは、胃が痛くなることもあったり まあ、私は、人間の子供同様に 吸収の時期、一番成長する時期のかわいい頃を担当していたわけですから、 まだ良かったのかもしれないですね 図書館は、今年10周年。 人間の子供でいえば、4年生ぐらいかな。 微妙に大変な時期ですね。 女の子の4年生だったら、 大人が負けてしまいそうな子もいますからね そして、今から思春期突入 ちょっと育て方を間違うと大変なことになることもあるかもしれないですね そんな時期を、新しい彼女に任せてしまったわけですから ほんと、ゴメンナサイって感じです まあ、彼女は頑張り屋さんなので、安心していますが というわけで、 これからも、邪魔にならない程度に顔を出して行こうと、 思った一日でした みなさんは、どんな思いで働いてらっしゃるのでしょうね
2010.08.31
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とりあえず、どうにか、やっと…。 今日、母から電話で、 「司書の募集してたよ!」 と、教えてもらいました。 もちろん、私に働けば!?ということではなく 私のあとをどうにか、やっと採用してくれる気になったようです。 町としては、ここ数年職員の採用はありませんでした もちろん合併して、人が余っていると言う話ですからね まあ、この余っているというのは、解釈によっていろいろですけどね コレに関して、私も思うところはありますが、そこまで言う権利はないので文句は言いません ただ、保健師などは採用されていました。 まず、ここが問題その1なのです。 司書は、保健師と違い、専門職として採用されていないので、 私が辞めても一般職が辞めたということで、補充されなかったのです そのおかげで、普通の事務職員がまわされてきたわけですけどね そして、問題その2です。 コレは私もいけなかったのでしょうが、 司書の仕事を、私がしてきた仕事を上の人があまり理解していなかったのでしょう 上の人たちから見れば、そんな10年そこそこの女が 図書館の大半をまわしていた(ちょっと大袈裟ですが)なんて思わないでしょう 私も、「手伝ってくれません」なんて言いませんしね まあ、まわせる範囲でしかまわしていなかったといえばそこまでですが 挙句の果て、昨秋ぐらいには 「急に辞めると言ったものだから…」 ぐらいの扱いになっていたそうです 私は、4月1日、年度初め式のあとすぐに課長に言ったんですけどね それぐらいのことにはなるかもなと、予想していたので、「案の定」程度で、 そんなには驚かなかったですけどね 多分、臨職2人が辞めたのも、私のせいになっているかもしれませんね まあ、2人が他の職員とでは無理かも、大変かもと判断したのもありますので、 100%私のせいではないとはいえないので、仕方がありませんね 実は、昨秋、司書の募集があるとは聞いていました。 ただ、通常9月ぐらいに採用試験があるのですが、今まで延びたようです。 その時に、司書の仕事は何なのか?と聞かれたのです。 答えるのが難しかったんですけど だから、図書館の仕事すべてが司書の仕事であって、 本来ならば、司書資格を持っていない人が働いているべき所ではなく、 どこからどこが司書の仕事とは明確に分けることはできません まず、そんな質問してくる自体バカにしてるという感じなんですけど まあ、何はともあれ、とりあえず採用試験が行われるということは、 司書の必要性も伝わったのかな、私がいた甲斐もあったのかなと プラス思考で考えて、良しとしましょう あとは、私としては、今、図書館で頑張ってくれている彼女が採用されることを願うのみですが
2008.01.18
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昨日の内容、旧ブログでも似たようなこと書いていましたね 実は、もう書いたことがあるのか、どこかで話したことがあるのか分からなくなってきています 多分、これからも、同じようなことを書くと思いますが、ご了承ください さて、今日は多分書いたことがないんじゃないかな。 図書館建設第3弾です 図書室で箱に詰められた本は、新図書館へ運ばれました。 と言っても、すぐに書架に並べられるわけではありません。 一見、建物が出来上がっているように見えても、検査が入ったりして、 そう簡単には、いろいろ自由にはできません もちろん、本棚の拭き掃除からですけど なので、取り敢えずBM車庫にダンボールを運びこみました。 これが、開館日の約1ヶ月前です。 (検査が済まないからとは言われたんですが、 そんなんじゃ間に合わないということで、入れさせてもらいました。) はい、ご想像どおり、基本的には私と臨職2人(二人とも女性です)で、 軽トラックに乗せ、500Mほど離れた図書室から図書館へ運びます。 さすがに後々には、役場の若手男性陣を何人かずつに手伝ってもらいましたがね。 だって、また車庫から開架スペースにも運ばないといけませんからね。 荷台を使うとはいえ、かなりの重労働です。 約10日間で約36,000冊ぐらいを運びました。 本棚に運ぶんですが、ここで役に立つのが、箱に書かれていた分類の番号です。 その分類を見て、それぞれの本棚に持っていくわけです。 そのためには、すでに配架計画をきちんとしていないといけませんが 本が型崩れしたりしないように、詰め物が入っていたりするので、それはそれは、ゴミもすごいですよ。 1ヶ月前なので、本当に終わるのかと、途方に暮れたものです ボランティアの方々にも手伝ってもらいましたけどね 箱から本が出されるにつれて、ダンボールの空き箱が積み重なっていくわけです ちなみにこのダンボールはT○Cからもらったものです 同じサイズの箱じゃないと積み重ねられないし、いちいちダンボールを買うほど予算はないし のちのちには、このダンボール、他の課がイベントで使ってましたよ 取り敢えずは、そんな感じですかね とにかく、重労働に耐えねばという気力と、終わるのかという不安だけで、この頃は働いていましたね 何と言っても、その時の若さと コレだけの重労働に耐えぬく体に産んでくれた親に感謝ですね
