2005年01月17日
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テーマ: 阪神大震災(64)
カテゴリ: カテゴリ未分類
10年前の1月17日午前5時46分頃、連休明けの早朝でいつもより早く起きて出勤前に伸びた爪を切っていた。TVでは朝日放送のローカル番組を放送中で天気予報のコーナーになったところだった。

その瞬間、まるで大型の削岩機でアスファルトを突き刺す様な、大きな轟音と上下動が起きてTVの画面が消えて一瞬何が起きたのか分からなかったが、それが地震と自覚するのに左程時間は掛からなかった。

咄嗟の判断で、箪笥が倒れたら下敷きになると危ないと感じて窓のカーテンレールにしがみ付き、揺れが収まるのを待った。部屋の中は崩れた土壁の粉塵と近所の火事の煙が充満していて、このままでは窒息して危ないと階段を下りようとしたが崩れて塞がって出られない。仕方無く襖を剥がして飛び降りようと窓を開けたら、1階が箱を折りたたんだみたいに潰れている。襖を投げ出してやっとの事で外へ脱出した。

以前 8月28日の日記 でも書いたのだが、地震発生当時の恐怖の記憶はまだ忘れる事は無い。その後に見たまるで戦争で爆撃でも受けたかの廃墟と化した街の光景や、脱線して動けない電車、崩れたマンションの1階で押し潰された車、倒壊して横倒しになった高架橋などを見るにつけ、人間の無力さと自然の持つ災害の脅威にただ呆然とするしか無かった。

その後 10月26日の日記 にも書いたが、約5ヶ月間に及ぶ小学校での避難所生活を強いられて、いつになったら普通の生活に戻れるのかという焦りも感じていた。

あれから10年経った今でもまだ更地は残っているし、再開発ビルも去年の秋にやっと着工したばかりのところもある。ホテルシェレナなんかは未だに再建のメドが立たずに放置されたままである。表向きには復興が進んだ様に見えてもまだ真の意味での復興には程遠いのである。

運良く生き残っている自分達はこの震災によって起きた様々な出来事を風化させる事無く後々も伝え続ける事と、遠い所から交通が寸断されて不便な状況にもかかわらず、救援物資や義援金などの援助を受けた事に対する感謝の気持ちも忘れてはならないと思う。



[もうあんな地震は起きて欲し無いんや!」「これ以上悲惨な目に遭わさんといてくれ!」





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最終更新日  2005年01月17日 12時01分28秒
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