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こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。
古くから漁場として栄えてた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか?
歴史探訪シリーズ第22回「 義経と弁慶(羅臼の足跡)
」では、ちらりと世界文化遺産「平泉」のことに触れました。最近では富士山の登録に日本中が湧いていますね。
北海道に暮らす私達の身近にも、文化的に貴重なものは多く存在します。
代表的な所では、道南や北東北を中心とした縄文遺跡が「 北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群
」として、国内の世界文化遺産の登録候補に挙がっています。
今回から数回にわたっては、道東で世界文化遺産登録を目指す「 北海道東部の窪みで残る大規模竪穴住居群 」ご紹介いたしましょう。
まずは北海道が辿ってきた歴史を概観してみましょう。

本州では、狩猟採集を中心とした生活をしていた縄文時代の後、稲作文化を取り入れた弥生時代に突入します。
しかし、北海道では冷涼な気候のため、稲が育たなかったため、縄文時代の文化とよく似た生活を続けます。この時代が 続縄文時代
と呼ばれる時代です。
本州での中世--北海道の 擦文時代
では、ソバやキビなどの雑穀の農耕が行われます。
そして、 アイヌ文化
に続くのです。
彼らがどのような生活を送ってきたのか、残念ながらその記録は残っていません。 しかし、彼らが残した家屋の建築跡や土器などの什器を調べることで、生活の様子などの文化を知ることができます。
三本木遺跡
当時の家屋は 竪穴住居
と呼ばれています。
発掘すると、土を掘って床面にした痕跡や家の柱や周囲に設けた柵の跡が見られます。
写真の 三本木遺跡
は、標津町の海岸砂丘にある続縄文時代から擦文時代にかけての遺跡です。
道東に分布する遺跡にはひとつの特徴があります。

古道遺跡
写真は 古道
遺跡
という、標津川の河岸段丘に分布する擦文時代の竪穴住居跡の一つです。
大きく凹んでいるのがわかりますか?
この窪みは、遺跡を見やすくするために、人為的に行ったものではありません。自然と窪みとなって遺っているのです。
窪みとなって竪穴住居が遺っていることは、東北アジアの一部にしか見られない特徴となっています。
その理由は3つあります。 1つ は、当時の人々が竪穴住居を建てる際に、深く土を掘っていたこと。 2つ目 に、冷涼な気候のため、土が積もりにくいこと。 最後 に、海風により土が飛ばされやすい気候にあったこと。この3点です。
古道遺跡にはアイヌ文化期に建造されたチャシも存在します。 サケが遡上する標津川に近い、河岸段丘であるため、場所が良かったのかもしれませんし、先祖代々住み慣れた場所であったのかもしれません。
しかしながら、実は、 擦文時代の文化がそのままアイヌに引き継がれたのか
、という点には多くの未確定な要素が残されています。
なぜなら、アイヌ文化期では、擦文時代まで使われていた土器類が使用されなくなったために、什器が発掘により出土しなくなったのです。
そのため、アイヌ文化期の初期において、どのような暮らしが営まれていたのか、未だによく分かっていません。北海道の遺跡を発掘することは、 アイヌの人々の文化や歴史を理解する上でも非常に重要なこと
なのです。
さて、次回は標津町のカリカリウス遺跡で、道東の中世の歴史をご紹介いたします。
参考文献:北海道の考古学(宇田川 洋 著)
参考文献:増補 アイヌ考古学(宇田川 洋 著)
参考文献:北方考古学の新地平(柳澤 清一 編)
■補足
アイヌの人々は漆器をはじめとした木製品を使っていました。 しかし、火山列島である日本において、木製品は腐りやすく、遺りにくい物となっています。考古学者の頭を悩ましていることの一つではありますが、一方で、地層における火山灰は、年代を知る上で重要な証拠となっています。
・古道遺跡や三本木遺跡も紹介しているポー川遺跡公園のホームページは こちら
・世界遺産暫定一覧表記載への提案書に関する情報は こちら
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