2007.06.20
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私は、大変だったことは忘れる!という特技を持っているので 若干忘れつつまりますが、建設準備の頃のことを書いてみようかと思います 何が大変かと言うと、本を買うことが大変だったんです。(贅沢な話ですけどね) 私が役場に入った年は、700冊ぐらいしか買えない予算でした。 それが、2年目には、11,000冊ぐらい買える予算に‥ 開館準備のためですがね。 嫌味じゃないですけど、使っても使ってもなくならないんですよ 何と言っても、2年目ですからね。 事務仕事もそこそこにしかできないし、図書館建設の準備もちょこちょこ入ってきていましたし、 何から、どんな本を買っていいのかさ~っぱり分からないんですから まあ、そんなこと言っていても仕方がないんです予算を消化するしかないんです で、買った本はどうなったかと言うと、こうなりました そうなんです。 2,500万円分の本を置く場所なんて、図書室にはありませんでしたから、 少しは、新刊として出していましたが、それ以外は、ダンボールの中へ ちなみに、図書室の隣の部屋をつぶしてです ただ、ダンボールに入れればいいというわけではありません。 T○Cから送られてきた本の箱を開封して、本にはさまれているチラシなどを取り除き、 分類ごとに箱に入れ替えるんです。 なので、途中までしか入っていない箱が、所狭しと並んでいるわけです。 ある程度、図書館での本の配架が決まっていたので、ただ単に4類と言うわけではなく、 400~439までと言うような感じで、細かく分けていたわけです なので、なおさら、箱は埋まらないわけです で、 こんな感じですかね。 奥に扉がありますが、あれぐらい積み重ねられたというわけです 余談ですけどね、 私は、かなり力がありますあまり威張れたことじゃないですけど 大概の人が、私が本の入った箱を持つ姿を見てびっくりされます。 (それなりの大きさの箱、2箱持ったりしますから) 多分、この時、鍛えられたんじゃないですかね 背の低い私にしたら、かなり、上まで積み重ねてますもんね そうそう、T○Cから送られてきた本というのは、きちんとこちらで選書したものです。 T○Cの自動送本の制度も利用はしていましたが、それ以外は、全部自分たちで選書です。 丸投げではありません。 もちろん地元書店からも購入しているので、それらは、装備や登録も自分たちでしましたよ 元々、図書室にあった本の登録も同時進行だし、図書室の運営もありましたからね イマイチ、どんな日々を過ごしていたのか思い出せませんがこなしていたようです 臨時職員は、2年目に1人、3年目(開館前年)に2人、雇っていましたよ 最後は、図書室の本も閉じ込められました ※スミマセン。また、わかりにくい写真で
2007.06.13
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旧ブログで、図書館建設について書いていこう!と言っておきながら、書いていませんでした なので、こんな写真を載せていいのか分かりませんが、ここから書いていこうと思います。 図書室の時の写真です どこにでもあるような図書室です いわゆる、中央に机があって、本は二の次と言うような感じで、周りに並んでいます のちに、こんな図書館はいけないと誰か(図書館関係の偉い人)が言っていたのを覚えています そして、こちらが、児童書コーナーです。 上の図書室とは部屋が別になっていて、公民館事務室の一角を本棚でさえぎった部屋でした なので、基本的に大人と子どもは、別々の入口から入って、別々の部屋に行くという感じですね 一応、部屋の中でつながってはいましたが、係の机の後ろを通ると言う感じですね でも、ある意味、この今ではありえないと思えるような図書室が 私の原点であり、今の配架の仕方や図書館への反面教師的な役割になったのではないんでしょうかね 児童書と一般書が分かれていることで、探しにくかったり、中学生が入りにくかったりしたことが、 もしかしたら(と言うのが、イマイチそれが原因かどうか分からないので)児童と一般の混配につながったのかもしれないなぁ~、と。 そして、コレですね。 と~っても、大事にガラス張りの本棚にが入っています。 もちろん、禁帯出シールも貼ってあります 私は、ある意味、本の価値も分からずして、図書室の担当になったので なぜ、ガラス張りの本棚になおさなければいけないのか、さ~っぱり分かりませんでした でも、入ったときから「コレは貸し出してはイケナイ」と言われていたので、貸出をしていませんでした。 まだ、若かったしね でも、今では、この本が図書館のどこにあるかさ~っぱり分かりません 図書館には、禁帯出もなければ、そんなガラス張りの本棚もありませんからね 読みたくても、読みにくいじゃんという、 簡単な考えで、あっさりなくなっちゃいましたね この図書室で借りられていなかった絵本が、 新しい図書館になって表紙を見せておく(平置き)という簡単なことで、 借りられるようになったと、気付いた時には、大きな喜びでしたね とはいえ、この図書室があってこそ、今の図書館があり、今の私がいるわけです 役場に入って、3年間、ココでの生活がありました ※写真は、写真をデジカメで撮ったものなので、見にくいかもしれませんが、ご了承ください
2007.06.07
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